東方創想録   作:Mrコッコ

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前日譚
【幻想入り】


あるところに一人の少年がいる。名前は八方伊万里である。19歳の誕生日、薄暗いアパートの一室で、彼は机の上に二枚の紙を並べる。一枚は半年前にもらった退職届、もう一枚は昨日郵便受けに届いた「失業保険受給終了の通知」。白い紙面の文字たちが、まるで最後の枷のように彼の心を締めつける。「だらけてる」「不注意だから仕事が進まない」「同年代と合わないのは君の問題だ」。職場の上司の言葉が耳に残る。ADHDを持つ伊万里は、集中力が続かないことや気が散りやすいことで、周囲から誤解され続けてきた。学校の時も、同級生から「変わってる」と遠ざけられ、高校卒業後すぐ就職したはずが、たった半年で居場所を失ってしまった。

「この世界には…俺の居づらさをわかってくれる人はないのかな」低く呟き、伊万里は立ち上がる。手放せないものづくり技術書、高校時代にアルバイトで買ったノートパソコン、一ヶ月かけて——集中できた時だけ作業して——手作りしたモデルガン… 気が散りながらも、「もし別の世界に行くなら絶対に持っていきたい」モノをバックパックやウェストポーチ、トートバッグにパンパンに押し込む。重さを感じるバッグは、今の彼にとって唯一の支えのようだ。そして、ヘッドホンを付けて目的地もなく街を歩き銀行からはすべて金を引き出して封筒に入れてウェストポーチに入れる。夕暮れの空はオレンジ色に染まり、人々は家族や友達と笑いながら歩いている。そんな景色が、伊万里の孤独を一層際立たせる。何時間か歩き続けると、不意に目の前に鳥居が現れた。

「博麗神社…、 こんな所に神社があったんだ」鳥居を見上げると、先には暗い森が広がっている。そこには街の喧騒はなく、不思議な静けさが満ちている。伊万里は自然に鳥居の下に立ち、手を合わせる。

「今日が俺の誕生日で失業保険終了日だ… 新しい世界で、俺が『このままで』居られる場所があれば… そこに行きたい…」その祈りが心から溢れ出す瞬間、頭の中に突然幻想的な風景が浮かぶ。緑豊かな山々、大きな湖、空を飛ぶ不思議な存在たち… それは東方Projectのゲームの中に描かれていた、“幻想郷”の風景だった。

「うわっ…」目を開けると、周囲の景色が一変していた。夕暮れの街は消え、代わりにキラキラ輝く星々の下、緑の木々がそよぐ森の中に立っている。重いバッグを背負ったまま、伊万里は足元を見つめる。

「こ… これは… 幻想郷?」胸が高鳴り、涙がこぼれそうになる。居づらさを感じ続けた世界を離れ、祈りが叶ったのかもしれない——そんな希望と、未知なる世界への不安が混ざり合い、伊万里は一歩、新しい土地に踏み出す。

——場面変わり——

幻想郷のどこか、ひっそりとした洋館の一室。赤い傘を抱えた女性が、窓辺から星々の空を見下ろしていた。八雲紫、それが彼女の名前だ。指先が空気の中に沈むように動かし、細い隙間がふわりと開く。紫はその隙間から先の景色を覗きながら、優雅で謎めいた声を漏らす。

「「あら、私が招き入れようと思ってた子、自分から入ったみたいだね。まあ、別に問題はないか。だって、あの子は外の世界から弾かれたのと同然でしょ? 失業保険も終わり、誕生日に居場所を完全に失った孤独な少年…」 隙間を少し大きく広げ、森の中を歩く伊万里の姿を捉えると、紫はほんのり笑う。

「あの子が向かった先は博麗神社… まあ、最初に来るところは決まってるよね… どんな子か、私も直接観ないとね」

その瞬間、背後から静かな足音が近づく。式神の八雲藍が礼をして現れると、紫は隙間を手元に留めながら返す。

「藍、ここの留守番は任せるわ。ちょっとだけ出かけてくるから」言い終わると、紫は自分の体を隙間に滑り込ませるように動かす。星の光が隙間の中に滲み込み、彼女の姿は徐々に消えていく。

「博麗神社へ… 霊夢にも会えるし、一石二鳥ね」最後に聞こえてくる声は、遊び心と深い思いやりが混ざった調子だった。伊万里は、鳥居を潜り込む。木々の葉が頭上でそよぎ、虫の音が静かに響く。森の空気は湿っていて、外の世界にはない清らかな匂いがする。伊万里は足音を気にしながら一歩一歩歩き、低く呟く。

「やはり鳥居の周りは森なんだね… ゲームに描かれていた通りだ… しかし、妖怪とかがいるみたいだけどね…」声が森に吸い込まれるように消える。周囲の暗さが少しずつ増し、何かが木の陰から覗いているような、不思議な緊張感が空気に満ち始める。伊万里はウェストポーチに手を伸ばし、モデルガンの柄に触れる——ただでさえ集中力が続かないのに、今は心拍数が上がってさらに気が散りそうになる。博麗神社の本殿横、小さな縁側。巫女姿の少女が、漆塗りの膳の前に座り、おにぎりと漬物を食事していた。博麗霊夢、それが彼女の名前だ。

