本編
青い空。
白い雲。
そして見渡す全てが蒼い海。
よ ぉ ぉ —— しっ
海 だ —— っ っ ! !
歓声を上げ、元気に波間に飛び込んでゆく水着姿の美少女達。
何とゆーか……周囲を見渡しても彼女ら以外の姿が見えない。
美少女だけしかいない海辺とは一体ドコのパラダイスであろうか?
おまけに学校指定のものであろう、スク水装備の少女まで混ざっているではないか。
ある特定の趣味を所持する大きなお友達の方がご覧になれば眼福のあまり感涙に咽ぶこと請け合いである。
ここは南の海に浮かぶリゾートアイランド。
所謂“お金持ち様”が対象のプライベートビーチだ。
そんな場所になぜこんな少女らがいるのかというと、彼女らが通っている麻帆良学園女子中等部3−Aのクラス委員長、雪広グループの娘である あやかが誘いをかけたからだ。
「誘いなんかかけてませ——んっ!!」
……失礼。
担任のコドモ先生“のみ”に誘いをかけたのであるが、その情報が漏れたからだ。
「うぐぐぐ これは一体……
ネギ先生との二人っきりのパラダイス計画が……
な、な、なぜこんな事に……
しかもクラスの半数以上が……っ!?」
握り締めた拳は白くなっており、その掌にかかっている握力から怒りのほどが見て取れる。
風貌などは確かに年齢相応なのだが、やたらとプロポーションバランスが良いものだから童顔の女性とも見えてしまう。
そんな彼女が怒りをあらわにしているのだからギャップも手伝ってなかなか恐ろしいものがあった。
萌えるショタパワー、恐るべしと言ったところか。
「和美とハルナさんにもれたのはまずかったわね。あやか」
「あなた達もですっ!! 勝手についてきてっ」
ころころ笑いながら能天気そうに話す、あやかのルームメイト千鶴。と、あやかの剣幕に何だかハラハラしている夏美。
彼女らもその件の二人の誘いに乗ったのであるが、飛行機に搭乗する際、乗り込もうとする少女らを断らなかったのだから、あやかにも責任があるような気がしないでもない。
つーか、そんなに嫌だったら自家用機に乗せたりすまい。
実際 怒ってはいるが追っ払ったりしていないのだ。結局、おもいっきり人が良いのだろう。
「あ、あの、いいんちょさん。
こんな南の島に招待してくれてありがとうございます!! 僕、すごくカンドーしてます!!」
「何を仰られるんですの!? 水臭いですわネギ先生!!
この雪広あやか。ネギ先生の為なら極点にだって御招待いたしますわ!!」
しかしやはりこの少年の感謝が一番の褒美。
今さっきまでの怒りの空気などドコへやら。
彼の言葉を耳で受け取った瞬間、彼女はヘヴン状態となり周囲は薔薇や蘭等の花々に埋め尽くされていた。
泣けるほどお手軽な女である。
「全く……何で私までこんなところに来なきゃいけないのよ」
「まぁまぁ、ちょうど新聞配達もお休みやったし、えーやん」
「ん〜〜……まぁ、ね……
ココんトコ、ドタバタしてたし偶にはいっか……」
「そーそー」
総勢、クラスメイト二十人(+ネギ)という大所帯。
修学旅行から帰ってすぐ、南の島に旅行とはいい身分である。
ただ、一部の少女らはGWどころではなかったし、明日菜も連休どころではなかった者の一人だ。
帰ってすぐに刹那に剣道を学び始めたし、ネギの試験にも付き合ってしまった。
その試験時には(周囲にはバレバレであったが)内心かなり心配させられてるし。
……成る程。確かに二年の三学期からずっとドキドキハラハラの連続ではないか。
これは言われたように羽を伸ばすのは良いコトかもしれない。
「良かったです。
アスナさんもお誘いできて……」
「バッカねぇ。ガキのくせに気を使うなって言ってるでしょ?
……ま、ちょっとは感謝してあげるけどね」
笑顔で寄って来るネギに、苦笑しながら明日菜はそう答えた。
何だかんだで和解できたものの、一時は大喧嘩に発展しそうだったのだからネギも気を使うというもの。
明日菜としてはネギはもっと子供らしくしてても良いのではないかとも思うのだが、彼はやっぱりそうやって気を使ってくる。
無論、そこら辺りはやはり子供で気遣いも見当違い。
その所為で口喧嘩をおっ始めてしまったというのに。
「兎に角、アンタが誘ったんだからしっかりエスコートしなさいよ?」
「あ、ハイっ!!」
こんな楽しい場所でくすぶっているのも何である。
明日菜はネギの背を軽く叩き、二人並んで笑顔で海に入って行った。
あの時の諍いの残り火を、文字通り水に流すが如く……
「く……うぅうう……
や、やはり真の敵はアナタだという事なんですのね!? アスナさん!!」
極一部の少女を黒く染めつつ。
——どこぞの時系列では見事な意地っ張り具合で中々仲直りができなかったのであるが、
間違いなく将来的にお肌のトラブル等で困る事になるだろうが、背中にサンオイルを塗って甲羅干しを楽しんだり、トロピカルフルーツを堪能したり、やれ水遊びだビーチバレーだと遊び倒している。
特にビーチバレーは、来ている者の中に運動部関係者がいる事もあってか、かなり白熱した試合展開となって大いに盛り上がっていた。
当然の如く勝負事に目のない古も、試合だ競泳だとふざけた持久力でもって跳ね回るが如く遊びまくっている。
とはいえ、最近はかなり体力も上がっている為、流石に一般人相手では物足りなくなってきた。
もっと歯ごたえのある者と勝負したいと思うのは当然の流れだ。
「? カエデはドコに行たアルか?」
「へ? 長瀬さん?」
キョロキョロと見回すが、一緒に飛行機に乗ったはずの彼女の姿がない。
考えられるのは、南国での修行を思いついて実行しているという事であるが……何というか古は、
「……何か嫌な予感がするアル……」
最近、鍛え始めた霊感が疼くのだ。
