1
胸に抱いた紙袋から、程良い匂いが漂って来て、適度に食欲を刺激される。
佐々木志乃は浮き立つ足を抑えきれず、笑顔を浮かべて自分の教室へと向かう。
手の中の紙袋には、エステーラ限定のシュガーリーフパイが4枚入っている。
お台場近辺で露天販売している物で、程良い甘さととろけるような触感が爆発的な人気を呼んでいる焼き菓子は、あまりの人気の為、タイミングが悪いとすぐに買い逃してしまう程である。志乃が今日、4枚手に入ったのは全くの偶然と言って良かった。
これを親友と一緒に食べる時が、志乃にとっては、この上なく至福の時間となる。
間宮あかり。
志乃にとっての一番の親友である。
出会ったのは今から半年前であり、まだ2人とも中学生だった頃、共にインターンとして武偵校に通っていた時だった。このリーフパイの事を志乃に教えてくれたのもあかりだった。
「あかりちゃん」
その名前を呼ぶだけで、心の奥が暖かくなるのを感じる。
早く、一緒に食べたい。1秒でも早く、あかりの顔を見たい。
そう思うと、自然と足は速くなる。
因みに、一応、他の友人2人の分も買って来たが、志乃にとっては、ぶっちゃけそれはおまけに過ぎない。
本命はあくまであかり。彼女さえ一緒にいてくれたら、他には何もいらないとさえ思っていた。
教室のドアを開けると、目当ての人物はすぐに見つかった。
あかりは、友人であるライカ、瑠香の2人と、何やら興奮気味に話こんでいた。
はやる気持ちを抑えきれず、志乃は足早に近づいて行く。
「あかりさん。エステーラの限定シュガーリーフパイが手に入りましたよ」
一緒にどうですか、と言い掛ける志乃。
しかし、その声は、当のあかりの興奮した声で遮られた。
「そっか!! アリア先輩、使ってくれたんだ!!」
その言葉に、志乃は思わずピタッと足を止めた。
「アリア・・・・・・先輩?」
その単語は、ここ最近、志乃にとって、最も忌むべき物となりつつあった。
神崎・H・アリア
強襲科2年の先輩であり、最近になってあかりと戦姉妹契約を結んだ人物だ。
「あっ 志乃ちゃんッ」
そこでようやく、志乃の存在に気付いたあかりが笑顔を向けて来る。
どうにか気を取り直して、志乃も話の輪の中へと加わった。
「今朝、第二グランドで爆弾事件あってさ。たまたま現場の近くにいてさー」
「そんな事あったんだ。あたし、その時大井にいたから全然気付かなかった」
ライカの話を聞き、瑠香は感心したように呟いた。
戦兄の友哉が請け負っていた任務が、今朝方ようやく完了したのだが、ちょうど爆弾騒ぎがあった時間帯、瑠香は学園島を挟んだ対岸で、別の捕物任務に当たっていたのだ。
「アリア先輩がね、被害者をパラグライダーで救出したんだって。それね、実はあたしが縫った奴なの! アリア先輩の為に!!」
一言毎に、あかりの興奮が増して行くのが判る。憧れの先輩の戦妹になれたのが、よほどうれしいのだろう。
それは瑠香にも判る。瑠香自身、友哉の元で戦妹認定試験を行い、合格した時はとても嬉しかったから。
「アリア先輩の、為に・・・・・・」
あかりの興奮とは対照的に、志乃はどんどん自分の気持が冷めて行くのが判る。
あかりが先程から、アリアの話しかしない事が、ひどく気に入らなかった。
だが、そんな友人の変化にも気付かず、更に興奮したあかりは、机に足を掛けて両手を飛行機のように広げる。
「そう! 空からバーッと、セーブ!!」
「こらこら」
「ちょっ、あかりちゃん、見えるってばッ」
