私に声をかけたのは、数多くの苦楽を経験してきたと思わせる顔つきのお爺さんだった。額に深く刻まれた皺、真っ白になった髪の毛、かなり高齢に見えるが背筋は伸び身体も引き締まっており、正直ちょっと怖い。
「・・・ナニヲイッテイルカワカラナイデスヨ」
いったんとぼけてみるが果たして。恐る恐る振り返ってみると、お爺さんの視線は私の尾びれの先端に向いているようだ。
おいっ! なんで水面から出てるの? 無意識のうちに私のチャームポイントが海面から突き出て左右に揺れていた。ちょっと待って、全然思い通りに動かせないんだけど!? 酒なのか? 酔ってるせいなのか? 今なら酒のせいにするダメな大人の気持ちがちょっぴりわかるよ! すごくフクザツだけどね!
「・・・隠す気あるんか?」
「・・・バレてしまったら仕方がない。いかにも私は人魚のメイ! ナカノジョウには数日前に来たよ!」
「ワシは仙道。漁師をしていた」
「え、漁師・・・?」
命の危機発生!? 私が表情を引きつらせると、センドウは豪快に笑った。
「獲って食いやせんよ? それに食いでも無さそうだ」
「ほ、本当に・・・? 油断させた好隙に網投げたりしない・・・?」
私はファイティングポーズをとり、シュッシュッとシャドウボクシングする。するとお爺さん目を丸くした後、ハッハッハッと声を上げて笑い始めた。そ、そんなに笑わなくても良いんじゃないかな? 思わず、不満げな表情を浮かべてしまう。
「いや、スマンスマン。笑って悪かった。それにしても人魚が本当にいるとは思わなんだ」
「そうなの…? なんとなく知ってそうな口ぶりだったけど」
「…ん?ああ。儂の家は代々漁師をやっていてな。爺さんに教えてもらったんだ。実際に見たのは初めてだよ」
「ほう・・・」
そう言えば私以外の人魚の存在もワダツミ様は仄めかしていたしね・・・まだ一度も会えていないけど。
「それで、メイさんはここで何をしていたんだ?」
「えーっと・・・強いて言えば休憩かな?」
「ハッキリせんのう・・・この辺は儂ぐらいしか来んからゆっくりしていくといい。茶のひとつでも出せたら良いんだが」
「お、お構いなく・・・ん? センドウさん、もしかしてこの辺に住んでたりする?」
「そうだが?」
な、なんだってー!? まあ、目視で確認しただけだしね。
「やっと寝床見つけたと思ったんだけどなぁ・・・探し直しかぁ」
「なんだ、こんなところで寝泊まりしとったんか? 確かにこのあたりに住んでるのは儂だけで、身を隠すにはもってこいだが」
「見つからない場所だと思ったけど仙道さん居るしどうしよう・・・」
「わしもこの辺は時々しか来んからメイさんさえ良ければ、そのままいてもらっても構わんが。この辺は舟もろくに使えんから不便で漁師もそうそう寄り付かんよ」
「仙道さんだけならしばらくここにいることにしようかな。ところで不便なら何でここに住んでるの?」
「大した理由はない。ほかに住む場所が無かっただけよ」
「えっと、それじゃあどうやって生活してるの・・・?」
「なぁに、やりようはいくらでもある。今はこの辺りに自生している野草を売ったり魚を獲って生活している。まあ、贅沢は出来んがな」
「寂しくはない?」
「どうだろうな。ここに来てからずっと1人で過ごしていたから慣れてしまったよ。どちらかと言うと船に乗れなくなったことが堪えたがな」
「漁師だったって言ってたもんね」
「ここに来る時に乗ってきたんだが、もう船のエンジンを動かす燃料が無くてな」
「そうなんだ・・・船って今も残ってる?」
「ああ」
「見せてもらってもいい? あ、直せたりはしないんだけど」
「構わんが、どうしてだ」
「ちょっと試したいことがあって」
「? よくわからんが案内する」
センドウさんに連れてこられたのは海岸に面する小屋だった。小屋の地面は粘土質なのか柔らかそうで、引きずった跡が残されていた。そのあとを目で辿るとそこには立派な船があった。側面を見ると黒字で船名が書かれていた。
「名は仙道丸。爺さんが使ってた船名を襲名させてもらったんだ」
「仙道丸…苗字がそのまま使われてるんですか?」
「ああ、そうだ。センドウは船頭とも読めるから漁師にとって色々な意味がある名前だと爺さんに教わったんだ」
「そうなんですね…」
センドウは船頭以外にも先導とも書くし、色んな意味の言葉になるね。探せばもっとありそうだけど、手元にスマホは無い。今度調べてみよう、頭の片隅にメモだけ残し話を続ける。
「ところで連れて来たはいいが、何するつもりだ?」
「この船って動かせないって言ってましたけど、海沿いまで運んでませんか? あと残ってるし最近のことだと思うんですけど」
「…未練がましいと思うが、時々海に浮かべてるんだ。何もせず倉庫で朽ちていくところを見るとどうしてもな」
「…また乗りたいですか?」
センドウさんは私に視線を向けたまま考え込むように黙った。そして、ゆっくりと答えた。
「そうだな。だが、さっきも言ったが燃料がもう手に入らないんだ」
「うーんと、燃料の代わりは無いけど、エンジンの代わりならありますよ」
「…そいつはほんとうか。どこにあるんだいったい?」
「私です。人魚です」
仙道は目を鋭く細める。腕組みをすると観察するように視線を動かした。
「メイさんや。この船はそれほど大きくはないがそれでも500キロ以上はあるぞ? その細い身体で動かせるとはとても思えん」
「・・・まあ、確かに試したことはないんですけど、紐かなにかで引っ張ることはできるはずですよ!」
胸を張って答えるが、変わらず仙道は渋い顔を浮かべている。この前ヒマちゃんも信じてなかったけど、人魚になった私は怪力なんだけどね。根拠としては海底探索していた時に、岩が崩れて来たことがあったけど急すぎて反射的に腕で支えてみたら余裕で持ち上がっていた。もちろん浮力とかで実際の重量より軽いのはあるが、船だったら問題ない。
「うーむ」
「信じて貰えないと思いますが、ちょっと試してみませんか?」