キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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第17話 妖精の粉と白紙の魔導書と。打算を砕く愚直な優しさ

 オラリオの裏通りにひっそりと佇む廃教会の扉が、ギシッと重い音を立てて開いた。

 

「おかえり、ベル君……それでボクの言葉を無視してダンジョンで魔法を試した感想は?」

 

 待ちくたびれていたヘスティアは、不貞腐れたような顔を浮かべて二人を出迎えた。

 だが、ソラに肩を貸されてフラフラと帰ってきたベルの姿を見るなり、その不満げな表情が一変する。

 

「って、ベル君!? 顔色が真っ青じゃないか、大丈夫かい!?」

「ご、ごめんなさい、神様……ちょっと、ダンジョンで色々あって……」

 

 ソラはベルを教会の古びたソファに寝かせると、大きく息を吐き出した。

 精神疲弊からは回復したものの、立て続けの激戦と未知の強敵との遭遇、そしてルクソードから告げられた衝撃的な事実により、ベルの心身は限界に達していたのだ。

 

 ヘスティアが慌てて水桶とタオルを用意し、ベルの額の冷や汗を拭う。一息ついたところで、彼女は不思議そうにソラを見上げた。

 

「それで、ソラ君。一体ダンジョンで何があったんだい? まさか、『ハートレス』の大群に襲われたのかい?」

 

 ヘスティアの問いかけに、ソラは少しだけ表情を険しくして首を横に振った。

 

「ハートレスじゃないんだ。……ダンジョンに『ノーバディ』と『XIII機関』が現れたんだ」

「……なんだって!?」

 

 その単語を聞いた瞬間、ヘスティアは青い目を限界まで見開き、顔からスーッと血の気を引かせた。

 以前、ソラから事情を聞かされていた彼女は、その名前が何を意味するのかを十分に理解していたのだ。

 静まり返った深夜の廃教会に、ヘスティアの鼓膜を破らんばかりの絶叫が響き渡った。

 

「──はぁあ!? この世界にノーバディとXIII機関がぁっ!?」

 

 ソラはヘスティアの言葉に疲れたように肩をすくめると、ヘスティアは頭を抱えて「あああああ……」とその場にしゃがみ込んでしまった。

 

 

 数十分後。

 ソファで少し休んだことでようやく顔色を取り戻したベルが目を覚ますと、廃教会の古びたテーブルを囲むようにして、三人での緊急の会議が開かれていた。

 

「ねえ、ソラ君」

 

 テーブルに身を乗り出し、ヘスティアが深刻な面持ちで切り出す。

 

「そもそも、このオラリオに突如として現れ始めたハートレスは、そのXIII機関ってやつらの仕業なんじゃないのかい? そいつらが裏で糸を引いてるなら、辻褄が合う気がするんだけど……」

 

 神としての鋭い推察だったが、ソラは腕を組みながらゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、違うと思う。ルクソードのやつ……自分たちも『この世界に囚われた』って言ってたんだ」

「囚われた……?」

「ああ。それに、もしあいつらがハートレスを呼び出している元凶なんだとしたら、あの場所での戦い方がおかしい」

 

 ソラは当時の状況を思い返すように目を細める。

 

「あいつらがハートレスを操ってるなら、俺たちを試すのにわざわざノーバディを使う必要はないんだ。ダンジョンに湧いてるハートレスをけしかければ済む話だからな。でもルクソードは、ノーバディだけを使ってた。それは、あのダンジョンにいるハートレスをあいつらが制御できていない……つまり、あいつらは元凶じゃない」

 

 ソラの的確な反論に、ベルもハッとしたように顔を上げ、ヘスティアも「なるほど……」と唸って顎に手を当てた。

 

「つまり、XIII機関もまた、ボクたちと同じようにこの異常事態に巻き込まれた側ってことかい……?」

「たぶんな。ただ、あいつらは何か別の目的があって動いてるんだと思う」

 

 ソラの言葉に、ヘスティアは腕を組んで小さく頷いた。そして、横で考え込んでいるベルへと視線を向ける。

 

「次に気になるのは、ルクソードとかいう奴が言っていたXIII機関の『新入り』についてさ。そいつ、わざわざ『彼女』って言ってたよね。……ベル君、誰か思い浮かぶ人はいないのかい? 君と深い関係がある女性だって言われてたけど」

 

 ヘスティアの問いかけに、ベルはうつむいたまま、ひどく困惑したように眉根を寄せた。

 

「……分からないです。僕と深い関係にある女の人なんて、神様しか……」

 

 ベルが純粋な瞳でそう答えると、ヘスティアの頬がポッと赤く染まる。

 だが、すぐに彼女は「ゴホンッ」とわざとらしく咳払いをし、なぜか急にそわそわと落ち着きのない様子で腕を組み直した。

 

「そ、そうか……。いや、でももし本当にその新入りと会うことになったら、ボクは今からしっかり覚悟を決めておかないといけないな……うん、身だしなみとか、言葉遣いとか……」

「覚悟? なんでヘスティアが覚悟するんだ?」

 

 一人でぶつぶつと呟き始めたヘスティアに、ソラが頭の上に疑問符を浮かべて尋ねる。

 するとヘスティアは、ビシッとソラを指差して真剣な顔で答えた。

 

「もしかしたら、そのノーバディってやつは、ベル君の『お母さん』かもしれないだろ……っ!? もしそうなら、ベル君の……いや、主神として、ご家族にはしっかりとした挨拶をしなければいけないじゃないか!」

 

 斜め上の方向へ飛躍したヘスティアの想像に、ソラは「えぇ……そっち!?」と呆れたような声を漏らす。

 だが、その言葉を聞いたベルの瞳だけは、微かに揺れていた。

 

(……おかあさん)

 

 迷宮の冷たい床で気を失いかけた時。

 アイズの温かい膝枕の中で、無意識に唇からこぼれ落ちたその単語。顔も知らない、会ったこともない、ただ幻想の中でだけ思い描いていた存在。

 

「お母さん……」

 

 ベルは自分の胸元に手を当てながら、誰にも聞こえないほどの小さな声で、もう一度その言葉をぽつりと呟いた。

 

