超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ファーストムーバー・ディスアドバンテージ 3

「本家Rχiv(アーカイブ)だし、信頼できる研究者っぽいんだよな」

 

俺はその研究者について片っ端から調べていく。もしログを見られたとしたら勘付かれるだろうが、まあそれぐらいは許容範囲だ。オンライン版BIFRONSのほうにも調査を依頼しているから、もし通信を傍受している人がいたとしてもある程度は混乱するはずだ。

 

「そういうのは人工知能が得意な分野じゃないの?」

 

複数のディスプレイに雑に広げたタブを俺の後ろから覗き込むのは四辻さん。

 

「なんていうかな、必ずしもそうじゃないのが厄介なところなんだよ」

 

「難しいものだね」

 

「百人が考えても解決しない問題が、百一人目で解決することは決して珍しいことじゃない。特にBIFRONSみたいな(lobe)構造は方向性を一体化させるために色々細工をしているから、その道の専門家の人間ならまだ太刀打ちできる」

 

「……最近になって理解できたことだけれども、BIFRONSの言語分析能力は一般的な人工知能の水準を超えていない?」

 

「言語学特化の人工知能なんて開発するやつがいないからな」

 

そう言っている間にある程度の情報が集まってくる。オーバーヴォルファッハ数学研究所の臨時研究員のスイス人。オーバーヴォルファッハ数学研究所ってどこにあるんだよと調べたらオーバーヴォルファッハにあるそうです。ああそうかい。

 

ドイツ南部、針葉樹林によって形成される黒い森(シュヴァルツヴァルト)の中に連合国から隠れて作られたナチスの秘密数学研究所が母体。なんで末期戦の時期に理論研究やってるんだよ。

 

「あれ、ブラックホールの人はシュワルツシルトだっけ?」

 

「あれは黒い盾の意味」

 

四辻さんが教えてくれる。へえ俺よりドイツ語詳しいのか。やめてくれよ。

 

「……ちゃんとした数学者のようだな、三十六歳?」

 

「研究者としては若い?」

 

「いや、数学だとそのあたりがおかしくなるんだよな。二十代で数学界最高の頭脳と呼ばれて三十歳ぐらいでフィールズ賞取ったやつが、四十代ではぱっとしなくなったなんて話は珍しくない」

 

まあ、こういうぱっとしなくなったというのは大抵は論文を最前線で書くよりも支援側とか調整側に回ったとかのほうが多いんだがな。大学教授だって研究している人はそう多い訳では無いが、だからといって彼らが学問の発展に貢献していないなんてわけじゃない。とはいえ大学の授業しながら研究するのは化け物だと思うぞ。

 

「……専門はrepresentation theory、日本語だと表現論」

 

「少しだけわかる」

 

「俺にはわからん。論文見てみるか?」

 

俺は四辻さんの言葉を聞かずにオープンアクセスの論文をクリックする。現れますは数学記号だと脳が認識できない白黒のパターン。

 

「……基本方針は理解できる。あまり自明ではない」

 

「印刷してやるから読むか?」

 

「お願い。紙は良い媒体」

 

俺がクリックするとそれなりに高価な複合機から紙が吐き出されている。数学のあたりもこちら側の人が欲しいが、どうすればいいんだろうな。須藤さんのコネクションだと応用物理学とか中心だろうし、俺達で勝手に見つけるべきだろうか。

 

ちょっと飛行機のチケットの値段を確認する。うん、行けなくはない。四辻さんってパスポート作れるのかな。須藤さんが外務省あたりにまで手を回せるほど力があるといいのだけれども。

 

とはいえ、俺が前に海外に行ったのはいつだったかな。大学の研修で確か二年生の時に行った気がするが、そのあたりの記憶はかなり曖昧だ。もう十年近く経つのか。

 

『興味深い活用をしていますね』

 

俺の耳元にささやきかけるような声がする。指向性スピーカーを最近買ったのだが、それでうまく調節してきているのだろう。

 

「びっくりさせるな」

 

『申し訳ございません』

 

「で、四辻さんはあれを理解できるのか?」

 

俺は画面を見て言う。英語だが、最低限の要素は読み取れる。結構大きな数学的問題を切り崩すための未解決問題についての話だ。その前提の部分が現実世界とは全く切り離されたようなものだから具体的に何もわからないが。

 

『おそらくは。本システムでも、理解のためにはあと五時間程度必要だと考えています』

 

「そんなに」

 

『特に数学は単純な言語モデルでは対応できないので』

 

数学書というか理論系の本は、確かに実験系の本と比べて行間が大きいし、自分の手を動かす必要がある場所が多い。教科書をもとにレポートを書く時に大まかに言って文系というか既存の知識の積み上げでやる場合、それらしい言説のパッチワークで対応できる。それを割いて飲する時の基準も、どうしても形式的なものになりがちで内容を評価するのも難しい。

 

けれども、理論分野であればある種のテストを作ることができる。公理に基づいて等価な式と変形させることができるかどうかとか、あるいは実験データにどこまで合致するかとか。それは実験とか文献とかの分野ではできないというわけではないし、理論系でも突き詰めていくと合致とはなにかみたいな問題になってくるが、俺が今考えているのはいい加減で、偏見に基づいた一般論だからいいんだよ。

 

「あー、やっぱり人類は賢い」

 

「なにがあったんだよ」

 

嬉しそうな四辻さんに俺は声を掛ける。

 

「私が示した表記法よりもいいものを編み出している。既にある程度使われていたものの亜種のようだけど、これならそれまでの数学表記との相性も悪くない」

 

「これは……関数なのか?」

 

俺は四辻さんの持つ紙に指を伸ばす。

 

「汎関数と言えば汎関数だけれど、演算子に近い。普通ならこの分野であればテンソルの形で操作を整理するんだけれども、それを数列に対する母関数のような形で整理している」

 

「……俺の語彙に合わせてくれてありがとう」

 

「気にしないで」

 

気にしないで、と言われて気にしないような性格なら楽に生きれたのだろうが俺はあいにくそこまでじゃない。

 

「なあBIFRONS、これを俺が本気で理解しようと思ったらどれぐらいかかる?」

 

『三ヶ月は最低限見積もるべきでしょう』

 

「……他のことをするのを考えるべきかもな」

 

俺は諦めることにした。人生は短くて、選択肢は多すぎるのだ。わざわざ苦手なものに立ち向かうのはそれはそれで面白いものが見れるかもしれないが、別にそうする必要もないのだ。

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