呪術廻戦〜蒼風を纏う者   作:腹黒薩摩

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誤字報告くださった方ありがとうございます。



第9話

――東京都立呪術高等専門学校

 

 悟たちが廉直女学院中等部で呪詛師と刃を交えている、ほんの少し前のこと。

 

 呪術高専の屋上で、神凪颯真はフェンスに背を預け、空を流れる雲を仰いでいた。

 指先には煙草。

 吐き出された煙が、呪力の残滓のように風へ溶けていく。

 

 その静寂を破るように、屋上へ続く扉が勢いよく開いた。

 

 現れたのは二人の少年だった。

 

 黒髪の少年――呪術高専一年、灰原雄。

 金髪の少年――同じく一年、七海建人。

 

「ここにいたんですね、神凪さん! 夏油さんたちが任務でいなくて、暇なんです! 訓練つけてください!」

 

 灰原は颯真を見つけるや否や、尻尾でも振っていそうな勢いで駆け寄ってくる。

 

 颯真はちらりと一瞥をくれただけで、何も言わず煙草をくゆらせ続けた。

 

「訓練つけてくださいよー。神凪さーん、聞こえてますー?」

 

「……灰原。神凪さんは聞こえていて、あえて無視しているだけです」

 

 背後から七海がため息混じりに告げる。

 

 二人のやり取りに、颯真はようやく深く息を吐き、視線だけを向けた。

 灰原は満面の笑みで手を振り、七海はどこか緊張した様子で背筋を伸ばしている。

 

「却下。面倒くせぇ」

 

「えぇー!? 訓練くらいいいじゃないですか。減るもんでもないでしょう?」

 

 にべもなく切り捨てられても、灰原は気にした様子もなく食い下がる。

 その粘りに七海は諦観した表情を浮かべ、颯真は小さく舌打ちして七海へ視線をやった。

 

「……コイツ、いつもこんなん?」

 

「……申し訳ありません」

 

 自分の責任ではないと分かっていながら、七海は思わず頭を下げる。

 

「で。わざわざ俺に訓練をつけさせたい理由は?」

 

 見透かすような視線が、二人を射抜いた。

 

「えっと……」

 

「神凪さんの戦い方を、学びたいと思いまして」

 

「嘘が下手だな」

 

 即答だった。二人の肩が、びくりと跳ねる。

 

 颯真はその反応を見て、内心で鼻を鳴らした。

 

(……正道にでも、様子見を頼まれたか)

 

 数秒の沈黙の後、颯真は煙草を地面に落とし、靴底で踏み消した。

 

「……気が変わった。そこまで言うなら、死なない程度に遊んでやる」

 

 フェンスから離れ、手首を鳴らす。

 

「本当ですか!?」

 

 灰原の顔が一気に輝く。それを見て、颯真は歪んだ笑みを浮かべた。

 

「ただし、自分らの言葉に責任は持てよ。俺は傑みたいに甘くない」

 

「望むところです!」

 

「……よろしくお願いします」

 

 正反対の反応を示す二人に、颯真は口角を吊り上げた。

 

 次の瞬間、屋上の空気が変質した。

 

 何かが立ち上がったわけでも、呪力が爆発したわけでもない。それでも、皮膚の裏を撫でるような圧が、じわりと広がっていく。

 まるで、嵐の前に気圧が落ちるような――静かな、しかし確実な変化だった。

 

(……来た)

 

 七海は反射的に呼吸を整えた。

 

 神凪颯真は、そこに立っているだけだ。

 構えも取らず、呪力を誇示することもなく、ただ"いる"。

 それだけで、場が支配されている。

 

(これが……一級術師)

 

 理屈では分かっている。

 特級や一級と、自分たち一年生とでは埋めがたい差があることも。

 だが、実際に向き合うと話は別だった。

 喉の奥が、わずかに渇く。

 七海は無意識に、拳を握り締めていた。

 

 一方で。

 

「おお……」

 

 灰原は、小さく感嘆の声を漏らしていた。

 怖くないわけではない。だがそれ以上に、胸が高鳴っている。

 

(すげぇ……! なんだこれ、空気が変わった……!)

