その日、ガゼル・ドワルゴは動揺を隠しきれなかった。
武装国家ドワルゴンの暗部。
建国より存在するその組織は、王以外の何人たりとも組織が存在する以上の情報を知らず、国王一人のみに代々仕える諜報機関。
この七百年、ただの一度も任務の失敗は無く、王が必要とする情報全てが確実に届けられ、世界の情報網は必ず何らかの形でドワルゴン王の元を経由するとまで言われるほどの実力を持つ世界屈指の暗部。
「我が国の暗部には一つたりとも聖域は無い」とは、建国時から王に受け継がれる一つの決まりであり、それはドワルゴンの情報収集範囲を最大まで広げるために暗部の行動範囲を決して縛らないという決意である。
ゆえにガゼル王は暗部のリーダーが王の自室に現れたことに驚いたのではない。彼がもたらしたそのありえない報告に驚いたのだ。
開口一番、男は任務の失敗を王に告げた。
「対象に気取られた上、任務に当たった『左手』『左目』と共に、一時対象に捕獲されました。任務失敗に対する沙汰を承りたく存じます、王よ」
「……まずは報告をせよ。沙汰はその後言い渡す」
「はっ」
ガゼル王は動揺を抑え、努めて冷静に言葉を返す。
いくら暗部が失敗したとて、何の情報も持ち帰らないなど、それこそあり得ないことだからだ。
「まず、個体名の修正が必要と思われます。対象は自らを『舞台装置の魔女』、『ワルプルギスの夜』と名乗りました。何らかの能力で
「舞台装置の魔女」、そして「ワルプルギスの夜」。
前者は種族名か個体名、後者は通称のようなものであろう。
更に人化の術を持つときた。
なるほど、とガゼルは腑に落ちる。
これならば、いきなり消滅したことにも説明がつく。
これだけでも既に他国の何歩も先を行く情報だろう。
しかし、ガゼル王が求める情報はそれだけではない。
黙って話の続きを促す。
「
そう言って暗部のリーダーは任務失敗の一部始終を語る。
やはり、か。
ガゼルは納得する半面、信じたくない気持ちが大半を占めていた。
あの大爆発はドワルゴンからでも観測できた。
いや、ドワルゴンだけでは無いだろう。恐らく全世界があの爆発を見たはずだ。
まるで太陽が墜ちたかのようなあの光。
いきなり洞窟の外の世界が白一色に塗りつぶされる様は、ガゼルを含めたドワルゴンの住民に世界の終わりを予見させた。
もし、大洞窟を塞ぐ大門が無ければ、爆発の余波でドワルゴンが壊滅していたかもしれない。
ガゼルの額に一筋の汗が流れる。
それほどの力を持つのはまだ良い。
竜種も、原初の魔王達も、世界を滅ぼせるほどの力を持つのだから。
だが、その力を
あれほどの被害を生み出してなお、微塵の消耗も見せずに暗部を捕らえるとは!
それに、報告にある集落のことも気になる。
おそらく、噂に聞く逃げ延びた魔女の集落だとガゼルは当たりをつけた。
魔女について、ガゼルは教会の言う「魔物と交わり魔人になった女」という説明を信じてはいない。
そんな訳が無いうえに、何らかの方法で魔人になった人間など知り合いに幾らでもいる。
ガゼルは彼らを、亜人であるドワーフとそれほどの違いがあるとは思わなかった。
ゆえにガゼルは魔女への迫害に心を痛めていたが、それでもドワルゴンに受け入れるわけにはいかなかった。
武装国家ドワルゴンは、人類唯一の中立国家として圧倒的な武力の上に成り立っている。
受け入れる魔物は人に危害を及ぼす「悪しき魔物」とは違うという理論で、ただでさえ西方聖教会の不興を買っている現状だ。
その上で聖教会が存在の前提から悪と断じている魔女を受け入れてしまうと、西方聖教会、そして神聖法皇国ルべリオスとの全面衝突は避けられない。
だからもし、生き延びた魔女が誰にも見つからない静かな場所で集落を作っていたのだとしたら、それは喜ばしいことだと思う。
そしてもし、「舞台装置の魔女」がそこの守護者になったのだとしたら、その集落が虎の尾なのもうなずける話だ。
「最後に、対象は『ドワルゴンに遊びに行くからガゼルによろしく』と言っておりました。これで報告は以上です。王よ、どうか万全の備えを」
