洞窟へと一歩足を踏み入れた瞬間、入口からは到底想像もつかないほどの広大な空間が、闇の奥に口を開けていた。
岩壁には縦横無尽に蜘蛛の糸が張り巡らされ、天井から壁、床に至るまで、大小様々な蜘蛛が蠢いている。無数の脚が擦れる音が、湿った空気の中で不快なざわめきを生んでいた。
そして何より――洞窟内を満たすのは、禍々しいほどに濃密な呪力と、喉の奥を焼くような強烈な腐臭だった。
(……呪力による生得領域の展開。
ここまで大規模なものは、初めてだな)
踏み入れただけで、奥深くに潜む呪霊の格の違いが肌に伝わる。傑は無意識に呼吸を整えながら、周囲へと視線を走らせた。
その瞬間、背後にあったはずの洞窟の入口が、霞が溶けるように静かに消失した。
「……特級相当の呪霊、というところでしょうね。
私と先輩が派遣されて正解でした」
空間に満ちる呪力の圧に、並の術師であればこの呪霊に襲われ、手も足も出ぬまま命を落としていたであろうことを悟り、傑は深く息を吐く。
颯真もまた、普段の気怠げな雰囲気を表に崩してはいないものの、その瞳の奥には研ぎ澄まされた警戒心と覚悟が静かに宿っていた。
「颯真先輩、大元の位置は掴めそうですか?」
問いかけに、颯真は短く、しかし確かな動きで頷く。
「了解です。それなら最短距離で突っ切りましょう。
雑魚は――こいつらに任せます」
傑がそう告げると同時に、足元に落ちた影が蠢いた。黒い影は瞬く間に形を成し、闇そのものを纏った狼の群れへと変貌する。
狼たちは低く唸り声を上げ、一斉に四方へと駆け出した。行く手を阻む蜘蛛たちへ襲いかかり、糸と肉を引き裂いていく。
傑と颯真は、その背後を縫うように走り出した。なおも襲い来る蜘蛛を必要最低限に排除しながら。
ただひたすら――洞窟の最奥へと向かって。
足元の岩肌は湿り、踏み込むたびに水音が反響する。
天井から滴る雫が、一定の間隔で地面を叩き、まるで脈拍のように洞内に響いていた。
不意に、颯真が振り返り、暗闇の中で小さく笑う。
「次の角を右だ。――そこを抜けたら、奴さんが待ってる」
その言葉を聞き、傑は小さく頷いた。
全身を巡る呪力が、岩盤に沿って流れる地脈と同調するように、より静かに、より鋭く洗練されていく。
屈折した通路を抜けた瞬間、空気が変わった。
洞窟は不意に開け、巨大な空洞が姿を現す。
自然の造形とは思えぬ、意図を持って削られた岩壁。そこには、邪馬台国時代を想起させる祭祀の痕跡が刻まれていた。
石筍と石柱が崩れ、組み合わされ、円環を成す。
その中心――洞窟の心臓部に、祭壇が据えられていた。
そして、その上に。
巨大な呪霊が、鎮座していた。
最初に視界へ侵入してきたのは、脚だった。
祭壇の石を砕き、洞床の土を押し分けて現れる――八本の脚。
踏み出すたび、洞窟全体が低く唸り、岩盤が軋む音が腹の底に響く。
その脚の上に乗る胴体は、かつて人であった名残を、辛うじて保っていた。
上半身は武人の形をしている。
だが肉は削げ落ち、皮膚は土色に乾き、ひび割れている。鎧の残骸とも呪符の断片ともつかぬ鉄片が、縫い付けられるように身体へ埋め込まれていた。
細い首は不自然に前へ垂れ、
顔と呼べる位置には――
眼が、八つあった。
本来人のあるべき位置の二つは虚ろで焦点を持たない。
ただ、額の中央に縦に裂けた一つの眼だけが、闇を貫き、獲物を正確に捉えている。
その視線に射抜かれた瞬間、傑は理解する。
ここが「逃げ場のない場所」であることを。
地面も、壁も、天井さえも、敵の領域であることを。
口元は、笑みとも威嚇とも取れる形に歪み、
歯列の奥から、白い糸が一筋、垂れ落ちていた。
糸は洞床に触れた瞬間、岩と土の隙間へ吸い込まれ、消える。
――巣だ。
目に見える糸は、ほんの僅か。
だが足元、岩壁の内側、地下深く――
洞窟そのものが、張り巡らされた呪力の編網に絡め取られていることを、皮膚が先に悟ってしまう。
周囲の地面が、ざわりと震えた。
闇の隙間から、小さな影が無数に湧き出る。
手のひらほどの蜘蛛。
子犬ほどの蜘蛛。
それらは主の脚元から現れ、騒ぐことなく、まるで「民」が王の前に集うかのように、洞内の各所へ静かに配置についていく。
呪霊が、一歩、前へ出た。
それだけで、洞窟の重さが変わった。
