LCB、シャーレの先生になる 作:ハーメルンのTakamagi
『こ、これは……』
緑色に濁った液体が場を支配する、深海のような空間。改めて言うが、ここはアビドス砂漠の上だ。そのあり得ない光景の中で戦慄するホログラム越しのアコの視線の先で、巨大な怪魚が軽やかに濁流の中を泳いでいる。
背中に突き刺さった、ぼんやりと輝く蛍光灯の山。目のない頭部。大きな二つの口。
時計の中でガンガンと響く警鐘と、私の視界に映る情報が、あれが間違いなく「幻想体」だと断言する。
〈まさか、ここで遭遇するとは……〉
『ダンテ先生!あの生物は、この状況は一体何なんですか!?』
冷静さをかなぐり捨てて叫ぶアコ。
私はどこから説明すればいいか思い悩みながらも、事実だけを一つ一つ言葉にした。
〈あ、あれは『幻想体』と呼ばれている怪物で……本当は私たちの故郷のもののはずなんだけど……と、とにかく、今は私の命令を聞いてくれないか?〉
『何を言って──!』
反発しようとしたアコだが突然口を噤んだ。しばらくの間私を見つめた後、なにか確信があったのか屈辱を滲ませながら口を開く。
『……いえ、今は、ダンテ先生の命令を聞くのが賢明ですね。一時休戦です』
〈ああ、頼むよ〉
短く告げた後、私は深淵に向かって足を進めた。
迫りくる濁流の圧力に抗いながら、この地獄の渦中へと進んでいくと、段々と甲高い音が聞こえてくる。戦闘の音と……生徒たちの悲鳴だろうか。
その悲鳴が鮮明に聞こえるようになった頃には、既にこの空間の中心へとたどり着いていた。先ほどよりやや明るいが、それでも水底のように暗い。
蛍光灯を瞬かせる鯱は現在、満身創痍のヒースクリフと一騎打ちをしていた。あれほど戦場を暴れまわっていた酉筆頭も、この液体で満たれた空間では、機動力を殺され、まともに相手の攻撃を受け止めることすら難しそうだ。
……いや、ヒースクリフに助力するのは後だ。別に彼はあとでいくらでも蘇生できる。
問題なのは、この濁流に巻き込まれた生徒たちだ。
「ん、先生!」
〈シロコ……と、セリカ?〉
声がした方向へ振り向くと、シロコがセリカを背負いながら重い足取りで駆け寄ってきていた。当然、その二人の様子から、
いつどんなときであれ、軽快なステップで戦場を駆け抜けていたシロコが、珍しく息を切らして憔悴していた。
セリカに関しては、これでもかと唇を震わし、シロコの服を決して離さないように強く握りしめている。
「セリカが……さっきから様子がおかしい」
〈そうなったのはいつからか覚えてる?〉
「あのシャチと戦ってから、だんだん……」
案の定、二人はあの幻想体の攻撃をまともに食らってしまったようだ。
キヴォトス人は異常なまでに肉体が硬い。だが、それはあくまで「物理的」な話に限る。
得体の知れない怪物から受ける「精神攻撃」に対する耐性は、普通の人間と何ら変わらないのだ。
「……やだやだやだやだやだやだやだやだこないでこないでっ、おねがいだから、はなれないでよ」
「大丈夫、私と先生はここにいるから……けど、どうすれば……」
キヴォトス人の唯一の弱点。精神のタガが外れてしまえば、いくら肉体が頑丈でも命に関わる。
視線を上げ、周囲を見渡す。未知の恐怖と濁流に心身ともに支配され、ただただ声を上げることしかできない風紀委員の歩兵たちがいくつも見えた。
〈まずは、セリカも一緒に、風紀委員たちを安全圏に引き上げないと〉
「……わかった」
幻想体の空間の外へ逃がすことは難しくても、攻撃の届かない辺境なら多少の安全は保障できるだろう。
〈ヒースクリフ! 少し時間を稼いでくれ!〉
私の命令に応える素振りを見せず、ヒースクリフの刀が燃え上がると同時に、彼も烈火のごとく咆哮を上げて幻想体の方向へ足を強く踏み込む。
海中の流れに逆らうように赤い軌道を描き、目の前の怪魚へ大きく刀を振り下ろし、その巨体を僅かに退けさせた。
私たちはその隙を搔い潜り、濁流の中で蹲る風紀委員を一人ずつ確実に引き上げていく。
安全地帯へと引き揚げられた彼女たちの表情は、今のセリカと同様、ひどく疲弊し、虚ろになっていた。
「……人が足りない」
しばらくして、シロコが六人目を引き上げたところで、焦燥感を滲ませる。
やはり二人でこの場にいる全員を助けるのは難しい。いや、一人で五人以上救助している彼女の身体能力は十分ありがたいのだが……。
だが、この速度で救助を続けるとなると、残された風紀委員の精神が完全に崩壊してしまう。
私も急いでいるつもりなのだが……この貧弱な体力では、一度に一人運ぶのが限界だ。
〈他に人は──〉
その時だった。
ヒースクリフと激突していた幻想体の巨体が大きくうねり、その大きな尾びれが濁流を巻き上げながら運悪く私に向かって薙ぎ払われる。
「先生ッ!」
シロコが叫ぶ。だが私を庇うのにはあまりにも距離がありすぎる。
直撃すれば、私は即死するだろう。それはあってはならない。なんとしても、打開策考えなければ。
このまま残酷な運命を身に受けようと、目を瞑り覚悟を決めた刹那──。
