キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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やっぱり一巻分書いた後のほうが色々やりやすいです


第24話 交差する光と闇――トラウマと未知なる階層

 突然の椿の登場に、ソラは背中を弾かれたように起こし、目を限界まで丸くして頓狂な声を上げた。

 

「なんで椿がここに!?」

「いやな、お主に用があって探しておったんじゃ。そしたら表の通りでえらい騒ぎが起きとるのを耳にしてな。手前の勘で気配を探ってみたら、案の定お主を見つけられたというわけじゃ」

 

 椿は隠れる気など微塵もない様子で笑いながら、呆然とするソラへと歩み寄った。彼女の隻眼を覆う赤い布と、着崩した和服のような出で立ちが、薄暗い路地裏において異彩を放っている。神々の狂乱という異常事態の中でも、オラリオ屈指の鍛冶師にして第一級冒険者である彼女の嗅覚は、見事に目当ての人物を探し当てていたのだ。

 そのまま彼女はソラの隣に並び立ち、暗がりに潜む黒ローブの魔術師へと鋭い視線を向ける。

 

「というわけだ。なあフェルズとやら、手前もその依頼に同行しても良いか? 厄介事なら手前の力も必要となろう?」

「……Lv.5の力を借りられるというのなら願ってもないことだ。単眼の巨師(キュクロプス)、報酬は…」

 

 フェルズがフードの奥から探るような、警戒を含んだ視線を向けると、椿はそんなフェルズの懸念など吹き飛ばすように、豪快に笑って大きく手を振った。

 

「二つ名はやめろ。名前で良い、それと報酬なんぞはいらん。手前は道中で手に入る素材だけでよい。……ただし、お主が作っておるという『モバイルポータルもどき』を手前にくれるというのなら、の話じゃがな」

「なっ……! なぜ、その存在を知っている?」

 

 フェルズが、今日二度目となる狼狽を隠しきれずに声を荒らげた。フェルズとソラの知識を注ぎ込み、外の世界の通信端末をこの世界で完全に再現しようという前代未聞のプロジェクト。それが、なぜ他派閥の耳に筒抜けになっているのか。驚愕するフェルズをよそに、椿は隣にいるソラをバシバシと笑顔で叩いた。

 

「なに、この前ソラに外の世界について聞いておった時に、ポロッと聞いたんじゃよ。モバイルポータルをフェルズが再現しようとしてるってな。そんな便利なものあれば欲しかろう」

「あ……ごめんフェルズ」

 

 ソラが気まずそうに頬を掻きながら視線を逸らすと、黒ローブの魔術師は深く、ひどく深い頭痛を堪えるような長いため息を吐き出した。

 

(ベル・クラネルへのキーブレードの発現といい、通信端末の件といい……この少年は、機密情報という概念をどこかに置いてきてしまったのか……いや、単に懐に入った存在に隠し事が難しいだけか、喜々と話してソラに口止めをしなかった私の責任でもあるか)

 

 ソラのあまりにも無防備すぎる情報管理に、フェルズは本気で頭を抱えたくなったがよくよく考えれば口止めしなかった責任が自分にもあるため、あまりソラを責められなかった。

 しかし、相手はヘファイストス・ファミリアの団長だ。今さら誤魔化しが利くはずもない。それに、未知の脅威が潜む24階層の調査において、Lv.5の戦力が無償で同行してくれるという事実は、どう考えても破格の条件だった。

 

 完全に絶句したフェルズは、黒いフードの奥に潜む双眸で無言のままソラをじっと見つめ、やがて心底呆れ果てたというように、地の底から響くような深いため息を吐き出した。

 

「ほ、本当にごめん、フェルズ……!」

 

 そのあからさまな落胆と疲労の色が滲む光景に、ソラは首をすくめて身を縮め、消え入りそうな声で平謝りするしかなかった。隣で椿が「まぁまぁ、堅い事を言うな」とカラカラと笑っているのが、さらにフェルズの気苦労を刺激しているのは想像に難くない。

 数秒の重苦しい沈黙の後、フェルズは深呼吸をして感情を切り替え、諦観の入り混じった静かな声で口を開いた。

 

「……いいだろう。これほどの戦力が加わってくれるのであれば、24階層の調査もより確実なものとなる。同行の件も、報酬として試作品を渡す件も許可しよう」

「うむ。そうこなくっちゃな。これで交渉成立だ」

 

