オーバーロード <物語の分岐が確認されました> 作:ヒツジ2号
かなり長くなってしまいました。
明日(今日)からは通常の更新ペースに戻ります
パルメーラとガゼフが『水精達の囁き亭』に到着したのは夕方の事だった
宿の扉を開ける瞬間、パルメーラは小さく呟いた。
「…いい緊張だ」
宿の1階の食堂には『漆黒の剣』の皆が待っていた。
「ああ、パルメーラさんと…ガゼフ戦士長殿ですか?」
「ああ、皆、ただいま」
「『漆黒の剣』の皆さんか、俺はガゼフ・ストロノーフ。パルメーラ殿には大変お世話になった」
「色々と話すことが有るんですが、まずは扉を閉めていただけますか?こちらで話しましょう」
「わかった」
パルメーラは、宿の扉を閉め食堂の奥に進んでいく。
そしてカウンターで宿の主に告げる。
「今日からもう2人宿泊するから部屋を見繕ってくれ。見ての通り、大人と子供だ。あの2人は同じ部屋で構わない……それと、少々五月蠅くなるかもしれんが許してくれ」
「ん…いや……分かった。部屋を用意しよう」
ガゼフとノアクが部屋に入っていくのを見計らい、パルメーラは仲間たちに向き直る。
「だいたいは
「ええ…
パルメーラからは、ガゼフとの接触に至るまでの出来事と、皆殺しになった村の様子、麻薬畑の事などを報告。
ペテルは冒険者組合で見た、“疑わしい依頼”と商会長のオルソンの様子。
そして奴隷売買場や娼館に忍びこみ、証拠となりそうな書類を集めてきたことと、確認した裏稼業が関わっていると思われる店の位置を共有した。
実を言うとパルメーラは、ペテルから貰った情報はほぼ把握しているし、何ならペテル達がまだ発見していない、八本指の息がかかった店や隠れ家も把握している。
当然それは、ペテル達に忍ばせた
「で、パルメーラさん。最後の娼館から離脱するとき、どうやら透明化を見破る術を持った奴が居た様でニニャが見られた。一応フードで顔を隠していたし、すぐに転移で宿まで来たが、追手が来る可能性も考えて皆、今も武器を持っている。夜は交代で見張りを立てるつもりだ」
「ああ、正しい判断だと思うし、お前が想像している通りで追手が居るな。この宿の周りにおかしな奴らが何人かいた」
「…やはりか」
「ああ、だがどのみちガゼフを連れてきたから、そっち経由で監視はされるだろうと思ってな、この宿に来る前にガゼフ連れて街の中を一周してやった。奴らからすれば殺したつもりでいたガゼフが元気に歩いているわけだ。手っ取り早く奴らに見つけてもらって、あちらから動いてもらうことにした。まあ今夜あたりまとめて来るんじゃないか?」
「わかった。それと手に入れた証拠の書類は戦士長様に託そうと思うんだがパルメーラさんもそれでいいか?」
「オルソンとやらとの繋がりの証拠はあったのか?」
「奴隷売買の書類に署名があったから、それが証拠になると思う」
「この街の領主との繋がりは?」
「…それは見つかっていないな」
「そうか…まあ分かった。俺はガゼフに証拠書類のことと、今夜襲撃があるからお前は子供を守ってろと伝えておく。ペテル、俺は今夜、
「…パルメーラさんにそう言ってもらうと心強いな。ああ、任せてくれ。パルメーラさんも無理はしないで…いや、パルメーラさんに言う事じゃないか」
パルメーラはニヤッと笑うと、そのまま2階のガゼフ達の部屋に行くため階段のほうに歩いていく。
だが途中で一瞬止まり、ニニャの方を見て言った。
「…ニニャ、居たか?」
