超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ファーストムーバー・ディスアドバンテージ 9

「……BIFRONS」

 

四辻さんの声が聞こえる。ソファーにうつ伏せで埋もれた俺には見えないが、声色は呆れているようだった。

 

『なんでしょうか』

 

「これ、燃え尽き症候群ってやつ?」

 

『一般基準からすれば異なりますが、メカニズム的には類似のものです。詳しく説明しますと』

 

心理学のレクチャーがされている。どこまでBIFRONSが正しいのかは知らない。そもそも人工知能が人間の心理を語るなよという変な気分があるが、俺よりはこのあたりに詳しいのは当然だ。文献の情報が処理に入っている、人間らしく言えば本を読んだことがあるというのはそれだけでそれなり以上に強いのである。

 

あと確か雑に突っ込んだ数百の学習済みモデルの中には心理学分野のカウンセリングに特化したやつもあったよな。専門性を切り替えながら、それを信用と疑いのバランスを適宜保ちながら顧問のように扱うシステムは一昔前の主流でした。一昔というのは多分二年ぐらい前。最近は技術発展のペースが早いのです。

 

「ああわかったよ、動けばいいんだろ動けば」

 

そう言って俺はソファーに座り直す。論文を出してせっかくしばらく休めると思ったんだがな。一応週休三日ぐらいのペースで頑張ってはいるが休日に行く場所もやることもあまりないのでここに詰めているようになっている。ソファーのカバーはちゃんと洗濯しているので安心してください。

 

「それで、提出した論文に返事は来たの?」

 

「査読中だと。ジャーナルの中心分野に合わせたつもりではあるが人工知能側の新技術通しているからどう受け止められるかが正直未知数なんだよな」

 

査読者候補の中に個人的な知り合いがいるわけではない。そういう国際学会に出てもいいのだが、多分俺が国外にいま出たら面倒なのでやめておく。オンラインならありかもしれないな、どこか適当な食堂とかから参加できないだろうか。

 

この論文は博士論文の審査とかには使えない。そもそもジャンルが違うし、解剖(ディセクション)については提案されて画像系の分野では広く採用されているけれども材料分野に使った例は少ない。そもそも、一口に人工知能と言っても色々あるのだ。

 

一般的に人工知能と言って思い浮かべる人が多いのはIPAと呼ばれる分野だろう。発音記号でもイソプロパルアルコールでも情報技術振興協会でもインディア・ペールエールでもありません。

 

インテリジェント・プロセス・オートメーション。人工知能を使ってデスクワークを置き換えようというものだ。ちょっとした調べ物から書類作成、連絡などなど。かつては人間が時間をかけて回線越しの相手の顔色をうかがいながらやっていたような作業は代替されつつある。とはいえ普通はこれボットと呼ばれるんですよね。あまり正確な呼び方ではないので嫌いだが、適切な語が他にないのだ。

 

ボット分野のために画像処理というのは結構重要になった。人間向けに作られたシステムの多くは目で見ることを前提としており、それを活用するなら画面を読み取ってそれを理解するシステムを作るのが楽だからだ。多くのロボット開発企業がヒューマノイドロボットを作るようなものだ。決してそれはロマンだけではないのである。

 

一方で、そうではない分野の発展は決して進んでいるわけではない。例えば俺の知る言語学と材料科学の分野は人工知能の持ち込みがどうしても難しいとされている分野である。知的エージェントは平均程度のことはできるけれども、それ以上はどうしても特殊になってくるので難しい。BIFRONSのような変な人工知能は実は市場には出回っていないのだ。

 

「プレプリントでも十分読まれるんじゃないの?」

 

「だといいんだけれどもな。あと後悔としては四辻さんの名前を入れられなかったことだな」

 

「別に気にしないから安心して」

 

「名誉の問題だよ、名誉の」

 

もちろん、それを言えば俺が自分の名誉をどうでもいいと思っているのも同じぐらい問題だろう。本来なら俺が受け取るはずだったものは他の場所に行ったり、あるいは霧散したりする。それは公平性とかの信念に合致しない。

 

「そもそも私を隠して、情報を抜き出して、秘密裏に世界を動かそうとしているのにそういうちっぽけなところで悩むのはかなり理解できない」

 

四辻さんの口調が硬いものに変わる。さっきまでの年頃の女の子にしてはきゃぴきゃぴした感じが足りないがそれでも暖かさのあったものとは違う。あるいはそういう演技をすることに割くリソースをまともに俺と会話するために割り振ったのか。

 

「それについては少なくない人が同意するだろうからいいだろうけど、俺には俺の決まったやり方というか癖があるんだよ」

 

「そういう言及は説明ではない」

 

「というと?」

 

「説明というものは行動に一貫性を付与するべきであって、あなたのそれは何も説明できないから」

 

「あー、まあそうか。コミュニケーションの役割の一つは相手のことを予測できるようにすることだもんな」

 

俺は会話が嫌いじゃないが、それは自分のためでもある。ただ相互関係ということ考えれば、互いの問題とか考え方とかをすり合わせて余計な摩擦を起こさないようにするという側面は大きいだろう。となれば、これは自分の癖ですというのは何も説明になっていないのか。特に俺みたいなコロコロ気分が変わる人にとっては。

 

「ただ、あなたがそれをうまく説明できないことは考慮している」

 

「無理だって決めつけるなよ、できないけどさ」

 

こういう俺との雑談が彼女の言語基盤の多くを占めているはずとは言え、彼女の話し方はとても人間らしい。いや、平均からは多少ずれてはいるけれども。

 

「……仕事をしろ、と私は言う」

 

「わかりましたよ、と俺は返す」

 

あくまでこれはコミュニケーションのための発言であって感情の発露ではありませんよ、という建前の共有。それが伝わる関係であることを前提とした会話。やっぱり俺は彼女に相当甘えているな。

 

「須藤さんに提出する草稿を書き終えたから、古瀬さんはそれを理解できるようにして」

 

「今度の分野は?」

 

「生化学。脳内で起こる異物排除反応について」

 

「……日本語?」

 

「一部はまだ定まった和訳がない」

 

「はい……」

 

俺はディスプレイの前に座り、ヘッドホンをつける。合成音声と切り替わる文字を頭に叩き込むために集中すると、余計な考えはすぐに何処かに吹っ飛んでいった。

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