キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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外伝3巻辺り
第23話 神々の狂騒曲と、ダンジョンに潜む闇


 場所は変わり、迷宮の上部にそびえるバベルの最上階。

 薄暗くも豪奢な一室で、美の女神フレイヤは優雅にグラスを傾けていた。傍らに控える最強の従者、オッタルと共に、彼女の視線は遥か眼下の街並み――いや、ただ一人の少年の存在へと向けられている。

 

「本当に、あの子の魂はどこまで私を楽しませてくれるのかしら」

 

 自らの魔法を手に入れ、さらにはソラとの共鳴を果たしたことで、ベルの魂の『器』は一段と鮮やかに、そして無垢な輝きを伴って洗練されていた。

 

「あの綺麗な光の共鳴の瞬間を、特等席で見られなかったことだけが、ひどく歯がゆいわ……」

 

 官能的な吐息を漏らしながら喜悦に浸るフレイヤだったが、ふと、その整った柳眉を微かにひそめた。

 

「……でも、何かがおかしいわ。あの子の圧倒的な輝きの奥底に……その成長を阻むような、泥のような『淀み』、見えない『枷』のようなものを感じるの」

 

 その主神の呟きに、屈強な猪人の武人であるオッタルが静かに口を開いた。

 

「……おそらく、それは過去の因縁によるトラウマかと推測いたします」

「トラウマ?」

 

「はい。以前、フレイヤ様がお話してくださった、その者は上層に逃げ出したミノタウロスに遭遇し、為す術もなく惨敗を喫しました。命こそ助かったものの、その時の絶対的な恐怖と無力感が、未だに本人のあずかりしれない場所で心に深い枷として絡みついているのでしょう」

 

 オッタルは主神の疑問に対し、一切の淀みなく客観的な事実と見解を述べる。

 

「忌まわしい因縁……過去と真に決別するためには、誰の力も借りず、己自身の手でそのトラウマの象徴を打ち破るしかありません」

 

 オッタルの的確な推測に、フレイヤはふふっ、と肩を揺らし、やがて艶やかな笑い声を響かせた。

 

「あはははっ……ええ、そうね。あなたの言う通りだわ」

 

 一頻り笑った後、フレイヤはグラスを見つめながら、美神らしからぬ一つの迷いを口にした。

 

「でも、少し考えてしまうの。あの子が時間をかけて、安全にトラウマを乗り越えるのをゆっくりと待つべきなのかしらって。……なんだか最近、そんな甘い考えに浸る自分が、ひどく堕落しているのではないかと漠然とした不安を抱く時があるわ」

 

 寵愛するが故に、彼が傷つく姿を見たくないという凡俗な迷い。

 それに対し、生粋の武人であるオッタルは、主神の迷いを真っ向から否定することなく、静かに口を開いた。

 

「……時間が解決するというのも、また一つの真理かと存じます。ですが」

 

 オッタルは一度言葉を区切り、自らの確固たる持論を提示した。

 

「冒険しない者が、己の殻を破ることは決してできません。安全な成長だけでは……本来至るべき、未知の高みへと届くことはないでしょう」

 

 武人としての矜持と、闘争の中にこそ真の成長があると信じるオッタルの力強い言葉。

 その言葉にハッとさせられたフレイヤは、グラスを置き、どこか悔しそうに、けれどひどく嬉しそうに目を細めた。

 

「ふふ……本当に、あなたには敵わないわね。私以上に、あの子の本質を理解しているんじゃないかしら」

 

 フレイヤは少し拗ねたように唇を尖らせ、妖艶な微笑みを浮かべる。

 

「……嫉妬しちゃうくらいにね」

 

 甘い吐息のようなその言葉に、オッタルは深く頭を下げた。

 フレイヤは立ち上がり、窓辺からオラリオの夜景を見下ろしながら、残酷で美しい瞳を細める。

 

「決めたわ。あの子が過去と決別し、殻を破るための新たな『試練』……その仕込みを、あなたに一任するわ」

「はっ」

 

 短い従命。しかし、オッタルは顔を上げると思い出したように一つ問いを投げかけた。

 

「……して、あの異界から来たソラはどうなされますか。あの者が傍にいれば、試練の障壁となるやもしれませんが」

「あの子がさらに殻を破るには、ソラの光は少しばかり強すぎるのよ」

 

