『諦めたはずの彼女を、救いたいと思ってしまった俺の話』 ――戦場で壊れた獣人少女と、幼馴染の俺 作:筆速E
けたたましく鳴る起床用ベルの音で、重い瞼を無理やり上げ、目を覚ます。
いつもと変わらない早朝特有の倦怠感が、体をベッドから離そうとしない。
(正確には、自分が離れたくないだけなのだが……。)
再び睡眠へといざなおうとする暖かな布団の誘惑を、無理やり断ち切り、ベッドから立ち上がる。
時刻は六時。これから十分ほどで身支度を整え、朝の点呼が始まる。その後、朝食を取り、七時三十分から訓練が開始される――はずだったが、今日からは違う。
人間部隊と獣人部隊による長期行軍。
今日から二週間ほどかけて、西方の山岳地帯まで徒歩で移動する任務だ。
しかも、獣人とのマンツーマン。
人間と獣人、二つの種族間での協力関係を構築し、戦場で上手く連携を取れるようにすることが目的らしい。
建前では「協力関係の構築」などと言っているが、要するに上は『仲良くしろ』と言いたいのだろう。
本当に、馬鹿な任務だと思う。
上は、今の東の戦線の現状が見えていないのだろうか。
こんな任務よりも、もっと優先すべきことがあるだろうと、心底思う。
身支度を整えながら、任務の詳細が記された資料に目を通す。
そして、マンツーマンを組む獣人の名前を見て、さらに眉を曇らせた。
そこには、自分がもっともよく知る獣人の名前が書かれていた。
乗り気ではない任務に加え、一緒に行動する獣人が彼女とは。
上は、どんな意図でタッグを組ませる相手を決めているのだろうか。
ただでさえ気まずい、今の彼女と、これから二週間も昼夜を共にするというのに。
「……憂鬱だ」
そんな言葉をこぼしながら資料を閉じ、身支度を終えると、点呼へ向かうため自室を後にした。
「ではこれから、今任務における概要について、再度、詳細と確認を行う!
知っての通り、諸君らには、我が帝国とダリア共和国の間に位置する山岳地帯、その麓の西部拠点へ向かって行軍してもらう!
なお、この行軍は二週間での到着を予定している!
また、今回の行軍中は、事前に知らせた通り、獣人と人間、それぞれ二人一組で行動してもらう!
そして、西部拠点までのルートについてだが――」
隊列の前で、大きな怒鳴り声を張り上げるライオンの獣人将校が、任務についての指示を出している。
その声を尻目に、目線だけで周囲を見渡した。
少しは緊張しているのか、人間の兵士たちは一様に顔がこわばっている。
一方、獣人部隊の方はというと、緊張しているというよりも、どこか億劫そうな表情で指示を聞いていた。
そこで、あることに気づく。
今回の行軍では、人間部隊から五十人、獣人部隊から五十人が集められている。
人間側は特にこれといった特徴がないのに対し、獣人部隊は、明らかにネコ系やイヌ系の獣人が大半を占めていた。
何か理由があるのかと考えながら獣人部隊を見回していると、小柄な銀髪の少女を見つける。
アイリスだ。
周囲の獣人と比べると、一回り、いや二回りほど小さいその体躯は、大人の中に一人だけ子供が混ざっているかのようだった。
それでも違和感なく溶け込んでいるのは、その立ち振る舞いによるものだろう。
背筋はまっすぐ、視線は前方をしっかりと見据えている。
軍人としてあるべき姿を体現しているその在り様が、この場に馴染んでいる理由なのだろう。
「――以上で、今任務における説明を終える。出発までに各位、準備を済ませるように。それでは解散!」
考え事をしている間に、任務説明は終わっていた。
しまったと思う。
資料で大まかな内容は把握しているが、ルートなどの細かい点はまだ不安が残る。
どうしたものかと悩んでいると――
「貴方、やっぱりちゃんと話を聞いていなかったのね……」
