――「物語」シリーズより
彼女が男に影響を与えた時、男もまた、彼女に影響を与えた。
その魔物の名は「
強力な支配系の能力を持つユニークモンスター。数百年に一度発生し、世に混乱を齎す、最悪の魔物。
しかし、発生から時間を経たなければそこまでの脅威にはならない上、大抵の場合はすぐにどこかの国の軍に見つかって討伐される。
よって本来ならば、この魔物も例に漏れず討伐されるうちの一体に過ぎなかった。
しかし、一つ目の不幸があった。
ヴェルドラの封印、『
二つの大きすぎる出来事が重なり、各国の混乱が起きたせいで、その
二つ目の不幸があった。
その
実に不幸なことに、まさにその時、勇者と暴風竜がジュラの森に現れ、その洞窟に「暴風竜ヴェルドラ」が封印されてしまった。
ヴェルドラが放つ禍々しい魔力を至近距離でまともに浴びた
三つ目の不幸があった。
発見を免れたその
ならば、その状態でヴェルドラの魔力を浴びればどうなるか。
その状態で、急速に魔素量が増えればどうなるのか。
つまり、これが今回の災厄だった。
その魔物はすぐさま
そこで難なく全ての
その魔物は十万の軍を率いていた。
その魔物は
その魔物は飢えている。
その軍団も飢えている。
《確認しました。
魔王種への進化を開始します・・・成功しました。
固体:
その魔物の名は「
蹂躙せよ、蹂躙せよ、蹂躙せよ、蹂躙せよ!!
大地を踏み鳴らして十万の軍勢は進軍する。
目指すは、ジュラの森の先。大量の餌が待っている場所。「国」と呼ばれる、彼らの餌箱。
そして、これが最後の不幸。
全てを飲み込む彼らの進路の先に、偶然その集落は含まれていた。
このままでは、三日と経たずにその集落は蹂躙されるだろう。
全てを薙ぎ倒して災厄は進む。
涎を垂らし、黄色い目を濁らせてオーク達は唸り続ける。
しかし、彼らは知らない。
本当の『災厄』は、高らかな声で嗤いながら現れることを。
×××
進み始めて一時間と少し、俺たちは例の場所に来ていた。
うん、間違いなく
目の前には今までと何も変わらない森の景色が広がっている。
一見何の違和感もない木々だが、近付くにつれて俺の魔力感知もハッキリと違和感を捉えた。
まるで透明な幕がこの先の領域を覆い隠しているように、魔力感知には目の前の景色がぼやけて映った。
恐らく何らかの魔法やスキルが働いているのだろうが、残念ながら俺ではこれ以上詳しく分からない。
「これは……非常に高度な幻惑魔法と結界が広範囲に張られていますね。常人や並外れた魔力感知を持たない者は途中で必ず道に迷い、そもそもここにたどり着けないようになっています。道理で見つからない訳ですね。私にも出来るかどうか……」
リュティスが何もない空中に手を当てて、驚いたように呟く。
魔女の集落かどうかは知らないが、何者かが意図的にここを隠しているのは間違いないだろう。
「間違いなく魔人による仕事です。それも相当な手練れ。私も三百年生きてそれなりに世界を知ったつもりですが、それでもここまでのレベルのものは初めて見ました」
『どうするつもりですか?』
「我々だけが通れるように、一瞬だけ部分的に解除します。すぐに解析しますのでしばらくお待ちを」
そう言ってリュティスは両手を正面にかざすと目を閉じて魔力を練り、集中を始めた。
「リュティスは私たちの中でも飛びぬけて強い魔女なんですよ」
それを見ていた一人がコソッと教えてくれる。
彼女たちのリーダーを担っているくらいだからそこそこやれるとは思っていたが、結界を解析している手際の良さを見るに、評価を更に上方修正した方が良いかもしれない。
俺は魔法のことはからっきし分からんが、それでもリュティスの体内を巡る魔素の滑らかさと魔力の繊細さには目を見張った。
少なくともヴェルドラよりは丁寧だな。
「解析できました。今から力の流れを阻害せずに一瞬だけ結界に穴を――いけないッ!全員防御を!!」
突如、何かを察知したリュティスが弾かれるように結界から離れる。
その瞬間、リュティスが空けた穴を通って不意打ちに大量の魔法が飛んできた。