よって迫りくる危機に対応できるようになってきて——……
「まさか……ひょとして……
この隙に抜け駆けされてるアルか?」
——る訳ではないようだ。
いや、ある意味“危機”かもしんないけど。
「ム……しかし、一緒に乗たのも事実。ということは、この島のどこかに……?」
にしてはヤな予感が去らない。
楓ほどではないが、横島のお陰で気配を探る能力が上がっている古。
それでも意識の輪を広げても掠りもしない。
まぁ、楓が本気で隠れていたとしたら今の古の技術ではまだ見つけ出せまいが。
彼女の記憶が間違っていなければ、確かに楓は一緒に飛行機に乗り込んでいる。
風香と史香の荷物を持って機内に入り、二人にその荷物を手渡して彼女は後ろの方の座席に腰を下ろしてアイマスクをつけてとっとと眠りについて……
「……ん? ナニかヘンなトコがあるような気が……」
いや、離陸した後、手洗いに立った時も楓が寝てたのを見たし、着陸した後も……
「……そう言えば、ココについた時にはしゃいでて気が付かなかたアルな」
そう、一緒に降りたという記憶がないのである。
水辺で仁王立ちになって腕を組み、ウンウン唸って首をかしげている美少女。
なんともシュールな光景である。
本人から言えば大真面目であるが、脇から見ればヘンの一言。
結奈らも何か声を掛け辛そーであるし。
しかしそんな異様な空気を纏っている古に、歩み寄ってゆく猛者がいた。
「あの、古……」
「んあっ!? あ、ああ、刹那アルか……」
スク水で、申し訳なさそうな顔をした刹那である。
今まで遊びに頭を持っていった事がない為、遊び用の水着など持っていないからだろうが、リゾート地でスク水とは中々マニアックな格好だ。
ま、それは
「何アル?」
「い、いやその……」
珍しく言葉を澱ませている刹那。
木乃香関係以外では本当に珍しい。
で、その件の木乃香は何だか困ったような顔でこっちを見てたりする。古は何だか訳が解らない。
「どうかしたアルか?」
「いやその……こ、これを……」
「?」
恐る恐るといった態で何かを差し出してくる刹那。
訳は解らないが古は差し出されたそれを受け取り、己が掌の上にそれを広げて目を落とす。
「? コレはあの時に使た紙アルな」
「あ、いや、その……」
それは西の術にあった身代わり符だった。
思い出すのはあの戦いの夜。
外泊した事を誤魔化す為に木乃香パパがニセモノとして送ってくれていたものだ。
……最後には暴走してストリップなんぞかましたりしやがったが。
「コレがどうかしたアルか?」
「あ〜〜……つまり、その……」
「解らないアルなぁ……? これがどう………っ!?」
その時、古に電流走る・・・!!
ハっとしてもう一度身代わり符に目を向けた。
チラッと見たときには解らなかったが、その紙の裏……本当はそっちが表側なのだが……には名前が書いてあったのだ。
そこに書いてある名前は……
− 長瀬 楓 −
ぐ し ゃ り ……
謎は全て解けた。
無言で符を握り潰した古の目がキリキリ吊り上がってゆく。
刹那の話によると、この週末旅行の直前、彼女の元に楓がひっょこりと現れ、
『すまないが身代わり符を一枚いただけないでござるか?』
と願い出たというのである。
相手が裏の危険性を知る楓であった為か刹那もあまり気にしていなかったのであるが、まさかこういう使い方をするとは思いもよらなかった。
おそらく入れ替わったのは後ろの席に着き、古が油断して視界から外した瞬間だろう。見事な空蝉だ。無駄に使っている気がしないでもないが。
そして南の島に着く事で役割を終えたそれは、ただの紙に戻って座席の上に乗っかっていた——という事だろう。
件の符の上に着用者を失ったアイマスクが乗っかっていた事がそれを証明している。
つまり……
「は……
謀 ら れ た ア ル ——ッッ!!!」
「う、わぁっ!?」
「な、何々!?」
「何かスゴイ怒ってる!!??」
ゴォッ!! と怒気が海面に渦を巻かせて立ち上がる。
彼女を中心にして恰もクレーターが如くすり鉢状に水を弾き飛ばして。
無駄に見事な氣の練り具合だ。
「な、何なの!? すンごいラヴ臭するんだけど——っ!!??」
「あんな有頂天な怒気をラヴというのなら、般若は萌えキャラになってしまうです!!」
「あわ、あわわわわわ……」
「カ〜〜〜 エ〜〜〜 デ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!」
毎度お馴染みとなった怒りの声を上げる古。
その彼女が睨みつけている南の島の雲間には、
『はっはっはっ
拙者、南の島まで付いて行くとは一言も言ってないでござるよ〜?』
等と勝ち誇った顔の楓が見えていた。
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休み時間 <幕間>:危ない終末
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その古がナニを激怒っていたのかというと、
『あは……横島殿、くすぐったいでござるよ』
とか、
『あ、ンん……その、や、優しくしてくだされ……』
とか、
『できちゃったでござる♪』
等といったイヤンな展開を想像してたからだ。
何故か二人で修行しているシーンはサッパリ思い浮かべず、こんなエロんな展開しか頭には思い描けなかったりする。それでいいのか? 武道四天王。
古は忘れていたようであるが、楓は週末になると泊り込みで近くの森に入って修行を続けている。だから元々行く気は殆ど無かった。
更に大首領であるエヴァに週末は横島と修行させてやると誘われたのだ。
コレは行かずばなるまい。
え? じゃあ何で古を誘わなかったのかって?