ふわりと、強い力で体が宙に浮くような感覚に襲われた。
〈な、何!?〉
強烈な風圧の後、恐る恐る目を開けると、私の体は五体満足のままだった。間一髪で助けられたみたいだが……。
誰だ? シロコでも、ヒースクリフでもない。状況的に、彼らがすぐさま私を助けに入るのは至難の業だ。
──腹部に強い圧迫感がある。見下ろすと、褐色肌の細い腕が私の体をガッチリと掴んでいた。
「チッ……! 指揮官なら、もうちょっと後ろに下がってろ!」
銀髪をたなびかせる少女が、私を強引に引きずりながら怒鳴っている。
〈イオリ? 助けに来てくれたのか〉
「勘違いするな。私は『私の部下』を助けに来ただけだからな!というか、この状況はなんなんだ!?なんで海みたいな空間ができてるんだ!?」
……少しあたりが強いのはなぜ?いや、そんなことより。
私は強張っていた脚を叱咤し、よろけながらも立ち上がる。
〈目的は何であれ、私を助けてくれたことには感謝するよ君も満身創痍で相当疲れているとは思うけど……私の指揮を聞いてくれないか? 君の部下を救うために〉
「話を……ッ!」
私の言葉に、イオリの目が細められる。
〈まずは、あの濁流に飲まれている負傷者たちを安全圏へ引き上げたい。シロコ一人じゃ手が足りないんだ。……力を貸してくれない?〉
私の言葉に、イオリはギリッと奥歯を噛み締めた。
敵である『シャーレの先生』から指示を受ける屈辱。だが、彼女は風紀委員会の切り込み隊長だ。部下の命には代えられないはず。
「……私は私の部下を助けるだけだ。あんたの指図に従うのは、今回だけだからな!」
イオリは忌々しげにそう吐き捨てると、弾かれたように濁流の中へ飛び込んでいった。
そのスピードは、平常時の駆け抜ける速度と据え置きといっても差し支えなかった。彼女は文字通り疾風のごとき速度で、濁流の中でパニックに陥る風紀委員たちを抱え上げ、次々と安全圏へと放り投げていく。
対策委員会の切り込み隊長たるシロコと、風紀委員会の切り込み隊長たるイオリ。つい先ほどまで銃口を向け合っていたはずの二人が、今は無言の連携で要救助者を回収していく。
よし、これで人的被害は最小限に抑えられる。あとは、あの幻想体をさっさとぶちのめすだけ──。
──と、いきたいところなのだが。
「ぐっ……!」
〈って、ヒースクリフ! 一回退却して!〉
足止めを任せていたヒースクリフが、絶賛劣勢に追い込まれていた。
現在彼に被せている「黒獣-酉 筆頭」は、自らの身を焦がす血炎と狂乱で敵を切り刻む、引くことを知らない命知らずの戦闘スタイルだ。そのため、敵の攻撃だけでなく、彼自身の自傷によるダメージまでもが尋常ではなく蓄積している。
なら必殺技を撃ち込み建て直せばいい……というわけにもいかない。彼はそれに加え、幻想体からの
いくら私がいれば蘇生できるとはいえ、彼が倒れてしまえば防波堤が決壊し、救助活動中の生徒たちにまで二次被害が及んでしまうし、死とは無縁にある生徒たちのトラウマになってしまうだろう。
そう危惧して後退を指示したのだが、戦闘の狂気に脳の髄まで浸りきっている今のヒースクリフに、私の声など届くはずもなかった。……本当に、どうしてこんな時にあんな人格を選んでしまったのか。
夢貪る濁流は、ヒースクリフの猛攻をその不気味な巨体で無理やり押しのけ、彼の体勢を大きく崩させる。
濁流の圧力に呑まれ、血炎刀の火もすっかり勢いを衰えさせてしまった彼に向け、幻想体は今、その巨大な二つの口をかっぴらいた。周囲の地形ごと、彼を削り取らんと邁進する。
「何かお困りかしら、先生?」
〈アル?〉
絶体絶命のピンチに陥ったその時。私の背後から颯爽と現れたのは、愛用のスナイパーライフルを携えたアルと、静かに戦況を見据えるカヨコだった。
「なるほど……あの不気味なクジラ……? から、ヒースクリフを助ければいいのね?」
〈できるの!?〉
「ふふっ、誰にモノを言っているの。任せて頂戴!……ここで銃が使えるかはわからないけどね」
アルは自信満々に不敵な笑みを浮かべると、ガチャンと派手な装飾のライフルを構え、スコープを覗き込んだ。銃に添えられる左手が一目でわかるぐらい震えてはいるものの。
標的は、不規則な濁流の中で豪快に舞う巨大な幻想体。あんなイレギュラーな挙動の目標に、しかもこの距離から当てるなんて──。
私が懸念を口にする隙もなく、ライフルの銃口から強烈な火花が咲いた。
放たれた一筋の弾丸は、重い水の流れに翻弄されることなく真っ直ぐに飛翔し──標的の急所を貫く……とまではいかないものの、その巨体に極めて強い衝撃を与えた。
ズドォンッ! という鈍い音と共に、突進していた幻想体の軌道が大きく逸れ、明後日の方向へと突き進んでいく。ヒースクリフは間一髪で捕食を免れた。
「ふっ、便利屋68社長の腕前、見事に的中したわ」
〈す、すごい……!〉
流石、と私が素直に感嘆の声を漏らした、その直後だった。
横で冷静に状況を観察していたカヨコが、ポツリと呟く。
「……ちょっと待って社長。あの怪物、軌道が逸れてこっちに来てない?」
