それでは
「気張っていきましょう」
敬愛する姉を、救い出される〝姫〟に見立てる――そんな甘美な戯れ言を、本気で口にするとは。
「……神凪颯真。あなたは、なんと贅沢な男なのでしょう」
憂憂は、姉・冥冥と気安く言葉を交わす颯真へ、氷のように澄み切った視線を投げた。
その眼差しには、かすかな嫉妬と、揺るぎない忠誠がないまぜになっている。
「だから違うって言ってるだろ。……ていうか、誰だよ、お前」
怪訝に眉をひそめる颯真。
「憂憂。
――私の可愛い弟だよ」
冥冥は妖艶に微笑み、あくまで優雅に応じる。
その声音は戦場にそぐわぬほど柔らかく、三人のあいだには、刃を交える只中とは思えぬ静謐な空気が流れていた。
だが、その〝隙〟を見逃すほど、ミハイルは甘くない。
再生を終えた五体の竜が、いっせいに顎を開く。喉奥から迸ったのは、漆黒の炎――
五条の業火は一点に収束し、やがて螺旋を描く熱線へと姿を変えた。
空気を灼き、音を溶かし、存在そのものを融解させる黒の奔流が、颯真たちへと迫る。
――刹那。
見えざる風が、彼らの前に立ちはだかった。
不可視の結界に阻まれた熱線は、甲高い悲鳴をあげるかのように四散し、放射状に拡散する。
散った黒炎は周囲の日本家屋を容易く薙ぎ払い、梁も柱も、屋根瓦さえも、溶け崩れた蝋のごとく崩壊していった。
それでも、風の檻に守られた三人の表情は、微塵も揺らがない。
「……この程度で勝てると思ったのか?」
颯真は気怠げに首を傾げた。
退屈そうな、あるいは本気で落胆しているかのような眼差しを、真正面からミハイルへ向ける。
「だとしたら、俺もずいぶん甘く見られたもんだな」
その一言が、ミハイルの内奥に触れた。
――ぷつり、と。
何かが断ち切れる音が、確かに響いた。
「……僕を、舐めるなァッ!!」
憤怒に歪む貌。五体の竜はたちまち形を崩し、不定形の粘塊へと還る。
うねるアメーバのようなそれはミハイルを呑み込み、胎動しながら再構築を始めた。
さらに、側溝から、ひび割れたアスファルトの裂け目から、無数の
どろり、と粘つく音を立てながら群れは這い進み、中心で脈動する塊へと合流していく。
膨張。圧縮。変異。
やがて粘塊は硬質な鱗へと変質し、その表面は黄金に輝きはじめた。
金属のごとき光沢を帯び、背には蝙蝠を想起させる一対の巨大な翼が展開する。
五つの首がうねり、二本の尾が大地を叩いた。
咆哮。
瞬く間に顕現したのは、黄金に燦然と輝く五頭竜。かつての姿をはるかに凌駕する、破滅の象徴だった。
「……おいおい、どこのキング◯ドラだよ」
颯真は呆れたように嘆息する。
「東宝に怒られとけ、阿呆」
挑発にも似た軽口。
しかしその瞳の奥には、確かな戦意が灯っていた。
「千を超える愚かな猿どもの精気を結集した、完全無欠の兵器だ!」
黄金の喉から、ミハイルの声が轟く。
「アーウィン・レスザール様の仇は、この僕――ミハイル・ハーレイが討ち滅ぼす! あの世で、我が主に深く詫びるがいい!」
黄金の五首が天を仰ぎ、灼熱の息吹を溜め込んだ。
風は静まり、空は軋み、大地は震える。
その中心で、颯真は退屈そうに――けれど確かに愉しげに、口元を歪めた。
「……テメェらを殺したいのは、俺も同じだよ」
次の瞬間、迸る光。
放たれた
凝縮された灼熱は白金に近い輝きを帯び、空間そのものを焦がしながら、一直線に颯真へと奔る。
不可視の風の防壁が、悲鳴をあげるように軋んだ。
じり、じり、と削られていく結界。熱は風を蒸発させ、圧力は空気を砕き、境界は溶け崩れようとする。
「……へぇ?」
予想外の威力に、颯真はかえって愉しげに口角を吊り上げた。その瞳に宿るのは焦りではなく、興味だ。
「……でもさ。これで俺に勝てると思ってるなら、本当に馬鹿だよ、お前」
嘲りを孕んだ声音に呼応するかのように、空気が裂けた。
――風の刃。
視認すら許さぬ速度で奔った一閃は、黄金竜に反応の隙を与えぬまま、背の巨大な翼を根元から断ち切る。
金属光沢の鱗が砕け、翼は鈍い衝撃音とともに宙へ舞った。
だが。
切断された翼は、地に落ちるより早く、輪郭を失って半透明の粘塊へと還る。
どろりとしたそれは、帰巣本能を持つかのように本体へ吸い寄せられ、瞬く間に再融合して再生を果たした。
黄金の鱗が、再び完全な形で輝く。
次の刹那、二本の尾の先端に紫電が走った。
空気を裂く雷鳴とともに、幾条もの電撃が颯真へと放たれる。
