呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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更新遅くなり申し訳ありません。

灰原の術式公開に伴い、修正しました。


第44話

 

 一刻も早くこの場を制圧しようとする悟の前に、障壁となるようにミゲルが立ち塞がった。

 

 呪力と共に編み上げられた黒い縄を何重にも腕に巻きつけ、ミゲルは高層ビルの縁から悟を見下ろす。

 

「アンタノ相手ハ、俺ダヨ。特級」

 

「悪いけど――」

 

 悟はわずかに肩をすくめ、ゆっくりとミゲルへと向き直った。

 

「今、ちょっと忙しいんだ」

 

 そう言って、悟は自身の目元を覆っていた布を指先で引き下げる。

 

 隠されていた瞳が、外界に晒された。

 

 そこにあったのは、蒼。

 

 この世の空をすべて閉じ込めたかのような、圧倒的な青だった。

 

 薄氷のように淡い水色から、深海を思わせる濃紺まで、無数の色彩が溶け合い、境界を失っている。

 

 光を吸い込みながら、決して濁らない。

 

 それはダイヤモンドの結晶のように硬質で、冷徹な輝きを放っていた。

 

 瞳の奥では、万物を解体し、呪力を原子の領域で捉える“六眼”の機能そのものが、星屑のように煌めいている。

 

 本気の瞳を向けられた瞬間、ミゲルの背筋を嫌な汗が伝った。

 

 真っ青に輝く悟の左眼が、明確な意思をもって、ミゲルを射抜いた。

 

ーーーー

 

 有名百貨店の屋上。

 

 灰原は迫り来る無数の人工呪霊を、拳だけで次々と叩き落としていた。

 

「――ッ!!」

 

 踏み込んだ瞬間。

 

 ドンッ!!

 

 地面が爆ぜた。

 

 その身体が、一瞬で間合いを詰める。

 

 拳が振り抜かれる。

 

 ガァンッ!!

 

 ガーゴイルを思わせる石の身体が、まるで大型車にでも撥ね飛ばされたかのように吹き飛び、屋上の床へ叩きつけられた。

 

 灰原は止まらない。

 

 次の一体へ。

 

 さらに次へ。

 

 足を踏み込むたびに、拳を突き出すたびに、その肉体から尋常ではない膂力が叩き出されていく。

 

 学生時代の任務で負った後遺症により、肺機能は低下している。

 

 長時間の戦闘になれば、どうしても呼吸が追いつかなくなる。

 

 継戦能力に不安が残る――それでも。

 

 灰原は術師としての研鑽を怠ってこなかった。

 

 彼が選んだのは、自らの身体能力そのものを極限まで引き上げる戦い方だった。

 

「――蒸気呪法」

 

 小さく呟く。

 

 体内。

 

 そこに構築された“蒸気機関”が、唸りを上げる。

 

 呪力が水となり、術式が火となる。

 

 体内で生み出された蒸気が、全身へと巡る。

 

 筋肉へ。

 

 骨格へ。

 

 四肢へ。

 

 全身を駆け巡る蒸気が、灰原の身体を一段上の領域へと押し上げていく。

 

「――加圧」

 

 踏み込む。

 

 ドンッ!!

 

 またしても床が砕けた。

 

 その速度は、先ほどまでとは明らかに違う。

 

 迫り来るデーモン型の人工呪霊へと一気に接近すると、

 

「せぇぇぇいッ!!」

 

 拳を叩き込んだ。

 

 ゴォンッ!!

 

 衝撃。

 

 人工呪霊の肉体が大きくひしゃげ、そのまま屋上の端まで吹き飛んでいく。

 

 続けざまに跳躍。

 

 空中で身体を捻り、踵を叩き込む。

 

 ガァンッ!!

 

 今度はガーゴイルの頭部が粉砕された。

 

 まるで一体の巨大な蒸気機関そのものが、人間の形を借りて暴れ回っているかのようだった。

 

 短時間の戦闘に限れば、一級術師である七海にすら引けを取らない。

 

 むしろ、瞬間的な爆発力だけなら――上回る。

 

 しかし。

 

「……っ、はぁ……!」

 

 数十秒。

 

 それだけで、灰原の呼吸は目に見えて荒くなっていた。

 

 肺が焼ける。

 

 喉が乾く。

 

 胸の奥が軋む。

 

 後遺症は、確実に彼の身体を蝕んでいる。

 

 それでも灰原は止まらなかった。

 

 歯を食いしばり、再び蒸気機関へ呪力を送り込む。

 

「まだ……いける……!」

 

 体内で圧力が高まる。

 

 しかし、その瞬間――

 

 死角から、一条の光が走った。

 

「――っ!?」

 

