カエンジシみたいな父を探しております。ついでにミアレも救います。 作:幽
優しい人であろうなんて考えたこともなかった。
ただ、いつかに、自分に何かを与えてくれた人に恥じない人でありたかった。
ただ、それだけの話だった。
己の腰をぐいっと引っ張られ、カヌスはおおっと驚きの声をあげた。
そこには、相棒のアブソルが心底呆れた顔をしていた。それに、女はにっかりとその紫の瞳を細めた。
料理人という職業のため、頭の高い位置でまとめられた黒い髪がまるで尻尾のように揺れていた。
絶世、とまではいかないが、そこそこ整った顔には愛嬌のある笑みが浮んでおり、人目を引いた。
「ふふん、安心しろ!今日も今日とて料理のコンディションは最高だ!」
高らかに告げたその言葉に、やはり、アブソルは本当に大丈夫か、こいつ、という顔をした。
一人と一匹がそんな風に話をしていると、からんと扉が開いた。
彼女のビストロに入ってきた男は、その厳めしい印象を受ける顔をほころばせた。男の姿に、女、カヌスはこれ以上無いほど嬉しそうな笑みを浮かべて歩み寄った。
「フラダリ、よく来たな!よし、席についてくれ!」
「ああ、わかったよ、カヌス。そんなに慌てなくていいから。」
フラダリは、どこか幼い笑みを浮かべてそう言った。
カヌスという女の人生は、そう、いいものではなかった。
彼女の母親は幼くして亡くなり、研究者であった父親は妻を失った心労により研究に逃げた。
カヌスは殆どお手伝いさんに育てられた。そうして、殆ど顔を合わせることもなく、父親は何かしらの研究のためにカロス地方に移り住んだ。
カヌスは、それにやはり、なんとも思えなかった。
なにせ、カヌスは友達もいなければ、己のことを育ててくれた人間とも上手く関係を築けておらず、どこに行こうともそう変わりはしなかったのだ。
少女の相棒というのが、アブソルであったために。
現在では俗説とされている、アブソルが災厄を呼ぶと言う話はカヌスが幼い頃は現役でそんなポケモンを相棒とする彼女は忌避されることとなった。
(父さん、そんなポケモンを相棒にしてるの赦してたんだよなあ。寛容だったのか、無関心だったのか。)
今となっては分かりはしないことだけれど。
幼くしてそんなポケモンを連れている子どもを周りは忌避し、遠巻きにした。けれど、カヌスはそれについてさほど悲観もしていなければ、怒りもなかった。
他人とはカヌスにとっては感情というものを向けられるほど近しくなるものはなかった。子どもにとっては、家族であり、何かしらの感情を向けられるのはアブソルだけだった。
だから、カヌスにとっては傷つくこともなく、日々というものを過ごしていた。
そんな変わりの無い日々が変わったのは、皮肉にも彼女の庇護者が死んだ時だった。
それにも、やはり、心が痛まなかった。
憎んではいなかった。されど、愛せてもきっといなかったのだ。
何よりも、カヌスにはアブソルがいた。
相棒さえいれば大丈夫。どこに行こうとも、誰に会おうとも。
けれど、少女が身を寄せてた家はそんなことを赦さなかった。高名な博士の子どもである少女に引き取った家の人間はそれ相応の期待を寄せていたのだろう。
けれど、カヌスはお世辞にも“よい子”ではなかったのだ。
その家での記憶を、カヌスはあまり思い出したくない。
良い子でないカヌスはそれ相応の扱いを受けた。
食事を抜かれることもあったし、心を踏みつけられることだってあった。
けれど、平気だった。
アブソルがいたから。
けれど、そんな時間は永くは続かなかった。
当時、アブソルが不吉なポケモンの代名詞であったために、大人たちは少女の側にアブソルがいることをよしとしなかった。
いいや、彼女の父親が死んだことさえも、アブソルのせいにされたのだ。
やめて、奪わないで!何もしてないのに!アブソルだけが私の側にいてくれたのに!
