絶品のまかない料理を堪能し、空になったお皿をウェイトレスたちが手際よく片付け終わった頃。
シルが空いたお盆を抱え、どこか興味深そうな顔をしてベルの隣へと腰を下ろした。
「ベルさんがダンジョンの外を一人で歩いていたから少し驚きました。冒険者の方って、普通は夕方までダンジョンに潜っているものだと思ってましたから。今日はあまり行かなかったんですか?」
「あ、えっと、行ったんですけど……」
ベルはどう説明したものかと言葉を濁した。
まさか『新しい魔法の素振りをしていて、一人で恥ずかしくなって帰ってきた』などと、年上の彼女に死んでも言えるわけがない。
「……その、今日は一人だったのもあって、長く潜る元気がなかったというか……何だか気が抜けてしまったというか」
ベルはリリに関することは伏せつつ、今の自分の無気力な状態をポツリと打ち明けた。口が滑ったわけではないが、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。ずうずうしい希望だが、彼女なら何か気の利いたアドバイスでもくれないかな、なんて期待もあった。
シルはベルの顔をじっと見つめた後、やがて優しく微笑んだ。
「あら、そうですか。なら……こういう時こそ、気分転換に『読書』なんていかがでしょう?」
「読書?」
ベルはきょとんとした顔でオウム返しにした。
「はい。ベルさんはあまり本をお読みになられないようですから。この機会にぜひ試してみては? 良い刺激になるかもしれませんよ」
読書……考えてもみなかった。でも確かに、今の僕にはいい薬になるのかも。
幼い頃、英雄のお伽噺を読んだ後いつも感じていた、居ても立ってもいられなくなるあの感覚。本の世界に触れて胸が躍り出せば、今の燻っている焦燥感を一新できるかもしれない。
「うん、妙案かも。ありがとうございます、シルさん。僕、本を読んでみることにします」
「ふふっ、お役に立てたのなら私も嬉しいです。何かお目当ての本はありますか?」
「特にないですかね。ホームに神様の本があるから、それを貸してもらおうかな……」
いっそ書店に行っちゃうのもアリかな、なんてベルが考えていると、シルさんは「でしたら」とカウンターの下に置いてあった一冊の本を手に取った。
それは、古びた革表紙の重厚な本だった。
「これなんて、お読みになってみませんか?」
「えっ? でもシルさん、その本って……」
「先日、お客様のどなたかがお店に忘れていったようなんです。取りに戻られた際に気付いてもらえるように置いていたのですが、それっきりで」
「で、でもそれって誰かの大切な忘れ物なんじゃ……?」
人のものに勝手に手垢をつけるのは、とベルが躊躇していると、シルは首を横に振った。
「持ち主が現れたら、返して頂ければ問題ありませんよ。本は読んだからといって減るものではないですし。それにこの本、中を見る限り持ち主はどうやら冒険者様のようですから、ベルさんのお役に立つことが載っているかもしれません」
ここは冒険者に人気の酒場だから、自然と持ち主は想像できる。冒険者の私物なのだから、それこそ何かいい刺激を受けるかもしれない、ってことか。
そう言われてみれば、他では目にかかれない珍しい装丁の本だ。
「大丈夫です。何より、ミアお母さんは『誰の忘れ物かわからない不気味な本を店に置いておくのは嫌だ』と言って、捨てようとしているので……ベルさんが預かって持っていってくれると、私も助かるんです。……それに」
シルは少しだけ頬を染め、はにかむように微笑んだ。
「私も、ベルさんの力になりたいかな、なんて……」
「……!」
「私にはこんなことしかできませんから。だからベルさん、どうか受け取ってくれませんか?」
いつかと似たようなお願い文句を告げられ、ベルは思わず苦笑した。
くすぐったいシルさんの心づかいを邪険にしたくなくて、ベルは本を受け取ることにした。
「なるほど……そういうことなら、帰ったら読んでみます」
ベルはシルから、その古びた本を慎重に受け取った。
手渡される際、シルの柔らかい手がベルの手に触れ、彼は少しだけドキッとしてしまう。
だが次の瞬間、ベルの意識はその感触から別のものへと奪われた。
手にした瞬間、表紙の革の質感が――なぜかひどく冷たく、不吉なものを孕んでいるように感じられたような気がしたのだ。
・
ファミリアのホームである教会の地下室に戻って、ベルはすぐに本を読んでみることにした。
主神であるヘスティアはこの時間にまだ帰ってこないし、ソラもミアの厨房で料理の特訓をしている。一人きりの静寂の中、片手に持った白色の本をテーブルに置いた。