『木乃香の護衛でござるよ? 刹那とネギ坊主達だけでは心許無い故。
いや、他意は無いでござるよ? はっはっはっ』
だそーだ。
きっとそれは真実なのだろう。多分。
が、実のところ古の想像はおもいっきり的外れで、二人で修行という事以外 そういった方向にはさっぱり向いてはいなかった。
「う、ぐ……う〜ん……」
「……」
外の時間から隔離されたエヴァの別荘。
陽はとっぷりと暮れて、感覚で言えば九時頃だろう。
そんな別荘の一室には横島用の部屋が設けられており、その部屋のベッドに彼は横たわっていた。
修行の疲れを癒す為だけの部屋なので、寝台の他に物は何も置かれていない。
強いて言うのであれば床の魔方陣だ。
これは新陳代謝を高めたり、力を少しづつ取り戻したりするもので、不死者であるが故に治療魔法が不得意なエヴァの苦肉の策だろう。
そうでもしないと横島の肉体的疲労が取りきれないのだ。
「く、お……ぉ……」
「ぴぃ〜……」
「横島殿……」
そして横島は楓と行った修行によって体力を使い果たして眠りについていた。
ウンウン魘されているのはその修行のキツさ故。その肉体疲労は痛みを伴っている。
かのこも心配して傍につきっきりだ。
時折、ペロペロ舐めてヒーリングモドキを行っているのが健気である。
楓から言えばその修行ほどありがたいものは無い。
この世界……裏表を含め、いや、魔法世界を巡ったとしてもこんな幸運はそうないだろうとエヴァも言っていた程。
それもこれも横島あっての事なのであるが。
「ぐぉおお…くぅうう……」
代償が余りにもきつ過ぎるのだ。
それでも不幸中の幸いと言おうか何と言うか、横島の馬鹿げたしぶとさと周囲のマナの濃さ、そしてこの魔方陣のお陰で一晩寝ればスッキリ回復してしまうらしい。
まぁ、そんな事を頭で解ってはいても目の前でウンウン魘されているのを見ていれば流石に胸の一つも痛むというものだ。
「う゛〜ん゛ う゛〜ん゛ 小○が、○錦がぁ……」
「……」
……多少、みょーな魘され方であるが。
楓は気休め程度においている濡れタオルを手に取り、脇に置いてある水の張った洗面器でゆすぎ、丁寧に絞ってからもう一度置いた。
その間も小鹿は頭を擦りつけたりして僅かでも癒されているのだろう、
それでも楓は かのこと共に甲斐甲斐しく世話を焼く。
無理をさせているのだからこのくらいは、というのが建前であるが、実際にはやりたいからやっているだけ。
放って置けないというのが正直なところ。
無論、責任云々ではなく。
「横島殿……」
しかし、彼の寝顔を見つめる楓の眼差しは複雑だ。
そうこうする程熱は上がっていないのであるが、それでもとまたタオルを濡らして額に置いてやる。
傍目にも献身的で、深く想っているからこその行為であろうと思わせられるそれ。
確かにその想いはゼロではないし、心配しているのも事実である。
だが、彼の今の症状についてではないのだ。
「何故……」
そんな彼に目を落としたまま溜息を一つ。
長く、肌寒さすら篭るそれは横島の前髪をくすぐった。
「ん……」
微妙にくすぐったそうにする横島の寝顔を見て安堵したのか微笑が浮かぶが、すぐにまた表情が薄くなる。
何時ものままならもっと楽しく世話を焼けただろう。
からかうのも良いし、彼を凹ませるのもまた良し。
例え凹ませても、じゃれあいの範疇であればすぐに復帰できるし横島のテンションも維持できる。
それが彼のポジションだとでも言わんばかりに。
だが、今はそんな気にはなれない。
楓自身のテンションが上がってくれないのだ。
というのも上司から、
大首領からとんでもない話を聞かされたからである。
****** ****** ******
エヴァの指示の元、横島の修行兼自分の修行を終えた楓は呼び出しを受けていた。
横島に内密で話したい事があるのに言われれば流石に行かざるを得ない。
ちょっと後ろ髪を引かれたが、心身ともに酷使し過ぎて気を失った横島の世話を茶々丸+かのこ+侍女人形'Sに任せ、楓はエヴァの私室に向かった。
「ふん。来たか」
この別荘のほぼ最下層。
妙にだだっ広く、壁も天井も白で塗りつぶされた部屋に彼女はいた。
相変わらず態度は尊大。
それでいて似合っているのだから始末が悪い。
だが尊大な態度は見慣れたものであるし、今更どうこう言うつもりは無い。
と言うより、別の事に気をとられてそれどころではなくなっているのだ。
「そ、それは……」
彼女の態度より何より楓が気になったのは、エヴァがなにやら術式を掛けている白いもの……
それは、石のように佇む裸体の女性だった。
エヴァは全裸の女性を立たせ、その身体に何かしらの呪式を施しているのである。
「ああ、勘違いはするなよ? よく見てみろ」
「え? あ……」
そう促され、近寄って見直してみればそれはどうやら木製の裸像だった。
確かに良く見れば人間とは違う。
パーツパーツは確かに細かいところまで人のそれそのもので、作り物ながら胸を動かして呼吸をしている錯覚に陥ってしまうほど。
木目も見えているし、頭髪は無いし顔のつくりがマネキン並に大雑把なのにも拘らず……だ。
余りに生々しく、余りにも艶めかしかった為、楓の目には生きている人間がそこに立っているように見えてしまっていたようである。
しかし、人形使いというあだ名は些か耳にした事はあるが、これは彫像。
彫り目や継ぎ目は全く目に見えないが、おそらく今までちょくちょく削っていたアレをくっつけたものであろう。どうやって接合したかはやはり不明であるが。
だが、確かに今にも動き出しそうではあっても彫像は彫像。元より可動できそうな部分は無い。
