「私は二つ目の命を授かり蘇ったのだ!他ならない、彼女によって!!」
大空洞の重苦しい空気を切り裂くように、男は両腕を広げて狂笑した。
黄緑色の瞳を三日月のように歪ませ、恍惚とした表情を浮かべるその姿は、完全に常軌を逸している。彼こそは、かつて迷宮の二十七階層で多くの冒険者を死に追いやった悪夢の首謀者、オリヴァス・アクトであった。
救援として駆けつけたエルフの少女レフィーヤは、眼前に立つ男の姿に激しい吐き気と恐怖を感じ、杖を握る手を小刻みに震わせていた。彼女の視界に映る男は、もはや人間と呼べるものではない。彼の下半身は瞳と同じ不気味な黄緑色に染まり上がり、脈打つような肉の蠢きを見せている。さらに致命的なのは、その胸の中央に深々と埋め込まれた、毒々しい極彩色の魔石だった。それは彼が人という種を捨て去り、別の何かへと成り果てたことの明確な証拠であった。
「あなた……一体、何なんですか…?」
アスフィが警戒を露わにして構えを取る中、耐えきれなくなったレフィーヤが震える声で問いを投げかけた。
「私か。私は、人とモンスターの力を兼ね備えた、至上の存在だ!」
オリヴァスは自身の白髪を揺らしながら、傲然と胸を張って答えた。
その言葉の真実性を裏付けるように、先ほどの攻防で彼が第一級冒険者たちから受けたはずの致命的な傷跡が、魔法の詠唱も治癒の恩恵も一切なしに、肉の糸が絡み合うようにして急速に自己再生していく。あっという間に傷口は塞がり、元の滑らかな肌を取り戻していた。
人とモンスターの異種混成。神々が定めた生命の理から完全に逸脱した、荒唐無稽な事実を突きつけられ、レフィーヤたち冒険者は戦慄を隠せない。
「……あなたは、
アスフィが冷徹な視線で彼を睨みつけ、静かに問い詰めた。
「あんな、神という滑稽な存在に踊らされるだけの過去の残り滓と一緒にするな」
オリヴァスは周囲に無残に転がる死兵たちの亡骸を顎でしゃくり、鼻で笑うように冷笑した。自らの命を絶ち、心を暗黒へと投げ打って怪物へと成り果てた狂信者たちでさえ、彼にとってはただの無価値な使い捨ての駒でしかない。
「では、この異常な大空洞の正体と、あなたたちはなにをするのですか?」
アスフィの追及に対し、オリヴァスは芝居がかった手つきで周囲を見渡した。
「ここは苗花だ。
「モンスターが……モンスターを産み出しているというのですか」
迷宮は壁や天井からモンスターを産み落とす。それが絶対の法則だ。しかし、モンスター自身が別のモンスターを生産し増殖させるという、理に反する異常事態をあっさりと肯定され、レフィーヤは驚愕に息を呑んだ。
「そうだ。私も、あそこにいる
オリヴァスは背後にある大主柱に取り付いた、雌の胎児のような異様な宝玉を振り返り、うっとりとした恍惚の表情を浮かべた。
「代行者……。ならば、あなたの目的は何なのです」
アスフィの問いかけに対し、オリヴァスは黄緑の双眸に昏く淀んだ光を宿し、両腕を天へと掲げた。
「決まっている。あの大穴の蓋たる迷宮都市オラリオを、完全に滅ぼし尽くすことだ」
空洞全体に響き渡ったその高らかな宣言は、あまりにも途方もない狂気を孕んでいた。
人類の最後の砦であり、世界の中心とも言えるオラリオの崩壊。それはすなわち、世界が再び神々が降臨する以前の、果てしない殺戮と古代の戦乱の時代へと逆行することを意味している。
「ふざけるな!頭がおかしいんじゃないのか!そんなことをして、一体何になるっていうんだ!」