叫ぶ声さえも振り切って、ずるずると引き離されていく相棒の姿に絶望していたカヌスのもとに救いがあらわれた。
「止めなさい、子どもから相棒のポケモンを奪うなんて。」
そうやって大人たちを止めたのは、当時、彼女の父親を支援していたフラダリの父親である先代だったのだ。
アブソルを少女のもとに帰してくれた、赤獅子のようなその人は、穏やかにカヌスに告げた。
一緒に行こう。
生前、お父さんに頼まれていたんだ。もしも、自分に何かあったとき、君のことを頼むと。
(・・・・一応、あの人、私のこと考えてくれてたんだ。)
「カヌス、どうかしたのかい?」
「え、あ、うん?いや、なんでもないさ!」
「それならいいんだが。カヌス、大丈夫なのか?仕事、殆ど一人で回してるんだろう?」
「まあねえ。言って、ポケモン達も手伝ってくれてるし。大丈夫さ!あ、そうだ!そのスープどう?」
「ああ、なかなか刺激的な味だな。だが、それと同時に深みがあって、どんどん食べたくなるな。」
「マトマの実で作ったコンソメなんだあ。ポケモンも飲めるし、辛みが好きな子って多いからねえ。今度、メニューに載せようと思って。」
「君の新作を誰よりも先に飲めるなんて感激だ。」
「何言ってるんだ!君と、先代のおかげでここまで出来るようになったんだぞ!食事ぐらい、いっくらでも食べさせたるさ!」
にひひひと笑ったカヌスに、フラダリは穏やかな笑みを向けた。
それにカヌスは嬉しくなる。
目の前の男がそうやって笑ってくれるだけで、彼女の全てが報われる。
カロス地方というのはそこそこ貴族文化が残っている地方だ。
やはり、それ相応に階級というものの意識はあったりする。そんな中、違う地方の出身のカヌスとフラダリがこうやって親交を深めるのは、偏に、保護者のいない彼女を彼の家が引き取ったことに起因する。
カヌスは、正直、扱いにくい子どもであった。なにせ、友人もいなければ、家族ともろくな関係を築いていない。身近なのはポケモンだけという彼女は、非常にやんちゃで不躾な部分があった。
そんな彼女は見事に名士の家では浮いた。
仕方がない面は多々あれど、しつけがされていないわけではないが、社会性の育っていない子どもを使用人達は遠巻きにした。
何よりも、アブソルを連れた少女を歓迎するものなんていなかった。
いつものことだ。
アブソルの近くにいて、カヌスは危険な目に合った事なんてない。けれど、周りの人間にはそんなことは関係ないのだ。
だから、まるで、佇むように、誰にも気にかけられないようにそこにいた。
「ねえ、君。」
そうやって、シシコのような少年が訪れるまでは。
温和そうな子ども。
それがカヌスにとって最初の子どもへの印象だった。
今では威圧感と覇気の固まりのような男だが、当時はそれこそシシコのように可愛らしかったのだ。
言えば、何言ってんだこいつ、みたいな顔をされても。
家にやってきたカヌスとフラダリはすでに顔は合わせていたが、それも一度だけ名乗る程度のものだった。
名士の跡取りとして多くの教育を受ける彼と、当主の慈悲で家にやってきた厄介者が関わることはあまりない。
先代も忙しい人で早々会うこともなかった。そのためにカヌスとフラダリが会うことは殆ど無かった。
けれど、その日、与えられた部屋に突然フラダリがやってきた。カヌスはそれに何かしら思うことはなかった。
大抵の人間は部屋にいるアブソルの姿にそそくさと去って行くから。
けれど、驚くことにフラダリはそんなことに臆すことはなく、どさりと、カヌスの前に山盛りの紙の束を差し出してきた。
なんだなんだと紙の束を見つめるアブソルとカヌスにフラダリは淡々と告げる。
「ここ最近のアブソルに関する論文なんだけど・・・・」
フラダリは論文の束を用いて、とつとつとアブソルと災厄が無関係であるか、実は、災厄を教えに来たのだと言うことを語り始めた。
「・・・・なあ。」
「ごめん、早口過ぎたかな?」
「ううん、えっと、その。話の内容はわかるんだけど。急に、どうしたんだろうかって。」
