玄関の扉が静かに開き、外の冷たい空気がふわりと流れ込む。
ルビーは深く息を吸い、胸の奥に残っていた重さがすっとほどけていくのを感じていた。
「……外の空気、やっぱりいいね」
落ち着いた声でそう言い、ルビーはマフラーに指先をかける。アクアが無言で巻いてくれたそれは、少し不器用で、けれど驚くほどあたたかかった。
「無理はするな。治りかけが一番厄介だ」
「わかってる。ありがとう、アクア」
ルビーは小さく微笑む。
その足元で、ココが短く「わん」と鳴き、待ちきれない様子でリードを引いた。白い体がぴょんと跳ね、何度もルビーの顔を見上げる。
「ふふ、大丈夫だよ、ココ。今日はちゃんと歩ける」
そう言って頭を撫でると、ココは安心したように尻尾を大きく振り、ルビーの足元にぴたりと寄り添った。
夕方前の道は静かで、冬の空気が澄んでいる。遠くで車の音がするだけで、足音とココの軽い息づかいが、やけにくっきりと耳に届いた。
アクアは少し後ろを歩き、ルビーの様子を目で追っている。
声をかけるでもなく、手を差し伸べるでもない。ただ、距離を保ち、何かあればすぐに動ける位置を崩さない。
それが、アクアなりの守り方だった。
「……母さん、喜ぶね。こうしてわたしが歩けるの」
ルビーがぽつりと言う。
「……うむ」
短い返事。だが、その声には確かな温度があった。
ルビーはそれ以上何も言わない。
言葉にしなくても、兄が何を思っているか、わかる気がしたからだ。
ココが急に立ち止まり、落ち葉に鼻を突っ込む。
カサリ、と小さな音がして、ココは満足そうに顔を上げた。
「気になる匂いでもあった?」
ルビーがしゃがむと、ココはすぐにその腕に顔をうずめる。
生きているぬくもり。小さな鼓動。確かな存在。
アクアはその光景を見つめながら、胸の奥で静かに思う。
(守れている。今は、まだ)
世界がどう変わろうと、何が起ころうと。
この背中、この足取り、この日常だけは――。
「帰ったら、母者のココアだ」
ぽつりとアクアが言う。
「ふふ、それを楽しみに歩こっ」
ルビーは立ち上がり、ココと並んで前を向く。
白い犬は嬉しそうに一歩踏み出し、そのすぐ隣をルビーが歩く。
少し後ろで、アクアが静かに歩調を合わせる。
寒空の下、言葉は多くない。
けれど、その間に流れる空気は、驚くほどやさしく、穏やかだった。
――確かな幸せは、こんなふうに、何気ない時間の中にある。
それを、二人と一匹は、同じ速度で噛みしめながら歩いていた。