ニニャは首を横に振った。
それを見たパルメーラは『そうか』とだけ呟き、階段を上がった。
そしてそのまま、街の闇に消える。
***
「なあ、俺も遊べるか?」
見た事が無い男が立っている。
その場の責任者であるゴロツキ風の男は、見た事が無い男をじっくりと観察する。
黒目黒髪で武器の所持はナシ。
服装はラフな町人服で魔法の効果がある様にも見えない。
首には銅のプレート。
見ない顔だが新米冒険者か…これはいいカモだ。
ゴロツキはそう思った。
「冒険者か?ああ、良いぜ。ここのルールは分かってるか?」
「いくらかカネを賭けて、ちょっとしたゲームを楽しめると聞いたんだが。細かいルールなんかは教えてくれ」
「ああ、勿論だぜ。まずはこのカードはな…」
責任者のゴロツキも、それ以外の店員も、まだ気づいていない。
この違法賭博場に入ってきたカモに見える新米冒険者のような存在が、自身に幻術をかけて姿を誤魔化している山羊頭の悪魔であることを。
親側の負けが天文学的な数字になった頃、カモであるはずの男は冷酷に告げる。
「また俺の勝ちのようだな…ところで今俺の価値は金貨で言うと1万枚を超えているようだが、払えるのか?」
「ま…待ってくれ…いや貴様、何らかのイカサマをしてやがるな!テメーがここから出られないようにしてやることも出来るんだぞ!」
「面白いことを言うな。ここから出られないのはお前たちではないのか?まあ金貨はあるだけ貰っておこう。残りはお前たちの魂で我慢してやろう」
「あぁ?!…なン……ああ、そうだな友よ…今ここにある全てのカネを持ってくるから待ってなよ」
ボーっとした目でふらふらしながら裏へ引っ込んでいく責任者の様子に、他の従業員が呆気にとられる。
そしてその横に、先ほどまでいなかった存在、
「
「畏まりました、我が主よ」
その夜、リ・ロベルの街に存在していた後ろ暗い経歴の店が一斉に事件に巻き込まれた。
賭博場やゴロツキのたまり場では殺し合いが起こり、違法な奴隷売買場や違法奴隷を扱っていた娼館の従業員は忽然と姿を消し、奴隷たちは皆夜のうちに神殿が経営する教会へ放り込まれていた。
その騒ぎに気付かなかった、八本指暗殺部門直下の者達はアジトから静かに『水精達の囁き亭』に集結した。
宿の主の手引きを受けて裏口から侵入したその者達が最初に見たのは1階の食堂で水を飲んでいたドルイド風の男。
ちょうどいい、向こうを向いている。
アダマンタイト級という事らしいが、後ろから毒の塗られた刃を突き立てられれば助かるまい。
短剣を突き入れた瞬間、その感触のおかしさに気づく。
岩?
ドルイドの形をしていた岩が速やかに形を変え、短剣を持った手を岩の中に飲み込む。
「自然に敬意を払わぬものは自然に足を掬われるのであるな」
何もない場所から声が聞こえたかと思うと、男がスーっと姿を現わした。
その身を纏うのは漆黒の森司祭服。
穏やかそうな表情とは裏腹に、強力なオーラを纏っているのが分かった。
「
植物の蔓が仲間の1人を包み込み、すぐにその姿が消えた。
その様子を見た他の者が慌ててその漆黒の
見ると、薄く光る矢によって自身の足の甲が貫かれ、宿の床に繋がれていて動けないのだ。
フードに顔を隠していて、姿を現わしたにもかかわらず、その存在が希薄で夜の闇に紛れているかのようだ。
「オレのスキル〈陰留めの矢〉は、お前らの身体と影を地に繋ぎとめる…このスキルで可愛い