「だって、君、アブソルのこと気にして外に出られないんだろう?」
当たってもいるし、違うとも言えた。カヌスは困ってしまって黙り込む。フラダリはそれを了承だと感じたのかうんと頷いた。
「だから、アブソルはそんなに危険じゃないって分かれば、君も外に出てくるかなって。でも、資料を探すのに手間取ってしまって。」
遅くなって申し訳ないとそう言ってしょぼくれた顔をしていたものだから。
そうだ、その時、カヌスは本当に久方ぶりにけらけらとまるで、子どものように笑えたことを覚えている。
「フラダリ、君ってさあ。本当に、バカ正直だなあ!」
そんなカヌスの言葉にフラダリがきょとんと不思議な顔をしていたことを、ただ、覚えている。
カヌスにとって、家族の定義とはアブソルだけだった。
アブソルだけがひとりぼっちの子どもに寄り添い続けてくれたから。だから、アブソルのことを疎う世界なんてずっと敵だった。
なのに、突然現れた少年は、まるでそんなこと存在しないかのようにバカ正直にカヌスの手を取ってくれた。
それが、きっと、カヌスにとっての善性の起点になった。
与えられたのだと思う。
フラダリは、忙しい中でよくよくカヌスのことを気遣ってくれた。
立場の違いで離れるはずだったのに、フラダリはずっとカヌスの手を掴み続けてくれた。
いつかに、聞いたことがある。
「フラダリはさ、なんでまたそんなに私に構ってくれるの?」
「なんで?」
「だって、君、私と違って忙しいだろ。勉強もあるし、シシコの世話とか、家のことでパーティ出たりとかさ。」
なんで、と素直に、そんなことを聞いたカヌスにフラダリはこれまた不思議そうな顔をしていた。
「・・・・いたいから、いるのは、だめ?」
いつも大人びた少年がとても幼くそういうものだから、カヌスはやっぱり笑うしか出来なかった。
与えられたのだと思う。
それはもちろん、衣食住とか、そういった生活に不可欠なものはもちろんだけれど。
それ以上に、人として生きていくための確固たる芯と言えるものを。
誰かと尊び、信頼し、歩み寄り、共に歩いて行くと言うこと。
フラダリとは、カヌスにとって初めて信じられる人間だった。
カヌスという存在へ初めて歩みより、手を取ってくれた人。
だから、カヌスは恩を返したかった。
笑っていて欲しかった。
自分の相棒を受入れてくれた少年、自分の側にいてくれた男の子、自分に居場所をくれた君。
そんな君には、悲しいことも、苦しいことも降り注ぐ事なんてなくて、ただ、幸福が、色とりどりの花だけが降り注ぎますようにと、そう願ってやまなかった。
けれど、カヌスには残念ながら彼に与えられるものなんて欠片だって存在しなかった。
父のような頭脳を持っているわけでもないし、家柄も、財産も、カヌスにはなかった。
カヌスに出来るのなんて、一人で行動するようになってから手についた料理ぐらいだった。得意だったポフィンを作って、よくフラダリやシシコ、拾ってきたらしいコイキングに食べさせてやったことを覚えている。
けれど、それだけだった。
せめてと得意な料理をして、食事を用意することは出来たけれど、フラダリの近くには自分よりも優秀な誰かがいて。
だから、せめてと思った。
自分を拾ってくれた、カエンジシのような彼らに恥じない人であろうと。
彼らのように多くを与えられはしないけれど、泣いてる誰かに手を差し出して、転んだ誰かに駆け寄って、困った誰かに声をかけられるような。
自分が出来ることを、できるだけするような、そんな誰かになろうと。
(まあ、そんなことを思っても理想にはほど遠いけれど。)
カヌスは早々と自立のためにミアレの町に住居を構え、とあるレストランで修業を始めた。それに平行して、ポケモン食の勉強をして、なんとか小さなビストロを構えるまでに至った。
自分の力だけで、とは思いはしたが、ビストロの場所などはフラダリに紹介してもらっているのだから情けないのかも知れないが。
それでもなんとか、固定客もつき、細々とでもやっていけている。
