魔術結社『アルマゲスト』――その名が告げられた瞬間から、高専内部には目に見えぬ緊張が走っていた。
宣戦布告を受けて間もなく、緊急対策会議が招集され、会議室には高専の中核を担う術師たちが顔を揃えていた。
冥冥、七海建人、灰原雄、家入硝子。
加えて猪野琢真、一級術師・日下部篤也。
先日の宣戦布告の折にも集結した面々であり、事態の深刻さを物語っている。
補助監督の伊地知潔高が、わずかに喉を鳴らし、ホワイトボードに貼られた資料へと視線を落とした。
「魔術結社『アルマゲスト』についてですが……正直に申し上げて、判明している情報は極めて少ないです」
伊地知の声は、努めて平静を装ってはいたが、その端々に不安が滲んでいた。
「元々はヨーロッパを中心に活動していた小規模な呪詛師集団で、結成当初の中心人物はアーウィン・レスザール。
西洋では知らぬ者はいないほどの大呪術師で、近代呪術体系の礎を築いた人物とされていますが……既に故人のようです」
資料をめくる紙の音が、やけに大きく響いた。
「現在は、先日高専に現れ宣戦布告を行ったヴェルンハルト・ローデス、ミハイル・ハーレイの両名が主導権を握り、日本へ拠点を移して活動している模様です。ただし――」
伊地知は一度言葉を切り、苦々しげに眉を寄せた。
「術式、戦闘能力、組織規模。いずれも詳細不明。
ただし、どちらか、あるいは両名が転移系の術式を有している可能性が高いと推測されます」
ざわり、と空気が揺れた。
「さらに結界術にも長けており、高専の結界を破壊することなく侵入。
神凪特級術師による追跡・探知を振り切るほどの精度を有しています」
それだけでも厄介だというのに、と伊地知は息を呑み、最後の資料に指をかけた。
「そして――
かつて“術師殺し”と呼ばれた、天与呪縛のフィジカルギフテッド、禪院甚爾。
その存在を人工的に再現したと称する少女、ラピス」
その名を口にした途端、何人かの術師の表情が硬くなる。
「高い戦闘能力が確認されていますが、最大の脅威は……このラピスと同一の存在が、複数確認されている点です。
最低でも五体。状況次第では、それ以上が出現する可能性も否定できません」
科学による複製か、呪術的な分身か。
その正体は不明だが、禪院甚爾級の戦力が量産されるという事実だけで、場の空気は一段と重く沈んだ。
「……少なくとも、ラピスと一対一でやり合えるのは、近接戦闘に自信のある一級術師以上じゃないと厳しいね」
淡々と、しかし確信をもって口を開いたのは、実際に交戦経験のある傑だった。
「準一級以下は……複数で当たらないと、まず勝負にならない」
現実的で、容赦のない分析だった。
「となると――」
視線を巡らせながら、傑は続ける。
「相手取れそうなのは、この中だと日下部さん、七海、悟、私、それに……冥冥さんくらいかな。
短時間なら灰原も対応できるかもしれないけど……」
小さく肩をすくめる。
「……正直、かなり厳しい状況だ」
沈黙が落ちる。
その張り詰めた空気を、ふっと切り裂くように。
「ふふ……」
冥冥は、いつもと何一つ変わらぬ艶やかな微笑を唇に浮かべていた。その笑みは、血の匂いすら値踏みするかのように冷ややかで、同時にどこか愉悦を含んでいる。
「まさか、西洋の呪詛師集団が、ここまで実力を隠していたとはね……」
一瞬だけ伏せられた睫毛の奥で、冥冥の思考が巡る。
「……報酬は、期待させてもらうよ」
金と命を天秤にかけるようなその声音に、場の空気がわずかに引き締まった。
「それに、アイツらは“創り出した呪いも放つ”と言っていた」
軽く肩をすくめながら、五条悟が続ける。
「つまり、戦力はさらに増えるってわけだ」
その言葉に、伊地知の顔色が目に見えて曇った。書類を抱える手に、力がこもる。
「あ、あの……神凪特級術師には、まだ連絡はつかないんですか?」
縋るような問いかけだった。
「つかないねー」
悟は後頭部を掻きながら、困ったように笑う。
「パイセン、連絡つかないときは本当につかないからなぁ」
その軽口を遮るように、硝子が淡々と口を挟んだ。
「あ、一応アタシがLINEしてるよー。『当日は気にかけとく』って返信は来たけど」
さらりと告げられたその一言が、悟と夏油傑の表情を同時に凍りつかせた。
「はぁ!? お前、なんでパイセンのLINEのID知ってんだよ!」
「硝子、あとで私にも共有してもらえないか?」
間髪入れずに追撃する傑に、硝子は愉快そうに肩を揺らす。
「え? あんたら、颯真先輩とLINEしてないの?
