「―――!?」
高専の敷地に、その男が立っている光景を前に、五条悟と夏油傑は言葉を失った。
縫い目のある女呪詛師、そして外国人呪詛師ヴェルンハルト・ローデスを中心に再結集した呪詛師集団――魔術結社『アルマゲスト』。
その脅威から夏油傑を守るため、そして抑止力となるために姿を消した男、颯真。
電話などで断片的な連絡はあったものの、高専の地を踏むことは一度もなかったはずの彼が、今、何事もなかったかのようにそこにいる。
時間が一瞬、止まったかのようだった。
「……あれが、特級被呪者の乙骨憂太ってガキか。
確かに、相当ヤバいのを憑けてんなぁ」
颯真は、まるで天気の話でもするような軽さで言った。
高専関係者、それもごく一部しか知り得ない情報を、あまりにも自然に。
「パイセン……なんでそれ知ってんの?」
悟が目を見開き、半ば呆然としたまま問いかける。
「空気のある場所じゃ、俺に隠し事はできねぇよ」
そう言って、颯真は悪戯が成功した子どものように口元を歪めた。
その笑顔に、悟と傑の胸に、学生時代の記憶が不意に蘇る。
無鉄砲で、無敵で、まだ何も失っていなかった頃の時間。
「……ま、冗談はここまでだ」
颯真は一転して声音を落とした。
「最近、ちょっときな臭くてな。情報共有しに来た」
その一言で、場の空気が張り詰める。
悟と傑の表情が、同時に引き締まった。
「何があったんですか?」
傑が低く問い返す。
「……あの、縫い目のある女に、何か動きが?」
「いや……」
颯真は小さく首を振った。
「あのメロンパン女は、まったく足取りが掴めねぇ。
本当に底が知れねぇんだ。
何者なんだ、アイツは……」
索敵能力に絶対の自信を持つ颯真でさえ、姿を消してから今日に至るまで、捕捉どころか痕跡一つ掴めていない。
実力も、正体も、目的すらも不明。
その未知が、かえって不気味さを際立たせていた。
「動きがあったのは、『アルマゲスト』のほうだ」
颯真は続ける。
「拠点を日本に移して、再結集してる。数も、そこそこ増えてるな。
この間、隠れ家を一つ潰したんだが……」
一瞬、視線が鋭くなる。
「そこにあったのは、お前らや灰原、在校生連中――高専関係者の資料だ」
沈黙が落ちる。
「何を企んでるかまでは掴めねぇ。だがな……」
颯真は、はっきりと言い切った。
「アイツらの狙いは――
悟と傑の瞳が、細く鋭くなる。
現在の東京呪術高専は、歴代最強と称しても過言ではない戦力を有している。
六眼と無下限術式を持つ最強の特級術師・五条悟。
特級呪霊すら使役する呪霊操術の使い手・夏油傑。
学生時代の任務の後遺症で第一線は退いたとはいえ、準一級相当の実力を持つ灰原雄。
さらに、一級術師・夜蛾正道と、粒揃いの学生たち。
その牙城に牙を剥こうとするなど――
正気の沙汰とは、到底思えなかった。
「それにしてもさ。――お前らみたいな問題児が二人そろって、ちゃんと教師をやってるとはな」
重苦しい空気を変えるように颯真はそう言って、ふと思い出したように肩を揺らして笑った。
「ガキどもを見守ってる背中が、案外板についてて驚いたぜ」
悟と傑は、同時に微妙な居心地の悪さを覚えた。
褒め言葉だと分かっていても、背中のあたりがむず痒くなる。
昔を知る人間から向けられる評価というのは、どうにも照れくさい。
「神凪先輩は……相変わらずですね」
十年近い時を経ても、言動の端々に変化のない颯真に、傑は懐かしさを滲ませた微笑を浮かべた。
そんな二人を眺めていた悟が、不意に何かを思いついたらしい。
悪戯を思いついた子供のように、口元を吊り上げる。
「ねえパイセン。ひとつお願いがあるんだけど?」
「断る」
考える間もなく、颯真は即答した。悟の笑みが“ろくでもない”類のものであることは、一目で分かる。
傑は悟の胸の内までは読み切れなかったが、面白そうだという直感に従い、あっさりと隣に並ぶ。
「神凪先輩。可愛い後輩の頼みですよ?」
二人分の視線が向けられた瞬間、颯真は露骨に嫌そうな顔をした。
「……それに、先輩。言ってましたよね」
傑は穏やかな声で、しかし逃げ道を塞ぐように言葉を重ねる。
「『困ったときは、格安で助けてやる』って」
「そうそう。俺ら、今まさに困ってるんですよー」
悟の一人称は、いつの間にか“俺”に戻っていた。教師の仮面を脱ぎ捨てた、学生時代そのままの声音だ。
傑の口元には、柔らかさを装った腹黒い笑みが浮かんでいる。
颯真はその光景を前にして、かつてこの二人を相手にしていた夜蛾の心境を、なぜかありありと理解してしまった。
逃げ場はない。
観念したように、颯真は両手を肩の高さまで上げる。
「……分かった、分かったよ」
深いため息のあと、諦めを滲ませて続けた。
「で? 何をさせたいんだ?」
ーーーー
「というわけでぇ――僕らの一つ上のパイセン、神凪颯真さんでーす!