 そんな中、ヘスティアの視線が、テーブルの上に置かれた一つのアイテムへと向けられた。

 

「ねえ、ソラ君。さっきから気になってたんだけど……その小瓶はなんだい?」

 

 それは、ダンジョンでルクソードが去り際にソラへと投げ渡していった、謎の粉が入った小瓶だった。

 ソラは何かを思案するようにじっと小瓶を見つめていたが、やがてポンッと蓋を開け、中のきらきらと光る粉を指先で少しだけ摘み取った。

 そして、いきなり自分とベル、ヘスティアの頭上に向かって、その粉をパッと撒き散らしたのだ。

 

「わっ、ちょっとソラ君!? 急に何を……」

 

 きらきらと光る金色の粉を被り、ヘスティアが文句を言いかけた次の瞬間。彼女とベルの目は、信じられないものを見るように限界まで見開かれた。

 なんと、ソラの体が重力を完全に無視して、ふわりと宙に浮き上がったのだ。

 

「えっ……ソラが!? 浮いてる!?」

「な、ななな、何をどうやったら急に宙に浮くんだい!? というか、今の粉は一体なんなのさ!?」

 

 驚愕して身を乗り出すベルとヘスティアを見下ろしながら、ソラは納得したように頷き、宙であぐらをかくような姿勢をとった。

 

「これは『妖精の粉』って言うんだ」

「妖精の……粉?」

「あっ……! それって、前にソラが教えてくれた空を飛んで、フック船長と戦ったていうピーターパンの……!」

 

 英雄譚や冒険譚が大好きなベルがハッとして身を乗り出すと、ソラはニカッと笑って頷いた。

 

「そうそう、信じる心があれば、空を飛ぶことができる不思議な粉なんだ。ヘスティアたちもやってみなよ。空を飛べるって信じて、体を上に向けてみて」

 

 ソラに言われるがまま、半信半疑ながらもベルとヘスティアは空を飛ぶイメージを強く念じ、体をぐっと上へと向けてみる。

 すると――ふわり、と。

 

「うわあっ!?」

「ひゃわっ!?」

 

 二人の体が、まるで風船のようにふわりと床から離れ、廃教会の天井へ向かってゆっくりと浮かび上がり始めたのだ。

 

「と、飛んでる!? 神様、僕たち浮いてるます!? すごいよ、ソラ!」

「す、すごいじゃないか! ボク、今本当に空を飛んでるぞ!」

 

 空を飛ぶという初めての感覚に、目を輝かせて空中ではしゃぐベルとヘスティア。

 そんな無邪気に喜ぶ二人を横目に、宙に浮かんだままのソラは腕を組み、一人深刻な顔で思案していた。

 

 ピーターパンやティンカーベルがいたネバーランドにしか存在しないはずの、妖精の粉。

 ルクソードが語った『ダンジョンがあらゆる世界から様々なものを吸い込んでいる』という言葉が、ただの戯言ではなく恐るべき真実であることを、ソラは肌で実感させられていたのだった。

 

 

 

 

 妖精の粉による空中遊泳の興奮もそこそこに、ようやく床に降り立った三人。

 ヘスティアが「お茶でも淹れようか」と少し離れた台所スペースへ向かった隙に、ソラはふと部屋の隅に置かれていた分厚い本に目を留めた。

 それは、今日ベルが新しい魔法を覚えるために読んでいたという本だ。

 ソラは何気なくその本を手に取り、ページを開いて――ピタリと動きを止めた。

 

「なぁベル……どうやってこの本から魔法を覚えたんだ? オレには中身が真っ白に見えるぞ……」

 

 パラパラとページをめくりながら、ソラは眉を上げて尋ねた。

 

「真っ白? 何を言ってるのソラ? ちゃんと文章が――」

 

 不思議そうに覗き込んだベルもまた、完全に白紙となっているページを見て言葉を失った。

 

「えっ……?」

 

 ベルは困惑と混乱の中で呟いた。さっきまで確かに読めていたはずの文字が、綺麗さっぱり消え失せている。

 

「どうして……?」

 

 二人が首を傾げて本を見つめていると、お茶の準備をして戻ってきたヘスティアがその様子に気付いた。

 

「おいおい、二人ともどうしたんだい?」

「ああ、いや。ベルが魔法を覚えるのに使った本を見ようと思ったんだけど、真っ白でさ。ベルも理由が分からないみたいなんだよ、ヘスティア」

 

 ソラの言葉を聞いて、ヘスティアはパチクリと青い目を瞬かせた。

 

「え、本当かい? ボクにちょっと見せてみな」

 

 ソラから本を受け取ると、ヘスティアはその白紙の内容を確認し始めた。しかし、ページをめくるにつれて、彼女の目がゆっくりと限界まで見開かれていった。

 

「ベル君……ボクがステイタスを更新する前、何をしてたんだい……?」

 

 ヘスティアが、どこか恐る恐る尋ねる。

 

「魔法について学ぶためにその本を読んでいたんですけど……どうしてそんなこと聞くんですか?」

「……コレは、魔導書(グリモア)じゃないか」

「ぐ、ぐりもあっ?」

 

 耳にしたことのない単語をベルが聞き返す。嫌な予感は、既に汗となって彼の顔に表れ始めていた。ソラも隣で「なんだそれ?」と不思議そうに首を傾げている。

 

「簡単に言っちゃうと、魔法の強制発現書さ。『発展アビリティ』なんて言ってもわからないと思うけど、とにかく『魔導』と『神秘』っていう希少なスキルみたいなものを極めた者だけにしか作成できない、著述書なんだ……」

 

 その言葉に、ベルの体中の汗腺という汗腺が開いたような気がした。二種類の『発展アビリティ』修得者――つまり、最低でもLv.3以上の高位魔導士にしか作れない代物。そんじょそこらの冒険者より遥かに強い人でそれこそ、『賢者様』って言われる伝説の御方と同じような職種の人の執筆作品と考えるベルの思考は停止し壊れた薄笑いを浮かべて石になる。

 

「君の魔法の発現はこれか……。ちなみにベル君、この魔導書(グリモア)は一体どういう経緯で今ここにあるんだい?」

「知り合いの人に、借りました……。誰かの落し物らしい、デス……」

「ソ、ソレ……値段はいくらくらいするんだ?」

 