 椿が満足げに頷くのを見て、フェルズは再び小さく首を横に振り、念を押すようにソラへと向き直った。

 

「ただし、条件がある。あのモバイルポータルの試作品に関しては、絶対に私の名は伏せてもらいたい」

「ふむ、よかろう」

「もし、万が一我々の事情を知る者にこの魔道具(マジック・アイテム)の出所を聞かれたなら、迷わずソラの名前を出せばいい。ソラが知っている外の世界の技術だと言い張ってくれれば、大概の者はそれ以上追求せずに納得するはずだ」

 

 それは、情報漏洩を防ぐためのフェルズなりの苦肉の策だった。ソラという来訪者という存在自体が、オラリオの常識を覆すほどのイレギュラーであるため、不自然な道具も彼の持ち物だとすれば辻褄が合ってしまうのだ。

 フェルズの指示にソラが慌てて何度も頷くと、黒ローブの魔術師はようやく話の矛先を本来の任務へと戻した。

 

「それと、もう一つ伝えておくことがある。今回の24階層の調査には、君たちの他にもう一組、我々が手配した協力者が先行して向かっている。ダンジョン内でその者たちと合流し、互いに身分を証明するための合言葉として『ジャガ丸くん抹茶クリーム味』と伝えてくれ」

「わかった……」

 

 フェルズの言葉に頷きながらソラは脳裏で抹茶クリーム味?と疑問符を抱きながら椿とダンジョンへと向かうのだった。

 

 

 

 

 一方、ソラと二手に分かれて路地裏へと飛び込んだベルはというと、未だに狂乱する神々の群れから逃げ惑うという地獄の真っ只中にいた。

 

 下界において、神々は本来の力を完全に封印されている。そのため、身体能力は一般の人間と何ら変わりはないはずだった。しかし、長い年月を生きてきた彼らの直感や、お気に入りを見つけた時に子供たちへ向ける異様なまでの執着心は、時に物理的な制約すらもあっさりと凌駕してしまうのだ。

 

 ベルがどれだけ息を潜めて暗い物陰に身を縮めようとも、空の木箱の裏に隠れようとも、彼らはまるで獲物を追う猟犬のような凄まじい嗅覚と勘で、次々と居場所を見つけ出してくる。足音を殺して息を止めているのに、「この辺りにウサギちゃんの匂いがするぞ!」と嬉々として迫ってくる神々の顔は、ダンジョンのモンスターよりも遥かに恐ろしいものだった。

 

(はぁっ、はぁっ……! なんで隠れてもすぐにバレるの!? これじゃあ、モンスターやハートレスよりずっと面倒……っ!)

 

 心の中で悲痛な悲鳴を上げながら、ベルは全速力で入り組んだ路地を駆け抜ける。しかし、度重なる追跡による極度の焦りと恐怖から道を誤り、気がつけば見上げるほど高い石壁に阻まれた、完全な行き止まりへと迷い込んでしまっていた。

 

 背後からは、神々の常軌を逸した歓声と、石畳を踏み鳴らす無数の足音が刻一刻と迫ってきている。もはや振り返る余裕すらない。完全に追い詰められたベルは、新しく得たLv.2の並外れた身体能力を活かして壁を蹴り上がり、屋上を伝って逃げようと脚に思い切り力を込めた。まさにその時だった。

 

「君、ここに隠れろ」

 

 不意に背後の死角からかけられた低く落ち着いた声に、ベルは思わずビクッと肩を跳ねさせた。

 驚いて視線を向けると、声の主は路地裏の片隅に無造作に置かれていた大きな木箱の蓋を開け、無言のまま顎で中に入るよう示している。誰なのか顔を確認する余裕すら、今のベルには残されていなかった。追っ手の足音はすぐそこまで迫っている。ベルは藁にも縋る思いで、その埃っぽい木箱の中へと転がり込み、自ら蓋を閉めて息を殺した。

 

 直後、ドドドドッと雪崩れ込むように、血走った目をした神々の集団が行き止まりの路地へと到着した。木箱の中で、ベルは両手で口を強く押さえて必死に震えを堪える。

 

「あれっ!? ウサギくんの気配がここで途切れてるわよ! どこに消えたの!?」

「壁を越えたのか!? いや、おい、そこのお前! ここに白髪の子供は見なかったか!?」

 