言ってしまえば超リアルフィギュアだ。操り人形ではない。
「これは気にするな。
呪式の擦り込みが終わっていないからな。“今は”まだ関係ないさ。ククク……」
そう言ってエヴァは白いシーツを掛けて隠してしまう。
隠されれば大雑把な頭部が見えなくなるので、余計に裸の女性が佇んでいる様に見えてしまう。
これほどリアルな像を何のために作ったというのか? 無論、この様子では語ってはくれないだろうが。
「ま、こんな事はどうでも良い。
キサマには聞きたいことがあってな」
「ほぅ……?」
そう言ってその像から離れ、エヴァが何も無い空間に優雅に腰を下ろそうとすると、どこに控えていたのか侍女人形が進み出て来て彼女の腰の下に椅子を置く。
細い手腕を伸ばせば瞬時にその前にテーブルとティーセットが置かれ、どう間を計っていたものか十分に蒸された紅茶がカップに注がれてエヴァの指の前に置かれる。
この空間の女王であるエヴァは極自然にカップを手にとって口元に運ぶ。
……こうまで華麗に質問の眼差しをスルーされてるのだから、流石にこれは無理でござるな……
そう判断した楓は像についての質問を諦め、エヴァが聞きたかった事とやらの方に意識を向けた。
「いやなに……キサマの覚悟の程を知りたくてな」
「覚悟、でござるか?」
「ああ……」
楓の問い返しをエヴァは紅色の液体で咽喉を潤しながら肯定する。
「まぁ、ゴチャゴチャ前置きではぐらかすのも何だしな……単刀直入に言ってやろう」
「む?」
彼女にしては珍しく、カチャリと音を立ててカップをソーサーに置く。
その表情からは窺い知れないが、楓はなんとなくエヴァの心がささくれ立っている様な気がした。
「キサマらのつれあい……横島忠夫だが……
最悪、奴が組している組織の方にもな」
「!?」
キサマ“ら”の“つれあい”という聞き捨てならない言葉が飛び出したが、それ以上の衝撃を楓は受けていた。
いや、確かに横島は性犯罪者予備軍だ。
霊力満タン時なら兎も角、霊力が下がって自制心まで落ちた状態なら何をするかわかったものじゃないのだから。
現にこの世界に来た時、傷ついた体を回復させて霊力がほぼカラだった時には しずなや刀子に襲い掛かっている。今だからこそそうやってテンションを上げて回復しようとしているだけと理解してはいるが、初対面の人間であれば間違いなく性犯罪者の烙印を押しているだろう。
実際には気の弱そうな女性には何もしないし、自分を迎撃できそうな相手にしか行ったりしないのだが、悪い方向に気が強い女であれば騒ぎ立てて警察沙汰にした挙句、社会的抹殺を行うだろう。
——成る程、『正しい魔法使い』達とやらも見逃せまい。
そんなお馬鹿な思考に陥りかけた楓であったが、
「あのな……ナニを考えているか大体見当が付くが……性犯罪云々の話ではないぞ?」
「あ、違うでござるか?」
「当たり前だ」
何だその魔法界を含めた全世界指名手配の性犯罪者は?
ある意味悪の魔法使いの下僕っぽいが、自分の部下がそんな事で名を馳せられたら生涯の恥ではないか。
呆れたように溜息を吐き、気を取り直すべく紅茶をもう一口。
ちょっと微かな苦味が心にも心地よい。
「今日の鍛錬……キサマは初めてだったな。
アレを見てどう思った?」
「アレとは……“アレ”でござるか?」
「ああ……」
思い出すのは横島の生み出す“珠”の応用。
使用後には横島の霊力と体力がスッカラカンとなるが、間違いなく効果中は“この世界では”無敵状態だろう。
というか、
「どうも何も……反則としか言えぬでござるよ」
反則。正に反則としか言えない“方法”だ。
尤も、その反則のお蔭ですばらしい体験(修行)をさせてもらえたのだから文句はないのであるが。
「反則……な……」
楓の言葉を聞き、エヴァは唇の端を吊り上げた。
やがてそれは明確な含み笑いとなり、しばらく肩を震わせて笑い続けてしまう。
楓は笑い続けているエヴァのその気配を観た瞬間、その背に怖気が走った。
ここにいない何かを嘲ているようで、言いようの無い怒りを含めているようで……何れにせよ、楓はこんな気を放つ人間を、エヴァを初めて目にした。
やがて笑うのを止めたエヴァは頭を上げ、楓と視線を合わせた。
もう彼女の感情はヴェールに包まれて見えなくなっている。
これが年齢の差なのだろうか。
「横島の居た世界には神々とやらがいた……それはもう“理解”したな?」
コクリ、と無言で頷く楓。
そんな存在を肌で知った直後なので、頷く勢いは強い。
「そして“ここ”にはそれらはいない……もしくは凄まじく遠い存在なのだろう。
それも解るな?」
「……」
それにも無言で肯定する。
いや、実際にお目にかかったわけではないが、横島に見せてもらったものが“そう”というのなら、まだ楓は出会った事は無い。
強いて言えばこの間の鬼神とやらが近いそうだが、どうもベクトルがズレている気がするとの事。
話を聞いた時には自分やエヴァにはよく解らなかったが、今は違う。
何せエヴァは元より、楓もつい今さっき“体感”していたのだから。
「これから話すことは私の仮説……いや、妄想だと言っても良い。
だが、大筋で間違っていないと思っている。いいか?」
そう妙に念の入った前置きをするエヴァ。
彼女にしては珍しく根拠のない話らしい。
だが、楓の勘が。
横島によって鍛えられた楓の第六感が、それが正解に近い物だと感じさせていた。
そして何より、横島忠夫という一人の男の事。
エヴァの言う戯言だとしても聞かずばなるまい。
そんな楓の表情を見、覚悟ができたのだと確信したエヴァは苦笑しつつ口を開いた。
「アイツの理不尽さは今回でも解っただろう?