「……へ?」
カヨコの言葉に正面へと向き直ってみると、明後日の方向へ直進していたはずの幻想体が、不気味に体をくねらせ、大きく迂回して私たちの方へ水をかき分けて迫ってくる姿が見えた。
どうやら、先ほどの狙撃で完全にヘイトを買ってしまったらしい。
〈逃げるぞ!〉
「な、なんでこうなるのよー!?」
即座に私は叫び、二人とともに少しでも距離を取ろうと走り出す。
この動きづらい水中で追いかけっこをして、果たして逃げ切れるかどうかは別として。
背後から水が荒々しく渦巻く音が響きだす。
アルが恐怖のあまり白目を剥いて悲鳴を上げる一方で、カヨコは走りながらも落ち着いた声で私に問う。
「……このままだと追いつかれるけど、何かいい案とかあるの?」
〈どこかに『蛍光灯』が漂着しているはずだ。それを壊して奴に誘導攻撃を仕掛ける!〉
「蛍光灯って、あのクジラの背中に刺さってるのしかないわよ!?」
走りながら、私は頭の中で情報を整理する。
夢貪る濁流の攻略の鍵は、蛍光灯だ。
空間内に漂着した蛍光灯を破壊することで幻想体を誘導し、隙を突いて背中の蛍光灯を奪い取り、酸素供給を行う。これが正攻法。
とはいえ、今回の戦場は今までとは色々と条件が違う。空間がどこまで侵食されているかも未知数だ。銃火器を扱う生徒たちを上手く連携させ、かつ幻想体が以前通りのギミックで動いてくれることを祈るしかない。
だが、今はそんなことより、追ってくるあの巨大な口から逃れるのが先決だ。
もしあの「沈潜殺到」をまともに喰らえば、今の私の身体など文字通り弾け飛んでしまうだろう。
『ん、ドローン支援を行う。先生たちは避けて』
不意に通信機から聞こえたシロコの冷静な声に、私たち三人は顔を見合わせた。
〈それじゃあ、『さん』で右に跳ぶよ? ……いち、に、さん!!〉
私の合図と共に、私たちは濁流の抵抗に逆らいながら、全力で右へと身を翻した。
直後、呼応するように幻想体の巨大な口へ向けて複数のミサイルが撃ち放たれる。突進の勢いを殺せなかった幻想体は避けることもできず、そのまま爆炎の餌食になった。
「や、やったかしら!?」
「社長、映画だとそれ、大体生きてるパターンだから……」
少し離れた地点で、爆発の様子を見守る。
キヴォトスの火器の威力は凄まじいが、それでもあの化物がそう簡単に死ぬとは到底思えない。
「とりあえず、まずはその『蛍光灯』を探せばいいのね?」
〈ああ。それと、この空間での単独行動は危険だ。固まって動こう〉
そうだ、インカムが繋がっているんだったな。これを介して作戦をみんなに伝えよう。
〈みんな! 突然この状況に置かれて混乱しているとは思うけど、今は私の指示に従って、あの怪物を倒すことに集中してくれないか! まずは、この空間のどこかに漂着している『蛍光灯』を探して壊してほしい!〉
……あっ、イオリとは通信回線を繋いでいなかったような気がするが。
そんなことを走りながら思案していると、突然インカムから頼もしい声が響いた。
『ダンテ先生! 南方へ五十メートル、対象である蛍光灯と似た形状の発光体を確認しました!』
〈ありがとう、アヤネ! アル、カヨコ、私についてきて!〉
暗い水底のような視界の先に、ぼんやりとだが、確かな光が差し込んでいた。
アヤネのナビゲートに従い、二人を連れて蛍光灯のある方向へ駆け出そうとした――その時。
背後で水が爆ぜる音がし、振り向くと、爆煙を突き破って幻想体が再びこちらへ迫ってくるのが見えた。当然だが、今この空間で奴から最も近いのは依然として私たちだ。
「ま、また追ってくるわよ!?」
〈ヒースクリフ、 迎撃できるか〉
「ハハッ! 俺の獲物だ、邪魔すんじゃねェ!!」
通信機を通さずとも響き渡る狂笑。
直後、私たちの頭上を飛び越え、血と炎を纏ったヒースクリフが颯爽と現れ、迫り来る巨体へ真っ向から刃を突き立てた。
「血爪……炎火ァ!! その湿ってぇ皮膚を焼き焦がして、骨まで啄んでやるよ!!」
開始早々、血炎刀を燃え滾らせ、凄まじい剣幕で幻想体の頭突きと正面から激突する。
先ほどは濁流に飲まれて劣勢だったが、今は違う。自らの血を沸騰させたことで彼のコンディションは以前より遥かによくなっているようだ。このまま単独で戦わせ続ければいずれ押し負けるかもしれないが、私たちがギミックを解除するまでの時間稼ぎとしては十分すぎる。
彼の猛攻を背中で感じながら走っていると、お目当ての蛍光灯が鮮明に見えてきた。
「これが、攻略の鍵……?」
〈そうだ。どういう理屈かはわからないけど、これを壊せば奴の注意を逸らして、大きな隙を作ることができる〉
「聞くだけだと到底信じられない話ね。……まあ、とりあえず壊してみましょう」
アルはそう言い切ると、カッコよく決めようと愛銃を構えたが、カヨコに「弾丸の浪費はよくないから」と冷静に制止された。アルは不満げに唸りながらもライフルを逆手に持ち直し、銃床で一つずつ蛍光灯を叩き割っていく。