颯真は地を蹴った。
閃光が足元を穿ち、石畳を粉砕する。
だが、逃がすまいとする意志のように、黄金竜はさらに追撃を放った。
今度は漆黒に輝く熱線。
意思を持つ蛇のごとく軌道を変え、颯真を追尾する。
空が焦げる。空気が裂ける。黒い軌跡が、執拗に迫った。
「しつっこいんだよッ!」
颯真は右手を横薙ぎに振るう。
その一動作だけで、世界の流れが変わった。
爆ぜるように生じた烈風が、迫り来る熱線を絡め取り、強引に軌道を捻じ曲げる。
制御を失った黒光は、あらぬ方向へと逸れ、京の街並みに突き刺さった。
瓦が砕け、柱が焼け落ち、炎が一瞬で通りを呑み込む。
それでも風は止まらない。
熱線を退けた奔流は、そのまま黄金竜へと牙を剥いた。
目に見えぬ巨槌のごとき衝撃が、黄金の巨体を正面から打ち据える。
轟音。
巨躯が宙を舞い、日本家屋や生け垣をなぎ倒しながら地を転がった。
瓦礫と土煙が舞い上がり、五つの首が不規則にうねる。
その様を眺めながら、冥冥はくすりと笑った。
「……怪獣映画さながらだね」
その声音には、恐怖も緊張も感じられない。
颯真は息を継ぐこともなく、追撃に転じた。
空気が裂ける。
複数の不可視の風刃が、縦横無尽に黄金竜の巨躯を斬り刻んだ。
鱗が弾け、五つの首が宙を舞い、翼が根元から断ち切られて地へ落ちる。
金属質の光沢を放つ肉片が、瓦礫の上に散乱した。
「無駄だということが分からないのかい?」
黄金の喉奥から、ミハイルの声が嘲る。
斬り飛ばされた部位は、地に触れた瞬間に輪郭を失い、半透明の粘塊へと還った。
どろりと波打ちながら本体へ吸い寄せられ、再び融合し、何事もなかったかのように再生する。
斬撃。
再生。
斬撃。
再生。
その繰り返しを前に、ミハイルは愉快そうに笑った。
「千を超える精気と、僕の呪力が尽きぬ限り、再生は止まらないよ」
五つの首が揺れ、黄金の眼が細められる。
「どれだけ斬り刻もうが、再生の源が尽きるより、キミの呪力が尽きるほうが早い。
……そんなことも分からないほど馬鹿だったとは、思わなかったけれどね」
勝利を確信した声音。嘲笑が、戦場に響く。
だが――颯真の笑みは崩れない。
軽薄さすら漂わせるその表情の奥で、瞳だけが冷えていた。
「俺もさ」
静かな声。
「お前が、まさかそこまで馬鹿だったとは思わなかったよ」
次の瞬間。
黄金竜の最奥――幾重にも重なる粘塊と鱗の奥深くに潜んでいたミハイルの背に、鋭い衝撃が走った。
「――ッ!?」
遅れて、激痛。
自らの身体を見下ろしたミハイルの視界に、信じがたい光景が映る。
蒼い風の槍が、背後から腹部を一直線に貫いていた。
「……ば、かな」
呆然と漏れる声。
完全に黄金竜の内部、しかも最奥に身を隠していたはずだった。
再生や再構築の流れは意図的に乱し、核や自身の位置を悟られぬよう細工していた。
規則性は排し、挙動はランダムに。
それでも――射抜かれた。
「俺が、そんな非効率なことするかよ」
颯真の声は、凪いだ水面のように冷ややかだった。
「お前の位置を特定するために、削ってただけだ」
削る。
再生のたびに生じる、わずかな偏り。
精気の流れ。呪力の滞留。完全なランダムなど存在しない――その綻びを、風は拾い上げていた。
ミハイルの思考が追いつかない。理解が拒絶する。
混乱が、致命的な一瞬を生んだ。
蒼い閃光が、再び奔る。
今度は黄金竜の核を、正確無比に貫いた。
ひび割れる音が、内側から響く。
次の瞬間、黄金の巨体は光を失い、硬質な鱗は溶け崩れ、すべてが透明な液体へと変貌した。
どろりと地に広がり、音もなく蒸発するように消えていく。
残されたのは――
腹部を押さえ、蒼い槍に貫かれたまま立ち尽くす、ミハイルただ一人。
京の焼け跡を渡る風が、静かに吹き抜けた。
その中心で、颯真はまるで退屈な遊戯を終えたかのように、ゆるく肩をすくめる。
「再生が無限でもな」
淡々と、告げた。
「隠れてる場所が分かれば、意味ねぇんだよ」
昨日は、一瞬だけ日間ランキング6位になることができました。
今日は既にランキング圏外なので、完全なまぐれですが(笑)
一瞬とはいえ、ランキング上位にのれたのは、閲覧して下さる皆様のおかげと感謝しております。
これからも、頑張って更新していきますので、よければお付き合いください。
それでは
「ありがとー、また来てくださいねー!」