「・・・なあ、カヌスのねーちゃん!」
「なんだい、ちび助?」
その言葉に、濃い紫の髪をした少年が顔をしかめた。
「ちびゆーな!」
それにカヌスはけらけらと笑って、子どもの、カラスバの頭をぐりぐりと撫でた。
「ははははは!私の背を越さない限りがちびのまんまだな!ほら、仕事は終わったのかい?」
「皿洗いは終わった!」
「おし!なら、飯にするぞ!今日は肉多めのサンドイッチだぞ~」
その言葉にしかめっ面の少年は顔を輝かせてカヌスの後をついていく。肉、肉と嬉しそうな声にカヌスは顔をほころばせた。
本来なら、彼女は孤児、というか、庇護者を持たない子どもに関わることはあまりない。それは、偏に彼女だけでは抱えきれるだけのキャパを持っていないと自覚があるせいだ。
けれど、気になる子どもというのは存在した。
ふてくれされた、この世全てが敵だと、そんな風に思っている顔がいつかの自分に特に似ているから。
やることなんて、ビストロに招き入れて、食事をさせて、話をすることぐらいだった。
そういった子どもの話を聞き、フラダリに支援先を紹介してもらうぐらいだろうか。
けれど、目の前の少年は少々毛並みが違った。
親がいないとはいえ、きちんと自活して生活しているのだ。故にカヌスは子どもに無理に庇護者を求めさせようとはしなかった。
生きていけるなら、誇りを持って生きていく方がいいのだと思う。それは、当人にとって生きていく力になることをカヌスは知っている。
けれど、やはり、どこか心配になるためにビストロの掃除やら雑用をする代わり、昼飯を食べさせることで細々とした交流を続けている。
(まあ、こいつの目的は・・・)
「なあ、ねーちゃん、フラダリさん、元気しとった?」
これなのだ。
「元気にしてたよ。新作のスープ飲んで、ブースター散々もふもふして帰ってってたよ。」
「ブースター?やっぱ、フラダリさん、炎タイプ好きなんかな?でも、ギャラドスもつかっとるのかっこええんよなあ。」
「うーん、カエンジシは、元々先代様から貰ったシシコだから思い入れはあると思うけど。ただ、ギャラドスは、あいつが初めて捕まえたポケモンだからね。」
「そうなん!?」
「そうそう、うちのミロカロス知ってるだろ?あいつがヒンバスだった、同時期ぐらいに捕まえたんだよ。」
そうなん!?とカラスバが目をキラキラさせてボールの中のコイキングに話しかけている。カヌスの腰に付けられたボールの一つがかたかたと揺れた。
おそらく、大きさ故に店内に出せないミロカロスが反応しているのだと予想する。
「ロゼ?」
「ブー?」
「いや、何でも無いから。食べてていいよ。」
カラスバが騒ぎ出したのに反応して、手持ちのブースターとロゼリアがなんやなんやとわらわら集まってくる。
が、カヌスのそれに、なんでもないのかとまた食事に戻った。
他の手持ちであるアブソルやルカリオ、そしてオンバットは気にもとめずに食事をしている。
いや、オンバットはブースターたちが帰ってきたと同時に、はっと気づいて自分の元に駆け寄ってこようとしていた。
カヌスはいらんいらんと手で合図した。
カヌスの手持ちは基本的に、彼女の料理に釣られて手持ちになったものばかりなため、基本的によく食べるのばかりだ。
「なあ、そういや、姉ちゃん。」
「うん、なんだい?」
「そう言えばなんやけど、前にいっとったポケモンどうするん?」
「ああ、あの、緑色の、ちっこい子?まあ、時々来て、新作のポケモンフーズの試食して貰ってるんだけど。」
「手持ちにするん?」
「うーん、私はもうすでに手持ちが一杯だからね。というか、あの子のタイプさえわからないし。本当に手持ちに入りたがってるなら、他の誰かを探すよ。」
「俺に任せてくれても構へんで!」
「うーん、君、虫タイプと、コイキングぐらいしか扱ったことないでしょ?見たことない子だから、扱いにくいタイプだと大変だぞ。」
「まかせえや!俺、フラダリ様とか、ねーちゃんみたいに強くなるからな!」