先ほどまで見ていた少女が、突然目の前に現れた。
「うわっ、いつの間に!? ていうか、なんで分かったんだ?」
「貴方は、いつも考えが顔に出ているのよ。
それに、上官が話している最中、ずっと私の方を見ていたでしょう。
顔を見なくても、集中できていないのは分かったわ」
どうやら、思っていた以上に視線を送り続けていたらしい。
鬱陶しそうな彼女の表情が、それを物語っていた。
「それより、なんでこっちに来たんだ。出発はまだ先だろ?」
「本当に何も聞いていなかったのね。
出発時間は三十分後よ。この短い時間で、最終準備とルートの再確認をしなくちゃいけないの。
そのために、パートナーである貴方と話をしに来たのよ。
もしかして、自分の相手が私だってことも忘れていたのかしら?」
「……いや、忘れてない」
彼女のまくしたてるような言葉――いや、説教に圧倒され、俺はそれだけ答えるのが精一杯だった。
完全に俺の落ち度だ。
そんな罪悪感を抱えながら、出発直前まで続いた彼女の説教を、大人しく聞き続けた。
今回の行軍ルートについて詳しく知ったのは、出発してからだった。
「いい? 西部拠点までのルートは三つあるわ。
一つは海岸沿いを通る北のルート。でも、この道は一番遠回りになる。
もう一つは、王都を一直線に通るルート。最短だけど、この規模の行軍で王都を通ることはできない。
だから私たちは、スータンとの前線近くを通り、南から西へ山岳地帯を抜ける、南西ルートを行くのよ」
「南の戦線を通って山越えか。本当に二週間で着くのか?」
「予定通り進めばね。
獣人の体力なら、二週間もかからないわ。
問題が起こるとすれば……貴方たち人間の方よ。だから、あまり足を引っ張らないで」
まだ出発前のことを引きずっているのだろう。
言葉は手厳しい。
「貴方たちは獣人と違って身体能力が低いでしょう。
なるべく体力を温存することを考えなさい」
それでも、心配してくれているのが分かる。
「……だから、余計なことは獣人に任せなさい」
「余計なこと?」
思わず聞き返すと、彼女ははっとしたように表情を引き締めた。
「……なんでもないわ。
とにかく、自分のことだけ考えなさいってことよ」
それきり、会話は途切れた。
周囲を見渡しても、人間と獣人が会話している様子はない。
ただ静かに、一団は歩き続ける。
そうして、気が遠くなるような一日目の行軍が終わった。
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夜。
「じゃあ、もう灯りは消すわよ」
「ああ」
そう言って、テントに吊るされたランタンのろうそくを吹き消す。
マンツーマンでの行軍。まさか、寝る時まで一緒とは思わなかった。
いくら獣人と人間とはいえ、男女なのだ。少しぐらい配慮があってもいいだろう。
もっとも、男の人間が女の獣人にどうこうできるはずもない。夜な夜な襲おうとするものなら、返り討ちにされるのが関の山だ。(そもそも、獣人に欲情する人間がいるとも思えないが)
それほどまでに、獣人と人間には力の差がある。さすがに女の人間と男の獣人のペアは、テントが別になっているようだが。
そんなことを考えながら横になると、隣から声がかかった。
「なんかこういうの、久しぶりだな。孤児院のころを思い出す」
確かに、と思った。
孤児院にいたころは、個室などなく、複数人で一つの大部屋に寝るのが当たり前だった。彼がまだ小さい頃は、ろうそくの火がない暗闇を怖がって、一緒のベッドで眠ることもあった。
少し成長してからは、恥ずかしがってか、いつの間にか一人で眠るようになっていたが、それでも部屋は同じだった。寝るときには、私が灯りを消し、離れたベッドの上で、二人とも静かに眠った。
