超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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マックスフロー・ミニカット 3

「なかなか面白かったな」

 

そう言いながら、俺は夜の中華料理店で餃子を箸でつまむ。机の上には片っ端から頼んだ料理と取り分け用のお皿。だって昼食を食べそこねましたからね。

 

「新幹線を使えば今日中に帰れたのでは」

 

「わかってないなぁ四辻さん。使える金があるんだから一泊ぐらい多くしていったっていいだろ」

 

そう、これがアカデミアではないし予算の比較的ルーズな使用が許されている人間にしかできない行為、すなわち前泊と後泊の活用である。まあ予算は全部自分の懐から出ているのですが。

 

「あいよ、地三鮮(ディサンシェン)

 

店主らしいおじいさんが雑に皿を置いてくる。このお店は当たりだな、などと考えながらジャガイモとナスとピーマンの炒め物を食べる。香味野菜の強い風味と、火傷しそうなぐらいに熱い野菜。家庭のコンロでは出せない熱量ならではのものだ。

 

「……色々と知らない方法があった」

 

「学会というのは最先端のネタが集まるからな、というより最先端のネタしか出せない」

 

「どういうこと?」

 

「今まで出したものじゃない要素を出そうとして、締切直前に実験をでっち上げてどうにか発表を取り繕うんだよ。理論系中心だったから今回はそういうものが少なかったが、計算機科学みたいなほうは実質的に実験だからな」

 

「計算にかかる時間の問題の話?」

 

「そういうこと」

 

スーパーコンピューターの能力は徐々にムーアの法則の示す指数関数的向上から遅れてきているが、それでも十分発展的と言っていいだろう。さすがに量子コンピューターを自由に活用できるほどではないが、今どきは学術用途なら申請すればかなり安くその種のシステムを使うことができる。俺もBIFRONSのユニットの一つを作るために岩間教授経由で書類を書いたことがあったからな。

 

「液体金属の話は面白かった」

 

「水と両親媒性分子でやる方法はあるんだがな」

 

そう言って俺が手元のスマートフォンを見ると自動的にタブが開いたので四辻さんの方に回す。

 

「……こういうことが、できるんだ」

 

おや、この種の知識は四辻さんの知的体系にはないのか。ラングミュア=ブロジェット膜というやつである。ドイツ人の女性であるポッケルスがキッチンで行った単分子膜の研究から発展して、反射防止ガラスの作成をした女性物理学者のブロジェットによる成果として生まれたものである。あまりそういうところを強調するとレイリー卿とラングミュアの成果を軽んじているみたいに言われるかもしれないので難しいところではあるが。

 

素早くスクロールをして内容を理解していく彼女を見つつ、俺は柔らかい角煮を食べる。昔は八角の風味とかそこまで好きではなかった記憶があるが、今ではこういうものだと飲み込めるようになっている。四辻さんはこの種の刺激は大丈夫なのだろうか。あるいはまだそれを認識するのに慣れていないのかもしれない。

 

ちなみに俺は表面というものが好きではない。ただでさえ表面を考えないバルクでも神のように扱いが難しいのに、表面ともなると悪魔的である。これって誰だっけ、確かパウリだった気がする。

 

「まだ数学上のモデルだが、うまく設計できればかなり自由度が高い表面の分子配向を作れる可能性がある」

 

計算機の上でシミュレーションがうまく行ったところで、それは現実でどうなるかをあまり保証してはくれない。特に今回の場合は相互作用が複雑で使った手法の機械学習データになさそうなものだったからな。

 

「……そういうやり方も、あるんだね」

 

「そういうことだ。別に一つの方法に拘る必要はない」

 

四辻さんは、俺が言いたいことをきちんとわかってくれたようだ。重力特異点を作るための膨大な前提条件の一つにゲルマネンという物質がある。ゲルマニウムを一原子の厚みの膜として並べたものだ。これを作る試みはある程度成功しているが、大規模にするのは難しい。原因はいくつかあるが、その一つは土台の作成だ。

 

紙を作る時は、パルプを水に溶かしてそれを網の上に広げる。ただ、ゲルマニウムを整然と並べるとなると何かに溶かすなんてことは難しい。一応溶媒を使うようなアプローチもないわけではないが、反応性を考えると化合物になってゲルマニウムの原子一つ一つが並んでくれるようにするのは難しいのだ。

 

というわけで、今回聞いた話の出番である。液体金属の中に土台になるような分子を入れて、その中に板をつけて引き上げる。プラモのデカールとかマーブリングの要領、と言っても別に俺はどっちもやったことないからこの喩えが正確かどうかはわからないしそもそもどちらも両親媒性分子ではない。流し台の中の水の上に浮かんだ石鹸膜が、その中から持ち上げた食器にまとわりつくようなもの、と言うのが一番正しそうだ。そしてそれがラングミュア=ブロジェット膜というものです。

 

ともかく、そういう基盤があった上でのアイデアなので別にそれ自体は目新しいものではない。そしてこれが必ずしも成功するというわけでもない。もしうまく行ったとしても改良には時間がかかるだろうし、四辻さんが当初想定していた方法よりも楽だとは限らない。

 

「やっぱり、来てよかった」

 

「あと食べないとなくなっていくぞ、苦手なものがあるなら俺が食べるが」

 

「どれも美味しい」

 

「そいつはいい」

 

彼女には見たところ好き嫌いがない。よく噛んで食べているし、味わっているように見える。ただ、たとえ味がわからなくたってそう振る舞うことはできるのだ。それを思うと微妙な気分になってくる。

 

別にそれは、彼女が構造体の中でろくなものを食べていなかったとかそういうわけではない。例えば俺はワインの微妙な味わいがわからないし、色の見分けだってそこまで得意ではない。人の顔なんかはまるでわからない。それと同じだ。

 

元々ある素質を訓練で伸ばさないと、感覚というものは実用的な水準にはならない。そしてその必要がなければ、別に伸ばさなくたっていいのだ。俺は世界のワインの味わいを楽しめないかもしれないし、人生をワインに捧げた人から見ればそのような繊細な感覚を持たない俺は相対的に劣っているし、その人から見れば憐れまれるべき存在なのだろう。そういうものだ。

 

「……古瀬さんは、食べないの?」

 

そう言って四辻さんはスマートフォンを返してきた。

 

「食べるさ」

 

そう言って、俺はまだ皿に残っていた地三鮮(ディサンシェン)のジャガイモを取った。

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