ライカと瑠香が窘める中、武偵校特有の短いスカートが危ないめくれ方をする。
しかし、今のあかりには、それすら些事に過ぎないようだ。
「アリア先輩、かっこいい!!」
「・・・・・・・・・・・・」
そんなあかりの様子を見ながら、志乃は、どうにか心を落ち着かせる。
そう、アリアが何だと言うのだ。いくら戦姉だからと言って。あかりは自分の親友だ。どんな存在だろうと、親友に敵う筈がないじゃないか。
深く呼吸をして気を落ち着かせると、改めて笑顔を作り言った。
「よ、良かったですね。じゃあ、もう帰りましょう。一緒にこれでも食べながら」
そう言うと、良い匂いが漂ってくる紙袋を掲げて見せる。
ここにアリアはいない。だから今の内に、巻き返しておくのだ。
「おおっ リーフパイ!!」
「わっ これ、エステーラの限定品の奴じゃん!!」
食いついて来るライカと瑠香。
だが、
「あ、ごめん、今日はダメなの。これから忙しくて、すぐ行かなきゃいけないんだ」
志乃の本命であるあかりは、すげなく断って来た。
「アリア先輩の外泊用の荷づくりしなきゃいけないの」
そう言うと、あかりは恥ずかしそうに頬に手を当てて悶えている。自分の外泊でもないのに、今から楽しみでしょうがない、と言った感じだ。
「・・・・・・・・・・・・」
またしても、アリア。
志乃の中で、再びどす黒い感情が浮上してくるのを止められなかった。
そして、とどめとも言うべき一言が、あかりから発せられた。
「それに今、あたし、お菓子NGなんだ」
「え・・・・・・」
「先輩と一緒にお風呂入った後で、体重コントロールを命じられたから」
「お風呂」と言う言葉は、志乃の胸に無形の槍となって突き刺さった。
親友が特大のショックを受けている事も気付かず、元気に手を振って出て行くあかり。
それを見届けた後、志乃はとうとう堪え切れずに、その場に崩れ落ちる。
「おっと」
志乃の手から零れ落ちた紙袋を、ライカは落下寸前でキャッチした。
「あかりの奴、今朝からアリアさんの話ばっか。よっぽど好きなんだな」
「ほんとだよね。何か、見てるこっちまで嬉しくなるよ」
袋の中身を漁るライカに同意しつつ、瑠香はチラッと視線を志乃に向けた。
だが、志乃は何事かを思案するように拳を固く握った後、くるっと踵を返した。
「あれ、志乃ちゃん、帰るの?」
「は・・・・・・はい。気分が、ちょっと・・・・・・」
そう言うと、本当に青ざめた顔をして教室を出て行く志乃。
その背中を、瑠香は心配そうに見送る。
「何か、志乃ちゃん、様子おかしく無かった?」
「ほーか? いふもどほりだとおもったへどな」(訳:そうか? いつも通りだと思ったけどな)
と、リーフパイを口に頬張りながら、ライカが答える。
「ちょ、ライチー、全部食べないでよッ あたしも食べるってば!!」
言いながら、慌てて紙袋の中に手を突っ込む瑠香。
この時の事を、瑠香はすぐに忘れてしまい、記憶の片隅に追いやってしまった。
しかし、僅か数日後に、否応なく思い出してしまう事になるとは、思いもしなかったのであった。
2
それから数日が経った。
自分の腹の虫が鳴り、斎は今がちょうど昼時である事を悟った。
時計を見て、
次いで舌打ちする。
「・・・・・・しまった。熱中し過ぎたか」
時刻は既に1時を回っている。
調べ物に夢中になるあまり、時間が経過するのも忘れてしまっていた。
始業式から数日経ち、武偵校も本格的に活動を開始している。当然、周囲は結構な喧噪に満ちているのだが、そんな事も気にならないくらいに熱中していたようだ。