「今日は来客が来ないみたいだね… 賽銭箱も空っぽだし」

舌打ち混じりに呟き、霊夢はおにぎりを大きくかじる。星々の光が彼女の黒い髪を照らし、少し淋しげな表情が浮かぶが、すぐに食事に集中する。その時、空気の中に細い隙間がふわりと開き、赤い傘を抱えた女性がそこから滑り出すように現れる。

「あら、霊夢、そんな淋しい顔をしてどうするの? 今からお客さんが来るわよ」優雅で謎めいた声に驚き、霊夢はおにぎりを手にしたまま振り返る。見た瞬間に眉をひそめる。

「紫… いつものように隙間から現れないでよ。心臓に悪いわ」

「ふふん、そんなに弱ってるの? さて、早速だけど… 森を歩いてここに向かってる少年を見た? 外の世界から来た子よ」紫は縁側に腰を下ろし、霊夢の膳の漬物を指でつまんで口に入れる。霊夢はあきれたようにため息をつくが、紫の言葉に少し興味を示す。

「外の世界から? 珍しいね。まだ来てないけど… 何か企んでるの?」

「企んでるなんて言わないわ。ただ、居場所を失った子が自分から来てしまったので、ちょっと様子を見に来ただけよ」紫は森の方向を見つめ、薄い唇に笑みを浮かべる。その時、遠くから足音が近づいてくるのが聞こえた——伊万里がついに神社にたどり着いてきたのだ。森の抜け道から出ると、目の前にはゲームや設定集で何度も見た風景が広がっていた。赤い鳥居の先に佇む本殿、横に小さな縁側、そして本殿の上には月の光を浴びる千木。伊万里は足を止め、背負ったバッグの重さを忘れるように見上げ、声を漏らす。

「やはり… ゲームや設定集通りだ…」その声は小さいながらも、夜の静けさの中でははっきりと響く。縁側に座る霊夢と紫の視線が、同時に伊万里の方へと向かった。伊万里はその視線に気づき、体が一瞬固まる。縁側には黒い髪の巫女と、赤い傘を抱えた長い髪の女性が座っている——それが博麗霊夢と八雲紫だと、瞬く間に理解できる。ゲームの中では見慣れている存在だが、現実に目の前にいることで、どこか不真実なような、また同時に真実らしい緊張感が全身を駆け巡る。

「お… おはよう… 否、こんばんは…」気が散りやすい性分から、挨拶の言葉がごちゃまぜになってしまう。伊万里は慌てて頭を下げ、ウェストポーチのモデルガンにまた手を伸ばす——これが唯一の安心材になっている。霊夢はおにぎりを口元に近づけたまま、伊万里を上から下まで見下ろす。

「外の世界から来たのは君か。紫が言ってた少年だね」

「あら、何だそんなに緊張するの? ここは幻想郷よ、悪い子は来ないわよ」紫は優雅に肩をすくめ、伊万里に向けて柔らかな笑みを送る。その笑顔が少しは緊張を和らげ、伊万里は小さく頷く。

「は… はい… 八方伊万里です。今日… 誕生日で、失業保険も終わって… 鳥居の下で祈ったら… ここに来ちゃいました…」言葉がどんどん溢れ出してしまう。ADHDのせいで、心の中に浮かんだことがすぐ口に出てしまうのが悩みだったが、今はそれでも良い——少なくとも自分のことを伝えられているような気がする。霊夢はおにぎりを食べ終わらせ、手を拭く。

「誕生日にそんな目に遭うのは可哀想だね。で? これから何する気? 外の世界に戻るの?」戻る… その言葉に伊万里は心が締めつけられるような気がした。外の世界には居場所も、理解してくれる人もない。ここ幻想郷は、ゲームの中では誰もが自分らしく生きている世界だった。

「戻りたく… ないです… ここに… 俺が『このままで』居られるなら… 居たいです…」声は震えている。星の光が目に映り、涙が溢れそうになるのを必死で抑える。その瞬間、頭の中に突然イメージが浮かぶ——小さな光の花が、自分の足元に咲き乱れる姿が。

「え?」伊万里が驚いて足元を見下ろすと、真っ白な花びらに星の輝きが宿った、現実にはないような花たちが、ふわりと咲いていた。手作りのモデルガンの先から、細かい光が零れ落ちて花になっているのがわかる。

「あら… 能力が自発的に発動しちゃったのね」紫は目を細め、その花を見つめる。霊夢も少し驚いた表情を浮かべ、前のめりになる。

「これは… 君の力? イメージを具現化するの?」伊万里は自分の手を見つめ、そして花を見つめる。ゲームの中ではキャラたちが持つような能力… 自分にもそんな力があったのか。

「う… うん… 頭に描いたことが… 実際に起こるんです… 今までは自覚してなかったんですが…」その時、光の花が一斉に揺れ、周囲に柔らかな輝きを撒き散らす。縁側の霊夢も紫も、その光に照らされて静かに息を呑んでいた。霊夢は立ち上がり、伊万里の足元の花をかがんで見る。そして、普段と同じくらいだけれど少し柔らかい声で言う。