少年の小生意気な返事にカヌスは呆れたように、困った顔をして、おかわりいるかと微笑んだ。
そんなことをしつつ、時折やってくる、名前も分からないぷにぷにとした若草色の小さなポケモンのことを考えた。
まあ、カヌスの生活なんてそんなものだった。
普通の、ミアレシティの片隅で堅実に生きて、自分と同じような拗ねた顔をした人間に食事を振る舞って話を聞く。
そうして、彼女の楽しみであるフラダリの食事のために新メニューを考える。
そんな生活をしていた。
その日も、カヌスは不定期なフラダリとの食事会のために店を閉めて準備に勤しんでいた。
不定期な食事会は、カヌスが独り立ちした折に、フラダリとした約束だった。その時には、先代が逝去して久しく、使用人達も入れ替わりが進み、幼い頃を知るのも自分たちだけになってしまった。
だから、こそだろうか。フラダリはカヌスが家を出ていくのに最初は否定していた。けれど、カヌスも大人として独り立ちをしたいと希望したことで頷いてくれた。
代わりに、不定期でもいいから、顔を合わせて近況を伝えることで落ち着いたのだ。
カヌスも、店を持ってからは数少ない胸を張れる食事をフラダリに振る舞えることが楽しみだった。
そうして、食事が終われば、子どもの頃のように二人でバトルをしたり、日々のたわいのないことを話して終わる、
こんなに自分にとって得なことばかりでいいのだろうかとカヌスは考えていた。
なにせ、カヌスは、フラダリのことがとても好きだったのだ。
恩人で、家族で、自分の手を取ってくれた人で。
だから、そんな人が大人になっても自分に構ってくれることが嬉しくて仕方が無かった。
自分では、フラダリとこのまま関われるような立場も、力も、魅力も、能力は無いことは分かっていた。
(・・・・ずっと。)
子どものように遊んでいられれば、バトルをしたりできれば。それだけでよかったのに。
でも、そうはいかないのだ。
何せ、恩返しなんて大仰なこと、当分無理そうだと自覚はあったために、ささやかでも食事を振る舞えるのが楽しみだった。
(この頃、フラダリ、なんか疲れてるんだよなあ。仕事、やっぱ忙しいのかな?そうだ、滋養強壮に効きそうなものでも考えてみようかなあ?)
それは、ただの思いつきだった。急遽、疲労回復が出来そうなレシピを用意しようと一人で買い足しに出たのだ。
その時、カヌスの失態は、慣れた町だとポケモンをビストロにおいて出てしまったこと。そうして、近道だと路地裏を通ったこと、それをずっと後悔している。
端的に言えば、襲われたのだ。
それも、襲った人間達はカヌスがフラダリと親しいことを知って、あわよくば身代金を取れないかと画策した人間がいたらしい。
何て言っても、カヌスには全てどうでもいいことだった。
ただ、彼女は暗がりに引きずり込まれ、数人の男達に思いっきり体を押さえつけられた。
幸運なのは、女として最悪なことにならなかったことだろう。
元々、肉体的に優れていたおかげで、カヌスは隙を突いて男達を振り払い、近くにあった石で殴打などをして逃げ出した。
そうして、もう一つ幸運だったのは、カヌスのピンチにフラダリ本人が駆けつけたことだろう。
早めにビストロについたフラダリは、己の主人の異常に気づいたらしいルカリオに連れられてきた。
カヌスは、なんとかフラダリの元までたどり着いたと同時に緊張の意識が切れたことと、追いかけれている最中にポケモンに攻撃されたことが原因で気絶した。
気づいたのは、病院でのことで、自分とは縁のなさそうなホテルのような内装だったのを覚えている。
そうして、眼を覚ました自分の元にやってきた、ぞっとするほど優しい笑みを浮かべたフラダリのことを、ただ、覚えている。
フラダリはいつも通り、穏やかで、困ったかのような顔で笑っていることが怖かった。
何せ、フラダリは怒るときはちゃんと怒りの意思を見せてくれていた。
けれど、その時、フラダリは淡々と、それこそカヌスが襲われた理由だとか、そういったこともとても静かに語って。