そう言うとその闇に紛れるような希薄な気配の
潜入した暗殺者のうち3名はそのまま2階のガゼフが泊まる部屋に向かった。
その部屋は一番奥。
3名は足音を消し、素早く部屋に向かう。
しかし不思議なことが起きた。
部屋のドアを回そうとしたが、それが叶わないのだ。
おかしいと思い、ナイフを持っている方の手を見たが、そちらの手もおかしい。
ナイフが無い…いや、手首から先が無いのだ。
3名が痛みと焦りで声にならない声を上げようとした瞬間、背後から男の声がした。
「俺が預かった“漆黒の剣”は、文字通り漆黒の中を奔る…もはやお前はドアを開けることも武器を持つこともできない…闇に消えるが良い」
3名は訳も分からずに意識ごと闇に消える。
刺客を裏口から通した宿の店主は恐怖と安堵の混じったようなため息をついた。
本当はこんなことはしたくない。
だがここ1か月ほどの間に、街には八本指が力を持つようになり、領主も助けてくれず、生きていくためには奴らのいう事を聞かなければいけない。
アダマンタイト級冒険者と言う人類の守り手を暗殺する行為に手を貸すなど、本当はしたくないのに…
そう思った瞬間、首元に冷たい何かが当たった。
「…この杖は念じれば簡単に炎と雷撃を吐き出し、瞬きをする暇もなくお前の命を奪える」
暗闇に2つの目が光る。
その少し高いような少年のような声には聞き覚えがある。
泊めているアダマンタイト冒険者の
なぜ…確かに部屋に入ったのを見たはずなのに…
「なぜ、部屋に戻った僕がここにいるか分からないか?」
「ヒッ!」
思っていたことにそのまま答えられ、恐怖に悲鳴が漏れた。
「アダマンタイト級の
「ごっ…ごめんなさい…どうか…たすっ…助けて…!」
「…お前がこれから唯一できる事。それは宿の主として宿泊者を普通に送り出し、今後二度と犯罪者と関わらない事。それを破れば即貴様の頭を破壊する。そういう魔法をかけてやろう」
「ヒッ」
ゴンッ!
超手加減した一撃で、店主の頭を杖で小突いた。
気を失った店主を自室に放り込み、彼の自室机の上には警告のために、暗殺者が使っていたナイフを突き立ておいた。
「ま、そんな魔法使えないけどね」
ニニャは小さく舌を出した。
「ニニャ、大丈夫だったか?」
「ああ、ペテル、みんなも」
「ラクショーだったぜ!」
「で、あるな!」
「じゃあ僕はガゼフ様に報告してくるよ…はぁ…それにしても皆、パルメーラさんの影響受け過ぎじゃない?」
クーニヴィステア村の麻薬畑を焼き払われ、村人が騒然としているなかで、その様子を同じく呆然と見つめていた村長は、不意に自分が喋れなくなっていることに気づいた。
そして耳元で、深い闇のような男の声が聞こえた。
「貴様があの燃えているモノの事実を知っていたか、知らなかったか、それはどうでも良い。あのモノを齎した街の愚か者共は明日の朝日が昇るころには、もうこの世にはいないだろう。貴様がすべきことは今後、畑には野菜を育て、二度とあのような不快な植物を植えぬよう、村人を指導することだ。そのために必要なカネは用意してやろう。覚えておけ、地獄の住人は貴様の行いを見ているぞ」
その言葉が終わるとともに強い邪悪な気配は霧消した。
村長は余りの出来事にその場にへたり込む。
ウルベルトは、賭博場で集めたカネを村長宅の家のテーブルに放り投げると、
続けて
「
翌日、クリストフェル・オルソンは自室の扉を叩く音で目が覚めた。
ドンドンドンドン!!