椅子を引いて、ベルは少し緊張しながら題名の記されていない表紙をパラとめくった。
『自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・めざせマジックマスター編~』
(どうしよう、初っ端からそこはかとない地雷臭が……)
『ゴブリンにもわかる現代魔法! その一』
(いや、ゴブリンに魔法教えちゃ駄目だろ……)
あのハートレスの脅威を知る身としては、モンスターが知性や魔法を持つことの恐ろしさに背筋が冷える。表紙を静かに閉じたくなったベルだったが、ぐっと耐えた。シルの厚意を無駄にするわけにはいかないし、彼は辛抱強く連なっている文字を追っていく。
出だしはふざけていたが、中身は割と健全のようだった。章のタイトルに記されているように、どうやら魔法に関する書物らしい。ベルは「おおっ」と目を光らせて、これ幸いと本の中にのめり込んでいく。
『魔法は先天系と後天系の二つに大別することができる。先天系とは言わずもがな対象の素質、種族の根底に関わるものを指す。古よりの魔法種族はその潜在的長所から修行・儀式による早期習得が見込め、属性には偏りが見られる分、総じて強力かつ規模の高い効果が多い』
共通語で編纂されているのでベルにもかろうじて読める。
でも、一文一文の間に細かく走っているこの文字は何だろうか。
ページをめくる。
『後天系は
一つとして共通した形のない複雑怪奇な記号群。
文体に……文字の海に、引きずりこまれる。
ページをめくる。
『魔法とは興味である。後天系にこと限って言えばこの要素は肝要だ。何事に関心を抱き、認め、憎み、憧れ、嘆き、崇め、誓い、渇望するか。引き鉄は常に己の中に介在する。『神の恩恵』は常に己の心を白日のもとに抉り出す』
【絵】が現れた。
顔がある。目がある。鼻がある。口がある。耳がある。人の顔だ。
真っ黒な筆跡で編まれ描写された、瞼の閉じた人の顔。文章の絵。
ページをめくる。
『欲するなら問え。欲するなら砕け。欲するなら刮目せよ。虚偽を許さない醜悪な鏡はここに用意した』
違う。【ベルの顔】だ。額から上が存在しないベルの顔面体。
違う。【仮面】だ。ベルのもう一つの顔。彼の知らない、もう一人の本心。
ページをめくる。
『――じゃあ、始めよう』
瞼が開いた。ベル自身の声が聞こえた。
文字で綴られた深紅の瞳が彼を射抜く。短文で形成された小さな唇が言葉を紡ぐ。
その瞬間、強烈な目眩がベルを襲った。活字が脳の奥底へと直接流れ込んでくる異常な感覚。激しい睡魔と、足元が消え去ったかのような恐ろしい『落下感』。
抗う間もなく、少年の意識は真っ逆さまに、深い深い闇の底へと落ちていった。
・
次に気がつくと、ベルは漆黒の空間に一人で佇んでいた。
上も下もない、無限に続くかのような闇。だが、足元だけが淡く発光していることに気づき、ベルは息を呑んで目を見開いた。
「これ、は……なに……?」
足場となっていたのは、巨大な円形のステンドグラスだった。
息を呑むほどに美しいガラスの細工。その中心には、目を閉じて眠る『ベル自身の姿』が描かれている。
背景を彩るのは、彼が育った故郷の農村の風景と、天を貫くバベルの塔。そして、ベルを囲むように配置された四つの小さな円の中には、育ての親である祖父、主神であるヘスティア、憧れの
自分の心の中をそのまま具現化したかのような、神秘的な光の床。
『僕にとって、魔法って何?』
不意に、声が響いた。耳からではない。心に直接波紋を描くような響き。
ハッとして正面を向くと、そこには白と灰色と黒だけで構成された『ベル自身』が立っていた。
なぜだかはわからないが、絶対に答えなければならない。直感がそう告げていた。
「わからない。……けど、漠然と凄いもの。モンスターを倒す必殺技。英雄達が使いこなす、起死回生の神秘」
強くて、激しくて、無慈悲で、圧倒的で。一度は使ってみたいと望んで止まない、純粋な憧れ。
『僕にとって魔法って?』
「……力…」
ベルは真っ直ぐに、影の自分を見据える。
「強い力。弱い自分ごと倒す大きな武器。弱い自分を奮い立たせる、偉大な武器。人を守る立派な盾なんかじゃない、癒しの手なんて綺麗なものでもない。……立ちはだかるものを打ち破って道を切り開く、大いなる目的のために使われるべき力」
少年の答えを聞き届けた影は、満足げににやりと笑い、光の粒子となってフッと消え去った。
直後、その場所に新たな影が現れる。
ツンツンとした髪型をした、ソラの影だった。
『ベルにとって、魔法はどんなもの?』
「もの? 魔法ってどんなもの……?」
ベルは目を閉じ、自身の奥底にある願いを探った。