 フレイヤは夜景から視線を外し、艶然と微笑んだ。

 

「今回のように、二人で共鳴して殻を破るのではなく……あの淀みを打ち払うには、あの子一人でやらなきゃだめなの。ねえ、オッタル。任せてもいいかしら?」

「承知いたしました」

 

 一切の迷いなく、力強く首肯する最強の武人。

 主神の意図を完全に汲み取り、強者としての闘志を微かに滾らせるその横顔を見た美の女神は、まるで悪戯を企む少女のように、心底楽しそうな笑みを深めた。

 

「ふふっ……楽しそうね、オッタル」

 

 オッタルの断言を聞き、フレイヤはグラスの縁を指でなぞりながら、艶やかな唇に魅惑的な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 夜もすっかり更け、ギルド本部を包んでいた狂騒は、思いがけない形でひとまずの収束を見せていた。

 あの巨大なエクスキューショナーが完全に消滅する瞬間を他の冒険者たちが目撃しており、その証言がギルドにもたらされたためだ。緊急の討伐対象がすでに存在しないという事実を受け、事態の収拾と詳細な事情聴取、そしてベルのランクアップ手続きを含めた今後の話し合いは、すべて明日の朝に持ち越されることとなった。

 ギルドから解放されたソラと合流し、三人はようやくヘスティア・ファミリアのホームへと帰還した。すでにリリは疲れ果てて眠りについており、残されたベル、ヘスティア、ソラの三人は、ランプの灯りの下でベルの真新しいステイタスシートを囲んでいた。

 

「それにしても……驚いたよ。まさかキーブレード以外にも、新しく発現したスキルがあるなんてね」

「はい……。一つは、これですよね」

 

 ベルが指差した項目には、グライドという見慣れない文字が刻まれていた。

 効果の欄にはただ一言、滑空するとだけ記されている。

 

「グライド、確かソラが使ってた滑空する能力だよね?」

「ソラくん、何か心当たりはないのかい?」

「うーん……多分だけど、前に俺が使った妖精の粉で一緒に空を飛んだからじゃないかな? あの時、ベルの体にも飛ぶ感覚が刻み込まれて、それがステイタスに反映されたとか」

「なっ……!?」

 

 ソラのあっけらかんとした推測に、ヘスティアは顔を青ざめさせてお腹を押さえた。

 

「あ、あの粉はただ空を飛ぶだけじゃなくて、冒険者に未知のスキルまで発現させる可能性があるってことかい!? あんな得体の知れないアイテムの存在が他の神々にバレたら、絶対に血みどろの争奪戦になるじゃないか……っ! ああもう、想像しただけで胃が痛くなってきたよ……」

「ご、ごめんなさい、神様……」

 

 頭を抱えて机に突っ伏すヘスティアに、ベルは申し訳なさそうに眉を下げた。

 しかし、驚きはそれだけでは終わらない。ベルの背中には、もう一つ未知のスキルが刻まれていたのだ。

 

「それで、もう一つのスキルなんだけど……これ、ソラくんは分かるかい?」

 

 ヘスティアが指差したその項目には、仰々しい文字でこう記されていた。

 

流転戦陣(スタイル)

・連続攻撃を契機とした自己強化の派生発現。

・形態変化に伴う任意での絶技実行権。

・絶技行使による効果解除。

 

「連続攻撃で自己強化……形態変化に、絶技……?」

 

 ベルが難解な説明文を読み上げながら首を傾げる。

 ソラは腕を組み、うーんと唸りながら天井を見上げた。

 

「ごめん、俺にもはっきりとは分からないや。でも……もしかしたら、アクア達が使ってたみたいなものかもしれないな」

「アクアって、確かキーブレードマスターの?」

「うん。戦っている時に突然、戦い方がガラッと変わって、一気にパワーアップしてたんだ。最後にすっごい大技を撃つと元に戻るんだけど、説明を読む限りそれに近い気がする」

 

 ソラの言葉に、ベルは自分の手を見つめてごくりと息を呑んだ。

 もし本当にそんな規格外の力が自分に宿っているのだとしたら、Lv.2へのランクアップと合わせて、どれほどの戦闘力になるのか想像もつかない。

 