そんな記憶を思い出し、私は懐かしさに浸る。
「そうね。でも、あの頃はもっと離れていたでしょ。こんなに近くで眠るのは、貴方がよく私の布団に潜り込んできて――
『お姉ちゃん、怖くて眠れないよ~』って泣きついてきていた頃以来じゃないかしら」
「いや、そんなことはなかったね‼ そんな恥ずかしいことしてた記憶はない‼」
大慌てで彼が飛び起き、赤面した顔をこちらに向ける。
少し揶揄ったつもりだったが、思いのほか動揺している。これは面白いと思い、そのまま茶化し続けた。
「いえ、確かに言っていたわ。毎晩泣きついてくるんだから、さすがに覚えているわ。それに、そんなに恥ずかしがることでもないでしょ。子供の頃なんて、お風呂も一緒に入っていたじゃない」
「それは本当に覚えていないからノーカンだ‼」
「じゃあ、夜に泣きついてきたのは認めるのね」
「いやっ……それは……もう、子供の頃の話はいいだろ!」
そう言って、彼は反対側に向き直り、横になった。
そんな照れた背中を見て、私は小さく苦笑する。
彼とこんな昔話をするのは、いつ以来だろう。
孤児院でも、最後の一、二年はほとんど話さなくなっていたし、軍に入ってからは、文通の一つもしていなかった。だから、軍で彼の姿を見た時は、本当に驚いたのを覚えている。
――なぜ、君がこんなところに来てしまったのだろう。
「……貴方は、なんで軍に志願したの?」
孤児院にいた頃からは想像もつかないほど大きくなった彼の背中に、そっと問いかける。
「……家族のため」
「そう。家族って、孤児院の人達のこと?」
「まあ、そんなとこ」
「意外ね。貴方は、もっとドライな性格だと思っていたのに」
「俺のことはいいだろ。逆に、なんで姉さんは軍に入ったんだよ」
なんで軍に入ったのか。
本当は、もう忘れてしまった理由を、無理やり掘り起こす。
「役割だと感じたから、かしら」
十四歳の頃だった。
孤児院を出なければならない年齢になり、働き口を探していた時期。
獣人は仕事を選べない。人間ほど手先が器用なわけでも、特別に頭が良いわけでもない。だから、選択肢は自然と限られていく。
それでも、普通は「なりたいもの」を探すのだろう。
だが、私にはそれがなかった。自分という器の中身が、空だった。
そんな状態で、獣人の自分が働く姿を想像できるはずもなく、仕事は見つからなかった。焦っていたのは、働き口がないことではない。
――姉という役割を失った自分には、何も残っていない。
その焦燥感が、私の心を蝕んでいた。
そんな時に目に入ったのが、町の小さな掲示板に貼られた
『軍人募集 志願兵求ム』
というポスターだった。
これだ、と思った。
体力だけが取り柄の獣人である自分でもできること。自分の価値を認め、役割を与えてくれる場所。
そんな都合のいい幻想を抱いて、私は軍に志願したのだ。
「やっぱり、姉さんらしいな」
私らしい……?
怪訝に思い、彼の背中を見つめる。視線に気づいたのか、彼は言葉を続けた。
「だって、姉さんはずっと、俺の『姉さん』でいてくれただろ」
『姉さん』。
それもまた、与えられた役割だ。
幼かった彼を心配した孤児院のシスターが、
「あなたがお姉ちゃんになって、遊んであげて」
と、私に預けた。
そこで私は、『姉』という役割を全うしようとした。
きっと嬉しかったのだ。初めて、自分が何者かになれた気がしたから。
でも、それも結局は与えられたものだった。
自分から何かを望んだことなど、あっただろうか。
――いや、もう分かっている。
自分には、自分がない。
そんな空白を、彼に見透かされているようで、私は一瞬、言葉を失った。
「……もう、姉さんって呼ばないで」
出てきた言葉は、それだけだった。
そうして私は口を閉ざし、目をつぶった。