おそらく、今日はこれで打ち止めだと思います。
「『止まれ』!!」
棘の放った呪言が、濃密な死の気配を纏い斬りかかってきた少女の動きを強引に縫い止める。
ほんの刹那――だが、その代償はあまりにも大きかった。
「っ……!」
反動に喉を焼かれ、棘は膝から崩れ落ちる。口元から溢れ出たのは、抑えきれぬほどの鮮血だった。
「――狗巻くん!?」
吐血しながら座り込む棘に、憂太は思わず声を上げる。その声音には、隠しきれぬ焦燥と恐怖が滲んでいた。
一瞬、確かに止まった少女の身体。しかし次の瞬間には、呪言の呪縛を力尽くで引き裂くように動き出す。
その視線が、隙だらけの棘を捉えた。
「させないッ!!」
叫ぶと同時に、憂太は刀を抜き放つ。踏み込み、棘へと迫る少女めがけて、横薙ぎの一閃を放った。
だが少女は、獣じみた反射でそれを察知する。
身を低く沈め、刃の軌道を紙一重で潜り抜けると、その勢いのまま下段回し蹴りを叩き込んだ。
「――っ!」
憂太の足元が払われる。体勢を崩した彼は、抗う術もなく地面へと叩きつけられ、無様に転がった。
地に転がる憂太へ、追い討ちをかけるかのように、少女は短剣を逆手に構え、その刃を振り下ろした。
避けようのない凶刃。憂太は反射的に目を閉じ、迫る死を恐怖とともに受け入れる。
――だが、衝撃は訪れなかった。
恐る恐る瞼を開いた憂太の視界に飛び込んできたのは、振り下ろされた短剣を、真紅の三節棍で受け止める男の背中だった。
夏油傑。
赤い棍を構えたまま、彼は振り返りもせず、穏やかな声色で言う。
「……大丈夫かい。二人とも」
その声音は、恐怖に凍りついていた憂太と棘の心を、静かに解きほぐしていった。
必殺の一撃を阻まれた少女は、即座に後方へ跳び退る。着地と同時に、二振りの短剣を構え直し、鋭い警戒心を隠そうともしない。
傑は赤い三節棍――特級呪具・游雲を軽く構え、静かな怒気を孕んだ声で少女に向き直った。
「……随分と、私の教え子を可愛がってくれたようだね」
その視線が、少女の顔を射抜く。
次の瞬間、傑の脳裏に、封じ込めていた記憶が鮮明に蘇った。
「……その顔、見覚えがあるな」
少女の容貌は、土蜘蛛討伐任務の直後、縫い目の女の呪詛師とともに現れた――“ラピス”と名乗った疑似的フィジカルギフテッドと、寸分違わず一致していた。
「ラピス、だったか?」
傑の声が、わずかに低くなる。
「神凪先輩が塵芥にしていたはずだが……」
赤い棍を握る指に、力がこもる。
「――生きていたのか?」
かつて颯真の一撃を受け、肉片ひとつ残さず霧散したはずの存在。
その“あり得ない再会”を前に、傑は無言のまま、警戒の段階を確実に一段引き上げていた。
傑の疑問に応えるかのように、少女は感情の抜け落ちた顔のまま、静かに唇を開いた。
「呪霊操術の使い手――夏油傑。私と貴方は、初対面」
一拍の間。
その沈黙が、不穏な予兆を孕んでいた。
「……私は、三人目だから」
言葉が終わると同時に、少女の身体が低く沈み込む。次の瞬間、地を蹴る音すら置き去りにして、彼女は傑へと疾走した。
「――どこのチルドレンだよッ!!」
叫びと同時に、傑は游雲を振るう。
呪具はしなり、まるで生き物のように空間を切り裂いた。
だが少女は怯まない。
短剣を翻し、カンフー映画の一幕のように遊雲の軌道を受け流し、致命の一撃を紙一重でかわしながら、なおも距離を詰めてくる。
速い。
鋭い。
迷いがない。
傑もまた、ただ立って迎え撃つ男ではなかった。
游雲をまるで己の四肢の延長のように操り、軌道を自在に変え、視認すら困難な連撃を叩き込む。
少女を懐に入れさせまいと、空間そのものを支配するかのように。
ぶつかり合う殺気。
弾かれる金属音。
間合いは詰まり、また開く。
一進一退。
どちらも決定打を許さぬ、均衡した攻防が続いていた。
「……なかなかやるね。疑似的とはいえ、フィジカルギフテッドがここまで厄介だとは」
フィジカルギフテッド――呪力を一切持たぬ代わりに、超常の身体能力を与えられた存在。
少女の動きは、否応なく過去の記憶を呼び覚ます。かつて相対した、完成形とも言うべきフィジカルギフテッド――禪院甚爾。あのときの苛烈な攻防が脳裏をよぎり、傑の表情は自然と苦いものへと歪んだ。
(それに……三人目、だと?