「……炎だ」
魔法と聞けば炎。真っ先に思い浮かぶのは炎。
強くて、猛々しくて、熱い。
大気を焦がし、波のように全てを呑み込んで、陽炎が揺らめく、弱い自分にはちっとも似つかわしくない、赤い炎。
何物よりも温かくて、決して絶えることのない……不滅の炎。
炎になりたい。最も深い闇の中でも、決して消えない輝く光。ソラが示してくれたような、闇を払い、他者の希望の道しるべとなる炎に。
ベルの答えを聞いたソラは、いつものようにニカッと無邪気な笑みを浮かべた。
瞬きをする間に、空間が揺らぐ。
ベルの正面には、自分と、ソラが並び立ち、同時に問いかけてきた。
『『――魔法に何を求めるの?』』
より強く、あの人のもとへ。
より速く、あの人のもとへ。
雲の隙間を瞬くあの光のように。空を駆け抜けるあの雷霆のように。
誰よりも、誰よりも、誰よりも。
誰よりも速く。
あの人の隣へ。あの人の瞳の中へ。
「……そして、ソラのようなすごい力! 心の奥底から湧き上がり、弱い自分を乗り越えて、誰かを守るために具現化する力! 一日も早くソラに追いついて、一緒に戦うための力が欲しい!!」
『『それだけ?』』
英雄になりたい。
お伽噺に出てくる彼等のように、誰もが称えて認めてくれる英雄に。
情けない妄想でも、格好悪い虚栄心でも、みじめになるほど不相応な願いだったとしても。
ベルは、あの人が認めてくれるような、友と肩を並べられるような、英雄になりたい。
少年の真っ直ぐすぎる情熱を受け止めた二つの影は、顔を見合わせた。
ベル自身の影は面白そうに微笑み、ソラの影は頭の後ろで腕を組みながら笑った。
『子供だなぁ』
「……ごめん」
『でも、それが僕だ』
『ベルは自分の心に、正直だ』
本の中のベルと、異界の友の影が、最後に微笑んだ。
その言葉を合図に、足元のステンドグラスが、そして二つの影が、太陽のごとき眩い光を放ち始めた。
ステンドグラスの破片が光の羽となって舞い上がり、ベルの体を優しく、そして力強く包み込んでいく。
温かくて、心地よい光。
それは、少年の魂の奥底で、一つの小さな炎が『魔法』として産声を上げた瞬間だった。
そしてすぐに、ベルの意識は白く温かな光の中で暗転した。
・
「――ル? おーい、ベル?」
深い意識の底から、聞き慣れた明るい声がベルを引っ張り上げた。
重いまぶたをゆっくりと持ち上げると、目の前にソラが立って、心配そうに自分の肩に手を置いているのが見えた。
「ソ、ソラ……?」
「やあ、寝坊助さん」
ソラはホッとしたように、ニカッと楽しそうに笑った。
「読んでた本が難しすぎて、寝落ちしちゃったのか?」
「寝落ち……? あ、いや……」
ベルはハッとして自分の膝の上を見た。そこには、開かれたままになっているあの白い本があった。あの神秘的な体験は夢だったのか、それとも現実だったのか、頭がまだ少しぼんやりとしている。
「魔法の覚え方を読んでたんだな?」
ソラは感心したように本を覗き込み、それから少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「俺、ドナルドやマーリン様から魔法を教わったことはあるんだけど……いざ自分で教えるとなると、全部『感覚』で使っちゃってるから、上手く言葉にできなくてさ。ベルの力になれなくて、本当にごめんな」
「えっ!? そ、そんな、謝らないでよ!」
しゅんとして頭を下げるソラに、ベルは慌てて両手を振った。
「ソラが責任を感じるようなことなんて、何一つないよ! むしろ、ソラが教えた魔法だってすごく僕の力になってるし、武器の扱い方とか、諦めない心とか…ソラには大事なものを、もう十分すぎるくらい教えてもらってるんだから!」
「ベル……。そっか、ありがとうな」
ベルの必死のフォローに、ソラはパッと顔を輝かせていつもの笑顔に戻った。
その時、地下室のドアが重い音を立てて開き、ヘスティアが疲労困憊といった様子で姿を現した。
「ただいまー……はぁ」
「あ、神様、おかえりなさい!」
「おかえり、ヘスティア!」
ソラとベルが明るく出迎えるが、ヘスティアの表情はどこか暗く、胃のあたりをさすりながら重い足取りでソファへと歩み寄ってきた。
そして、ドサリと腰を下ろすと、二人を交互に見つめて盛大なため息を吐き出した。
「……聞いておくれよ、二人とも。実はさっき、バイト先にロキのとこの
「ロキ・ファミリアの人が……?」
ベルが首をかしげると、ヘスティアはズシリと重い爆弾を落とした。
「この前の
「「えっ!?」」
ベルとソラの声が綺麗にハモった。