 引き攣った笑いを浮かべるベルの横で、ソラが恐る恐る尋ねる。

 

「ヘファイストスの一級品装備と同等、あるいはそれ以上さ。オークションじゃ目の飛び出るような価格で取引される代物だよ」

 

 ビキリッ、と。石と化したベルの体に罅割れが走る音がした。

 

「ちなみに、一回読んだら効能は消失する。使い終わった後はただの紙束、重いだけの奇天烈書さ……」

 

 ヘスティアの言葉を聞いたベルの顔色は土気色になり、ソラはただ呆気にとられて瞬きをするしかない。重苦しい沈黙がホームに落ちた。取り返しのつかないことをやらかしたベルは、絶望一色に染まる。

 

 すると、感情を殺した能面のような顔でうつむいていたヘスティアが、やがて椅子を持ってトコトコとベルの前に運んできた。

 その上に乗って両手をベルの肩にポンと置き、高い目線から語りかけてくる。

 

「いいかい、ベル君? この部屋で起きたことは他言無用だ。君は本の持ち主に偶然会った。そして本を読む前にその持ち主に直接返した。だから本は手元にない、間違っても使用済みの魔導書(グリモア)なんて最初からなかった……拾った時には白紙だったとしらばっくれるんだ。絶対に知られてはいけないよ!」

「黒いですよ神様!?」

 

 息をするように誤魔化そうとする主神に、ベルが悲鳴を上げる。

 

「で、でもそんな嘘つけません! これは……!」

「聞くんだベル君! 下界は綺麗事じゃまかり通らないことが沢山あるんだ。ボクはそれをこの目で見てきた。残酷な現実に直面することだってある! 何年もかけて返済しなきゃならない借金を背負いたいのかい!?」

 

 ヘスティアはベルに言い聞かせると、今度はゆっくりとソラの方を向いた。

 

「いいかいソラ君、ボクたちの皿はもう手一杯なんだ。これ以上の借金なんて背負えない。ただでさえソラ君のグミシップの借金だって、最近ようやく返済の目途が立って来たところじゃないか……これ以上借金を増やして、君たちの冒険の足かせにはしたくないんだ!」

「いや、でも椿やヘファイストス様が結晶を買い取ってくれるなら大丈夫じゃないか?」

 

 ソラが楽観的な解決策を口にするが、ヘスティアは眉を吊り上げて声を荒げた。

 

「ミアハのとこの技術でできるかの保証がまだないんだよ! そんな不確かなものに縋って、もしダメだった時に何千万ヴァリスっていう途方もない借金を君たちに背負わせるなんて……主神として、そんな無責任なことできるわけないじゃないか!」

 

 切実で、誰よりも自分たちの未来を案じてくれているヘスティアの言葉に、ソラも思わず口ごもってしまう。

 しかし、現実的なファミリアの台所事情と、これ以上大切な人たちに迷惑をかけられないという強烈な罪悪感に耐えきれなくなり、ベルは悲鳴のように声を上げた。

 

「と、とにかくっ、この本を貸してくれちゃった人に、僕、事情を話してきます!」

「だめだ、ベル君!! 世界は神より気まぐれなんだぞ!」

「こんな時に名言生まないでください!? 隠したっていつかバレるに決まってるじゃないですか!」

 

 もうこうなったら、包み隠さず話して全力の『土下座』に賭けるしかないと考えたベルはヘスティアの制止を振り切ると、真っ白になった魔導書(グリモア)を片手に、廃教会のドアを蹴り破って夜の街へと駆け出していった。

 

 ベルはヘスティアの制止を振り切ると、真っ白になった魔導書(グリモア)を片手に、廃教会のドアを蹴り破って夜の街へと駆け出していった。

 バタンッ! と勢いよく閉まったドアを見つめ、室内に再び静寂が降りる。

 

「あーあ、行っちまったな」

 

 ソラは頭を掻くと、やれやれと肩をすくめた。そして、頭を抱えて力なく項垂れているヘスティアへと向き直る。

 

「ヘスティア、オレもちょっと出かけてくるよ」

「ソラ君もかい? こんな早朝にどこに……?」

「ウラノス様に、『ノーバディ』と『XIII機関』のことを伝えにギルドに…」

 

 ソラの真剣な言葉に、ヘスティアは重い溜息をつきながらゆっくりと頷いた。

 

「……あぁ、そうだね……気をつけて行っておいで、ソラ君」

「おう! ベルのことは心配しないでよヘスティア、ベルならきっちり誠意を見せてなんとかするさ。じゃあな!」

 

 ソラはヘスティアを少しでも安心させるようにニカッと笑うと、ベルの後を追うように素早い身のこなしで廃教会を飛び出していった。

 

 二人の少年が足早に去り、古びたホームにはヘスティアただ一人が取り残された。

 隙間風の吹き込む冷たい教会の中で、彼女はテーブルの上に残された『妖精の粉』が入った小瓶をそっと手に取る。

 

 数千万ヴァリスという途方もない魔導書(グリモア)の借金問題。

 迷宮都市の新たな脅威となりうるかもしれない『ノーバディ』と『XIII機関』。

 そして、ベルと深い関係があるという『新入り』の存在――もしかしたら、ベルの母親かもしれないという得体の知れない影。

 

 次から次へと押し寄せる常識外れの事態に、ヘスティアは神としての頭脳をフル回転させても処理しきれないほどの眩暈を覚えていた。下界に降り立ったばかりの弱小ファミリアの主神が背負うには、あまりにも重すぎる現実がいくつも重なっている。

 神の力(アルカナ)の行使を禁じられたこの下界では、彼女はソラ達の戦いを直接手伝うことができず、ただ彼らの無事を祈り、待つことしかできない。その不甲斐なさと、何もしてやれないもどかしさに、ヘスティアは悔しさで唇を噛み締めた。

 不安に押し潰されそうになる心を奮い立たせ、ヘスティアは手の中の小瓶をきつく握りしめる。

 たとえ相手が異世界の化物であろうと、理不尽な天文学的数字の借金であろうと、決して屈するつもりはない。愛する眷族たちの帰りを待つ主神の瞳には、揺るぎない決意の炎が静かに、しかし力強く灯っていた。