傑たちの足裏が、岩肌に吸い付く。
重力が、彼らだけを選び、押し潰そうとする。
呪霊は、喉を鳴らした。
それは笑い声ではない。
岩盤同士が擦れ合う、洞窟そのものの軋む音だった。
「……また、来たか」
低く、乾き、それでいて抗いがたい重みを持つ声。
「貴様ら国の狗共に何も奪わせはせぬ!」
その言葉と共に、八本の脚が、ゆっくりと広がる。
洞窟全体が、応えるように震えた。
「……特級仮想怨霊『土蜘蛛』ってところか?」
蜘蛛型呪霊の身に纏う濃密な呪力、そして洞窟そのものが孕む陰鬱な気配から、颯真はすでにその正体をおおよそ察していた。
対峙する傑もまた、油断なく土蜘蛛を見据えたまま、颯真の推察に静かに同意する。
「そのようですね。久々に、取り込み甲斐のありそうな呪霊です」
彼の術式は、呪霊の格に比例して力を増す。
強ければ強いほど――喉が鳴るほどに、欲しくなる。
自らの口角が自然と吊り上がっていくのを、傑ははっきりと自覚していた。
「油断すんなよ。ここはもう、奴さんの腹の中みたいなもんだ」
颯真は気怠げに肩を竦め、低く言い添える。
「……気を抜けば、こっちが殺られる」
傑なら問題ないだろう、という信頼はあった。
それでも、念のための警告だった。
「ええ、承知しています」
傑は薄く笑い、即座に応じる。
「久々の特級相手ですから。こちらも、出し惜しみはしませんよ」
言葉が終わると同時に、空間が歪み、無数の烏賊型呪霊が顕現する。
宙を漂うそれらは土蜘蛛を包囲するように旋回し、次の瞬間、レーザー砲めいた呪力砲を雨霰のごとく叩き込んだ。
光速にも等しい速度で迫る呪力の奔流。
だが土蜘蛛は動じない。
周囲に張り巡らせていた呪力を帯びた蜘蛛糸がうねり、絡め取るようにして軌道を歪める。
逸らされた呪力砲は石畳を粉砕し、轟音とともに瓦礫を撒き散らした。
さらに、土蜘蛛の周囲に顕現していた大小無数の蜘蛛の群れが、一斉に傑へと襲いかかる。
しかし、それらは届くことすら叶わない。
不可視の風の刃が閃き、蜘蛛たちは次々と切り裂かれ、塵と消えた。
「させねぇっての」
颯真は欠片ほどの緊張感もない声音で言う。
「おら、傑。
さっさと終わらせろ」
気怠げな佇まいのまま、彼は傑の周囲に迫る脅威を的確に排除し、完全に援護へと徹していた。
土蜘蛛と相対しながらも、その姿を視界の端に捉えた傑は、颯真の術の冴えに思わず舌を巻く。
やがて土蜘蛛は、地面へと脚の一本を深々と突き立てた。
その瞬間、洞窟内に張り巡らされていた蜘蛛糸が一斉に収束し、複数の巨大な糸柱を形成する。
柱は螺旋を描くように捻じ上げられ、やがて巨大な槍の姿へと変貌した。
意思を持つ蛇のごとくうねりながら、糸の槍が一斉に傑へ襲いかかる。
螺旋回転しながら迫る凶刃を、傑は紙一重で躱し続ける。
外れた槍は削岩機のように石畳と岩壁を抉り、飛び散る礫が容赦なく傑の身体を打った。
(……一撃でも食らえば、致命傷だな)
一つ一つが、文字通りの必殺。
だが、それでも傑の表情に恐怖はなかった。
彼は新たに、巨大な人型の呪霊を呼び出す。
「……当たらなければ、どうということもない」
呟くような声とともに顕現したそれは、人型でありながら三メートルを優に超える巨躯。
牛のような頭部に、鬼の角を二本生やし、その手には巨大な鉈を携えていた。
牛鬼は迫り来る糸の槍を、鉈の一振りで叩き斬る。
重く鈍い衝撃音とともに、巨大な糸の槍は容易く両断された。
巨大な鉈を軽々と振るう牛鬼は、傑を守るようにその前へ立ち、土蜘蛛との間に仁王立ちする。
洞窟の闇に、再び静かな殺気が満ちていった。
夏油傑は救済されるべき
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このまま救済されるべき
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羂索は夏油の頭でメロンパンしないと
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虎杖ママメロンパンが見たい!
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サマーオイル教師は見たくない