呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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第42話

 

ーー12月24日 百鬼夜行 当日

 

 新宿は、来たる開戦を前に、異様なほどの静けさに包まれていた。

 

 本来ならば年の瀬の喧騒に満ち、無数の人波が交錯するこの街は、呪術高専による厳戒態勢のもと、完全に立ち入りを規制されている。

 

 黄昏時の街は、人の気配を失い、まるで別の世界に切り取られたかのようだった。

 

 五条悟は、その不自然な静寂の只中に立ち、顎に手を添えて思案していた。

 

 百鬼夜行当日――本来であれば、すでに混沌が街を呑み込んでいてもおかしくない時間帯だ。

 

 だが、呪力の気配すら、どこか遠慮がちに息を潜めている。

 

 嫌な予感が、胸の奥でじわじわと形を成す。

 

 悟はポケットからスマートフォンを取り出し、迷いなく発信ボタンを押した。

 

「……あ、歌姫? そっちどんな感じ? 怖くて泣いてない?」

 

 電話の向こうは、京都側を預かる数少ない信頼できる術師、庵歌姫。

 

 もっとも、悟がその信頼を素直に表に出すことはない。

 

 いつも通り、軽口と煽りを混ぜ込みながら、相手の反応と情報を引き出す。

 

 歌姫の報告によれば、京都側にも今のところ目立った動きはないという。

 

――やっぱり、おかしい。

 

 悟の胸中で、言語化できない不安が確実に膨らんでいく。

 それを悟らせまいと、悟は意図的に声の調子を明るくした。

 

「……死なないようにね、歌姫」

 

 一瞬、間が空いた。

 

 不意打ちのようなその言葉に、電話口の向こうで歌姫が慌てる気配が伝わってくる。

 

 だが、悟はそこで止まらない。

 

「歌姫、弱いから!」

 

 次の瞬間、怒号がスピーカー越しに炸裂したが、悟は涼しい顔のまま通話を切った。

 

「おー、怖ッ」

 

 冗談めかして呟く悟に、隣で様子を見ていた夏油傑が、くすりと笑う。

 

「素直じゃないね。普通に心配してるって伝えてあげればいいのに」

 

「やだよ。歌姫、すぐ調子に乗るから」

 

 軽く笑って返しながらも、悟の表情はすぐに引き締まった。

 

「……どう思う?」

 

 傑もまた、同じ空気を感じ取っていたように、視線を遠くに投げる。

 

「静かすぎる。周辺には呪霊を放って索敵してるけど、アルマゲストが放ったと思われる呪霊は一体も見つからない」

 

 一拍置いて、傑は続ける。

 

「転移系の術を使う連中だから油断はできないが……それにしても、大規模な転移を連続で行えるとは思えない」

 

 悟は無言で頷いた。

 

 考えていることは、まったく同じだ。

 

 静寂。

 空白。

 そして、説明のつかない焦燥。

 

 何か――

 決定的に、大切な何かを見落としている。

 

 その感覚だけが、悟と傑の胸の奥で、不吉な鼓動のように鳴り続けていた。

 

 不意に走った呪力の揺らぎを、五条悟と夏油傑は同時に察知した。

 

 視線を向けた先――高層ビルの屋上付近、空間そのものが軋むように歪み、次元の裂け目が生じていた。

 

 裂け目は瞬く間に拡大し、裂開した闇の奥から、見慣れぬ呪いの群れが溢れ出す。

 赤黒い肌、頭には山羊の角、背には蝙蝠の翼。西洋の伝承に描かれるデーモンを思わせる異形。

 

 獣と人の特徴が混ざり合った顔、剥き出しの鋭い牙。

 石のような身体に翼を持ち、ガーゴイルを彷彿とさせる呪い。

 

 さらに、ドラゴン、グリフォン、キマイラ――

 西洋神話に名を連ねる悪魔や怪物、妖魔が、空を埋め尽くすように出現し、新宿の夜空を覆い尽くしていった。

 

 その異形の大群の中心に、一人の男が佇んでいる。

 

 ヴェルンハルト。

 

 その背後には、かつて“ラピス”と呼ばれた少女と瓜二つの顔をした少女が五名、静かに並んでいた。

 さらにその左右には、ヴェルンハルトからミゲルと呼ばれていた黒人の術師と、ラルゥと呼ばれる白人の術師の姿がある。

 

「……お出ましか」

 

 低く呟いた悟の声に、傑もまた冷静に状況を見据えたまま応じる。

 

「ここまで大規模な転移が可能とはね。少し見縊っていたかな……

 それに、呪霊を作ったという話も、どうやらブラフじゃなさそうだ」

 

 二人は無言のまま、ヴェルンハルト陣営の戦力評価を上方修正する。

 

 その頃、夜蛾正道は周囲に集まった術師たちへ、矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。

 

「建物やインフラの破壊は極力避けろ!