けれど、カヌスには理解できた。
その、青い瞳がまるで焔のようにめらめらと揺れていることがわかったから。
だから、自分を襲った人間がどうなったのか、まったく聞けなかった。
カヌスは身体に異常が無いことがわかると、そうそうにフラダリの屋敷に、古巣につれて帰られたし、店も当分は休業するようにと言われた。
「いや、でも、せっかくよく来てくれる人も出来たし。今度は、手持ちを置いていくなんてことしないからさ!ほら、私、バトルが強いの知ってるだろ、だから・・・・」
「カヌス。」
けして、認められない。
冷たい声で、怒りのにじませた顔で、悲しみの混ざった目にカヌスは黙り込むことしか出来なかった。
怒りをにじませたフラダリを怖いと思ったことはなかった。ただ、自分のせいでフラダリがとても傷ついていることが申し訳なく、悲しかったのだ。
「・・・・安全が保証されるまでだ。それからなら、いくらでも仕事をしていいから。」
その言葉にカヌスは頷いた。
古巣での生活は快適だった。
家が家なので、身の回りのことを使用人がしてくれるし、フラダリはカヌスに好きなように過ごさせてくれた。
自分の心配のせいで拘束するのだからと、フラダリは好きに使って良いとカヌスにお小遣いまでくれた。
もちろん、申し訳なかったのだが、フラダリがこっそりと。
「・・・・その、カヌスが家にいるのなら、君の作った食事を食べたいと思っていてね。私の手持ち達も君の食事を好んでいるのは知っているだろう?」
その分の代金だと考えてくれ、
そう言われれば、カヌスの沈んだ気持ちも一気に上向いた。
せっかくだ。そのお小遣いを資金に、新レシピを作ってやろうじゃないか。
お望みだ、昔なじみのカエンジシやギャラドスたちように炎タイプや水タイプが好みそうな食事を作るのもいいだろう。
(隔週とかで、ポケモン用のランチとか作ってもいいかもなあ。)
少しだけ長い休み、そうだ、きっとそんなものだ。今まで散々に働きづめだったのだ。少しだけ長い休みを取る、それだけの話、なのだ。
待てども、暮せども、フラダリがそのことを話すことはなかった。カヌスがそれについて話をしようとしても、話をすり変えてしまうことばかりだ。
それを抜けば、確かに古巣での生活は幸せだったのだ。
毎日ではないとはいえ、帰ってきたフラダリに自分の食事を食べて貰い、昔なじみのカエンジシたちと、自分の手持ちが遊ぶのを眺め。
フラダリが特に気に入りのコーヒーを入れてやった。入れ方はきちんと伝えていたが、フラダリはカヌスに入れて貰いたがった。
けれど、これではだめなのだ。
与えられてばかりではだめだ、カヌスはずっと、恩を返す人間でありたかったのだ。
「なあ、フラダリ。あのさ、そろそろ、店を再開しようと思ってるんだけど。」
恐る恐るそう告げたカヌスにフラダリは穏やかに微笑んで、読んでいた本を閉じた。
丁度、二人はフラダリの私室にいた。
まだ、寝るには早い時間で、カヌスは今日こそはとフラダリの部屋に突撃したのだ。
何か、研究に必要だと読んでいた本を片手にしていたカヌスは、恐る恐るでフラダリに告げた。
「・・・カヌス、まだ、店の周りの安全が保証できないんだ。」
「いや、そうは言っても、そろそろ再開しないと!お客さんだって心配してるだろうし!」
脳裏には、伝言だけは残せたとは言え、痩せ細った少年のことが脳裏に浮んだ。
親しくしていた食品店の店長に、雑用係として紹介してきたので、そこまで心配はしていなかったが。
それはそれとして、やはり、自分の生活を再開したいという思いは膨れ上がっていた。
「今度はさ、ちゃんと、ポケモン達のことも連れていくし!だから、あの、大丈夫だから・・・・」
なんとか説得しようと言葉を重ねてなお、うろうろと視線が動く中、フラダリはゆらりといつの間にかカヌスの前に立ち、そうして、女の顔を両手で覆った。
「・・・カヌス。」
「あ、だから、な?」
「ずっとここにいればいいじゃないか?」
「え?」
予想外の言葉にカヌスは目を見開いた。