はっきり言って、アイデアさえ伴えばできない事はない。
何せ狭い範囲の天候すら操れるのだし、今さっきのような
やや高揚した顔を見せつつ頷いて肯定する楓。
ラッキーというには余りにも過分な体験だったのだからそうもなろう。
「そしてアイツの力のベースは、アイツが基本中の基本としている技から派生している……
霊気を収束する力。その格が上がって出来るようになった。
そう我々は聞き及んでいるな?」
「……」
これにも頷いて答える。
何せそばで収束を見続けているし、古と一緒に霊力の修行を始めた時に彼からそう説明を受けていた。
「もしも、もしもだ。
収束能力の格が上がってあの珠を生み出せるようになったのではなく、
現象を曲げる力を進化させた形があの珠だとしたら……どうする?」
「は?」
思わず零してしまうマヌケな声。
余りと言えば余りにも極論だったからだ。
しかし、裏の裏に触れていなかった時は左程気にならなかった事であるが、多少なりとも魔法の知識を得た今はエヴァが何を言いたいのか解るような気がする。
最初のその力を目にした時、学園長を含む大人達は皆、氣(或いは魔力)を収束したものだと思い込んでいた。
そんな中で楓だけが氣の力ではなく、意思の形を変えているような気がすると感じていたのである。
「アイツの記憶を流し読みしただけではあるが……“アレ”以外の神族もとんでもなかったぞ?
アレの上司とかいう猿神は、本気になった私でも勝てる要素が見当たらん。と言うより考えられん」
「そ、そんなにも……?」
「ああ。
お前が試合ってもらった奴の上にいる奴だしな。
というか、アレ程度では話にならん」
如何に傷をつけようにも……いや、それ以前に全魔力を乗せた魔法だろうと怪我でもしてくれるかどうか……
そして何より、相手の攻撃を防ぐ手立てすら思いつかないのだ。
見ただけで解る。
全盛期のエヴァが全力で障壁を張ろうと紙切れ以下。水にぬれたトイレットペーパー程だろうし、例え瞬動が使えたとしてもあの猿相手ではフォークダンスのようにトロくさい動きだろう。
御仏に負けたとはいえ、天に等しい者と自称する力は伊達ではないという事か。
——しかし、いくら手加減された攻撃とはいえ、横島はその攻撃を受け止めている——
件のバケモノが持つ得物は、下界では決して作り出す事ができない、ものすごい比重の超特殊希少金属である。
何せサイズを普通の棍に変えようとその重さは変化せず7〜8t程。
おまけにその硬度は想像を絶する。
どれだけ力をセーブされていようと、そんな超重量超硬度の物体で突きを喰らって無事でいられるわけがない。
確かに意識を失いはしたが、それを受けたダメージではなく後頭部を結界で打ち付けた所為。
横島の霊気の盾も殆ど破壊されてはいるが、受け止める事に成功している。
彼よりも更に収束度が上だった魔装術使いはかなりダメージが大きかったと言うのに。
「あの霊波刀にしても妙なんだ。
聞けば、精霊の力を借りて自分より格上の悪魔と戦える神父がいたらしいのだが、
そいつの聖撃が効かなかった強化ゾンビを、横島は数体まとめて串刺しにして倒しまくっている。
解るか? 個人能力でそれを行えているという不可解さが」
件の神父が精霊の力を借りて行っていたのは聖言による攻撃、聖撃である。
暗黒の呪法によって強化されたゾンビはそれすらも弾いていたらしい。
しかし横島をそれらを覚醒直後の霊波刀によって
それは、精霊の力を借りた霊力より、横島個人だけで生み出した霊力の方が強い事になってしまう。
更にその高出力を維持したまま戦い続けていたとの事。
大雑把に言えば、カセットコンロ用のボンベを接続したガスバーナーを点火させたまま振り回し続けていた事になってしまう。
そんなものが長持ちする訳がない。
しかし、結局は戦いが終わるまで、彼はその霊波刀をほとんど出しっぱなしだったという。
「矛盾が多いだろう? 理屈が合わないだろう?
