呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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第23話

 洞窟へと一歩足を踏み入れた瞬間、入口からは到底想像もつかないほどの広大な空間が、闇の奥に口を開けていた。

 

 岩壁には縦横無尽に蜘蛛の糸が張り巡らされ、天井から壁、床に至るまで、大小様々な蜘蛛が蠢いている。無数の脚が擦れる音が、湿った空気の中で不快なざわめきを生んでいた。

 

 そして何より――洞窟内を満たすのは、禍々しいほどに濃密な呪力と、喉の奥を焼くような強烈な腐臭だった。

 

(……呪力による生得領域の展開。

 ここまで大規模なものは、初めてだな)

 

 踏み入れただけで、奥深くに潜む呪霊の格の違いが肌に伝わる。傑は無意識に呼吸を整えながら、周囲へと視線を走らせた。

 

 その瞬間、背後にあったはずの洞窟の入口が、霞が溶けるように静かに消失した。

 

「……特級相当の呪霊、というところでしょうね。

 私と先輩が派遣されて正解でした」

 

 空間に満ちる呪力の圧に、並の術師であればこの呪霊に襲われ、手も足も出ぬまま命を落としていたであろうことを悟り、傑は深く息を吐く。

 

 颯真もまた、普段の気怠げな雰囲気を表に崩してはいないものの、その瞳の奥には研ぎ澄まされた警戒心と覚悟が静かに宿っていた。

 

「颯真先輩、大元の位置は掴めそうですか?」

 

 問いかけに、颯真は短く、しかし確かな動きで頷く。

 

「了解です。それなら最短距離で突っ切りましょう。

 雑魚は――こいつらに任せます」

 

 傑がそう告げると同時に、足元に落ちた影が蠢いた。黒い影は瞬く間に形を成し、闇そのものを纏った狼の群れへと変貌する。

 

 狼たちは低く唸り声を上げ、一斉に四方へと駆け出した。行く手を阻む蜘蛛たちへ襲いかかり、糸と肉を引き裂いていく。

 

 傑と颯真は、その背後を縫うように走り出した。なおも襲い来る蜘蛛を必要最低限に排除しながら。

 

 ただひたすら――洞窟の最奥へと向かって。

 

 足元の岩肌は湿り、踏み込むたびに水音が反響する。

 

 天井から滴る雫が、一定の間隔で地面を叩き、まるで脈拍のように洞内に響いていた。

 

 不意に、颯真が振り返り、暗闇の中で小さく笑う。

 

「次の角を右だ。――そこを抜けたら、奴さんが待ってる」

 

 その言葉を聞き、傑は小さく頷いた。

 

 全身を巡る呪力が、岩盤に沿って流れる地脈と同調するように、より静かに、より鋭く洗練されていく。

 

 屈折した通路を抜けた瞬間、空気が変わった。

 

 洞窟は不意に開け、巨大な空洞が姿を現す。

 

 自然の造形とは思えぬ、意図を持って削られた岩壁。そこには、邪馬台国時代を想起させる祭祀の痕跡が刻まれていた。

 

 石筍と石柱が崩れ、組み合わされ、円環を成す。

 

 その中心――洞窟の心臓部に、祭壇が据えられていた。

 

 そして、その上に。

 

 巨大な呪霊が、鎮座していた。

 

 最初に視界へ侵入してきたのは、脚だった。

 

 祭壇の石を砕き、洞床の土を押し分けて現れる――八本の脚。

 踏み出すたび、洞窟全体が低く唸り、岩盤が軋む音が腹の底に響く。

 

 その脚の上に乗る胴体は、かつて人であった名残を、辛うじて保っていた。

 

 上半身は武人の形をしている。

 

 だが肉は削げ落ち、皮膚は土色に乾き、ひび割れている。鎧の残骸とも呪符の断片ともつかぬ鉄片が、縫い付けられるように身体へ埋め込まれていた。

 

 細い首は不自然に前へ垂れ、

 顔と呼べる位置には――

 

 眼が、八つあった。

 

 本来人のあるべき位置の二つは虚ろで焦点を持たない。

 ただ、額の中央に縦に裂けた一つの眼だけが、闇を貫き、獲物を正確に捉えている。

 

 その視線に射抜かれた瞬間、傑は理解する。

 ここが「逃げ場のない場所」であることを。

 地面も、壁も、天井さえも、敵の領域であることを。

 

 口元は、笑みとも威嚇とも取れる形に歪み、

 歯列の奥から、白い糸が一筋、垂れ落ちていた。

 

 糸は洞床に触れた瞬間、岩と土の隙間へ吸い込まれ、消える。

 

 ――巣だ。

 

 目に見える糸は、ほんの僅か。

 だが足元、岩壁の内側、地下深く――

 洞窟そのものが、張り巡らされた呪力の編網に絡め取られていることを、皮膚が先に悟ってしまう。

 

 周囲の地面が、ざわりと震えた。

 

 闇の隙間から、小さな影が無数に湧き出る。

 

 手のひらほどの蜘蛛。

 子犬ほどの蜘蛛。

 