特にベルは目を丸くして驚愕している。オラリオ最大派閥の一角であるロキ・ファミリアのホームに、自分たちのような弱小ファミリアが直接招かれるなど、普通ならあり得ない異常事態なのだ。
「明日の夜!? ぼ、僕たちが、ロキ・ファミリアのホームに!?」
「ああ。建前が立派すぎるとウラノスに言われたのもあるから断りきれなくてね……はぁ、あのロキのことだ、ハートレスだけじゃない、ソラ君のデタラメな力のことも根掘り葉掘り探ってくると考えると頭が痛くなるよ…」
「明日の夜……か…」
ソラは小さく息を吐き、覚悟を決めたように力強く頷いた。
明日の夜、ロキ・ファミリアのホームで何が待ち受けているのか。
嵐の前の静けさのような、ひどく重く張り詰めた空気が地下室に漂う。
だが、その息詰まるような沈黙を意図的に破るように、ヘスティアがパンッと大きく手を叩いた。
「……ま、明日のことは明日考えるとして! さて、ベル君のステイタスを更新しようか?」
「えっ?」
「今日もダンジョンで特訓してきたんだろう? 自分の成長がどれくらいか、楽しみにしてるはずだろ?」
ヘスティアは空気を変えるように、悪戯っぽく笑いかけた。
「は、はい、神様!」
神様の心遣いに気づいたベルは素直に頷き、シャツを脱いでベッドにうつ伏せになった。
ヘスティアがベルの背中に跨り、神血を含ませた針で
ステイタスの上昇値は相変わらず高い。ソラの『リンクコネクト』が作用した時のような劇的な爆発力こそないものの、それでも彼の成長を異常な速度で促すレアスキル『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』の規格外っぷりは健在だった。
「……おや? ベル君、今日は他のステイタスに比べて《器用》がかなり伸びてるね。よっぽど何か特訓してたのかい?」
背中をなぞりながら、ヘスティアが不思議そうに尋ねる。
「はい。ハートレスに本当に対抗するには、接近戦だけじゃなくて、遠距離からの射程を伸ばす必要がありましたから……」
ソラから教わった戦法と、第2層でのナイフ投擲の反復練習を思い出しながら、ベルは答えた。
「なるほどね、まあ、しっかり結果に出てるよ。とにかく、《敏捷》はすでにSだし、他のパラメータもSに近づいてるから、そう簡単には――」
そこまで言いかけて。
ヘスティアの指先の動きがピタリと止まり、その青い目が限界まで見開かれた。
「……神様?」
「ヘスティア、どうしたの?」
ベルが背中越しに首を傾げ、ソラも不思議そうに眉を上げて、驚愕で固まっているヘスティアの顔を覗き込む。
「……魔法だ。ベル君に、魔法が出たんだよ!」
ヘスティアの震える声での宣言に、部屋の空気が一瞬止まった。
ソラはきょとんと瞬きをし、ベルは雷に打たれたような凄まじい衝撃を受けた。
「え、えっ!?」
ヘスティアが勢いよく背中から降りて、書き写したばかりの羊皮紙を無造作にベッドに置く。ベルは慌てて跳ね起き、シャツを羽織るのも忘れ、その用紙をひったくるように掴んで目を丸くした。
【魔法】
『ホーリー・ファイアボルト』
・速攻魔法
「ま、魔法だ……! 僕に、魔法が……!!」
精神世界でソラや自分の影に誓った、あの願い。
最も深い闇の中でも、決して消えない輝く光。闇を払い、他者の希望の道しるべとなる炎になりたいという強い渇望。
それが今、確かに彼自身の魔法として顕現したのだ。
ベルは羊皮紙を持つ手を震わせ、喜びと興奮で叫んだ。
「やったな、ベル!!」
ソラは自分のことのように大喜びし、満面の笑みでベルの肩をバシバシと叩いて祝福するのだった。
・
「っっ……!」
ベルは、込み上げてくる歓声を抑え込むのに本当に苦労していた。
主神に手渡されたステイタス用紙を震える両手で持ちながら、必死に口の中で暴れる歓喜を噛み殺す。瞳が輝き、口元がだらしなくにやけているのは、傍から見ても一目瞭然だった。
「ソ、ソラ。かっ、神様…魔法っ、魔法ですよ……!? 僕、魔法を使えるようになりました……!」
「うん、わかってる。おめでとう、ベル君」
「やったな、ベル! すっごいじゃん!」
ソラも自分のことのように満面の笑みを浮かべ、バンバンとベルの背中を叩いて喜んでいる。
ベルは感激で身を焦がしていた。体中が熱い。ともすれば目から涙を流してしまいそうなくらい、それほど感動に打ち震えていた。
「……大げさ、って言うのは野暮ってものかな」
ぐしゃっと紙を握り潰してその場で蹲る少年の側で、ヘスティアが苦笑を漏らす。
嬉しい。本当に嬉しい。ついに自分も魔法が使えるようになったのだ。本の中の英雄達が、あるいは隣にいる友が、切り札と言わんばかりに放っていたあの魔法を!
