呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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なんとか休みが終わる前に書き上げました。
今回もまた主人公くんはお休みです(笑)


第32話

 呪霊の腹の内。

 ぬめついた空間の中心で、禪院真希は苛立ちを隠そうともしなかった。

 

 むしろ、その怒りをそのままブーツの底に乗せ、肉の壁へと叩きつける。

 

「クソっ……! 呪具を落とした!」

 

 蹴りは何度も繰り返される。

 だが、呪霊は痛みを訴えることもなく、ただ鈍く、重く、その身体を脈動させるだけだった。

 

 胃袋は洞窟のように広がっている。

 天井も、壁も、床も、すべてが肉でできており、どくどくと脈打つ鼓動が、空気そのものを揺らしていた。

 

「出せ、ゴラァァァ!」

 

 真希の怒号が腹腔に反響する。

 その声に弾かれるように、恐怖で気を失っていた乙骨憂太が、かすかに身じろぎし、目を開いた。

 

「……ここは?」

 

「アノ呪いの腹の中だよッ!

 こんくらいで気絶してんじゃねぇ!!」

 

 問いかけに、真希は噛みつくように答える。

 冷静さなど微塵もない。

 完全な八つ当たりだった。

 

「じゃあ……食べられたってこと!?」

 

「そうだよ!

 テメェ、呪いに守られてるんじゃねぇのかよ!!」

 

 怒りの矛先を失った真希は、憂太に詰め寄る。

 理不尽だと分かっていながら、その衝動を抑えられなかった。

 

「里香ちゃんが、いつ出てくるかは……僕にも分からないんだ。

 ……それより、どうするの?」

 

「時間が来て『帳』が上がれば、助けが来る。

 恥だ! クソっ!!」

 

 こんな低級の呪霊に、為す術なく飲み込まれた。

 その事実が、真希の胸を焼く。

 

 そのときだった。

 

「――助けて!」

 

 呪霊の胃の奥。

 肉の壁際から、か細い子供の声が、確かに聞こえてきた。

 

 「あ?」

 

 真希と憂太は、ほぼ同時に声のした方へ顔を向けた。

 

 裂けた肉の壁。その陰に身を潜めるようにして、子どもがいた。

 小学生ほどの年頃の少年が二人。体格の大きい方が、倒れ伏す小さな少年の傍らに座り込み、必死にその身体を支えている。

 

 倒れている少年は意識を失っているようだった。力なく項垂れ、呼吸だけが、ヒューヒューと微かに喉を鳴らしている。

 

「お願いだ! こいつ、死にそうなんだ!」

 

 縋るような叫び。

 その声を聞いた瞬間、憂太は悟の言葉を思い出した。

 ――要救助少年。

 

「よかった……生きてた……」

 

 思わず零れた安堵の息。

 だが次の瞬間、その襟首を真希が掴み上げた。

 

「よくねぇよ!」

 

 怒気を孕んだ声が、憂太の身体を揺さぶる。

 

「ちゃんと見ろ! デカいほうも、完全に呪いにやられてる。二人とも、いつ死んでもおかしくねぇ!」

 

 言われて初めて、憂太は気づいた。

 介抱する少年も、倒れている少年も、その顔色は異様に黒ずみ、生気を失っている。

 

「――そんな……! じゃあ、どうすれば……」

 

 憂太の狼狽とは対照的に、真希は現実を正確に受け止めていた。悔しさを噛み殺すように拳を握り締める。

 

「どうにもなんねぇ。助けを待つしかねぇよ!」

 

 呪具を落としたことが、今になって胸を抉る。

 呪具使いである真希は、それを失った時点で呪いに対して無力だった。

 体内を巡る熱が、じわじわと限界を告げてくる。このままでは危ないと理解していながら、何も出来ない現実が、ただ重くのしかかる。

 

「……誰もが、オマエみたいに呪いに耐性があるわけじゃねぇんだよ」

 

 そう吐き捨てると同時に、真希の身体がふらついた。

 

「……禪院さん?」

 

 憂太が異変に気づいた時には、もう遅かった。

 呪いは全身に回り、真希は崩れ落ちるように倒れ込む。

 

「禪院さん!!」

 

 駆け寄った憂太は、彼女の太腿にある傷に目を奪われた。

 それは、ただの裂傷ではない。

 傷口は湿った音を立て、肉が腐るように黒く変色していく。

 

「なんだ……この傷……。

 呪い、なのか……?」

 

 混乱する憂太の背後で、体格の大きい少年が、震える声を上げた。

 

「お姉ちゃん、死んじゃうの?

