久々の大学である。今日と明日で学士と修士の口頭試問があるのだ。まあほぼ間違いなくここで発表できるような人は無事学位を取ることができるのだが。
スーツの上に羽織った灰色のダウンジャケット。相変わらず予算を切り詰められているのか暖房はあまり効いていない。いつもの地下室に国民の血税がそれなりに潤沢に注ぎ込まれていること思い起こさせてくれる。周囲には俺以外にちゃんと正装している人は多くはない。一応発表者と教授クラスはちゃんとしているけれどさ。
あまり顔を合わせることはなかった後輩たちの発表のレベルはかなり高い。やっぱり人工知能の補助をつけるとこういうもののレベルって上がるんですね。俺が学部時代の頃から一段性能が良くなったので実験計画とかを人工知能に任せて人間は手を動かすなんてことも多い。別にそれが悪いとは言わないよ。
「……ええと、それでは古瀬さん」
司会の人に言われて、俺は挙げていた手を下ろしてマイクを掴む。
「ありがとうございます。静止画像処理に時間差分を前提とした処理をするという発想はとても面白かったです」
宣戦布告、というつもりではない。ただちょっとつっつきつつ、先人としてあまり調子に乗るなよと言いたいわけだ。
「……はい」
スーツの青年が俺の方をまっすぐ見て返す。
「実装の前提としている画像分類において、他に適切な処理ライブラリはなかったのですか?」
研究方法の選択には、研究者は責任を持たなくてはいけない。それがたとえ人工知能に示された道であったとしても、そこを選んだのは最終的には自分だと言えるべきだ。あまりやりすぎると思想になる。思想は個人としては持つのはいいと思うが、それを他人にぶつけるときは相応の覚悟をするべきだ。そして、俺は覚悟をしている。部外者ゆえの気楽さがあるのは否定できないが。
「はい。今回使ったNextStepですが、Pythonベースであるためにライブラリ自体を読み取りやすく、今回追加した機能を組み立てる大きな参考になりました」
俺は頷く。そうそう、これならいい。ちなみに話を聞きながら調べていましたがライセンス上も問題ありません。とはいえ最近のオープンソースは大抵そのあたり緩いですけれどもね。
「それはよかったです。もし余裕があれば、そういったライブラリに自分が作ったものを反映させてみてもいいと思います……っと、俺からの質問はこれで」
そう言って他の人にマイクを回して俺は座る。内容としては別にそこまでレベルが高いわけではない。基本的にライブラリのチュートリアルから一歩出て、欲しい機能を追加しただけである。だけ。
それがしっかりできるというのは、学士に求められていることだ。持っている資格にふさわしいことができるというのは大事である。
他の人は、たぶん学部の三年生だろうな。やらせなのかあるいは実際の質問なのかはわからないが、こちらは画像処理のアルゴリズムの話を聞いていた。予備のスライドが説明のために呼び出されている。なるほど、こういう質問が出せるのもちゃんとしている証ですね。
そうして次の発表へ。俺がやっている分野とはぜんぜん違うし、それでも俺が本気を出せば一週間ぐらいでそれなりにまとめられそうなものばかりだ。別に俺がすごいというよりも、結論さえわかっていればそこから逆算するのは難しくないというだけ。
本当はここで語られない色々なことがあったのだろう。テーマ一つ決めるだけでも難しいし、それを実際に試行錯誤してみなければ成功の道筋が見えてこない。数をこなしたところで求められるハードルが上がってくるから楽になるかといえばそうではないが。
あ、今発表者が噛んだな。しかしそれを気にすることなく、失礼の一言も言わずプレゼンが進んでいく。そのふてぶてしさも経験無しでは手に入らないものだ。
経験。どこまで行っても経験なのだ。四辻さんみたいな変なやつは例外として、大抵の人間は自分でやったことがあることしかうまくできない。俺もそうだ。あっちこっちに手を出しているからどうにかなっているのであって、そうでなければ無理だったことも山ほどある。というより今でも無理なことのほうが膨大だ。
だから、俺達はその経験を提供する。ここではないところの人類が、あるいは知性体が、様々な試行錯誤と手間をかけて導き出した物理法則の応用。答えを知ってしまえばなんだその程度かと思うようなことを、さも当然かのように出す。
「あ、古瀬さん。先程は質問ありがとうございます」
発表を聞きながら同応用できるかななどと考えていたらさっきの学生から声をかけられた。
「難しい質問をしたのは悪かったな」
「いえ、そういう発表ですから」
年上に対する敬意があるのはいいことだが、俺に対して敬意を払うなよという気持ちがある。それはこっち側の傲慢だ。都合のいい関係を相手に押し付けるな。そう考えると四辻さんってすごいんだな、あの距離感を持てる人間はなかなかいないよ。
「就職だってな」
「ええ、大学院に行こうかとも迷ったんですが……内定貰えているのと、あとテーマを社会との繋がりの中で見いだせる、っていうのは大きくて」
「面接の時の口調が抜けてないぞ」
そう言うと、相手が笑ってくれた。うまく冗談を言えたようだ。あるいは気を使わせているか。
「先輩の方は確か先工研でしたよね」
「正式な研究職じゃないが、まあ調べたりするのは変わらないからな」
「……仕事って、大変だと思いますか?」
「大変なことを仕事にするのは、程々にしておくべきだとは思うな」
俺が日ごろやっているような作業は趣味の延長線上に近い。知的生産を効率化して、知らないことを学んで、今まで届かなかった視点から世界を見れるようになる。それは入出力のつじつまを合わせて完全な理解なしにそれっぽいことを吐き出しているだけかもしれない。それでも、今まで人類が到達できなかったような景色を俺は見ることができている。
「……無茶はしないようにしますね!」
「それがいい」
先輩らしいアドバイスになっているだろうか。そもそも俺はこの人からアドバイスを聞くに足る先輩とみなされているのだろうか。少しは安心してくれたなら、俺も答えた価値があったというものだが。