な、なんと! 僕のポケットマネーで特別に臨時講師をお願いしました!
みんなー、パイセンに盛大な拍手を!!」
悟はそう言って、必要以上に大仰な身振りを交えながら、グラウンドに並ぶ四人――憂太、真希、棘、そしてパンダの前に颯真を引きずり出した。
だが、その熱量とは裏腹に、学生たちの空気は驚くほど冷め切っている。
颯真は、その温度差を肌で感じながら、すでにこの依頼を引き受けたことを後悔し始めていた。
「……バカ目隠しの先輩、っていきなり言われてもな」
真希が一歩前に出る。
値踏みするような視線が、颯真の全身をなぞった。
「誰? それで――強いのか?」
挑発を隠そうともしないその口調に、颯真は肩をすくめ、薄く笑う。
「誰って言われても困るんだが……
神凪颯真。フリーの術師だ。
……で、強いかどうか、だっけ?」
一瞬だけ言葉を切り、煙草を取り出す仕草を見せてから続ける。
「強弱の基準が何かは知らねぇけど……ま、少なくとも。
お前らよりは、強いよ」
その軽薄な笑みが、火種だった。
「――っ!」
真希の気配が弾ける。
次の瞬間、彼女は地を蹴り、大刀を振りかぶっていた。
一切の躊躇も、寸止めもない。純粋な殺意を帯びた一閃。
「――おい、真希!!」
「――おかかッ!!」
パンダと棘の制止の声が重なり、憂太は反射的に目を閉じた。
鋭い銀の軌跡が、颯真を両断する――はずだった。
しかし、刃は何も捉えず、虚空を切り裂いた。
「……?」
真希の視界に映るのは、空を裂いた自分の太刀のみ。
その背後で、カチリ、と小さな音が鳴った。
振り返ると、そこには――
無防備に立っていたはずの颯真が、いつの間にか真希の背後に回り込み、悠然と煙草に火をつけていた。
(――いつの間に……!?)
目を閉じていた憂太はもちろん、真希自身も、棘も、パンダも。
誰一人として、颯真がどう躱したのか、どうやって背後を取ったのかを知覚できていなかった。
颯真は、紫煙を細く吐きながら呟く。
「……気の早いヤツだな」
そして、学生たちを一瞥する。
「ま、今のでだいたい分かったわ。
とりあえず、悟と傑からは“組手してやってくれ”って言われてる」
煙草を指で挟んだまま、不敵に笑った。
「手加減はしてやるからさ。四人全員で来い。
……いや、三人と一匹、か?」
その笑みは軽い。だが、底知れない。
悟や傑の“先輩”。
その言葉の意味を、四人はこの瞬間、骨の髄まで理解していた。
目の前の男は――
間違いなく、別格だった。
仮眠前にハーメルン見たら、感想頂いていたので嬉しくなり、仮眠そっちのけでポチポチ文章打ってました。
本当にモチベとなっています。
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時間を見つけて、更新はしていこうと思ってますので、今後ともよろしくお願い致します。