それでは
「気張っていきましょう」
不敵に笑う冥冥を見て、ミハイルは忌々しそうに顔を歪めた。
「僕の創ったヴリトラは不死身だよ。
斬っても、潰しても、燃やしても再生する」
スライム状の龍が、ぐにゃりと首をもたげる。
ビルをなぎ払い、アスファルトを溶かし、呪力を撒き散らした。
冥冥は一瞥しただけだった。
「……不死身、ね」
指先がわずかに動く。
その合図に呼応するように、夜空に溶け込んでいた黒い影――無数の烏が、一斉に目を開いた。
――黒鳥操術。
烏を自在に操ることができる、冥冥の生得術式である。複数の烏を操るほか、その視界情報を共有することもできる。
冥冥と烏の視界が繋がり、彼女の意識が拡張されていく。
上空、側面、背後、そして内部。
全方位から観測され、ヴリトラは文字どおり丸裸にされた。
「構造は単純だ。
……核があるね」
冥冥は静かに、冷たく呟く。
ヴリトラの中心に、わずかに濁った呪力の塊がある。再生はそこから始まっていた。
無数の目を持つ冥冥が、それを見逃すことはなかった。
ヴリトラが咆哮する。
粘液の尾が鞭のようにしなり、家屋を粉砕した。
次の瞬間、冥冥の姿は消えていた。
崩れ落ちる瓦礫に紛れ、彼女は軽やかにヴリトラへと肉薄する。
月光を弾く巨大な斧が、弧を描いた。
――速い。
ヴリトラの顎が迫る。
飲み込まれる寸前、冥冥の斧が振り抜かれた。
粘液が裂け、飛沫となって夜に溶ける。
だが、瞬時に再生した。
「無駄だ!」
冥冥は、微笑んだ。
「そのようだね。
……普通なら」
指を鳴らす。
一羽の烏が、冥冥の斬り裂いたヴリトラの体内へと突入した。
呪力が凝縮され、限界まで圧縮される。
「
次の瞬間――
閃光。
音は、遅れてやってきた。
黒鳥操術の真骨、〝烏〟。
操る烏に自死を強制する縛りと引き換えに、本来は微弱である烏の呪力の制限を解除し、強力な呪力の塊として相手へ突撃させる技である。
文字どおり捨て身の一撃だけあって、その威力は絶大だった。ヴリトラの肉体は内側から爆散し、大きく抉り取られる。
弾ける粘液。
夜空に広がる、黒と緑の爆煙。
ヴリトラの身体が崩れる。
だが、まだ再生する。核がわずかに残っていた。
「……しぶといな」
冥冥は空を見上げる。
無数の烏が旋回していた。
「追加報酬は期待させてもらうよ」
二羽、三羽。
次々とヴリトラの内部へ突入し、連鎖して爆発する。
再生速度を破壊が上回った。核は悲鳴のように震え、ひび割れ、砕け散る。
粘液は蒸発し、呪力は霧散した。
使役していたヴリトラを祓われ、苦悶に満ちた表情を浮かべながら、ミハイルは地面に膝をつく。
そんなミハイルの眼前で、ヒールの音が止まった。
「ミハイルくんだったかな?」
冥冥は、無造作に斧を肩へ担ぎ上げる。
その仕草は戦場に似つかわしくないほど静謐で、まるで夕餉の値踏みでもするかのように、穏やかな声音で告げた。
「キミの命の値段は、いくらかな?」
言葉が落ちた瞬間、彼女の背後で無数の烏がいっせいに羽ばたく。
黒々とした翼が空を覆い、乾いた羽音が幾重にも重なった。
それは凶兆そのもの――死を報せる鳥たちの葬列だった。
「――島国の猿風情がッ!! ヴリトラ一匹仕留めたくらいで、いい気になるな!!」
ミハイルは血走った双眸を剥き、唾を飛ばして叫ぶ。
端正な顔貌は怒気に歪み、両の掌を冥冥へと突き出した。
その瞬間、彼女の背後の空間が、布を裂くような音とともにひび割れる。
裂隙の奥から滲み出るのは、粘質の闇。
先刻祓われたヴリトラと同質の、スライム状の竜が五体、ぬめりを伴って顕現した。
形は定まらず、輪郭は揺らぎ、内部で濁流のように呪力がうねっている。
「僕の術式は――『生魂簒奪』」
ミハイルの声は、誇示と狂気を孕んで低く響いた。
「他者の生命エネルギーを奪い取り、自身や使い魔の糧とする。
この地を訪れていた大量の猿どもから搾り取った、とっておきの駒だ。
……神凪颯真用の隠し玉を使わせたことを誇りながら、死ぬがいい!」
奥の手を使って仕留めたヴリトラと同質の存在が、五体。
ただでさえ厄介な存在が、同時に牙を剥く。
逃げ場のない包囲。
常人であれば膝を折る、絶望の図だった。
だが冥冥は、わずかに口角を上げる。
その笑みは、恐怖に歪んだものではない。
むしろ、滑稽な芝居を前にした観客のような、愉悦すら滲ませたものだった。
予想外の反応に、ミハイルの眉間に皺が寄る。
「……死の恐怖で気が触れたかい?」
「この程度で、本当に〝あの規格外〟に勝てると思っているのかい?」
冥冥は首を傾げた。長い髪がさらりと揺れ、烏たちが呼応するように鳴く。
「それとも、自分に言い聞かせているのかな?