 

 

 

 

『豊穣の女主人』へ向かい、女将のミアやシルに土下座の勢いで一部始終を説明して送り出されたベルは、大通りでギルドへの報告を済ませたソラと合流していた。

 

「ソラ。僕はこれからポーションの補充にミアハ様の店へ行ってくるから、先にダンジョンに行っててよ」

 

 大通りを並んで歩きながらベルが告げると、ソラは首を横に振った。

 

「いや、オレもミアハ様のところに用があるから一緒に行くよ」

「ミアハ様に? ソラが一体何の用なの?」

 

 不思議そうに首を傾げるベルに、ソラは声を潜めて「『合成』について」と切り出した。

 

「合成……?」

「ああ。実は、ダンジョンでハートレスからドロップしたの素材を使えば、より強力な素材だけじゃなくて、ポーションや武器も作れるんだ」

「武器も作れるの!?」

「そう。それをオラリオでも代用できないかミアハに相談してみようと思ってさ」

 

 その言葉を聞いて、ベルはハッと目を丸くした。昨夜、ヘスティアと魔導書(グリモア)の借金について深刻な話をしていた際、ソラが一人だけ「大丈夫じゃないか?」と楽観的な解決策を口にしていた理由がパズルのように繋がったのだ。

 

 ソラの確信に満ちたアイデアに、ベルは心底ほっとしたように深く頷いた。そんな希望に満ちた会話を交わしているうちに、二人は目的の店――【ミアハ・ファミリア】が営む薬屋の前へと到着した。

 ベルとソラが薄暗い店内に入ると、一人の獣人の女性が戸棚の中身を物色していた。彼女は二人のことに気付くと、半分瞼の下りた瞳を向けてくる。

 

「おはよう、ベル。久しぶり……」

「おはようございます、ナァーザさん。今日は友だちも一緒なんです」

 

 ベルが隣の少年を紹介すると、ソラは持ち前の明るい笑顔で一歩前に出た。

 

「はじめまして! 俺はソラ。ベルと一緒に冒険してるんだ。よろしくな!」

「よろしく、ソラ……。ねえ、自己紹介のついでに、このハイ・ポーションなんて買ってみない……?」

 

 ナァーザは挨拶もそこそこに、カウンターの下から数万ヴァリスもするハイ・ポーションをすっと差し出してきた。相変わらずの抜け目なさである。

 

「えっと、ごめん。ポーションの持ち合わせはまだあるから平気なんだ。それより、ミアハ様っていないかな?」

「ミアハ様は私用で夕方まで帰ってこない。今日は私一人だけ……」

「そっか。じゃあ、ナァーザにお願いしてもいいかな? はい、これ」

 

 ソラはポケットから手書きのメモ用紙と、ハートレスからドロップしたしずくやカケラを取り出してカウンターに並べた。

 

「……これは?」

「このレシピに書かれた素材で合成すると、アイテムができるはずなんだ。素材は揃ってるから、お願いできないかな。もちろん、報酬も払うよ」

「ふーん……。これが最近噂になってる、『ハートレス』からドロップしたっていう素材……。いいよ、作ってあげる。でも、それなら何かうちで買っていってよ……」

「うーん、それもそうか。じゃあ、さっきのハイ・ポーションを一つ…」

 

 ソラが気前よく頷くと、ナァーザの犬耳がぴくりと動いた。

 

「まいどあり。……じゃあ、ベルの分も合わせて二つで130000ヴァリス…」

「ええっ!? ぼ、僕の分もですか!?」

 

 いきなり高額商品の巻き添えを食らい、ベルは激しく動揺した。不味い、このままだとパーティの資金が一気に飛んでしまう、と内心で焦り出す。

 

「あ、あの! そ、そういえば昨日、ダンジョンに潜っていたらおかしなことがあってですね!? 魔法を使ったら急に気絶しちゃって……!」

 

 咄嗟に話題を逸らそうと、ベルは昨夜の失敗談を早口でまくし立てた。しかし、それが致命的な隙だった。ナァーザは黙って話を聞き、それから「ああ」と呟く。

 

「だったらこの精神力(マインド)を回復させるこのポーションを飲んで、未然に防ぐ。最近作ったばっかりだよ……。ベルはお得意さんだから、この二つポーションとセットにして、特別に9000ヴァリスで売ってあげる……どう?」

「うっ……」

 

 完全に逃げ道を塞がれた形だ。9000ヴァリスの出費はベルにとって正直痛過ぎるが、ダンジョンでは何が起きるかわからない。ソラという頼もしい仲間がいるとはいえ、備えはちゃんとしておいた方がいいのは確かだった。

 

「……わかりました。それで、買います」

「ありがとう、ベル。愛してるよ……」

 

 瞼を半分下げたまま笑いかけ、臆面もなくそんなことを言ってくるナァーザにベルは赤面させられ、品物を受け取ってすぐ立ち去る。

 

「ばいばい」と手を振るナァーザに別れを告げ、ベルとソラは店を出る。

 

「ちょろいな、二人とも……」

 

 結果としては130000ヴァリスは得られなかったがソラにハイ・ポーションが一つ売れ、ベルから9000ヴァリスを得られたことにナァーザはぼそりとつぶやくが、ベルは幻聴だ、うん、きっと幻聴だ、と自分に言い聞かせながらと何も聞こえなかったことにしたのだった。

 

 

 

 ミアハ・ファミリアの店を発ったベルとソラは、西の大通りを進んでバベルのそびえ立つ中央広場に出た。

 晴れ渡る空の下、今日も広大な円形広場には、完全武装した戦士たちが集まっている。

 

「おかしいな。リリ、まだ来てないのかな……?」

 

 ベルは集合場所にリリの姿を探してみたが、視界の中にそれらしきサポーターの女の子はいない。ソラも背伸びをして周囲を見回す。

 

「いつもならもう来てる時間だろ? ……あ、おいベル。あそこ」

 

 ソラが指差した先。広葉樹がぽつぽつと等間隔で植えられた広場の一角、木洩れ日が落ちる木陰に、リリと柄の悪そうな男たちの姿があった。

 三人の大の男が小さなリリを取り囲んでいる。彼らはすごい形相で何事かを言い放ち、リリは必死に顔を横に振っていた。決していい雰囲気ではない。

 

(もしかして、【ソーマ・ファミリア】の構成員達……?)

