『オレは横島忠夫っていうんだ』
——彼はそう名乗った。
最初の遭遇は怪奇現象。
空に穴を穿ち、隕石が如く墜落してくるというド外れた登場だ。
全身ボロボロであったにもかかわらずしっかり生きており、下着を覗き見てしまっただけで氣に満ち溢れるという無茶苦茶な回復を見せられた。
何もかもが破天荒で、彼と言う存在も別の宇宙の人間で、“こちら”に来た時の事故によって記憶の一部と体験年齢を失ってその見た目年齢は十代後半であるが、実年齢は二十代後半になってしまったとの事。
その上“霊力”という、学園長曰く『氣と魔力の中間のような性質』の力の使い手であり、若いながらも達人クラス。相当の修羅場をくぐって来た人間だと感心したものだ。
かと思えば、霊力が下がると煩悩を制御しきれず刀子先生やしずな先生等にダイビングをぶちかましてしまうありさま。
元々の体質(?)もあって不死身っぽく、殴り飛ばされ沈められてもすぐ復活。それでも奇怪なモラルは守るらしく、女子中学生以下の少女や気の弱そうな女性には向かおうとしない事は理解できたものの、その危なっかしい性根には女性陣一同頭を痛めたものである。
一応、学園に雇われる形となったのであるが、実力を知りたいという学園長の申し出を全力拒否。
自分と……女の子とは戦えないと言い張り、がんとして受け入れない。
その時は侮辱されたと思ったのだが、後になって彼は底抜けに優しく、女子供に対して手を上げられない性格だったからと知った。もちろん、それ以外の理由もありそうだが。
ゲート前で初仕事をした時、
何故か彼と共にやって来た古も交えて群がる式達と戦い、逃げ回るふりをして主犯の位置を探り出し、そして——
『ああ…いいって。そう気にすんなって。
ほれほれ、母ちゃんが向こうで待ってるぞ』
襲撃者が持つ札に閉じ込められていた子供の霊を解放し、天に導いていった。
あの時の眼。
天に上ってゆく子供らの霊に送っていたあの眼差しは心に深く根差したまま今に至っている。
——ああ、この御人は本当に優しい人なんでござるなぁ……
という、しみじみとした想いも。
そんな彼が、
そんな彼が子供を“始末”しようとしている——
確かにその子供は“敵”に与する者で、式と共に襲いかかって来た。
面白そうな相手だから戦いたい。
そんな単純過ぎる理由から、結界に閉じ込められたネギ達を襲いはした。
好敵手と(勝手に)認めた相手ともう一度戦いたいという理由から、木乃香救出に向かうネギを襲いはした。
いくら子供のした事とはいえ、許されざる行為をとったと言える。
だが、それでも殺すのはやり過ぎであろう。
無論、プロという見地からすれば間違っていないかもしれない。
障害を除去するのに一番手っ取り早い手段であるし、後にどんな禍根を残すか解ったもんじゃない。
それは自分でも解っている。
解ってはいるのだけど……
彼には——
少なくとも横島忠夫という青年には、そんな事をして……そんな考えを持ってほしくなかった。
手に握っているのは手製のハリセン。
彼に使ってもらう為、自分が作り上げたもの。
言うまでもなく、殺傷能力はない。
そのハリセンに彼に習っている霊気を込め、大きく振りかぶって背後に迫る。
すぱ——んっ!!!
——当たった——
初めて狙ってとれた見事な一本。
だけどこんな事嬉しくない。
背後から迫る一撃にすら反応できない。
眼前の敵を排除する事にだけ集中するような彼に当てられても嬉しくもなんともない。
いや……どちらかと言うと、
「何をしてるでござる?」
目頭が痛む。
きん…と痛んでくる。
そう、自分は……
長瀬 楓は、こんな横島と相対する事が悲しくてたまらなかったのだ。
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■十一時間目:月ノ輝クヨルニ (後)
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「む……っ!? あれは……」
ぶっとい鉄棍で突いてくる二鬼の攻撃を軽く往なし、双方の腹部を一刀でもって同時に断つ。
その式が還る前に、その身を陰にして別の集団の間に割り込み、相手が気付くよりも前に薙ぎ払う。
そんな離れ技を見せつけていた詠春であったが、流石に遠方で立ち上がる魔力に動きを止めていた。
「ネギ先生は間に合わなかったのか……?」
戦い真っ最中ではあるが、やはり木乃香の身を案じているのだろう、刹那は顔色を変える。
式の集団に取り囲まれた時でもこれほどの焦りを見せてはいなかった彼女が……だ。
それほど木乃香の事を大切に思っての事であろう。
しかしこう数が多くてはすぐに向かう事も出来ない。
「く……ネギ……っ!!」
明日菜も唇を噛んでいた。
彼女は刹那ほどではないがあの銀髪の少年に思いっきりしてやられており、その強さも大体解っている。
解っているからこそ、たった一人でそんな奴らと戦っているであろう彼の身を案じているのだ。
『他所見か……? 余裕だな』
「え? あ、きゃあっ!!」
そしてそんな明日菜を、烏族の太刀が襲いかかる。
がきん……っという鈍い音を立て、ハリセンで防げたのは流石だが、体格の差は如何ともし難くそのまま吹っ飛ばされてしまう。
そんな明日菜の反射神経に内心舌を巻きつつその烏族の剣士は追撃を掛けるが、乾いた音が響くと同時にその額に穴が穿かれて還されてしまった。
「明日菜っ!! ぼけっとするな!!」
「ケホッケホッ……あ、龍宮さん!」
ハマノツルギを杖にして立ちあがる明日菜を、真名が珍しく強い口調で叱咤する。
彼女は器用にも右手で自分の相手を倒しながら、左手に握っている一丁で明日菜に襲いかかる烏族の額を撃ち抜いていたのだ。
その隙にと式が背後から襲いかかるが、真名は慌てる事も無く地に体を付けるほど身を伏せて攻撃をかわし、そのまま足を旋回させて足払いをかけつつ腹部を撃ち抜いて倒していた。
大ぶりに見えて、その身の置き方は実にコンパクト。乱戦にも慣れているようだ。
そして、もう一人は——
『ホレ。どないしたん?』
「う…く……」
狐面の式とほぼ互角に戦っていた古であったが、そこに一つ目の式剣士が混ざってくると途端に息が乱れてしまった。
——いや、普段の古であれば絶対にこんな状況に陥ったりしない。
確かに、この式達は何時も何時も乱闘を繰り返している学生らとは格が違う。
学生らの方は武術とは言ってもスポーツ寄りだが、こっちは完全に戦闘型なのだ。
そんな相手と戦っているのだから調子を崩してもおかしくはない……と、言えなくもない。