「まぁ、ここでいくらウンウン唸って考察しても、実際に使ってみないと分からないね。検証は明日にして、今日はもう休むとしよう。明日もギルドで面倒な話し合いが待ってるからね」

「そうだな! ベル、今度ダンジョンで試してみようぜ!」

「はい! おやすみなさい、神様、ソラ」

 

 ヘスティアの提案に二人は頷き、長かった激動の一日を終える。

 未知の力への期待と、明日から始まる新たな日常への予感を胸に抱きながら、三人は静かに眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 翌朝。迷宮都市オラリオは、二つの特大の報せによって完全に震撼させられていた。

 一つは、ロキ・ファミリアに所属する『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインの、Lv.6への昇格。

 そしてもう一つは、ヘスティア・ファミリアの団長であるベル・クラネルの、Lv.2への昇格である。

 

「アイズさんがとうとうLv.6!」

「ああ、それもすげえが……問題はもう一つの方だ! ヘスティア・ファミリアのベル・クラネルって、たしか冒険者になってからまだ一ヶ月も経ってない新人だろ!?」

「一ヶ月弱でランクアップだと……!? そんなの、アイズさんの記録すら凌駕するぶっちぎりの世界最速じゃねえか!」

 

 本来であれば、第一級冒険者であるアイズの偉業こそが都市を熱狂させるはずだった。しかし、冒険者になってわずか一ヶ月弱という、世界の常識を根本から破壊するベルのランクアップの報せは、アイズのニュースを易々と呑み込むほどの凄まじい熱量で都市中の注目を集めていた。

 当然、その激震は都市最大派閥の一つであるロキ・ファミリアの本拠地、黄昏の館にも波及していた。

 

「ベル・クラネル……一ヶ月で、Lv.2……」

 

 館の談話室で、当のアイズ・ヴァレンシュタインは自分の昇格を祝う団員たちの喧騒をよそに、一人上の空で呟いていた。

 

(どうすれば、あんなに早く強くなれるの……)

 

 彼女の頭の中は、自身のLv.6到達という事実よりも、どうすればあの白髪の少年がそれほどまでに早く強くなれたのかという疑問で完全に占められていた。ひたすらに強さを求める彼女にとって、ベルの異常な成長速度は気になって仕方がないものだったのだ。

 しかし、ファミリアの最高戦力でありアイドルでもある彼女が、他派閥の少年のことばかりを考えて心ここにあらずな様子を見せているのは、一部の団員たちにとっては非常に面白くない事態だった。

 

「チッ……クソが」

 

 部屋の隅で壁に背を預けていた狼人の青年、ベート・ローガは、不機嫌そうに舌打ちを漏らした。

 アイズが取るに足らないと思っていたウサギに気を取られていること。そして何より、自分より先にアイズがLv.6へと到達し、完全に先を越されてしまったことへの激しい苛立ちが、彼の心をひどくささくれ立たせていたのだ。

 そんな団員達の様子を、ファミリアの首脳陣である三人は少し離れた場所から静かに見守っていた。

 

「まさか、ソラだけではなく、ベル・クラネルまでもがこれほどの規格外だったとはね。驚かされたよ」

 

 フィンが、感嘆の息を漏らしながら親指を噛む。

 

「うむ。アイズの記録をこれほどあっさりと塗り替えるとはな。……これもまた、あのソラという影響なのだろうか?」

 

 ガレスが、腕を組みながら太い眉を寄せて考察する。ソラという未知の存在がベルと行動を共にしている以上、この異常な成長速度にも彼が何らかの形で関わっていると考えるのは、首脳陣としては自然な流れだった。

 

「にしても、まさかアイズが特訓をつけてやる前に、彼自身の手でランクアップを果たしてしまうとはな。まったく、大した少年だ」

 

 リヴェリアは、どこか楽しげに目を細めた。

 アイズがベルに稽古をつける口実を探していたことを知っていた彼女は、教えを請う前に自らの殻を破ってみせた少年の目覚ましい飛躍に、素直な感心を寄せていたのだった。

 

 そうして新人への好評からの話は変わり、ロキ・ファミリアの首脳陣は、都市の地下で多発する食人花や極彩色の魔石を持つ新種モンスターの異常発生について会議を行った。

 ロキは調査報告として、大貯水槽が新種の苗床と化していた現状や、同じく事件を追う男神ディオニュソスとの接触を伝える。そして、これほどの大規模な事態を黙認しているギルドが、情報を隠蔽し裏で関与しているのではないかという強い疑念を口にした。