私もそう思った。そう感じた。
だからアイツを鍛える時にわざと防御だけやらせて強度を計り、オーラを見ながら出力を計り続けた」
しかし結果はまた不可解。
負荷を掛けた魔法まで弾き飛ばすくせに、速度重視の“軽い魔法”を受け止めるだけに終わったりする。
範囲魔法に曝されはしても、盾の前だけは魔法が“掛かっていない”。
障壁貫通の式を付加させても、その盾に阻まれたり霊波刀で叩き切られたりもする。
だからエヴァは気が付いた。
横島の盾の能力は、防御力,硬度云々ではない。
“これ”は、攻撃を拒否しているのだと。
それに気が付くと霊波刀の力も納得ができた。
“あれ”は、拒絶や倒すという概念があの形になっているのだ。
つまり横島の本当の霊能力は、『概念使い』。
それならば他の力も納得ができる。
要は極狭い範囲だけではあるが、霊力によって概念を書き換えられるのだろう。
そしてそれが固着化したのがあの『栄光の手』。
伸ばし、掴め、斬るという全く概念が違う使用が出来、魔族だけが優位に立てるフィールドの中で、唯一『痛み』を与える事が出来のがその証拠。
そして珠は彼の持つ概念の書き換えの力を圧縮して生み出している。
だからこそ方向性を持たせられ、効果範囲も広がり、多様性も生まれているのだろう。
そう、彼の力の正体が『概念の書き換え』ならば理屈が通るのである。
無論、エヴァのこじ付けと言われればそれまでだ。
元より暴論であると彼女自身も思っている節があるくらいなのだから。
だが、この大胆すぎる仮説を立てた本人は勿論、楓すらその話に異を唱えられないでいた。
時間的にはエヴァ達の方が長くなってしまったが、楓は彼女らに次いで横島の能力を最も多く目にしている人間だ。
だからこそ解る。
解ってしまう。
——その基本能力からして横島の力がどれだけ異質なのか、どれだけ人間のそれからかけ離れているのか——
「キサマは、桜崎刹那の技……神鳴流の斬岩剣が使えるか?」
「無理……で、ござるな。
似たような技、あるいは似せただけの紛い物なら兎も角、斬岩剣は流石に……」
斬岩剣は神鳴流の奥儀である。
十二分に練り上げた氣を用い、技として放つ事によって岩を断ち、敵を断つ。
その弐の太刀に至っては、断つべき物“だけ”を斬る事ができるという。
神鳴流の使い手の中でこそ刹那は達人という程ではないが、奥儀には達している。
楓も裏の達人クラスの術(忍術)を使えはするが、剣術とはベクトルが違う。
モドキくらいなら放てようが、とてもじゃないが切断力までは真似出来まい。
「だろうな……」
楓の答えに対し、満足そうに、それでいて皮肉げな笑みで受けるエヴァ。
「例えばキサマの分身の術。
バカイエローの功夫。
今言ったように刹那の神鳴流の剣技。
そして私の魔法。
それらは全て己を研磨し、積み上げてきた時間の上で成り立っている技術だ。
とてもじゃないが100%真似るなんてできる訳がない」
「当たり前でござるよ」
「だがな……
あの男、横島の力を使えば100%真似て使いこなす事ができるぞ」
「 …… っ ! ? 」
そう、恐るべきは概念の書き換えによって起こせるその力。
その力の果てに得た珠の力を持ってすれば……例えば−模−と珠に篭めて他者に使用すれば、何と己という個を残したまま、そっくりそのまま相手をコピーする事ができるというのだ。
欠点としては、100%真似られるものだから、対象がダメージを受ければこちらも同じダメージを負ってしまうという事。
勿論、相手もこちらを攻撃すると同じように自分もダメージを受けてしまう。自爆というか自殺というか、一対一で決闘する場合はほとんど意味がない能力である。
しかし、相手の思考や記憶を100%読み取れ、完全に同じ能力が持てるというのは脅威にも程があった。
つまりそれは……
「魔法を極めんと努力を続けている輩、
或いは権力を持った後ろ暗いアホゥどもからすれば堪ったものではあるまい?」
「……」
例え半世紀己を磨き続けて開眼した技であろうと、一子相伝で伝えられてきた奥儀だろうと、時間制限付きではあるが一瞬で会得されてしまうのだ。
プライドを持っていれば、自分の技や術に強い誇りを持っている者達からすれば怨嗟も溢れ出よう。
ましてや後ろ暗い事をしている権力者どもであれば……
裏の世界を知る楓だからこそ、その濁りに怖気が立つ。
横島の持つ力の異質さ故、攻撃を仕掛ける口実など幾らでも思い立つからだ。
「しかし、その力……アイツが言っていた<大事件>以降は大した力を使えずにいたらしい。
いや、どちらかと言うと下降気味だったらしいぞ?」
「それは……」
横島の言う<大事件>とは、魔界から魔王の一柱が侵攻してきて人間界を大混乱に導いたと言う、マンガかラノベのような話である。
彼のプロフィールや、持っている力の異質さを理解した上で受け入れていなければ、単なる与太話として捉えていた事だろう。
無論 今は彼を信頼しているので『そんな事が…!?』と驚愕するのみ。
普段の言動,行動はナニであるが、こう見えて意外に常識人であるエヴァですら今は信じているようだし。
「……何か失礼な事を考えていなかったか?」
「めっそーもござらん」
しかし、彼の記憶にあった力と、京都で使った力には大きな開きがある。
何せ、全盛期並の力を当たり前のように使っていたのだ。
でなければ、あれだけ霊格の高いバケモノ(鬼神)の力を吸収して押さえ込んだりはできまい。
若返った分、力を取り戻せたという仮説も立つが、彼の言うように霊能力が魂の力というのなら、肉体年齢が若返ろうとピークを過ぎた魂の波動では元の力に戻るとは思えない。
「さっきも言ったが、奴のいた世界には神とやらが実在した」
「はぁ……」
「神々がいるのなら、神話は
我々にとってはフィクションだった御伽噺も、ノンフィクションの伝記だったという事になる」
「それが——」
「解らんか?