どちらにせよ、現実が見えていないようでね。少し可笑しくて」
淡々とした声音。そこに嘲りも憎悪もない。ただ、冷えきった事実だけがある。
「気に障ったのなら、謝るよ」
その一言が、刃のようにミハイルの自尊心を抉った。
「――貴様ァッ!!」
怒号が空気を震わせる。五体の竜が一斉にうねり、地面が軋んだ。
冥冥はミハイルの怒号など気にした様子もなく、軽く肩を竦める。
「……実際に試してみたらどうだい?」
それは独り言のように、あまりにも静かに落ちた。
次の瞬間、戦場を一条の風が横切る。
風――そう呼ぶにはあまりに鋭く、あまりに澄み切った奔流だった。
草木は遅れてざわめき、砂塵がふわりと舞い上がる。
だが、それだけだ。
轟音も、衝撃もない。ただ、空間そのものが一拍遅れて悲鳴を上げた。
見えない刃が、そこを通り過ぎたのだ。
空気が裂ける音が、ようやく耳に届く。
その直後、五つの巨大な影がぐらりと揺らいだ。
竜の首が、飛んだ。
重力を忘れたかのように一瞬宙にとどまり、やがて鈍い音を立てて地へ落ちる。
遅れて、胴体から噴き出すのは血ではない。
粘性を帯びた半透明の体液――スライム状の肉体が、ぶるりと震え、崩れ、そして再び蠢きはじめた。
断面が泡立ち、ぬらりとした触手が絡み合い、首を形作る。再生。
それは彼らにとって、呼吸にも等しい営みだった。
だが。
「……っ」
ミハイルは息を呑んだ。
攻撃の予兆がなかった。
殺気も、呪力の高鳴りも、風圧すら感じなかった。ただ結果だけが、世界に刻まれている。
自分が見落としたのではない。
感じ取れなかったのだ。
何も。
虚空を見上げる。
そこに、一人の男が立っていた。
蒼。
空と見紛うほど澄んだ風を身に纏い、衣の裾が静かに揺れている。
まるでこの戦場だけが、彼にとっては凪いだ湖面であるかのように。
神凪颯真。
その瞳には激情も傲慢もない。ただ、薄く浮かべた笑みがあるだけだった。
風と同じく、透明で、温度を持たぬ微笑。
「……よぅ」
軽い調子の声音が、凍りついた空気をかすかに震わせる。
「ご主人様の後を追う覚悟は、できたか?」
挑発のはずの言葉は、不思議と怒気を帯びていない。
事実を告げる者の声音だった。
再生を終えた五つの竜の首が、一斉に彼を睨む。粘つく顎が開き、戦場に瘴気が満ちた。
だが、颯真の周囲だけは静謐だった。
蒼い風が、彼の足元でささやく。
次に裂けるのは空か、それとも……
ミハイルの背に、冷たい汗が流れた。
「……ずいぶん遅かったね。
もしかして、タイミングを図っていたのかな?」
戦塵の匂いがまだ空気に残っている。
崩れた瓦礫の上に立ちながら、冥冥はゆるやかに首を傾げた。
救われたのは事実だ。だが、あまりにも出来すぎた登場だった。
まるで、舞台の幕が上がる瞬間を正確に見計らっていたかのように。
蒼い風を纏ったまま、神凪颯真は肩を竦める。
「ちょっと探しものしててな」
軽い調子。
だがその瞳は、どこか別の遠くを見ていた。
「京都にはいないようだし、新宿の悟たちからも〝見つかった〟って連絡はない」
淡々と告げる声音に、わずかな苛立ちが滲む。
「探し回るのも面倒くせぇんで、直接聞いてみようと思ってな。幹部連中を探してた。
一番近かったのがここだっただけだ。別にタイミング図ってたわけじゃねぇよ」
言い終えると、風が彼の足元で静かに渦を巻いた。
本当に偶然だと言わんばかりに。
冥冥はその様子をしばし観察し、やがて小さく微笑む。
「てっきり、白馬の王子様でも気取っているのかと思ったよ」
冗談めかした声音。
だが瞳の奥には、わずかな探りがあった。
颯真は一瞬だけ目を細め、それから口角を上げる。
「……アンタが助けを求めるようなお姫さんって柄かよ」
低く、可笑しそうな笑いが零れた。
その言葉に、冥冥も肩をすくめる。
互いに、自分が〝救われる側〟の人間ではないことくらい、よく知っていた。
吹き抜ける蒼い風が、血と呪力の残滓を静かに攫っていった。
久々に主人公の神凪颯真登場回でした。
体調も少しずつ戻ってきたのですが、仕事が忙しくて中々更新出来ず、申し訳ありませんでした。
年度末が近づいてきたからか、とても忙しく、しばらく不定期更新になりそうです。
可能な限り早めに更新しますので、今後とも閲覧頂けると嬉しいです。
評価や誤字報告、ここ好き!の登録をして下さった方に、感想をくださった方、いつも本当にありがとうございます。
忙しいなかでも更新しようというモチベになっております。
それでは
「ありがとー!! また来て下さいねー!!」