 しかし、フィン達はギルドの関与を疑いつつも決定的な確証がないため、表立って動くのは危険だと判断。結論としてギルドへの追及は一旦保留とし、暗躍する未知の脅威への警戒を一層強めることで方針を固めたのだった。

 

 地下水路の報告に続き、今度はフィンとリヴェリアが口を開いた。彼らが語るのは、安全階層であるはずの18階層で発生した凄惨な殺人事件と、それに伴う食人花の強襲についての詳細な報告だった。

 

「件の殺人事件と食人花を操っていた元凶は、赤髪の調教師(テイマー)の女だった。だが、彼女について最も警戒すべきはその異常性だ」

 

「異常性、というと?」

 

 ロキの問いに、フィンは深刻な面持ちで頷いた。

 

「ああ。彼女は騒動の最中、アイズのことをアリアと呼んだんだ」

 

「アリアやて……?」

 

 その名を聞き、ロキの目が鋭く細められた。それはアイズの過去に深く関わる、決して無視できない名前だった。

 重苦しい沈黙を破るように、リヴェリアがさらに厄介な報告を続ける。

 

「もう一つ、気がかりなことがある。18階層での食人花との死闘の最中、黒いコートに身を包んだ何者かが介入し、アイズの窮地を救ったことだ」

「黒コート……? あぁ、XIII…なんとかやっけ?」

 

 ロキが眉をひそめると、リヴェリアは重々しく頷き、先日5階層で起きたもう一つの遭遇について語り始めた。

 

「ああ。先日、私とアイズが5階層でノーバディに襲撃された際、再び黒コートを着た男が姿を現した。自らをXIII機関のルクソードと名乗ったその男は、18階層でアイズを助けたのはゼムナスだ、と言っていた」

 

 その報告に、話を聞いていたロキやガレス、フィンの顔にさらなる困惑の色が広がった。

 彼らは事前に、ソラからXIII機関という組織や、そのリーダー格であるゼムナスという男について情報を得ていた。ソラが語ったゼムナスの人物像は、人の心を弄び、目的のためなら手段を選ばない冷酷で計算高い男だったはずだ。

 

「ソラの話を聞く限り、あのゼムナスという男が、何の理由もなくアイズを救うような利他的な行動をとるとは到底思えない」

「うむ。それに、ダンジョンの様々な階層で、同じような黒コートを着た人物の目撃情報がギルドに複数寄せられているわ」

 

 リヴェリアの言葉が、事態の複雑さをさらに浮き彫りにする。

 食人花と極彩色の魔石を操る赤髪の女の暗躍。それと並行するように、ダンジョン内に出没し始めた黒コートの集団、XIII機関。彼らは敵なのか、味方なのか、あるいは全く別の目的で動いているのか。

 

(ゼムナスの意図……そして、XIII機関の目的とは一体何なんだ……?)

 

 赤髪の調教師(テイマー)の謎と、不気味に影を落とすXIII機関の存在。

 複雑に絡み合う二つの巨大な謎を前にして、迷宮都市の最高峰たるロキ・ファミリアの首脳陣たちは、容易には答えの出ない深い思考の渦へと沈んでいくのだった。

 

 得体の知れない敵たちの存在に警戒を強めつつも、執務室内の話題は11日後に迫ったダンジョン深層への遠征へと移った。

 

「さて、本題に入ろか。次の遠征、どないな編成で行くつもりや、フィン」

 

 ロキの問いに、フィンは手元の資料を見つめながら慎重に言葉を選んだ。

 

「戦力については熟考したよ。だが、ソラに関しては今回の遠征メンバーからは外れると思ってる」

「……いいのか? ソラの力や知識があれば、深層の攻略も格段に安定するはずだが」

 

 リヴェリアが意外そうに眉を寄せると、フィンは静かに首を横に振った。

 

「鍵穴が見つからない現状で、遠征に無理に付き合わせるべきではないと判断したんだ。現状は僕たちは僕たちの力で、未到達階層へ挑むことになるだろうね」

 

