アドマイヤグルーヴのトレーナーがチョコを食べなくなったのでその理由を聞いてみた、という話。

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アルヴさん早く来てくれ、と思いながら書きました。


アルヴさんと堕落を促す例のあれ

 アドマイヤグルーヴのトレーナーはチョコが好きだ。

 作業机の引き出しにはいつも品のいいデザインの菓子箱が常備されていて、彼はそれを仕事中の小休憩のお供としていた。

 一方、アドマイヤグルーヴはチョコを食べない。忌避している、と言ってもいい。けれど、だからと言って、トレーナーが食べるのを止めるつもりは毛頭なかった。食べ物の好みは個々人の自由だし、それに彼がチョコを口に入れた途端に少し頬を緩めるのを見るのは、少なくとも嫌ではなかった。

 しかし、彼はチョコを食べなくなった。何の前触れもなく、唐突に。

 

 

 

 放課後のトレーナー室にて、アドマイヤグルーヴは授業の課題をこなす傍ら、さりげなくトレーナーに視線を向ける。

 青年はパソコンの作業に一区切りがついたと見えて、画面から視線を外したところだった。その視線が少女の視線とかち合う。彼は嬉しそうに微笑んだ。

 なんだか座りが悪くなって、アドマイヤグルーヴは誤魔化すように口を開く。

 

「終わったんですか?」

「一段落というところかな。今からコーヒーを淹れるけど、アルヴさんも飲むかい? 美味しいクッキーもあるよ」

「お構いなく」

 

 いつも通りに素気無く断るが、トレーナーは気分を害した様子もなく、一人分のインスタントコーヒーを淹れ始める。鼻につくところのない柔らかな香りが部屋中に広がっていく。

 一週間前までの彼なら、淹れたてのそれにミルクを加えてカフェラテにしていただろう。甘いカフェラテと苦味の強いチョコレートの組み合わせが彼の定番だった。今は違う。コーヒーはブラックのままで添え物はクッキーだ。

 それもまた悪くはないのだろう。けれどここ数日観察した限り、心なしか以前ほど彼は楽しんでいないように思える。

 

 何か、あったのだろうか?

 勿論、彼が息抜きの菓子に何を食べようが、それはアドマイヤグルーヴには何の関係もないことだ。チョコだろうがクッキーだろうが、あるいはビスケットだろうがスコーンだろうが、そんなことで彼のトレーナーとしての能力に不足が生じるはずもない。

 自分にとっての彼は契約相手であり、ただの他人だ。こんなちょっとした疑問なんて、忘れ去ればそれで終わる話だ。

 そこまでつらつらと考えて、アドマイヤグルーヴは内心で嘆息した。

 こんなことを考えている時間の方が余程無駄だ。ちょっとした疑問だというなら、それこそさっさと質問すればそれで済む話なのだから。

 アドマイヤグルーヴはトレーナーが席につくのを待ってから、あくまでさりげなさを装いつつ、口を開いた。

 

「チョコ、食べないんですか?」

「ん?」

 

 直球の質問に、トレーナーは少なからず驚いたようだった。

 確かにアドマイヤグルーヴらしくない発言ではある。他人のお菓子のことに言及するなど、孤高を良しとする少女の振る舞いではない。そのことは重々承知の上で言葉を重ねる。

 

「ここ一週間くらい、食べてませんよね」

「ああ、まあ、そうだね」

「何か心境の変化でも?」

「ええと」

 

 トレーナーは言葉を選びかねているようだった。彼にしては珍しいことだ。

 しかし、その態度でアドマイヤグルーヴは直感した。

 

「もしかして私が何か関係していますか?」

「どうしてそう思うの?」

「貴方が何かを言い淀む時は大体そうですから」

 

 トレーナーは観念したとばかりに肩を落とし、それから申し訳なさそうに口を開いた。

 

「実は、君がチョコレート嫌いだって聞いて」

「え?」

 

 アドマイヤグルーヴは怪訝な顔をした。誰だそんなことを言ったのは。

 しかし自分の記憶を遡ってみれば、ふと思い当たることがあった。

 あれは確か二週間前のことだ。一人の生徒が教室に手作りのチョコ菓子を持ってきていた。曰く『よかったら食べてほしい』と。クラスメイト達はただ一人の例外を除いて、大いなる喝采とともにその子からチョコを受け取っていた。