「水を差すようで悪いけど、早速この魔法について考察しよう。気になることがあるんだ」
「はいっっ!」
ベルは勢いよく立ち上がって叫んだ。隣でソラも「何なに?」と興味津々に身を乗り出す。
ベルはひとまず落ち着けと自分自身に言い聞かせ、深呼吸をして、昂った全身を静めた。
「いいかい? かい摘んで話すけど、この世界の魔法っていうのは、どれも『詠唱』を経てから発動させるものなんだ。これくらいは知ってるかな?」
ヘスティアの問いに、ベルはこくりと頷いた。
全ての魔法はそれぞれ固定された呪文を術者の口が紡ぎ出すことによって効果を発揮する。
『詠唱』という魔法の制作過程で砲身を作り上げ、それが完成した時初めて砲弾が装塡される。そう考えれば、作り上げられる砲身の規模が大きいほど、つまり『詠唱』の時間が長いほど、炸裂する砲弾も大型となり威力も増すというわけだ。
逆に砲身の規模が小さければ威力は低くなるが、それは『詠唱』の時間が短いということだから、すぐに発動できるという利便性がある。
「本題に入るね。ボクの神友に聞いた話だと、詠唱文は魔法が発現した際【ステイタス】の魔法スロットに表示されるんだ。それを見て、魔法のトリガーを得ることになる」
「え……でもこの用紙には『詠唱』が記載されてないですけど……」
「そう、それなんだ。おっと、ボクが書き忘れたなんて勘繰らないでくれよ?」
【ホーリー・ファイアボルト】と書かれた魔法スロットには、それらしき詠唱文は存在しない。これでは魔法発動の足がかりも見出せないことになる。
ベルが首をひねっていると、ソラがポンと手を打った。
「あれ? それって俺が使う魔法と同じじゃないのか?」
「ソラ君の魔法と?」
「うん。俺たちは魔法を使う時、長い呪文は唱えないんだ。魔法を心の中で強くイメージすると出るんだ俺は、魔法を使うときは魔法名はその魔法に関係する言葉とかを叫ぶけどマーリン様やイェンシッド様は杖や指を振るだけで魔法を使うんだ」
異界の魔法使いのあっけらかんとした言葉に、ヘスティアは我が意を得たりと頷いた。
「ここからはボクの完全な推測だ。スロットに補足されている詳細情報、この文面、そしてソラ君の魔法の性質からすると、ベル君の魔法は……『詠唱』が必要ないのかもしれない」
ベルは動きを止めて、それからもう一度用紙を食い入るように見つめた。
詠唱文は一切表示されていなくて、唯一の情報が『速攻魔法』という僅かな説明のみ。
ヘスティアの読みが的中しているように、ベルも感じるようになった。というか、それ以外の可能性が思い浮かばない。
「威力のほどはわからないけど、詠唱はノータイム……『速攻魔法』。ソラ君の魔法の影響を色濃く受けたかのようにね。それで間違ってないとボクは思う」
「じゃ、じゃあ、この【ホーリー・ファ──むぐっ!?」
突如、ヘスティアとソラの両手が、左右からベルの口を塞いだ。
背伸びをしたヘスティアが、冷や汗を流しながらベルを見上げてくる。
「……迂闊に魔法の名前を言わない方がいい」
「むぐぅっ?」
「何がトリガーになっているかわからないけど、最悪君が魔法のフルネームを発音しただけで、発動することになるかもしれないんだよ!」
さぁっ、とベルの顔が青くなった。どんな効果かはまだわからないけれど、もし本当に無詠唱魔法で、こんな狭い地下室で展開してしまったら、ホームは粉々に吹き飛ぶかもしれない。
『いいかい?』と目で確認してくるヘスティアとソラに、ベルは勢いよく頷いた。ようやく口が解放される。
「結局推測だから、何が正しいかなんて当てにならないけど……明日ダンジョンで試し撃ちでもしてくるといい。それで君だけの魔法の正体がはっきりする筈さ」
「えっ、明日……?」
「おいおい、今からダンジョンへ向かう気かい? もう夜遅いし、シャワーも浴びちゃっただろう? 慌てなくても君の魔法は逃げたりなんかしないぜ?」
「あ、はい……そうですね」
苦笑を向けてくるヘスティアに、ベルはぎこちなく頷いた。
ソラも「明日、一緒にダンジョンで試してみようぜ!」と励ますように肩を叩く。
欠伸を手で押さえるヘスティアは仕事の疲れがピークに達しているようで、三人はすぐに就寝することになった。
歯磨きを済ませ、ぴょんとベッドに飛び込むヘスティアを見て、ソラがランプの灯りを消す。
ベルもソファーに寝転がり、明日への期待と不安を胸に抱きながら、静かに眠りに落ちていった……。
