苦手方はすみません。
――某県・山林。
鬱蒼とした森の奥を、七海と灰原は補助監督を伴って進んでいた。
風はなく、鳥の声もない。
ただ人の気配だけが、この森では異物のように浮いている。
「嫌な感じだね……」
「“嫌な感じ”で済めばいいのですがね……」
二人は同時に、森に満ちる異様な気配を感じ取っていた。
七海は足を止め、振り返って補助監督を見る。
「あなたはここまでで結構です。“帳”を下ろして、あとは安全圏まで――」
言い終えるより早く、地面が軋んだ。
土が盛り上がり、石が鳴き、まるで地そのものが意思を持つかのように、鳥居と祠が組み上がっていく。
祠の前に、ぼろ切れ同然の狩衣を纏った存在が佇んでいた。
その顔は靄に覆われ、輪郭すら定かではない。
それでも――“懐かしさ”と、“背筋を撫でる恐怖”だけが、はっきりと胸に迫った。
「――逃げろ! ここは私と灰原で食い止める!!」
圧倒的な呪力。
それを肌で悟った七海は、声を荒げて補助監督に叫ぶ。
灰原もまた、両手に焔を宿し、即座に臨戦態勢へ移っていた。
「……あんまり、長くは持ちそうにないからさ。急いで救援呼んでくれると助かるかな?」
努めて明るく、軽く。
「夏油さんか五条さん、神凪さん辺りじゃないと、正直きついと思う」
言葉とは裏腹に、灰原の頬を冷や汗が伝っていた。
「……必ず、救援を呼びます!! それまで、どうかご無事で」
補助監督は深く頭を下げると、脱兎のごとく山林を駆けていった。
足音が遠ざかり、残されたのは二人だけ。
七海と灰原は、短く視線を交わす。
「……どう考えても、学生に務まる任務じゃない」
「でもさ、逃げる仲間のために頑張るって、燃えるシチュエーションじゃん」
「それで死んだら、世話ないでしょう……」
その瞬間、地面が裂けた。
土の柱が突き上がり、二人の間を無慈悲に引き裂く。
灰原は跳び、七海は踏み込み、衝撃を受け流した。
七海はそのまま距離を詰め、呪符を巻き付けた鉈に呪力を込めて振るう。
――十劃呪法。
対象の長さを線分した際、七対三の比率にあたる点へ、強制的に“弱点”を作り出す術式。
生成された弱点へ渾身の一撃を叩き込み、呪霊は吹き飛ばされた。
だが――。
呪霊は、何事もなかったかのように立ち上がる。
その身体には、傷一つない。
(……ダメージなし。
いや、
「焔装呪法・纏打」
灰原が背後へ肉薄し、焔を纏った拳を叩き込む。
衝撃と同時に、焼灼の呪力を流し込む。
それでも、呪霊は微動だにしなかった。
(硬ッ……!?)