だが、彼女の調子が出切っていないのには別の理由があった。
『ひょっとして、さっきのおかっない兄ちゃんの所為かいな?』
『そうみたいやで? 何や心ここにあらずって感じなんよ』
『おぉおぉ、おぼこいこっちゃのぅ。姐さんも見習ったらどないや?』
『余計な御世話や』
そう式らに挑発されて歯を鳴らしてしまう。
くだらない会話に気を取られてしまう。
普段なら、絶対に集中できている筈の戦闘時に、別の事……それもこの場にいない男に意識を持って行かれるなど愚の骨頂だ。
だけど……
「く……」
手に握り締めている得物……彼と結ばれた絆の証である“宴の可盃”。
それを手にしているというのに、
確かな彼との繋がりを手にしているというのに、あんな光を見ただけで不安が募ってしまう。
そしてその不安は重い重い足枷となり、彼女本来の動きを封じ込めてしまっていた。
『でも、ちょっとオモロないなぁ〜……
あの兄さんに気ぃとられてウチと戦えるんやから、何や格下扱いされとるみたいやん』
『せやな。ワシらも舐められたもんや』
ふ〜……ヤレヤレと肩を竦ませる狐面。
と、その言葉に腕を組んでうんうんと頷く一つ目。
無論、二鬼とも口で言うほど気にしてはいない。
何だかんだで戦いを楽しんでいるので挑発して突っかかって来てくれるのを期待しているのだ。
そして古はそれに乗ってしまう。
「うるさいアル!!」
グリップが軋むほど強く握り込み、思いっきり息を吐く。
吸った呼吸を腹に落とし、氣を練り上げて全身に行き渡らせてゆく。
それに合わせて足もとの水に波紋が立ち、見事な円を描いて広がってゆく。
『へぇ……』
『ほほぅ……?』
その氣の高まり具合を目にし、ニ鬼は嬉しげに眼を細めた。
式という立場より何より、武の者である己らの意義が心を高めてゆく。
『もうちょっと楽しめるかもしれんのぅ……』
『せやな』
彼らは完全な本気で戦ってはいないのだが、それでもこの目の前の少女の力量が予想以上だったので楽しくてたまらない。
確かに殺すなとは言われてはいるが、もうちょっとこの娘の“奥”を見たいという欲求に抗い難くなって来た。
ちょいと
ほんで嬢ちゃん。死んでもたら…………堪忍な?
言葉にせずとも彼女にはそれが伝わった。
頭がその言葉を理解するより前に、二鬼が放つ氣につられ古は水面を蹴りその鉄扇トンファーを振るう。
三つの影は同時に交差し、重い音が辺りに響きわたる。
空に浮かぶ月は、そんな戦いをただワラって見守り続けるのみ——
****** ****** ******
最初に夕映が感じた事は、楓の表情の意外さだ。
普段の彼女はかなりクールで、どんな騒ぎが起こったとしても、騒動に関わりはするが完全にではなく、どこか一歩後ろに下って見ている……そんな印象をずっと持っていた。
世話焼きではあるが千鶴ほどではなく、皆との間に距離を置きはするが千雨ほど壁を作ったりはしない。
傍観はするがエヴァンジェリンほどではなく、あまり表情を変えたりしないがザジほど無表情では無い。
級友のデータからすればこんな感じたろう。
確かに同じバカレンジャーの一人ではあるが、楓がアウトドア系という事もあってそんなに言うほど接点は無く、運動能力に優れた武道四天王の一人で年齢詐称の疑いが湧くほど大人っぽくて忍者っぽい(?)人。
知っているのはそれくらいだった。
そんな彼女が今、“泣きそう”な表情で一人の青年を見つめている。
知り合って三年目ではあるが、楓が“悲しげ”に“泣きそう”な表情を見せるのは初めての事で、夕映も戸惑いを隠せない。
眼前で呆然と佇んでいる青年に対する恐怖を忘れかけてしまうほどに……
「もう一度問うでござる。
何をしてるでござるか?」
彼を刺激しないよう……という思惑等はないが、それでも距離を置いて彼を睨むように見据えている楓。
しかしその声には、肩を掴み引きずり倒すような力が籠っていた。
だが彼女のその表情には言葉ほどの力は無い。
そんな彼女に顔を向ける事もなく、横島はただ茫然と立ったままだ。
聞いているのかいないのか解らないほど横島の気配が混濁化している事に楓の悲しさは更に増す。
湧いてくる悲しみを噛み潰しつつ楓は言葉を再度紡いだ。
「……やるべき事を、
今最もやらねばならぬ事をネギ坊主に伝えてくださった事には……
それは……感謝するでござる。
なれどその事を指摘した、その事を理解している筈の貴殿がここで何をしてるでござるか?」
先ほどのネギ達とは違う理由で肩が震える。
花を舞い散らせている夜風はやや肌寒く感じるが、それよりも尚別の寒さが彼女を凍えさせていた。
恐怖は恐怖であるが、ネギ達が感じたそれではなく、好意を持つ人間がその人で無くなってしまう事、
その人がいなくなってしまう事への恐怖が、心を凍えさせて震わせているのだ。
だからこそ、一歩。
また一歩進み出て叱咤を続ける。
横島を、
横島の“心”に対して訴えかけるように。
「そこな少年……」
と、声だけを小太郎に向ける。目は横島から外さない。
隙を見せられない……という理由ではなく、目を外すと彼が消えてしまいそうで他所に目を向けられないのだ。
小太郎は霊糸が外れたお陰か、プレッシャーが緩んだ所為か体の自由を取り戻している。が、喉が解放されたので咳込みを続けていた。
「彼に対して憎しみがあるというのなら、恨みがあるという理由ならまだ解るでござる」
嘘だ——
例えそうだとしても、横島にはそんな事をしてほしくない。
「なれど、邪魔だという理由でころ……
自分の口からも殺す等というそんな言葉を出したくない。
普段ならやすやすと紡げる言葉であるが、今の彼の前でそんな言葉は使いたくなかった。
無論、ある側面から言えば彼の行動は正しい事でもある。
かかる火の粉は払わねばならないし、先に述べたように禍根は断つに越した事はない。
楓にはまだできないかもしれないが、真名ならそうするかもしれない。
プロなら当然の事だ。
だがそれでも、
「先ほど、かなり冷静に行為に及ぼうとしていたでござるな……?」
それでも横島には……
「そんな事をやろうとし、少しも心が痛まないでござるか?」
後でどれだけ正しかったと思い知ろうとも、
少なくとも、彼には……そんな事をやってほしくなかった。
『シ……ッッ!!』
『ぬんっ!!』
二対一。
古に不利な戦いが続く。
狐面のトンファーが左右から打ち合わせるように襲いかかり、それに対応すると一つ目の鉄棍による足払いが来る。
そしてその足払いに気を取られると……
ガツッ!!
