灰原の術式公開に伴い、修正しました。
一刻も早くこの場を制圧しようとする悟の前に、障壁となるようにミゲルが立ち塞がった。
呪力と共に編み上げられた黒い縄を何重にも腕に巻きつけ、ミゲルは高層ビルの縁から悟を見下ろす。
「アンタノ相手ハ、俺ダヨ。特級」
「悪いけど――」
悟はわずかに肩をすくめ、ゆっくりとミゲルへと向き直った。
「今、ちょっと忙しいんだ」
そう言って、悟は自身の目元を覆っていた布を指先で引き下げる。
隠されていた瞳が、外界に晒された。
そこにあったのは、蒼。
この世の空をすべて閉じ込めたかのような、圧倒的な青だった。
薄氷のように淡い水色から、深海を思わせる濃紺まで、無数の色彩が溶け合い、境界を失っている。
光を吸い込みながら、決して濁らない。
それはダイヤモンドの結晶のように硬質で、冷徹な輝きを放っていた。
瞳の奥では、万物を解体し、呪力を原子の領域で捉える“六眼”の機能そのものが、星屑のように煌めいている。
本気の瞳を向けられた瞬間、ミゲルの背筋を嫌な汗が伝った。
真っ青に輝く悟の左眼が、明確な意思をもって、ミゲルを射抜いた。
ーーーー
有名百貨店の屋上。
灰原は迫り来る無数の人工呪霊を、拳だけで次々と叩き落としていた。
「――ッ!!」
踏み込んだ瞬間。
ドンッ!!
地面が爆ぜた。
その身体が、一瞬で間合いを詰める。
拳が振り抜かれる。
ガァンッ!!
ガーゴイルを思わせる石の身体が、まるで大型車にでも撥ね飛ばされたかのように吹き飛び、屋上の床へ叩きつけられた。
灰原は止まらない。
次の一体へ。
さらに次へ。
足を踏み込むたびに、拳を突き出すたびに、その肉体から尋常ではない膂力が叩き出されていく。
学生時代の任務で負った後遺症により、肺機能は低下している。
長時間の戦闘になれば、どうしても呼吸が追いつかなくなる。
継戦能力に不安が残る――それでも。
灰原は術師としての研鑽を怠ってこなかった。
彼が選んだのは、自らの身体能力そのものを極限まで引き上げる戦い方だった。
「――蒸気呪法」
小さく呟く。
体内。
そこに構築された“蒸気機関”が、唸りを上げる。
呪力が水となり、術式が火となる。
体内で生み出された蒸気が、全身へと巡る。
筋肉へ。
骨格へ。
四肢へ。
全身を駆け巡る蒸気が、灰原の身体を一段上の領域へと押し上げていく。
「――加圧」
踏み込む。
ドンッ!!
またしても床が砕けた。
その速度は、先ほどまでとは明らかに違う。
迫り来るデーモン型の人工呪霊へと一気に接近すると、
「せぇぇぇいッ!!」
拳を叩き込んだ。
ゴォンッ!!
衝撃。
人工呪霊の肉体が大きくひしゃげ、そのまま屋上の端まで吹き飛んでいく。
続けざまに跳躍。
空中で身体を捻り、踵を叩き込む。
ガァンッ!!