 フィンの決断には、他派閥の、それもソラに依存しすぎることへの危惧も含まれていた。前回の遠征では、武器を溶かす新種モンスターの酸に苦戦を強いられたという苦い反省がある。同じ轍を踏まぬよう、フィンは今回の遠征に向けて三つの具体的な対策を提示した。

 

・武器の即時修復のため、ヘファイストス・ファミリアから専属の鍛冶師を同行させる。

・下位団員の拠点防衛、および遠距離攻撃用の切り札として、高価な魔剣を30振り調達。

・リヴェリアとアイズを除く主戦力に、極めて高額な『不壊属性(ディランダル)』の特殊武装(スペリオルズ)の用意。

 

 フィンの提示した条件に、流石のガレスも絶句した。

 

「……不壊属性(ディランダル)の武装だと? 魔剣の調達費も合わせれば、派閥の資産が底を突くぞ」

 

 それは、オラリオ最大派閥の一つであるロキ・ファミリアの全資産を切り崩すほどの、文字通りの巨額の出費を意味していた。失敗すれば派閥の運営すら危うくなる、あまりにも無謀な予算案。

 しかし、それを聞いた主神ロキは、細い目をさらに細めて不敵な笑みを浮かべた。

 

「ええやんか。全財産ブチ込んでの特大勝負……『大博打』こそ、探索の醍醐味っちゅうもんや。ええよ、フィン。アンタの好きにやり」

 

 主神の快諾を受け、フィンは静かに頷いた。

 赤髪の女、そしてXIII機関。得体の知れない影が蠢く迷宮の深淵へ向けて、ロキ・ファミリアは持てるすべてを賭けた未踏破階層への準備を加速させていくのだった。

 

 

 

 そんな都市中の注目の的になっているベルたちはというと、当の本人はその喧騒から遠く離れた場所で、静かに、そして熱く自らを研鑽していた。

 早朝の澄んだ空気の中、ヘスティア・ファミリアの本拠地であるホームの裏庭。夜明けと共に差し込む朝日は、まだ眠りの中にある都市を優しく照らしていたが、その静寂を切り裂くように、三人の足音が芝生を踏みしめる音が響いていた。

 事の始まりは、昨夜の話し合いだった。ダンジョンの上層に突如として現れた黒い怪物、ハートレス。その圧倒的な不気味さと強大な力を目の当たりにしたリリは、夜通し悩み続けていた。ベルがランクアップを果たし、異世界の勇者であるソラが並外れた力を持っている中、ただ荷物を背負い、守られるだけのサポーターで居続けることに、彼女は強い危機感を抱いていたのだ。

 

「ソラ様、リリを……リリを鍛えていただけませんか?」

「もちろんいいよ! リリがやる気なら、俺も全力で応えるからさ! ベルと一緒に強くなろうな、リリ!」

「……ありがとうございます。せめて、ベル様やソラ様が戦っている最中に、背中を守れるくらいの力は欲しいです」

 

 リリの絞り出すような必死な願いに、ソラは屈託のない、しかしどこか頼もしさを感じさせる満面の笑みで即答した。隣で見ていたベルも、リリの決意を応援するように力強く頷いている。

 そうして始まった早朝の特訓。まずは形からと、ソラはリリの前に立ち、どのような武器で戦いたいかを尋ねた。冒険者にとって武器は命を預ける半身だ。リリの小さな体格や、戦場での役割を考慮しながら選ばなければならない。

 

「武器かぁ……。リリ、何か使ってみたいものはある? 俺、キーブレードを変形させていろんな武器が使えるから、結構何でも教えられるよ。剣や槍は基本だし……あとは、銃とか、旗、それにヨーヨーとかもいけるぞ!」

「じゅ、銃……? それに、旗に、ヨーヨー……? ソラ様、最後の方は玩具ではありませんか?」

「あはは、変かな? でも、どれもちゃんと戦えるんだ」

 

 銃という聞き慣れない単語にリリは首を傾げたが、それ以上に、戦場で旗を振り回したり、あろうことか子供の遊び道具であるヨーヨーを武器にするというソラの言葉に、驚愕を通り越して呆れすら覚えていた。この少年は、一体どのような修行を積めば、ヨーヨーを武器にしようなどと思い至るのだろうか。

