超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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メッセージ・ブローカー 2

俺と四辻さんはソファーに隣り合って座ってディスプレイの動画を見ている。一応ここでまあまあ働いているのでどこにゴミを捨てるであるとか、薬品をこぼした時の対応だとか、メールシステムの使い方だとか、あるいは共有フォルダの中に変なものを仕込む方法だとかは知っているが、一応新人研修ということなので仕方がない。

 

ただ、これは対面ではなくて動画を四月いっぱいまでに見終わるという形で出されたタスクになっている。そして俺達には特に急いでやるべきことがないので、この研修をとっとと終わらせるぞと意気込んでいるわけである。

 

「では、この場面において危険予知をしてみましょう」

 

柔らかい動画の合成音声が聞こえる。この種の声は今は色々あって人間と聞き分けることができないようなものがあるが、このボイスを俺が知っているというのと慣れているとわかるちょっとした癖みたいなものがある。

 

「安全メガネと手袋がない、できればヒュームフード内でやるべき、試験管から試験管に注ぐ時に液体が跳ねるような方法ではなくてもっと静かに注げるようにする」

 

四辻さんが一時停止した画面を見ながらすらすらと言っていく。

 

「ピペットを使え」

 

「……あの、古瀬さん」

 

「なんだよ」

 

「そういう問題ではないのでは?」

 

「そういう問題では?」

 

俺は四辻さんの目を見ようとして、人間の顔のあの微妙な気持ち悪さに耐えかねて目をそらす。記号として読み取るのならまだいいのだが、議論や交渉の一環として見ると時たま変な感じになってしまうのだ。最近はなかったのだが、ある程度四辻さんの顔を見慣れすぎてしまったせいで不気味の谷みたいなものが起こってしまったのかもしれない。

 

「……続きを見てみるか」

 

俺は言う。

 

「うん」

 

動画を再生。落ちて割れる試験管。跳ねたり手についた薬液。というわけでちゃんと手袋と安全メガネをして、ガラス棒を使って移そうという話だった。

 

「ガラス棒はガラス棒でそれなりに危ないだろ」

 

俺は呟く。もちろん作業にも色々あるだろうから一概に言えるものではないけれども。

 

「作業手法を変えるのは問題の趣旨に反していると私は考える」

 

「問題に正解できなかったら問題が理不尽だという主張か?」

 

「少なくともヒュームフード以外は正解しているのでその意見は不正確」

 

「あー、怒っているのはガラス棒を持ち出したことか」

 

「そう言っている」

 

「理解力が足りなくてすみませんね」

 

そう言ってから、ちょっと俺は状況を考える。四辻さんが不満になる理由は想定外の道具を出したことなのは理解できたが、別にそれは普通に問題というか実際の状況では間違っているわけではない。事前に設定したフレームの外から外れていようが有用なものはあるのだし、それを提示されて不満になるのは良くない気がする。

 

もちろん俺も不満になること自体は理解するし、それを俺になら見せてもいいと思えるほどに信頼してもらっているという解釈もできるけれども。ただ、そういう解釈をすると距離感がわからなくなりそうなのでやめておこう。あくまで俺達は同僚である。

 

「……具体的に話を聞いてもいいか?」

 

「この映像教材は具体的な知識というよりも、ある種の思考を教えることを目的としている。それは眼の前の問題を見つけるためのものであって、範囲を狭める分その範囲においては効果的になる」

 

「ああなるほど、聞いていない内容を問うなってほうか」

 

「もちろん、実務上はガラス棒や古瀬さんの回答が効果的であることは理解している」

 

「ならよかった、気にしないでくれ」

 

俺はそう言って動画の続きを見る。結構色々あるんだよな。組織内部の構造だとか、内部書類の引用フォーマットだとか、コンビニの営業時間とか。

 

「……ところで、この基礎的な動画も見る必要があるの?」

 

「事務職だろうがこのくらいの知識は持っておけというのはわかるがね、こちとら工学の博士号持ちだぞ」

 

有効数字の話とか今更聞かされてもな、と思う。実際のところは大抵の科学計算は倍精度浮動小数点数でどうにかなるのだ。そして元のデータの標準偏差がどう波及するかについては単純な数学モデルがあるならデルタ法とか使えばいいし、そうでないならモンテカルロ法でどうにかなる。

 

「……基礎的な内容を反復することは、それだけ応答速度を上げることに有効だという形で理解することにする」

 

「結構苦しい自己欺瞞じゃないか?」

 

「人間らしく意味駆動の行動を取るとなるとどうしてもそうなる」

 

「なるほどね」

 

というわけでスライドをのんびりと見る。別にちゃんと見る必要はないので楽な姿勢を取ってはいるが、聞き飛ばすほど怠惰ではない。やっぱり給料をもらっているとなると、そのあたりにも義務感が湧いていきますね。

 

「……俺達にも、同僚ができることになるのか」

 

「それは仕事上、先工研内で関わりを持つ人が増えるということ?」

 

「そうだ。四辻さんの顔と名前が一致する人が増えるのはあまり望ましいことではないんだが……」

 

日本人の平均値から、四辻さんの顔は少しずれている。とはいえ、完全にありえないというほどではないのが微妙なところだ。このあたりは彼女がかつて暮らしていた構造体のあたりで遺伝子をうまくいじくっていたのだろう。そのテクノロジーを知りたいと思わないわけではないが、応用活用がメインになりそうだしそもそもそういった知識をうまく利用できるほど人類の生命倫理についての見解は統一されているわけではない。

 

「人間を隠し通すのは難しいし、ある程度知識が揃った以上早く馴染んだほうがいいと須藤さんが判断するのは私には妥当に思える」

 

「リスク分析っていうのは主体によって解が変化するんだよ、俺の死は俺にとってはかなりの損失だが、須藤さんにとっては国家に対して許容できる問題に過ぎない」

 

別に殺されるつもりはないのだが、須藤さんはこの種の計画において最悪の場合をちゃんと考えてくれる人だろう。そして四辻さんから知識をある程度引き出し終わったなら、有能なエージェントとして使うのが効率がいい。それは理解できる。四辻さんも納得はするだろう。嫌な気分になっているのは俺だけだ。理性と感情に辻褄を合わせるための説得材料が思い浮かんでいない。

 

ただ感情を大切にすることは、別に理性を否定するわけではないからな。嫌なことを飲み込むのは、嫌なことの多い世界で生きていくためには不可欠なことだ。

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