「く……っ!!」
トンファーが襲いかかってくるのだ。
ギリギリで防げたものの、衝撃まで殺しきれなかったか古はたたらを踏んでいた。
『ひゃあ〜……それでも対応でけるんかいな。思うとった以上やな』
『せやなぁ』
口笛を吹いて受けられた事を喜ぶ二鬼。
何だか口調も子供の練習を見て喜ぶ父兄のよう。
だが、その内容は限りなく死闘であり、古もいっぱいいっぱいだ。
息が荒い。
整え切れない。
肩が重い。膝も重い。
実力を全く出し切れていない事が自分でもよく解っている。
だけど、その理由が今一つ理解し切れていなかった。
確かに木乃香も心配だ。
言うまでもなく、横島やネギ、夕映や楓も。
だが、ネギや夕映は兎も角として横島と楓の実力はよく知っているはずなのだ。
少なくとも、“こんな自分”よりずっと強い。
だというのに何を心配しているのか。
何で横島に気を取られてしまっているのか。
その事が全く解らない。
『ホレ、他ン事に気ぃとられとったらアカンやん?』
そしてそんな葛藤すら、戦いの間では巨大な敵となる。
何時の間にか同時に踏み込まれ、鉄棍棒とトンファーが完全に彼女の回避する場を塞いで左右から襲いかかってきていた。
「しま……っ!!」
内心の震えを押し隠し、楓はもう一歩前に進み出る。
何時もと違い、楓の気配は淀んでいる。
忍ぶ者であるがかなりまっすぐな性格をしている彼女は、自分から断っていない限りかなり読みやすい気配を持っていた。
だが、その乱れた心情からか何時もの空気を纏えないでいる。
それでも気遣いを完全に失ってはいないからであろう、自分の分け身を使用して夕映を木の影まで運んではいた。
「こ、これは………?」
夕映に術を見せているという事までには頭が回っていないようであるが。
「木乃香を救いに行った筈の人間が、ここで何をしている……
確かに横島殿はそう言ったでござるな?
なれど、その横島殿も何をしているでござるか?
木乃香を救いに行くのでござろう?
助けを待っている女の子がいるというのに、
それをほったらかして何をしてるでござる?」
シネマ村にて、刹那と木乃香の危機の際。地形や人目もすべて無視して真っ直ぐ駆けつけて救い出した話は古から聞いている。
何だか興奮していた古に語られたそれは、どこか支離滅裂で上手く要領を得られはしなかったのであるが、それでも横島が女の子を救う事だけに大活躍をした事だけは理解できていた。
普段の言動や、時たまかまされるおバカな行動によって隠されてはいるが、彼の性根はとても優しく、真っ直ぐだ。
その上懐が大きく、分け隔てのない性格をしており、場を和ませる能力は達人クラス。
こんなややこしい人間の本質をそう簡単に見抜く事は出来まいが、一度それに気付くとやたら心を許してしまい、離れ難くなってしまう。
そんな彼が——
そんな優しさを持った彼が、
木乃香を救う事より、小太郎を仕置きする方を優先させている……
「違うでござろう……?」
そう、違う。
そんなの、彼女の知る横島忠夫ではない。
自分が“それ”という人となりに気付き、気が置けなくなってしまっている彼ではない。
いや——下手をするとその気持ちはそれ以上かもしれない。そんな横島忠夫ではないのだ。
「そんな……
そんな行動をとるのは……おかしいでござろう?」
それほど心を許している彼だからこそ、
そんな心を持っている彼だからこそ、
こんな事を……
安易に殺生に意識を向ける行動に向いた事が悲しくてたまらなかったのだ。
我知らず声が震えている。
その所為で声がなかなか紡げない。
今までこんな事になった事がない為、楓も中々言葉を取り戻せない。
だが、“それ”は確実に伝わっている。
琴線を刺激し続けている。
現に彼はずっと耳を傾けているのだから。
「横島殿……」
零れ落ちるような重い声が、やっと名前を紡ぎだし——
「こんなの……
こんなのは……横島殿、らしくないでござるよ……」
——ヨコシマはヨコシマらしく——
『なんて顔してんのよ……アンタは、アンタらしく……ね?』
ビキ……ッ と音を立てて心が軋んだ。
存在しない過去の“記録”を凍らせていたものがガラスのように砕け散り、一瞬で解凍されてそのシーンを再生する。
そこにある映像は雇い主の最期。
彼の絆であった者達の“最後の一人”。
現世に彼を繋ぎ止めて置けた人との別れの記憶。
だがそれは体験していない過去であり、彼の記憶ではない彼の“記録”。
自分の中で最も許し難い記憶である彼女を失った時の記憶と、その“ありえない記録”とが何時の間にか同調し、未だ心に残っている“別の自分”を追行動してしまっていたのである。
——バーカ……気付くの遅ぇんだよ……——
どこかで誰かの声がした。
明らかに馬鹿にした口調ではあるが、安堵の声音が混ざっている。
そしてそれは自分ではない自分の声。
自分の中にその“体験”を残した張本人。
乱暴な言い方をすれば、横島は自分似の主人公に自分を重ねていたようなもの。
その記憶の憤りに彼の優しさによる怒りが引っ張られ、暴走してしまっていたのだ。
そして、その事に……
その事に横島はやっと気が付いたのである。
有り体な言葉を用いるならば、“正気に返った”であろう。
ガチャリと心のシリンダーが切り替わって元の位置にはまり込んだ上、今度はしっかりとセーフティーが掛かる。
確かに木乃香を攫った相手には怒りを覚えるが、“まだ”憎悪でもって向かう相手ではない。
贄にしようとしているのは許し難いが、“まだ”虐殺せねばならぬ相手でもない。
怒りと憎しみに身を任せ、冷え過ぎた感情のままに怨敵と目した相手を討ち倒してゆく。
しかしそんな事をするのは——
——ヨコシマらしくないわよ? 馬鹿ね。ホントに……——
どこかで……苦笑する“彼女”の声が聞こえた気がした。
「……横島…殿?」
彼女の言葉を受けた横島の空気が、変わった。
冬山より冷気を感じていた彼の眼の光も何時の間にやら穏やかさを取り戻しており、体から発せられていた氣も静まりを見せている。
「横島殿?」
その様子に安堵し、やっと高ぶっていた感情を落ち着かせる事ができた楓は、彼に向って一歩踏み出した。
と——
「あれ〜? もう終りなんどすかー?」
唐突に後ろから声をかけられ、楓は驚いて振り返った。
ぼんやりと間延びした声音。
場違いと言っても良いほどこの空間に合っていない空気。
そして、どこかビスチェに似たデザインの白いワンピースを着たお嬢様然とした出で立ち。
しかしその両の手には長刀と小刀という剣呑なブツが携えられているではないか。
「お前は……確か月詠!?」
そう、“向こう”に付いている神鳴流を使う刺客、月詠である。
「あはー 私の事知っててくださってるんですね〜?