 ソラの底知れなさに圧倒されつつも、リリは慎重に自らの戦い方を模索した。小柄な自分が、モンスターと正面から力で渡り合うのは現実的ではない。であれば、何が必要か。リーチの短さを補い、かつサポーターとしての機動力を殺さず、相手を寄せ付けないもの。

 

「……槍に、します。槍で戦う術を、リリに教えてください。これならモンスターやハートレスとの距離を保って戦えますし、リリの体格でも遠心力を使えば、重い一撃を繰り出せるかもしれません」

「よし、槍だな! 決まりだ! それじゃあ、まずは基本の構えからやってみようぜ!」

 

 リリの真っ直ぐな瞳に応えるように、ソラは快活に声を上げた。

 こうして、世界最速のランクアップを果たした白髪の少年と、自らの殻を破ろうとするサポーターの少女。そして異世界からの鍵の勇者による、前代未聞の特訓が幕を開けた。朝露に濡れた芝生の上で、三人の影が長く伸び、新しい一日の始まりを告げていた。

 

 

 ・

 

 

 朝霧が晴れ始めた広場で、木刀代わりの長い棒を構えたリリと、新たに手にしたキーブレードを構えるベル。二人が対峙する先には、ソラがリラックスした様子で立っていた。

 

「それじゃあ、こい!」

 

 ソラの掛け声とともに、彼の手に握られていたキーブレードが眩い光を放ち、瞬時に形状を変化させた。光が収まった後に現れたのは、身の丈ほどもある巨大な旗、ストームフラッグだった。

 

「ほ、本当に旗で戦うんですか!?」

「あはは、見かけによらず強いんだ、これ! さぁ、どこからでもかかってこい!」

「いくよ、ソラ!」

 

 目を白黒させるリリをよそに、ベルが地を蹴って真っ直ぐに踏み込み、キーブレードを振り下ろす。しかしソラは巨大な旗を軽々と振るい、布の部分でその一撃をふわりといなした。さらに、流れるような動作で旗の柄を返し、背後から迫っていたリリの鋭い突きを的確に弾き落とす。

 二対一という数の有利があり、ベルはランクアップを果たしたばかりの超絶な身体能力を持っていたが、ソラは全く意に介さなかった。ストームフラッグの圧倒的なリーチと、攻防一体の変則的な動きを完全に掌握しており、二人の連携をことごとく封じ込めていく。

 いくら打ち合っても一発も届かない。圧倒的な実力差を見せつけられながらも必死に食らいつく二人だったが、やがてソラが旗を大きく振りかぶった。

 

「これで終わり! 水よ!」

 

 旗の先端から放たれた水の魔法が、ベルとリリの頭上で弾けた。殺傷能力を抑えた優しい水飛沫となって二人に降り注ぎ、ベルとリリは頭からほんのりと濡れた状態でその場にへたり込んだ。

 

「参りました……」

「全然歯が立たなかったよ……ソラ、やっぱりすごいな」

「二人とも、筋はすっごくいいよ! 毎日続ければ絶対にもっと強くなる!」

 

 ソラが笑顔で手を差し伸べ、びしょ濡れとまではいかないものの、軽く濡れ鼠になった二人を引き起こす。こうして、初めての早朝特訓はソラの圧勝で幕を閉じた。

 タオルで頭を拭きながら、ベルは今日この後の予定について口を開く。

 

「今日はこれから、ギルドに行ってあのハートレスのことや、ランクアップの手続きをしてこないといけないんだ。だから、今日のダンジョン探索はお休みにしようと思う」

「そうですね。昨日の騒動の事後処理もありますし、ギルドは相当な混乱になっているはずです」

「リリには悪いけど、特訓の続きはまた明日な!」

「はい。リリも今日は自分のやるべきことを進めておきます。ベル様、ソラ様、また明日」

 

 そうして、三人は充実した朝の時間を終え、リリは一度街へと戻るために彼らと別れるのだった。

 

 

 ・

 

 

 リリと別れた後、身支度を整えたベルとソラは、当初の予定通りギルド本部へと足を運んでいた。

 昨夜の混乱から一夜明け、事後処理とランクアップの報告を済ませようと正面玄関に近づいた、まさにその時だった。

 

「出たぞおおおおおお! 噂の鍵剣士と、世界記録(ワールドレコード)だあああああああっ!」

 