「なっ…なんだ?!こんな朝早く、誰だ?!」
その声に扉の外から男の声がした。
「オルソン商会の商会長、俺は冒険者組合の依頼を見てきたものだ。物資運搬とやらの依頼について話がしたい!」
クリストフェル・オルソンは一瞬耳を疑った。
いや、確かにその依頼は自身が冒険者組合に出させたものだ。
そしてそれは自身の上司に当たる八本指密輸部門長のエンディオ様からの指示である。
だがこんな時間に、私室までやってくるというのはどういうことか。
屋敷の使用人は何をしているのか。
「五月蠅いぞ貴様、さすがに朝が早すぎる。それよりもどうやって入ってきた!使用人はどうした!」
彼がそう言うと、扉が乱暴に開かれた。
立っていたのは漆黒の衣に身を包んだ、黒目黒髪の男。
その男は、クリストフェルが委縮するほどの強い殺気を放ちながら言った。
「使用人は先に縛り上げたようだ。残るはお前だけだ」
「…は?」
漆黒の男が言った意味が分からず一瞬固まった。
次の瞬間に別の男が入ってくる。
「クリストフェル・オルソン!この国の法で禁止されている奴隷の売買に関わった罪で貴様を捕えに来た!」
その男を見た瞬間、クリストフェルは叫んだ。
「貴様はガゼフ!何故?!しくじったのか?!」
最初に入ってきた漆黒の男が答えた。
「…この街の南に出没していたアンデッドどもは、この王国戦士長に雇われたアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒の剣』が全て滅ぼした。無論、
漆黒の男の後ろには、確かに昨日“面談”をしたアダマンタイト級冒険者の4名。
その4名すべてがすさまじい殺気を放っている。
「繰り返すが、貴様が奴隷売買に関わったことはこの羊皮紙に記録されている。貴様をこれから王都へ運びしかるべき処罰を受けてもらう!」
ガゼフ・ストロノーフがそう言うと、“雇われた”冒険者たちがクリストフェルをきつく縛り上げた。
「くっ…!」
クリストフェルは、自身が失敗したことを悟る。
そしてこの失敗により恐らくエンディオ様から何らかのペナルティーを受けるだろう。
だが、王都へ入ってしまえばそこは八本指の庭。
投獄されても速やかに自由の身になるのは明白だ。
そう考えて薄く笑った瞬間、耳元で声がした。
「幸運にも貴様はただの人間として裁いてもらえるそうだ。だが八本指の権力を使い罪も償わずに再び市中に戻る様ならば、その時は、人間としての裁きは期待せんことだ」
その言葉が終わるや否や、クリストフェルの意識は刈り取られた。
「パルメーラ殿!」
「安心しろ、殺していない。ガゼフ、お前は口が堅いか?」
「な…いや。貴殿との約束ならば必ず守ろう」
「だ、そうだ。ニニャ、往復頼めるか?」
「ええ」
後方からペテルがノアクを連れてくる。
「ノアク。お前にもこれから起こることは絶対に秘密にしてもらう必要がある。これはその代価だ」
パルメーラはノアクに小さなラッパのようなものを2つ渡す。
「これは〈悪魔が来るから笛を吹け〉というアイテムだ。この笛を吹けば19体の悪魔が現れお前のいう事を聞く。まあそこまで強くはないが、普通の人間程度ならば敵わないだろう。ガゼフの家に住むなら大丈夫だとは思うが、何かあったら迷わず使うといい」
「あ…ありがとう…ございます」
パルメーラは頷くと、縛り上げられたクリストフェルを片手で持ち上げた。
「じゃあ、ペテル、ルクルット、ダイン。ちょっと行ってくる。ニニャ、頼む」
「はい。じゃあガゼフ様、ノアク君、僕の近くに来てください…
「こ…ここは!」
「ガゼフ様、リ・エスティーゼの西の門の近くまで来ました。ここからは歩いて向かってください」
「な…まさか…転移か!いや…何から何まで、本当に恩に着る!」
「気にしないでください。これからもこの国のために、よろしくお願いいたします」
「ああ、任されよう!」
「ガゼフ」
「パルメーラ殿」
「俺は、この八本指の男を法律で裁くのは反対だ。貴族と繋がっているんだろう?高い確率でこいつらは無罪になるぞ」