・
ヘスティアが深い眠りについたのを確認すると、ベルはこっそりとホームを抜け出した。
いてもたってもいられなかったのだ。新しく発現した自分の魔法を、一秒でも早く試してみたくてウズウズしていた。
夜の冷たい空気を切り裂きながらバベルへと向かい、静まり返ったダンジョンの入り口に足を踏み入れようとした、その時。
トン、と両肩に手が置かれた。
「ベル」
「ひゃあっ!?」
突然背後から名前を呼ばれ、ベルは心臓が飛び出そうになるほど驚いて振り返った。
そこには、見慣れたツンツン頭の少年――ソラが、腕を組んで立っていた。
「ソ、ソラ……!? どうしてここに……」
絶対に連れ戻される。ベルがギュッと身構えたが、ソラは「やっぱりか」と小さく笑って肩をすくめた。
そしてベルの横を通り抜け、当然のようにダンジョンへと続く階段を降りようとする。
「それじゃぁ、行こうか」
「えっ? 僕を連れて帰らないの……?」
目を丸くするベルに、ソラは振り返って優しく微笑んだ。
「だって、ベルの心が命じたことなんだろう? 心が命じたことは、誰にも止められないんだ」
「ソラ……」
「まぁ、夜のダンジョンは危険だからさ。俺が一緒に行けば、何かあっても大丈夫だろ? それに、少し試してからパパッと帰れば、ヘスティアも怒りはしないさ!」
ニカッと笑ってウィンクする異界の友人に、ベルは顔をほころばせて力強く頷いた。
・
第一層に降り立ち、さっそく暗がりから一匹のゴブリンが姿を現した。
「よしベル、新しい魔法を見せる時だ!」
「うん、やってみる!」
ベルはゴブリンに向けて右手を突き出し、精神を集中させた。
あの精神世界で誓った、炎のような光。それを思い描きながら、己の魂に刻まれたその名を叫んだ。
「――《ホーリー・ファイアボルト》!!」
カッ!と眩い閃光が弾けた。
ベルの手のひらから、白銀の光を帯びた炎の筋が一直線に放たれる。ゴブリンは成す術もなくその魔法に焼かれ、悲鳴を上げる間もなく魔石だけを残して消滅した。
「すごいや……!」
「やったなベル! 魔法大成功だ!」
ソラは我が事のように喜び、ベルの背中をバシバシと叩いて祝福した。
だが、すぐにソラは少し考え込むように首を傾げた。
「でもさベル、その魔法の名前、咄嗟に撃つ時ちょっと長くないか? 俺の魔法みたいに、短い単語やイメージだけで『炎よ!』とかはで別のモンスターで試してみない?」
ちょうど奥からもう一匹のゴブリンが現れたの確信したベルは言われた通り、今度はシンプルに強くイメージを固める。
「――炎よ!」
すると、先ほどと全く同じ白銀の炎が掌から放たれ、見事にゴブリンを灰に変えた。
「本当だ! これでも発動する!」
「おーっ! やっぱりベルの魔法は俺たちみたいなのでもいけるんだな!」
ソラが手を叩いて喜ぶが、ベルは自分の熱を持った手のひらを見つめて、少しだけ言葉を濁した。
「うん! ……でも」
「どうしたの?」
「正直、ソラの魔法を見た後だと、僕のはそんなに……すごくないというか」
ベルは素直な感想をこぼした。
ベルの魔法は前にソラが見せてくれたもの比べると小さい。もっと派手な戦い方を見せてくれるソラと一緒にいると、どうしても目が肥えてしまうのだ。
「俺と比べちゃダメだって。ヘスティアもいつも言ってるだろ、俺はこの世界の常識から外れてるって…」
ソラは照れくさそうに頬を掻きながら笑った。
「あはは、確かにそうだね……」
ベルは気を取り直し、前を向いた。
「よし、もっと魔法に慣れていかないと。次の獲物を探しに行こう!」
ベルが意気揚々と進もうとすると、ソラがヒョイと肩を掴んで止めた。
「魔法をもっと試したい気持ちはわかるけど、せっかくだからもっと強い敵で試そうよ。せっかくだし5層に行こう」
「あ、それもそうだね」
そうして二人は足早に5層へと向かう。ソラはベルに「肝心な時のために温存しておきなよ」と言って、道中の敵をキーブレードで軽快に排除していった。
5層に到着すると、運悪く周囲に敵の姿は見当たらなかった。
「ちょっと探さないといけないみたいだね。あ、そうだ。その間にベル、装備を変えないか?」
「装備を変える……?」
ベルが不思議そうな顔をすると、ソラは頷き、ポケットからカフスボタンのような小さなアクセサリーを取り出した。