ごく普通の蛍光灯と同じように、それはパリンと乾いた音を立てて簡単に砕け散った。そして残骸からは、なぜかボコボコと不自然な気泡が湧き出てくる。
「ふぅ……全部叩き割ったけど──って!? あのクジラ、こっちに来てるわよ!?」
〈いや、これで合ってる! 巻き込まれる前に下がるぞ!〉
再びヒースクリフを振り切り、幻想体が猛スピードで突進してくる。
だが、その挙動が私の記憶通りだったことに、私は不思議と安堵を覚えていた。
私たちが割れた蛍光灯から距離を取ると、幻想体は漏れ出た気泡を逃さず吸い込もうと、巨大な口を大きく開けた。だが、その勢いのまま、先ほどアルが叩き割った鋭利な蛍光灯の破片の山へと激突する。
ギュォォォンッ! という悲鳴と共に怪魚の巨体が跳ね、あの頑強な皮膚に無数の深い裂傷が刻まれた。
〈よし! これをあと二回繰り返せばいい!〉
「……この作業をあと二回? ちょっと面倒……いや、なんでもないわ」
〈……? カヨコ?〉
傍らに立つカヨコは、意味ありげに視線を細め、激痛にもがく幻想体を冷静に観察していた。
何か効率のいい作戦でも思いついたのだろうか。
彼女に尋ねようと、一歩近づいた瞬間だった。
突如として、もがいていたはずの幻想体の巨大な口の奥で、周囲の濁流が恐ろしい勢いで渦を巻き、圧縮されていくのが見えた。
〈って、やばいやばい!〉
「な、何!? 今度はビームでも放つ気!?」
私は完全に失念していた。あの幻想体は、そこそこ範囲のある理不尽な攻撃を結構な頻度で放ってくることを。
というか、痛がっている最中なのに構わずこっちへ反撃してくるのはなんなんだよ!? 凄まじい殺気を感じる……!
〈ヒースクリフ! 私を庇って!〉
私の叫びに呼応し、血と炎を纏ったヒースクリフが私の前へ飛び出してくる。彼は私を乱暴に庇うように立ち塞がると、その両の前腕から翼を展開した。
次の瞬間――鼓膜を劈くような轟音と共に、超高水圧に圧縮された濁流のビームが、私たちを飲み込む。
〈うおっ!?〉
「ぐうぅっ……!!」
本来なら私の貧弱な体を両断していたであろうあらゆる衝撃は、前面に立つヒースクリフの翼が全て受け止めてくれた。
だが、問題は物理的な威力ではない。この濁流の攻撃には、精神を削り取る不快な作用が乗っているのだ。
「いやーっ!!?」
「うぅっ、なに、これ……」
私とヒースクリフだけではない。傍にいたアルとカヨコも、直撃こそ免れたものの、余波の飛沫をまともに食らってしまっていた。
「ちっ、不愉快だな……」
〈まだ来るよ!〉
鯱は非常に執拗だ。今度はその巨大な体そのもので、私たちを押し潰さんと降下してくる。
「ん、私たちに任せて」
「今回は仕方なくだからな!」
間一髪。浮上してくる幻想体の巨体へ向けて、私たちの背後から口径の異なる二種類の弾丸の雨が降り注いだ。シロコのアサルトライフルと、合流したイオリの狙撃銃。寸分の狂いもない精確な弾幕が怪魚の皮膚を激しく叩く。
流石にその集中砲火は堪えたのか、幻想体は身を捩り、再び後方へと引き下がっていった。
ろへ引き下がっていった。
退いた怪魚はそのまま、深い水底と化した地中へと大きく身を潜り込ませる。その巨体が沈み込んだ衝撃で濁流が乱れ、私たちの足元に強い波が押し寄せた。
「ん、大丈夫?」
〈助かった……アルとカヨコは大丈夫?〉
「え、ええ。今のところ、なんともないわ」
そう強がるアルの声は微かに震えていた。
見れば、ライフルを構える手も僅かに強張っている。精神への影響は確実に残っているはずだが、それでも気丈に振る舞おうとするのは、流石は組織の頂点に立つ者といったところか。
隣のカヨコも、顔色こそ少し悪いものの自力でしっかりと立ち上がり、冷静さを保っている。大事には至っていないようだ。
――その直後。水が引いた後の砂漠に、今度は『束になった』複数本の蛍光灯がぼんやりと光り、漂着しているのが見えた。
「ん、あれが例の光る棒」
〈よし。ヒースクリフとシロコ、イオリは、また向かってくるであろう幻想体の迎撃と足止めをお願い!〉
三人を指名し、私と残った人員で蛍光灯のもとへ向かおうとした時だった。
「……ねえ、シロコ」
「ん? なに?」
「持ってるその手榴弾、いくつか貸してくれない?」
カヨコが静かな声で呼び止め、シロコのポーチを指差した。
シロコは少し小首を傾げながらも、「ん、いいよ」と素直に数個の手榴弾をカヨコの手へ渡す。
「ありがとう。……行くよ、社長」
「えっ? あ、ああ! 任せて頂戴!」
カヨコとアルが先行し、束になった蛍光灯の前へとたどり着く。
「またこれを壊せばいいのよね?」
「私も手伝う」
「助かるわ、課長」
今度はカヨコも加わり、漂着した蛍光灯の束を一つずつ叩き割っていく。
その光景を横目で見ながら、私はふと気になったことを尋ねた。
〈そういえばカヨコ、さっきシロコから手榴弾を借りていたよね? 一体どこで使うつもりなの?〉
「これ? ……ちょっと試したいことがあって」
彼女は淡々とそう言いながら、束の中から
