超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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アカデミック・ジーニアロジー 6

人工知能が数秒ごとに情報を投げ合っているのを見ている。テキストベースのやつなので目でかろうじて追うことができるが、もし彼らが本気を出せばもっと早くできるだろう。ただ、それだと追跡性が消えるからこういう人類規格の方法でやっている。帯域の無駄だと言われればその通りである。

 

「……コメントに一文追加、か」

 

妥当な落とし所だと思う。使える場所と使えない場所をちゃんと切り分けてほしいというだけであって、俺の作った計算モデルに不当な評価をしてほしいわけではないのだ。この不当というのは、上方向にも下方向にも。

 

「食事中にそういう事をするのは良くない」

 

「リアルタイムで見たかったんだよ」

 

俺はそう言って連絡が終わったノートパソコンを閉じる。外がすっかり暗くなっている先工研の食堂では俺が数口食べた麻婆豆腐丼が少し冷めている。

 

「……山椒がおいしいと思うようになった」

 

「好き嫌い、ね」

 

四辻さんの味覚と嗅覚は発達しつつある、と本人が言っている。どうやらブレイン・マシン・インターフェイスはそういった新しい感覚についても多少なら対応できるようだが限界が生まれるらしい。見たものを頭の中で想像して思い浮かべるように、匂いを思い浮かべるというのはかなり難しいようだ。人間でも大抵の人はそうなんじゃないだろうか。

 

「匂いは嗅神経細胞から嗅球や嗅皮質に入って、そこから脳全体に繋がる。事前処理の部分に介入はできないけれども、事後であれば記憶や言葉と結びつけることができる」

 

「何と結びつけているんだ?」

 

ソムリエだと言葉とかだよな。あとは場面とか。俺は昔友達の家に行った時の柔軟剤と線香の混ざった独特な匂いがあったことを覚えているが、それがどのようなものだったかを思い出すことはできない。匂いは色とかと違って言語化したり再現するのが難しいというのもある。

 

「色々。言葉、場面、古瀬さんの表情」

 

「俺の顔?」

 

学習データに混ぜるとなると俺の味の好みが四辻さんに写りそうで嫌だ。ひとまず出たものはできるだけ食べるつもりでいるが、そう考えると情報源としてはいいのかもしれない。どこまで味の感想が顔に出ているかはわからないが。

 

「そう。あとは嫌いなものができたわけではないけれども、選ぶならこちらというのが乱択以上に出てきている」

 

「それが本当に好きだからか、あるいは馴染んだ味だからか、他の理由かはわからないけど面白いな」

 

何かを好きになるというのは、結構偶然の要素が大きい。俺は好きな食べ物があるわけではないが、揚げ物をかじった時の衣の食感とかは好きだ。ベースになっているのは甲殻類とか木の実とかを噛み砕く時の感覚を受け取ることができるように発生したものなのだろうが、それが具体的に発展したのは揚げ物をある程度の頻度で食べることのある文化と時代に生まれたからだろう。

 

「色々な味を知りたいという欲求が一旦落ち着いたのもある。趣味はある程度満足したら変えてもいいと思っている」

 

「自分を鍛える系の趣味は珍しくはないが、味覚と嗅覚の調整はかなりストイックでマイナーな趣味な気がするな……」

 

もちろんお酒やコーヒーを楽しんだりする人は趣味の範疇でそういう事をやるのかもしれない。あるいは組香だったっけ。現代において趣味として香道をやっている人がどれだけいるかは知らないが、ベル数関連で覚えている。

 

「私からすればそこが少し奇妙なところでもある。感覚を鍛えれば、その後に受ける入力の処理がもっと良くなるのに」

 

「身体を鍛えるためにジムに行くのも、考えを深めるために本を読むのもあるが、確かに感覚方面はそこまでじゃないよな」

 

美術とか音楽とかの方面で鑑賞のために目を鍛えるとか耳を鍛えるみたいな言い方はあるが、それに体系的なトレーニングがあるわけではない。もちろんデッサンとか音感とかそういうトレーニングはあるけれども、それは楽しむためのものというより作る側の基礎知識に近いものがある気がする。そういう下地があったうえで楽しむというのはきっと面白いのだろうが、かけたコストに見合うものが返ってくるのかはわからない。鍛えること自体を趣味にしてしまえばいいのだろうか。

 

「古瀬さんもなにか鍛えてみれば?」

 

「肉体のあたりは本当にやっておかないといけない気がするんだが、おすすめはあるか?」

 

「代謝の制御」

 

「じつは大半の人間が意識して代謝を制御できないんですよねぇ」

 

俺はそう言いながら山椒を多めに振った麻婆豆腐丼をレンゲですくって口に運ぶ。おいしい。たが、それだけ。食べる幸せみたいなものは今の俺にはそこまで強いわけではない。快楽とか興奮とかで言うなら文字情報のほうが脳を揺さぶる感じがある。本当に美味しいものを食べたことがないからだと言われるからかもしれないが、そうなったら俺は本当に面白いものを読んだことがないからだと返すしかない。

 

「筋肉をつければそれだけ基礎代謝が上がる。横隔膜の動かし方を意識するようになれば酸素の取り込み効率が上がる」

 

「まあ確かに、制御ではあるな」

 

意識的な制御、の定義が幅広いのだろう。普通の器械を使う時の操作の中にメンテナンスを入れるかどうかみたいなものだ。

 

「人体の耐久は有限なのだから、個体として楽しい経験をしたければある程度の投資が必要」

 

「最初から余剰資金を持たないものは人生が楽しめないみたいな言い方だな」

 

「マタイ効果」

 

「何だそれ」

 

「持っているものは与えられ、持っていないものはもっているものまでも奪われる」

 

「聖書か?」

 

「四つの福音書全てに同様の内容がある」

 

「教養が深いことで」

 

俺はそっちの方にはあまり知識を伸ばしていない。やっぱり一通り目を通しておくべきなのだろうか。それともそういうのをまとめたものを読んだほうがいいのだろうか。人文学の分野では陳腐化が緩やかとはいえ、それでも数千年あれば解釈とかが大きく変わっているだろうしそもそも宗教は個人的受容を重要視する。社会システムの中の宗教が無意味というわけではないけれどもね。

 

「誰かが作ったものを楽しむ時には、それができるだけ楽しめるような状態に自分を持っていくのは敬意の一つだと思うけれども」

 

「毎食食べる前に断食しろみたいなものだろ、程度の問題と言える分野だ」

 

「それもそうかも」

 

そんな話をしている四辻さんの皿は空になっていた。俺も急いで残りを口の中にかき込んだ。

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