 ギルドの前で待ち構えていたかのような叫び声が響き渡った。

 びくっと肩を揺らして声のした方へ振り向いたソラとベルの視界を埋め尽くしたのは、血走った目を爛々と輝かせた、凄まじい数の神々だった。

 何より名があまり売れていないヘスティア・ファミリアからなら、簡単に引き抜けるかもしれない。そう企んだ中堅以下のファミリアの主神たちが、こぞって押しかけていたのだ。彼らはLv.1でありながら規格外の力を持つソラと、世界最速でLv.2へと至ったベルの姿を捉えるなり、よだれを垂らさんばかりの勢いで猛然と迫ってきた。

 

「さぁさぁさぁ! ベルきゅんにソラきゅん! 今すぐウチのファミリアにいらっしゃい! 幹部待遇、いや副団長のポストを今すぐ用意してあげるわよ!」

「ふざけるな、ウチが先だ! オレのところなら毎晩豪勢な肉と酒を振る舞ってやるぜ!」

「どいつもこいつも貧乏くさい勧誘しやがって! 君たち、オレと熱い愛の逃避行をしようじゃないか! 君たちのその輝かしい才能にオレのハートは鷲掴みさ!」

「オエッ、気色悪いこと言ってんじゃねえよ変態神!」

「あ、あのっ! 僕たちはもうヘスティア様のファミリアに……!」

「ちんちくりんのロリ神なんて関係ないね! 熱烈な愛と情熱の前には、所属なんて些末な問題さ!」

「それより背中! 背中を見せなさいよ! 一ヶ月でランクアップなんて絶対ヤバいレアスキルが眠ってるに決まってるわ!」

「そうだそうだ! 服が邪魔ならオレがこのナイフで綺麗に切り裂いてやるから、ちょっと大人しくしててくれないかなぁ! ……グヘヘッ」

「無理矢理ステイタスを覗き見る背徳感……たまりませんなぁ!」

『――ヒャッハー!! 超絶レアな逸材はオレ/ワタシのものだあああっ!』

 

 ベルがこの都市に来たばかりの頃はどの派閥からも門前払いを受けていた時と違い、今や狂気に当てられた神々の群れがゾンビのように群がってくる。

 常軌を逸した欲望と、ガチの刃物まで持ち出して背中を狙ってくる神々の異常な執念に、ベルとソラは完全に恐怖のどん底へと突き落とされた。

 

「ソ、ソラああああっ!? に、逃げよう!!」

「うわああああっ!」

 

 悲鳴を上げながら、二人はギルドに入ることもできず、全速力で踵を返して逃走を開始した。

 しかし、相手は神々。神威こそ封じられているものの、下界の子供たちへの執着心だけで驚異的な感知能力を発揮し、路地裏までしつこく追いすがってくる。

 

「待てえええい! 逃がさんぞおおお!」

「君たちの背中はオレたちが丸裸にしてあげるからねえええ!」

 

 どこまでも響いてくる狂気の歓声に、ソラは走りながら隣のベルに向かって叫んだ。

 

「ベル! このままだと埒が明かない! 二手に分かれて撒こう!」

「わ、分かった! 後で、絶対後で合流しようっ!」

 

 涙目で頷いたベルは右の路地へ、ソラは真っ直ぐ大通りへと飛び出していく。

 突然降って湧いた神々の大暴走に巻き込まれ、二人の受難の一日がこうして幕を開けたのだった。

 

 

 ・

 

 

 狂乱する神々の群れから必死に逃れ、迷路のように入り組んだ路地裏を幾つも駆け抜けたソラ。

 ようやく背後から聞こえていた歓声や足音といった追手の気配が完全に消えたことを確認すると、彼は冷たい石壁にズルズルと背中を預けるようにして座り込み、大きく息を吐き出した。

 

「はぁっ、はぁっ……。ま、撒けたかな……。それにしても、神様たちってあんなに足が速かったのかよ……」

 

 神威を封じられているとはいえ、下界の子供たちに対する凄まじい執念を目の当たりにし、ソラは心底ゾッとしながら額の汗を拭った。

 

「ベルのやつ、無事に逃げ切れてるといいけど……服とか無理やり剥ぎ取られてないといいな……」

 

