「つまりだよ、どいつもこいつも知性に不純なんだよ」
俺の口が軽くなっているな、と思いながらそろそろ撤収するか、と考える。まだ考えられている。四辻さんが危なかったら止めてくれると勝手に信じている。やめたほうがいいな。
「古瀬さんは、自分の知性に自信がない人で?」
「ああそうだよ、強化されていて、まだ規制されていないから許されているだけだ」
「私からすれば別に生身で戦う必要もないと思うんだけれどもね、それを言うなら私は古瀬さんよりも実用が苦手だから理念とかの人間の領分で戦っている」
そう言いながら水城さんはそば粉の正方形のパスタを食べている。イタリアとの国境近くのサヴォアという地域のものらしい。クロジフレットという。グラタンに近い。そしておいしい。
「ふたりとも大変なんですね」
そう言いながら四辻さんが食べるのはタルト・フランベ。薄焼きのピザみたいなもの。サワークリームの風味が強いので俺は一口で遠慮したが、四辻さんは気に入ったようだ。いや、別に酸味が苦手なわけではないんですがあまり積極的に食べたくないというか。出されたら食べますけど四辻さんが物欲しげな目で見てきたら勝てないんですよ。
「こいつはアカデミアから一抜けしてなんか研究者でもない裏方やるんでしょう?」
「ええまあ、はい」
俺がするのは空返事。それ以上は言えない。
「……BIFRONS、だったっけ?」
水城さんが声を潜めて言う。
「試作品のアーキテクチャですよ、俺にはチューニングできる代物じゃない」
一応公開リポジトリにBIFRONSの基本設計を置いてはいる。それは俺が最初に高校生時代に試行錯誤して作ったもので、今となっては問題のほうが多く思えてしまう
「BIFRONSにならできるんじゃない?」
「まさか、技術的特異点がもう来ていると?」
「とっくに来ているじゃないか、十年前に知性と呼ばれていたものの現状を見ろよ」
彼女は行儀悪く、俺にフォークの先端を向けながら言う。良かったな俺が尖端恐怖症でなくって。
「……研究者だろ、水城さんは」
「国家公務員だよ、俸給表では研究職だけれど、やっていることは調整。一般職のほうがそれらしいかもしれない」
「……そうか」
「楽しいよ。私以外ならできないような仕事ができる。自分の知識と技術を活かせている。コミュニティの一員として統合されているという自覚がある」
「いいじゃないか」
「それを自覚すると、魔法がなくなるんだよ」
「……酒っていうのは、案外真実をはっきりと見せてくれるのかもしれないな」
俺はそう言いながらグラスに残っていたワインを飲む。うん、これ以上はやめておいたほうがいいな。
「水城さんは、今日はどうするんだ?」
「今日は駅前のホテルに泊まるよ、それぐらいの金はある」
「……俺達のせいで引き止めたんだ、奢らせてくれよ」
「えー、じゃあこうしよっか。私は自分の分と有望な学生の分を支払う。君は自分の食べた分ぐらいを自分で払いたまえ」
「……ごちそうになります」
「うーん及第点、ここは奥ゆかしく一回断るべきだよ四辻さん。というわけで古瀬くん、教え子の勉強代をかわりに受け取りたまえ」
そう言って彼女は俺の前に置かれていた伝票を奪い去った。ちなみに現代においても男性が女性に奢るというのは文化的に一般的だそうで。人間誰しも奢られたがるものですが、それを言うことが社会的に許容される性別っていうのがあるんですよね。この手の話をすると俺は世界を雑な二分法で敵に回すという愚かなことをすることになるのでこのへんで止めておこう。
「……何か賞でも取ったら奢らせてくれよ」
「いい店をまた探しておくよ、こっちからも人を連れてきても?」
「常識的な範囲で頼むぞ」
俺はそう言って息を吐いた。そして歩いていく水城さんの足取りは意外なほどにしっかりしていた。飲んでいないわけではないと思うが、強いのだろうか。あるいは事前に準備をしてきていたとか。まあ、大丈夫そうならいいだろう。
「今日はありがとうございました」
冷たい夜風に吹かれながら四辻さんが言う。一応は駅までは送っておくか、という判断である。
「いいの。今日はいい日だった」
そう言って水城さんは器用にステップを踏む。上機嫌なのは間違いないだろう。アルコールのせいかはわからないが。
「……何かあったら、連絡していいですか?」
「もちろん。必要なら面談もするよ」
「面談……?」
「引き抜きだよ、そしてやめろ」
俺は息を吐く。四辻さんが理解できなかったのか、あるいは理解しなかったふりをしたのかは知らないが俺が止める役に回ったほうがいいだろう。
「本当は大学に行ってほしいんだけれどもね、そうしないと今の行政制度は四辻さんを使いこなせない」
「だから先工研だけなんだよ、彼女がいれるのは」
「……無茶をするよね、彼女の才能にはそこまでの価値があるのかな」
水城さんの言葉が妙に引っかかる。いや、確かに常識的に捉えれば技術力はあるとはいえ高卒の人物に対して不信感を持つのは仕方のないことだ。大学というのは学位を与える機関というだけではない。それはスクリーニングもするし、ある種の社会的地位を保証もする。
「価値は社会が構築するものだろ」
「おっ科学技術社会論のやばいやつみたいなこと言っているね。コンセンサスがあれば林檎は宙に浮くのかい?」
「別に世界の現実を説明する方法は無数にあるし、そのどれが選ばれるのかはかなり社会的要因が大きいだろ。林檎と宙に浮くって言葉の定義の問題だ」
結構有名な話である。極端な分析だと科学とはしょせん人間の作った規則に過ぎないというものがある。実験屋とか理論屋とかはいやここまで現実をうまく予測できたり数学的にきれいな構造を持つものがまやかしというのはないだろと言いたがるのだが、実態は色々と難しい。
「私は、人間が世界を変えられると信じるね」
そう言って彼女は足を止め、駅の明かりを背に俺と四辻さんの方を向いて両手を広げる。
「世界を変えられる人がほんの一握りとはいえ、世界を変えようとするやつもほんの一握りだ。意思があれば、それはかなり世界を変えることに近づくんだよ」
「……面白い意見だと思いますが、それは世界の巨大さと複雑さを軽視していると思います」
少し不満そうに四辻さんが言う。
「そんなことないよ。世界は私の周りだけなら十分小さいし、私も含めて人間は単純だから」
水城さんはそう言って、またくるりと背を向けて手を振りながらホテルの入口へと進んでいった。