 逃げ遅れた一般人がいる可能性が高い。発見次第、速やかに避難させろ!」

 

 だが、悟と傑だけは夜蛾に視線を向けることなく、ただ敵から目を離さず、静かに警戒を強めていた。

 

「……あの黒人」

 

 傑の短い言葉に、悟はわずかに頷く。

 

「ああ。アイツは、厄介そうだね」

 

 ベレー帽にサングラスという出で立ちの黒人呪詛師――ミゲル。

 彼もまた、屋上から二人を見下ろし、観察していた。

 

「成程……アノ目隠シカ」

 

 隣に立つヴェルンハルトが、静かに言葉を継ぐ。

 

「そうだ。あれが現代最強の一人、五条悟だよ。

 ミゲル君への依頼は、ただ一つ――あれの相手だ」

 

 わずかな間を置き、問いかけるように続けた。

 

「……できるかね?」

 

 ミゲルは口元を歪め、軽く肩をすくめる。

 

「分カッテル。俺ノ仕事ハ足止メダロ。

 ノラリクラリ……遊ビマショ」

 

 ヴェルンハルトらと悟たちは、言葉ひとつ交わさぬまま、静かに睨み合っていた。

 

 張り詰めた空気が、わずかな物音すら拒むかのように場を支配している。

 

 その均衡を破るように、補助監督の伊地知が悟たちのもとへ駆け寄ってきた。

 

「五条さん……! 夏油さん……! ご報告があります」

 

「……どうした」

 

 悟は視線を逸らすことなく、低く問いかける。

 目はなおもヴェルンハルトたちを捉えたままだ。

 

「本来なら、この状況でお伝えするべきではないのですが……

 東京と京都、同時に起きている異変です。関連がある可能性が高いと判断しました」

 

 伊地知は一度息を整え、言葉を続ける。

 

「まず、京都です。ここ一週間で行方不明者が相次いでいます。

 被害者の多くが旅行者だったため、把握が遅れました。

 年齢、性別に共通点はありませんが――失踪者の数は、すでに二桁を確認しており、下手をすれば三桁を超えかねません」

 

 その場の空気が、さらに重く沈む。

 

「そして、東京ですが……こちらは、まだ事実確認が取れていません。

 ただ、一般人が突然、術式に目覚めたかのような映像が、複数確認されています」

 

 伊地知の報告が終わるより早く――

 新宿駅の構内から、あるいは裏路地の闇の奥から、若者たちが次々と姿を現した。

 

 その全身から滲み出るのは、人のものとは思えぬ、歪で禍々しい呪力。

 まるで呪いそのものが、人の形を借りて歩き出したかのようだった。

 

「――なるほどね」

 

 悟の背後で、傑が小さく息を吐く。

 

「確かに、あいつらは“呪霊を放つ”とは言ってなかったね。

 “呪いを放つ”か、やられたね」

 

 ミハイルの言葉遊びに、完全に裏をかかれた。

 

 その事実を噛みしめるように、傑は自嘲気味な苦笑を浮かべた。

 

 

 

(――これだけの戦力を投入しているというのに、縫い目女が姿を現さない。

 

 京都か?

 ……いや、それなら何らかの連絡が入るはずだ。

 

 こいつらと同じ陣営だと思っていたが……違うのか?)

 

 五条悟は、胸の奥にまとわりつく不吉な予感の正体を掴めぬまま、思考を巡らせていた。

 

 その異変に気づくこともなく、伊地知はどこか申し訳なさそうに報告を続ける。

 

「……最後に、依頼されていた乙骨くんの調査についてです。

 状況が状況ですが、内容から判断して、早急にお伝えすべきだと……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、悟と傑の表情が、はっきりと変わった。

 

 次の刹那、悟の姿はその場から消えていた。

 

 ――新宿の防衛線。

 

 パンダと狗巻棘が待機していたところに、悟は音もなく現れる。

 

「パンダ!! 棘!!」

 

「どうし――!?」

 

 返事を終える間すら与えず、悟は二人の首根っこを掴み上げた。

 

「質問禁止! 今から二人を高専に送る!」

 

「はぁ!?」

 

 悟は二人を囲むように、指先で素早く円を描く。

 

「縫い目女が、今、高専にいる!

 たぶん! ……いや、絶対!!」

 

「どっちだよ!!」

 

 あまりに雑な断言に、思わずパンダが叫ぶ。

 

「勘が外れたらいい。

 ただ、最悪の場合、憂太と真希――二人が死ぬ!!

 

 僕もここを片付け次第、すぐ向かう!

 2人を守れ! 悪いが死守だ!」

 

 「死守」という一語が、空気を変えた。

 パンダと棘の表情が引き締まり、事態の深刻さを悟る。

 

 悟は両手で印を結んだ。

 

「応ッ!」

「しゃけ!!」

 

 二人の力強い返答を受け、悟は両掌を強く打ち合わせる。

 

 ――バシュッ!

 

 次の瞬間、パンダと棘は、立っていたアスファルトごと消失した。

 その場には、地面が抉れた痕跡だけが虚しく残る。

 

「――ほう。気づかれたか」

 

 一部始終を眺めていたヴェルンハルトが、感心したように低く呟く。

 

「……仕方あるまい。予定を繰り上げるとしよう」

 

 彼は仰々しく右手を掲げ、そして振り下ろした。

 

「諸君――開戦だ!」

 

 その合図とともに、新宿の空を覆っていた無数の呪霊が咆哮を上げる。

 禍々しい呪力に侵された民間人たちもまた、理性を失った雄叫びをあげ、呪術師たちへと雪崩れ込んだ。

 

 ――戦場は、完全に牙を剥いた。




…な、なんとか書き上げました。

 感想欄に、新宿側のアルマゲストの策を完全に予想されてる方がいて、流石風の聖痕の読者の方だと感動しました。
 変更するか悩みましたが、京都側は違うネタですし、このまま押し通すことにしました(笑)
 京都側の方も、風の聖痕の原作知ってる方なら薄々予想はついてると思いますが(笑)


 ちょっと毎日投稿厳しくなってきたので、投稿遅れたらすみません。
 完結までは遅くなったとしても、走り抜けようと思ってますので、よければ今後ともよろしくお願い致します。
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