冬だというのに、今日は少しだけ暖かかった。
吐く息は白くならず、陽射しもやわらかい。ルビーはマフラーを軽く整え、ココのリードを握りながら歩いていた。
己を見極め、目標を定めよ――アクアにそう言われて始めた散歩だったが、今では理由がどうあれ、この時間そのものが楽しかった。
「こんにちは」
すれ違う人にそう声をかけると、相手も笑って返してくれる。
同じように犬を連れている人とは、自然と会話になる。
「元気な
「はい。少しやんちゃですけどね」
そんなやり取りの合間にも、ルビーはココに声をかける。
「ちゃんとついてきてるね。えらいよ」
ココは嬉しそうに尻尾を振り、歩調を合わせる。
道の途中、小さな川が見える場所がある。水面は冬の光を反射して、きらきらと瞬いていた。
「きれいだね、ココ」
立ち止まって覗き込むと、ココも興味深そうに鼻を近づける。
「落ちたら冷たいよ。気をつけて」
言い聞かせるように言うと、ココは一歩下がって、何事もなかったかのように座る。
「……わかってるの?」
問いかけると、「わん」と一声。
ルビーは思わず笑った。
歩くペースは、早すぎず、遅すぎず。
息が上がるほどではないけれど、確かに身体は温まっている。
(前より、楽かも)
少し前なら、ここまで来るだけで疲れていた。
それを思うと、胸の奥に小さな達成感が灯る。
やがて、目標にしていたベンチが見えてきた。
「……今日は、ここまでにしようか」
ルビーはそう言って腰を下ろし、水筒を取り出す。
蓋を開けると、ふわりと甘い香りが立ちのぼった。
「母さんのココア……」
一口飲むと、身体の奥までじんわりと温まる。
疲れはあるけれど、嫌なものではなかった。
ココにもちゃんと水をあげる。
「はい、ココも」
ココは夢中になって水を飲み、飲み終わると満足そうに顔を上げた。
「ちゃんと休憩も修行のうち、だよね」
そう言って、ベンチの背もたれに寄りかかる。
空を見上げると、雲はゆっくりと流れている。
静かな時間。
(こういう時間……守りたいな)
ふと、そんな思いが浮かぶ。
アクアは、もっと遠くを見ている。
自分にはまだ見えない場所を。
でも、だからこそ。
(わたしも、強くなりたい)
拳だけじゃなく、歩き続けられる身体と、折れない心。
「……よし」
ルビーは立ち上がり、ココを見る。
「休憩終わり。帰ろ」
来た道を、今度は家へ向かって歩き出す。
足は重くない。
呼吸も、ちゃんと整っている。
玄関を開けると、アイの声が迎えた。
「おかえり」
キッチンから顔を出し、やさしく続ける。
「どう? 疲れてない?」
「大丈夫だよ」
ルビーは靴を脱ぎながら答える。
ココも元気よく尻尾を振り、アイの足元に駆け寄った。
「元気そうだね」
アイはしゃがんでココを撫で、ルビーを見る。
「がんばったね」
その言葉が、胸にやさしく染みた。
しばらくして、玄関の扉が開く音がする。
アクアが帰ってきた。
「おかえり」
アイが声をかけ、少し間を置いて言う。
「……ありがとう」
「うむ」
それだけ答え、アクアはローテーブルのいつもの場所に座る。
何事もなかったかのように。
ルビーは、思う。
いつもの散歩。
温かい視線を、遠くに感じたこと。
振り返らなかったし、探しもしなかった。
気づかないふりをする。
(ありがとう、アクア)
心の中で、そっと呟く。
守られていることを、当たり前にしないために。
冬のやわらかな一日は、
静かに、穏やかに暮れていった。