 木箱の僅かな隙間から漏れ聞こえる荒々しい怒声に、ベルは心臓が口から飛び出そうなほどの極度の緊張を覚える。もしここで見つかれば、今度こそ逃げ道はない。

 

 しかし、ベルを匿った声の主は、神々の恐ろしい気迫と狂気を前にしても全く動じる気配を見せなかった。彼は短く、ひどく無機質な言葉と共に、路地の反対側――行き止まりの壁を越えた向こう側を指差した。

 

「あっちだ」

「あっちの壁の向こうか! よっしゃ、待ってろよ俺のうさぎちゃぁぁぁん!! 愛の逃避行の始まりだぜええ!」

「誰にも渡さないわよおおおっ! ウサギくんの初々しい背中は私のものよ!」

 

 声の主の堂々とした案内にまんまと騙された神々は、壁をよじ登ったり、大慌てで回り道を探したりしながら、再び凄まじい土煙と狂声を上げて一斉に走り去っていくのだった。

 

 遠ざかっていく神々の足音と狂乱の喚き声が完全に聞こえなくなったのを確認すると、木箱の蓋が外側からこんっと軽く叩かれた。

 

「もう出ても平気だぞ」

 

 その落ち着いた低い声に促され、ベルは恐る恐る木箱の蓋を押し上げた。

 箱から這い出し、埃を払いながら大きく安堵の息を吐き出す。極度の緊張から解放され、へたり込みそうになる足に必死に力を込めた。そして、ベルは自分を匿ってくれた声の主へと真っ直ぐに視線を向ける。

 そこに立っていたのは、目立たない外套を深く羽織った男だった。鋭くもどこか影のある瞳が、静かにベルを見下ろしている。

 男の顔を見上げた瞬間、ベルの心にふと一つの強烈な疑問が浮かび上がった。下界の子供たちが吐く嘘や誤魔化しは、神々の前では一切通用しないのがこの世界の常識だ。彼らは魂の色やわずかな動揺から、真実を容易に見抜いてしまう。それなのに、この目の前の男は、いとも容易く、そして完璧に神々を欺いてみせたのだ。

 

「あ、あの……助けていただいて、本当にありがとうございました」

「気にするな。ただの気まぐれだ」

「あの、もしかして……あなたは、神様なんですか?」

 

 ベルが恐る恐る尋ねると、男は自嘲気味に鼻で笑い、短く首を横に振った。

 

「いや、俺はそうたいそうなものじゃない」

 

 神ではないと言い切った男の言葉には、どこか深い過去を感じさせる重みがあった。

 得体の知れない凄みを持つ相手にベルが言葉を失っていると、男は静かに名乗った。

 

「俺はベルセクスだ。……こっちにこい」

 

 ベルセクスと名乗った男はそれ以上自身の素性を語ろうとはせず、外套を翻して歩き出す。そして路地裏のさらに奥、人目につかない場所へと進み、周囲の風景に溶け込むような古びた一軒の家を無言で指差した。

 ベルは戸惑いながらも、助けてもらった恩と不思議な引力に背中を押されるようにして、その足跡を追って歩き出すのだった。

 

 ベルセクスに案内されるがまま、ベルはその古びた一軒家の中へと足を踏み入れた。

 しかし、部屋の中はカーテンが閉め切られているのかひどく暗く、外の朝の光に慣れていた目では周囲の様子がよく見えない。おっかなびっくり手探りで歩みを進めていると、ふいに硬い岩のような何かにドンッとぶつかってしまった。

 

「あ、すみませんっ! ベルセクスさん……?」

「いや、こちらこそすまない」

 

 てっきり前を歩いていたベルセクスにぶつかったのだと思ったベルだったが、頭上から降ってきたのは全く別の野太い声だった。

 驚いて目を凝らすと、そこに立っていたのはベルセクスではなく、さらに一回り以上大きな体格をした見知らぬ大男だったのだ。

 大男は暗がりの中でもベルを気遣うようにそう言うと、ごそごそと温かい紙包みのようなものを取り出し、ベルの手にそっと手渡した。

 

「あの……これは?」

「ハンバーガーだ」

「……ハンバーガー?」

 

 聞き馴染みのない不思議な響きの単語に、ベルは思わず疑問符を浮かべて首を傾げた。

 オラリオの酒場や屋台でも聞いたことがない料理名に戸惑うベルに対し、大男は穏やかな声で説明を続ける。

 

