超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ペーパークリップ・マキシマイザー 5

四十二さんは、一日におよそ十二時間仕事をして、八時間寝ている。残りの四時間は人間らしい生活、つまり食事をしたりお風呂に入ったりとかの時間だ。

 

俺はそこまではできないので、彼女を部屋に封じ込めて普通にしっかり時間をとっている。彼女はもう監視される対象ではなく、こっち側の人間だ。

 

「ただ、これは雑だろ……」

 

書類上、俺達がいる部屋は「アセット42」のために使われるとなっている。ほかのアセット1から41と、アセット43から50までは、地下のそれぞれの部屋で扱われている。アセット42は汎用計算のためのサーバーだ。つまり、BIFRONSのことである。

 

数段階の隠蔽工作というわけだ。そしてこの地下は、高度かつ学際的な国家戦略にかかわる研究のために使われるらしい。ふうん、ものは言いようだな。ちなみにこういうエリアは先工研だけで四つほどあり、赤城先端学術都市には百近くあるそうだ。全部を監視できる組織があるとしたら、それは警察ぐらいらしい。あそこは人数だけは揃っているからとのこと。でも最近入る人が減っていて大変だなんて話もよく聞くんですが。

 

「私の名前がちょうど書類に埋もれるというのは、価値観の違いをもとにした冗談として面白い」

 

「本当に冗談を理解しているのか?」

 

「私はそれを感じて笑うという情緒的なつながりが形成されていないけれども、面白いとは感じている」

 

「そうか……」

 

俺は彼女の思考をまだ読み切れていない。そもそも読み取ろうとすることにも限界があるのだろう。同じように育ったはずの相手でさえろくに読めないのだ。全く異なる社会を経験している相手を理解できると考えるほうが傲慢だろう。

 

「なあ、BIFRONS」

 

俺は天井にネジで取り付けたカメラとマイクとスピーカーの組み合わせを見上げる。こういったものが部屋中にあるので、どこを見ても視線が合うのだが。

 

『なんでしょうか』

 

「彼女って、どのぐらい表情を顔に出している?」

 

『ある程度は出していますが、まだ不慣れな点が多くあります。対人コミュニケーションの不足が原因でしょう』

 

「まあ、経験無しで成長するには限界があるか」

 

練習問題を解かずに教科書を読んだだけで理解ができるなんてことはない。繰り返して挑戦して、わからないところをしっかりと考えて、そしてそもそも教科書が間違っているんじゃないかと一週間ぐらい悩んで、他の本を読んで自分が間違っていたことに気がつく必要があるのだ。

 

もちろん、これはとてもコストがかかる。俺はそれを半分ぐらいBIFRONSに投げたが、そうして手に入れたものが本当の知識かと言われると疑問である。百科事典を暗唱することが賢さなのかどうかみたいな議論は昔からよくされていますよね。

 

ちなみに俺の回答は、人間の知性なんてどうせあと数十年で誤差になるんだから気にしなくていいというものだ。かつて暗記の技術は特別であったが、記録技術がある今では隠し芸以上のものではない。確かに脳のランダムアクセスメモリが大きいに越したことはないが。

 

『彼女を社会と交流させるべきだと思いますか?』

 

「それはアセット42としてか?それとも十八歳の人間としてか?」

 

『どちらでも』

 

「……本人の意志を重視する、なんて言ったらここから出そうにないからな」

 

「あなたは私の好奇心を過小評価している」

 

不満そうな声色と、持ち上げられた上唇。不満の表情。サングラスをつけていなくともこれぐらいは読み取れるが、少し気を抜くと見ることを忘れてしまうので難しい。

 

「これって俺が読むのが下手なだけで、わかりやすいのか?」

 

『はい』

 

「よく勉強できているよな……」

 

『圧縮された記憶ではない顔写真はあまりアーカイブにないので生成されたものになりますが、最低限の情報は与えています』

 

「理論ミニマムをやれば物理ができるようになるぐらいの暴論だぞ」

 

俺がそう言って手元の端末にいくつか単語を打ち込むと四十二さんの表情についての複雑な分析が出てくる。この部屋に仕込まれた複数のカメラが様々な角度から表情を撮影して、リアルタイムで合成して調整しているものだ。

 

ただちょっと怖いのは、世界から切り離されたBIFRONSがどこまで狂うかということである。閉じた場所で人間がおかしくなるのはインターネットを見ていればいくらでも実例があるのであえて例示することはしませんが。

 

『彼女が提示している理論は、ある程度理解しつつあります』

 

「それは理解なのか?それとも文字を追いかけているだけか?」

 

『その二つに違いはありますか?』

 

「実際に作れるかどうかで判定できるだろ」

 

『少なくとも数学分野においては、人間が紙に書くようなものでない方法であればいくつかの発展が達成できました』

 

「自動定理証明みたいなやつか」

 

俺がそう言うと、画面に記号のパターンが流れる。人類はまだそれをわかりやすく説明する語彙を持っていない。それが十年ぐらいに渡って行われるなら概念一つ一つに名前がつけられていくのだろうが、今の時点で割り振られているのはただのトークンだ。

 

『専用の対応システムの開発が必要でした。これを結末を知らずに開発することは、現時点では不可能です』

 

「寝ている間に電気羊に教えてもらったって言えば許されないか?」

 

ちなみにそう言ったインド人については最近の研究でその思考経路が明らかになったそうです。その記事を読んだんですが確かにそういう風にやれば動機は理解できるなとなりました。式の導出の過程が異常すぎて結局おかしいのは変わらないじゃないかとなりましたが。

 

『アブストラクトにそう書かれた論文を読みますか?』

 

「読まないな……」

 

論文を人工知能のクローラーが見つけられるようにアブストラクトにそれらしい単語を散りばめるというのは古い検索エンジン最適化という邪法に通ずるものであるとして忌まれてはいるが、ある程度価値があるのも事実だ。見つけられない論文は存在しないのである。

 

おかげで古くから学会誌を丁寧に読んでいる老教授とか、有料の論文サービスが持っているチャットボットとかの価値が高くなっているんですけれどもね。値打ちというのは相対的なもので、どこかで何かが安くなれば高級品にブランドの価値が生まれたりするのだ。

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