てっきり、手榴弾の爆破を利用して一気に蛍光灯を壊すのだと考えていたのだが……その一本をどうする気なのか、全く見当がつかない。
そうして手元の一本を除く全ての蛍光灯が破壊されると、再び激しい水流を巻き起こしながら、怒り狂った幻想体が姿を現した。
シロコやイオリから降り注ぐ銃弾の雨にも、闘鶏の如く飛びかかるヒースクリフの刃にも気を留める様子はない。怪魚は一心不乱に割れた蛍光灯の残骸へ突っ込み、再びその鋭利な破片で自らの巨体を深く切り裂いた。
「よしっ、これであと一回ね!」
狙い通りにダメージを負った幻想体を見て、アルが喜びの色を浮かべる。
――だが、今度の奴は違った。
自傷の激痛に身を捩りながらも、怪魚は衝突の勢いを殺すことなく、そのまま真っ直ぐに私たちの方へと突っ込んできたのだ。
「ごめん、社長。ちょっと一人にさせて」
「えっ? ちょっ、カヨコ課長? どこに行くのよ!?」
突然、カヨコが単独で私たちの陣形から外れ、濁流の中を走り出した。
何が何だか分からなかった。彼女が一体何をしようとしているのかも。
……カヨコの手に、煌々と緑色に輝く
〈さっきの蛍光灯!?〉
「えっ!?そ、それって……!?」
カヨコは走り去りながら、手にしていた蛍光灯を折って割って見せた。その亀裂からは小さな気泡がボコボコと漏れ出し始めている。
そうか。先ほどあの化物が激痛に耐えてまで一直線に突っ込んできたのは、カヨコが持っていた最後の蛍光灯を追っていたから。彼女が急に陣形から離れて走り出したのも、自身を囮にし、私たちを突進の二次被害に巻き込まないため……。
それだったらカヨコの身はどうなる?いつも冷静な彼女なら勝算あっての行動だろうが、今回の作戦はあまりにもリスクが高すぎる。
「……外殻が硬いなら、中から直接壊すのが手っ取り早い」
カヨコは淡々と独り言のように呟き、ピタリと足を止めた。
彼女の視線の先には、まるで水面から顔を出すサメのように、体半分を水底に沈み込ませながら猛烈な勢いで迫る幻想体の姿があった。
巨体とカヨコの距離がだんだんと狭められ、いよいよ幻想体が気泡を求めてその巨大な口を大きく開け放った――まさにその瞬間。
カヨコの手から、気泡を漏らす蛍光灯と、ピンを抜かれた複数の手榴弾が、同時に巨大な口の中へと正確に放り投げられた。
投擲した瞬間に、身を翻し突進を避けるカヨコ。
幻想体はそれが罠だと気づかず、盲目的に水中に浮かぶ蛍光灯を手榴弾ごと飲み込んだ。
凄まじい爆発は水中に遮られることなく、幻想体の体内という完全に密閉された空間で巻き起こった。
水と肉が内側から弾け飛ぶようなくぐもった轟音。これまでのような表面的な傷ではない。口から黒焦げた煙と濁流を吐き出しながら、幻想体は悶え、その巨体を大きく揺らす。
「効果覿面ね!」
〈……ん?いやまだだ!〉
確かにあの爆破は大いなる損害を与えたはずだ。ただ、その威力は幻想体を完全に沈黙させるにはいたらなかった。
夢貪る濁流は死に絶えるどころか、苦痛による狂乱からその巨体を激しく捻り、強靭な尾びれで周囲の濁流を爆発的に薙ぎ払ったのだ。
完全に動きを止めると踏んでいたカヨコは想定外の反撃に対応しきれず、薙ぎ払われた水圧と尾びれの一撃をまともに受けてしまう。致命傷こそ避けたものの、彼女の身体は濁流の彼方へと大きく吹き飛ばされた。
「ぐっ……!?」
「カヨコ課長ッ!」
〈ヒースクリフ! カヨコへの追撃を止めて!〉
体勢を崩し、無防備となったカヨコへ向けて、再度幻想体の執拗な突進が襲い掛かる。
――カヨコを抱えて回避するだけならできるだろう。だが、それだとまた振り出しに戻り、蛍光灯を壊す作業からやり直さなければならない。この精神を削る空間での長期戦は、生徒たちにとって致命的だ。
なら、あの巨体の突進を正面から叩き潰し、無理やりにでも背中の蛍光灯を奪うしかない。
『ま、待ってください先生! あの突進の勢いは、そう簡単に止まるはずがありません! このままではヒースクリフさんもろとも、あの怪物の餌食に――』
〈分かってる。……だけど、こっちには『切り札』がある〉
『切り札……?』
通信越しの不穏なやり取りの中。
幻想体に向かって疾走するヒースクリフの姿が、パリンッ!! という硝子が砕ける音と共に変貌し始める。
それは、並行世界の可能性を引き出す「人格」ではない。
戦闘によって生まれる罪悪が集うことによってのみ発動を許される、幻想体に眠る借り物の感情――「E.G.O」。
「ハハッ……内臓まで真っ黒に焼いてやんよォ!!」
バチバチと、周囲の濁流を蒸発させるほどの強烈な紫色の稲妻が空間を駆け抜ける。
その中心には、狼のような黒い毛皮の衣装に包まれ、獣の耳を生やしたヒースクリフの姿があった。彼の顔の半分は、自ら発する異常な高圧電流によって痛々しく黒焦げに爛れている。
そして、彼がその両手に握りしめているのは、先ほどの刀ではない。無骨で巨大な電信柱を模した鈍器だ。
路地の番犬もとい電信柱、ヒースクリフ。
放電と共に跳躍した雷狼が、大上段からその巨大な電信柱を、突進してくる幻想体の脳天――そして背中の蛍光灯ごと、容赦なく叩きつけた。