「……そうか。貴様の目に、アレはどう映った?」
「……どうもよく分からないのです。善でも無ければ悪でも無い。理解が出来ない存在でした」
ガゼルは目の前の男を見る。
顔も肉体も、王である自らと寸分たがわぬ
「では、余より沙汰を申し渡す。今回の任務に当たった貴様と『左手』『左目』は、当分の間任務から外すこととする! その間は『心臓』を貴様の代わりに臨時のリーダーに着任させる! 貴様らは二度と失敗の無いよう、これまで以上に己を鍛錬せよ!」
「はっ! 仰せの通りに!」
「そして、この言葉は王ではなくガゼルとして言おう。俺は、お前が無事に戻って来ることができて、友としてとても嬉しい」
「勿体なきお言葉です。ガゼル、貴方に仕えることが、オレの使命なれば」
今回の失態は、国によっては本人処刑のうえ暗部組織の刷新をやりかねないほどのものだろう。
しかし、ガゼルは自国の暗部の実力を良く理解していたし、短慮で行動を起こすほど無能でも無かった。
彼は組織運営の機微をよく心得ていた。
むしろ、彼は暗部の存在に気付いた舞台装置の魔女に対する警戒度を更に上げた。
(遊びに行くからよろしく、か……。これは宣戦布告と取るべきか。いや、まだ判断材料が少ない)
ガゼルはしばらくの間、入国検査の徹底と国全体の警護の強化を決めたのだった。
×××
その日、ガゼル・ドワルゴは動揺を隠し切った。
場所はガゼル行きつけの店、『夜の蝶』。
上客のために用意された個室の中で、ガゼルは複数の美女に囲まれてチヤホヤされていた。
それはもうチヤッ!ホヤッ!と音が聞こえるぐらいチヤホヤされていた。
「そこで俺は剣を抜き放ってだな、未だ暴れ続ける
「「「きゃ~~!!!」」」
今日の夜何度目かの黄色い歓声が上がる。
そのうちの一人が流れるように酒の栓を抜き、空になったガゼルのグラスになみなみと注いだ。
それをグイと一口流し込み、がっはっはっはっは!とガゼルが笑う。
どんな心情の変化があったのか、それは本人にしか分からないが、今日のガゼルはいつものように意識を憑依させた
もちろん、この店の
しかし、それを表情に出したり、ましてや周りに言いふらしたりもしないのだ。
なぜなら彼女たちはプロ、そしてこの店は高級な紳士が愛する高級な店なのだから。
「「「またお待ちしておりますね!」」」
「おう! 俺が居ない間に寂しくて泣くのではないぞ?」
いつもより金貨を落としていったガゼルがどデカいウィンクを飛ばす。
「「「キャーーー!!」」」
黄色い悲鳴の回数が二桁に乗った。
「ではな!」
「「「ありがとうございましたーー!」」」
その声に背中を押されてガゼルは店の扉を開けて外に出た。
ドレスで着飾った女が立っていた。
そして死を悟った。
周りの温度が氷点下に下がったかのような錯覚を覚える。
たったそれだけでガゼルの魂の奥の奥、存在の根幹に至るまで、その全てが今すぐ逃げろと絶叫していた。
悪寒。
まるで数百匹の虫が身体中を這い回っているかのような。
足元を埋め尽くすほどの百足が蠢いているかのような。
ガゼルは王である前に一人の研究者だ。
だから、その背後で回る魔法陣を知っていた。
一瞬で理解する。
これが、「舞台装置の魔女」。
今まで相対してきた悪魔や魔物なんかとは比べ物にならない。
この世の全ての憎悪と呪いを煮込んだ、悍ましい悍ましいナニカ。
「は?……なん…だと……」
思わず声が漏れる。
ガゼルは身の程を良く知っていた。
だから、自分が強者であることも良く理解していた。
そして観察眼に優れていた。
王である以上、相手の力量を正しく図ることが求められた。
だが、目の前の
次元が違う、なんて次元のものじゃない。
引き分けることなど虚数の彼方。
敗走すら遥かに遠く。
出来る事はせいぜい命を賭けた命乞い。
何故ここにいるのか。兵士はどうしたのか。どうなっている。どうすれば良いのか。殺しに来たのか。まさか国ごと?いや、動かない。俺を見ている。見ている。見ている。どうする。何が目的だ。分からない。どうする。考えろ!どうする!