オリヴァスの言葉にルルネが、正気を疑うように吠えた。
「大いなる意味がある!地中深く、暗い迷宮の底で眠り続ける彼女が、広大な空を見るためだ。あの大穴を塞ぐように作られたオラリオは、彼女が地上に出るための目障りな蓋でしかない。邪魔な蓋を破壊し、彼女はさらに高い空へ飛び、外の世界へと美しく羽ばたくのだ!」
彼女と呼ばれる存在により二つ目の命を授かったオリヴァスは今や、ただひたすらに自分を蘇らせた彼女の願いを成就させることだけを至上の喜びとする、救いようのない完全な狂信者へと成り果てていた。
狂喜の熱を帯びた長広舌を振るい続けるオリヴァスに対し、心底くだらなそうに鼻を鳴らした者がいた。
「あー、うるせえ。長々と下らねえ御託を並べてんじゃねえよ」
灰色の髪を持つ狼人、第一級冒険者のベート・ローガである。彼は忌々しげに舌打ちを鳴らすと、鋭い犬歯を剥き出しにして不敵に笑った。
「どうせてめぇはもう碌に動けやしねえんだろ。だったらそのまま大人しくくたばっとけ」
「……ほう」
ベートの鋭い眼光に見透かされ、思惑を看破されたオリヴァスは、顔の筋肉を歪めて不気味に笑い声を上げた。
もはや言葉遊びの時間は終わりだと言わんばかりに、彼は背後の大主柱に向けて、容赦なく行動の余地を奪う命令を下した。
「狂い咲け──
空気を濁らせるほどの強烈な腐臭が放たれ、大主柱に寄生していた一輪の
「全員、散れっ!!」
ベートの鋭い警告が響き、冒険者たちは一斉に四方へと飛び退いた。直撃こそ免れたものの、階層主をも凌駕する超絶的な質量を持った
砕け散った緑色の肉の破片が散弾のように飛び交い、
「っく!」
レフィーヤが必死に距離を取り、魔法の言葉を紡ごうとするが、圧倒的な巨体による容赦のない連続攻撃が彼女に息をつく暇すら与えない。
ルルネやヘルメスファミリアの冒険者たちも武器を構えて必死に応戦するが、事態はさらに悪化の一途を辿っていた。
魔法の詠唱すら許されない
「素晴らしい。もっと足掻け、そして彼女の養分となれ」
冒険者たちが一方的に蹂躙される悲惨な光景を、オリヴァスは愉悦に満ちた表情で眺め下ろしている。
その吐き気を催すほどの邪悪な笑顔に対し、もう一人のエルフの援軍であるフィルヴィスが、激しい怒りと憎悪の声を投げかけた。
「オリヴァス・アクト!貴様だけは、絶対に生かしてはおかない!」
オリヴァスこそが、かつて凄惨な悪夢を引き起こし、フィルヴィスからかけがえのない大切な仲間とエルフとしての誇りを無惨に奪い去った元凶であったのだ。
怒りのままに短い杖を構え、必殺の魔法を放とうと殺気をみなぎらせるフィルヴィス。だが、オリヴァスは余裕の冷笑を崩さず、フィルヴィスの視線をある特定の方向へと強引に向けさせた。
「私を恨むのは勝手だが、そちらは放置していいのか?」
フィルヴィスが視線を向けると、そこには絶望的な光景があった。背後で荒れ狂う
その瞬間、フィルヴィスの脳裏に、かつての仲間たちを見殺しにしてしまったという忌まわしいトラウマが鮮烈にフラッシュバックした。血に染まったかつての記憶が彼女の心臓を鷲掴みにし、復讐の魔法を放つべきか、あるいは仲間を助けるべきか、激しい葛藤が彼女の表情を苦痛に歪ませた。
しかし、自分を慕ってくれた純粋なレフィーヤを、再び見殺しにすることなど絶対にできるはずがなかった。
「ウィリディス!」