神凪先輩のあの一撃を受けて生き延びたと考えるよりも、本人の口ぶりや、以前ヴェルンハルトが口にしていた『試作品』という言葉……)
嫌な予感が、確信へと形を変えていく。
(もし本当に、この子たちが量産されている存在だとしたら……
それは、看過できない脅威だ)
少しでも情報を引き出すため、傑は内心の警戒を悟らせぬよう、慎重に問いを投げかけた。
「……君たちの狙いはなんだ? 香織とかいう、縫い目のある女も仲間なのか?」
「香織? ……縫い目? もしかして、けん――」
言葉が核心に触れる、その直前。
「そこまでにしときなさい、ラピス」
静かな制止が、場の空気を鋭く断ち切った。
声のした方へ傑が視線を向ける。
そこに立っていたのは、金髪碧眼の美青年だった。小柄で華奢な体躯はどこか儚げで、しかしその佇まいには場の空気を侵食する異質な圧がある。
「……誰かな、キミは?」
問いかけと同時に、傑は無意識のうちに呪力量を高めていた。不意に現れたその男から、ただならぬ気配を感じ取っていたからだ。
青年は一拍の沈黙の後、薄く唇を歪めた。
「……僕ら尊き存在に仇なすキミたちに、崇高なる目的や、我らが主の尊き御名を明かすつもりはない」
静かな声音。しかしその言葉の端々には、歪んだ選民思想の色が滲んでいる。
「……だが、せめてもの慈悲だ。僕の名だけは教えてあげよう」
次の瞬間、青年の全身から禍々しい呪力が爆発的に噴き上がった。
「我が名はミハイル。ミハイル・ハーレイ!!」
名乗りとともに、空気が震える。肌を刺すような呪力の奔流に、周囲の気配すら歪んだ。
「……魔術結社『アルマゲスト』の一員か」
傑の低い声に、ミハイルは愉快そうに微笑む。
「知っているのなら話は早い」
彼は一歩前に出て、冷ややかな視線を向けた。
「我らが仇敵、神凪颯真に伝えるといい。
……いずれ、貴様の命は我々が貰い受けると」
そう言い残し、ミハイルはラピスと呼んだ少女の傍らへと歩み寄る。
「……それでは、呪霊操術の使い手よ。いずれまた相見えよう!」
「――逃がすと思っているのか!!」
傑の咆哮を掻き消すように、ミハイルは高めた呪力を解放した。足元の空間が裂け、漆黒の次元の亀裂――まるで闇そのもののゲートが口を開く。
傑は即座に烏賊型の呪霊を召喚し、レーザー砲のような呪力の奔流を撃ち放った。
しかし、ラピスが一瞬で前に出る。
閃光。
短剣が呪力砲を正確に撃ち払い、その軌道を逸らした。
次の瞬間、二人の姿は闇の裂け目に呑み込まれ――跡形もなく消失した。
残されたのは、静寂と、未だ空気に残る不吉な余韻だけだった。
「……逃がしたか」
悔恨を滲ませた低い呟きが、夜気に溶けた。
だが傑はいつまでも立ち止まらない。
感情を胸の奥へと押し込み、すぐに憂太と棘のもとへと歩み寄る。
「大丈夫だったかい?
すまないね、駆けつけるのが遅くなってしまって」
その声には、2人を案じる真摯な気遣いが滲んでいた。
「――僕は大丈夫です! それより、狗巻くんを……!」
憂太の視線は、地に滴るほどの血を吐いた棘から離れない。
(……狗巻くんは、なんて優しい人なんだろう)
胸の内で、想いが静かに言葉を結ぶ。
(僕を守るために、痛めていた喉で、さらに無理をしてあの女の子を止めてくれた。
不用意に人を呪わないように、呪いのこもらないおにぎりの具だけで話しているんだよね。
あのときも……緊張していた僕を、気遣ってくれたんだよね?)
この任務と突然の襲撃を経て、憂太は棘の優しさを、はっきりと理解していた。
棘は、そんな憂太の不安を和らげるように、口元に付いた血を乱暴に拭い、片手を軽く持ち上げる。
掠れた声で、それでも微笑みを浮かべてみせた。
「……じゃげ」
任務に入る前と、何一つ変わらない仕草。
――もう、怖くない。
憂太は、棘を案じて零していた涙を手の甲で拭い、泣き笑いのような表情でその手に応えた。
乾いた音が、小さく響く。
それは、恐怖を乗り越えた証のように、静かに夜へと溶けていった。
いつも閲覧ありがとうございます。
また明日から月曜日ですね…
学生さまも社会人さまも、学校、仕事と頑張っていきましょう!
皆様の来週がよりよい1週間になるようにお祈りしております!