恐怖。
だが、ガゼルはそれら全てを抑え込んで、王として威厳ある態度で、声が震えないように言葉を発した。
この先、自分の判断がこの国の命運を決めることになると確信して。
「ふむ、『舞台装置の魔女』殿とお見受けする。余はガゼル・ドワルゴ。ここでの立ち話では都合が悪いだろう、済まないが場所を変えても良いかね?」
故に、ガゼル・ドワルゴは偉大な王であった。
貴族御用達の高級レストランの個室。
高級な調度品で飾られながらも、決して派手ではなく落ち着いた雰囲気を放つ部屋で、俺とガゼルは向かい合っていた。
俺たちの前にはそれぞれ申し訳程度にワイングラスが置かれ、給仕が高そうなワインを注いで退出していく。
睡眠と同じく俺に食事は必要ないのだが、こちらは睡眠とは違って摂取しようと思えば摂ることが出来る。
俺は目の前のグラスに手を伸ばすと、ワインを一口含んだ。
美味い。
さすが高級レストラン。
なんで俺はこんなところにいるんだろう。
俺が飲み込んだタイミングを見計らって、ガゼルが口を開く。
「では、改めて名乗ろう。余が武装国家ドワルゴン第三代国王、ガゼル・ドワルゴである。貴殿のことは『舞台装置の魔女』とお呼びすればよろしいか?」
『いえ、私は確かに舞台装置の魔女ですが、出来れば「ワルプルギスの夜」と呼んで頂きたく』
「うむ。しかし余は国家元首として称号で呼び続ける行為は失礼にあたる。貴殿の本名を教えてくれはしまいか?」
『申し訳ありません。私の本名は他人には認識できないのです。では、こちらが妥協して「舞台装置の魔女」と』
「あい分かった。そうであればそうしよう。では、余も妥協して貴殿のことは『魔女』殿と呼ばせて貰おう」
初めは筆談に戸惑っていたガゼルもすっかり慣れたようだ。
ここでようやくガゼルがグラスに口を付ける。
しっかし、イケおじがワインを傾けるのは様になりますなぁ~。
優雅にワインを飲んだガゼルは、再び真剣な眼差しで俺を見る。
俺は給仕が出ていった時点で既に帽子を脱いでいた。
お互いが席につく話し合いの場では、相応の敬意を払うべきだから。
「まどろっこしいのは性に合わん。単刀直入に聞くが『魔女』殿、この国へは何をしに来られた」
……あれ?これはあれか?
もしかして俺がこの国を滅ぼしに来たと思っているのか?
まぁ、確かにちょっと脅したけど。
『ただの観光ですが』
「……本当か?」
『ええ』
「そうであれば、なぜ余を待ち伏せていたのか?」
『いや、あれは待ち伏せなどではなく、単純にあのお店を利用したかっただけで……』
「貴殿が?あの店を?」
『ええ』
しばらく俺を見つめていたガゼルが、緊張からか止めていた息を吐き出す。
そして、額に手を当てて天を仰いだ。
「貴殿の言を信じよう。では、魔女……いわゆる女性魔人の集落とは一体どのような関係か?」
『守護者に祭り上げられました』
「やはりそうであるか。安心めされよ、余はその場所に一切手を出すつもりはない。余は貴殿を好ましく思い、魔人に関してもまた、同様である」
『それを聞いて安心しました。私もこの国が好きなのです。敵対するような関係にはなりたくない』
そう俺が言った時だった。
今までほとんど動かなかったガゼルがいきなりこちらへ身を乗り出して来たのだ。
「然り! まさに余が言いたいのはその事よ! 余は貴殿の力を良く理解しているつもりだ。我々ドワルゴンは、『舞台装置の魔女』と友好関係を築く用意がある」
『つまり……?』
「つまり、貴殿と我が国の間で相互不可侵条約を結ぼうというわけだ。この話、受けてくれまいか、『魔女』殿?」
『私ただ一人と?』
「そうだ。余はこの条約を大々的に公表するつもりだ。そうすれば他国への牽制にもなるうえ、貴殿はたった一人で大国と条約を結んだ者として他国に知られ、貴殿とその守護地への手出しも控えられるようになるだろう。見えている虎の尾を切り落とすほどの愚か者は居るまいて」
相互不可侵条約。悪い話ではない。
というか、願ったり叶ったりだ。
それは国として俺の身分を認めることと同義で、俺はもうコッソリと他国に侵入する必要がなくなる。
そして俺の力の証明にもなるだろう。ガゼルが言うように、彼女たちに手を出す者がいなくなるかもしれない。
「我ら相互に利がある話だと思うが。如何なされるかな?『魔女』殿」
『分かりました。その話を受けようと思います』
俺は立ち上がって手を差し出す。
予想外だったのか、突然のことにガゼルは面食らった表情をしていたが、すぐに笑みを浮かべながら俺の手を握った。
良いね、歴史的な瞬間な気がする。
絵になるぞこりゃ。
そして俺はその場で、ドワルゴン国王ガゼル・ドワルゴとの正式な調停を行った。
内容は、俺とドワルゴンの相互不可侵。
たった一人が、大国と同じ立場に立った瞬間であった。
その後のガゼルの発表により、「舞台装置の魔女」、通称『ワルプルギスの夜』は遂に本当の意味で歴史の表舞台に現れた。
この二つの名前は瞬く間に各国を駆け巡り、学会においては
そしてもちろん、魔王達の耳へもその名称は届く。
悪魔にも、暴君にも、妖精女王にも。
大物も小物も、等しくその存在を明確に意識する。
そして、興味を抱く。
数百年ぶりの
それが最後になるか否かは、まだ誰にも分らない。
お読みいただきありがとうございます。
作家は自分より賢いキャラは書けないそうで。
私の知能じゃ、これ以上書くとガゼルが頭悪いこと言い出しそうだったので巻きでいきました。
なんとか範馬勇次郎化を阻止したかったのですが、やっぱり無理でしたね。
強すぎる存在はこうなる定めなのでしょうか。
そういえば悪魔ほむらのフィギュア届きました。
良すぎて俺のソウルジェムは絶好調。