 

 その考えが頭を過ぎった瞬間、ベルとソラは脇目も振らずそちらへ向かって駆け出していた。

 

「……いいからっ……寄こせっ!」

「もうっ……ない……ですっ! 本当に……!」

 

 男たちの怒声と、悲痛なリリの声が届いてくる。

 焦るベルが彼らの死角となっている広葉樹を避けて、すぐさまその場に飛び込もうとした、その時だった。

 

「おい」

 

 突然、動きを邪魔するかのように背後から肩を強く摑まれる。驚いて振り返ると、そこにはロングソードを背負った、体格のいい黒髪のヒューマンの男が立っていた。

 

(って、この人……!)

 

 ベルはその顔に見覚えがあった。以前、路地裏で初心者のパルゥムを脅していた冒険者の男だ。

 

「やっぱりあの時のガキか。……横のツレは知らねえが、まぁいい。聞くぜ。お前ら、あのチビとつるんでるのか?」

「……あの子は、あなたが以前追いかけていた子とは違う子ですよ」

 

 苛ついた表情をする目の前の男に、ベルは半ば反射的にそう答えると……男は唇を歪めて、下劣に嘲笑った。

 

「バァカ……と言ってやりてえが、思うのはてめえの勝手だな。せいぜい間抜けを演じてろ」

 

 まるでベルたちが騙されているとでも言いたげな口振りだ。男は嘲笑を引っ込めると、不気味に顔付きを改めた。

 

「それよりお前ら、俺に協力しろ。……あのチビをはめるんだ」

「なっ……」

「なんだって?」

 

 いきなりの提案に、ベルは言葉を失い、ソラはスッと目を細めた。男は本気でそう言っているようだった。

 

「タダとは言わねえよ。お前らはいつも通りを装ってあのチビとダンジョンにもぐればいい。後は適当にはぐれて、アイツを孤立させろ。後は俺がやる。……アレから金を巻き上げたら、分け前もくれてやるよ。簡単だろ?」

 

 口の端を裂いて、男は思いっ切り笑った。

 これまで触れたことのない卑劣な臭み。寒気と嫌悪が体中を駆け巡る一方、ベルは両拳を限界まで強く握りしめていた。

 

「何で、そんなことを言うんですかっ……!」

「ああ? うるせえよ、てめえらは素直にハイって頷けばいいんだ。たったこれだけで金が手に入るんだ、美味い話じゃねえか。よぉく考えろ、アレはただの荷物持ちだぜ? 大した役にも立ちはしねえ能無しが居なくなったって、痛くも痒くもねえだろ? 搾れるだけ搾って、後は捨てちまえばいい」

 

 沸点が限界を越えた。

 あの路地裏の時とは違う。怖気付く暇もなく、決定的な怒りがベルの体を支配し、一歩前に出ようとした――その時。

 ベルよりも早く動いたソラは堂々と前に出た。

 

「絶対に嫌だ」

「あぁん!?」

「お前の言ってることは、ただの強盗と殺人の勧誘だ。間違いなく犯罪だろ。ガネーシャ・ファミリアが聞いたら、ただじゃ済まないぞ」

 

 氷のように冷たく鋭いソラの言葉に男は露骨に顔をしかめて舌打ちをした。

 

「チッ……クソガキどもが!」

 

 男は忌々しげに悪態をつくと、苛立った様子で踵を返し、人混みの中へと歩き去っていった。

 目元に固まる険をどうしても取り除けないまま、ベルたちは遠ざかっていくその背中を見続ける。

 

「……ベル様? ソラ様?」

 

 背後からの聞き慣れた呟きが聞こえ、2人は振り返ると、すぐ後ろでリリが呆然と二人を見上げていた。

 いつの間にか、彼女を取り囲んでいた男たちの姿はなくなっている。それまで燃えていた怒りの感情が急激に萎え、ベルは不意の出来事に取り乱した。

 

「リ、リリっ? いつからそこに?」

「ちょうど今ですけど……お二人は、あの冒険者様と何をお話していらっしゃったんですか?」

「えーと……いやぁ、ちょっといちゃもんをつけられちゃって……」

 

 ベルは何とか出まかせを口にした。目の前の本人を陥れ、命を奪うための交渉だったなどと、言える筈がない。

 ソラもキーブレードを光の粒子に変えて消すと、誤魔化すように頭を掻いて苦笑いを浮かべるが、リリは口を引き結び、少し暗い表情をしていた。

 

「そ、そうだっ! それよりリリ、何だか男の人たちに絡まれていたみたいだけど、大丈夫だった!?」

「見ていらっしゃったんですか……。安心してください、リリはこの通り無事ですから」

 

 リリは両手を広げてくるりとその場で回り、最後にフードの下で微笑んでみせる。乱暴された跡もなく、本当に危害は加えられなかったようで、ベルは深く安堵の息を吐いた。

 

「リリ、あの人達は……」

「リリもお二人と一緒で、いちゃもんをつけられてしまいました。リリもベル様たちも、やはり弱っちく見えてしまうんでしょうか?」

 

 ベルの問いかけは、明るい声で遮られた。

 冗談を織り交ぜながらにこにこと笑うリリは、明らかにこれ以上の追及を拒絶している。

 

「さぁ、行きましょうベル様、ソラ様。リリは二日も探索をサボってしまったので、今日はダンジョンでのお二人のご活躍を期待させてもらいますよ?」

 

 ベルたちの脇を通って、リリはバベルの塔へと足を向けた。こちらに振り返ると、揺れる前髪からのぞく大きな栗色の瞳が、何事もなかったように目尻を緩ませている。

 ベルもソラも、それ以上は何も言わなかった。口を閉ざし、黙って小さな背中の後を付いていく。

 今は前を向いてしまったリリがどんな顔をしているのか。騒がしい雑踏に耳を塞がれながら、ベルはずっと考えていた。

 

 