次の瞬間。
呪霊が――ぐるりと、灰原へ顔を向ける。
「――灰原、下がれッ!!」
咄嗟に灰原は後方へ大きく跳び退く。
だが、呪霊の足元から隆起した土の槍が、その腹部を深く抉った。
致命傷は免れた。それでも走る痛みに、灰原の顔が大きく歪む。
「灰原ッ!!」
叫びと同時に、七海は間合いを一気に詰め、呪霊と灰原の間へと割り込んだ。
鉈を逆手に構え、呪力をさらに上乗せする。
狙いは討伐ではない。
防御でもない。
ただの足止め――それだけを目的とした一撃だった。
呪霊の腕が唸りを上げて振るわれる。
七海は鉈で受け止めたが、膂力の差は歴然で、衝撃を殺し切れず宙へと弾き飛ばされた。
地を転がり、受け身もそこそこに身を起こすと、即座に鉈を構える。
呼吸を整え、油断なく呪霊を見据えた。
「灰原、怪我は?」
「反転術式で治したから問題ない! ……ただ、反転は呪力消費が激しいから、何度も喰らうのは厳しいかな」
腹部の裂傷は既に塞がっていた。
灰原は焔を纏い直し、拳を握り締めながら答える。
「なら、
「七海!?」
即座に上がった非難の声。
親友が一歩前に出る――それを黙って受け入れられるほど、灰原は割り切れなかった。
「それが合理的です。
私の術式は近接戦闘しか出来ませんし、あなたの術式は、この森の中では全力を出せない」
淡々と並べられる、反論の余地のない事実。
灰原は悔しげに歯を噛みしめる。
感情を排せば、七海の判断は最善だった。
「……七海、死んだら僕が殺すよ」
不満を隠そうともしない呟きに、七海はこの極限状況にもかかわらず、小さく笑みを零した。
「私も、こんなところで死ぬつもりはありません。 ……救援が来るまで、2人で生き延びますよ!!」
「応ッ!!」
返事と同時に、灰原は纏っていた焔を鞭のようにしならせ、呪霊へと放つ。
七海は身を低く沈め、鉈を振り抜き、下から鋭く斬り上げた。
呪霊は両腕で焔の鞭と鉈を同時に受け止め、怒り狂ったように歯をガチガチと鳴らす。
「…………贄ヲ捧ゲヨ」
その呟きが零れ落ちた瞬間。
呪霊の背中から新たな腕が2本生え、掌印を結ぶ。
空気が軋み、景色が歪み――
辺り一帯は、逃げ場のない結界に呑み込まれた。
(――領域展開!?)
二人はほとんど反射的に、簡易領域を展開した。
次の瞬間、周囲の空間が軋むように歪み、付近一帯は呪霊の生得領域に呑み込まれる。
そこに広がっていたのは、廃墟と化した祠だった。
崩れかけた社を中心に、獣の骨や腐りかけた作物、名状しがたい供物の数々が円を描くように並べられている。
(…………土地神の成れの果てか!?)
空気が、重い。
「……贄ヲ捧ゲヨ」
くぐもった呪霊の声が、領域の内側すべてに反響した。
刹那、虚空から注連縄が生じ、獲物を求める蛇のように二人へと殺到する。
七海は呪力を込めた鉈を振るい、灰原は身に纏う焔を奔らせて迎撃しながら、必死に状況を見極めていた。
「おそらく、条件や法則を強制するタイプの術式でしょう。
注連縄で捕らえられたら終わりだと思っていい!!
簡易領域を切らしたら駄目です!!」
その言葉に、灰原は自嘲気味な乾いた笑みを浮かべる。
「それ、結構シンドいよ」
打開を図り、灰原は焔を圧縮し、炎弾として呪霊へと撃ち放つ。
(……不味いですね、打開するすべが無い)
焦燥だけが募っていく。簡易領域の結界は、じわじわと、しかし確実に削られていた。
「……七海、俺の簡易領域はもう保たない」
その声に、七海は思わず振り向く。
反転術式を使い、呪力消費か激しかった灰原は、既に限界に近かった。
「だから、簡易領域を解いて、俺が奥の手を使う。
七海は、その隙をついてなんとか逃げてくれ」
「駄目ですッ!!」
即座の拒絶にも、灰原の表情は揺るがない。
「七海、あとは頼むよ。
ーー焔装呪法・焔身全装ッ!!」