お姉さんみたいな強そうな人に知っとってもらえて嬉しいです〜」
そう言って剣を持ったまま頬に手を当てて赤くなる月詠。
気が抜ける行為であるが、楓は何一つ油断していない。
最初の晩に戦っている彼女を見ていた事もあってその力量も理解しているし古から話も聞いている。
そして何より、こんな馬鹿な会話をしているにもかかわらず月詠には隙がないのだ。
「ホントやったら刹那センパイの方に行くとこなんでけど〜」
チラリと楓から視線を横島に向ける。
何故か楓は、そんな目で横島を見られたら彼が穢れてしまいそうでムっとした。
「何やそこのお兄さんが面白そうやったから追いかけてきたんですよ〜」
つまりは横島の殺気に“魅かれて”来た……と言う事だろう。
「……っ!!」
ギリリと歯を噛みしめ、楓は珍しく怒りを滾らせた。
この重要な時——
木乃香の事もあるし、横島が自分を取り戻しかかっている大切な時にこんな敵が現れたりなんかすればまた彼が暴走しかねないではないか。
それに“あの横島”を見て面白そうなどとほざく。
タイミングの悪さ故であろう、楓は静かにクナイを引き抜き、珍しく本気で打ち倒す気になっていた。
「わぁー♪」
だが、当然のように月詠は悦びに震えた。
そしてそんな彼女の様子にまた楓は憤りを募らせる。
彼があんな風になったのは千草らの愚行(愚考)であり、彼女らが本山を襲撃して関係者のみならず居合わせた自分の級友すら石化するという暴挙に及んだからだ。
女子供に底抜けに優しい筈の彼が刹那らの窮地に気付かず、小太郎のような子供すら手に掛けようとしたのも、それらに対する怒りの為だ。
だから楓は、珍しく本気で怒っていた。
八当たりと言ってしまえばそこまでであるし、実際にそうなのであるが、楓自身にも今のその感情の昂りを抑えられなくなっている。
無論、殺す気はない。
しかし、行動不能にはする。
身動きできないようにしてしまえば、然程彼の心の負担にもなるまい。
一瞬で攻の氣を練り上げ、一歩一歩月詠に近付いてゆく。
足下の草がその氣に押され、ざわざわと騒ぐ。
そんな彼女の様子に月詠は告白を待っていた少女のような笑みを見せて前に進み始めた。
歩みは走りに変わり、走りは疾駆となる。
双方とも氣の使い手であり、剣に氣を乗せる事には慣れている。
楓には“札”という奥の手があり、使用すれば勝つことは容易だろう。
だが彼女は使用する事を由としていなかった。
何と言うか……この女との戦いに使えば穢れるような気がしたからだ。
それに——
『この女の相手……クナイでたくさんでござる』
という勇みもあった。
そんな彼女の想いを知ってか知らずか、楓の殺気を受けた月詠は獲物にかぶりつく鮫のような目をし、両の剣で彼女を迎え撃とうとして……
「え?」
——体が全く動かなくなっている事に気が付いた。
「なっ?!」
驚いたのは楓もそうだ。
今まで後ろにいた筈の、
月詠の視線から庇うように後方に置いて来た筈の横島が月詠の背後にいたからだ。
「な、何やのー?!」
流石の月詠もこれには焦った。
何故なら身体に何かが巻きついて自由を奪っていたのだから。
氣を乗せた剣で切ろうとしても、それどころか氣でもってそれから逃れようとしてもビクともしないのだ。
そして楓もまた焦る。
先ほどの悲劇。
小太郎という少年に行われようとしていた惨劇をまた彼が行おうとしているのだから。
だが——
がぎんっ
重く鈍く硬い音が響いた。
しかしその場に何も起こっていない。
いや、起こるはずだった結果。すなわち、鉄棍とトンファーが少女の体にめり込み、行動力を完全に刈り取られるはずだった結果が発生しなかったのだ。
『なんとまぁ……』
『自動かいな……』
古が握りしめていた鉄扇子が自動展開し、打ち込まれようとしていた打撃を完全に受け止めていたのである。
仕切り直しと言わんばかりに二鬼は地を蹴って間合いを空けた。
少女からの追撃を用心しての事であったが、不思議とそれは行われず彼女は呆然と手もとの鉄扇子を見つめているではないか。
これには二鬼とも拍子抜けしていた。
「ふぇ……?」
だが驚いていたのは古も同じだった。
何と言うか……軽いのだ。
いや、元々“宴の可盃”はそんなに重い物ではない。確かに扇子にしては重過ぎるが、見た目よりかなり軽いものなのだ。
それを負担だと感じてしまうほどの重量を受けていた古であったが、今の自動展開直前に、ずっと感じていた負担が唐突に消え去ったのである。
「……老師?」
古は呆然とそんな言葉を呟き、彼らが向かったであろう山に顔を向けた。
「な、何やの? これぇ〜???」
月詠を縛り上げているは霊糸ではなかった。
何せ太さは2センチ近くもあり、どちらかと言えばロープだ。
霊縄とでも称すればよいだろうか?
