呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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第43話

 黒の革ジャンに黒のジーンズ、銀色のアクセサリーを無造作にじゃらつかせた若い男――コウは、暗い愉悦を孕んだ笑みを浮かべ、右手を七海へと突き出した。

 

「――来い! フェンリル!」

 

 その号令と同時に、前方の空間が不自然に歪む。

 

 裂け目から這い出るように現れたのは、白銀の毛並みを持つ巨大な狼だった。

 

 フェンリルと名付けられたその魔獣は、巨体に似合わぬ俊敏さでビルの外壁を蹴り、三次元的な軌道を描きながら七海へと迫る。

 

「……残業は嫌いなので。手早く済ませましょう」

 

 七海は一切の恐怖を見せることなく、呪符を巻き付けた鉈を構えた。

 

 次の瞬間、閃光のような一閃が走る。

 

 フェンリルの巨躯は、断末魔を上げる暇すら与えられず、真っ二つに両断された。

 

「……は?」

 

 自らの切り札――圧倒的戦闘力を誇る召喚獣が、文字通り一太刀で屠られた光景を前に、コウは目を見開いたまま硬直する。

 

「くっ……それなら数で……!

 喰らい尽くせ、ヘルハウンド! フレスベルグ! ムシュフシュ! 」

 

 動揺を振り切るように、コウは叫び、次々と魔獣を召喚していく。

 

 漆黒の地獄の猟犬ーーヘルハウンドが十体。

 さらに、空を覆うほどの翼を持つ巨大な鷲――フレスベルグが一体。

 頭は蛇、2本の長い角と2つの耳がはえており、ライオンの前脚、鷲の後脚、そしてサソリの尾を持っている魔獣ーームシュフシュが一体。

 

 上下左右、死角のない包囲網。

 

 同時に放たれた殺意が、七海へと殺到する。

 

「……無駄ですよ」

 

 淡々とした声。

 

 七海は一切の焦りもなく、迫り来る召喚呪霊を迎え撃った。

 

 鉈が舞う。

 一撃、また一撃。

 

 目にも止まらぬ連撃が、魔獣と魔禽を次々と切り伏せていく。

 

 やがて、そこに残ったのは、断ち切られた呪いの残滓のみだった。

 

 七海は油断なく、静かにコウへと向き直る。

 

「……一般人相手なら脅威でしょうが。

 所詮は三級、良くて二級程度の実力です」

 

 淡々と告げられる評価は、冷酷な宣告だった。

 

「この程度では、術師相手に勝ち目はありません」

 

 すべての召喚呪霊を失ったコウは、恐怖に歪んだ目で七海を見つめ、やがて、倒れ伏した己の使い魔たちへと視線を落とした。

 

――ドクンッ。

 

 突如、胸を押さえ、コウは地面に崩れ落ちる。

 召喚獣を失った反動が、術者自身の命を削っていた。

 

 ーー人を呪わば穴二つ。

 

 苦悶の表情のまま、血を吐き、コウは静かに彼岸へと旅立っていった。

 

「……出てくるなら、さっさとしてください」

 

 七海は吐き捨てるように言い、ビルの陰へと視線を投げる。

 

「……手遅れだったとはいえ、人を殺めるのは気分が悪い」

 

 アルマゲストの卑劣な手管によって、数多の一般人が――己の生命を燃料としていることすら知らぬまま――呪霊に取り憑かれ、使い捨ての尖兵へと堕とされている。

 

 その現実を前に、七海の胸中には抑え難い激しい怒りが渦巻いていた。

 

 そこに姿を現したのは、身の丈ほどもある斬馬刀を肩に担いだラピスだった。

 

 七海は首元のネクタイを緩め、それを解いて自らの手に巻き付けながら、低く呟く。

 

「……残念ですが、ここからは時間外労働です」

 

 その瞬間、七海の周囲に満ちる呪力が、明確に膨れ上がった。

 

 普段は自らに課した縛り。

 呪力を抑える代わりに、解放時の出力を飛躍的に高める縛り。

 

 朝から待機を強いられていた七海は、その枷を完全に解き放つ。

 

 次の刹那――

 全力の一撃が、一直線にラピスへと叩き込まれた。

 

 

 

――同時刻、京都。

 

 夜気を切り裂くように、巨大な斧が弧を描いた。

 

 それを軽々と振るうのは、1級術師・冥冥。

 女傑と呼ぶに相応しいその姿は、血と呪力の匂いが立ち込める戦場にあってなお、どこか妖艶ですらあった。

 

 冥冥が一度斧を振るうたび、襲いかかる呪霊は抵抗する暇もなく断ち割られ、黒い霧となって霧散する。

 

 その数は、既に五十。

 

「これで五十体。――討伐数のインセンティブはクリアだね」

 

 そう呟き、冥冥は愉しげに唇を歪めた。

 

 そのすぐ隣には、白磁のような肌をした中性的な少年が控えている。

 彼の名は、憂憂。

 冥冥の実弟であり、秘蔵っ子でもある。

 彼は一切の迷いもなく、ただ姉の背を見つめ、尊敬の念を隠そうともしていなかった。

 