「ああ。ベルの魔法は炎系だから、この《ファイアカフス》に変えた方がいい。これで炎魔法の威力が底上げされるはずだ。試してみてよ」
「あ、ありがとうソラ!」
ベルは感謝してソラから《ファイアカフス》を受け取り、耳飾りを付け替えた。装着すると、微かに体が温かくなるような不思議な感覚がした。ベルは手を軽く握りしめ、次の標的がいないか周囲を見回す。
幸運なことに、コボルドの群れが通路の曲がり角から現れた。犬の頭を持つ怪物たちはソラとベルを見つけると、凶悪な唸り声を上げて一斉に襲い掛かってくる。
ベルは目を細めて群れの中央に集中し、再び手を掲げた。
「炎よ!!」
詠唱と共に放たれた炎は、先ほどとは比べ物にならないほど強力で、そして巨大だった。
ズドンッ!という爆発音と共に、群れの大部分が吹き飛ぶ。コボルドたちは驚愕の声を上げ、パニックを起こして散り散りになり始めた。
逃げ惑うコボルドに対し、ベルは即座に次弾を発射した。だが、焦ったせいか、その軌道はどのコボルドにも向かっていない明後日の方向へ飛んでいく。
(あ、外した……!)
ベルが眉をひそめた、次の瞬間だった。
なんと炎の弾が空中でギュイッと不自然に軌道を変え、逃げるコボルドの背中を正確に追尾して焼き尽くしたのだ。
「え……?」
ベルは呆然としたが、すぐに頭を切り替えて残りの掃討に集中した。
戦闘が終わると、ベルはただただ驚愕していた。目の前には黒焦げになったコボルドの死体と、パラパラと崩れ落ちる灰があるだけだ。
その光景を見てソラは少し思案しあることに気づく。
「なぁ、ベル。魔法について、ちょっと面白いことに気づいたんだ」
「ほ、本当? 何に気づいたの?」
「うん。俺は今まで、いろんな世界のいろんな炎魔法を見てきたんだ。俺のファイア、ドナルドの、アクセルの、リクの、ハートレスの……それに、ハデスとかもね。それぞれ性質が違う感じがするんだけど、ベルのは他とは決定的に違うんだよ」
「ど、どう違うの?」
「まず、俺がファイアを使うと、色は普通の『赤』なんだ。見てて……」
ソラは手を銃の形にして構え、基本的なファイアを放った。真っ赤な火の玉が空を切り、壁に当たって小さな焦げ跡を残すのを二人で見守る。
「でも、ベルの炎は『純白』だった。ただの火じゃなくて、なんだか『光』の力も混ざってるみたいだったんだ」
「光の力?」
「うん。それに、ベルの魔法の名前って『ホーリー・ファイアボルト』だろ? もしかして、『
ソラの仮説に、ベルは衝撃を受けた。
「ええっ!? 一つの魔法で、三つの属性が!?」
「ちょっと見てて。――光よっ!」
ソラがお手本とばかりにキーブレードで空を指さすと、天井から一本の眩い光の柱が出現し、薄暗い通路を神々しく照らし出した。
「――
続けてソラが叫ぶと、バリバリッと激しい雷撃が離れた場所の壁に直撃し、岩を砕いた。
「ほら、こんな感じ。ベルもやってみなよ!」
「う、うん……! ――光よ!」
ベルが真似をして手を掲げると、ソラのものよりはずっと小さいが、確かに淡く温かい『光の柱』が立ち上った。
「――
さらに指先から、小さな紫電が弾け、パチンと空気を焼いた。
「す、すごいや……! 本当に出た! 僕、他の属性も使えるんだ!」
ベルは自分の手を見つめ、信じられないものを見るように目を輝かせた。
「よし、じゃあ色々試してみよう!」
そこからは、まるで遊びのような、けれど真剣な特訓が始まった。
ソラが魔法の手本を見せ、それをベルが見よう見まねで発動させる。炎の軌道を変えたり、光で目眩ましを作ったり、小さな雷を連続で放ったり。
威力や規模こそソラには及ばないものの、魔法を操る感覚とコツをベルは次々とスポンジのように吸収していった。
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「ふぅ。そろそろ帰ろうか。ヘスティアが起きる前にさ」
ソラがそう提案した時、ベルは「待って、ソラ」と呼び止めた。
心地よい疲労感の中で、ベルの瞳には確かな自信が宿っていた。
「最後に一つだけ、試したいことがあるんだ」
「試したいこと?」
ベルはコクリと頷き、通路の奥から新たに湧いて出た一匹のコボルドと正面から向き合った。
そして、腰からヘスティア・ナイフを引き抜く。
ベルはナイフを両手でしっかりと握りしめ、顔の高さに構えて高く掲げた。
(炎、光、雷……三つの力を、一つに……!)