楓どころか月詠本人すら気付けぬ一瞬の間にその身はぐるぐる巻きにされて蓑虫状態になっていたのである。
「よ、横島殿!?」
驚き戸惑う楓の声が聞こえているのかいないのかは定かではないが、件の人物はもがく月詠に対してニヤリと笑みを浮かべ、
「……秘儀……」
「へ?」
足払いをかけつつ、その霊縄を思いっきり引っぱった。
「悪 代 官、
お 女 中 コ マ 回 し ぃ い い〜〜っ!!」
「きゃあぁああああああああ〜〜〜っっ!!」
武に優れる者は、普通体の線……所謂“正中線”が通っている。
正中線とは身体の中心となる重心線でもあり、力と技の基となるものだ。
剣の闘いとはその正中線の奪い合いであり、その線が決まっていないと攻防時に間髪置かぬ当意即妙の対応ができない。
そして正中線は、使い手であればあるほどどんな姿勢をとっても崩れたりしないものである。
当然ながら月詠も相当以上の腕前であるから正中線はピシャリと決まっていた。
が、それであるが故に正中線を軸としてコマ回しをされると思いっきり回転してしまったりする。
昔の剣豪もそんな風に正中線を利用する者が出てくるとは思いもよらなかったであろう。思っていたとしたらびっくりだが。
「わははは……良いではないか 良いではないかぁ!」
「あ〜〜〜〜〜〜〜れ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
その場にいる全員の眼が点になっている事は言うまでもない。
重く沈んでいた場の空気をぶち壊し、素人目にも危険人物だと解る月詠がギャグ技で遊ばれているのだから。
夕映は元より、へたり込んでいた小太郎ですら呆然としていた程に。
だが、一人楓だけはその秘儀とやらの性質の悪さに気が付いていた。
横島は思いっきり引っ張ると同時に、その霊気の縄を引っ込めているのだ。その所為で更に回転力が増しているし、尚且つ月詠は左回りに高速回転させられている。
普通、人間は片方……特に右回り……に回転する耐性はつくが、反対側に対する回転への耐性は付き辛い。これは鍛え方云々ではなく、生物学的に体がそうなっているのだからどうしようもない。現にプロフュギィアスケーターだって反対側に回転させれば目を回してしまうのだし。
恐らくカンでやった事であろうが、横島は月詠を左側に思いっきり回転させて目を回させているのである。
驚くべき性質の悪さであるが……
そして
「よ、横島……どの?」
目を回して突っ伏している月詠に目もくれず、楓は横島へと声をかけた。
その攻撃が性質が悪い事である故に気がついた。
先程までの鉱物的な冷たい気配が消えうせ、コンニャクのような、スポンジのような柔軟さを見ている彼。
散々っぱら月詠の目を回させて弄んでいたというのに、何時ものどこか申し訳なさそうな表情になりつつ振り返ったその顔は……
「ごめんな楓ちゃん……遅くなった」
いつものあの柔らかい空気を持つ青年。
楓と古がよく知る眼差しの横島忠夫だった。
「ハイ〜……ヤッ!!!」
左足を軸にし、踏み出された右足と同時に右の腕が伸びる。
体をひねらない為、初速はずっと早く真っ直ぐだ。
『お、おぉおっ??!!』
何時の間にか旋回させている鉄扇トンファーの軸が一つ目の式の腹を襲う。
ギリギリで外に弾くが、それを待っていたかのように踏み出した足を軸にし、今の弾かれた力を巻き込んだ蹴りがわき腹を撃つ。
唐突に攻撃の拍子が変わった事に戸惑っている隙に、古の反撃が力を増していった。
『こっちもおんねんでっ!?』
間合いを空けられた狐面が援護の為だろうか、古の背後から礫のように飛びかかる。
だが古もそれを読んでいたのだろう、開いたままになっているもう片方の鉄扇トンファーを狐面に向かって投げ付けた。
『んなっ!?』
当然、狐面は空中で相対してしまう。
鉄扇トンファーは物理法則を無視するかのように歪に回転しつつ狐面に襲いかかってゆく。
無論、彼女とて腕の覚えのある式だ。
そんなものを叩き落とす事など造作もない。
だが、その直前にぞくりとした悪寒が走り、慌てて両のトンファーでそれを防御する事にした。
そしてそれは幸いする。
ずどんっ
『きゃあっ!?』
何と防ぎ切れなかった。
破砕鉄球で殴り飛ばされたような衝撃が走り、狐面は吹っ飛ばされてしまう。
“それ”はべースが横島のサイキックソーサーに酷似している。よって投擲も可能だ。
そして投げつけたソーサーは何かに当たれば爆発するのだ。
モノが違う所為か爆発こそしなかったが、たっぷりと古の氣を乗せていたそれは本家には及ばないものの強い衝撃を相手に与えていた。
彼女がもし、弾くよう行動していればただでは済まなかったであろう。
『せやけど得物はもう無いで!!』
と、一つ目は何とか体勢を整えて、背中を向けている古に襲いかかる。
斜め上からの振り下ろしの一撃。
大上段からの攻撃だ。硬気を巡らせて受けたとしても無事ではあるまい。
しかし、
「−来々−」
振り返りつつ慣れたワードを口にする古。
一瞬で手元に札が出現して今さっき投擲した筈の鉄扇トンファーとなっていた。
がぎんっ
『何やて!?』
それが戻って来た事だけでも驚きであるのに、自分の一撃が防がれた事にも驚いた。
大岩すら破砕する一撃が衝撃ごと完全に防がれたのだから当然であろう。
古や楓の持つ札は、パクティオーカード同様にワードを唱えるとアイテムを出現させる。
他の力は知らないが、パクティオーカードによく似た性質を持っているといってよいだろう。
だが、パクティオーカードとは徹底的に違うところがある。
一つはアイテムをその身から離せば1,2秒で札に戻ってしまうところだ。
つまり、手から落としてしまえばほとんど間をおかずに札に戻ってしまう為、古は兎も角、時間制限付きの楓は一度手を離すと再チャージに時間がかかってしまう。
そしてもう一つの特性に、呼べば札がやってくるという点があった。
どれだけ距離を置こうと、間にどんな障害があろうと、呼べば札はどこにあろうと駆けつけてくれるのである。