「では、ここに居るなら… まずはおなかは空いてるだろ? 私のおにぎり、残ってるから食べる?」伊万里はその言葉に呆れたような、そして嬉しいような気持ちに包まれる。涙がようやくこぼれ落ち、光の花に溶け込んでいく。

「… はい! ありがとうございます!」その瞬間、伊万里は初めて——この世界に自分の居場所があるのかもしれない、と思えた。星々が輝く幻想郷の夜、少年の新しい人生が、そっと幕を開けた。霊夢は縁側からおにぎりを取り、伊万里の前に差し出す。焼き海苔の香りが鼻を突き、空腹感が一気に噴出してくる——退職手続きやバッグの準備に追われ、今日は一口も食べていなかったのだ。伊万里は慌てて手を拭き、おにぎりを受け取る。指が少し震えているのに気づき、恥ずかしそうに頭を下げると、紫がほんのり笑う。

「あら、慌てないで。時間はあるわよ。霊夢のおにぎりは意外と美味しいのよ」

「紫、余計なこと言わないでよ」霊夢はフンと鼻を鳴らすが、顔には少し得意げな表情が浮かぶ。伊万里は小さくかじると、温かい米の味が口の中に広がり、胸が締まるような嬉しさに包まれる。

「… 美味しいです…」

「そうだな。よかった」霊夢は伊万里の隣に座り、もう一つおにぎりを手に取る。月の光が二人の肩を照らし、森の虫の音が静かに響く。紫は傘を膝の上に置き、伊万里の手元の光の花を見つめていた。

「伊万里くん、この花… 頭に描いたのはこんな感じだったの?」

「はい… 泣きそうになった時、『周りを柔らかな光で包んでくれる花が咲いたら良いな』って思ったら… 突然咲いちゃいました…」

「ふふん、それは素敵なイメージね。あの子の能力は、『心から願ったこと』が強ければ強いほど、美しく力強くなるのよ」紫の言葉に霊夢も目をやり、伊万里は自分の手を見つめる。心から願ったこと… 外の世界では「理解してくれる人がいれば」と願っても叶わなかったが、ここではただ「居場所があれば」と願っただけで、こんな美しい花が咲いたのだ。その時、森の中から小さな光が浮かび上がり、神社の方へと近づいてくる。蛍のような形をしているが、色が虹色に輝いていて、現実の蛍とは違う。

「あれは… 幻想郷の蛍? ゲームには描かれてなかったような…」伊万里はおにぎりを食べながら見上げ、気が散りながらも目を奪われる。霊夢はうなずき、

「たまにこんな虹色ののが出てくるよ。何か特別なことが起こる時に、似合わせて出てくるんだと思う」

「特別なこと… 俺が来たから?」

「そうかもね。外の世界から来る人はそんなに多くないし」その時、紫が立ち上がり、赤い傘を肩に掛ける。

「さて、伊万里くんの様子も見たし、霊夢もおにぎりも食べたし… 私はここでお別れにしますわ。あとは二人で話し合えば良いのよ」

「え? もう帰るの? 何か隠してるんじゃないの?」霊夢は疑問そうに紫を見るが、紫はただ微笑んで空気に手を伸ばす。細い隙間がふわりと開き、彼女の姿が徐々にそこに吸い込まれていく。

「隠してることなんてないわ。ただ… あの子の正体は、まだ時が来てないからね。今はただ『このままで』居られる場所を作れば良いのよ」最後に伊万里に向けて柔らかな視線を送り、紫の姿は完全に隙間の中に消え去った。残ったのは、夜風に揺れる光の花と、二人の沈黙だけだ。

霊夢は伊万里を見つめ、少し考え込んだように口を開く。

「紫の言う正体って何だろう… まあ、今は関係ないか。君はここに居たいって言ったよね? 神社には空き部屋があるから、一旦はそこに泊まっても良い。ただし、掃除は君がするよ」伊万里はおにぎりを手にしたまま、目を大きく見開く。空き部屋… ここに泊まっても良いのか。外の世界のアパートは明日から契約が切れるのに、ここで宿泊をしてくれると言ってくれるのだ。

「… ありがとうございます! 掃除は絶対にちゃんとするから! それに… もし何か手伝いができることがあったら、任せてください!」声が大きくなってしまい、伊万里は恥ずかしそうに頭を垂れる。霊夢はフンと鼻を鳴らすが、唇には微かな笑みが残っていた。

「よし。それで決まりだ。明日からは神社の手伝いをしながら、幻想郷のことを学べば良い。君の持ってるモノや能力も、何か役に立つかもしれないし」月の光が二人を照らし、虹色の蛍が周りを舞い始める。伊万里は手の中のおにぎりをかじり、心からの笑顔がこぼれる。誕生日に失業保険が終わり、居場所を失ったはずだったのに——今、ここには確かな居場所が、そして新しい未来が広がっているのを感じた。幻想郷の夜は長い。だが、中性的な少年にとっては、それは初めて「待ち遠しい朝」へと続く夜だった

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