今度はガーゴイルの頭部が粉砕された。
まるで一体の巨大な蒸気機関そのものが、人間の形を借りて暴れ回っているかのようだった。
短時間の戦闘に限れば、一級術師である七海にすら引けを取らない。
むしろ、瞬間的な爆発力だけなら――上回る。
しかし。
「……っ、はぁ……!」
数十秒。
それだけで、灰原の呼吸は目に見えて荒くなっていた。
肺が焼ける。
喉が乾く。
胸の奥が軋む。
後遺症は、確実に彼の身体を蝕んでいる。
それでも灰原は止まらなかった。
歯を食いしばり、再び蒸気機関へ呪力を送り込む。
「まだ……いける……!」
体内で圧力が高まる。
しかし、その瞬間――
死角から、一条の光が走った。
「――っ!?」
意識の外からの奇襲。
灰原は咄嗟に身体を捻る。
だが、完全には間に合わない。
光の槍が迫る。
負傷を覚悟した、その瞬間――
銀閃が走った。
光の槍が、霧散する。
「……ったく。限界超えて無理してんじゃないよ」
「……!」
灰原が振り返る。
「すみません、日下部さん。助かりました」
礼を述べる灰原の視線の先。
そこに立っていたのは、呪術高専の教師にして一級術師、日下部篤也だった。
スーツの上に羽織ったトレンチコート。
日本刀を携え、気怠げな表情を浮かべている。
「あーあ……後遺症持ちの後輩がそこまで全力出してりゃ、やるしかねぇよな」
ぼやきながらも、刀を構え直す。
「クソったれ」
光の槍を放った存在へと、鋭い視線を向けた。
そこにいたのは、有名進学校の制服に身を包んだ――高校生の姿をした少年だった。
「……まぐれとはいえ、よく僕の攻撃を防ぎましたね」
淡々とした声。
だが、その奥には歪んだ優越が滲んでいる。
「しかし、まぐれは二度は続かない」
少年は腕を掲げ、光を収束させる。
「僕の授かった能力は、『
光が唸りを上げ、槍の形を取る。
「僕の力は、誰よりも速い。
それゆえに、誰よりも強いッ!!」
宣告と同時に、光の槍が放たれた。
位相を揃えた純粋な光――すなわちレーザー。
圧倒的な熱量を伴い、文字通り光速で、あらゆる存在を貫き通す死の一撃。
勝利を疑う余地はない。
アルマゲストが創り出した即席呪詛師・シンは、勝利を確信していた。
――しかし。
「シン・陰流――『抜刀』!!」
「――なっ!?」
正面から迫る光の槍を、日下部は神速の居合で叩き斬った。
刹那。
閃光は断ち割られ、空気の悲鳴とともに霧散する。
目の前で突きつけられた現実に、シンの顔が驚愕に歪んだ。
信じられない。
信じたくない。
自らの必殺が、まるで児戯のように処理されたのだから。
たじろぎながらも、シンは再び呪力を解き放つ。
青白く煌めく光条が幾条にも分かれ、日下部へと殺到した。
だが、それらはすべて、日下部の居合によって寸分違わず斬り伏せられる。
刃が走るたび、光は音もなく断たれ、淡い残滓となって消えていった。
(くそっ……くそっ、くそっ、くそっ!!
この僕が――この僕がぁッ!!)
必殺を易々と封じられた屈辱が、シンの意識を灼いた。
許せない。
そんなはずがない。
自分は選ばれた存在だ。
アルマゲストに見出され、人ならざる上位の力を授けられた、高貴なる者。
有象無象とは違う。
それなのに――冴えない中年の術師ごときに、押されるなど。
(もっと……もっと力があれば――)
力を望んだ。
切実に。
喉が裂けるほど渇望した。
何を犠牲にしてでも、あの男を屈服させる力を。
――ずくんッ。
その瞬間。
シンの体内の奥底で、何かが脈動した。
心臓とは異なる、異質な鼓動。
それは、呼び水のように呪力を掻き集め――
次の瞬間。
シンを纏う呪力の質が一変した。
禍々しさを孕み、量もまた爆発的に膨れ上がる。
それに呼応するように、青白かった光の槍は、赤黒い不気味な輝きへと変貌した。
空気を焼き焦がしながら、灼熱の殺意が日下部へと迫る。
「――ちぃッ!!」
これまで容易く斬り払えていた攻撃の威力が、突如として跳ね上がる。
日下部は断ち切ることを諦め、受け流しに転じた。
凄まじい熱量に、頬がじり、と焼ける。
「あぁ、ヤダヤダ。
もう手遅れみたいだけどさ……子供を殺すのは、ほんと勘弁してほしいんだよね。
……帰りてぇ〜」
更なる力を求めた代償か。
シンの瞳は金色に妖しく輝き、捲れ上がった唇の奥には、獣のような鋭い牙が覗いていた。
人に非ざる存在へと変貌したシンを前に、
術師として、もはや殺すしかないと理解しつつも、
自分がその役を担うことに、日下部は心底辟易したようにため息をつく。
「……でも、まぁ。
ここまで来たら、やるしかないでしょッ!!