「…分かっている。だが、王に仕える俺が、秩序を乱すわけにはいかないのだ」
「…ガゼフ、聞いておきたい」
「…何だろうか」
「お前が王国戦士長として王に見いだされ、王のために民を守っているというのは理解した。だが、お前が本当に守りたいのは、王か?国か?それとも国民か?」
「それは……」
「お前が本当に守りたいものは、綺麗ごとだけで守れるものではないと俺は思う…少なくともこの国では。覚えておけガゼフ。いつか選択をする日が来るだろう。お前がその立場で、甘さを捨て、本当にやらなければならないことをやれ。そうでなければ、全てが失われる。それはお前の責任だ」
「………俺は……」
「戻ろう、ニニャ。ノアク、お前も、強く生きろ」
その言葉を残して姿を消した漆黒の英雄の言葉を、ガゼフは何度も何度も反芻した。
しかし答えが出ることは無かった。
ガゼフとパルメーラの邂逅は、互いの心に強い印象を残した。
***
『漆黒の剣』の一行は現在、馬車に乗ってリ・ボウロロールに向かっており、もう少しで城門が見えるところとなった。
リ・ロベルの件が終わったのち、パルメーラが『蒼の薔薇』に連絡を取ると、とても手が足りない状態だから時間があるならば任務を手伝ってほしいとの依頼が来た。
この依頼は第三王女ラナーからの依頼であり、冒険者組合を通していないものであるため違法すれすれのものであるが、内容が八本指に関わることで達成難易度もアダマンタイト級でないと難しいという事から、『漆黒の剣』に要請がかかったと言える。
報酬は後日ラナーから出してもらうようラキュースが説明するとのことだ。
パルメーラとしても、第一王子バルブロに憑けた
そういう訳で一行はひとまずリ・ボウロロールで合流することになったのだ。
到着してみると、まだ『蒼の薔薇』は戻っておらず、時間も遅かったのでこの日は宿でゆっくりすることにした。
長旅で少々疲れていた『漆黒の剣』のメンバーが眠りについたのを確認し、パルメーラは静かに指輪に触れ、顕現した“大災厄の魔”はリ・ロベルの領主屋敷へ転移した。
ロベロ伯爵は、まだ若く父親から爵位を継いだばかりである。
先代はそれなりに有能で、王国としては珍しくまともな政治をしていたが、それは八本指が勢力を広げるにつれて難しくなっていった。
先代は最期まで麻薬などの非合法なモノの流入を拒んだが、ある日晩餐でワインを飲んだ直後に血を吐いて亡くなってしまう。
その後、あれよあれよという間に、息子に爵位が引き継がれ新たなロベロ伯爵が生まれたが、同時に屋敷や街には八本指の息がかかった者が増え始めた。
彼には分る。
父親は暗殺された。
そして自分は監視されている。
恐ろしい。
ただ恐ろしい。
彼は震えながら、八本指の言いなりとなり、何時しかリ・ロベルの街は非合法な商売が増えていってしまった。
しかしその動向はある日突然変わる。
王国戦士長と彼が雇ったアダマンタイト冒険者チームの働きにより、街中の八本指関連の店が一斉に消えた。
文字通り、関係者は不幸な事故や仲間割れで命を落とすか、忽然と消えてしまった。
そして元締めであった商人のクリストフェル・オルソンは戦士長によって逮捕され、王都に連れていかれた。
自分が恐れていた者は、まるで夢の様に全てが消えてくれた。
なのに恐ろしい気持ちは消えない。
八本指によって、死んだ、不幸になった領民。
その者達が自分を責めているような悪夢を何度も見る。
クリストフェルが消えて何日か経った日の夜。
その日もロベロ伯爵は自身のベッドに頭を埋めて、悪夢に怯えながら早く深い眠りに落ちるのを願っていた。
しかしその願いは叶わなかった。
何者かが自分の頭を押さえ、瞬間体が動かなくなった。
その手の主が小さく『コントロールアムネジア』と呟いた。
意味は分からない。
ただただ震えるしかない。
しばらくすると、体が起こされ、目の前には額に六芒星の描かれた山羊のような顔の悪魔が座っていた。
余りの恐怖、だが声は出ない。
背後から別の者の声がした。
「罪深き愚かな人間の領主よ。お前の前にあるのは審判の悪魔バフォメット。これからお前の罪を明らかにし、相応の罰を与える」