「ランクアップしたお前への祝いだ」

「なんで、僕にそんなことを……?」

「俺たちが君のファンだからさ」

 

 背後から、不意にベルセクスの声が届いた。

 振り返ると、いつの間にか入り口の扉を閉め終えたベルセクスが、暗闇の中で静かに佇んでいる。神々の恐ろしい追跡から助けてくれただけでなく、見ず知らずの自分を突然祝ってくれるという得体の知れない二人の男たち。その真意が全く読めず、ベルは手の中の温かい包みを抱えながら、ただ呆然と立ち尽くすのだった。

 

 そうして背後から届いたベルセクスの声と同時に、パチリという乾いた音を立てて部屋の魔石灯が点灯した。

 

 突然の眩しさに思わず目を細めたベルだったが、徐々に視界がクリアになっていくにつれ、信じられないものを見て息を呑むことになった。振り返った先に立つベルセクスの腕には、ひどく見覚えのある異質な衣服が抱えられていたからだ。漆黒の生地、顔を隠すほどの深いフード。それは、ソラから警戒するようにと聞かされていたあの集団の象徴だった。

 

「じゅ、XIII機関っ!?」

「おいおい、そんなに驚くなよ。取って食おうってわけじゃないんだからさ」

 

 喉が引きつるようなベルの叫びを聞いて、ベルセクスは薄く笑いながら手にした黒コートをバサリと羽織った。

 

 ただの外套を着ただけだというのに、彼の纏う空気が一変する。現れた得体の知れない組織の構成員を目の当たりにし、ベルは全身の産毛が逆立つような悪寒を覚えた。彼らはなぜ迷宮ではなく、下界のこんな場所に潜伏しているのか。警戒心を剥き出しにしたベルは、手の中にあるハンバーガーという温かい包みを抱え直しながらじりじりと後ずさる。

 

「僕に、一体なんの用なんですか……っ? 神様達から助けてくれたのも、何か企みがあってのことが…!?」

「言っただろ、俺たちは君のファンだって。俺たちはただ、君にもっともっと強くなってほしいんだよ。あんな神々の遊びに付き合って、足を止めている場合じゃないだろう?」

 

 ベルセクスが悪びれる様子もなく肩をすくめて答えるが、ベルには彼らが何を言っているのか全く理解できなかった。

 

 敵であるはずのXIII機関が、なぜ自分の成長を望むのか。ひたすらに困惑と警戒を強めるベルをよそに、今度は正面に立つ大男がゆっくりと黒コートのフードに手をかけた。

 

「なっ……!?」

 

 明かりの下で完全に露わになった大男の素顔を見て、ベルの心臓が早鐘のように激しく鳴り始めた。

 

 そこにあったのは人間の顔ではなく、二本の太い角が生えた猛々しい牛の顔だったのだ。荒い鼻息、獰猛な瞳、そして圧倒的な暴力の気配。それは、かつてダンジョンで自分を無残に殺しかけ、今もなお心の奥底に暗い影を落としている絶対的な恐怖の象徴そのものだった。

 

「ミ、ミノタウロス……っ!?」

 

 トラウマを強烈に刺激されたベルは、ガチガチと歯の根を鳴らし、恐怖に顔を完全に引きつらせて数歩後ずさった。

 

 しかし、武器すら出せずに怯える少年の無様な姿を見て、ベルセクスと牛の顔をした大男は顔を見合わせる。そして次の瞬間、何がそんなに面白いのか、二人は腹を抱えて突如として大笑いし始めたのだった。

 

 突如として腹を抱えて大笑いし始めた二人の意図が全く読めず、何が何だか分からないベル。

 かつて自分を惨殺しかけたあの恐ろしいモンスターが、人間のようにおかしそうに笑い声を上げているという極めて異様な光景に、恐怖と混乱で完全に思考が停止してしまう。その場で指一本動かすことすらできず、石のように硬直していると、目の前のミノタウロスが不意に笑いを止め、丸太のように太い両腕を自らの頭部へと伸ばした。