前髪をかき上げながら、悲鳴を上げる腹に耐える。
場所は武偵校の図書館だ。ライブラリ施設を使用して、過去の事件の検索をしていたのだ。
めぼしい物がいくつか散見できた。どうやら、斎が追っている組織は日本の近傍でも活動していた時期があったらしい。勿論、巧妙にカムフラージュはされていた為、見付けるのに時間が掛ったが。思わず昼食を忘れるほどに熱中してしまったのは、そう言う事情からだった。
「・・・・・・さて、昼はどうしようかな?」
正直、今日は家に帰ってから、何か作って食べようと思っていた為、弁当の準備はしていない。
今からコンビニに行っても、めぼしい物は売り切れている可能性が高い。かと言って、今から家に帰り、食事の準備をするのも億劫な話である。
どうしようか思案に暮れていた時、ポケットの中にある携帯電話が着信を告げた。
液晶を見ると、「愛那」と書かれている。
それを確認すると、足早に廊下に出る。周囲に殆ど学生の姿は無いとは言え、一応のマナーとして、室内での通話は避けようと思ったのだ。
しかし、と首を傾げる。
愛那が一体何の用だろう? 彼女は今の時間は、小学校に行っている筈だが。
静かに扉を開けて廊下に出ると、携帯電話の通話ボタンを押して耳にあてた。
《あ、もしもし、お父さん?》
愛娘の明るい声が聞こえて来る。何か弾んでいるような感じだ。
娘の声を聞き、自然と口元に笑みを浮かべながら受話器に向かってしゃべる。
「愛那、どうしたの、学校は?」
《うん。それなんだけどね。今日は午後から、先生が臨時の御用があるから、お休みって事になっちゃったの》
「ああ、そうなんだ」
愛那が通っているのは、東京武偵校附属小学校だ。「附属」と銘打たれているように、敷地も学園島の一角にある。ただし、教育方針としては普通の一般小学校と変わり無い。流石に、小学生の時分から武偵としての英才教育を施すような事はしていなかった。
愛那が帰って来るなら、ますますもって帰らない訳にはいかないだろう。
そう思って口に出そうとして、ふと、ある考えが浮かんだ。
「そう言えば愛那、お昼ごはんは食べた?」
《ううん、まだだよ。だから電話したの。お父さんに準備してもらおうと思って》
こう言う所がしっかりしているのは、きっと母親に似たのだろう。お陰で斎は、普段の生活でも色々と助かっている部分が多い。
とは言え、今回は困った。斎もこれから帰宅である。今から帰って支度するとなると、時間がかかり過ぎる。自分1人なら何とでも我慢のしようがあるが、愛那にまで空腹で待たせるのは気が引けた。
そこで、ある事を思いつき、口元に微笑を浮かべた。
「そうだ、愛那。今から、何処かに食べに行こうか?」
《え、お外で食べるの?》
「うん。お父さんもちょうど、今から帰る所なんだ。だから家で食べるより、どこか外で食べた方が良いかと思ってね。どうかな?」
《うんッ それが良い!!》
愛那の声が弾んでいるのが判る。突然降って湧いたように外食イベントに喜んでいる事が、電話越しにも判る。
その後、待ち合わせ場所を決めて電話を切る。
職員用ロッカールームへと向かいながら、斎は何を食べようか思案していた。
ここはやはり、和食が良いだろうか? 愛那はまだ和食に慣れていない。ここで何かおいしい物を食べさせて、日本食の良さをアピールするのも良いだろう。いや、しかし時間が時間だ。あまり手の込んだ店を探すよりも、手っ取り早く、近場のファミレスの方が良いだろうか?