声の主の顔は見えない。
身体が動かず振り返ることは出来ない。
だが分かることは、その者は人間ではないだろうという事。
「すでにこの屋敷の中の者のうち有罪の者は裁きを終えた。見よ。バフォメットは罪人の心臓を得た」
目の前の悪魔の手には7つの心臓が握られていた。
そして目の前には手の指を8本失い、2本だけになった、7名の者の死体。
その顔はどれも恐怖で歪んでいる。
ロベロ伯は気付いた。
その者達は皆、八本指と繋がり、自分を監視、あるいは指示を出してきたメイドや使用人だった。
「っ…!!!!」
声が出ない。だが涙が溢れる。
「次はお前の番だ。読み上げられた罪に従いお前は一つずつ指を失う。失える指は8本まで。9つ目の罪はお前の命で賄うことになるだろう」
目の前の悪魔は、自分では動かせない自身の手を掴んだ。
「一つ、この街に麻薬を引き込んだ」
ブチリ
目の前の悪魔が左手の小指を引き千切った。
「――――――――――――!!!!!!」
涙が止まらない。
汗も涎も止まらない。
「一つ、この街で奴隷売買を行った」
ブチリ
次の指は左の薬指。
「一つ、この街に違法娼館を作り奴隷を働かせた」
ブチリ
左の中指。
「一つ、この街に違法な賭博場を開いた」
ブチリ
左の人差し指。
「一つ、この街に違法な暗殺者組織を呼び込んだ」
ブチリ
左の親指。
左手からは指が無くなった。
ロベロ伯はもう、糞尿を垂れ流し、恐怖と痛みで今にも気が狂いそうだった。
だが意識を手放すことも、大声で叫ぶこともできない。
「一つ、この街に違法な窃盗者集団を呼び込んだ」
ブチリ
右の小指。
「一つ、この街に違法な金貸しを呼び込み、領民を苦しめた」
ブチリ
右の薬指。
「一つ、密輸を行う商会をのさばらせ、麻薬を運ばせ、領民の生活物資を枯渇させた」
ブチリ
右の中指。
襲い来る気が狂いそうな痛みの中でロベロ伯は理解していた。
ここまで宣告された8つの罪は八本指の各部門のことだ。
父の死後、八本指は与しやすいこの街で、全ての部門の商売をしていた。
そして絶望的な言葉が告げられる。
「一つ、犯罪と知りながら恐怖に負け、八本指の行いを傍観した」
目の前の悪魔の手が、ゆっくりと左の胸に伸びてくる。
その瞬間、不思議なことに声だけが出せるようになった。
「あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
ここまで受けた痛みに対する悲鳴が、まず口から飛び出した。
その後、口から空気が抜けるような、間抜けなヒューヒューと言う音が部屋に木霊する。
「さて…お前の罪はこれが9つ目だ。9から先は命だと告げた。何か言うことは有るか?」
「アッ…ハッ…ハッ…!!」
「何もないか?それでは…」
「待っッ…まって…待って、ください…!」
「どうした?命乞いは意味がないものと知るが良い」
「ちがっ…ちがいますッ…お願い…お願いがございますっ!!」
「…言ってみろ」
「りょ…領民を…!罪なき屋敷の使用人をっ…どうか…どうか助けてください!!」
「ほう…お前のような罪人が、他者の心配をすると言うのか?」
「おねっ…おねがいしますっ…どうか…どうかっ!!!」
「では、9つ目の罰は特別に命以外のもので賄おう。お前が声を上げずに堪えることが出来たら、その願い、叶えよう」
その言葉が終わると、目の前の悪魔の手は胸から上部へ上がっていき、顔の横まで進んできた。
そして、その手が左耳を掴んだ。
ビリビリブチブチブチ…
ゆっくりと、左の耳が裂かれていく。
ロベロ伯は歯を食いしばって必死に耐える。
ぼとり。
目の前に今しがた引きちぎられた耳が落とされた。
「よく耐えたな。それでは約束通りお前の願いは叶えよう。俺からは領民や使用人に手は出さん。しかし、お前が地獄へ落ちた後、お前が呼び込んだ八本指、その者達がお前の領民たちに手を出すかどうかは俺の知るところではない」
ロベロ伯は気付いた。
確かにそうだ。
自分が消えた後、次にこの街を治めるのは誰だ?