 そして、あろうことかその恐ろしい牛の頭を両手でガシッと掴み、首から上に向かって勢いよく捥ぎ取ったのだ。

 鮮血が噴き出し、肉の裂ける音が響き渡る。そう思い込んで身構えたベルは、思わず短い悲鳴を上げて目を強く瞑った。

 しかし、いつまで経っても凄惨な音や、鼻を突く血の匂いは漂ってこない。恐る恐る固く閉じていた目を開けた彼が目撃したのは、予想を完全に裏切る、信じられない光景だった。

 牛の頭の下から現れたのは、血を吹く首の断面などではない。赤茶色の髪を後ろに流し、両目の下にはひび割れや稲妻を思わせる禍々しい模様が深く刻まれた、顎髭を蓄えた屈強な人間の男の顔だった。あの絶対的な恐怖の象徴であり、ベルの魂に深いトラウマを刻み込んだミノタウロスの顔は、実はただの被り物だったのだ。

 

「よくここまでの出来が出来たな、ダルザクス」

「なに、魔石を砕くと同時に肉体を闇で包めば、肉体をそのまま残すことができる。デミックスのやってたげぇむとやらのバグ技みたいなものだ」

「なるほど、ニードルラビットのシチューとインファントドラゴンのステーキはそうやって作られたのか」

 

 笑い声を収めたベルセクスが、まるで芸術作品でも褒めるかのように感心した声で語りかけると、ダルザクスと呼ばれたその大男は、手に持ったミノタウロスの生首を無造作に弄びながら事もなげに答えた。

 その会話の意味を理解した瞬間、ベルの背筋に先ほどとは違う種類の悪寒が走る。

 ただの着ぐるみや作り物ではない。本物のモンスターをただ人を驚かせるためだけの被り物として加工して身につけていたというのだ。

 常軌を逸した狂気じみた発想と、世界の法則すらも裏技のように弄ぶダルザクスという男の底知れない力。XIII機関の異常な実力の片鱗をまざまざと見せつけられ、ベルは再び言葉を失い、呆然と目の前の男たちを見つめることしかできなかった。

 

 呆然と立ち尽くすベルへ、ダルザクスはズシリ、ズシリと重い足音を響かせながら歩み寄った。

 その屈強な長身から放たれる威圧感は、ただの人間とは思えないほどの圧倒的なプレッシャーを纏っている。彼は手にした巨大な牛の頭部を無造作に床へと放り捨てると、身動き一つとれない少年の顔を真っ直ぐに見下ろすようにして静かに告げた。

 

「これではっきりとしたな」

 

 唐突に投げかけられたその言葉の意味が分からず、ベルは強張った顔のまま小さく首を傾げて疑問符を浮かべる。

 自分が先ほどから何を試されていたのか、そしてなぜこの男たちがこんな回りくどい真似をしたのか。全く理解できていない少年に対し、ダルザクスは両目の下に刻まれた禍々しい模様を微かに歪め、その真意を重々しい口調で語り始めた。

 

「さっき、この頭部を被ってお前と相対した時……お前からは強烈な恐怖と、どうしようもないほどの激しい怯えを感じた。ミノタウロスよりも強大な存在との闘争の果てにLv.2となり、冒険者として一つ上の段階へ上がったにも関わらずだ。それほどまでに、今のお前にミノタウロスという存在はお前の魂の奥底にまで絶対的な恐怖を染み込ませたというわけだ。ベル・クラネル。今のお前は、女神の施しと、勇者のおこぼれを貰っているに過ぎない。自らの足で立っているようで、その実、常に誰かの庇護のもとで戦っているだけだ」

 

 その容赦のない痛烈な指摘は、ベルの胸の奥底に鋭い氷の刃のように深く、残酷に突き刺さった。

 ソラに何度も窮地を救われ、彼の眩しい光に引き上げられるようにして急成長を遂げたという引け目。そして、いつまでも守られる側でしかないという無力感が、ベル自身の中にも確かに存在していたからだ。図星を突かれ、一番隠しておきたかった痛いところをえぐり出されて、反論の言葉すら見つけられないベル。唇を噛み締めて俯く彼を鋭く見据え、ダルザクスはさらに絶望的な未来を宣告する。

 

「そのトラウマという名の心の淀み……恐怖という名の闇を抱えたままでは、いずれはその闇に飲まれるのが、今のお前の避けられない末路だ」

 

 心が闇に飲まれる。それは、ソラから聞かされていた最も恐ろしい結末だった。心を失い、ただ本能のままに蠢く化け物に成り果てるということ。

 顔面を蒼白にして震える少年に対し、ダルザクスは低く、しかし確かな熱を帯びた重厚な声で言い放った。

 

