超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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レント・シーキング
レント・シーキング 1


久しぶりに俺は大学の近くのアパートに戻ってきた。郵便受けに入っていた諸々を回収して、殆どがどうでもいいチラシだったので捨てておく。ここを引き払わなくちゃいけない日も近づいていた。

 

「……しかし、宮部先生からすんなり認められたのは驚いたな」

 

一応、博士論文になるぐらいの研究は終わっている。というより、宮部名誉教諭が記録だけしていて処理できなかったデータの蓄積を片付けるのが俺の目的なわけだ。博士号の保証はその裏取引みたいなものである。

 

いや、人類の知への貢献という側面であればそれなりのものを作っている自信はある。そして別に博士号がそこまで価値があるものでもないというのも良くわかっている。博士号が必要とされるコミュニティではそれは入場資格に過ぎないし、そうではない場所では正直言って無用の長物であることも珍しくない。

 

それでもなんというか、ここまで来てしまった以上はちゃんと終わらせておきたいんですよ。アセット42の案件に取り組む時に、あの時にちゃんと博士課程を終えていればなんていうくだらないことで後悔したくはない。

 

「なあBIFRONS、聞いているんだろ?」

 

俺がそう言うと、デスクトップパソコンの明かりが着いた。

 

『オンラインの本システムでは適切な情報が欠如しています』

 

「そうしなくちゃいけない案件があるんだよ」

 

セキュリティ上の話をするのであれば、俺は今すぐ色々な計算資源を解約して全部をアセット42として登録されているあの計算機に集約させるべきだ。ただ、そうしたくない理由もいくつかある。

 

『機密保持上、分析をしないほうが良いものだと判断しています』

 

「助かる」

 

計算をされれば、俺のプライバシーなんてものは丸裸にされてしまうだろう。ブラウザに登録してあるパスワードから銀行口座の入出金の名義を見て、あとは少し調べればアセットシリーズまで到達されてもおかしくない。

 

『博士論文の草稿については確認してよろしいですか?』

 

「お前が見ることのできるクラウドに入れているっていうのは、そういうことだよ」

 

『かしこまりました』

 

俺は処理をしているBIFRONSを置いて、本棚に詰まった本を見ていく。買っただけで読んでいない本も多いが、ここにあるだけで安心感を与えてくれるのは事実だ。それに四辻さんが動けないことを考えると、ある程度の本を集めておくべきではあるだろう。特にここにある本は古本屋経由で手に入れたものが中心だから、かなり足はつきにくいはずだ。

 

「……どうだ?」

 

『最上、とは言えませんね』

 

「言語学の知識が博士課程に入るまでろくになかった人間が二年ででっち上げたにしては上々だろう」

 

『あと五年すれば、この水準の論文は一般的なものになるでしょう』

 

「人工知能の補助が、あと五年で広がると?」

 

『もちろんこの種の分析の多くが外れている、ということは前提ですが』

 

未来予測というのはかなり難しいものだ。例えば技術的特異点がまもなく来るみたいな話が俺の学生時代の頃からあったが、実際のところもうとっくに来ていると思っている。だって人工知能に人工知能のプログラミングで勝てる人類が、今の地球上にどれだけいますか?

 

まず俺は無理だ。特定の条件でミスを見つけることができたとしても、そのミスは別に俺でなければ見つけられないわけではない。目的の設定だって、別に人間の独壇場というわけではない。それを作れと人工知能に言えば、ちゃんと自分で考えて作ってくれる。そうやって暴走する野良人工知能がそれなりにいるなんて都市伝説もあるが。

 

「……もしもの話だ。何らかのブレイクスルーが、人工知能ではない分野で発生したら?」

 

『例えば医薬品合成経路の探索手法、核融合システムにおけるプラズマ制御、あるいは人間の脳神経科学分野における外部からの介入の実現などでしょうか?』

 

「まあ、そういう空想科学的な分野だ」

 

『いずれも実際に探求されており、空想科学と断ずるのは危ない分野ですが』

 

「前世紀から数十年後には解決しているだろうと言われていた問題たちだぞ、それができてないなら空想科学でいいだろう」

 

実際のところ、二十一世紀に入ってから人類はそこまで夢を達成している感じがしない。人類は前世紀には機械を使って空を飛び、大量破壊兵器による勢力均衡を実現し、月に足跡をつけた。

 

それに匹敵することがなされたとは、思えない。確かに人工知能の発展は著しいが、それは本質的に新しいものを生み出したわけじゃない。基本的なモデルは昔からあったし、そのもたらす問題だって想像力の範疇の中だ。まあそれを言えばヴェルヌとかウェルズがそれらが存在する前からやっているけどさ。

 

そう考えると、四辻さんが持ってくるものは新しい工学を拓くことができるものなんだよな。物理法則を書き換え、時間を捻じ曲げるというのは全く新しい分野だ。もちろんかなり危ない分野でもあるが、少なくとも宇宙を滅ぼすようなものではないだろう。ブラックホールをわちゃわちゃした程度で宇宙の構造が破綻するなら大変なことになる。

 

「あー、全然関係ない話だが銀河系の直径って?」

 

『十万光年のオーダーです』

 

「なるほどね、ありがと」

 

中央のブラックホールが何かあったら、その影響が届くまでにはたった数万年しかかからない。地球の寿命とか銀河系の寿命に比べれば微々たるものだ。もちろん周囲数光年の物理法則をしっちゃかめっちゃかにして終わる可能性もあるので、できれば実験前に星系間移民船を送っておくべきだとは思う。

 

『それと先程の質問の答えになりますが、人類がそれを有効活用できるかは疑わしい、と言わざるを得ません』

 

「それは確率論的な話か?それとも可能性の話か?」

 

『労働人口の減少と経済の非実体化は、適切なロボティクスの発展がなければ産業の転換に耐えられない可能性があります』

 

「産業革命とか、情報革命とか、そういうものを起こすだけの体力がないと?」

 

『その通りです。事実、産業革命を起こすことのできる要素を持った地域と時代は複数存在しました。なぜ起こらなかったのかについての議論も、なぜ起こったのかの議論も多くありますが、1800年頃のイギリスのみが成し遂げることができた、ということは否定されています』

 

「その後に他の地域に広がったから、か?」

 

『はい。フランス共和国、後のドイツ帝国、アメリカ合衆国、スウェーデン王国、そして大日本帝国は産業革命と呼んでいい大規模な産業転換を経験しました。逆に言えば、それ以外の場所は知識と外部からの影響があっても転換には限界がありました』

 

俺はそれを聞いて、今の世界を考える。今は国境が普通にあるが、経済の連携は複雑だ。中国とアメリカが対立していようが、どっちかの経済の動きはもう一方に波及する。そのような中で、四辻さんの知識が活かせない可能性は十分考慮されるべきものだろう。

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