デメリットも多いが、メリットの方は大反則。何とも契約相手に似た札であろうか。
そして古の“宴の可盃”は横島の手そのものと言って良い能力がある。
自分と楓が横島と結んだ絆……
その確かな証拠を手にしている事を、古は今更ながら得心できていた。
「そうだたアルな……
私、何してたアルか……」
古のその身体から、完全に無駄な力が抜けていた。
かと言って気が抜けたわけではない。
意志は固く、その身はあくまでしなやかに——
それを行っていない事をやっと思いだせたのである。
「さ〜て……失礼な事してた分、思いきり行くアルヨ〜?」
完全に自然体で構えたその姿。
笑顔も自然。何時もの猫口。
これでこそ古菲だ。
一つ目と、何とか身を起こした狐面は一瞬呆気に取られたものの、直ぐに嬉しげに目を細めて自分らも身構えて見せた。
『願てもないわ』
『今度はがっかりさせんといてな?』
そう、正に失礼な振る舞い。
武人と相対しているというのに、別の事に気を取られていた。
だからこそ、自分を見せてやらねばならない。
本当の自分の戦いを披露してやらねばならない。
古は猫のような笑みを悪戯っぽい笑みを深め、地を這うように式の懐に飛び込んで行く。
彼女の闘いは、今やっと本戦を迎えたのだった。
「……お、遅いでござるよ横島殿……待ちくたびれてしまったでござる」
「ごめんって……ああっ、そんな責める眼で見んといてぇっ!!」
「知らないでござる。自業自得でござるよ」
「はうわぁっ」
青年の空気が唐突に変わった事は夕映も気が付いた。
ともすれば腰を抜かしてしまいそうだった気配が消え、何と言うか……脱力しそうであり、妙に安心できてしまうような雰囲気が周囲に広がっているからだ。
木の陰に隠れていた夕映がそろりそろりと出てくると、直ぐに青年は気付いて謝るような視線を向けてくる。
まるで怯えさせた事を謝罪するかのように。
その気遣いの視線。
不思議な話であるが、見た事も無い青年であるというのに、ごく最近その眼差しを見たことがあるような気がしていた。
そして、楓の雰囲気も意外である。
『……? 照れてる? いえ、拗ねてるですか?』
そのどちらともとれる子供っぽい表情を件の青年に向けているではないか。
それに何だか目尻が光っているような気さえする。
さっきまでの焦った表情も初めてであるが、こんな彼女の……言っては何だが“女の子っぽい”顔も初めてであった。
『彼は、楓さんにとってそれだけの人ですか……?』
夕映は首を傾げる事しかできなかった。
「う゛う゛う゛〜〜」
そんな彼女らに聞こえたのは少女のうめき声。
目をぐるぐるナルトにしながらもヨロヨロと立ちあがってくる。
左側に高速大回転させられ三半規管が甚振られたというのに回復が早いのは流石と言うべきであろうか。
「お? もー立てんのか。回復早いなぁ……シロとは大違いだ」
「……シロ?」
どうもそのシロという相手にやった時はもっと長く目を回していたようだ。
何だか女の子の名前のような気がし、楓は何故かジト目で彼を見た。
どーして気付いたかは定かではないが、女の子と戦わせる事を由としない楓は、彼女の視線にビビリを見せている横島に代わって月詠の相手をするべく進み出ようとした。
が、その彼女を横島が止めた。
「横島殿? ……なっ!!??」
彼が戦うのだろうかと問いかけようとした楓は、彼の顔を見て驚愕してしまう。
何と、いきなり顔のタッチが原哲○になっていたのだ。
そりゃびっくりもするだろう。
「闘う必要はない。その娘との決着は付いている」
そして声は当然のように神谷○だ。
「な、何を……」
剣に自信を持っている月詠は当然納得しない。
あんなおバカな技で目を回させられた事は業腹だ。それにただ単に目を回しただけで負けを認める事等あろうはずもない。
無論、実戦であれば目を回した時点で戦力低下。コンマ三秒で三回は殺されているであろう。
だから横島の戯言のようにとっくに勝負は付いていると言って良い。
だが認めていない。
認められない。
こんな馬鹿な事で負け等と……
が、あまりと言えばあまりにも相手が悪すぎた。
「快楽秘孔が一つ、『笑点』円楽を突いた。お前の頭はもう……」
「え……?」
「 の っ ぴ ょ ぴ ょ ー ん ! ! ! 」
「………」
「………」
「………」
空気が……めっさ重かった。
あまりと言えばあんまりなアクションだったのだから当然か。
つーか会話の繋がりがじぇんじぇんなく、唐突にもほどがある。
お陰で周囲の空気の白さと重さは半端ではなかった。
取り返しが付かな過ぎてどーしてくれると訴えたくなる空気の重さが、取繕えない場の雰囲気と相俟って周囲を押し潰して行く。
——と、そんな中で強く反応する者がいた。
「ぷっ……くくくく……
あはっ
あははははははははははははははははははははははははははははっっ!?」
月詠である。
「え?」
「はぁ?!」
驚愕する楓と夕映をよそに、横島は腰に手を当ててふんぞり返って残酷な言葉を投げかける。
「わはははははははっ!!
どーだ!! つまんねー事で大笑いをさせられる屈辱は!?
関西弁の使い手ならこの上もない屈辱だろう!?」
「う…く……悔しいっ せ、せやけど笑てまうっ
あは、あは、あはははははははははははははははははははははははっ!?」
止めようにも止まらない。
可笑しくもないのに可笑しくてたまらない。
笑う理由が無いのに、ただ強力な笑いだけが噴き出してくる。
止めようにも、何か行動しようにも全身の筋肉が震えまくって力が全く入らない。
笑いながら戦いをする者がいない訳ではないが、大爆笑しながらは流石に無理だ。
月詠は転げ回って地面を叩いてひきつりながら大爆笑を続け、とてつもなくイヤンな理由で戦闘不能状態へと陥っていた。
「ホレホレ。まだまだいくぞ。
てけっれっつのパー!! おにょにょのぷー!! しおしおのぱーっ!!」
「きゃははははははははははははははははははははははははははっっ!!」
「わははははははっ!!