「ベル・クラネル。今のお前に必要なのは、本当の意味での冒険だ。誰の力も借りず、己の足で立ちはだかる困難という冒険に挑んで自らの闇を食い尽くせ。そうすれば、お前は確実に今より強くなれる」

 

 それは、ただの暴言ではなく、武人としての確固たる信念に基づいた不器用な激励のようでもあった。

 それだけを言い残すと、ダルザクスの背後の空間がぐにゃりと不自然に歪み始めた。周囲の光を飲み込むような漆黒の瘴気が渦を巻き、異界へと通じる闇の回廊が出現する。彼はもう振り返ることなく、その底なしの闇の中へと静かに、そして迷いなく足を踏み入れていく。

 

「頑張れよ、ベル」

 

 ダルザクスの大きな背中を追うように、傍らで静観していたベルセクスもまた、どこか楽しげに薄く笑いながら声をかけた。そして、バサリと黒コートの裾を翻し、二人揃って闇の回廊の奥へと完全に姿を消していく。

 直後、空間の歪みが嘘のように掻き消え、古びた一軒家には再び朝の静寂が戻った。

 後に残されたのは、圧倒的な強者から突きつけられた自身の脆弱さに呆然と立ち尽くす一人の少年と、彼の手の中に残された、場違いなほどに温かいハンバーガーだけだった。

 

 誰もいなくなった薄暗い部屋の中で、ベルは糸が切れたように近くにあった古びた椅子へとへたり込んだ。

 ダルザクスから突きつけられた残酷なまでの事実。自分がソラの力に依存し、トラウマから目を背けているという現実が、重くのしかかってくる。深く考え込み、俯いた彼の視界の端に、手の中に残されたままの温かい包みが映り込んだ。ダルザクスから手渡された、ハンバーガーという見慣れない食べ物だ。

 

「自らの闇を……食い尽くせ……」

 

 それを見つめていると、不意に先ほどのダルザクスの低く重厚な声が脳裏に蘇ってきた。

 その言葉に突き動かされるように、ベルは油の染みた包み紙を開き、中に入っていた分厚い肉が挟まれた料理を思い切り口に放り込んだ。

 むしゃむしゃと、獣のように無心で噛み砕き、喉の奥へと嚥下していく。口いっぱいに広がる強烈な肉の旨味と溢れ出す肉汁の熱さは、恐怖で冷え切っていた彼の体に不思議な活力を与えてくれた。それは、自らの中に巣食う恐怖や弱さを文字通り噛み殺し、乗り越えようとする彼なりの決意の表れでもあった。

 あっという間に最後の一口まで平らげ、口元を拭いながら手元の包み紙へと目を落とした、まさにその時だ。

 見開かれた包み紙の裏側に、殴り書きのような乱暴な文字が記されていることに気がついた。

 

『うまかったか? ミノタウロスの肉で作ったハンバーガーは』

 

「……ッ、げほっ、ごほっ、ごほぉっ!?」

 

 その衝撃的な一文を読んだ瞬間、ベルは顔を限界まで真っ青にし、喉を掻き毟るようにして激しくむせ返った。

 自分が先ほど決意と共に無心で噛み砕き、腹の底へと嚥下した肉の正体。自らのトラウマの絶対的象徴であり、つい先ほどまでダルザクスがその生首を無造作に弄んでいた、あのミノタウロスの肉。

 精神的な意味でも物理的な意味でも『闇を食い尽くさせた』XIII機関の容赦のない荒療治に、ベルは涙目で激しく咳き込みながら、ただ胃の腑を押さえて床を転げ回るしかなかった。

 

 

 

 

 話は変わり、薄暗く殺伐とした迷宮の通路を、凄まじい速度で駆け抜ける二つの影があった。

 他でもない、ソラと椿である。

 

「いくよ、椿!」

 

 ソラは迷宮のゴツゴツとした壁や太い石柱を軽快に蹴り上げ、空中でアクロバティックに軌道を変えながら縦横無尽に飛び回るフリーフローを駆使していた。全身に淡い光のオーラを纏い、まるで重力という概念が存在しないかのように複雑な地形を滑るように移動していく。