 それらは主の脚元から現れ、騒ぐことなく、まるで「民」が王の前に集うかのように、洞内の各所へ静かに配置についていく。

 

 呪霊が、一歩、前へ出た。

 

 それだけで、洞窟の重さが変わった。

 

 傑たちの足裏が、岩肌に吸い付く。

 重力が、彼らだけを選び、押し潰そうとする。

 

 呪霊は、喉を鳴らした。

 

 それは笑い声ではない。

 岩盤同士が擦れ合う、洞窟そのものの軋む音だった。

 

「……また、来たか」

 

 低く、乾き、それでいて抗いがたい重みを持つ声。

 

「貴様ら国の狗共に何も奪わせはせぬ!」

 

 その言葉と共に、八本の脚が、ゆっくりと広がる。

 

 洞窟全体が、応えるように震えた。

 

「……特級仮想怨霊『土蜘蛛』ってところか?」

 

 蜘蛛型呪霊の身に纏う濃密な呪力、そして洞窟そのものが孕む陰鬱な気配から、颯真はすでにその正体をおおよそ察していた。

 

 対峙する傑もまた、油断なく土蜘蛛を見据えたまま、颯真の推察に静かに同意する。

 

「そのようですね。久々に、取り込み甲斐のありそうな呪霊です」

 

 彼の術式は、呪霊の格に比例して力を増す。

 

 強ければ強いほど――喉が鳴るほどに、欲しくなる。

 

 自らの口角が自然と吊り上がっていくのを、傑ははっきりと自覚していた。

 

「油断すんなよ。ここはもう、奴さんの腹の中みたいなもんだ」

 

 颯真は気怠げに肩を竦め、低く言い添える。

 

「……気を抜けば、こっちが殺られる」

 

 傑なら問題ないだろう、という信頼はあった。

 

 それでも、念のための警告だった。

 

「ええ、承知しています」

 

 傑は薄く笑い、即座に応じる。

 

「久々の特級相手ですから。こちらも、出し惜しみはしませんよ」

 

 言葉が終わると同時に、空間が歪み、無数の烏賊型呪霊が顕現する。

 

 宙を漂うそれらは土蜘蛛を包囲するように旋回し、次の瞬間、レーザー砲めいた呪力砲を雨霰のごとく叩き込んだ。

 

 光速にも等しい速度で迫る呪力の奔流。

 だが土蜘蛛は動じない。

 

 周囲に張り巡らせていた呪力を帯びた蜘蛛糸がうねり、絡め取るようにして軌道を歪める。

 逸らされた呪力砲は石畳を粉砕し、轟音とともに瓦礫を撒き散らした。

 

 さらに、土蜘蛛の周囲に顕現していた大小無数の蜘蛛の群れが、一斉に傑へと襲いかかる。

 

 しかし、それらは届くことすら叶わない。

 

 不可視の風の刃が閃き、蜘蛛たちは次々と切り裂かれ、塵と消えた。

 

「させねぇっての」

 

 颯真は欠片ほどの緊張感もない声音で言う。

 

「おら、傑。

 さっさと終わらせろ」

 

 気怠げな佇まいのまま、彼は傑の周囲に迫る脅威を的確に排除し、完全に援護へと徹していた。

 

 土蜘蛛と相対しながらも、その姿を視界の端に捉えた傑は、颯真の術の冴えに思わず舌を巻く。

 

 やがて土蜘蛛は、地面へと脚の一本を深々と突き立てた。

 

 その瞬間、洞窟内に張り巡らされていた蜘蛛糸が一斉に収束し、複数の巨大な糸柱を形成する。

 

 柱は螺旋を描くように捻じ上げられ、やがて巨大な槍の姿へと変貌した。

 

 意思を持つ蛇のごとくうねりながら、糸の槍が一斉に傑へ襲いかかる。

 

 螺旋回転しながら迫る凶刃を、傑は紙一重で躱し続ける。

 

 外れた槍は削岩機のように石畳と岩壁を抉り、飛び散る礫が容赦なく傑の身体を打った。

 

(……一撃でも食らえば、致命傷だな)

 

 一つ一つが、文字通りの必殺。

 

 だが、それでも傑の表情に恐怖はなかった。

 

 彼は新たに、巨大な人型の呪霊を呼び出す。

 

「……当たらなければ、どうということもない」

 

 呟くような声とともに顕現したそれは、人型でありながら三メートルを優に超える巨躯。

 

 牛のような頭部に、鬼の角を二本生やし、その手には巨大な鉈を携えていた。

 

 牛鬼は迫り来る糸の槍を、鉈の一振りで叩き斬る。

 

 重く鈍い衝撃音とともに、巨大な糸の槍は容易く両断された。

 

 巨大な鉈を軽々と振るう牛鬼は、傑を守るようにその前へ立ち、土蜘蛛との間に仁王立ちする。

 

 洞窟の闇に、再び静かな殺気が満ちていった。

夏油傑は救済されるべき

  • このまま救済されるべき
  • 羂索は夏油の頭でメロンパンしないと
  • 虎杖ママメロンパンが見たい!
  • サマーオイル教師は見たくない
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