 ソラたちがダンジョンに入り、これまでの経緯を説明し終えた後。一行はいつも通り、迷宮内でハートレスの討伐と探索を再開していた。

 中層手前の9階層に足を踏み入れると、ハートレスたちが湧き出し始める。ベルにとっては、発現したばかりの新しい魔法を練習する絶好の機会だった。

 

「炎よっ!」

 

 ベルの手から放たれた炎と光の弾丸が、バレルスパイダーに直撃する。

 被弾した怪物は火薬樽のように激しく爆発し、周囲に群がっていた他のハートレスたちをも一網打尽に巻き込んで吹き飛ばした。

 

「よし……!」

 

 自身の魔法が想定以上の威力を発揮し、一撃で多数の敵を沈めたことに、ベルは確かな達成感を覚えた。

 魔法という遠距離攻撃の手段を手に入れたことで、ハートレスへの対処スピードは劇的に上がっている。これまでは自らの身体能力と投げナイフに頼るしかなかったが、戦術の幅が大きく広がったのだ。

 とはいえ、精神疲弊(マインドダウン)のリスクを避けるため、無闇な連発は控えなければならない。

 

「ベル様、左です!」

 

 後方からリリの鋭い声が飛ぶ。

 彼女が放った牽制の矢が、側面から迫っていたポットスパイダーとバレルスパイダーの足を止めた。

 ベルは即座に横へ宙返りし、ポットスパイダーの飛びかかりを紙一重で回避する。空中に身を躍らせたまま手持ちのディフェンダーを放ち、バレルスパイダーの単眼に見事命中させた。視界を奪われたハートレスが悲鳴を上げてよろめく。

 滑らかに着地したベルは、勢いそのままに回転してポットスパイダーに強烈な斬撃を加え、硬い外殻ごと中身を切り裂いて仕留めた。さらに跳躍して別の攻撃を躱すと、よろめいていたバレルスパイダーの頭上へと着地する。

 足場にした怪物の上で絶妙にバランスを取りながら、ベルは靴の側面に仕込まれたナイフを抜き放った。愛用のヘスティア・ナイフを一度鞘に納め、両手でナイフを構えて連続投擲を行う。放たれた刃は次々と周囲の敵に突き刺さり、完全に無力化していった。

 

 ベルが乗っているバレルスパイダーに向かって、残りのハートレスが一斉に飛びかかってくる。

 だが、ベルはそれを見越して素早く飛び降りていた。結果として足場にされていたバレルスパイダーは仲間の下敷きとなり、折り重なるようにして敵の山ができる。

 空中でくるりと振り返ったベルは、その密集した山に向かって右手を突き出した。

 

「炎よ!」

 

 白い炎の筋が再び放たれ、ハートレスの山に直撃する。凄まじい爆炎が、折り重なった怪物たちを一瞬にして焼き尽くした。

 着地したベルは一瞬の隙も作らず、メインウェポンである二本のナイフを再び構え、迫り来る次の波に備えた。

 

 ベルとリリが連携して立ち回っている間、少し離れた場所にいるソラは大忙しだった。

 目立つ立ち回りをしているせいか、ハートレスたちの主な標的となり、全方向から完全に包囲されていたのだ。

 ソラは不満げに唸りながらも、ポットスパイダーの群れをキーブレードの一振りでなぎ払い、死角から飛びかかってくる別の個体もステップで躱して斬り捨てる。

 そのままキーブレードをブーメランのように周囲へ放つサークルレイドで群れを一掃してスペースを作り、手元に戻ってきたキーブレードをそのまま正面へ投げ放つストライクレイドで、直線上の敵をまとめて粉砕した。

 鮮やかな連撃で周囲のバレルスパイダーを片付けた直後。ソラは、蠢く群れの中に『何か』が現れ始めていることに気がついた。

 

 突然、ポットスパイダーたちが意思を持ったように一列に並び始める。

 先頭の個体が巨大なムカデの頭部へと変化し、最後尾には鋭い針が形成されていく。

 

「……あれは、確かジャファーが…」

 

 ソラはかつて冒険した砂漠の都、アグラバーでの記憶を思い出した。邪悪な大臣ジャファーが、ジャスミン王女を誘拐するために嗾けてきた厄介なハートレスだ。あの時はジャスミンを救うための時間もあり、群れに邪魔されて非常に手こずったものだ。

 だが、今は誰も誘拐されていないし、数も減っている。あの頃よりも遥かに強くなった今のソラにとって、特段の脅威を感じる相手ではなかった。

 

 しかし――残念なことに、ソラがそう確信した瞬間。

 ダンジョンの奥からさらに多くのポットスパイダーがワラワラと這い出し、次々と結合し始めたのだ。気がつけば、ソラの周囲には複数のポットセンティピードがとぐろを巻いて包囲網を敷いていた。

 その絶望的な光景を呆然と見つめ、ソラはがっくりと項垂れる。

 

「……確か、これって、フラグ回収っていうんだっけ」

 

 オラリオで神々が発していた単語が思い当たり、フラグを見事に回収してしまったソラは、自嘲気味に呻いた。

 ソラがポットセンティピードの群れと大立ち回りを演じている間、ベルとリリもまた、異常な数に膨れ上がった蜘蛛型ハートレスの群れに囲まれていた。

 

(この数……なんでこんなに多いんだ……!?)

 

 オラリオに現れ始めたハートレスの大群には慣れてきたつもりだったが、今日の湧き方は明らかに異常だ。

 目の前のポットスパイダーを斬り伏せると、死角から別のバレルスパイダーが飛びかかってくる。ベルはコマのように回転して後ろ回し蹴りを叩き込み、さらに続く追撃を避けるために大きく横へ跳躍する。空かさず魔法を放ち、強引に距離を取った。

 

 ベルが前衛で手一杯になる中、後方のリリもまた苦戦を強いられていた。

 直接的な戦闘を避け、最後方から矢で援護射撃を行っていたが、押し寄せる群れの勢いに狙いが定まらない。運良く単眼に命中するものもあったが、倒しても倒しても湧き出てくる数に、リリは焦燥から顔をしかめた。

 呼吸を整え、状況を打開するために予備の魔剣を取り出そうとした、その時。

 

(やはり、この人たちのパーティに協力するのは間違いだったかもしれません……)

 