火や水や風、光属性の上位魔法が結界の中からリュティス達を狙う。
全員が流れるように防御結界を張るが、しかし、僅かに間に合っていない。
このままでは少なくない犠牲が出てしまう。
でも、ここには俺が居る。
間に合わないと判断した俺は、すぐさま全員を後ろに庇える位置まで移動していた。
そのまま全ての攻撃が俺の身体に直撃するが、当たり前のように全て無効化される。
同時にお返しとして半ば反射的に炎の槍を数発ほど結界の中に撃ち込んでおいたのだが、これは撃った後にすぐ後悔した。
もしここが本当に魔女の集落ならば、ただでさえ迫害されている上に、いきなり結界を解かれかけたら誰だって警戒するだろう。
それにしたって問答無用の攻撃は如何なものかと思うが。
そりゃあ、先に攻撃してきた向こうが悪いんだけども、もし俺の攻撃で何人か死んでいたら関係の悪化は免れない。
俺にとっては別に問題ないのだが、これから住む彼女たちにとっては大問題だろう。
俺? 別に住まないけど。
世界を見て回るって言ったじゃん。
ミナとニナの様子を見に、時たまここに寄るだけで良いかな。
「わーお!」
「ありがとうなのです!」
二人がヒシッと抱き着いて来る。
おーよしよしよし。
良い子だ。
おーよしよしよし。
「くっ、何者だ! 我らの村に何用か!」
結界の中から女の声が聞こえる。
それにリュティスが答えようとした時だった。
「問題無い! 今から結界を解除してお通しする! みんな、道を開けてくれ!!」
間髪を容れずに中から別の女の人の声が響くと、森の景色がまるで溶けるように消え失せ、かなり大きな村が目の前に現れた。
そこに俺と向き合うように一人の魔人が立っている。
歳は三十代後半だろうか、黒縁の眼鏡がとても良く似合う長身の美女だった。
髪は僅かに緑がかっており、如何にも賢そうな感じでこちらを見ている。
いや、実際に賢いのだろう。
なんせ感じる魔素量と妖気がリュティスの比じゃない。
彼女はまっすぐ俺の前まで歩いてくると、スッと地面に跪いて言った。
「ようこそお出で下さった、
そう言うと頭を上げてリュティス達を見る。
「私は此処の村長をやっているファトナという。あなた達にも済まないことをした。謝罪をさせてほしい。そして、このタイミングでこのお方を伴って来てくれたことに感謝を」
ファトナと名乗った女の後ろで、徐々に人が集まり始めている。
この村に住んでいる百人弱、その全員が魔人で、みな一様に若い女性の姿をしていた。彼女らはこちらを、というよりは俺のことをじっと見つめている。
どうやら当たりのようだな。ここが魔女の集落だ。
そしてどこにも死体が見当たらない。
つまり、先ほど俺が放った炎の槍は、地面が焦げていないことからも、何者かに防がれたらしい。
死人が出なかったから、このまま知らん顔をしていればこの件はうやむやにできるが、流石に俺の好奇心が勝った。
『私が放った炎はどうしたんですか?』
俺が筆談をするとは思わなかったのだろう、ファトナさんの眼が少し見開かれる。
しかしすぐに元の無表情に戻ると、
「あのままでは死人が出ていたので私が防いだ。最初は無効化しようとしたのだが、既存の魔法体系のいずれにも当てはまらない攻撃だったため、無効化は諦めて全力で防御させてもらった。気に障ったのなら謝罪する」
そう言って頭を下げた。
いやいやいやいや、すげぇよあんた。
いくら威力が本来の半分になっていると言っても、ほとんどの魔物は一撃で消し飛ばせる威力なんだ。
それを複数放ったのに全部防ぐだなんて、はっきり言って尋常ではない。
その堂々とした仕草、誰よりも多い魔素量と俺の攻撃を防ぐほどの強さ。
俺の中のファトナさんの評価は急上昇中だ。
「その上で貴女様の力を信じて、無礼を承知でお願いしたいことがある。どうか、この村を……いや、この地を救ってはくれないだろうか!」
再度頭を下げたファトナさんに合わせて、村の人々も悲痛な顔で俺に向かって頭を下げる。
相当大きな問題が迫っているようだった。
今日からリュティス達も住む村なんだし、話ぐらいは聞くか。
『オークの軍団?』