フィルヴィスは血を吐くような思いで憎き仇に背を向け、レフィーヤの救出へと真っ直ぐに戦場を駆け出した。
迫り来る闇の魔弾を短杖で弾き飛ばし、間一髪のところでフィルヴィスが合流したことにより、レフィーヤは辛くも致命の一撃から窮地を脱する。
「これを使え!」
「はい、ありがとうございます!」
フィルヴィスから手渡された予備の片手剣を受け取り、レフィーヤは震える手でしっかりとそれを握り締め、懸命に自衛を固めた。
アスフィやベートたちも、この絶望的な状況を打破すべく、
冒険者たちの必死の足掻きを、オリヴァスは安全圏から見下ろして嘲笑う。
「そろそろ引導を渡してやろう。塵ひとつ残さず消え失せるがいい」
これ以上の無駄な時間は不要とばかりに、オリヴァスは二体目の
だが、彼が破滅の命令を下すよりも早く。
大空洞を覆う分厚い緑肉の壁面が、なんと二箇所同時に、大気を激しく震わせるほどの凄まじい轟音と共に爆砕されたのである。
・
大空洞を覆う分厚い緑肉の壁面が、二箇所同時に、大気を激しく震わせるほどの轟音と共に爆砕された。
無数の肉片と岩盤が散弾のように飛び交う中、一箇所目の猛烈な土煙から弾き出されるようにして飛び出してきたのは、全身傷だらけになった赤髪の女、レヴィスだった。彼女は自らの得物である禍々しい肉の長剣を無残にへし折られており、壁を突き破るほどの衝撃で吹き飛ばされ、緑色の地面を削りながら無様に倒れ込む。
粉砕された壁の向こうの暗がりから、長時間の凄絶な激闘の末に彼女をそこまで追い詰めた少女が姿を現した。アイズ・ヴァレンシュタインである。彼女の右手には、銀のサーベルであるデスペレートが静かに握り締められていた。
時を同じくして、二箇所目の崩壊した壁面から躍り出てきたのは、ソラと椿だった。
椿の肩には
地下水道の罠によって完全に分断されていたはずの戦力たちが、力業で壁を粉砕し、ついに大空洞へと集結を果たしたのだ。
「アイズさんっ!とソラさんっ!?」
「チッ、出来損ないの紛い物どもめ」
絶体絶命の危機に瀕していたレフィーヤが安堵と驚きの声を上げる中、大空洞の戦況はソラの登場によって劇的な変化を迎えた。
キーブレードの強烈な光の存在を感知した瞬間、死兵から変貌し暴れ狂っていたインビジブルやダークボールといったハートレスたちが、一斉にソラへと標的を定めて殺到し始めたのである。
オリヴァスは自らの意に反して暴走を始めたハートレスたちに苛立ちを覚えながらも、まずは味方であるレヴィスの惨状を見下ろした。
「……随分と無様な姿だな、レヴィス。口ほどにもない」
レフィーヤと同じくアイズたちを観察していたオリヴァスは、地に這う女に冷酷な嘲笑を送り付けた。
響いた声に、レヴィスはその緑色の瞳で彼の方角を忌々しげに一瞥する。
アイズもまた静かに視線を向けてくる中、オリヴァスの笑みが消え、眉間に深い皺が刻まれた。
「こんな小娘が『アリア』だなどと……到底承服できんが、まあいい。『彼女』が望むのであればな」
アイズに対して並々ならぬ嫉妬でも抱いているのか、言葉の端々にどす黒い敵愾心を窺わせながら、オリヴァスは顔を醜く歪めて片手を真上へと掲げた。
「食い散らせ、
背後にそびえる大主柱へ向かって、冷徹な喚起を飛ばす。
石英に取り付いていた二体目の
大主柱に巻き付き残った太い胴体から、そのおぞましい花頭を、目前に立つアイズへと真っ直ぐに向けた。