 

 目の前に立つ神凪颯真は、教師でもなければ同級生でもない。

 呪術師として、明確に"格が違う存在"。

 それを肌で感じて、灰原は笑みを抑えきれなかった。

 

「おい」

 

 颯真の低い声が落ちる。

 

「感心してる暇はねぇぞ」

 

 その一言で、灰原の背筋が伸びた。

 

「まずは二人同時だ。遠慮すんな――全力で来い」

 

---

 

 七海の脳裏に、警鐘が鳴り響く。

 

(二人がかりで、全力。それでも"遊び"の範疇だと言うのか、この人は)

 

 恐怖が、はっきりと形を持って迫ってくる。それでも。

 

(ここで退いたら――一生、この人との差を"想像"で終わらせることになる)

 

 七海は歯を食いしばり、前に出た。

 

「灰原、連携します」

 

「おう!」

 

 短い確認。次の瞬間、灰原が地面を蹴った。

 

「うおおおっ!」

 

 真正面から、一直線。飾り気のない突撃。七海は半拍遅れて横へ回り込む。

 

(神凪さんは近接で迎え撃つはず。なら、挟撃――)

 

 その思考が、途中で断ち切られた。

 

 颯真の姿が、消えた。

 

「――っ!?」

 

 灰原の視界から、神凪颯真が掻き消える。次の瞬間には、すでに背後にいた。

 

「遅ぇ」

 

 振り返る灰原。

 声と、衝撃が、同時に来た。

 

「がっ――!」

 

 腹部を抉る一撃。

 息が詰まり、灰原の体が宙を舞う。

 蹴られたと認識した時には、すでに地面を転がっていた。

 

(なっ……!? 見えな――)

 

 七海が振り返る。そこには、すでに灰原を蹴り飛ばした後の颯真が立っていた。構えもなく、呼吸すら乱れていない。

 

(速い……いや、速さ以前に――)

 

 "読めない"。

 

 七海は背筋に冷たい汗が伝うのを感じながら、それでも踏み込んだ。呪力を拳に乗せ、顎を狙う。当たれば確実に効く一撃。

 

 颯真は動かなかった。

 

 避けない。受けるつもりか――

 

 そう判断した瞬間が、罠だった。

 

 触れるか触れないかの紙一重で、颯真の身体がわずかに傾く。

 七海の拳は空を切り、体勢が崩れる。

 次の瞬間、首筋に衝撃。

 視界が白く弾け、膝が折れた。

 

「一つ、教えてやる」

 

 颯真が七海を見下ろす。

 

「"連携"ってのはな、同時に動くことじゃねぇ」

 

 七海は歯を噛み締め、立ち上がった。その目に、逃げはなかった。

 

 颯真は二人を見渡し、つまらなそうに言う。

 

「悪くねぇな。でも、まだ"呪術師ごっこ"だ」

 

 灰原が、ふらつきながら立ち上がった。腹を押さえながらも、笑っている。

 

「……っは、やっぱすげぇですね、神凪さん」

 

 颯真はその顔を見て、わずかに口角を上げた。

 

「いい目してきたじゃねぇか」

 

---

 

 颯真の足元で、風が鳴った。

 

 低く、唸るような音。屋上の空気が回り始める。

 

「――っ!?」

 

 灰原と七海の足が、同時に浮いた。

 

 暴風。呪力を帯びた風が、容赦なく二人の身体を巻き上げる。

 抵抗しようとするが、呪力の奔流はそれごと吹き飛ばし、視界が反転する。

 空と校舎が混ざり合い、どちらが上か分からなくなった。

 

「うわぁぁぁ!?」

 

「くっ――!」

 

 叩きつけられる衝撃を覚悟した、その瞬間。

 

 風が、柔らかく変わった。

 

 落下を殺し、二人を包み込むように制御される。足裏に土の感触。砂埃が舞い、風が嘘のように止んだ。

 

 ――中庭、訓練場。

 

「……っ、生きてる?」

 

 灰原が呆然と呟く。七海は膝をつきながら、息を吐いた。

 

(落とされた……いや、"運ばれた")

 

 吹き飛ばす力と、殺さない配慮が、同時に存在している。

 精密すぎる制御だった。その中心に、颯真が立っていた。訓練場の縁に片足を乗せ、不敵に笑っている。

 

「場所移動だ。屋上は狭ぇ」

 

 風が、彼の背後で静かに揺らめく。

 

「ここからは、遠慮しねぇぞ」

 

---

 

 その一言で、空気が張り詰めた。

 