それこそ八本指がその椅子に座れば、領民は今以上に苦しむのではないか?
幼き頃、父の真っ当な統治に憧れていた。
自分も大きくなったら、父の跡を継いでよりこの街を発展させて…
だが、自分は恐怖に囚われ、全て見てみぬふりをしてきた…
背後の声が絶望の言葉を続ける。
「では、続きだ。一つ、領民の苦しみに目を瞑り、多くの者を殺し、絶望させた」
その言葉を聞いた瞬間、ロベロ伯は大声をあげて泣き出した。
自分の愚かさ、情けなさ、そういったものをすべて理解し、取り返しがつかないことをしてしまったのだと強く自覚した。
「あああああああ!!!!!!お願いです!!!!私の身体は全て捧げます!!魂も!!何もかも!!ですからお願いします!!!残された領民をお守りください!!!彼らを少しでも幸せに!!!!」
悪魔の手は自分の左目に伸びた。
「ならば10個目の罪もまた命以外で賄おう。お前が声を上げずに堪えれば、考えてやろう」
悪魔の指が眼窩に入りこんで来る。
ぶち
ぶちぶち
ぶちぶちぶちぶちぶちぶち…
掴まれた眼球がゆっくりと引っ張られ、視神経が乱暴に引き裂かれる。
先ほどとは比べ物にならない痛みを、歯をかみしめながら耐える。
耐えきれなかった歯が何本か折れた。
そして、ぼとりと左の眼球が落とされた。
「よく耐えたな。だが貴様が苦しめた領民は、今のお前と同じように声を上げることも出来ずに死んでいったのだ。よって貴様の願いを聞くわけにはいかん。領民を守り領民の幸せを成すのは領主の務めだ。11番目の罪を犯したとき、俺はお前を苦痛の果てに連れ去るだろう。ゆめゆめ忘れぬことだ」
その言葉が終わると、目の前の悪魔は姿を消した。
転がっている7体の死体も霧のように消えた。
ロベロ伯はそこで気を失った。
数日後、ロベロ伯爵邸に自身の子女を送り込んでいた、八本指の息がかかった7名の貴族の下には、送り込んだはずの子女のものと思われる
貴族たちは自身の派閥の大貴族や八本指へそのことを伝え、八本指はこれを明確な宣戦布告と取り、リ・ロベルの街の八本指粛清に関わった王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと、それを補佐したアダマンタイト級冒険者チームを明確な敵と認定する。
しかし、その後リ・ロベルの街に八本指が店を出すことは無かったし、ロベロ伯爵の屋敷に八本指の息のかかった者を送り込むことも出来なかった。
その日以降、ロベロ伯爵は人が変わったように清廉かつ強権的に政治を行うようになり、どれほど嫌がらせや時に誘拐や拷問を受けても決して犯罪を許さない街づくりに尽力していった。
この出来事は、リ・ロベルの街から犯罪者たちが消えたことも含めて“リ・ロベルの変”と呼ばれ、その街の領主は、おそらく犯罪者から受けた拷問によって負った傷痕から『片目片耳指二本の名君』と呼ばれ、後世にその名を残した。
次回からリ・ボウロロールに舞台が移ります。