 リリの心にそんな後悔がよぎった瞬間だった。

 頭上から降ってきたバレルスパイダーが、彼女の背負う巨大なバックパックにガシリと飛び乗ったのだ。その暴力的な重みに、リリは大きく体勢を崩してよろめく。

 

「は、離してっ!」

 

 リリは悲鳴を上げて振り払おうとするが、バレルスパイダーはバックパックに執拗にしがみついて離れない。

 背に腹は代えられず、リリは咄嗟にベルトの留め具を外し、重い荷物ごとハートレスを地面へ切り離した。身軽になった彼女はすぐさま隠し持っていた魔剣を抜き放ち、バッグの上で蠢くバレルスパイダーに向けて火の玉を放つ。

 火だるまになったバレルスパイダーは鼓膜を劈くような悲鳴を上げ、地面でのたうち回って消滅した。

 

 間一髪で危機を脱したと、リリが安堵の息を吐きかけた直後。

 別のバレルスパイダーが、全身を不気味に赤く発光させながら彼女に向かって跳躍してきているのが見えた。自爆特攻だ。

 視界の端で強烈な光を捉えたリリは、迫り来る死の予感に目を見開いた。世界がスローモーションのように鈍り、避けられない致命的な危険を前に体が硬直して動かない。

 

「リリ!」

 

 聞き覚えのある切羽詰まった声が耳に届いた。

 次の瞬間、リリの小さな体は誰かの両腕に強く抱きすくめられていた。

 ハッと目を見開くと、そこにはリリに覆い被さるようにして背中を向け、迫り来る爆発から彼女を庇うベルの姿があった。

 

「べ、ベル様――!?」

 

 直後、バレルスパイダーが限界まで膨張し、凄まじい爆発を引き起こした。

 強烈な爆風が二人を吹き飛ばす。宙を舞い、冷たい迷宮の床に激しく叩きつけられる。

 だが、正確には違った。その衝撃のほとんどはベルが背中で受け止めており、彼の腕の中にいたリリは、ベルの体をクッションにする形で守られていたのだ。

 勢いのまま数メートルほど転がり、ベルの下にリリがすっぽりと収まる形でようやく二人の体は停止した。

 

 至近距離での爆発により、激しい耳鳴りがして視界が揺れる。

 リリがゆっくりと感覚を取り戻し、恐る恐る自身のダメージを確認する。驚いたことに、彼女の体にはほとんど怪我がなかった。

 

(リ、リリは無傷……?)

 

 しかし、頬に何かが生温かい滴が落ちてきたのを感じて、リリの思考は凍りついた。

 痛みはない。代わりに、もう一滴、赤い血が顔に落ちてきた。

 それが自分の血ではないと気づき、彼女の目は恐怖に限界まで見開かれた。彼女の上には、微動だにしない少年の体がある。

 

「べ、ベル様……?」

 

 リリは震える声で囁いた。

 動くことも、何が起きたのかを理解することもできなかった。

 なぜ、彼は身を挺してまで自分を守ったのか。なぜ、いつでも切り捨てられる『ただのサポーター』に過ぎない自分なんかのために、命を張ったのか。

 

(な、なんで? なんでリリを守ったんですか……!?)

 

 パニックに陥りそうになったリリの耳に、微かな唸り声が届いた。

 彼女の上に覆い被さっていた体が、ゆっくりと動く。

 

「いったた……」

 

 聞き慣れた間の抜けた呟きに、リリはハッと息を呑んだ。

 生きてる!?

 

「べ、ベル様!?」

 

 ベルは苦しげに唸りながら地面から身を起こし、膝をついた。土埃に塗れた顔を振り、視界がはっきりすると、真っ先に下にいるリリを見つめた。

 そして、リリに怪我がないことを確認するなり、彼は心底ホッとしたような安堵の表情を浮かべたのだ。

 

「だ、大丈夫、リリ?」

 

 痛みを堪えながらも、ベルは心から心配そうに尋ねてきた。

 リリはその信じられない言葉に、絶句した。

 爆発を背中からまともに食らったのは彼の方だというのに、自分の怪我よりも先に、彼女の心配をしている?

 

「リ、リリは……!? リリのことなんてどうでもいいです、ベル様の怪我が!」

 

 リリは叫ぶように言い返し、慌てて起き上がってベルの体を支えようとした。

 

「怪我……?」

 

 言われて初めて、ベルは自分の顔が濡れていることに気がついた。指で触れてみると、べっとりと赤い血がついている。自身の傷口を確認し、彼は少しだけ顔をしかめた。

 

「あー……爆発で擦りむいたかな……」

 

 ベルはどこか他人事のように独り言を呟き、ふらつきながらも立ち上がった。

 

「まあ、大したことないよ……」

「大したことないわけないでしょう!?」

 

 至近距離で自爆攻撃を受けたというのに、何事もなかったかのように立ち上がるベルを、リリは信じられない思いで見つめた。それどころか、彼は再び心配そうな顔を彼女に向けてくる。

 

「本当に大丈夫? ポーションいる?」

「……っ!」

 

 あまりのお人好しぶりに、リリは呆然とするしかなかった。

 

「リ、リリは……!? リリはいいんです、ベル様がポーションを飲んでくださいっ!」

 

 リリは半ば怒鳴るように叫ぶと、自分のポケットをあさり、低級ポーションを取り出して強引にベルに握らせた。

 

「あ、ありがとうリリ……」

 

 ベルは素直に礼を言うと、ポーションの栓を抜いて一気に飲み干した。

 すると、ベルの頭から流れていた血がピタリと止まり、傷がみるみるうちに塞がっていく。低級ポーションの効果にしては、あまりにも回復が早すぎる。その異常な光景に、リリは目を丸くした。

 

(もう回復してる!? ちょっと待ってください、至近距離の爆発であれだけの怪我で済むわけがありませんし、治りが早すぎます!)

 

 意味が分からなかった。ベルは爆炎を全身で受け止めたはずなのに、なぜあんな軽傷で済んでいるのか。規格外の耐久力だけで耐え切ったというのか?