「――はあぁぁぁっ!」
気合いと共に、ベルの
すると、ヘスティア・ナイフの黒い刀身を包み込むように、赤き『炎』、眩い『光』、そして紫電の『雷』が螺旋状に絡み合い、巨大で複合的な光の刃となって天へと伸びたのだ。
「いっけぇぇぇ!!」
ベルは上段から、その巨大な複合魔法剣を力任せに振り下ろした。
コボルドは悲鳴を上げる間もなく、光と炎と雷の奔流に飲み込まれ、一刀両断に切り裂かれた。跡には、焼け焦げた魔石だけがポツンと落ちている。
「……やったぁ!!」
ベルはナイフを掲げ、飛び上がって歓声を上げた。
「すっげえ! すごいよ、ベル!」
ソラも目を丸くして驚き、すぐさま駆け寄ってベルとハイタッチを交わした。
「──ぅ、ん?」
その直後だった。
グラリ、とベルの視界で異様な音が鳴った。
「ぇ……?」
それは本当に、突然訪れた。
急激にベルの頭の芯が痺れ、足がおぼつかなくなる。自分がしっかりと地面を踏んでいるのかさえわからない。
先ほどまで全身に満ちていた力が、嘘のようにスッと抜け落ちていく。
視界がぐにゃりと頼りなく揺れた後――ベルは、急速に迫ってくる冷たい石の地面を最後に見て、あっさりと意識を手放した。
「ええっ!? べ、ベルーーっ!?」
突如として糸が切れたように倒れ込んだベルに、ソラが慌てて駆け寄り、抱き起こす。
――初めての魔法の連続使用、および複合魔法剣の全力発動による『
魔力を限界まで振り絞った結果引き起こされる、オラリオの冒険者にとってはごく一般的な症状である。
だが、そんなオラリオの常識を知る由もないソラは、完全にパニックに陥っていた。
「ベル! おい、しっかりしろベル!」
揺すっても、ベルはスースーと寝息を立てるだけでピクリとも動かない。
魔法を撃ち放ち、そのまま力尽きたように意識を失って倒れる。ソラの記憶の中で、その状況に合致する光景は一つしかなかった。
かつてテラノートに、ドナルドが自身の命を削るかのような大魔法――『ゼタフレア』を放ち、そのまま倒れ伏したあの絶望の瞬間だ。
「まさか……!もう、目覚めないんじゃ……っ!?」
ソラの顔からサーッと血の気が引いていく。自分せいで、ベルが取り返しのつかないことになってしまったのだとしたら。
「ど、どうしよう、ケアル!?ラストエリクサー!? いや、こういう時は……!」
ソラが半泣きになりながらベルを抱き抱え、盛大にテンパっていた、その時だった。
カツン、カツン。
静まり返ったダンジョンの奥から、静かな足音が二つ、近づいてきた。
「……?」
ソラがハッとして顔を上げると、薄暗い通路の奥から二つの人影が現れる。
一人は、豪奢な杖を持った翡翠色の髪のハイエルフ。
もう一人は、金髪と金眼を持つ、剣士。
偶然にも深層からの帰還途中であった【ロキ・ファミリア】の、リヴェリアとアイズの二人だった。
アイズは、半泣きでパニックになっているソラと、彼に抱きかかえられてぐったりとしている白髪の少年を交互に見つめ、不思議そうに小首を傾げた。
「ソラと?…あの子は……もしかして?」
この小説ではキングダムハーツでのアクセサリーや装備での1はダンまちで対応するステータスに+100みたいな感じにしています。
なので今話のベルはヒーローズグローブ、森のブローチ、ファイアカスフを付けて耐久+400、筋力+200、魔力+400に加えて装備効果でアイテムの効果上昇、動き続けると回復、ファイア系の威力が20%上昇しています。