「アイズさんっ!」
召喚された階層主級のモンスターに、レフィーヤが悲痛な叫声を上げる。
すぐさま救援に向かおうとするが、オリヴァスの差し金か、
「生け捕りにする必要はない。死骸となって持ち帰ろうともな」
モンスターに冒険者たちを足止めさせ、オリヴァス自身もアイズのもとへと距離を詰める。
レヴィスと同様に体力を消耗している今ならば殺すのも容易いと、底意地の悪い悪辣な笑みを向けた。
「やめろ、オリヴァス」
「口出しするな、レヴィス。貴様が処理しきれなかったゴミを片付けてやるのだからな」
膝をついたまま投げられるレヴィスの制止の呼びかけに、オリヴァスは全く取り合わない。彼女の警告を無視し、くすんだ白髪の男は標的の少女のみを真っ直ぐに睨みつけた。
視線の先で、大蛇のようにゆっくりと這い寄ってくる濃緑の
階層主級の巨大なモンスターと比べて、あまりにも小さく細い一振りの武器。その無謀とも言える姿に、オリヴァスはせせら笑った。
「塵となれ、【剣姫】!!」
オリヴァスの号令と共に、
だが、それよりも先にソラは手にした武器を流れるような動作で変形させ、神々しい装飾が施されたウェスタベルの長杖を天高く掲げた。
「光よっ!」
長杖の先端から圧倒的な光が溢れ出し、薄暗い大空洞の中に白亜の美しい神殿の幻影が荘厳に現出する。
炉の女神が司る神聖な光の波動が戦場全体を瞬く間に包み込むと、満身創痍だったアイズやアスフィ、そしてヘルメス・ファミリアの団員たち全員の傷が嘘のように癒えていった。底を突きかけていた体力までもが完全に回復し、全身に力が満ち溢れていく。
そればかりか、光を浴びた全員の武器には、ごうごうと燃え盛る強力な炎属性の力が付与されていた。
神殿の幻影から放たれた圧倒的な光と熱の奔流は、暴風を纏うアイズの斬撃と完璧に融合する。
極大の嵐と焦熱の炎が渦巻く一撃となって、アイズの銀閃が迫り来る二体目の
絶対の自信を持っていた
その信じられない光景に、オリヴァスは目を見開き、全身を硬直させた。
「手前の切れ味、その身で味わえ!」
「鬱陶しいんだよ、雑魚どもが!」
殺到するハートレスの群れに対しても、冒険者たちの猛烈な反撃が開始される。強力な炎属性を纏った椿の巨大な剣戟がダークボールの群れを一掃し、炎の軌跡を描くベートの猛烈な蹴撃がインビジブルの装甲を容易く打ち砕いていく。
絶望に包まれていた大空洞は、冒険者たちの規格外な反撃によって完全に制圧されつつあった。
ベートたちが一体目の
二体目の
「【
静かな、しかし絶対的な威厳を伴った声が響く。
直後、大空洞の空気が悲鳴を上げた。アイズの全身から立ち昇る風はただの気流ではなく、神の怒りそのものを顕現させたかのような最大出力の暴風であった。
圧縮され、鋭利な刃と化した風の結界がアイズの周囲に展開される。彼女が銀の剣を横に薙いだ瞬間、視認することすら不可能な神速の真空波が放たれた。
迫り来ていた
瞬きをする間に、数十体の
ただ一振り。それだけで戦局を決定づける美しくも圧倒的な風の剣士の姿に、大主柱の傍に立つオリヴァスは恐怖に激しく身震いした。
「そんな、馬鹿な。私の…」
オリヴァスの口から、震える声が漏れ出る。
最大の手札であった二体の
二つ目の命を授かった自分が、至上の存在であるはずの自分が、またしてもこの薄汚い冒険者どもに敗北するなどあってはならない。彼女の悲願を、オラリオを滅ぼすという崇高な目的を、ここで終わらせるわけにはいかないのだ。
