「はーい、集合」
いつの間にグラウンドへ戻ってきていたのか、悟が乾いた音を立てて手を叩き、一年生たちを呼び集めた。
「あ、五条さん。戻ってきてたんですね!
夏油さんも、お疲れ様です!」
真希と憂太の模擬戦を監督していた灰原が、屈託のない笑顔を浮かべながら二人のもとへ駆け寄ってくる。
その背後には、ちぎれんばかりに振られる犬の尻尾の幻影が見える気がして、傑は思わず小さく笑った。
「灰原、いつもすまないね。助かってるよ。
今度、お礼に何か奢る」
「えぇ!? 悪いですよ……。
焼肉で!!!」
一拍の遠慮を挟んでからの即答。
後輩としての様式美を完璧に踏襲したその要求に、傑は「相変わらずだな」と言わんばかりに、くすりと笑みを深めた。
一方その頃、真希とパンダはと言えば、我関せずとばかりに模擬戦という名のじゃれ合いを継続中だった。
悟は二人にちらりと視線を向ける。
「……まぁ、あの二人は別にいいか」
止める気はないと判断したのか、悟はあっさりと興味を切り替え、棘の方へ顔を向けた。
「棘、ご指名。君に適任の呪いだ。
ちゃちゃっと祓っておいで」
「しゃけ」
まるで近所へお使いに出すかのような軽さで告げられる任務。
それを棘もまた、涼しい顔で受け取った。
「……ご指名」
まだ学生、それも高専一年生。
にもかかわらず名指しで任務を与えられる棘に、憂太は思わず驚いたように目を見張る。
そんな憂太に、真希にコテンパンにやられ、うつ伏せに押さえ込まれているパンダが解説役を買って出る。
「棘は一年で唯一の二級術師だからな。
単独行動も許可されてるんだ」
「へぇ……すごいなぁ」
無邪気に感心する憂太の声に、
(お前、特級だろ)
真希とパンダは、揃って心の中で同じツッコミを入れた。
「憂太も一緒に行っておいで。
棘のサポート役だ」
悟の一言に、憂太は再び目を丸くし、思わず棘の方を見る。
視線が合う。しかし棘の表情は能面のように静まり返っており、そこから感情を読み取ることはできなかった。
「……サポート、ですか」
「というより、見学だね」
悟は軽く肩をすくめながら続ける。
「呪術は多種多様だ。術師の数だけ、祓い方があると思っていい。
棘の『呪言』は、その最たる例だよ。しっかり学んでおいで」
「呪言……?」
「文字通り、言葉そのものに呪いをこめるのさ」
憂太は真剣な面持ちで、悟の言葉一つひとつを噛みしめるように聞いていた。
「百聞は一見にしかず、だ。
里香を御霊化するためにも、まずは呪いをよく知ることだね」
悟に促され、憂太と棘は高専の敷地を後にした。
門の外では、補助監督・伊地知潔高が車を回し、待機している。
補助監督とは、高専所属の術師を支える裏方の存在だ。雑務全般から現場までの送迎、簡易的な術式や結界の展開――戦闘の最前線に立つことはなくとも、任務には欠かせない歯車である。
刀袋を肩に担いだ憂太は、胸の奥がひりつくのを感じていた。
二度目の実地任務。
経験というにはあまりに心許ない「二度目」という響きが、緊張を煽る。
そのとき、不意に肩を叩かれた。
びくりと身を強張らせ、振り返る。
そこに立っていたのは棘だった。片手を軽く上げ、声をかけるような仕草をしている。
逆光を背負ったその顔は影に沈み、いつも通り無表情だ。怒っているのか、それとも何も考えていないのか――憂太には判別がつかない。
「しゃけ」
短く放たれた言葉。
「え? あっ、ごめんなさい……?」
意味を理解できないまま、憂太は反射的に謝ってしまう。
棘は何か言いたげだったが、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。
「憂太、ちょっと」
悟に呼ばれ、憂太がそちらへ向かうと、棘は上げていた腕をゆっくりと下ろした。
その動きが、なぜかひどく名残惜しそうに見えた。
「悪いね、今回引率教師をつけられなくて」
悟は軽い調子で言う。
「でもまあ、本来なら棘ひとりで十分な仕事だ。気楽にいきなよ」
そう言ってから、少しだけ声のトーンを落とす。
「キミが気をつけることは、ただ一つ――
里香は、出すな」
その一言で、憂太の背筋に冷たいものが走った。
「前回みたいに、都合よく引っ込んでくれるとは限らない。
僕か傑、もしくはパイセンがいない状況で出したら、フォローできないからね。
里香の力は、あくまで刀に収まる範囲で使うこと」
そう言われても――。
里香とまともに対話すらできていない現状、その「範囲」が分かるはずもない。
喉が鳴る。
不安を飲み込むように、憂太は唾を嚥下した。
「……もし、全部出しちゃったら」
「出しちゃったら……?」
「僕と傑、それに憂太の三人は」
悟はにこりと笑い、首を横に払う仕草をする。
「
「なっ……」
(なんで、このタイミングで追い討ちをかけるの……!?)