「・・・・別段、好きなことをしちゃいけないってわけじゃない。今まで通り、私の帰りを待って、食事を共にして、この家でくつろいでくれたらいい。そうだな、外出も、誰かしら供がいるなら構わないから。」
これ以上無いほど優しい声なのに、なにか、その、いつだって目が眩みそうなほどに美しい青の瞳が、何か腐敗したように濁っていて。
それが、何か、今まで覆い隠されていた何かが自分によって漏れ出したようで恐ろしかった。
「ねえ、カヌス。君は幸せだったでしょう?君のしたかったことを好きにしても構いません。ただ、ここにいてくれればそれだけでいいから。」
だから、とフラダリはカヌスにそう告げる。
カヌスはそれに頷きそうになった。
なにせ、その目が、らしくないほどに濁る瞳が、フラダリの不調の証のようで。
全てを否定した時、それこそ、フラダリを何らかの形で傷つけるのが怖かった。
けれど、それと同時にカヌスのプライドと呼べる何かがだめだろうと叫ぶ。
カヌスは自分の顔を覆うフラダリの手から逃げるように這いだして首を振る。
「い、いや、フラダリ、考えてみろよ!私と君は、そりゃあ、昔なじみで、私もここで育ったさ!いつまでもお世話になりっぱなしじゃだめだろ?私だって大人だし。自衛の手段だって考えるから!アブソルたちだっている!だから、心配するなよ!」
心配しているのだ、きっと。この優しい、生真面目な昔なじみは。なら、安心させてやろう。そうだ、ちゃんと一人で立たなければいつまでもフラダリに頼ってはいられない。
君の重みになんてなりたくない。
だから、とカヌスは必死に口を動かす。
「だから、フラダリ。そろそろ、私はここを出て行くよ。君と私は、それでもやっぱり他人で、ここまでしてくれることはないんだから。」
カヌスはそう言った。そう言って、上を見上げたとき、心底それを後悔した。
「・・・他人じゃなくなれば、頷いてくれるのか?」
ぎちりとカヌスの腕をフラダリは掴んだ。骨が軋みそうなほどの力にカヌスは痛みを覚えた。
「なら、カヌス、恋人になろう?そうすれば、少なくとも他人じゃないはずだ。」
「ふ、フラダリ、何言ってるんだよ?君、私の事なんて、そんな風に思ったことないだろう?いくら何でも、なんとも思ってない人間に、そんなこと言うのは、少し、不誠実、だろう?」
カヌスはそう言って、視線をうろつかせる。
何せ、フラダリが何故、そこまで言うのか理解が出来なかったのだ。
けれど、フラダリはそれに対して特別な動揺を見せることなく、小さく笑みさえ浮かべて無理矢理にカヌスの唇に己の唇を重ねる。
普段の行いからは考えつかないような行動にカヌスは固まり、されるがままだった。
拒絶すればいいのだろう。
嫌だと、止めてくれと、そう懇願すべきだろう。
けれど、カヌスには出来ない。そんなことをしてフラダリを傷つけることのほうが嫌だった。
何よりも、だ。
散々に好き勝手にされて顔を真っ赤にさせたカヌスから顔を離した後、なんだか、とても、薄暗い笑みを浮かべていた。
「ほら、これで他人じゃないだろう?」
カヌスは、フラダリに恋していたかはわからない。
ただ、なし崩しのような恋人になった後、カヌスはフラダリに何をされても嫌ではなかった。
本音を言えば、嬉しかったのだ。
何も出来ない、それこそ、野良犬のような出身の自分にフラダリが求めてくれることがあるのだと。
けれど、それと同時に、フラダリにカヌスは変わること無く店の再開の話を続けた。けれど、フラダリはそれをやはりのらりくらりと避けていく。
時にはベッドに引きずり込まれることさえあった。
不幸ではなかったのだ。
自分の恩人、優しい人、そんな彼が望むのなら、それでもよかったのかもしれない。
けれど、それと同時に、カヌスはどんどんフラダリの目が淀んでいくのを見ていた。
フラダリは、カヌスの前ではできるだけ微笑んでいたけれど、時折、あの淀んだ瞳をしていることがあった。
カヌス、何故、世界はこんなにも醜いのだろうか?