神話が“実話”だというのなら、神々は自分に近寄る人間を許しはしない。
何せ神の怒りで破壊されたバベルの塔が実在するらしいからな。
だが、奴は神々の助けなく、人間達だけの力で魔神の前に立ちはだかっている」
どうも要領を得ない。
いや、確かに神話では人間だけでは何もできない。
知恵を得る時ですら蛇(悪魔)の力を借りているし、火を得る時も神や動物達の力を借りているのだから。
「人は人の身のままではその壁を越えられない。
私だってこの力は吸血鬼に
それによって地力が跳ね上がったのだからな」
「それ……」
「横島は人の身のまま神域に入る事ができる。
我々が使うところの神域という“称賛”ではなく、本当に神の領域に入る事ができるんだ。
そ ん な 事 を 神 々 が 許 す と 思 う か ? 」
「——っ!?」
不用意に自分らのレベルに近寄る者を神々は許しはしない。
神々から試練を受け、死して初めて歩み寄れるのだから。
無論、例外はある。
一時的にその壁を突破する事を許される者達——
人の身でありながら怪物らと戦い、試練を突破し、歴史に名を残す者……
すなわち、<英雄>。
ただそれを成す為だけに人という枷が外され、用意された事件(試練)を解決し、最後に神の御許に行く——
結局は神の力は人智が及ばないところにあるという証を残して……
「アイツは件の事件の直前、唐突に力の上限が跳ね上がっているらしい。
それはおそらく、その魔神とやらに対抗する因子として選ばれ枷を外されたからだ。
でなければ、仮にも魔神等という超存在を相手にする事などできはせん。
だからこそ事件が終わったあとは枷が戻され、力の上限がガタ落ちになったのだろう。
そうでなければあれほど能力が落ちた理由が説明できん」
そしてこの世界には神々がいない。或いは遠い。
だから神が仕掛けた人の上限である枷がここにはない。
それだからこそ、ナギ等のような亜神クラスのバケモノ人間も生まれてくるのだろう。
「成る程……やっと拙者の頭でも理解できたでござるよ……
つまり、横島殿は向こうの<大事件>とやらのピーク時の力を使えてしまうということでござるな?」
「加えて言うなら、今も霊力は成長中だ」
「……」
極一部とは言え神の領域に手が届き、世界の理を書き換え、他者の努力や歴史までも我が物とする事ができ、尚且つ彼は彼自身のルールを変える事がないときている。
確かに危険人物とみなされるだろう。
例え魔法使い達の法に基づいてオコジョにされようと自力で元に戻りそうであるし、下手をすれば封印か処刑ものだ。
「……解っただろう?
私が聞きたかったのはキサマが奴にこのまま付いて行くかどうか……
いや、付いて行けるかどうか——その覚悟があるかどうかだ」
余りと言えば余りに重い事実を突きつけられ、それでも真っ直ぐエヴァの目を見つめ続けている楓に意味有り気な視線を返し、お代わりが入れられた紅茶を口にする。
紅茶本来の微かな苦味が甘く感じられた理由を……エヴァは一言も漏らさなかった。
****** ****** ******
濡れタオルをギュとしぼり、再度横島の額に置く。
何だかんだで彼の寝顔も落ち着いたものになっており、楓もホッとして彼の頬を伝う汗を拭った。
かのこが床の絨毯……かのこ用に茶々姉'Sが用意したもの……の上で丸まっているのだから、もう安心してよいだろう。
そして横島の寝言が落ち着く頃には、楓の表情からも硬いものが取れていた。
「全く……今更でござるよ」
呟きと共に笑みが零せるほどに。
あの時——
虚空に穴を開けて横島がこの世界に出現し、出会った時から既に楓はこの世界から見ても『不条理な世界』に踏み込んでいる。
そして横島と一緒に行動し、その人となりを知り、古と共に契約を結んだ時に覚悟は決まっていた。
でなければ殺戮人形と化した彼を止めようとは思わないし、彼の為に泣いたりしない。
それに出会った時から既にそういう能力を持つ人間なのだ。
正に『今更』である。
「……横島殿」
ふと、何気なく顔を寄せて彼の顔を覗き込む。
悪く言えば馬鹿面であるが、彼の本質を知る者特有のフィルターを掛けて見ると、愛嬌がある好ましい顔だ。
エヴァという強力な精神力を持つ魔法使いでも記憶の全てを見る事ができない過去。
彼女らが心が壊れていない事が信じ難いというほど、辛い過去を秘め、それを踏まえて絶対に曲げない信念を持った青年。
別荘内の偽りの月光を受けて映える彼のその顔は、贔屓目もあってか大人っぽさも増した良い男に見えている。
「横島殿……」
水に濡れた手を別のタオルで拭いていた手が止まり、彼の寝ているベットの縁にその手が掛けられた。
ギシリ、と質の良いベッドが軋むが気にもならない。
いや、音としてその耳に届いていない。
楓はゆっくりとその顔が横島に寄せてゆく。
覚悟も何も、エヴァに確認されるまでも無く横島に付いて行こうとあの日に決めたのだ。
彼が追われると言うのなら一緒に逃げるし、彼が戦うと言うのなら背を守り、或いは肩を並べる。
それだけの事だ。
甘さを力に変え、自分に振るわれる理不尽より、他者に振り下ろされる暴力に怒る男。
あのチャチャゼロですら心配するような傷を心に持っているくせに、他人の傷の痛みを見逃せない。
何と愚かで、何と愛しい性根をした馬鹿者だろうか。
だからこそ楓も目が離せず、心が惹かれている。
誇りなんて持っていないのに、誰よりも誇り高く感じてしまう彼に。
痛がりで弱虫なのに、いざとなったらどんな痛みも受け止められる馬鹿に。
ドスケベで考えなしで根性なしで小悪党。
——それでいて妙なところでモラリストで純情な彼の事を想い、その姿をつい追い続けてしまう。
だから今更それを曲げるつもりは無いのだ。
横島の顔を覆っている楓の影が、彼女の顔が近寄ってゆくごとに陰を強めてゆく。
それと共に横島の顔との距離がどんどん狭まってゆく。
一瞬、何時も細められている楓の目が開けられ、横島の意識が戻っていない事を確認するとゆっくりと閉じられる。
ここには、
二人しか、
いない——……
一瞬。ぴんっと かのこの耳が動くが、それは反射的なもので夢の中。元より邪魔をする事もないだろうし。
心を通わせ、信頼している眠ったままの主が、全く警戒心を持っていない楓に何をされようと……
いや、楓も気にしてはおるまい。
気になる以前に、かのこが傍にいる事すら意識の外なのだから。
一人の男性に意識が集中しているのだから。
だからもう——止められない……
そして——
「楓様?」
「 の わ ぁ あ っ ! ! ? ? 」
後数ミリ、という絶妙な位置で唐突に声が掛けられて彼女は思わず吹っ飛んで横島から大きく距離をとってしまった。
その勢いは凄まじく、かのこが飛び起きて何ナニなに!?!? 跳ね回って大いに慌てふためいてしまった程。
楓にしてはド珍しい激々しいリアクションであるが、何せ気配をまるで感じなかったものだから、その驚きも大きい。
『ぬぅっ 不覚!! 事故ちゅーしていれば……』
等と後日歯噛みしたそーであるが、それは兎も角。
「なっ、なっ!? え、ええっ!? ち、茶々丸殿!?」
「……の、姉に当たります。挨拶が送れて申し訳ありません」
「あ、いや、そ、そそ、その……」
よく見ると茶々丸より表情が硬いし髪の色も長さも違う。何より雰囲気が全く違うではないか。
つーか、いる事だけは知っていたはずである。一体どれだけ慌てているというのか。
そう、彼女はこの別荘を管理する侍女人形の一体(一人)。
先ほどぶっ倒れた横島を部屋に運んだ一人である。
だがそんな事を思い出せたとしても楓の焦りが治まる訳も無いが。
「横島様のお世話を仰せつかっているものですから……お邪魔でしたか?」
「い、は、え? お、お邪魔って……」
「いえ、今現に……」
——今、現に?
