呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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珍しく日曜日に休みを貰えたので更新です。


第37話

「はーい、集合」

 

 いつの間にグラウンドへ戻ってきていたのか、悟が乾いた音を立てて手を叩き、一年生たちを呼び集めた。

 

「あ、五条さん。戻ってきてたんですね!

 夏油さんも、お疲れ様です!」

 

 真希と憂太の模擬戦を監督していた灰原が、屈託のない笑顔を浮かべながら二人のもとへ駆け寄ってくる。

 その背後には、ちぎれんばかりに振られる犬の尻尾の幻影が見える気がして、傑は思わず小さく笑った。

 

「灰原、いつもすまないね。助かってるよ。

 今度、お礼に何か奢る」

 

「えぇ!? 悪いですよ……。

 焼肉で!!!」

 

 一拍の遠慮を挟んでからの即答。

 後輩としての様式美を完璧に踏襲したその要求に、傑は「相変わらずだな」と言わんばかりに、くすりと笑みを深めた。

 

 一方その頃、真希とパンダはと言えば、我関せずとばかりに模擬戦という名のじゃれ合いを継続中だった。

 

 悟は二人にちらりと視線を向ける。

 

「……まぁ、あの二人は別にいいか」

 

 止める気はないと判断したのか、悟はあっさりと興味を切り替え、棘の方へ顔を向けた。

 

「棘、ご指名。君に適任の呪いだ。

 ちゃちゃっと祓っておいで」

 

「しゃけ」

 

 まるで近所へお使いに出すかのような軽さで告げられる任務。

 それを棘もまた、涼しい顔で受け取った。

 

「……ご指名」

 

 まだ学生、それも高専一年生。

 にもかかわらず名指しで任務を与えられる棘に、憂太は思わず驚いたように目を見張る。

 

 そんな憂太に、真希にコテンパンにやられ、うつ伏せに押さえ込まれているパンダが解説役を買って出る。

 

「棘は一年で唯一の二級術師だからな。

 単独行動も許可されてるんだ」

 

「へぇ……すごいなぁ」

 

 無邪気に感心する憂太の声に、

 

(お前、特級だろ)

 

 真希とパンダは、揃って心の中で同じツッコミを入れた。

 

「憂太も一緒に行っておいで。

 棘のサポート役だ」

 

 悟の一言に、憂太は再び目を丸くし、思わず棘の方を見る。

 視線が合う。しかし棘の表情は能面のように静まり返っており、そこから感情を読み取ることはできなかった。

 

「……サポート、ですか」

 

「というより、見学だね」

 

 悟は軽く肩をすくめながら続ける。

 

「呪術は多種多様だ。術師の数だけ、祓い方があると思っていい。

 棘の『呪言』は、その最たる例だよ。しっかり学んでおいで」

 

「呪言……?」

 

「文字通り、言葉そのものに呪いをこめるのさ」

 

 憂太は真剣な面持ちで、悟の言葉一つひとつを噛みしめるように聞いていた。

 

「百聞は一見にしかず、だ。

 里香を御霊化するためにも、まずは呪いをよく知ることだね」

 

 

 悟に促され、憂太と棘は高専の敷地を後にした。

 

 門の外では、補助監督・伊地知潔高が車を回し、待機している。

 補助監督とは、高専所属の術師を支える裏方の存在だ。雑務全般から現場までの送迎、簡易的な術式や結界の展開――戦闘の最前線に立つことはなくとも、任務には欠かせない歯車である。

 

 刀袋を肩に担いだ憂太は、胸の奥がひりつくのを感じていた。

 二度目の実地任務。

 経験というにはあまりに心許ない「二度目」という響きが、緊張を煽る。

 

 そのとき、不意に肩を叩かれた。

 

 びくりと身を強張らせ、振り返る。

 

 そこに立っていたのは棘だった。片手を軽く上げ、声をかけるような仕草をしている。

 

 逆光を背負ったその顔は影に沈み、いつも通り無表情だ。怒っているのか、それとも何も考えていないのか――憂太には判別がつかない。

 

「しゃけ」

 

 短く放たれた言葉。

 

「え? あっ、ごめんなさい……?」

 

 意味を理解できないまま、憂太は反射的に謝ってしまう。

 棘は何か言いたげだったが、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。

 

「憂太、ちょっと」

 

 悟に呼ばれ、憂太がそちらへ向かうと、棘は上げていた腕をゆっくりと下ろした。

 その動きが、なぜかひどく名残惜しそうに見えた。

 

「悪いね、今回引率教師をつけられなくて」

 

 悟は軽い調子で言う。

 

「でもまあ、本来なら棘ひとりで十分な仕事だ。気楽にいきなよ」

 

 そう言ってから、少しだけ声のトーンを落とす。

 

「キミが気をつけることは、ただ一つ――

里香は、出すな」

 