「そうだ。偵察に行った子の話によると、目視でおよそ十万もの大群が森を抜けた先にあるコウガ王国を目指している。その進路上にあるこの村は、あと三日と経たずに飲み込まれるだろう。それを率いるのは十中八九、
「
「ああ、膨大な魔素量と禍々しい妖気を放っていて、ほとんど間違いない。既に魔王種になっている」
「そんな……!」
リュティスが絶望した顔で口を覆う。
あれから俺たちは村の中に通されて、今はファトナさんの家で彼女とリュティスと俺の三人で机を囲んで話をしている。
ミナとニナとはじめとする他のメンバーは、外で村の人達にこの村を案内してもらっている。
「「おーー!」」
時折笑い声が聞こえるから、早くも馴染んでいるようで何よりだ。
この村は思った以上に発達していた。
建築はしっかりと頑丈に建てているし、小さいながらも畑だっていくつか存在する。
井戸もあるし、下水道も簡単ながらしっかりしたものが整備されており、彼女たちが数百年かけてコツコツとこの村を作り上げて来たことが伺える。
その村を脅かしている
リムルとかなり良い勝負を繰り広げたのは覚えている。
「転スラ」序盤の山場だ。
「貴女様が百年もの間、暴風竜と互角以上の戦いをしていた様子はここからハッキリと見えた。そんな貴女ならば
『見えていたのですか?』
「ええ。まるで神話を目撃しているようだった。完璧な防御、想像を絶する魔法の数々、不可解な魔法陣。この村に、貴女様のファンじゃない娘なんて居ませんよ」
おぉう、なんだか嬉しいようなむず痒いような……。
なんでリュティスが嬉しそうな顔をするんだよ。いま褒められてるの俺だよ?
「ところでまだ貴女様のお名前を伺っていなかったな。いつまでも
「あ、それは私も気になっていました。自らお名乗りにならないから私から聞くわけにもいかず……」
そういえばそうだったか。
でもなぁ、実は俺も知らないんだよね、舞台装置の魔女の本名。
「舞台装置の魔女」も『ワルプルギスの夜』も名前ではなく、名称、称号みたいなものだし。
うーん、どうしたものか。
?????ですワ。
あ、そうそう?????だわ、本名。思い出した。
うわマジか、俺ついに『ワルプルギスの夜』の本名を知っちゃったのか。いやぁ、地球のオタク諸君、すまないね! はっはっはっはっは!!
そうと分かったなら話は早い。
俺は紙に?????と書くと、目の前に座っている二人に見せた。
………あれ? 反応薄くないかな。
なんで二人とも困ったような顔をしているんだ?
少なくともリュティスはめちゃくちゃ褒めるだろうと思っていたのに。
しかしその疑問はすぐ解けることになった。
なんてことはない、二人には理解できなかったのだ。?????を。
「あの……これは何と書いてあるのですか?」
「困ったな……言語学にはいささか自信があるが、しかしこの言語は初めて見たぞ……」
『え? お二人には読めないのですか?共通語で書いているはずですが』
「そうなのか?……いや、しかし……」
「申し訳ございません。私には知らない文字に見えております……」
この不可解な現象には驚いた。
俺の眼には、紙の上にしっかりと?????と共通語で書かれているのが映っているが、俺以外の目には全くの未知の言語に映るらしい。
これは困った。
仕方ないから今度は「舞台装置の魔女」と紙に書いて二人に見せた。
「舞台装置の魔女……ですか。なるほど、確かに納得できます」
「ああ、あの堂々とした姿はまさに『魔女』を体現した存在だろう。素晴らしい名前だ」
「しかし…これは名前というよりは…」
「どう呼ぶか、だな……」
今度は二人が困った。
俺のことをどう呼んだら良いのか、二人してあーでもないこうでもないとうんうん唸っている。
ここで二人に『ワルプルギスの夜』という呼び方を教えれば解決するのだろう。
実際、地球でも俺のことを『ワルプルギスの夜』と呼ぶ人がほとんどだった。
しかし、この呼び名は致命的な問題を抱えている。
そう、「
いやほんと、どうすっかなぁ……
アラ。ワルプルギスを名乗るのに、何か問題がありまして?