冗談めかした口調とは裏腹に、その言葉は重く、確実に胸に沈んだ。
ただでさえ張り詰めていた緊張は、一気に限界まで引き上げられる。
憂太は、ぎゅっと刀袋の紐を握りしめた。
日が沈みきる寸前の黄昏時。
人の気配を失った商店街の入口に、棘と憂太を乗せた車は到着した。
車のエンジンが止まり、運転席から伊地知が降りてくる。それに続いて、棘と憂太もアスファルトへと足を下ろした。
「到着です」
商店街は想像以上に古びていた。看板の文字は色褪せ、点くはずの明かりはほとんど沈黙したまま。
ゴミ捨て場の隅では、数羽のカラスが、夕闇に溶けるような、もの悲しい声を上げている。
入口には無機質な「立入禁止」の札。並ぶ店のほとんどは、固くシャッターを下ろし、街全体が長い眠りに落ちているかのようだった。
人影は、どこにもない。
伊地知は携帯用のタブレット端末を取り出し、今回の任務資料を表示させる。
「ハピナ商店街。現在は、ほぼ完全なシャッター街です。
この一帯を解体し、大型ショッピングモールを誘致する計画がありまして……その視察中に、低級呪霊の群れが確認されました」
淡々と説明を続けながら、伊地知がふと顔を上げた、その瞬間。
「……って、あれ!? 狗巻術師!?」
そこにいるはずの棘の姿が、消えていた。
伊地知は慌てて周囲を見回す。憂太も同じように視線を巡らせたが、隣にいたはずの姿が、いつ消えたのかまるで分からない。
「あ、伊地知さん、あそこ!」
憂太が指差した先――商店街の一角にあるドラッグストアから、ひょいと棘が姿を現した。
(……買い物してる!)
片手にレジ袋を下げて戻ってくる棘に、憂太は思わず声をかける。
「なに買ったの?」
棘は無言のまま袋に手を入れ、中から小さな瓶を取り出して差し出した。
そこには『のどナオール』と書かれたラベル。
「……のど薬!?」
予想外すぎる品に、憂太は拍子抜けしてしまう。
棘が戻ってきたことで、伊地知もようやく胸を撫で下ろしたように、説明を再開した。
「要するにですね、高額な建物に曰くがつくと後々面倒なので、今のうちに祓っておいてほしい、という依頼です」
「しゃけ」
棘は短く、静かに応じた。
伊地知は眼鏡の位置を整え、背筋を伸ばす。
「では――『帳』を下ろします。
……ご武運を」
次の瞬間、黒い膜のような帳が、商店街全体を覆っていった。
光はさらに削がれ、街は不気味な沈黙に沈む。
憂太は思わず、自分の背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「呪い……低級の群れって言ってたよ」
「明太子」
棘はまるで意に介さず、軽やかな足取りで商店街の奥へと歩き出す。
憂太も遅れないように足を速めた。
『ずるいよ、ママ』
幼い拗ねた声が、ふいに空気を震わせた。
憂太は反射的にその声の行方を追い、顔を上げる。
そこには――魚のような輪郭を持つ呪霊たちが、無数に空を泳いでいた。
『お兄ちゃんのほうが多いよ』
『いいじゃん、ダブりは交換しよう』
商店街に染みついた大小さまざまな想いが、互いに引き寄せられ、囁き合い、やがて魚影のような呪霊の姿を成す。
それらは水のない空をざわめきながら漂い、蠢き、増殖していく。
『みんなで渡れば怖くない』
その言葉を合図にしたかのように、呪霊たちはさらに集まり続け、ついには商店街のアーケード屋根を覆い尽くすほどの、圧倒的な群れへと膨れ上がった。
その異様な光景を前に、憂太の脳裏に、かつて真希が吐き捨てるように言った言葉がよみがえる。
――呪霊は、弱い奴ほどよく群れる。
「……とはいえ、いくらなんでも多すぎじゃ」
どう祓けばいいのか、想像すら追いつかない。