幻想体の身体に凄まじい電流がいきわたり、今度こそ沈黙する。つまり、幻想体の背中にある蛍光灯が、完全に無防備になるということ。
〈あの蛍光灯を撃ち抜け!〉
「分かったわ!」
「あれを撃てばいいんだな!」
アルとイオリの二人が寸分の迷いもなくライフルを構え、引き金を引く。
放たれた弾丸が長距離先の標的を正確に捉え、次々と蛍光灯を粉々に撃ち砕いた。
すると、水中に散らばった無数の光る破片が、不思議なことにボコボコと気泡を上げながら互いに収束し、形を取り戻した蛍光灯が今度は地面に刺さりこむ。
「よし。これで人数分は集まったぜ」
吹き飛ばされていたカヨコも無事に合流し、共に漂流物を回収する。私たちの元へ戻ってきたヒースクリフの腕には、人数分の小さな蛍光灯が抱えられていた。
ちなみに、彼は元の人格の姿へと戻っている。
「課長! 体調は……大丈夫じゃなさそうね」
「ごめん、社長……ちょっと羽目を外しすぎたかも。それに、トドメには届かなかったし」
「気にしないで。あなたのあの特攻のおかげで勝機が見えたんだから。……あとは私たちに任せて、ゆっくり休んで頂戴」
アルがカヨコの肩を支え、しっかり見つめてそう労った。
流石に、これ以上カヨコを戦わせるわけにはいかないだろう。
〈みんな、一人一本ずつこれを受け取ってくれ〉
私が指示を出すと、生徒たちは光るガラス棒を渡される意図が理解できず、困惑した表情を浮かべながらもそれを受け取った。
「……これで一体何をするんだ?」
怪訝そうに蛍光灯を見つめるイオリ。
その疑問に答えるかのように――ヒースクリフは、突然手に持っていた蛍光灯を、躊躇いもなく自身の喉元へと深く突き立てたのだ。
「ひぃっ!!? く、狂ったんじゃないの!?」
「ああ? こうすりゃあ口も塞がんねぇし、呼吸もできて丁度いいだろ?」
〈ほ、ほらっ! ヒースクリフはもう喋らないで、さっさとカヨコを安全圏に運んで!〉
釈然としないようにヒースクリフは私を睨むが、そのまま大人しく満身創痍のカヨコを抱え、戦場から離れた場所へ跳躍していった。
「ん、私は普通に口に咥える。……少し血の味がするけど、わざわざ自分を傷つけるよりはマシ」
残ったイオリとアルも、渋い顔をしながら黙々と蛍光灯を口に咥え出す。それも普通に口の中を切るんじゃないかという疑問は一度置いておこう。
ふと、自身の手元に視線を落とす。そこには、本来カヨコが使うはずだった蛍光灯が一本余っていた。もしかしたら、何かに有効活用できるのではないだろうか。
〈カヨコは身をもって証明してくれたんだ。これを活用するほかないよね〉
視界の向こうで、巨大な影が激しく波打っている。
呼吸する手段を奪われた幻想体は、窒息の苦しみに悶えながらも、目がないはずの頭部を真っ直ぐこちらへ向けていた。まるで「それを返せ」と言わんばかりの猛烈な殺意を宿らせて。
『おほん。皆さん、この通信は聞こえていますでしょうか?』
「アコちゃん!?」
突然、インカムからアコの声が流れてきた。
〈えっ。なんで私のインカムに……?〉
『奥空アヤネさんが使用している回線に間借りしています。それはそうと、ダンテ先生。いつまであんな化け物に手こずっているんですか。ゲヘナ風紀委員会からのささやかな支援です。今すぐ南方へ百メートル向かってください』
〈そ、そっか……ありがとう!〉
意外な人物から援助の申し出をもらった。とりあえず、彼女の指示通りそっちへ向かおう。
〈イオリ、この余った蛍光灯を持ってくれる?〉
「……んぐっ。なるほど、これであの怪物を誘導しろってことね」
イオリは口に蛍光灯を咥えながらも、器用に余った一本を手に持ち、走り出す姿勢をとる。
〈みんな! 南へ走るよ!〉
私の合図と共に、私たちは一斉に南へ向かって濁流を駆け出した。
直後、背後から凄まじい水音が弾け、呼吸を求める幻想体が狂ったように私たちの――正確には、イオリの手に握られた蛍光灯の気泡を追って猛追してくる。
その巨体に飲み込まれないよう必死に泳ぐように走り続け、アコに指定された「南方百メートル」の地点がうっすらと見えてきた、その時。
濁流の向こうに、一人の見慣れた少女のシルエットが立っていた。
「ちょっと! 遅いじゃない! さっさとアイツをここまで連れてきなさいよ!」
ツンと尖った猫耳に、不機嫌そうな声。
先ほどまで精神攻撃でパニックに陥り、戦線離脱していたはずのセリカだった。
彼女は完全に息を吹き返している。……いや、それどころか。
〈セリカ!? もう治ったのか! ……って、君の周りにあるその山は……〉
「フフン、風紀委員会の連中が落としていった爆発物をかき集めておいたのよ! 対戦車地雷にC4爆薬、ついでに手榴弾も山盛り! アコって女に通信で言われて、私がぜーんぶ繋げてひとつの特大起爆装置にしてあげたわ!」
セリカの足元には、風紀委員会の歩兵たちが逃げる際に置き去りにしたであろう大量の爆発物が、文字通り「山」のように積み上げられていた。