「ありえん。こんなこと、私は認めないぞ!!」
錯乱したオリヴァスは、地面を蹴りつけアイズに突進する。
魔石により人智を超えた怪力が彼の全身の血管を駆け巡る。理性を完全にかなぐり捨て、オリヴァスは奇襲に近い形でアイズへと猛然と突進した。
腕を獣の爪のように変形させ、空気を切り裂きながら必殺の一撃をアイズの細い首筋へと叩き込もうとする。
「死ねえええええええ!」
だが、その一撃が彼女に届くことは永遠になかった。
死線を乗り越え、レベル六という神の領域に至ったアイズにとって、怒りに任せたオリヴァスの直線的な動きは、止まっているに等しいほどあまりにも遅すぎた。
アイズは表情をピクリとも変えることなく、迫り来る狂気を見据え、ただ静かに手首を返した。
神速の銀閃が無数に瞬く。
それは剣の軌跡すら残さない、光の瞬きのような斬撃だった。
「が、あ」
突進の勢いのまま、オリヴァスの体が不自然に空中で静止する。
次の瞬間、彼の全身から放射状に大量の鮮血が噴き出した。両腕、両脚、そして胴体。強靭な怪人の肉体が、瞬きする間に数十から数百の斬撃を浴び、ズタズタに切り裂かれたのだ。
魔石の再生能力すら追いつかないほどの致命的な破壊。オリヴァスは自らの体が崩壊していくことを理解する暇もなく、無様な姿勢で地面に倒れ込み、大量の血の海に沈んだ。
もはや指一本動かすこともできない。再起不能となったオリヴァスを見下ろし、アイズは無慈悲に銀の剣を振り上げた。その胸にある魔石を砕き、完全に息の根を止めるために。
「そこまでだ」
アイズがとどめを刺そうと刃を振り下ろした瞬間、突風のような速度で何者かが二人の間に乱入した。
赤髪の女、レヴィスである。
彼女は自身も満身創痍でありながら、人間離れした膂力でオリヴァスの体を乱暴に掴み上げると、アイズの剣撃を間一髪で躱し、石英の大主柱付近まで一気に退避した。
突然の介入にアイズは警戒を強め、剣を構え直して二人の動向を静かに窺う。
大主柱の根元に放り出されたオリヴァスは、血反吐を吐きながら息も絶え絶えにレヴィスを見上げた。
「レ、ヴィス…」
「より強い力が必要か…」
レヴィスは無表情のまま冷たく言い放った。
彼女の右手がゆっくりと持ち上げられる。その掌の中には、不定形の泥や凝縮された夜の闇のような、黒く澱んだ何かが不気味に蠢きながら握られていた。周囲の光を吸い込み、視界を歪ませるほどの濃密な闇の塊。
「お前は弱すぎる。その程度の力では、アレの望みは叶えられない。だから」
レヴィスは倒れ伏すオリヴァスを見下ろし、感情の抜け落ちた声で告げる。
「力が足りないお前に、これをくれてやる」
「な、何を言って」
オリヴァスが眉を顰め、その言葉の真意を測りかねて戸惑った。だが、レヴィスは彼にそれ以上思考する隙を与えなかった。
霞むほどの恐るべき速度で腕を突き出し、レヴィスはその掌ごと、怪しくうごめく闇をオリヴァスの胸板へ、極彩色の魔石が埋め込まれたその場所へと容赦なく叩き込んだのである。
「が、あああああああ!」
物理的な衝撃よりも先に、おぞましい感覚がオリヴァスの神経を蹂躙した。
焼けるような高熱と、血液を瞬時に凍らせるような絶対零度の冷気。矛盾した二つの苦痛が混ざり合った異物が、皮膚と筋肉を透過して直接体内へと侵入してくる。