 灰原は笑い、七海は歯を食いしばる。

 

「全力で来い」

 

 二人は、同時に地を蹴った。

 

 灰原が前。七海が斜め後方。先ほどよりも洗練された連携。

 

 灰原の拳が、颯真の側頭部を狙う。七海は死角から呪力を乗せた蹴りを放つ。挟撃。逃げ場はない。

 

「悪くねぇ」

 

 颯真は、軽く身を捻った。

 

 それだけで、すべてが外れた。

 

 拳は空を切り、蹴りは風に流される。二人の攻撃が、まるで初めからそこに届く軌道ではなかったかのように、自然に外れていく。

 

「だがな」

 

 颯真が、地面を踏み込む。

 

「格上と戦う時、一発逆転を狙うな」

 

 風が弾け、二人の身体が弾き飛ばされた。

 

「生き残りたいなら――手数を増やせ」

 

 七海が転がりながら、理解する。

 

(手数……攻撃の数、選択肢の数、対応の幅……)

 

「そのための道具がある」

 

 颯真は指を鳴らした。

 

「――簡易領域」

 

 彼の足元に、淡い結界が静かに展開される。完成された領域ではない。だが呪力の流れを拒絶する"膜"が、確かにそこにあった。

 

「必中を殺す。術式を薄める。それだけで、生きる確率は跳ね上がる」

 

 次に、颯真は無造作に自分の腕を裂いた。血が流れる。だが――肉が、巻き戻るように塞がった。

 

「反転術式。呪力を正に反す。回復は、攻撃と同じ"手数"だ」

 

「すげぇ……!」

 

「感心してる暇があったら、身につける努力をしろ」

 

 即答。七海は目を逸らさずに、その光景を焼き付けた。

 

(理解できなくていい。だが、"こういう世界がある"と知ることが――)

 

「来い。死なねぇ動きだけ、覚えろ」

 

---

 

 その瞬間、七海の身体が勝手に動いた。

 

 恐怖。集中。二つが混ざり合い、思考が極限まで研ぎ澄まされていく。

 

 灰原が左から仕掛ける。颯真の意識が一瞬そちらへ向く。

 

 今だ。

 

 七海は迷わず踏み込んだ。すべての呪力を右拳に収束させ、全身の重心を乗せる。何も考えない。ただ、打つ。

 

 拳が、颯真の腹部に当たった。

 

 その瞬間。

 

 世界が、歪んだ。

 

 ――黒い、稲妻。

 

 拳の中心から、漆黒の光が弾ける。呪力が空間に焼き付くような、乾いた轟音。七海自身が、弾け飛ぶかと思うほどの反動。

 

「……ッ!」

 

 颯真が、数歩下がった。

 

 訓練場が、静まり返る。

 

 灰原が目を見開く。

 

「七海……今の……!」

 

 七海自身が、最も驚いていた。

 

(何だ、今の……呪力の――核心……?)

 

 手が震えている。拳の感覚が、まだ残っている。あの一瞬、何かに触れた気がした。術師としての自分の、最も深い部分に。

 

 颯真は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 そして。

 

 笑った。

 

「……はは」

 

 心底、愉快そうに。

 

「やるじゃねぇか、七海建人」

 

 その目は、初めて"対等な評価"を含んでいた。

 

「今のが、黒閃だ。二度と狙うな。――だが、その感覚は忘れるな。身体に刻み込むまで続けるぞ」

 

 風が、再び渦を巻く。

 

---

 

 その後の訓練は、二人が立てなくなるまで続いた。

 

「今日はここまでだ。……まぁ、そう簡単には死ななくはなったんじゃねぇか」

 

 灰原は息を切らしながら、それでも笑った。

 

「……ボロボロですけどね!」

 

 七海は拳を見つめ、静かに目を閉じた。

 

(この瞬間を、私は一生、忘れない)

 

 呪術師としての"芯"が、確かに、この訓練場で刻まれた。

 




最初から最後まで完全にオリジナル回でした。
原作に全くない描写をするのは怖いのですが、ご感想やコメントを頂けると励みになるので、良ければお願い致します。

夏油傑は救済されるべき

  • このまま救済されるべき
  • 羂索は夏油の頭でメロンパンしないと
  • 虎杖ママメロンパンが見たい!
  • サマーオイル教師は見たくない
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