 その一言で、憂太の背筋に冷たいものが走った。

 

「前回みたいに、都合よく引っ込んでくれるとは限らない。

 僕か傑、もしくはパイセンがいない状況で出したら、フォローできないからね。

 里香の力は、あくまで刀に収まる範囲で使うこと」

 

 そう言われても――。

 里香とまともに対話すらできていない現状、その「範囲」が分かるはずもない。

 

 喉が鳴る。

 不安を飲み込むように、憂太は唾を嚥下した。

 

「……もし、全部出しちゃったら」

 

「出しちゃったら……?」

 

「僕と傑、それに憂太の三人は」

 

 悟はにこりと笑い、首を横に払う仕草をする。

 

処分(ころ)されちゃうから」

 

「なっ……」

 

(なんで、このタイミングで追い討ちをかけるの……!?)

 

 冗談めかした口調とは裏腹に、その言葉は重く、確実に胸に沈んだ。

 ただでさえ張り詰めていた緊張は、一気に限界まで引き上げられる。

 

 憂太は、ぎゅっと刀袋の紐を握りしめた。

 

 

 

 

 日が沈みきる寸前の黄昏時。

 人の気配を失った商店街の入口に、棘と憂太を乗せた車は到着した。

 車のエンジンが止まり、運転席から伊地知が降りてくる。それに続いて、棘と憂太もアスファルトへと足を下ろした。

 

「到着です」

 

 商店街は想像以上に古びていた。看板の文字は色褪せ、点くはずの明かりはほとんど沈黙したまま。

 ゴミ捨て場の隅では、数羽のカラスが、夕闇に溶けるような、もの悲しい声を上げている。

 

 入口には無機質な「立入禁止」の札。並ぶ店のほとんどは、固くシャッターを下ろし、街全体が長い眠りに落ちているかのようだった。

 人影は、どこにもない。

 

 伊地知は携帯用のタブレット端末を取り出し、今回の任務資料を表示させる。

 

「ハピナ商店街。現在は、ほぼ完全なシャッター街です。

 この一帯を解体し、大型ショッピングモールを誘致する計画がありまして……その視察中に、低級呪霊の群れが確認されました」

 

 淡々と説明を続けながら、伊地知がふと顔を上げた、その瞬間。

 

「……って、あれ!? 狗巻術師!?」

 

 そこにいるはずの棘の姿が、消えていた。

 

 伊地知は慌てて周囲を見回す。憂太も同じように視線を巡らせたが、隣にいたはずの姿が、いつ消えたのかまるで分からない。

 

「あ、伊地知さん、あそこ!」

 

 憂太が指差した先――商店街の一角にあるドラッグストアから、ひょいと棘が姿を現した。

 

(……買い物してる!)

 

 片手にレジ袋を下げて戻ってくる棘に、憂太は思わず声をかける。

 

「なに買ったの?」

 

 棘は無言のまま袋に手を入れ、中から小さな瓶を取り出して差し出した。

 そこには『のどナオール』と書かれたラベル。

 

「……のど薬!?」

 

 予想外すぎる品に、憂太は拍子抜けしてしまう。

 

 棘が戻ってきたことで、伊地知もようやく胸を撫で下ろしたように、説明を再開した。

 

「要するにですね、高額な建物に曰くがつくと後々面倒なので、今のうちに祓っておいてほしい、という依頼です」

 

「しゃけ」

 

 棘は短く、静かに応じた。

 

 伊地知は眼鏡の位置を整え、背筋を伸ばす。

 

「では――『帳』を下ろします。

 ……ご武運を」

 

 次の瞬間、黒い膜のような帳が、商店街全体を覆っていった。

 

 光はさらに削がれ、街は不気味な沈黙に沈む。

 憂太は思わず、自分の背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「呪い……低級の群れって言ってたよ」

 

「明太子」

 

 棘はまるで意に介さず、軽やかな足取りで商店街の奥へと歩き出す。

 

 憂太も遅れないように足を速めた。

 

『ずるいよ、ママ』

 

 幼い拗ねた声が、ふいに空気を震わせた。

 憂太は反射的にその声の行方を追い、顔を上げる。

 

 そこには――魚のような輪郭を持つ呪霊たちが、無数に空を泳いでいた。

 

『お兄ちゃんのほうが多いよ』

 

『いいじゃん、ダブりは交換しよう』

 

 商店街に染みついた大小さまざまな想いが、互いに引き寄せられ、囁き合い、やがて魚影のような呪霊の姿を成す。

 それらは水のない空をざわめきながら漂い、蠢き、増殖していく。

 

『みんなで渡れば怖くない』

 

 その言葉を合図にしたかのように、呪霊たちはさらに集まり続け、ついには商店街のアーケード屋根を覆い尽くすほどの、圧倒的な群れへと膨れ上がった。

 