この世界の魔王は総じて短気だ。
全員が常に暇を持て余しているし、プライドもやたらと高い。
魔王を自称する馬鹿が現れれば、すぐさま十大魔王の内の誰か一人が激怒して戦争を仕掛けてくるような奴らなのだ。
そんな奴ら相手にワルプルギスを名乗ってみろ、それは
最悪の場合、全員を敵に回しかねない。
いくらなんでもそれは厳しい。
魔王如きがなんです。ワタクシは「舞台装置の魔女」でしてヨ? それはアナタが一番よくお分かりでしょう?
ああ、ああ、それはもちろんさ。
「舞台装置の魔女」の恐ろしさは、誰よりも俺が一番理解している。
でも、ここは「転スラ」の世界なんだ。
魔法もスキルも持たない俺では、何が起きるか分からない。
ワルプルギスの名を諦めるおつもり?
それも嫌なんだよな。
では、答えはもう明白では無くっテ? この世界で、ワタクシ達は自由ですワ。
それはそうだ。
でも、死ぬときは死ぬ。
魔王全員を敵に回せるほど――。
ワタクシの名は。
………そうか。いや、その通りだな。
俺は「舞台装置の魔女」だ。
回り続ける愚者。超絶弩級の超大型魔女。
「
それは全ての魔女にとってのお祭り。絶望と呪いが舞台を沸かす、悲嘆の一夜。
魔王どもにはお引き取り願おう。この名前は俺だけのものだ。
ええ、エエ! 『
俺は紙に『ワルプルギスの夜、とお呼びください』と書いて二人に見せる。
するとこれがどうやら二人の気に入ったらしく、手放しで絶賛していた。
「素晴らしいお名前ですね! これからはワルプルギス様とお呼びしますね!」
「ああ、威厳に満ちた名だ。ワルプルギス様と呼ばせていただこう」
さて、そうと決まれば早い方が良いだろう。
俺はごく自然に椅子から立ち上がると、ファトナさんの家の扉を開けて外に出た。
この時、当人は気づかなかったが、彼が行ったのは間違いなく「自らへの名付け」と呼ばれる行為だった。
本名は認識されず、「舞台装置の魔女」も『ワルプルギスの夜』も本名ではない呼称だったが、どちらも存在を定義づけるに耐え得る強度を持っていた。
だから、それは不完全ながらも「名付け」であった。
彼も「彼女」も気付けなかったが、その瞬間にその名は魂に刻まれた。
二つの魂の奥底で、確かに何かが変化した。
家の前には既に村の人々とミナ達が集まっていた。
みんなも村の人から話を聞いたのだろう、こちらを心配そうに見上げている。
ミナとニナだけは、何故かやたらキラキラした瞳を向けてきているが。ま、眩しい。
「どうしたんです?急に」
後ろからリュティスとファトナさんが追いついて来る。
もし、俺が動かなければ、ここにいる人たちは全員死ぬだろう。
いくらファトナさんが強くても、オークの軍団を退けられるほどではない。
出会う前ならまだしも、俺はもう彼女たちと出会ってしまった。
ファトナさんのことは嫌いじゃない。
リュティスやミナやニナのみんなは、俺によく懐いてくれている。
その彼女たちが住むことになる村なんだ。
ここで見捨てたら寝覚めが悪い。
なにより、つまらないじゃないか。
俺のものを勝手に壊されるのは。
『その話、受けました。
「そうか!感謝するよ、本当に助かる!それでは、さっそく準備に――」
『いいえ。今から行きます』
「……い、今から、ですか?」
俺はやると言ったらやる男だぜ?
学校の通知表にも「やればできます」って書いてあった。
『迎え撃つなんて興が乗りません。こちらから出向きます。私による単騎侵攻、たった一人の進軍です』
人化を解いて本来の姿に戻る。
三角帽が消え、上部の無い剝き出しの頭部が露わになる。
歯車が巨大化し、ドレスの前部分が開き、身体は天地逆さを向く。
角のような二本の帽子が生え、俺は使い魔を解き放つ。
さぁ、行こう。
目標、オーク軍。
敵は
舞台の幕は、自分の手で上げるものヨ?
ウフフ
お読みいただきありがとうございます。
前半の展開が少し強引かも。
さくさく進みますよ、ほのぼの日常パートは書くのが苦手なんです。
書ける人は本当に尊敬する。
あと、「魔女のお祭り騒ぎ」ですが、「魔女の宴」や「魔女の夜」にしなかったのは、こっちのほうが舞台装置の魔女の名前に合ってるなと思ったからです。