 相棒の安否を気遣って夜空ならぬ朝の空を見上げた、その時だった。

 

「無事に逃げ切れたようだな、ソラ」

 

 薄暗い路地裏の奥。朝日が差し込まない深い影の中から、微かな衣擦れの音と共に黒いローブに身を包んだ怪しい人影が姿を現した。ウラノスの私兵であり、魔術師のフェルズだった。

 

「うわっ!? ……って、なんだ、フェルズか! いきなり暗がりから出てくるからびっくりしたよ。でも、久しぶりだな!」

「ああ、驚かせてすまない。表の通りは随分と騒がしかったようだが……君もベル・クラネルも、飛ぶ鳥を落とす勢いだな」

「え?」

「ベル・クラネルのランクアップ、見事だったと言っているのだ。冒険者になってわずか一ヶ月弱での昇格。これはオラリオの歴史を覆す。ウラノスも、彼が成し遂げた偉業にはたいそう驚いておられたよ」

 

 親友の並外れた努力と成果をギルドの重鎮から直接褒め称えられ、ソラは自分のこと以上に胸を張って満面の笑みを浮かべた。

 そして、その嬉しさと誇らしさのあまり、つい無邪気に、口にしてはいけない重大な秘密をペロリと滑らせてしまったのだ。

 

「へへっ、だろ! ベルはすっごく頑張ってたからな! それにさ、ランクアップだけじゃないんだ。実はベルも、俺と同じキーブレードが使えるようになったんだ!」

「……なんだと? 今、なんと口にした?」

 

 その報告には、常に冷静沈着で感情の起伏を見せないフェルズも、流石に黒いフードを大きく揺らし、狼狽したように声を裏返した。

 ガネーシャ・ファミリアの団長であるシャクティ・ヴァルマが、キーブレードを顕現させただけでもオラリオのパワーバランスを揺るがす大事件だったのだ。それに加えて、ただでさえ異常な成長速度を持つベルまでもがその力を手にしたとなれば、事態はギルドの予測を遥かに超えていくことになる。

 

「シャクティ・ヴァルマだけではなく、ベル・クラネルもキーブレードを使えるようになったというのか……? あの鍵の剣は、そう易々と量産されるものではないと思っていたが……」

「量産っていうか、ベルの心が俺の心と強く繋がって……あ、ごめん。これ、もしかして言わない方が良かった?」

「……いや、いい。その話の詳しい事情は、今は深く問わないでおこう。いずれウラノスに報告する必要はあるが、また後でゆっくりと聞かせてもらうとしよう」

 

 フェルズは深呼吸をするように小さく咳払いをして意識を切り替え、黒いフードの奥から鋭く真剣な視線をソラへ向けた。

 

「実は今日、君の前に姿を現したのは他でもない。ソラ、君に直接の依頼をしたい」

「依頼? ギルドからの指名依頼ってやつ?」

「ああ。現在、ダンジョンの24階層において、モンスターの大量発生……突発的な異常事態が起きているんだ」

 

 24階層といえば、中層を抜けた先に広がる大樹の迷宮と水都の領域だ。フェルズの語る口調は重く、事態の深刻さを如実に物語っていた。

 

「通常の迷宮の法則を無視した異常な湧き方だ。我々は、この現象にハートレスが関係している可能性があると睨んでいる」

「ハートレスが……24階層で!? またダンジョンの上の方に現れたってことか!」

「そうだ。君には、その異常事態の調査と、原因の鎮圧をお願いしたい。無論、ギルドの裏の任務として、それ相応の破格の報酬は用意する。どうか引き受けてくれないだろうか」

 

 フェルズが言葉を区切り、ソラが真剣な顔で頷こうとした、まさにその直後だった。

 

「その依頼、手前も参加させてもらえんか?」

 

 ソラの背後から、不意に野性味のある快活な女性の声が響いた。

 堂々と現れたその気配。突然の第三者の介入にソラが驚いて振り向くと、そこには赤い布で片目を覆い、鍛冶師特有の分厚い前掛けと黒い和服をルーズに着崩したような姿の女性が、ニシシと笑いながら立っていた。

 

「椿!?」

 

 椿・コルブランドの思いがけない登場に、ソラは目を限界まで丸くして大声を上げるのだった。




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