先ほどのカヨコの手榴弾の比ではない。もしこれが一斉に起爆すれば、周囲の空間ごと消し飛ぶほどの火薬量だ。
『イオリ! その蛍光灯を爆薬の山へ放り投げて、全員退避しなさい!』
「了解、アコ!」
迫り来る巨大な口へ向けて、イオリが手にしていた蛍光灯を山積みの爆薬の中心へ向けて放り投げた。
同時に、私たちは全員で爆心地から全力で飛び退く。
気泡に飢え、完全に盲目となっていた幻想体は、放り投げられた蛍光灯へ向かって――その下にある特大の火薬庫ごと、貪欲に食らいついた。
噛みついた刹那、周囲はこれまでにない巨大な橙色の爆炎によって包まれる。先ほどカヨコが仕掛けたものとは比べ物にならない規模の大爆発だ。いかに頑強な幻想体といえど、ただで済むはずがない。
「ん、汚い花火」
「ひゅー! あの忌々しいシャチが見事に吹き飛んだわ! これでアイツも──」
セリカが快哉を叫んだ、その直後だった。
もうもうと立ち昇る爆煙の中から、重い水音を立てて
先ほどの爆発で、幻想体の頭部の皮膚と肉は完全に吹き飛んでいた。
黒く巨大な頭蓋骨が剥き出しになった痛々しい姿。だが、空洞である不気味な目の穴をこちらに向け、奴はまだ殺意を放ちながら迫りこようとしている。
「うぇーっ!? 嘘でしょ!? まだあんな姿になってまで追いかけてくるの!?」
「チッ、しぶとい化物め……! だが、流石にもう虫の息だろ! ここでトドメを刺すぞ!」
恐怖に顔を引き攣らせるセリカの横で、イオリが勇敢にライフルを構え直した。
彼女の言う通り、幻想体が致命傷を負っているのは紛れもない事実だ。ここから一気に攻め立てて、この戦いを終わらせよう。
〈みんな、一斉攻撃だ!〉
私の号令とともに、生徒たちの銃口が一斉に激しく瞬く。圧倒的な銃弾の物量で、幻想体の進行を強引に止める作戦だ。
硬かった外皮が先ほどの爆発で吹き飛んでいたため、銃弾は剥き出しの肉や骨に深々と突き刺さっていく。だが――やはり、その異常な突進を完全には止められない。
幻想体は痛みに狂いながら、猛スピードでこちらへ頭突きを仕掛けてきた。
シロコに抱えられながら、私たちはその鉄槌に等しい突進を紙一重で回避する。巻き上げられた巨大な水流によって、視界がぐらりと揺らいだ。
体勢を立て直し、再び射撃を再開しようとした――その時。
突進の勢いを殺さず一気に上空へと浮上した幻想体が、今度は眼下のセリカを標的に定め、巨大な口を開けて急降下してきた。
「っ!? 嘘でしょ、こっち来ないでよ!」
狙われたセリカは、先ほどまで爆発物をかき集めて走り回っていた疲労からか、足がもつれて回避が遅れる。
彼女の頭上に、骨と肉塊が剥き出しになった巨大な口が、丸飲みせんばかりに迫る。
〈行け、ヒースクリフ!とどめを刺すんだ!〉
「ハハッ! 随分と美味そうな骨になりやがったなァ!!」
濁流の天井から――いや、カヨコを安全圏に運んだ先から一気に跳躍してきたヒースクリフが、急降下する幻想体のさらに上空から、隕石の如く飛来した。
彼の全身からは、これまでの戦闘で負った傷と、自らの血を沸騰させた自傷ダメージによって極限まで高められた、紅に燃え盛る「血炎」が立ち上っている。
「血爪……炎火!!」
血炎刀がより一層燃え上がった瞬間。ヒースクリフは空中に鮮やかな赤い軌跡を描き、幻想体の真正面から真っ向勝負で突っ込んでいく。
こうなってしまえば、空中で身動きの取れない幻想体のほうが圧倒的に不利だ。怪魚が持っていたはずの突進の勢いは一瞬にして殺され、炎の斬撃によって容赦なく蹂躙されていく。
「ヒャハハハハハハハハハハハッ!!」
狂ったような熱気に溺れ、ただひたすらに目の前の物体を解体していくヒースクリフ。
逃げ場を失った幻想体は、ただ口を大きく開いてその運命を受け止めることしかできない。怪魚の巨体が、無数の裂傷と紅蓮の炎によって包み込まれていく。
「血天下鷄舞乱刀ォォォッ!!」
これでもかとボロボロに解体された巨体に、最大火力の一撃が炸裂した。
ヒースクリフの狂気的な咆哮が響くや否や、幻想体の断末魔と共に、この空間の形そのものが定かではなくなっていく。
周囲を覆っていた深海の濁流が嘘のように引き、アビドス市街地の本来の明かりがだんだんと戻っていった。
砂煙が晴れ、最後にその場に残ったのは――。
息を切らす私たちと、完全に沈黙し、不気味な卵の姿へと変貌してしまった幻想体だけだった。
「き、消えた?ってことは、あの怪物を倒せたの──」
「ふぅん!!」
「うわあっ!?」
今度こそ討伐した喜びに浸り、ヒースクリフに駆け寄ろうとしたセリカだったが、彼女の喉元スレスレに、燃え盛る血炎刀が強引に振り下ろされる。
彼がまだ戦闘の熱と狂気に浮かされていることに気づいた私は、急いでヒースクリフの人格を強制解除した。
人格牌を抜き取り、硝子の音が響くのと同時に、血濡れの獣の姿が崩れ去り、いつものヒースクリフの姿へと戻る。
「ちょ、ちょっと! なんで私を攻撃しようとするわけ!?」