 意識の外からの奇襲。

 

 灰原は咄嗟に身体を捻る。

 

 だが、完全には間に合わない。

 

 光の槍が迫る。

 

 負傷を覚悟した、その瞬間――

 

 銀閃が走った。

 

 光の槍が、霧散する。

 

「……ったく。限界超えて無理してんじゃないよ」

 

「……!」

 

 灰原が振り返る。

 

「すみません、日下部さん。助かりました」

 

 礼を述べる灰原の視線の先。

 

 そこに立っていたのは、呪術高専の教師にして一級術師、日下部篤也だった。

 

 スーツの上に羽織ったトレンチコート。

 

 日本刀を携え、気怠げな表情を浮かべている。

 

「あーあ……後遺症持ちの後輩がそこまで全力出してりゃ、やるしかねぇよな」

 

 ぼやきながらも、刀を構え直す。

 

「クソったれ」

 

 光の槍を放った存在へと、鋭い視線を向けた。

 

 そこにいたのは、有名進学校の制服に身を包んだ――高校生の姿をした少年だった。

 

「……まぐれとはいえ、よく僕の攻撃を防ぎましたね」

 

 淡々とした声。

 

 だが、その奥には歪んだ優越が滲んでいる。

 

「しかし、まぐれは二度は続かない」

 

 少年は腕を掲げ、光を収束させる。

 

「僕の授かった能力は、『閃輝(シャイニング)』」

 

 光が唸りを上げ、槍の形を取る。

 

「僕の力は、誰よりも速い。

 それゆえに、誰よりも強いッ!!」

 

 宣告と同時に、光の槍が放たれた。

 

 位相を揃えた純粋な光――すなわちレーザー。

 

 圧倒的な熱量を伴い、文字通り光速で、あらゆる存在を貫き通す死の一撃。

 

 勝利を疑う余地はない。

 

 アルマゲストが創り出した即席呪詛師・シンは、勝利を確信していた。

 

――しかし。

 

「シン・陰流――『抜刀』!!」

 

「――なっ!?」

 

 正面から迫る光の槍を、日下部は神速の居合で叩き斬った。

 

 刹那。

 

 閃光は断ち割られ、空気の悲鳴とともに霧散する。

 

 目の前で突きつけられた現実に、シンの顔が驚愕に歪んだ。

 

 信じられない。

 

 信じたくない。

 

 自らの必殺が、まるで児戯のように処理されたのだから。

 

 たじろぎながらも、シンは再び呪力を解き放つ。

 

 青白く煌めく光条が幾条にも分かれ、日下部へと殺到した。

 

 だが、それらはすべて、日下部の居合によって寸分違わず斬り伏せられる。

 

 刃が走るたび、光は音もなく断たれ、淡い残滓となって消えていった。

 

(くそっ……くそっ、くそっ、くそっ!!

 この僕が――この僕がぁッ!!)

 

 必殺を易々と封じられた屈辱が、シンの意識を灼いた。

 

 許せない。

 

 そんなはずがない。

 

 自分は選ばれた存在だ。

 

 アルマゲストに見出され、人ならざる上位の力を授けられた、高貴なる者。

 

 有象無象とは違う。

 

 それなのに――冴えない中年の術師ごときに、押されるなど。

 

(もっと……もっと力があれば――)

 

 力を望んだ。

 

 切実に。

 

 喉が裂けるほど渇望した。

 

 何を犠牲にしてでも、あの男を屈服させる力を。

 

――ずくんッ。

 

 その瞬間。

 

 シンの体内の奥底で、何かが脈動した。

 

 心臓とは異なる、異質な鼓動。

 

 それは、呼び水のように呪力を掻き集め――

 

 次の瞬間。

 

 シンを纏う呪力の質が一変した。

 

 禍々しさを孕み、量もまた爆発的に膨れ上がる。

 

 それに呼応するように、青白かった光の槍は、赤黒い不気味な輝きへと変貌した。

 

 空気を焼き焦がしながら、灼熱の殺意が日下部へと迫る。

 

「――ちぃッ!!」

 

 これまで容易く斬り払えていた攻撃の威力が、突如として跳ね上がる。

 

 日下部は断ち切ることを諦め、受け流しに転じた。

 

 凄まじい熱量に、頬がじり、と焼ける。

 

「あぁ、ヤダヤダ。

 もう手遅れみたいだけどさ……子供を殺すのは、ほんと勘弁してほしいんだよね。

 

 ……帰りてぇ〜」

 

 更なる力を求めた代償か。

 

 シンの瞳は金色に妖しく輝き、捲れ上がった唇の奥には、獣のような鋭い牙が覗いていた。

 

 人に非ざる存在へと変貌したシンを前に、

 

 術師として、もはや殺すしかないと理解しつつも、

 

 自分がその役を担うことに、日下部は心底辟易したようにため息をつく。

 

「……でも、まぁ。

 

 ここまで来たら、やるしかないでしょッ!!

