という訳で、今度こそ本日最後の投稿です(笑)
商店街での激闘を終えた翌朝。
高専の中庭では、朝の光を受けた桔梗の花が静かに揺れていた。
棘がじょうろを傾け、花に水を与えている。
その姿を、憂太は少し離れた場所からぼんやりと眺めていた。
棘と心を通わせ、言葉以上の理解を交わすことができた。
それだけで、憂太にとってはここへ来た意味があった。
呪術高専――
かつては恐怖と不安しかなかった場所が、今はほんのわずかだが、自分の居場所になったような気がしていた。
その背後から、低く落ち着いた声がかかる。
「棘の『呪言』はなァ、生まれたときから使えちゃったから……」
振り向かずとも、声の主がパンダだとわかる。
「昔はそれなりに苦労したみたいだ。呪うつもりもない相手を呪っちゃったりな。……境遇としては、憂太にかなり近い」
その言葉に、憂太ははっとする。
棘が自分と似た境遇だったなど、思いもよらなかった。
里香の呪いによる不幸に囚われ、自分のことで精一杯だった憂太の視野には、そんな可能性すら映っていなかったのだ。
「だからな、入学当初からお前のこと、気にかけてたみたいでな……」
思わず、憂太はパンダのほうへ顔を向ける。
パンダは、どこか穏やかな眼差しで棘を見ていた。
当の棘は、そんなこととは知らぬ顔で、鼻歌をこぼしながら水やりを続けている。
肩の力が抜け、完全にくつろいだ様子だった。
「誤解されやすいけど、いいヤツなんだ。
これからも、よろしく頼む」
そう言うパンダ自身もまた、いい人だ――
そう思いながら、憂太は小さく、しかし確かに頷いた。
「うん。僕こそ――」
そこまで言いかけた瞬間、こつん、と軽い衝撃が頭に伝わり、言葉が途切れる。
「オラッ、朝練行くぞ!」
振り返ると、そこにいたのは真希だった。
手には模擬槍。
目にはやる気が満ちている。
どうやら今の一撃も、その槍で軽く小突かれたらしい。
「あ、そっか!」
憂太は慌てて笑い、素直に応じる。
そんな二人のやり取りを、パンダは微笑ましそうに眺めていた。
口元には、下卑たと言われかねないニヤニヤした笑みが浮かんでいる。
「パンダ、何笑ってんだ! 殺すぞッ!!」
「エー? べっつにィ〜〜」
脅されても意に介さず、パンダはその笑みを崩さない。
「……真希さん、ちょっと」
不意に、憂太が真希を呼び止めた。
「あ?」
「刀に呪いをこめるの、もう少しスムーズにやりたいんだけど……なにかコツとか――」
「知らねぇ。
呪力のことは、私に聞くな」
言い捨てるようにそう告げると、真希は踵を返し、さっさとグラウンドへ向かって歩き出す。
それ以上踏み込むな、と無言で告げられているようだった。
取り残された憂太は、困惑したようにその背中を見つめる。
パンダはそんな憂太を一瞬だけ見やり、何か言いたげに目を細めた。
だが、真希の抱える事情に触れるべきではないと判断し、あえて沈黙を選ぶ。
中庭には、再び静けさが戻った。
桔梗の花びらに落ちる水音だけが、朝の空気に小さく響いていた。
平和な朝を迎えた高専とは対照的に、棘と憂太が任務に赴いたハピナ商店街は、いまなお緊張の余韻に包まれていた。
商店街の入口から奥にかけて、警察の張った黄色い『立入禁止』テープが無機質に揺れている。
その内側では、高専関係者による現場検証が粛々と進められていた。
伊地知をはじめとする補助監督たちは、落ち着く間もなく商店街を行き交い、それぞれの担当区域で調査に追われている。
その喧騒の只中、真新しい黒のスーツに身を包んだ金髪の新人補助監督――新田明は、現場に到着したばかりの五条悟、夏油傑、神凪颯真の三人の前で、やや緊張した面持ちのまま報告を始めた。
「商店街全域をくまなく捜索した結果、三種類の残穢を確認したッス。
これ以上は、もう新たな発見はないだろうと、伊地知さんからッス」
「ん、わかった。ありがとう」
悟の軽い返答に、新田はほっとしたように表情を緩め、警察式に右手を上げて敬礼した。
「はいッス!」
三人は自ら確かめるため、立入禁止テープをくぐり、商店街の中へと足を踏み入れる。
その瞬間、颯真がふいに立ち止まった。
虚空を見据えるその視線は、目に見えぬ何かをなぞるように鋭い。
仄かに漂う残穢を捉え、颯真の瞳が細くなる。
アーケード内には、戦闘の痕跡が生々しく刻まれていた。
歪んだ床、削れた壁面、空気に染みついた呪力の残響――ここで何が起きたのかを、雄弁に物語っている。
そこへ、補助監督の伊地知が歩み寄ってきた。
額に冷や汗を滲ませ、深く頭を下げる。