 ねぇ……助けてよ、お兄ちゃん!」

 

 その悲痛な叫びは、刃のように憂太の胸を貫いた。

 

「ねぇ……!」

 

 涙に濡れた瞳で縋られても、何も出来ない。

 自分の無力さが、骨の髄まで突き刺さる。

 

「……そんなこと言われても……無理だよ……僕じゃ――」

 

 弱音を吐いたその瞬間、憂太の胸倉を掴む力が走った。

 真希だった。力を振り絞り、無理やり上体を起こしている。

 

「乙骨……オマエ、マジで何しに来たんだ! 呪術高専によ!」

 

 問い詰められても、憂太は答えられない。

 

「何がしたい!! 何が欲しい!! 何を叶えたい!!」

 

 堰を切ったように、憂太の胸の奥に封じ込めていた感情が溢れ出した。

 

「……僕は……もう、誰も傷つけたくなくて。

 閉じこもって……消えようとしたんだ……でも……」

 

 言葉が震え、涙が頬を伝う。

 

「……一人は寂しいって言われて……言い返せなかったんだ!」

 

 嗚咽混じりの叫び。

 

「誰かと……関わりたい!

 誰かに必要とされて……生きてていいって、自信が欲しいんだ!」

 

 真希は、微かに、しかし確かに頷いた。

 

「――なら、祓え」

 

 その一言で、憂太の視界がひらける。

 

「呪いを祓って、祓って、祓いまくれ!

 自信も、他人も……全部、その後からついてくる!

 呪術高専は、そういう場所だ!!」

 

 力尽きた真希は、そのまま倒れ込んだ。

 掴まれたまま倒れた衝撃で、憂太の上着のボタンが弾け飛ぶ。

 胸元に隠していたチェーンが露わになり、その先にある指輪が、淡く光を反射した。

 

 里香との約束の指輪。

 

 それは一瞬、確かに輝いたように見えた。

 

 憂太はその指輪を強く握り、チェーンを引き千切る。

 

「……里香ちゃん」

 

 心の底からの呼びかけに、優しい声が応えた。

 

『なぁに?』

 

 憂太は大切そうに、指輪を左手の薬指にはめる。

 

「力を貸して」

 

 指輪は、祈りに応えるように、柔らかな光を帯びた。

 

 憂太たちを遠巻きに見守っていた悟と傑は、ほぼ同時に異変を察知した。

 

 呪霊の内部――憂太たちを呑み込んだはずのその胎内から、濁流のような呪力が逆流してくる。

 それは内側から外側へと、世界の理を押し返すような奔流だった。

 

 次の瞬間、白い腕が呪霊の皮膚を突き破った。

 

「――来たね。

 特級過呪怨霊、折本里香」

 

 悟の呟きに応えるかのように、里香は呪霊の内側から完全に姿を現す。

 

 目はなく、顔の中央には鋭い牙のような歯列だけが不気味に並ぶ。

 生前、腰まで届いていたであろう長い髪の名残か、白い房が無数に垂れ下がり、異形の身体を覆っていた。

 

 彼女は、憂太たちを呑み込んだ呪霊に引けを取らぬ巨体を震わせ、両腕を空へと掲げる。

 

『あぉぉぉ? だァれぇ?』

 

 腹の内側から、覚えのない存在に侵入されたことへの困惑と恐怖。

 呪霊は、理解の追いつかない事態に、反射的に叫び声を上げる。

 

 しかし、その声が終わるより早く――。

 

 里香は呪霊の顔面を鷲掴みにした。

 

 逃げ場も、抵抗も許さない圧倒的な膂力。

 指が食い込み、骨が砕け、次の瞬間、握り潰される。

 

『うゔゔゔるさぁい!!』

 