 そしてただ一人の例外というのが、アドマイヤグルーヴだった。

 その時に『チョコレート嫌いなの』と言ったりはしなかった。いつものように『遠慮しておく』と端的に断っただけだ。

 しかし、おそらくその話が伝聞の過程で少し形を変えて広まり、トレーナーの耳に入ったのだろう。彼は申し訳なさそうに言葉を続けた。

 

「僕はチョコが好きだけど、君が嫌いなものを君の前で食べたいとは思わないんだ。むしろ、これまで気付かなくてごめん。不快な気持ちにさせていたなら謝るよ」

 

 謝罪の言葉を聞いて、アドマイヤグルーヴはため息を吐いた。

 本当にこの人は私のことを慮り過ぎる。

 

「トレーナー、私がチョコレートが嫌いな訳ではありませんし、アレルギーでもありません。ただ、自分では食べない、というだけです」

「え、そうなの?」

 

 トレーナーは驚いたようだった。

 

「はい。だからこれまで通り気兼ねなく、休憩中のお菓子くらい好きにしてください。……そこまで気を遣われるとかえって気疲れします」

「わかった。話してくれてありがとうね」

 

 トレーナーは安堵の息を吐いた。肩の荷が降りたとばかりの安らいだ顔になり、コーヒーを飲み始める。きっと勝手に罪悪感を抱えていたのだろう。この青年はそういうところがあった。

 

「ちなみにどうしてチョコレートを食べないのか、教えてもらってもいい?」

「……そこ、重要ですか?」

「勿論話したくないなら無理にとは言わないけど、個人的に気になる。チョコレートを嫌いでもアレルギーでもないのに食べない、という人は初めて見たから」

 

 それはそうだろう。アドマイヤグルーヴ当人にしたって自分以外にそんな人がいるとは思っていない。

 ややあって、少女は口を開いた。

 

「チョコは堕落を促す悪魔なので」

「……んん?」

「それが理由です」

 

 言ってしまってから自分でも馬鹿げた理由だと思った。ただ、アドマイヤグルーヴの中でそれは真実であり、チョコを頑なに食べようとしない理由なのだった。

 トレーナーはちょっとだけ訝しむような視線をこちらに向けていたが、やがてコーヒーを一口啜った後で「なるほど」と頷いた。彼はそれで納得したようだった。これにはむしろ、アドマイヤグルーヴの方が驚いた。

 

「変だと思わないんですか?」

「予想外ではあったけど、変ではないかな。競走ウマ娘に限らず、アスリートが独特な習慣を持っているのは珍しいことではないから」

 

 トレーナーが穏やかに言葉を紡いでいく。その口調に誤魔化しの様子はない。彼は本心からそう思っているようだった。

 けれど、アドマイヤグルーヴは彼の表情の変化を見逃してはいなかった。

 

「その割には頬が吊り上がっているようですが」

「ああ、ごめん。これは面白がっているとかではないんだ」

 

 見咎めるような視線に対して、トレーナーは飄々としたものだ。

 疚しいところなど何もないとばかりの態度に、むしろこちらが面食らってしまう。

 青年が楽しげに口を開く。

 

「ただ、嬉しいだけだよ」

「何がですか?」

「アルヴさんのことを一つ知れたのが」

 

 真っ直ぐな好意をぶつけられ、アドマイヤグルーヴはたじろいだ。

 

「教えてくれてありがとうね」

「……聞かれたことに答えただけです」

 

 返せる言葉が見つからず、やがておもむろに自分の鞄の中に手を突っ込んで水筒を探し始める。

 チョコは堕落を促す悪魔だ。アドマイヤグルーヴにとってそれは間違いない話だ。ただ、今の自分にとってはこのトレーナーの方が余程危ない悪魔なのではないか。

 そんなことを思いつつ、視線を戻せばトレーナーは穏やかな顔でコーヒーを楽しんでいる。アドマイヤグルーヴは自分でもよく分からない感情を覚えつつ、水筒のお茶を呷るのだった。




アルヴさん早く来てほしいです。

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