そのまま笑い悶えて皆の前に粗相を披露し、新しい自分に目覚めてしまえー」
「ひぃ〜〜止めてくだ……
あはははははははははははははははははははははははははははははははっっ」
『『『む、ムゴイ……』』』
その場にいた全員……小太郎を含む……の意見は一致していた。
とは言っても、止める方法など思いつかないのでどうしようもないのだが。
言うまでもなく、快楽秘孔云々の話は大ウソである。
お女中コマ回しとかいうタワけた秘儀をぶっ放した僅かな隙に、横島は“珠”を月詠の襟足に仕込んだのである。
反対側に回された事により、意識の混濁化を防ごうと神経を集中させているのを良い事に、その隙を突いて『笑』の珠を仕込んだのだ。
言葉を弄んで、月詠を玩ぶ。
戯言を放って翻弄し、原因や理由を相手の誤解でもって明後日の方向へと持って行かせる。
流石は魔神をも“奥の手”で出し抜いた人間。何と恐ろしい男であろうか。
聞く人が聞けば煤けてしまうほどつまらないギャグネタを月詠の耳元でほざきながら、新しい自分に目覚めさせようと本当に一個『覚』の文字入りの“珠”を追加で仕込むという非道を行いつつ、ひとしきり悶えさせてスッキリ満足した横島だったが、儀式の光が強さを増すと流石に遊ぶ(酷っ)のを止めて腰を上げた。
その顔は何だかやり遂げたサワヤカな男それとなっており、さっきまでとは違う意味でヤヴァかった。
蛇足だが、月詠は新しい自分に目覚めずに済んでいる。
「ぴぃ」
——横島の落ち着きを見たのだろう、オシオキの終わりに合わせて茂みから白い小鹿が……かのこが現れた。
「ごめんな。お前にも心配かけたなぁ……」
そう言って撫でてやると、別にいいよと言わんばかりに目を細めて喜んでいる。
元々かのこは横島の放つ霊波に惹かれて人前に出来ていたのだ。
優しい彼に戻ってくれたのならそれで満足なのである。
そして彼は、そんな使い魔の可愛さに苦笑しつつ問う。
「じゃあ、悪いけど頼まれてくれるか?」
「ぴぃ!」
主語が抜けてはいるがそこは使い魔だからか、何を問われたのか理解しているようだ。
短く同意するように鳴き、「ぴぃぴぃ」と何かを呼ぶように空に向かって鳴いた。
——と。
かのこの顔の真正面に札が出現し、光ったと思った瞬間、その細い首に白いペンダントが掛った。
と同時にかのこの霊圧が急上昇。姿形を形成している霊格が一気に跳ね上がり、その存在の大きさを膨らませる。
「な……っ!?」
初めて目にする楓も驚いたが、木の陰から見ている夕映はもっと驚いた。
何せ白い小鹿のサイズが変化……というより、成獣に急成長したのだから。
同時に光り輝く角が頭に生え、白い毛皮が月光を反射する神々しい白鹿と変化を遂げた。
かのこ専用魔具<月精石>
横島の知る精霊石と同じようなカットが成された月の魔力を秘めたムーンストーン。
精霊で使い魔である かのこのポテンシャルを一気に上げ、精獣の力を持たせられる力がある。
かのこはその魔具の力で横島の足となるのだ。
「ぴぃーっ」
そう再度鳴くと かのこの口に純銀の
「行くでござるか?」
「ああ」
ネギに対して偉そうな事をほざいてこの体たらく。
何だかんだで一人で行かせてしまっているし、流石にバツが悪い。
言うまでもなく将来が楽しみな癒し系美少女の木乃香の身も大心配だし。
それに……
「あのクソガキにお仕置きをしねぇとな……」
これだけ事をしでかし、木乃香を攫うのに邪魔が入らないよう本山の全員を石に変えた少年。
横島の勘では裏の主犯。
流石に一発ぶんなぐる事くらいはしないと気が治まらない。
楓は一瞬、またあのような状態になるのではと心配したのであるが、横島の笑みは暗いものがあるもののやたら悪戯っぽい。
暗い笑みの意味はおそらく美少年であることへの嫉妬であろう。
どうやら月詠に対して行った事と同等のお仕置きであろうと見た。
だったら別に問題はない。
彼女の知る横島なれば……
「では拙者も……」
「あ、楓ちゃんはダメ」
ついて行こうした楓を横島の手が止めさせる。
出鼻をくじかれた楓はムッとしたものの、
「あんなぁ……こんなトコに夕映ちゃんほっとくのか?」
と言われればひっこむ他ない。
ここで一人にしておく事はできないし、あんなに魔力が高まっている場に連れて行くのは論外だ。
そうなると彼女を守ってやらねばならないのは当然だろう。
行くのを止められはしたものの、横島の女の子への気遣いが復活している事は喜ばしい。
だから楓も「あい」と素直に笑顔でもってそれを了承した。
「よし、エエ娘や」
横島は自分より背の高い楓の頭を一撫でし、そのまま かのこの背に飛び乗った。
「あ……」
夕映を守る事を引き受けはしたのだが、頭からその温かさが遠ざかった事に無意識に体が動き、横島の背に手を伸ばしてしまう。
そんな自分に驚き、伸ばした手を引っ込めてじっと掌を見つめてしまう。
駆け出してゆくかのこを引き止めるのも何であるのだが、ちょっとした寂しさは拭い去れない。
と……
「楓ちゃん」
彼女らから少し離れた場所で横島はかのこの足を止め、顔だけを向けて声をかけてきた。
「……え?」
その声の主を無意識に求めていた手から目を離し、本人に目を向けた。
薄明るい月は顔を覗かせ、闇夜に慣れている楓に横島の姿をはっきりと捉えさせている。
そんな薄明かりの中、彼は楓に顔を向け、呟くように一言——
「ありがとう」
そう心からの礼を言い、駆けて行った。
無論、精獣かのこの足。木々がその行く手を遮る事などありえない。
障害物の無い平地を駆ける遠ざかってゆく。
だが、彼のその背は先程のものとは比べ物にならないほど力強く、そして意志が漲っていた。
楓はただ、そんな彼の背を黙って見送る……
「楓…さん?」
横島が駆けて行った方向に顔を向けたまま硬直している楓をいぶかしんだ夕映は、とてとてと歩み寄って下から顔を覗き込んだ。
「あ……」
そして、彼女は又してもレアなもの見てしまい、目が点になった。
かぁああああああああああ………
何と、楓はこれ以上ないというほど顔を真っ赤に染め上げていたのである。
「く……はぁああああ……っっっ」
「か、楓さん!?」
唐突に風船から空気が噴き出すような勢いで楓の口から声が漏れ、そのまましゃがみこんでしまう。
がっくりと跪く楓に、夕映はただ慌てる事しかできない。
「く……ふ、不意打ちでござった」
「は?」
そう、完全な不意打ち。
敵による攻撃ではなく、味方による暴虐なる不意打ち。
今まで見たいと思っていたもの。
子供らの霊に向けられていた優しそうな顔。
見送り、見守る優しい眼差し。
そして笑顔。
今までまともに見られなかった彼の笑顔だ。
見たい見たいとは思っていたその顔だった。
頼んだって作り笑顔しかならないだろうし、直接言うのも恥ずかしい。だけど何時か自分にも向けられたら良いなとは思ってはいたのであるが。
思っていたのであるが………
まさかこんな唐突に食らうとは思っていなかったし、
「こ、こんなにも破壊力があるとは……」
思ってもいなかった。
本気で感謝している笑顔。
親しいものに対して向けられた彼の優しい顔が、まさかこんなにもキくものだったとは……
「せ、拙者……侮り過ぎていたでござる」
「はぁ……?」
楓の脳裏にエンドレスで繰り返される横島の笑顔。
おまけに思い出せば出すほどフォーカスがかかって何だかイヤン。
それが優しい彼の声と共に楓の心に何かをプスプスと突き刺してゆく。
「う゛〜〜〜〜〜う゛〜〜〜〜〜あ゛う゛〜〜〜〜〜〜」
むず痒いヤラ痛いやら、表現し難い感触に楓はただ悶えるのみ。
「あ、あの……」
かかる状況を忘れたかのように顔を赤くして悶え転がる楓に、置いてけぼりをくらっている夕映は掛ける声が思いつけなかった。
「う゛がぁ〜〜〜〜〜っっ!!!」
ドンドンドンドンドンッ!!!