与えられることに慣れた人間達は、どうしてあんなにも醜いんだろうか?
限りあるものを奪い合い、自分自身が与えられる人間になろうとしない。
カヌス、何故、どうして、皆、君のようになれないだろう?
カヌス、君はここにいてくれ。君は、君のまま、醜くならずに、穢れることもなく。
「カヌス、変わらないでくれ。」
懇願の声がした。
いつだって、誇り高く、優しい、カヌスの昔なじみ、大好きな人。
君が笑ってくれるなら、どんなことだってしてもよかった。よかったのに、なのに、カヌスは、フラダリの目が恐ろしかった。
どんどん淀んでいくその瞳が、何か、変わっていくようだった。
けれど、カヌスにはどうすればいいかわからない。フラダリは仕事のことや、外のことを語ってくれないため、何がそんなにフラダリを苦しめているのか分からない。
けれど、自分がそこにいるだけで、フラダリが喜ぶなら、どうなってもよかった。
「アブ!!」
それを、とめたのは、長年の相棒であるアブソルだった。
思考をとめ、気力を削いでいくカヌスの様子に、アブソルは叱るように吠えた。
置いていくのだろうか?
あの人を、軋むような、あいつを。
けれど、カヌスの脳裏に、言動がおかしいフラダリのことを考える。
距離を、置かなくてはいけない。
カヌスはようやく重い腰をあげて、フラダリの屋敷から逃げ出した。
カロスにいれば、フラダリの影響力からは逃げれられない。どうせ、自分の店はフラダリの影響は免れない。
ならば、と。
カヌスは思い切って、母の故郷であるジョウト地方に移り住んだ。
幸いというべきか、ずっと放置していた父の遺産がこのとき役に立った。
時間をおいて連絡しよう、そうだ、互いに頭を冷やすべきだ。
あの箱庭の中での自分たちはあまりにも不健全だった。
そう思っていたのに、カヌスはそのままずっとフラダリに連絡が出来なかった。
子が、出来てしまったのだ。
誰の子かなんてわかりきったことだった。
その時、カヌスはフラダリに連絡する勇気が出なかった。
きっと、優しいフラダリは責任を取ってくれるだろう。けれど、彼の家は、親戚は、ただの料理人だったカヌスをフラダリの妻として認めない。婚姻をする前に子を作った自分を、いいや、子どもたちはどんな扱いを受けるだろうか?
どうしても、嫌だった。
フラダリ、カヌスの輝かしい人生を歩む、恩人、大好きな人。
彼の人生に泥を塗ることが赦せなかった。
堕ろすなんて選択肢がなかったカヌスは、それでも産まれた双子を一人で育てた。
いつか、話をしなくてはいけないと、そう、分かりながら。
ずるずると、子どもたちを育てた。
そうして、あの日が訪れた。
美しいパレードを歩く子どもの姿があった。
画面の中で、色とりどりの紙吹雪が舞っていた。
それに、涙がぼたぼたと流れ落ちる。子どもたちが不安そうに、どうしたのと背中をさする。
崩れ落ちて、それでも、画面を見つめる。
(・・・・あの、紙吹雪は、誰が片付けるんだろう。)
あんなにも美しいのに、それでも、地に下りればゴミになりはてるのだ。
それが、とても悲しかったことを、カヌスは覚えている。
自分が違う選択肢をすれば良かったのだ。
怖じ気づいて、向き合うことが出来なくて、立場を言い訳に逃げ出したから。
何もかも、どんなことをしても、側にいて。
あんなことをするぐらいなら、殴り飛ばしてとめてやればよかった。
優しい人だから、知っているから。
あんなことをするまでに、どれだけ苦しんで、のたうちまわったのか。
私が、もっと、違う選択肢をしていれば。
そんな後悔ばかりしていたせいだろうか。
旅に出ます。
そんな書き置きを残して消えた双子の子どもたちが、ミアレを救ったと連絡が来るなんて思いもしなかったのだ。