『諦めたはずの彼女を、救いたいと思ってしまった俺の話』 ――戦場で壊れた獣人少女と、幼馴染の俺   作:筆速E

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※本話はアイリス視点です。


第三話 役割

 

「人間部隊との共同での長期行軍ですか……」

 

「そうだ」

 

目の前に立つのは、体躯の大きな牛の獣人だった。

二つのねじれた古木の枝のような角を持ち、不愛想な表情のまま、こちらを見下ろしている。

 

人間との共同行軍。

今の時期に、そんな任務を行う意味はない。

 

ハリス連邦との戦線が拡大している現状で、軍が前線の戦力を割く理由が見当たらなかった。それに、人間と獣人がタッグを組んで行軍するなど、聞いたこともない。

 

「一つだけ、質問をよろしいでしょうか」

 

「何だ」

 

「今回の西方行軍の目的について、詳しい見解をお伺いしたいのですが」

 

「……ただの訓練だ。獣人と人間が戦場で協力できるようにするためのものだ。陸軍全体の戦略強化が目的だ」

 

「ですが、それなら――」

 

「目的はすでに話した。他に質問はないな」

 

言葉を遮られ、それ以上は聞くなと無言で告げられる。

牛の獣人は不機嫌そうに鼻を鳴らし、そのまま部屋を後にした。

 

――いつものことだ。

 

上は、必要以上の情報を下には与えない。

指示されたことだけを実行し、それ以上は考えるなという姿勢。

 

だが、今回の任務は異常だ。

今さら、人間と獣人が協力できるようになるはずがない。

それに、東の戦線の維持すら危うい状況で、西方へ兵を動かす意味が見えなかった。

 

「いよいよ、本当に何を考えているのか分からなくなってきたわね」

 

そう呟いた私の隣で、橙色の尻尾を揺らしながら、狐の獣人が声を弾ませる。

 

「まあ、いいんじゃない? 私たちはやっとこの前線から離れられるんだし!」

 

彼女の名前はカシナ。

訓練生の頃からの友人だ。

 

橙色の綺麗な髪に、整った顔立ち。誰に対しても愛想がよく、いつも笑顔を絶やさない。男の獣人からの誘いも絶えないが、本人は気にも留めていない。

 

訓練を終えた後、別々の部隊に配属されたが、半年前に彼女が東の獣人部隊へ転属してきて、再び顔を合わせるようになった。それ以来、部隊に友人のいない私の、数少ない話し相手だ。

 

「でも、人間と一緒に、かぁ……それだけはちょっと面倒くさいね」

 

「貴方でも、人間相手だと取り繕わないのね」

 

「当たり前でしょ。人間に好かれたって、何の意味もないもの。アイリスだって、そう思うでしょ?」

 

「……ええ」

 

人間と獣人。

軍に入ってから、二つの種族の間にある深い軋轢を知った。

 

孤児院にいた頃は感じなかった、人間から向けられる見下した視線。

そして、獣人もまた、人間を見下している。

 

この息苦しい環境に適応するには、孤児院での記憶を切り離すのが一番早かった。

獣人は人間を嫌い、人間は獣人を嫌う――そう考え直すことで、私はようやく息ができるようになった。

 

「あっ、でもさ」

 

カシナが、思い出したように笑う。

 

「最近、人間と仲良くしてるみたいじゃない? 人間部隊にいる、あの若い子と。結構噂になってるわよ?」

 

「別に仲良くしているわけじゃないわ。孤児院の頃からの付き合いなだけ。向こうが勝手に寄ってくるのよ」

 

「へぇ~。じゃあ、あっちは好意があるのかもね。ケモナーってやつ?」

 

「……ケモナー?」

 

「獣人を恋愛対象として見る人間のことよ」

 

「それはないわ」

 

即答した。

 

「彼は、私を恋愛対象として見ていない。姉として見ているだけよ。孤児院の頃から、ずっとそうだった」

 

――そう、分かっている。

 

彼が見ているのは、過去の私。

孤児院にいた頃の、“姉だった私”の幻想だ。

 

それに応えられる私では、もうない。

応えるつもりも、ない。

 

――今の私の役割は、姉じゃない。

ただの兵士だ。

 

「でも、なんか分かるなぁ」

 

カシナは楽しそうに言う。

 

「アイリスって、母性があるよね。意外と世話焼きだし、頼りがいもあるしさ。何だかんだ、助けてくれるじゃん」

 

「組織で行動しているだけよ。仕方なく手を貸しているの」

 

「え~? 本当かな~? 実は心配で仕方ないんじゃないの~。お・ね・え・ちゃ・ん♡」

 

「……」

 

私は立ち上がり、カシナを睨んだ。

 

「私に母性を求めているなら、やめておきなさい。私は、自分の子供は甘やかさず、きちんと躾けるタイプよ」

 

甘えるような視線が、瞬時に怯えへと変わる。

 

「……は、はは。冗談よね?」

 

私は一度だけ立ち止まり、視線だけを向けて言った。

 

「次にその呼び方をしたら、貴方の綺麗な尻尾を引っこ抜くわよ?」

 

「……っ」

 

「そう思うなら、もう一度呼んでみればいいじゃない」

 

小さく微笑み、言葉を続ける。

 

「――い・も・う・と・ちゃん?」

 

それ以上何も言わず、私は部屋を後にした。

 




人間と獣人。
交わるはずのなかった二つの種族は、戦争という名の都合の下で、同じ道を歩かされることになった。

それが訓練なのか、試験なのか。
あるいは、誰かの思惑なのか。
その答えを、末端の兵士が知ることはない。

命令は下され、行軍は始まる。
拒むことも、疑うことも許されないまま。

ただ一つ確かなのは――
この行軍が、彼女と彼の関係を、否応なく引きずり出すということだけだった。
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