そんな事を考えていた時だった。
「あ、雪代先生」
名前を呼ばれて振り返ると、見覚えのある女子生徒が、自分の方に向かって歩いて来るところだった。
「ああ、四乃森。どうした?」
「先生は、まだ帰ってらっしゃらなかったんですね」
「ちょっと調べ物をしててね」
言ってから、苦笑する。時間を忘れて没頭するなど、まるで子供のようだと思ったのだ。
対して瑠香は、少し考えるようにしてから斎に向き直った。
「あの雪代先生。ちょっと、お聞きしたい事があるんですけど。お時間、良いですか?」
「え、今から?」
正直、今からと言うのはきつかった。愛那を待たせる訳にはいかないのだ。
「だめ、ですか?」
少し躊躇いがちに、瑠香は尋ねる。溌剌なようでいて、目上の人間への礼儀は弁えている少女である。ここで斎が「用事がある」と言えば、それ以上無理を言ってくる事は無いだろう。
とは言え、教え子がわざわざ頼って来てくれているのだ。無碍にしてしまうのもどうかと思う。
少し考えてから、斎の頭にある考えが浮かんだ。
「そうだ。じゃあ、こうしよう」
斎が告げた提案。
それは、瑠香を驚かせるのに充分な内容だった・
・・・・・・・・・・・・
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この光景も、何度目になるだろうか?
膝の上に乗せた弁当箱を箸でつつきながら、斎はぼんやりとそんな事を考えていた。
時刻は昼下がり。武偵校において日常と非日常が入れ替わる境界の時間。
一般科棟の屋上で弁当を食べる斎の目の前には、2人の女の子が並んで座り、同じように弁当を食べている。
2人は、実習2日目に、斎に話しかけて来た少女達である。
「いやー、晴れて良かったね~ おかげで、こうして3人でご飯が食べられるよ」
満面の笑顔を浮かべて、弁当箱を掲げて見せるポニーテールの少女は、
「そうだね、ほんとに。昨日まで雨降ってたから、どうなるかと思った」
そうおっとりと告げた女の子は、癖のある髪をショートヘアに切りそろえた少女である。こちらは
愛美と薙那は同じチームに所属しており、数々の事件を共に解決してきた仲だ。私生活でも仲が良く、まるで本当の姉妹のように一緒にいる事が多かった。
そんな2人が、何を思ったのか斎と一緒に、毎日のように昼食を食べていた。
「なあ、2人とも・・・・・・」
「あいよ?」
「はい、何ですか?」
疑問に思った事を率直に口にすべく、声を掛けた斎に対し、愛美と薙那も弁当から顔を上げて、キョトンとした眼差しを向けて来る。
「2人とも、何でまた、僕と一緒に飯を食べているんだ?」
もっと他の友達と食べれば楽しいのに、と言ってみる。
対して、2人は顔を見合わせると、次いで、可笑しそうに噴き出した。
「な、何だ、何か可笑しい事言ったか?」
「だってさ、先生」
愛美は肩を震わせながら、ようやっと笑いを堪えて口を開いた。
「考えてもみなよ。あたしらの周りじゃ、今は先生が一番面白い存在だよ」
「えっ!?」
絶句した。まさか、そんな風に思われていたのか。
恐る恐る薙那の方に目を向けてみると、彼女もやや躊躇いがちに頷きを返してきた。
「忘れ物はするし、授業の内容はスッ飛ばすし、クラスの奴の名前は間違えるしさ」
「先生が頑張ってらっしゃるのは、判るんですけど・・・・・・」
そう言って可笑しそうにクスクスと笑う愛美と薙那。
愕然とする。まさか、そんな風に思われているとは思いもしなかった。もしかしたら、程度の差こそあれ、他の学生達からも似たような感想を持たれているかもしれない。
そう思うと、ますます落ち込んでしまう。
「ほらほら、そう落ち込まないで」
「先生が頑張ってらっしゃるのは、みんなも判っていますから」
苦笑を浮かべつつ、斎を慰める愛美と薙那。
そんな2人の言葉は、落ち込みかけた斎の心を優しく包み込んで癒して行く。
しかし、
生徒に慰められる実習生、と言うのもどうかと思わないでもなかった。
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3