 一方の椿も、第一級冒険者たる卓越した身体能力を遺憾なく発揮していた。力強く地を蹴り、その人間離れした三次元的な動きにピタリと追従し、全く息を切らす様子もない。

 中層の領域は上層とは比べ物にならないほど過酷であり、道中では冒険者を殺さんと凶悪なモンスターたちが次々と牙を剥いて襲い掛かってくる。灼熱の業火を口から吐き出す地獄の番犬ヘルハウンドや、岩をも貫く鋭い一本角を突き立てて猛スピードで突進してくるアルミラージ。

 しかし、ソラと椿の敵ではなく、二人は歩みを止めることすらしない。すれ違いざまに流れるように放たれる一撃で、モンスターたちは悲鳴を上げる間もなく魔石を砕かれ、灰となって散っていった。

 そうして迷宮の脅威を物ともせず、さらに階層を深く潜り進んでいた、その時である。

 突如として周囲の空間がぐにゃりと不自然に歪み、冷たい風と共に、黒い影が地面から這い出てきた。それは迷宮が産み落とすモンスターとは明らかに異なる、異形の怪物たち――ハートレスの群れだった。

 今回二人の前に立ち塞がったのは、鋭い鉄の爪を持つハイソルジャー、車輪の周囲に無数の刃を付けたタイヤブレード、巨大な槍を振り回す重戦士アサルトライダー。そして、それらの背後から不気味な推進音を響かせて現れたのは、幾つものグミスラスターが複雑に集まり一つの巨大な塊となったような、グミスクワッドだった。

 

「ふむ、ついに目的のものが現れたな!」

 

 目的の素材を落とすというハートレスの出現に、職人としての底知れない探求心を刺激された椿は、眼帯で覆われていないほうの隻眼を大きく見開いて大興奮する。

 彼女はピタリと足を止めると、すぐさま右手をスッと前に突き出した。それは、最近ソラから教わったばかりの、武器召喚の魔法だった。

 

「来い……!」

 

 椿の手に眩い光が凄まじい勢いで集束していく。鍛冶師として数多の武器を打ってきた彼女の魂が魔力と共鳴し、次の瞬間、光の粒子が実体化して一振りの見事な刀が顕現した。一切の無駄がない、極限まで研ぎ澄まされた美しい刃を持つ名刀だ。

 そのまま彼女は力強く地を蹴り、ソラと共に凶悪なハートレスの群れへと真っ向から突っ込んでいく。

 

「まずは手前からだ!」

 

 先陣を切った椿へ向け、半人半馬の巨体を持つアサルトライダーが地響きを立てて猛突進してくる。強烈な遠心力と馬の脚力を乗せた、岩壁すら粉砕するほどの巨大な槍の薙ぎ払いが迫るが、椿は全く怯むことなく、むしろ自らその死地たる懐へと踏み込んだ。

 力任せに受け止めるのではなく、極限まで研ぎ澄まされた刀身を絶妙な角度で合わせ、重い槍の刺突の軌道を火花と共に真上へと滑らせる。体勢を大きく崩し、無防備な腹部を晒した巨体の死角へと瞬時に潜り込むと、椿は鋭い呼気と共に刀を振り抜いた。下から上への鮮やかな斬り上げ一閃。アサルトライダーは強固な鎧ごと一刀両断にされ、悲鳴を上げる間もなく黒い霧となって弾け飛んだ。

 一方のソラには、無数の刃を回転させながらタイヤブレードが猛スピードで迫っていた。耳障りな金属の摩擦音と散る火花。ソラの身体を両断しようと一直線に突っ込んでくる凶刃に対し、ソラはフリーフローの勢いを全く殺さず、垂直の壁を蹴って高く跳躍した。

 轟音を立てて足元を通り過ぎようとしたタイヤブレードに対し、ソラは空中から急降下し、キーブレードを勢いよく突き立てる。車輪の要である中心の隙間に鍵の刃が深く突き刺さり、その狂ったような回転を強引に停止させた。

 そこへ、俊敏な動きで背後の死角に回り込んでいたハイソルジャーが、ソラの着地の隙を突こうと鋭い鉄の爪を振り上げて飛びかかってくる。しかし、ソラは突き立てたキーブレードの柄を両手で掴み、それを支点にして体操選手のように軽やかに体を捻った。遠心力を乗せたソラの鋭い蹴りがハイソルジャーの顔面にクリーンヒットし、そのまま迷宮の硬い石壁へと深く叩きつけて粉砕する。