「申し訳ございません。
調査の結果、何者かが、私の張った『帳』の上から、さらに二重に『帳』を下ろしていたことが判明しました。
加えて、呪詛師による学生への襲撃……。
すべては私の不徳の致すところ。どのような処分でも――」
「いや、いい」
悟が静かに言葉を遮る。
「ま、相手が悪かったわ」
颯真が斜に構えた笑みを浮かべ、伊地知を庇うように続ける。
「……覚えのある、胸糞の悪い残穢があった。
ヴェルンハルトだ。アイツの結界術と隠遁術は常軌を逸してる。
補助監督程度じゃ、逆立ちしたって敵わねぇよ」
「それに――」
淡々と、しかし確実な重みをもって、傑が言葉を継ぐ。
「ミハイルと名乗った若者も、相当な呪力量だった。
控えめに見積もっても一級術師相当。
ラピスと呼ばれる疑似的なフィジカルギフテッドを量産できるとしたら……脅威度は計り知れない」
実際にアルマゲストの呪詛師と刃を交えた者として、傑の分析は冷静かつ的確だった。
「……今回は姿を見せなかったけど」
悟が低く呟く。
「傑やパイセンとやり合った“縫い目の女”もいる。
正直、面倒なことになりそうだね」
その言葉に、傑と颯真は黙って頷いた。
商店街に漂う残穢は、すでに薄れつつある。
しかし、それが意味するものはただ一つ――
嵐は、まだ始まったばかりだ。
蝋燭のか細い炎だけが、薄闇を押し返していた。
揺らめく光の中、ヴェルンハルトは静かに佇んでいる。
部屋の中央、床一面に描かれた魔法陣。その中心には供物として、幼い子どもが意識を失ったまま横たえられていた。浅い呼吸が、まだ命の残滓を告げている。
次の瞬間、ヴェルンハルトの身体から溢れ出した禍々しい呪力が、冷たい潮のように幼子を包み込む。抵抗する術もなく、生命は音もなく奪われた。
引き剥がされた魂は、魔法陣の術式に導かれ、淡い白光を放ちながら凝縮されていく。やがてそれは、清冽な輝きを宿した一粒の宝玉へと姿を変えた。
「呪力を持たぬ下賤の者の魂とはいえ……」
ヴェルンハルトは宝玉を見つめ、愉悦を滲ませた声音で言った。
「この生命の輝き、美しいとは思わないかね?」
傍らに控えていたミハイルは、視線すら寄越さず、吐き捨てるように応じる。
「どこまでいっても、下賤で下等なヒトだ。汚らわしい塵に過ぎない」
その冷え切った瞳が、床に横たわる幼子の亡骸を見下ろす。まるで路傍の汚物でも見るかのように。
そのとき、重厚な扉が音もなく開いた。
静かな足取りでラピスが入室し、恭しく頭を垂れる。
「ヴェルンハルト様、ミハイル様。羂索が到着しております。現在、礼拝堂にてお待ちですが……いかがなさいますか?」
その報告に、ヴェルンハルトは唇の端を歪め、闇を孕んだ笑みを浮かべた。
「……同志の来訪か。会わぬ理由はあるまい」
そう告げると、彼は踵を返す。
ラピスとミハイルを従え、三人は静まり返った礼拝堂へと歩みを進めていった。
礼拝堂の重々しい扉が、軋むような音を立てて開かれた。
冷えた空気が流れ込み、その先に三つの影が浮かび上がる。
ひとりは、かつて颯真たちの前に「香織」と名乗って現れた女術師――額に刻まれた縫い目が、彼女の正体を雄弁に物語っていた。
そして、その女術師と対峙するように佇むのは、白人と黒人の二人の術師。
異なる出自を思わせる外見とは裏腹に、漂う気配はどこか共通して、危険なほどに研ぎ澄まされている。
「……待たせてすまない、同志・羂索」
静寂を破ったのはヴェルンハルトだった。
彼は芝居がかった所作で一礼し、そのまま視線をミゲルとラルゥへと移す。
「そして、傭兵として共闘してくれるという二人――ミゲル、ラルゥだったかな。会えて光栄だよ」
歓迎の言葉は丁重でありながら、どこか計算された響きを帯びていた。
その空気を引き継ぐように、ミハイルが一歩前へ出る。
口元には、理想に酔った者特有の歪んだ笑みが浮かんでいた。
「星の叡智の名の下に――愚かで下賤な人類を、より高みへと導こうではないか」
一拍。
わざとらしい沈黙が礼拝堂を満たす。
「まずは、手始めに……呪術界の要を」
その言葉を待っていたかのように、ヴェルンハルトが両腕を広げ、声を高らかに響かせた。
「――呪術高専を、落とす!」
宣言は、祭壇に捧げられる呪詛のように重く響いた。
それを受け、羂索は静かに、しかし確かな愉悦を滲ませながら口角を吊り上げる。
計画は、すでに動き出していた。
明日からは、流石にこの頻度での投稿はできませんが、可能な限り早めに投稿しようと頑張りますので、気長にお待ちください。