「……結構面白いが、再現性はあるのか?」
そう言う岩間教授の手にあるのは、俺が趣味で作った結晶構造計算のプレプリント。色々と試したところ超伝導体の再現はうまく行かなかったが磁性体についてはなんかいい感じになったのでまとめたものになる。今回は人工知能もフル活用しましたよ、投稿先がそれを許していますからね。
三河工業大学は長い夏休みを終えて、後期に入っている。学部生はそろそろ卒論をまとめなくちゃいけない時期だ。俺は論文がアクセプトされたのであとは口頭での発表と数時間の殴り合いぐらいのはずだ。たぶん。
「もう一個データセット作るのは無理な気がするんですよね。そもそもこの種の材料の研究自体が少なくて」
「混ぜて焼成するだけなら別にうちでやってもいいんだがな……測定自体はそう難しくないだろ」
「実験が必要なのはそうですね。なのでちゃんとしたジャーナルに乗せるならそれとペアであるべきだと思います」
材料としてはガーネット型フェライトである。強電子相関のせいで第一原理計算、つまりあまり実験値に頼らないで計算だけでどうにかしようとする分野では行き詰まって放置されていたのだ。そのあたりで少し試してみたのだが、公開されている研究データだけでは限界がある。
一応個々の計算で示唆された電子モデルと同じものが四辻さんが理論としてどうにかBIFRONSに説明しきったよくわからない対称性モデルの一部と対応しているということになったので、礎ぐらいにはなるんじゃないかと思う。
「ま、ざっと目を通しただけだが面白いと思う。ただこれ人工知能がある程度わかるやつじゃないと辛くないか?」
「辛いですが、最近は人工知能が人工知能に詳しくなっていますからね」
人工知能を開発する人たちは自動化させる対象として自分たちがよく知っている分野を選びがちだった。つまりはプログラミングである。
かつて人工知能分野でトップを走っていた企業が爆発して業界丸ごとを巻き込んだ崩壊のせいであのあたりは一旦大変なことになったらしいが、今ではその生き残りであったり爆発した残骸とかが先端を率いているが、かつてよりはコミュニティの貢献も大きくなってきている。
計算資源を突っ込んでも頭打ちになる可能性が出てくると次はアーキテクチャの問題になってコミュニティの影響力が上がり、アーキテクチャがまとまってくると計算資源に金を突っ込める大手が伸びて、みたいなのが周期的に起こっている。その開発ペースに追いつくために、もはや生身の人間は遅すぎる。
少し前に読んだとある企業の中の人のリークによれば上司は人工知能、部下が人工知能、自分は中間管理職として調整とかリソース配分とかで忙しいとかいうのがあった。人間は楽しい仕事を奪われて自動化も機械化も難しい部分を押し付けられる社会的に弱い存在なのである。
「……そっち系の専門家にアドバイスを貰うのは?」
「やりましたよ、とはいえその人は材料さっぱりわかっていない人なんですけれどもね」
国立情報通信総合研究所の水城さんにメールで送った論文は一時間でかなり詳しい説明がついて帰ってきた。QWERTYキーボード特有のタイプミスがあったから手作業で作ったのだろう。人工知能に通すのがマナーとかなんとか言う人も増えてきているが、そもそも未公開論文をどこかのサーバーに乗せるとか正気かよと思う。
俺自体は別に自分の名誉とかをそこまで気にしているわけではないし、この論文を誰かが盗んで発表してくれるのであればそれはそれでと思っている。ただ、不幸なことに俺の周囲にはその種のことができる人はいない。ああ、素晴らしい環境で学べて幸せだなぁ。
「ならいいか、研究室のボスとしては好きにやれというところだ」
「謝辞に名前入れます?」
「いらんいらん、そこまで落ちぶれちゃいない」
一昔前はこういうときに研究室の代表とかを入れておくのがお約束だったらしいが、俺が大学に入る少し前にそのあたりがかなり疑問視されてかなり厳しくなったそうだ。さすがに学部生レベルの場合は共著になる場合もあるが、それでも末尾で具体的な役割をしっかり記入する必要がある。
このあたりのせいで面倒なことが少し起こっていて、研究者の系譜をたどりにくくなるのだ。あと院生だと繋がりがないから単著で出すことになって評価されにくいとかね。あくまで日本国内の問題なので国際的には色々と話が変わってきます。
「……好きにやらせてもらって、ありがとうございました」
「この研究室としてはあまり君のために何かができているわけではないとは思うが、そう言ってもらえると少しは気が楽だ」
「材料系の話を修士一年生で詰め込めたのは助かりましたよ、ゼミ形式は勉強になりました」
俺の材料分野の基礎知識は岩間研の四年ゼミと呼ばれるもので培われたと言っていい。週に二回、二時間ぐらいかけてかわるがわる教科書の内容を説明して質問攻めにするのだ。
「スライドを人工知能に作らせて、それでもなお説明をちゃんと口頭でしようって姿勢は珍しいものだよ。そこは君の美徳だから、大いに誇るといい」
「ズルしているのを認めるのはそんないいこととは思えないんですけどね……」
確かに一つ下の後輩たちはお世辞にも真面目とは言えなかったからな。おかげで俺が一番質問攻めにされた。想定される質問の傾向を分析してBIFRONSに模範解答を叩き込んでもらったりもしたが、あれはどうしても報酬ハッキングの側面が強い。
グッドハートの法則、だったかな。なにかの指標を目的としてしまうと、大抵それは指標としてはうまく行かなくなる。ただ、実践的な質疑応答に備えて知識体系を構築しようとするのはまだ比較的穏当というか目的に沿ったものだとは思う。
「効率よくやっている、と開き直るのは?」
「自分だけ知っている裏技で勝ったところであまり俺は面白くないんですよ。裏技を見つけるのは楽しいので、たぶん勝敗に興味がないんだと思いますが」
完全に趣味の問題だろう。岩間教授はかつては研究成果を積み上げる人だったが、教授に就任してからは論文を出すペースがかなり落ちているしその質も薄くなっている。とはいえ総説論文の共著とかで幅広く情報を集めてきていたり学会の運営ですごい先生呼んだりしているみたいな話は聞くから、一概にアカデミアらしい指標だけでアカデミアの人間を見るのはよくないな。