「あ、あの、ほんとに良いんですか、あたしなんかがついて行って?」
隣を歩く斎に、瑠香は恐縮しながらそう尋ねる。
昼休みが明けるころ、瑠香は気になる事があった為、ライブラリ施設を使用しようと図書館に向かっていた。
その途中で、隣を歩く顔見知りの数学教師と行きあったのだ。
これ幸いと思った。何しろ相手は、欧州の犯罪捜査で馴らしたSランク武偵である。普段使わない為、あまり操作に慣れているとは言えないライブラリ施設を使うよりも、目の前の教師に聞いた方が早いと思ったのだ。
だがそこで、斎から持ちかけられた提案は、瑠香の度肝を抜くのに充分だった。
何と、これから娘と食事に行くから、瑠香も一緒にどうか? と言うのだ。
斎の娘である愛那とは瑠香も面識がある。つい先日、斎の仕事が終わるのを待っていた愛那を見かけたのが縁で知り合ったのだ。
年相応に天真爛漫で、それでいて礼儀正しさも兼ね備えた、愛くるしい女の子である。
勿論、最初、瑠香は断った。急いで調べたい事ではあるが、奢ってもらうのは気が引けるし、何より家族の団欒を妨げるのは心苦しいし。
だが、
「だから、奢る本人が良いって言ってるんだから、そんなに気にする必要無いって。それに、愛那だって、四乃森にまた会いたがっていたし」
恐縮しまくる瑠香の態度に、斎は苦笑しながら肩を竦める。
実際、愛那の事は放っておけないし、折角頼ってくれている教え子を無碍にもできない。となると、考えられる最良の道はこれしか無かった。
「で、でも、折角愛那ちゃんと2人だったのに、あたしなんかが行ったんじゃ迷惑なんじゃ・・・・・・」
「大丈夫。娘は、そんな細かい事は気にしたりしないから。それに、人数が多い方が楽しいでしょ」
斎がそう言った時だった。
「お父さ~ん!!」
斎にとっては聞き慣れた元気な声が聞こえて来た。
振り返ると、附属小学校の制服を着て、ランドセルを背負った娘、雪代愛那が転がるように駆けて来るのが見えた。
「やあ、愛那。お待たせ」
「ううん、あたしも今来たところだから」
言ってから、愛那は斎の隣にいる瑠香を不思議そうに眺めた。
その視線に気づいた斎が、微笑みながら瑠香を指し示す。
「あ、四乃森さんも来てくれたんですね。嬉しいです!!」
「あーうん。ごめんね、何か邪魔しちゃって」
「ううん、全然平気ッ 嬉しいです!!」
そう言って朗らかに笑う愛那。
斎はと言えば「ほらね、言ったとおりでしょ」とばかりに、笑みを浮かべている。
溜息をついて、瑠香は観念する。
どうやら、この雪代親子からは逃れる事は難しいという事が、よく分かった。
「さ、早く行こうよ!!」
待ちきれない、とばかりに愛那は、右手に斎の、左手に瑠香の手をそれぞれ握って歩き出す。
そんな愛那の様子を見て、
瑠香と斎は、どちらからともなく、苦笑を交わし合うのであった。
斎が2人を連れてやって来たのは、学園島にあるファミリーレストラン「ロキシー」であった。
食事や飲み物も充実しており、尚且つ近いと言う事から、武偵校生徒からは重宝されている店である。依頼人との待ち合わせや会合に使われる事も少なく無く、立地条件から、半ば、武偵校御用達となっていた。
それぞれの食事を注文し終えると、早速興味を押さえられなくなったのか、愛那は向かいに座った瑠香に話しかけて来た。
「ねえねえ、四乃森さんも、武偵校の人なんでしょ?」
「うん、1年生だよ」
天真爛漫と言っても良い愛那の質問に、瑠香も笑顔で応じる。元々、子供は好きな方である。こうして好奇心を隠さずに出してくる子を見ていると、とても心がなごむ気がした。
「いいな~、あたしも早く、お父さんの授業受けたいな~」
「流石に、小学校に教えに行くのは無理かな」
娘のぼやきに、斎は苦笑して答える。高校と小学校では、教える内容も、必要な技能もまるで違ってくる。高校教師の斎に、小学校に教えに行けと言われても無理な話であった。
「ねえねえ、お父さんの授業はどう? 教え方上手?」
「あ~、うん。まあ・・・・・・」