「……この短時間で、この数。

 さすがです、姉様」

 

「ありがとう、憂憂。

 どうせなら、このまま満額ボーナスを狙おうか」

 

 冥冥はそう言いながら、新たに蠢き始めた呪霊の群れへと視線を投げる。

――その瞬間。

 

 背後から突き刺さるような殺気を感じた。

 

 冥冥は振り返ることなく、反射的に斧を横薙ぎに振るった。

 

 空間が裂ける。

 

 そこにあったのは、音も気配もなく接近していた一人の男――ミハイルの姿だった。

 

「……へぇ」

 

 必殺の一撃が届く、刹那。

 ミハイルは感心したように口角を上げ、斧が肉を断つ直前で、霧のようにその場から消える。

 

「よく気づいたね。

 ……でも、甘いよ」

 

 挑発するように、軽く笑うミハイル。

 

 その姿を視界に捉え、冥冥は細く目を眇めた。

 

「……キミは、アルマゲストのミハイルくんかな?

 これはこれは、臨時ボーナスまで付いてきそうだ」

 

 まるで格付けの済んだ相手を値踏みするかのような声音。

 その態度が、ミハイルの神経を逆撫でした。

 

「東洋の島国の雌猿ごときが……生意気な」

 

 吐き捨てると同時に、ミハイルの呪力が膨張する。

 禍々しい圧が周囲の空気を歪ませ、爆発的に増大していく。

 

 冥冥はその呪力量と質から、瞬時にミハイルの実力を上方修正した。

 

「……憂憂。少し下がっていてくれるかい?」

 

「はい、姉様」

 

 斧を肩に担ぎ直しながら告げると、憂憂は迷いなく頷き、二人から距離を取る。

 その視線は最後まで、敬愛する姉の背中から離れなかった。

 

 静寂の中、二つの殺意が、確かに向き合った。

 

 先手を取ったのは、冥冥だった。

 

 アスファルトを砕くほどの踏み込み。地を蹴った瞬間、巨大な斧を携えているとは思えぬ速度で、彼女は一気にミハイルの懐へと肉薄する。

 

 膂力のすべてを乗せて振り下ろされる斧。

 その刃は、ミハイルの頭上を正確に捉え、一直線に落ちていった。

 

 鋼鉄も、舗装された道路も、等しく断ち割るであろう必殺の一撃。

 だが、ミハイルは、微塵の焦燥すら浮かべてはいなかった。

 

「……甘いよ」

 

 囁くようなその言葉と同時に、道路脇の側溝や、アスファルトに走った無数の罅から、粘性を帯びた塊が噴き上がる。

 

 それらは瞬く間に集束し、盾のように斧の刃の前へと立ちはだかった。

 

 凄まじい粘性。

 質量と速度が生み出した運動エネルギーを、余すところなく吸収し、冥冥の斧撃は完全に封じ込められる。

 

 さらに粘塊は形を歪め、まるで意思を持つ生物のように、斧ごと冥冥を呑み込もうと蠢いた。

 

 冥冥は一瞬の逡巡もなく、斧から手を放つと、後方へと跳び退く。

 

「なかなか勘がいいね。

 あと一瞬、判断が遅れていれば――君も、僕の最高傑作『ヴリトラ』の糧になっていたところだ」

 

 不敵な笑みを浮かべるミハイルの前で、ヴリトラと呼ばれた粘塊は、取り込んでいた斧を吐き出すと、ゆっくりとその形状(在り方)を変えていく。

 

 まず、色が変わった。

 緑がかった透明な体は次第に濁りを帯び、やがて透明性を失っていく。代わりに、表面には金属質の冷たい輝きが宿った。

 

 柔らかく震えながらも、硬質に光を跳ね返すその質感は、巨大な水銀の塊を思わせる。

 

 続いて、形が変わった。

 不定形だった巨体から四本の脚が生え、ぬるりと地面を掴み、その身を持ち上げた。

 

 首が伸び、尾が引き延ばされ、背には翼が芽吹く。

 変形は止まらない。

 

 粘土細工のような歪な造形は次第に削ぎ落とされ、洗練された輪郭へと収束していく。

 脚には明確な関節が刻まれ、体表は白銀の鱗で隙間なく覆われた。

 

 ――僅か十数秒。

 

 半透明の粘塊(スライム)は、堂々たる白銀の竜へと変貌を遂げていた。

 

「……まさか、竜退治をする羽目になるとはね」

 

 冥冥はそう呟き、皮肉めいた笑みを浮かべる。

 しかしその瞳は冷え切っており、眼前の怪物を、すでに敵として、冷静に測り始めていた。

 




いつも閲覧ありがとうございます。

本来であれば、七海は京都側に参戦、冥冥は新宿側に参戦なのですが、本作では諸事情により逆の参戦となっております。
故意の演出で、誤記載ではありません(笑)


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