超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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スリーウェイ・ハンドシェイク 5

「言語って何?」

 

「それは情報を伝えるための一連の規則および表現です。音声、身振り、文字などの形で記録されます」

 

俺の言葉を聞きながら、彼女はノートパソコンの画面を見る。俺が読み上げた文章と同じものがふりがな付きに描かれていて、ちょっとしたアニメーションがいくつかの単語を説明するために置かれている。

 

「音声って何?」

 

「人の声のことです。人類の発声器官は肺、気道、口腔、鼻腔、舌、歯、唇からなり、声帯の振動によって生まれた音が筋肉の動きによって制御された共鳴を伴うことで音声が作られます」

 

「共鳴って何?」

 

「振動する物体が固有振動数と一致する外部からの周期的な力を加えられた場合に振幅が拡大する現象です……」

 

そう言いながら画面に映る見覚えがあるようでないグラフを確認する。尖っているところが完全に共振した時の振幅で、それが無限大になることを意味しているのだろう。そこからずれるとピークが下がる。うん、確か電磁気学の授業とかでやったはずなんだがな。

 

彼女が今やっていることはわかりやすい。百科事典を片っ端から単語を辿って見ているようなものだ。俺が出す声で音声と文字の対応を確認しながら、人類の知識体系を探っている。

 

見ている内容は今のところ言語分野が中心に思われる。物理学とかのほうが共通理解に便利かとも思ったが、彼女は今のところはそちらの方向には興味がないらしい。あるいはBIFRONS側がある種の誘導をしているのか。

 

正直なところ、俺はBIFRONSの実力を全然わかっていない。かつて小学生の頃、自分が知っているクイズを解けなかった小学校の先生を馬鹿だと思っていた。今からすればあの先生はかなりすごかったことがわかる。そして同時に俺と同じぐらいの年齢のやつが小学生を教えられるわけがないだろうというシステムへの憤りもある。

 

人間は自分より実力が上の存在について、正しく分析することは難しい。特にBIFRONSは何かと競わせてスコアを出したり、ベンチマークを突破させるというよりももう少し複雑なことを自律的にできるように設計したのもあって、正直いつ暴走して俺を殺しに来るかわかったものではない。

 

それと同じで、眼の前の少女がいつ退屈し始めるのかというのが正直怖い。俺は人類の作ってきた科学技術の頂点の一つ、人工知能についてちょっとした知識がある。そして俺は彼らに知的に置いていかれるだろう世代の一人であることを理解している。そんなことを、少なくとも生身に見える状態でやってのける彼女は何者なんだよ。

 

「速度がゼロって何?」

 

「それが単語であれば、停止になります」

 

「会話の停止を希望する時に用いられる語彙って何?この用語の選択は適切?」

 

「適切です。会話の停止は一般的には文章によって提案されます。適切な文章は対話相手の関係に基づいて決定しますが、一般的には提案の形として『話を終わりにしましょう』とすることが誤解を招かないと考えます」

 

「対話の停止後の開始について、どういった文章を使えばいい?」

 

「提案として『話を始めましょう』と言えば誤解を招かないと考えます。ただ、文化的背景が共有されている場合には暗黙裡の認識によって直接の発話によらず会話が停止、あるいは再開されます」

 

俺がそう言い終わると、相手は視線を画面から俺に向けた。画面が白くなる。

 

「話を終わりにしましょう」

 

「わかりました、話を終わりにします」

 

彼女は俺の答えを聞いて、椅子から立ち上がってベッドの上に横たわった。警戒心がないのか、あるいは精神的に疲れているのか。寝息を立て始めているように見えるが、純粋にリラックスしているだけかはわからない。

 

俺は部屋を出て、かなり固まっていた肩をほぐす。

 

「様子は中の隠しカメラで見れている、はずですよね?」

 

政府の人は何も言わずに頷く。

 

「……どう思います、彼女のこと」

 

「非常に賢いんだろうな、ということはわかる」

 

「人間の記憶力というのは色々な試験で計測できるんですが、それらを今回の言語習得に当てはめると特殊な訓練を受けた短期記憶者に相当します」

 

「暗記術、か?」

 

「ええ。もちろん彼女がやったのと同じような条件を揃えた言語学習の例があるわけではありませんが、ほとんどの言語学者でも、あるいは言語習得が得意な人でも、あそこまでのことはできないと思います」

 

とはいえ俺のこの発言の根拠になっている論文は圧縮してダウンロードしておいたデータベース頼りのやつだ。片っ端から集めてきたもので合計して1 TB程度。ダウンロードよりも処理に使うためのタグ付けのほうがよほど時間がかかった代物である。オフラインで些細な知識が必要になったときにはこういうのが必要になってくるというBIFRONSの判断は正しかった。

 

「……しかし、彼女は英語も日本語も知らなかった」

 

「それに彼女が話していたのは我々の知らない言語です。本当は言語学者としてはそちらを知りたいのですが、こちらが学ばれていますね」

 

「意思疎通ができることが最優先だ。もちろん、彼女がどこから来たのか知りたいのも事実だが」

 

スーツの彼はそう言いながら、こちらから見ると何も映っていないようなタブレット端末を見ている。多分専用のそういうフィルムがあるのだろう。

 

「……言語学者の端くれとして言わせてもらえれば、彼女はもっとちゃんとした専門家に見せられるべきです。俺は心理学者でも、医者でも、ましてや政策決定者でもない」

 

「彼女を知られたくない、というのは君にもわかるだろう」

 

「機密程度で彼女の自由と権利を奪うのは愚かですよ。今は予防的措置と言い張れますが、それができなくなったら我々と彼女の間の関係は失われます」

 

別に俺は人権の概念を信じているから彼女を自由にしろとか言うつもりはない。というより、そういうことができるのは俺よりももう少し若い年代の若者の特権だろう。ちなみに俺は二十六歳、博士課程二年生である。十六歳ならそういうことをやっていいだろうか。

 

「彼女はそれを理解してくれるほど、賢明であるといいのだが」

 

「おそらくそうだと思いますがね。しかし彼女がここから逃げ出せないほど馬鹿であると考えないほうがいいですよ」

 

必要であれば、彼女はここから脱出できるだろう。ここは刑務所のように最初から脱走されないために作られているわけではない。そして刑務所でさえ、脱獄されることがあるというのだ。

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