 その異様な光景を前に、憂太の脳裏に、かつて真希が吐き捨てるように言った言葉がよみがえる。

 

――呪霊は、弱い奴ほどよく群れる。

 

「……とはいえ、いくらなんでも多すぎじゃ」

 

 どう祓けばいいのか、想像すら追いつかない。

 呆然と立ち尽くす憂太をよそに、棘は呪霊の群れへと迷いなく歩み寄っていく。スタスタと、まるで散歩でもするかのように。

 

 彼は首元のネックウォーマーを、すっと引き下げた。

 

 口の両脇には、眼球を思わせる呪印。

 狗巻家に受け継がれる、忌まわしき印。

 舌にもまた、鋭い歯を象った呪印が刻まれている。

 

「狗巻くん、そんなに近づいたら危な――」

 

 憂太の制止が形になるより早く、棘は呪霊の群れへ向け、腹の底から声を叩きつけた。

 

「『爆ぜろ』!!」

 

 次の瞬間、それまで悠然と空を泳いでいた呪霊たちの動きが、ぴたりと止まる。

 そして、一体、また一体と、内側から弾けるように爆散していった。

 

 連鎖する破裂音はやがて一つの轟音となり、魚群全体を巻き込んだ大爆発が、商店街の空を白く塗り潰した。

 

 目の前で、呪霊たちが次々と爆ぜた。

 焼け焦げた肉片が火花を散らしながら宙を舞い、やがて重力に引かれるように地面へと堕ちていく。

 

 憂太は反射的に腕をかざし、襲い来る爆風から身を守った。

 つい先ほどまで、視界を埋め尽くしていたはずの無数の呪霊は――跡形もない。

 

「……これが、呪言……?」

 

 現実離れした光景に、思わず呟きが零れる。

 呪言の圧倒的な威力を目の当たりにし、憂太はただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 そこへ、棘がくるりと踵を返して戻ってくる。

 いつの間にか、その口元はいつものようにネックウォーマーで覆われていた。

 

「ヅナマヨ」

 

(めちゃくちゃ声、枯れてる……!?)

 

 任務の前に棘がわざわざ喉薬を買っていた理由が、ようやく腑に落ちた。

 

(あれほどの力……でも、それ相応のリスクがあるんだ)

 

 ――人を呪わば、穴二つ。

 呪言とは、言葉に呪いを宿し、相手へと放つ術。

 強い言葉であればあるほど、そして言葉を投げかける相手が強大であればあるほど、その反動は術師自身へと跳ね返ってくる。

 

 商店街の地面には、祓われた呪霊たちの残骸が黒い炭の山となって積み上がっていた。

 棘は足元に視線を走らせ、祓い残しがいないか慎重に確認している。

 

 一通り確認を終えると、棘は憂太を促し、商店街の出口へと戻った。

 ――だが、その途中で、棘はふと立ち止まる。

 

「おかか!」

 

「どうしたの?」

 

 本来なら、呪霊を祓い終え、棘が帳に触れた時点で、帳は解除されるはずだった。

 しかし――。

 

「あれ……? 本当だ。『帳』が、上がらない」

 

 憂太も恐る恐る帳に触れてみる。

 だが、見えない壁は微動だにせず、外へと通してはくれなかった。

 

「……これじゃ、出られないね」

 

 帳は、依然として沈黙したまま、二人を閉じ込めていた。

 

 帷を見上げていた二人は、その瞬間、背後にひたりとまとわりつくような気配を感じ取った。

 

 振り返った先――そこは寂れた商店街の一角だったはずだ。色褪せたシャッターと剥がれかけの看板の狭間に、あまりにも場違いな存在が立っている。

 

 漆黒のフリルとレースを幾重にも重ねた、ゴシック・ロリータ調のワンピース。艶やかな栗色の髪を揺らし、少女は両手でスカートの裾をつまみ上げると、まるで貴族の令嬢のように優雅な一礼を捧げた。

 

 白磁のように可憐な顔立ち。だが、その表情には一切の感情が浮かんでいない。生身の人間というより、精巧に作られた人形を思わせる無機質さがあった。

 

(……女の子? いや、帳の中に? それに……何かがおかしい)

 

 棘は少女から漂う異様な気配に即座に反応し、ネックウォーマーを下げる。躊躇はない。身体はすでに完全な臨戦態勢に入っていた。

 

 少女がゆっくりと顔を上げる。

 

 次の瞬間、彼女は懐から銀色に鈍く光る短剣を二振り取り出した。それを左右の手に握り込むや否や、躊躇も予兆もなく――

 

 弾丸のような速度で、憂太たちへと斬りかかってきた。

 




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本当にありがとうございます。

ここまで更新を続けられたのは皆様の温かい感想や評価があったからです。

本当にありがとうございました。
今後ともよければお付き合いください。
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