愛那の質問に対し、瑠香は歯切れ悪く答える。何しろ、本人が目の前にいるのに、滅多な事は言えなかった。
対して斎は、お冷に口を付けると、口元に笑みを浮かべながら言う。
「その割に、四乃森はなかなかテストの点数が上がんないよね」
「はうっ!?」
痛いところを指摘され、瑠香は思わず言葉を詰まらせる。
「もしかして、僕の教え方が悪いのだろうか?」
「そ、そんな事は無いですよッ」
必死に声を上げる瑠香。
そんな彼女の様子が可笑しかったのか、斎はクスクスと笑い声を上げた。
「なんてね」
からかわれた事が判り、瑠香は一瞬にしてカーッと顔を赤くした。
「もうっ 先生!!」
「アハハ、ごめんごめん」
そんな2人のやり取りを見て、
傍らの愛那が可笑しそうに笑顔を浮かべた。
「お父さん、四乃森さんをイジメちゃダメだよ」
その笑顔に、瑠香は一瞬ドキリとした。
可愛い。
子供好きな瑠香としては、その笑顔を見ているだけで、自分まで笑顔になってしまっていた。
やがて、頼んだメニューが運ばれてくると、3人は会話を一旦止めて、食べる事に集中し始めた。
時刻は既に2時近くなっている。流石に空腹はごまかしようも無くなっていた。
食事もだいぶ進んだ頃、斎は思い出したように顔を上げて声を掛けて来た。
「そう言えば四乃森。何か僕に聞きたい事があったんじゃなかったっけ?」
「あ、はい」
向こうから声を掛けて来た事から、頃合いだろうと思った瑠香は、本題に入る事にした。
「先生は、《仕立屋》って知ってますか?」
「仕立屋?」
一瞬、何か服でも新調するのだろうか、とも思ったが、それならばわざわざ斎に聞いたりしないだろう。
となると、任務関係の事と考えるのが自然だった。
だが、《仕立屋》とは。
正直、あまり馴染の無い名前である。
「えっと、それは?」
傍らで、スパゲティミートソースを一生懸命食べている愛那を見ながら、斎は先を促す。
正直、その名称だけでは如何なる物か判別できなかった。
「あたし、この間まで、戦兄が請け負った任務の手伝いをしていたんです」
任務は麻薬取引を行う暴力団の現場を押さえ、取引を行う被疑者の身柄と麻薬の現物を抑える事。
任務は成功し、犯人グループの全員の身柄を確保し、麻薬の現物も抑える事ができた。瑠香も情報収集や、戦闘を行う戦兄の側面援護を行うなどして活躍する事ができた。
しかし、事件はそれだけでは終わらなかったのだ。
最後の最後になって姿を現わした敵。
無表情の仮面で顔を覆った、物腰の柔らかい男。
一見すると風体こそ異様だが、戦いに向いているようには見えなかった。
しかし、追撃しようとする瑠香を、友哉は制した。あの時の友哉の顔は、緊張に満ち溢れていたのを覚えている。
追って戦っても苦戦は免れない。下手をすると負ける可能性すらある。そう考えたからこそ、友哉は瑠香の追撃を制したのだ。
それに気付いたのは、事件解決から1日以上経ってからだった。
《仕立屋》由比彰彦。
本能で武偵を退かせるほどの存在感を持った男はいったい何者なのか、瑠香にはどうしても引っ掛かって仕方が無かった。
「・・・・・・・・・・・・役に立つかは判らないけど」
やや間を置いてから、斎は前置きをして口を開いた。
「確か欧州の戦場で活動していた時期に、噂を聞いた事がある」
「どんな、ですか?」
カラカラの喉を水でうるおしながら、瑠香が尋ねて来る。
自分の質問に対する答を聞くに当たって、緊張は隠せない様子だ。
「自分達で犯罪を犯すんじゃ無く、特定の犯罪組織が必要な作戦、人員、武装、物資を用意し、支援する事を目的とした組織があるって」
「つまり、傭兵って事ですか?」
「と言うか、どちらかかと言えば、舞台の黒子に近いかもしれない。表に出るのは、あくまでも主役となる犯罪者組織であり、自分達は常に脇役に徹する訳だから。四乃森の話を聞いた時、妙に符合する点が多いと思ってさ」
確かに。
瑠香は思い出す。
あの《仕立屋》を名乗った男は、暴力団グループを支援した、と言う風な事を言っていた。であるならば、斎が言っている組織の特徴と、一致する点が多いのではないだろうか?