「はっ? オレはそんなこと……いや、そうか。あー、……すまねぇ、なんか悪いことしちまったみたいだな」
素に戻り、バツが悪そうに頭を掻くヒースクリフと、元気よく文句を言うセリカ。
二人が言い合っている一方で、長い間あの異空間で戦い続けていた他の生徒たちは、極度の緊張の糸が切れたのか、どっと疲労が押し寄せるようにその場でへたり込んでいた。
「ハァ……もうなんなのよ! 急に化け物が現れたり、水の中で戦わされたり……」
「ん……今回のは、流石に体に響いた……」
アルとシロコが肩で息をしながらボヤく。
初めての「幻想体」との戦闘。しかも相手が精神を直接削ってくるイレギュラーな存在だったのだから、キヴォトス人といえど当然の反応だろう。
〈本当にお疲れ様、みんな。……さてと〉
もうすっかり休息のムードだが、私にはまだ懸念事項があった。
勿論、目の前に転がっている『幻想体の卵』の処置についてだ。
「先生。この変な卵は?」
〈幻想体って、倒されると卵の姿に戻るんだ。で、この状態から数時間経つと、また孵化して暴れだすっていう……〉
「はぁ!? 何それ、実質不死身じゃない!?」
セリカが信じられないというように叫ぶ。
そう、幻想体は最初から最後まで厄介なのだ。私たちの本来の職場では、戦闘後の卵の回収や処置はLCCのアフターチームが担当しているため、戦闘専門の私たちがこれをどう処理すればいいのか、正直頭を悩ませていた。
「皆さん! 大丈夫ですか!?」
「遅れてすみません! 向こうで少し手間取ってしまいまして……!」
突如響いた声に振り向くと、市街地の方向からノノミ、ハルカ、そしてムツキの三人がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。どうやら向こうの別働隊の戦闘も一段落し、こちらへ増援に来てくれたらしい。
「ん、みんな……」
「アヤネちゃんから通信で聞きました。本当に大変な戦闘だったみたいですね……遅れてしまってすいません」
〈大丈夫だよ。ちょっと苦戦はしたけど、みんなのおかげでやり遂げたからね〉
息を切らしながら身を案じるノノミに、私は努めて明るく答えた。実際、人的被害は出さずに済んだのだから上出来だ。
とはいえ、彼女たちに直接的な疲弊を負わせてしまったという事実は、少しばかり私の胸を痛ませていた。
「うわっ、カヨコっち大丈夫? 顔色、ほんとに悪いんだけど」
「う、うん……さっきの戦闘で、ちょっとね」
「へぇ~、カヨコっちがここまでボロボロになるなんて珍し。まあ、今はゆっくり休みなよ」
へたり込むカヨコを覗き込み、揶揄うように、しかし確かに労わるようにムツキが笑いかける。
こうして見ると、今回の戦闘の余波は私が思っていた以上に大きかったようだ。
『ふふっ。何やらやり切ったような感動的な雰囲気ですが……私たちの戦いは、まだ終わっていませんよ?』
すると突然、インカムからどこか自信に満ち溢れたアコの声が響き、この和やかな空気の流れを強引に断ち切ってきた。
「……なんなのよ? さっきまで協力しておいて、急にハシゴを外すわけ?」
『もちろん、あの化物を倒していただいた恩義はあります。ですが、それはそれ、これはこれです』
彼女がそういうと、その背後から武装した風紀委員が規律よく列をなして現れて、一斉にこちらへ銃口を向けてきた。
どうやら彼女は本気らしい。……というか、まだ私の身柄を諦めていなかったの?
「あー……お前らだって、さっきので相当消耗してそこまで余裕ないだろ。それに、こっちに爆弾まで寄越したし」
『……っ、こちらにはまだ物資の備蓄がありますから、許容範囲内です』
「強がってんじゃねぇよ、絶対後悔してるだろ」
ヒースクリフに痛い所を突かれ、一瞬声が上擦ったものの、依然として余裕綽々な態度を崩そうとしないアコ。
『それに、よくもまあそんな減らず口を叩けますね。先ほどのイレギュラーな戦闘を経て、あなたたちの疲労はピークに達しているはず。対してこちらには、無傷の戦力も多数控えているのですよ? これはもう、大人しく私たちに降伏するしか──』
「アコ」
『……え?』
意気揚々と勝利宣言をしようとしていたアコの言葉を、たった一声が遮った。
静かで、しかし決して無視できない重圧を伴った声。
『ひ、ヒナ委員長!?』
アコのホログラムが、先ほどの爆発の時よりも激しく揺らいだ。
風紀委員たちの列が割れ、そこから一人の少女がゆっくりと歩み出てくる。
随分と小柄な体格だ。だが、彼女自身が纏う雰囲気は、この場にいる誰よりも重々しかった。
白く豊かな長髪。圧倒的な存在感を放つ四本の黒い角と、黒い蝙蝠のような翼。そして、その小さな腕に巻かれた『風紀』の腕章。
〈ヒナ……?〉
『ゲヘナ学園風紀委員会の風紀委員長。……ゲヘナ学園の、最強です』
アヤネの震えるような通信が、彼女の正体を告げた。
設定し忘れておりましたが、本作品はAIに加筆修正の補助を受けています。
タグに「AI使用」を追加しました。今後ともよろしくお願いいたします。
ほんとに申し訳ない……。