――『抜刀』!!」
その言葉と同時に、シンの視界から日下部の姿が消えた。
次の瞬間――
シンの目に映ったのは、首から上を失った、自分自身の身体だった。
逆さまに流れる景色の端で、
刀を振り切った日下部の姿が、確かに見えた――気がした。
そして、シンの世界は静かに暗転した。
倒れ伏すシンを見下ろし、日下部は一瞬だけ、やるせなさを滲ませた表情を浮かべた。
それは哀れみとも後悔ともつかない、ほんの一瞬の逡巡。
だが、すぐに彼は小さく頭を振る。
感傷に浸る暇はない――まだ任務は終わっていなかった。
顔を上げ、屋上を見渡す。
そこにいた大量の人工呪霊のほとんどは、灰原によってすでに祓われていた。
壁にもたれかかり、肩で大きく息をする灰原の姿がある。
「……はぁ……っ、はぁ……」
呼吸は荒い。
だが、その身体に大きな傷は見当たらなかった。
ただ、消耗は明らかだった。
短時間に蒸気機関を酷使したことで、身体の内部には重い疲労が蓄積している。
「……あんまり無理しなさんな」
日下部の気遣いに、灰原は顔を上げる。
疲労を押し隠すように笑みを浮かべ、軽く親指を立ててみせた。
「……リハビリにしては、ちょっとハードでしたね」
息も絶え絶えだというのに、冗談めいた軽口を叩く。
その様子に、日下部は思わず苦笑を漏らした。
――と、その時。
下の階から、建物そのものを揺るがすような凄まじい衝撃が走った。
「――ッ!!」
床を伝う振動と嫌な予感に、日下部と灰原は反射的に後方へ跳び退る。
次の瞬間。
屋上の床が轟音とともに崩れ落ち、
巨大な穴が穿たれた。
舞い上がる粉塵の向こう――
そこに立っていたのは、栗色の髪をした二人の少女。
ラピスと呼ばれる人工的な規格外兵器。
同じ姿をした二体の規格外に挟まれ、追い詰められるようにして立つ、七海建人の姿があった。
「――七海!!」
自らの消耗など、もはや意識の外だった。
灰原は唯一の同級生の安否を案じるあまり、反射的に前へと踏み出そうとする。
「落ち着けッ!!」
その首根っこを掴み上げたのは日下部だった。
勢いを殺すように引き止め、低く、しかし断固とした声で言い放つ。
「その状態で出てっても、足手まといにしかならねぇ。俺が行く。お前は後ろからフォローだ」
そう言い切ると、日下部は刀を構え、七海の隣へと躊躇なく降り立った。
(――最悪だ。
こいつ……夏油たちが言ってた、あの化け物共じゃねぇか。
正直、こんなのとやり合いたくなかったってのに……
あぁ、帰りてぇ……)
内心では愚痴と弱音が止まらない。
だが、その本音を微塵も表に出すことなく、日下部は七海の隣に平然と立つ。
鋭く細められた双眸は、油断なくラピスを捉え、構えには一切の隙もなかった。
「……すみません、日下部さん」
荒い呼吸を抑えながら、七海が静かに口を開く。
「こいつら、かなり手強いです。単純な速度と体術だけなら、五条さんに匹敵……いえ、下手をすれば上回る」
短く息を整え、七海は続けた。
「ですが、前情報通り。術式はありません」
「……了解だ」
日下部は低く応じると、刀を握る手に力を込めた。
「前衛は俺と七海。灰原は後方支援だ」
一拍置いて、吐き捨てるように言う。
「……死ぬなよ」
その言葉を合図に、三人は同時に前を見据えた。
リアルが忙しく、更新が遅くなり申し訳ありません。
暫く忙しいのが続きそうなので、不定期更新となりそうです。
気長にお待ち頂けると助かります。
こんな拙作に、感想や評価を下さる方。
閲覧して下さる方、いつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。