“可愛い後輩”とか自分らで言ってるくせに、プライベートは全然なんだねぇ〜」
からかうような笑み。
緊迫した会議の最中とは思えない、同級生特有の軽やかな応酬に、冥冥はどこか楽しげに目を細め、七海と日下部は揃って深いため息をついた。
そして――。
「時と場所を考えろ!」
低く、しかし鋭い夜蛾の怒声が、場を一刀両断する。
「話を戻す。
仮に呪いを創り出せたとしても、主力は二級以下の雑魚が大半だ」
腕を組み、冷静に戦力を分析する。
「幹部以外の呪詛師も、多く見積もって五十程度だろう」
視線が会議室を一巡した。
「OB・OG、御三家、そしてアイヌの呪術連にも協力を要請しろ!」
ざわ、と呪術師たちの間に動揺が走る。
それはすなわち、日本中の呪術師を動員するという宣告だった。
誰の胸にも、同じ予感が浮かんでいた。
――これは、かつてない規模の戦いになる。
「総力戦だ」
夜蛾の声が、重く響く。
「アルマゲストなどという呪詛師集団を――完全に祓う!」
その言葉を合図に、運命の歯車が大きく軋みを上げて回り始めていた。
ーーーー
「――それが、呪術高専の方針というところだろう」
羂索は淡々とそう口にした。
その声音には迷いがなく、まるで既に何度も反芻した結論をなぞっているかのようだった。
夜蛾らが対策会議の末に導き出したであろう方針を、羂索は寸分の狂いもなく言い当てていた。
総監部に潜ませた内通者からの情報など、必要ですらなかった。
この程度の展開は、彼の明晰な頭脳にとっては予測の範疇に過ぎない。
「……正直に言おう」
沈黙を破ったのはヴェルンハルトだった。
感情を一切排した声音で、彼我の戦力差を淡々と並べ立てる。
「我々の勝率は、甘く見積もっても四割を超えない。
三割が妥当だろう。
呪術連まで動いた場合……三割を切る可能性すらある」
その言葉に、ミハイルは即座に反応した。
冷静な分析など、彼の昂った神経には受け入れ難かった。
「何を言うんだ!」
吐き捨てるように声を荒げる。
「ラピスの量産は成功している!
当日は新宿に五体、京都に五体――計十体だ!
僕にヴェルンハルトも参戦する。それだけの戦力が揃っているんだぞ!
東洋の島国の猿共が、どれほど強かろうが……僕らが負けるはずがない!!」
「……感情で戦力差を測れなくなるのは、愚かだよ、ミハイル」
ヴェルンハルトは、まるで幼子を諭すように静かに言葉を返した。
「六眼と無下限術式を持つ五条悟。
実物を見たが、あれは紛れもない“化け物”だ。
術師という存在の、一つの完成形とさえ言える」
一拍置き、続ける。
「呪霊操術の使い手、夏油傑。
強さが使役する呪霊に依存する術式であり、既に特級術師となっていながらも、自己の研鑽を怠らない。
あれもまた規格外だ。五条悟に比肩すると言っていい……羂索が器として欲しがるのも理解できる」
そして最後に、彼は忌まわしき名を口にした。
「神凪颯真。
我らが仇敵だ。いや――真のイレギュラーと言うべき存在だろう。
尊き主、アーウィン・レスザールを、わずか十四歳で容易く葬った実力。
……現在は、当時よりもさらに洗練されていると見るべきだ」
ヴェルンハルトの瞳は冷たく、しかし確かな警戒を宿していた。
「敵を倒すには、まず敵の実力を正確に見極めなければならない。
楽観的な判断と分析は、本来得られるはずの勝利さえ取りこぼしてしまう」
その言葉を前に、ミハイルは反論できなかった。
悔しさに唇を噛みしめ、視線を伏せる。
「……だからこそだ」
ヴェルンハルトは視線を羂索へと向ける。
「同志・羂索。
君の力を借りる。……任せて良いのだろう?」
二人の視線を受け、羂索は薄暗い室内で、ゆっくりと微笑んだ。
妖艶で、底の知れない笑みだった。
「ああ。
キミたちが高専の連中を引きつけている間に、乙骨憂太の身体を手に入れる」
一瞬、楽しげに目を細める。
「正直に言えば、彼にはそれほど興味はなかった。
だが……夏油傑が手に入らない以上、贅沢は言っていられない」
指先で自らの頬をなぞりながら、続ける。
「この身体より戦闘向きだし、折本里香も――私なら制御できるだろう」
低く、確信に満ちた声。
「千年に及ぶ私の研鑽。
乙骨憂太の圧倒的な呪力量。
そして、規格外の存在とも言うべき折本里香。
それらすべてを手にした私に……敵など存在しないよ」
薄暗い部屋の中、妖艶に笑う羂索。
その真の狙いに、高専の誰一人気づいてはいなかった。
――もちろん、乙骨憂太本人でさえも。
合間、合間でなんとか書き上げることが出来ました。
時間がなく、誤字チェックなど不十分かもしれません。
誤字があったら申し訳ありません。
いつも閲覧ありがとうございます
可能なら明日。
……もしかすると暫く日が空くかもしれませんが、時間を見つけて、ポチポチと更新しますので、また読んで下さると嬉しいです。