「え………?」
今、現に、何を——?
セ ッ シ ャ ハ ナ ニ ヲ シ ヨ ウ ト シテ タ デ ゴ ザ ル カ ?
「あ………」
かぁあああああああああああ……
「せ、拙者は——
拙者はぁああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………?!!」
びゅっ、といきなり旋風が舞い、楓の姿が消えた。
茶々丸の姉であるから、魔道人形。
よって超最新鋭センサー完備されていた訳ではないのでその速度に付いて行けなかった。
彼女(茶々丸姉)が気付いた時には、楓は遠くの廊下をけたたましく足音を立てて走り(転がり?)回っていた。
「拙者は、せっしゃわぁあああああああああああ〜〜〜〜っっっ!!!」
「何ダ?
アノ馬鹿忍者ノ叫ビガ聞コエタンダガ……」
「あ、姉様」
彼女が走り去った後、トコトコとチャチャゼロが歩いて来た。
魔力が多い別荘内だからこそ彼女も外よりずっと自力で動き易くなっている。
「コイツモ 何ダカ慌テルシヨ」
そう指差した先では、かのこは飛び出した楓を追うべきか、だけど彼を置いていくのは!? とジレンマで悶えていた。
チャチャゼロが『トリアエズ落チ着ケ』とデコピン入れるまでじたばたしていたが、
「何でもありません。
単に楓様が発作を起こされただけで……」
「発作ダァ?
何ダ、アイツ。狂犬病ニデモカカッテヤガッタノカ?」
等と首を傾げつつ、それでも然程気にはならないのか、気にもせず横島が寝ている寝台に歩み寄ってゆくと、それに
楓の方も心配なのだけど、やはり主の傍にいたいらしい。
「ヤレヤレ マダ寝テヤガンノカ。ダラシネー野郎ダゼ」
そう言ってはいるが、その声のボリュームは低く、呟く程度。
何時もの騒がしさは何処へやら。
そろりと静かに彼が寝ているベッドに飛び乗り、ズレた額のタオルを直しつつ枕元に腰を掛ける。
見た目もあるし、その看護っぽい行為も手伝って中々微笑ましい。
何時もの彼女の言動とのギャップもあるし、小鹿とアイコンタクトしつつ様子を見ているので三割り増しで可愛らしく見えているのもポイントだ。
ちょこんと枕元に腰を掛けて、かのこと共に場を離れようともせずに寝顔を見つめている様は、傍目には『とっとと元気になってくれねーとツマんねーぞ』『ぴぃ〜…』とかアテレコ出来てしまう程。
そんな姉達の行動を部屋の外から生あたたかい眼差しで見守りつつ、侍女人形は未だ楓の足音が響いている方向に軽く頭を下げ、
「……申し訳ありません楓様。
私は、私達は姉様の味方ですので……」
と、楓の羞恥を突いて追っ払った事をコッソリと詫びた。
結局——
楓は横島に対するテレ度を上げただけで、勇者(明日菜)不在なのが祟ったか(気持ち込みで)一歩も進めず、週末合宿は謎のストレスを溜めただけで終わってしまい、
帰還を果たした怒れる古に『のべ一ヶ月もの間、二人きりでナニしたアル——っ!!』と追い回され、真名には『力尽くでもアクション起こせ!! このバカ忍者!!』と意味不明な説教をされて散々だったらしい。
この週末、心身ともにリフレッシュできたのはネギと明日菜の二人だったという。
今回のネタは、横っちの異様な底力を私なりの理由付けしたものです。
グタグダでごめんなさい(土下座)。
次期竜王の一番家来だし、犬神(シロ)を弟子にして跪かせてるし、紀元前から数人しかいない猿神の弟子(みたいなもの)だし、戦女神に戦士として認められている……って、ホント煩悩具合を差っ引いて箇条書きにしたら英雄。流石だな横島君。
よくよく考えてみたら神様が実在する横っちの世界でも珍しいんじゃないかなぁ……
だからこそ、神話に当てはめたらこうなるんじゃないかと……いえ、厨が入った自己解釈ですが。
で、次時間目はついに参入します。
そう、〇と○と○○がw
手直しなのに長かった……
続きは見てのお帰りです。ではでは〜