言葉と同時に、灰原は簡易領域を解除した。
全身を包み込む焔は、これまでとは比較にならないほどの呪力を孕み、彼の肉体を極限まで強化する一方で、容赦なく焼き尽くしていく。
防壁を失った灰原に、注連縄が一斉に襲いかかる。
「があぁぁぁっ!!」
回避はしなかった。
灰原は左手を伸ばし、飛来する縄のすべてを掴み取る。
絡みついた縄が左腕を締め上げ、焔に灼かれながらも骨を砕く。
「贄ヲ、贄ヲ、捧、捧ゲヨォォッ!!」
「うるせぇぇッ!!」
呪霊の雄叫びも、左腕から響く嫌な破砕音も、すべて無視する。
灰原は右脚を振り抜き、呪霊の身体を蹴り上げた。
――黒い稲妻が、空間を裂く。
呪霊の身体が大きく揺らぎ、蹈鞴を踏む。
「まだまだぁッ!!」
灼熱と激痛、そのすべてを力に変え、灰原は右拳を叩き込む。
再び黒い稲妻が走り、呪霊は耐えきれず膝をついた。
追撃に移ろうとした、その瞬間――灰原の力は尽きた。
焔が消え、全身に深い熱傷を負った身体が、音もなく崩れ落ちる。
膝をついたまま、呪霊は勝利を確信したように歪んだ笑みを浮かべた。
「ーー死ねっ!!」
その頭部に、凄まじい衝撃が走る。
七海もまた、簡易領域を解除していた。
合理性など欠片もない。ただ、親友を見捨てられないという感情だけが、彼を動かしていた。
鉈が振るわれる。
理屈も計算もない、ただの連撃。
だが、それも長くは続かなかった。
「…………二、贄ヲ、捧ゲヨォォッ!!」
呪霊が絞り出すように叫んだ瞬間、無数の注連縄が七海の全身を絡め取る。
骨が軋む、不吉な音。
「…………ここまで、ですか」
諦観とともに、七海は静かに息を吐いた。
呪霊は、もはや疑いなく勝利を確信し、嗤い声を上げる。
「よく粘った!!」
その声が響いた刹那、呪霊の生得領域が音を立てて崩壊した。
七海と灰原の左腕を締めていた縄は、領域の消滅とともに霧散する。
ふらつきながら立ち上がった七海は、ゆっくりと顔を上げた。
空にいたのは――
いつもの飄々とした雰囲気を消し、抜き身の刃のような殺気を纏った、神凪颯真だった。
七海と灰原の有り様を一目見て、颯真はすべてを悟った。
その場に漂う疲弊と、死線を越えたあとの静けさが、これまでの激闘を雄弁に物語っている。
「……遅くなって悪かった。
あとは任せな」
短くそう告げると、颯真は呪霊へと向き直った。
感情の読めない、冷えた視線。
次の瞬間、優しく、それでいてどこか冷たい蒼い風が、波紋のように周囲一帯を包み込んだ。
その変化に、七海はすぐ気づいた。
肌を撫でる風とともに、身体の奥に染みついていた痛みが、ゆっくりと薄れていく。
(傷が、癒えていく…… これは反転術式!?)
目の前で起きている光景が、にわかには信じられなかった。
蒼い風は正のエネルギーへと変換され、膨大な浄化の力を宿している。
負のエネルギーの塊である呪霊は、抗う間も与えられず、音もなく霧散していった。
「……よく粘ったじゃねえか」
そう言って七海に笑いかけながら、颯真は意識を失った灰原へと歩み寄り、反転術式を施す。
「…………私は、なんにも出来ませんでした。
先輩達がいれば、私たちは必要なーー」
「何言ってんだ? お前ら2人が粘ったから、補助監督は逃げれて、俺は間に合ったんだよ。
俺らも分身はできねぇし、流石の俺も、あの奥の手使ったらガス欠なんだわ。
コイツの治療も応急処置が限界。
だから、ほら、灰原担ぐの手伝え! つか、むしろお前が担げ」
冗談めかした口調と、屈託のない笑顔。
その姿に、張り詰めていた七海の胸の奥が、ようやくほどけた。
彼は小さく、けれど確かに、笑みを浮かべるのだった。
夏油傑は救済されるべき
-
このまま救済されるべき
-
羂索は夏油の頭でメロンパンしないと
-
虎杖ママメロンパンが見たい!
-
サマーオイル教師は見たくない