呆然と立ち尽くす憂太をよそに、棘は呪霊の群れへと迷いなく歩み寄っていく。スタスタと、まるで散歩でもするかのように。
彼は首元のネックウォーマーを、すっと引き下げた。
口の両脇には、眼球を思わせる呪印。
狗巻家に受け継がれる、忌まわしき印。
舌にもまた、鋭い歯を象った呪印が刻まれている。
「狗巻くん、そんなに近づいたら危な――」
憂太の制止が形になるより早く、棘は呪霊の群れへ向け、腹の底から声を叩きつけた。
「『爆ぜろ』!!」
次の瞬間、それまで悠然と空を泳いでいた呪霊たちの動きが、ぴたりと止まる。
そして、一体、また一体と、内側から弾けるように爆散していった。
連鎖する破裂音はやがて一つの轟音となり、魚群全体を巻き込んだ大爆発が、商店街の空を白く塗り潰した。
目の前で、呪霊たちが次々と爆ぜた。
焼け焦げた肉片が火花を散らしながら宙を舞い、やがて重力に引かれるように地面へと堕ちていく。
憂太は反射的に腕をかざし、襲い来る爆風から身を守った。
つい先ほどまで、視界を埋め尽くしていたはずの無数の呪霊は――跡形もない。
「……これが、呪言……?」
現実離れした光景に、思わず呟きが零れる。
呪言の圧倒的な威力を目の当たりにし、憂太はただ呆然と立ち尽くしていた。
そこへ、棘がくるりと踵を返して戻ってくる。
いつの間にか、その口元はいつものようにネックウォーマーで覆われていた。
「ヅナマヨ」
(めちゃくちゃ声、枯れてる……!?)
任務の前に棘がわざわざ喉薬を買っていた理由が、ようやく腑に落ちた。
(あれほどの力……でも、それ相応のリスクがあるんだ)
――人を呪わば、穴二つ。
呪言とは、言葉に呪いを宿し、相手へと放つ術。
強い言葉であればあるほど、そして言葉を投げかける相手が強大であればあるほど、その反動は術師自身へと跳ね返ってくる。
商店街の地面には、祓われた呪霊たちの残骸が黒い炭の山となって積み上がっていた。
棘は足元に視線を走らせ、祓い残しがいないか慎重に確認している。
一通り確認を終えると、棘は憂太を促し、商店街の出口へと戻った。
――だが、その途中で、棘はふと立ち止まる。
「おかか!」
「どうしたの?」
本来なら、呪霊を祓い終え、棘が帳に触れた時点で、帳は解除されるはずだった。
しかし――。
「あれ……? 本当だ。『帳』が、上がらない」
憂太も恐る恐る帳に触れてみる。
だが、見えない壁は微動だにせず、外へと通してはくれなかった。
「……これじゃ、出られないね」
帳は、依然として沈黙したまま、二人を閉じ込めていた。
帷を見上げていた二人は、その瞬間、背後にひたりとまとわりつくような気配を感じ取った。
振り返った先――そこは寂れた商店街の一角だったはずだ。色褪せたシャッターと剥がれかけの看板の狭間に、あまりにも場違いな存在が立っている。
漆黒のフリルとレースを幾重にも重ねた、ゴシック・ロリータ調のワンピース。艶やかな栗色の髪を揺らし、少女は両手でスカートの裾をつまみ上げると、まるで貴族の令嬢のように優雅な一礼を捧げた。
白磁のように可憐な顔立ち。だが、その表情には一切の感情が浮かんでいない。生身の人間というより、精巧に作られた人形を思わせる無機質さがあった。
(……女の子? いや、帳の中に? それに……何かがおかしい)
棘は少女から漂う異様な気配に即座に反応し、ネックウォーマーを下げる。躊躇はない。身体はすでに完全な臨戦態勢に入っていた。
少女がゆっくりと顔を上げる。
次の瞬間、彼女は懐から銀色に鈍く光る短剣を二振り取り出した。それを左右の手に握り込むや否や、躊躇も予兆もなく――
弾丸のような速度で、憂太たちへと斬りかかってきた。
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