「た、龍宮?! どうかしたのか!?」
急にリズムを乱して、銃を乱射しまくる真名に流石の刹那も驚いて声をかけた。
まぁ、吠えながら撃ち始められたら誰だって慌てるだろう。
「い、いや……何だか楓のバカに急に腹が立って……」
「はぁ?」
「いやそんな事より……刹那っ、明日菜っ!!
ここは私達に任せてお前らはあの可愛らしい先生のところに行け!!」
「「え゛!?」」
右手の銃口を敵に向け牽制しつつ二人にそう言い放ち、左手の銃で隙を突こうとしていた式を撃ち抜く。
明日菜も刹那も驚いて動きを止めるが、そんな二人に式が襲いかかろうにも間を割った詠春がいて接近は許されない。
「そうです。ここには私もおりますから、君達は早くネギ君の元に!!」
「でも…っ!!」
話している間にも二本角の武者のような式が踏み込んでくるが、詠春は迫りくる刃を事も無くいなして左の拳で相手の胸を振り抜いて一撃で還す。
この地にいた折に剣の教えを受けていた刹那ですら感嘆するほど無駄がない。
そして彼女も——
「ふんぬぅっ!!」
『うわぁっ!?』
『な、なんや!? また急に打撃力が増したで!?』
何だか異様に気合いが入った鉄扇の横薙ぎで二鬼をふっ飛ばし、声だけを二人に向けた。
「ここは私らにお任せアル!!
アスナは早く老…じゃなかた、ネギ坊主のトコに急ぐヨロシ!!」
「く、くーふぇ……」
何時もよかパワーファイター染みた戦い方をする古には呆気に取られるが、この分なら任せても大丈夫だろう。
刹那に顔を向ければ、彼女もそう得心がいっていたのかコクリと頷いて見せる。
ならば、と。
「ゴメン!! それじゃあお願いっ!!」
二人はこの場を三人に任せて駆け出して行った。
「気にするな!!」
追撃しようとする式の頭を後ろから撃ち抜きつつ真名はそう言って口の端を歪めた。
無論、たっぷりと礼金は貰うつもりであるが、それより……
「どうやら何とかなったみたいだな……楓」
何の確証も無い。強いて言えば女の勘か?
しかし奇妙な確信をもった真名は、安堵の笑みを浮かべて引き金を引くのだった。
「それにしても古。
何だか異様に力入ってないか?」
「イヤ、何か急にヌケガケされた気がして……」
「ああ、成程……」
駆ける。
駆ける。
駆ける。
儀式は終わりを告げたのか、物凄い気配が立ち上がるのを感じる。
だが、まだ間に合う。
何の根拠もないのに大丈夫だと確信が持てる。
仮にダメでも間に合わせる。
無理だろうが何だろうが問答無用で間に合わせてみせる。
自分から闘いに行くというシチュに気は重いのだが、それでも何だか体は軽い。
あの子供教師が木乃香を救い出せていない事は解るのだが絶望はない。
走る。走る。走る。
そう、まだ生きている。
まだ木乃香は生きているのだ。
そして助けを持っている。
未来に幸大きい美少女が助けを待っているのだ。
だったらここで諦めてたまるものか。
——そうだ。それでいい。
諦めるな。嘆くな。そんな暇があったら突っ走れ——
「おうともっ!!」
心に響く声は自分の声。
しかし自分ではない自分の声。
横島が自分を取り戻した事を喜んでいる自分の声。
——お前は俺だが、こんな俺じゃない。
お前には憎悪は似合わん。非情さも冷酷さも……な——
「つーか、オレにそんなシリアスなんぞ似合わねぇってば」
——違いない——
独り言を言っているようで
だから“二人”して納得し、クククと笑う。
まだネギが足掻いているのが解る。
木乃香を救う為、何故か横島より先行している刹那、明日菜と共に微力ながら闘い続けている。
自分より年下の女子供ががんばって闘っている。
「だったら見物って訳にもいかんわなっ!!」
未だに邪魔を仕掛けてくる式神たちを軽くいなし、得物を強奪しつつおちょくりながら神速の逃げ足で駆けてゆく。
『こらーっ!! 返せーっ!!』
「はっはっはっ 聞こえんなぁ〜?
ハイヨーシルば……じゃなかった、かのこ〜〜〜っっ!!」
「ぴぃいいーっっ!!!」
三日月というライトの下、
悲劇の始まりとして開けられた幕……
そこに割り込んで来るのは止めようも無い喜劇。
辛さ悲しさを塗り潰し、暗い空気を踏み躙り、
あらゆる悲劇を台無しにすべく。
馬 鹿 が 舞 台 に や っ て 来 る——
これが私風のニコポ!です。
色々変えてみましたが、やっぱりまだまだ表現力がナニですね。
文体が読み辛くてご迷惑をおかけしているようで申し訳ありません。
意外と打ち直し辛っ 原因のネタフリが不十過ぎたかも。
ぐぬぬぬ……
そのふりまくった横っちの精神の秘密は修学旅行後です。
すんません。もうちょっとお待ちください。
という訳で、続きは見てのお帰りです。
ではでは〜