 残るは、空中に浮かぶ不気味な集合体、グミスクワッドだ。

 

「あれは俺がやる!」

 

 ソラが壁を蹴って高く跳躍すると、グミスクワッドはその体を構成する複数のグミスラスターから青白い推進の炎を一斉に噴き出し、凄まじい速度で突進してきた。さらに、空中で数十個ものブロック状のパーツに分離し、まるで意志を持つ隕石群のように四方八方からソラを包囲して襲い掛かってくる。

 全方位からの波状攻撃。しかし、ソラは空中で冷静に態勢を整えると、キーブレードを頭上で大きく振りかぶった。

 

(いかづち)よ!」

 

 キーブレードの先端から放たれた強烈な落雷が、網の目のように枝分かれして空間を奔る。四方八方から群れを成して迫り来るグミスクワッドを次々と正確に射抜き、雷撃を受けて機能不全に陥った個体がバラバラと地に落ちていく。

 それでもダメージを免れた残りの敵が、まるで意思を持った魚の群れのように統率された動きで宙を泳ぎ、巨大な渦を形成してソラを呑み込もうと殺到してきた。合体することなく、あくまで個の集合体としてうねる不気味な陣形。だが、ソラはその渦の中心――群れの動きを司る先導役が密集陣形から剥き出しになった一瞬の隙を見逃さなかった。

 空中に浮かぶ個体の一つを足場にして強く蹴り出し、矢のような速度で急降下する。風を切り裂きながら、ソラは体重と魔力のすべてを乗せた渾身の一撃を、グミスクワッドの群れの中枢へと深々と叩き込んだ。

 鼓膜を揺らすような甲高い破壊音と共に、統率を失ったグミスクワッドの集団は連鎖的に粉砕され、黒い霧となって霧散していく。戦闘開始からわずか数分。周囲を埋め尽くすように群れを成していたハートレスたちは、すべて光の粒子と化して消滅した。

 

「やった!グミブロックがいっぱい手に入ったぞ!」

 

 激しい戦闘を終え、グミスクワッドが消滅した跡に大量に散らばった、色とりどりのグミ素材を拾い集めながら、ソラは嬉しそうに声を上げた。

 しかし、その隣で刀を光に変えて消した椿は、地面に落ちているドロップアイテムを鍛冶師の鋭い目で確認し、深く嘆息する。

 

「ふぅむ……手前が求めているような、結晶は落ちぬようだな。致し方あるまい、さらに深く潜って別の個体を探すとしよう」

 

 目的の武器素材になりそうな素材が手に入らなかったことに肩を落としつつも、椿は気を取り直して再び迷宮の奥へと歩みを進める。

 そうして椿の案内に従い、二人は巨大な縦穴に続く、ひんやりとした長い階段を降りていった。

 底の見えない薄暗い階段をひたすらに下り続け、やがて視界がふっと開けた瞬間。目の前にどこまでも広がったその規格外の光景に、ソラは思わず足を止め、大きく息を呑んだ。

 

「うわぁ……!」

 

 そこは、これまでの岩肌が剥き出しになった無機質な迷宮とは全く異なる、水晶と豊かな自然に満ち溢れた幻想的なフロアだった。

 視界を埋め尽くすほど巨大な木々が天に向かってそびえ立ち、その太い根や枝に複雑に絡みつくようにして、青く澄んだ巨大な水晶が至る所で神秘的な輝きを放っている。どこからか聞こえてくる清らかな水のせせらぎと、見渡す限りの鮮やかな緑が広がる、まさに地下に隠された美しい楽園だった。

 圧倒され、目を輝かせるソラに向き直り、椿は自慢げに笑ってその場所を紹介した。

 

「ソラ、ここが『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』だ」

 




ベルがびびった理由はミノタウロスもありますが、9割ぐらいはダルザクスが圧を出していたのが大きいです。
ぶっちゃけベルとXIII機関の会合がしたかっただけです。
それとは別としてコンプレックスや悩みを抱えながらもそれでもと前に進んでいくのは好きです。
フェルズが再現しようとしているモバイルポータルもどきは眼晶(オクルス)をついになるペアじゃくてく複数で連絡できるようにしたやつです。後写真機能とかも付いてます。
ソラの持ってたARデバイスをなどを解析して生まれた。
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