 リリは知る由もないが、ベルが軽傷で済んだのには複数の要因があった。

 一つは、彼が両手に装備している《ヒーローズグローブ》だ。これが炎のダメージを軽減し、さらにポーションの回復効果を増幅させる効果を持っているのだ。

 だが、ベルが無事だった最大の要因は、彼が腰に帯びている《ヘスティア・ナイフ》の恩恵にある。

 ナイフに宿る光の力は、ベルが予想していたよりも遥かに汎用性が高かった。刃を光で覆って切れ味を増すだけでなく、その加護の光は所有者であるベルの肉体にも及んでいたのだ。

 成長を共にする生きた武器からの魔力が、目には見えにくい極薄の光の膜となって、鎧のようにベルの全身を覆い守っていた。それが致命的な爆発の威力を相殺し、ダメージを最小限に抑え込んだのである。

 もちろん無敵というわけではない。光の鎧にも許容量があり、それを超える一撃を受ければベル自身にダメージが通る。それでも、この見えざる防御層が彼の生存に決定的な役割を果たしたのは間違いなかった。

 

 しかし、そんな種明かしに考えを巡らせる暇もなく。

 一時の安らぎを打ち砕くように、暗がりからさらに多くのバレルスパイダーとポットスパイダーがカサカサと不気味な音を立てて迫ってきていた。

 

「そうだ、まだ終わってない……!」

 

 ベルは弾かれたようにナイフを構え直すと、再びリリを背中で庇うように、彼女の前にスッと立ち塞がった。

 

「リリは僕の後ろにいて」

 

 迫り来る敵群を見据え、ベルは極度に集中した声で指示を出す。

 その光景を見て、リリの胸の奥が激しく波打った。

 

(まだ守ろうとするんですか……あんな死に目にあって……!?)

 

 ベルが決死の覚悟で前に出ようとした、その時だった。

 突然、薄暗い迷宮の空間に眩い閃光が走った。

 次の瞬間、無数の巨大な光の弾丸が、まるで流星雨のようにハートレスの群れへと降り注ぎ、怪物たちを一瞬にして光の中へ消し飛ばした。生き残った敵も、目にも留まらぬ神速で駆け抜けた光の残像によって、瞬く間に切り刻まれていく。

 残像がピタリと止まると、そこに立っていたのはキーブレードを振り抜いた姿勢のソラだった。

 

「ソラ!」

 

 駆けつけてきた親友の姿を見てベルが安堵の声を上げる。と同時に、彼らもソラの服装がいつものものから、赤と黒を基調とした別の形態――《セカンドフォーム》へと変化していることに気がついた。

 ソラはキーブレードを消散させると、血相を変えて二人のもとへ駆け寄ってきた。

 

「大丈夫かベル、リリ!?」

 

 本気で肝を冷やした顔で、ソラが二人の状態を慌てて確認する。

 

「ぼ、僕たちはソラのおかげで平気だよ」

「はぁ……よかったぁ」

 

 ベルが力強く頷いて見せると、ソラは心底安堵したように深いため息をついた。

 そして、目を白黒させているリリへと向き直る。

 

「ソ、ソラ様? その姿は一体……?」

 

 リリは呆然と呟いた。

 あの大質量の光の弾。目で追うことすら不可能なスピード。そして、一瞬にして変わった服装。

 彼女の頭の中を、理解不能な疑問符がぐるぐると駆け巡っていた。

 

「あ……」

 

 ソラは自分がしでかした規格外の行動に気がつき、ピタリと動きを止めた。

 遠くで起きた爆発を見た瞬間、ソラは手加減している場合ではないと判断し、《セカンドフォーム》を発動して速攻をかけたのだ。フォームチェンジした瞬間の圧倒的な力で、周囲をとぐろ巻いていたポットセンティピードの群れも文字通り一瞬で塵に帰してきたのだった。

 

「えっと……これは、俺のスキルと武器の組み合わせで、だな……」

 

 冷や汗をかきながら、ソラは必死に言い訳を並べ立てる。

 

「スキルと武器……?」

 

 リリはますます困惑した。剣を投げ飛ばす戦い方も変だと思っていたが、服が変わって光の雨を降らせる武器など、聞いたこともない。

 

「ま、まあいいだろ細かいことは! それよりリリ、怪我はないか?」

 

 ソラは強引に話を逸らし、片膝をついて彼女の体を心配そうに覗き込んだ。

 

「リ、リリは平気です……」

 

 これ以上の追求を諦めたように、リリはパタパタと手を振った。

 

「よかった。もし少しでも痛いところがあったら遠慮なく言ってくれよな。オレ、回復も使えるからさ」

 

 満面の笑みで告げられたその言葉に、リリは完全に呆れ果ててしまった。

 

(強力な魔法に、変幻自在の武器、その上回復魔法まで……? この人たち、一体どれだけの手札を隠し持ってるんですか……)

 

 ソラは周囲に敵の気配がないことを確認した後、ベルとリリの服が爆風で黒く焦げているのを見て、小さくため息をついた。

 

「今日はもう上がろう。二人とも、これだけ色々あったんだからしっかり休みが必要だろ」

「う、うん。流石にちょっとキツかったね……」

「……はい」

 

 ソラの提案にベルも苦笑いで同意し、リリも静かに頷いた。

 そうして一行は探索を切り上げ、ダンジョンを後にした。

 

 地上へ向かって歩いている間、リリはずっと無言で二人の背中の後ろをついていった。

 彼女の頭の中では、自爆攻撃から身を挺して彼女を守ってくれたベルの姿が、何度も何度も繰り返し再生されていた。

 自分というお荷物のせいで怪我をしたのに。彼は彼女を責めるどころか、真っ先に彼女の無事を心配してくれた。

 冒険者なら、サポーターのせいで危険な目に遭えば、すぐに胸ぐらを掴んで罵倒し、報酬を全額没収すると脅してくるというのに前を歩くこの二人の少年は、そんな理不尽なことは絶対にしない。

 

(どうして……?)

 

 薄暗い迷宮の道を戻りながら、リリはひたすらに自問自答を繰り返す。

 損得勘定など微塵もなく、ただ純粋に手を差し伸べてくれるその温かさが、痛いほど胸に突き刺さる。

 騒がしい冒険の余韻の中で、リリはずっと、その答えの出ない問いについて考え続けていた。

 

 

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