 潰れた目玉が飛び出し、血と肉片が雨のように校舎へと降り注ぐ。

 巨大な呪霊だったものは、もはや原型を留めることなく、無数の肉片となって四散した。

 

「……凄まじいね」

 

 監視用の呪霊の視覚を通してその光景を眺めていた傑が、低く感嘆の声を漏らす。

 

「あれが、特級過呪怨霊・折本里香の全容か……」

 

 一拍置いて、口元が歪む。

 

「――ちょっと、欲しくなるねぇ」

 

 玩具を見つけた子供のような、純粋で不気味な笑み。

 その変化に気づいた悟が、珍しく制止に回った。

 

「一応言っとくけど、駄目だからねー」

 

「……わかってるよ」

 

「めちゃくちゃ残念そうに見えるんだけど」

 

 不承不承、といった様子で返す傑に、悟は肩をすくめて苦笑した。

 

 もっとも、その気持ちが理解できないわけではない。

 

 現在、傑が使役する呪霊の中に、里香と単独で渡り合える存在はない。

 特級も一級も総動員して、ようやく勝負になるかどうか――それほどの規格外。

 

 呪霊操術の使い手であれば、喉から手が出るほど欲しくなる存在だ。

 

「……それにしても」

 

 悟は、校舎を覆う呪力の残滓を感じ取りながら、どこか楽しげに呟いた。

 

「女は怖い。ほんと、怖いね」

 

 折本里香――

 その名に宿る、底知れぬ愛と執着。

 

 それを肌で感じ取り、悟は不気味な笑みを浮かべた。

 

 

 里香が呪霊を蹂躙する。

 

 校庭には、肉が裂ける鈍い音と、血が滴り落ちる生々しい水音が絶え間なく響いていた。

 悲鳴とも怒号ともつかぬ断末魔は、やがて意味を失い、ただ破壊の残響だけが残る。

 

 その隙を突くように――。

 

 呪霊の腹腔から転がり出るようにして、憂太は地面に足をついた。

 

 帳の外へ。

 ただそれだけを目標に、身体を前へと動かす。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 背中には、意識を失った真希。

 落ちないよう、上着を使って必死に縛りつけている。

 

 両腕には、小学生を一人ずつ抱えたまま。

 

 ――重い。

 

 いや、それでは足りない。

 骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、肺が焼けつくほどに、限界を超えて重かった。

 

 それでも、憂太は立ち止まらない。

 

(早く……早く、みんなを先生に……!

 ……呪いが、里香ちゃんの気を引いてるうちに)

 

 全身から汗が噴き出し、視界が滲む。

 膝は震え、今にも崩れ落ちそうだった。

 

 あまりの苦しさに、心が何度も折れかける。

 ――もう無理だ、と囁く声が、内側から何度も湧き上がる。

 

 それでも。

 

「まだ……倒れるな……!」

 

 憂太は歯を食いしばり、声を絞り出した。

 

「……ここで変わるって、決めたじゃないか……!」

 

 誰に言うでもなく、自分自身に叩きつける言葉。

 その一言が、わずかに残った力を掻き集める。

 

 限界の、その先へ。

 足掻くように足を前へ出した、その時。

 

『がんばれ、憂太』

 

 耳元で、優しい声がした。

 

 懐かしくて、温かくて――何より、大切な声。

 

「……里香ちゃん」

 

 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

 

「……うん。頑張るよ」

 

 それは約束のように、静かな返事だった。

 

 一歩、また一歩。

 地面を踏みしめ、正門へと近づく。

 

 そして――。

 

 校内を覆っていた帳が、音もなく霧散した。

 

 それを視界の端で確かめた瞬間、張り詰めていた糸が切れる。

 

 憂太は、その場に崩れ落ちた。

 

「おかえり」

 

「よく頑張ったね」

 

 悟と傑の声が、どこか遠くから聞こえる。

 

 安心が、全身を包み込む。

 

 憂太の意識は、静かに、深い闇へと沈んでいった。




 ここまで閲覧頂きありがとうございます。
 主人公くんは、次話から出番がある予定です。

……本当に出番だけかもしれませんが(笑)



 皆様の感想や評価のおかげで、忙しくても更新しようという気持ちが湧いてきます。
 本当にいつもありがとうございます
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