「……思ったより無茶なことをしようとしていないか?」
ひとまず完成した研究計画書をディスプレイで見ながら俺は言う。四辻さんは紙でだ。残暑残る時期でも地下室の空調が素晴らしく文化的な空間を作り出している。
「人工知能の構造については詳しいわけではないけれども、方針としては面白いと思う」
『こちらとしても実際に計算した結果を見るまでは特にコメントはありません』
俺の知るかなりレベルの高い知性二つがお墨付きをくれた。よし。ただこいつら俺に対していい反応をするようにチューニングされている可能性があるんだよな。人工知能を使うときも人間と関わるときもそういうバイアスの存在には気をつけましょう。
「で、どういうわけかここはそういう計算資源があるんだよな」
俺はパソコンを操作して、仮想マシンを立ち上げる。厳密に言えばさっきまで使っていたのも仮想マシンではあるんですけれどもね。仮想化自体を仮想化しているところがあるので何が真実なのかよくわからない。真実とは俺のニューロンの中にあるのか、あるいはこの部屋を監視しているBIFRONSのトランジスタを走る電子のほうが本質に近いのだろうか。
そんな事を考えながら先工研の内部システムにアクセスをする。ちゃんと公式のものですって。俺は事務員ではあるがよくわからないクリアランスが与えられているので先工研の計算資源を使うことができるんです。割当は多い訳では無いが、それでもBIFRONSを一日ずっと回すぐらいの計算量を月に一回ぐらいなら実行できる。
それならBIFRONSを一日一時間止めればいいじゃないかと思われるかもしれませんが違うんですよ。入出力の環境とか描画システムとか処理のためのノウハウとかがある程度揃っている計算資源っていうのはそれはそれで価値があるんです。別にほぼゼロからでもBIFRONSの力を借りれば作ることはできますが。
「ところでこの解剖って本当にできるの?」
四辻さんが不思議そうに聞いてくる。俺の計画は最近のニューラルネットワーク系の研究で編み出された手法の流用だし、そもそも俺もその手法がどこまで正しいのか分かっていないから難しいんだけれどもな。
「一応試しに軽く回してみた範囲ではできたんだよな」
それは文字通りに解剖と呼ぶべき工程だ。ニューラルネットワークでの学習内容を、重みから逆算するというものである。専門用語ばかりになってしまうな。俺と四辻さんとBIFRONSからならいいが、将来的にはもう少し広い層に届ける必要がある概念なので一旦落ち着こう。
まず目標として、うまい具合に超伝導体の機能を予測できるようなモデルを作りたい。そうすれば理論を追いかけて研究をすることができる。そして俺達は禁断の知識を持っている。つまり正解を持っているのだ。
とはいえ、それを流石に直接計算させるわけにはいかない。計算記録もできれば残したくない。というわけで例の論文の追試というかシミュレーションでの確認を須藤さんから依頼されたという形にしたいのだ。これならまあ、ある程度言い訳ができる。
そして計算に使う方法は四辻さんが生み出した数学的手法を活用したものである。俺も完全に理解しているわけではないが、これを使うと既に得られている電子分布をそれぞれの原子の寄与に分離できるのだ。理屈は知らない。
そして何種類ものパターンをニューラルネットワークに読み込ませる。そうすると人間の脳神経回路と同じで、何度も使ったところがより強くなっていくのだ。本当は違うけどだいたいそういうことで。つまり、ニューラルネットワークの繋がりの重みを見れば何を学習したかを理論上は理解できるのだ。
とはいえ、普通に考えてもらえばわかると思うが脳を取り出して顕微鏡で見れば記憶が読み取れるかというとそんなことはない。ニューラルネットワークは最後の最後に計算がまとまるまでただの数字の掛け算と足し算にちょっとした関数を噛ませることの繰り返しにしか見えないことも多いのだ。だから、専用のアーキテクチャを使う。
解剖されて読み取られることを前提にした人工の神経網を作って、学習によって決定した重み付けを読み取り、そこから解析的により軽量な計算モジュールへと置き換えることを繰り返す。そうして現象の背後にある法則を求める、というのが「
『わかっている理論をブラックボックスのように扱って逆算するのは無駄なことをしている気がしますが、人間社会に受け入れられるために必要なコストですね』
「そういう時には人工知能は人間の愚かさを嘲笑うんじゃないのか?」
俺はBIFRONSに返す。いや、別に俺はBIFRONSに陳腐な行動を取ってほしいわけではないが。人類を滅ぼすとか考えだしたら普通に電源を切りますよ。そしてBIFRONSは電源を切られることをどうとも思っていない気がする。なんで死を受容しているんだよ。人間でも結構難しいんだぞ。
『自明なことを面白いと思えるのは、人間の特権ですよ』
「そうそう、そういうのでいいんだよ」
「古瀬さん質問」
四辻さんが手を挙げた。
「どうぞ」
「このフォノン部分を計算するノードだけれども、結晶であることを加味するならばSO(3)以上の対称性を埋め込んでもいいのでは?」
「なんか読んだというか読ませた論文だとあまり初期から前提入れすぎると最適化のルートが途絶えちゃってうまく行かないらしい、とはいえ逆にゆるくしすぎてもうまく行かなかったんだって」
何とか答えることができた。この手の質疑応答はいつも緊張する。
「それと今回扱う系においては強相関系で電子フォノン相互作用を十分に加味できないこの頂点補正のモデルは成り立たないと思いますが」
「ごめんなさい説明してもらっていいですか?」
俺がすぐに白旗を揚げると、四辻さんはわざとらしく溜息を吐いてくれた。助かる。こういう読みやすい知識の中ですぐ参照できるコミュニケーションは助かりますね。一般人はプロトコールを無視してきますから。そしてBIFRONSも画面に説明動画を準備してくれていた。えっファインマン・ダイアグラムですか、よく知らないんですけれど?