決して表に出る事無く、裏から犯罪組織を支援し、彼等の計画を成功に導く者達。
もしかしたら今後、そいつ等が自分達の前に立ちはだかってくる可能性は充分にあり得る。
そう考えると、瑠香は美味しい筈の料理の味が、急速に味気ない物に変わって行ってしまう気がするのだった。
4
3人並んで歩けば、長い影が地面に尾を引いていた。
長い影が斎。
それよりも低い影が瑠香。
そして、2人に挟まれて歩く、一番低い影が愛那だ。
その後もすっかり話しこんでしまい、3人がロキシーを出た時には既に日は傾いて、黄昏時になろうとしていた。
「四乃森、今日はありがとう」
「え?」
突然斎にそう言われ、瑠香は戸惑いがちに顔を上げた。
「そんな、奢ってもらったのはあたしの方ですし、意見を貰ったのだって・・・むしろ、あたしの方がお礼を言わないと・・・・・・」
「それでもだよ。今日は楽しかったから」
言ってから、手を繋いで一緒に歩いている愛那を見た。
「愛那も、君の事を気に行ったみたいだし」
「うんっ」
父の言葉を聞いていた愛那も元気に頷くと、見上げるようにして瑠香につぶらな量目を向けて来た。
「今日は、四乃森さんといっぱいお話しできて、とっても楽しかったです!!」
そう言われると、瑠香もまた自然と笑みを作ってしまう。
「うん、あたしも愛那ちゃんとお話しできて、とっても楽しかったよ」
そう言ってから、瑠香は思いついたように言葉を続けた。
「そうだ、愛那ちゃん。『四乃森さん』なんて言い難いでしょ。これからは『瑠香』で良いよ」
そう言われて、愛那はキョトンとする。
瑠香自身、自分のこの名前は気に入っている。だから、友達には全員、名前で呼ばせていた。
今日楽しかったのは瑠香も同じだし、もう愛那とも友達だと思っている。だから、ぜひ名前で呼んでほしかった。
それに対して愛那は、少し躊躇うように上目で瑠香を見た後、オズオズと口を開いた。
「あ、あの、それじゃあ、ね・・・・・・」
「うん?」
「瑠香ちゃん、て、呼んでも良いかな?」
それは予想していなかった。
確かに、今までそう呼ばれた事は珍しくないし、最近ではあかりなんかからはそう呼ばれている。
しかし、自分よりも9歳年下の女の子から、そのように呼ばれるとは思わなかった。
だが、決して不快と言う訳ではない。
「うん、良いよ」
「ほんとッ!? やったぁ!!」
嬉しそうに跳びはねる愛那。また友達が増えた事が、嬉しくて仕方ないのだ。
と、愛那は空いている方の手で、瑠香の手を握って来た。
少し、驚く瑠香。しかし、すぐに微笑みを浮かべ、愛那の小さな手を軽く握ってあげた。
「ありがとう、四乃森」
2人の様子を見て、微笑む斎。
3人が作る影は、黄昏の夕日に照らされて長く地面に伸びていた。
第5話「黄昏に伸びる影」 終わり