 

 ――『抜刀』!!」

 

 その言葉と同時に、シンの視界から日下部の姿が消えた。

 

 次の瞬間――

 

 シンの目に映ったのは、首から上を失った、自分自身の身体だった。

 

 逆さまに流れる景色の端で、

 

 刀を振り切った日下部の姿が、確かに見えた――気がした。

 

 そして、シンの世界は静かに暗転した。

 

 倒れ伏すシンを見下ろし、日下部は一瞬だけ、やるせなさを滲ませた表情を浮かべた。

 

 それは哀れみとも後悔ともつかない、ほんの一瞬の逡巡。

 

 だが、すぐに彼は小さく頭を振る。

 

 感傷に浸る暇はない――まだ任務は終わっていなかった。

 

 顔を上げ、屋上を見渡す。

 

 そこにいた大量の人工呪霊のほとんどは、灰原によってすでに祓われていた。

 

 壁にもたれかかり、肩で大きく息をする灰原の姿がある。

 

「……はぁ……っ、はぁ……」

 

 呼吸は荒い。

 

 だが、その身体に大きな傷は見当たらなかった。

 

 ただ、消耗は明らかだった。

 

 短時間に蒸気機関を酷使したことで、身体の内部には重い疲労が蓄積している。

 

「……あんまり無理しなさんな」

 

 日下部の気遣いに、灰原は顔を上げる。

 

 疲労を押し隠すように笑みを浮かべ、軽く親指を立ててみせた。

 

「……リハビリにしては、ちょっとハードでしたね」

 

 息も絶え絶えだというのに、冗談めいた軽口を叩く。

 

 その様子に、日下部は思わず苦笑を漏らした。

 

 ――と、その時。

 

 下の階から、建物そのものを揺るがすような凄まじい衝撃が走った。

 

「――ッ!!」

 

 床を伝う振動と嫌な予感に、日下部と灰原は反射的に後方へ跳び退る。

 

 次の瞬間。

 

 屋上の床が轟音とともに崩れ落ち、

 

 巨大な穴が穿たれた。

 

 舞い上がる粉塵の向こう――

 

 そこに立っていたのは、栗色の髪をした二人の少女。

 

 ラピスと呼ばれる人工的な規格外兵器。

 

 同じ姿をした二体の規格外に挟まれ、追い詰められるようにして立つ、七海建人の姿があった。

 

「――七海!!」

 

 自らの消耗など、もはや意識の外だった。

 

 灰原は唯一の同級生の安否を案じるあまり、反射的に前へと踏み出そうとする。

 

「落ち着けッ!!」

 

 その首根っこを掴み上げたのは日下部だった。

 

 勢いを殺すように引き止め、低く、しかし断固とした声で言い放つ。

 

「その状態で出てっても、足手まといにしかならねぇ。俺が行く。お前は後ろからフォローだ」

 

 そう言い切ると、日下部は刀を構え、七海の隣へと躊躇なく降り立った。

 

(――最悪だ。

 

 こいつ……夏油たちが言ってた、あの化け物共じゃねぇか。

 

 正直、こんなのとやり合いたくなかったってのに……

 

 あぁ、帰りてぇ……)

 

 内心では愚痴と弱音が止まらない。

 

 だが、その本音を微塵も表に出すことなく、日下部は七海の隣に平然と立つ。

 

 鋭く細められた双眸は、油断なくラピスを捉え、構えには一切の隙もなかった。

 

「……すみません、日下部さん」

 

 荒い呼吸を抑えながら、七海が静かに口を開く。

 

「こいつら、かなり手強いです。単純な速度と体術だけなら、五条さんに匹敵……いえ、下手をすれば上回る」

 

 短く息を整え、七海は続けた。

 

「ですが、前情報通り。術式はありません」

 

「……了解だ」

 

 日下部は低く応じると、刀を握る手に力を込めた。

 

「前衛は俺と七海。灰原は後方支援だ」

 

 一拍置いて、吐き捨てるように言う。

 

「……死ぬなよ」

 

 その言葉を合図に、三人は同時に前を見据えた。




リアルが忙しく、更新が遅くなり申し訳ありません。

暫く忙しいのが続きそうなので、不定期更新となりそうです。
気長にお待ち頂けると助かります。

こんな拙作に、感想や評価を下さる方。
閲覧して下さる方、いつもありがとうございます。

今後ともよろしくお願い致します。
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