命の核であり、怪人としての力の源である極彩色の魔石。そこに、泥のような粘着性を持った闇がまとわりつき、侵食していく。
オリヴァスは喉が裂けんばかりの絶叫を上げ、身悶えしながらその場に両膝をついた。
「やめろ、レヴィス!たった一人の同胞の私を…!」
「黙って受け入れろ。それがお前の役目だ」
「やめろ、やめてくれ!私から、私を奪うな!」
自分の存在そのものが、真っ黒なインクで塗りつぶされていくようなおぞましい感覚。
オリヴァスは体から異物を追い出そうと、泣き叫びながら猛烈な拒絶反応に身をよじった。自らの鋭い爪で胸を狂ったように掻きむしり、皮膚が裂け、肉がえぐれて鮮血が飛び散る。しかし、どれほど肉体を傷つけようとも、一度侵入した闇の侵食を止めることはできなかった。
痛覚を超越した根源的な恐怖が彼を襲う。怪人としての本能が、彼自身の魂が、激しい警鐘を鳴らしていた。
これは魔石がもたらす変異や進化などではない。もっと根源的で、圧倒的に邪悪な、自らの自我すらも残さず食い尽くす猛毒なのだと。
「あああ、あああああ!」
意識が急速に混濁していく。
脳裏に浮かぶのは、かつての仲間たちの顔。迷宮の闇に対する恐怖。オラリオへの果てしない憎悪。そして何よりも、自らに新たな命を与えてくれた彼女へ捧げたはずの、絶対の忠誠心。
彼を彼たらしめていたすべての感情と記憶が、無慈悲な闇の濁流の中で強制的に溶かされ、意味のないノイズへと変換されていく。
「嫌だ、私は選ばれた存在だ!彼女の、代行者なのだ!」
自分が自分でなくなるという、生物にとって最も恐ろしい根源的な恐怖。
オリヴァスは血走った目で虚空を睨み、涎を垂らしながら足掻いた。至上の存在となった自分が、こんな得体の知れない泥のような力に飲み込まれて、自我を失うわけにはいかない。
「私を、私を消さないでくれえええええ!」
だが、彼の必死の抵抗も虚しかった。
彼の心まで到達した闇は、オリヴァスの魂を漆黒の底へと容赦なく引きずり込んでいく。嫌だ、やめてくれと懇願する彼の悲痛な絶叫は、誰の心にも届くことなく、冷酷な大空洞の闇の中へと溶けて消えていった。
やがて、地下水道の堅牢な石壁を震わせるほどの、絶望に満ちた最後の叫びが響き渡る。
それと同時に、オリヴァスの肉体に決定的な変化が訪れた。
彼の皮膚が、内側から滲み出すように突如としてどす黒い漆黒へと変色していく。
それは怪人の魔石がもたらす再生能力の暴走や、細胞の変異といった生易しいものではなかった。魂の形が書き換えられたことによる、根本的な存在の変質。
オリヴァスの足元から、実体を持った粘液のような影が大量に滲み出し、彼を完全に侵食し始める。
関節が異常な方向に曲がり、四肢がねじ切れる。血の代わりに黒い靄が噴き出す中、失われた手足の代わりに、硬質で鋭利な植物の根のような真っ黒な脚が、自らの肉体を突き破って飛び出した。
断末魔の悲鳴すらも濃密な闇に飲み込まれ、大空洞に静寂が落ちる。
残されたのは、異常な速度で膨れ上がっていく漆黒の肉塊だった。オリヴァスの上肉体は風船のように膨張し、かつて人であった面影は瞬く間に失われていく。
彼の上半身から緑と紫が混じり合う、毒々しい巨大な蕾が内側から破って開花した。
それは巨大な
かつてオリヴァスの胸があり、魔石が埋め込まれていたその中心。そこには、棘のある茨が複雑に絡みついたような、禍々しいハートの紋章が赤く脈打っていた。
暗黒の空間の中で、そのハートの紋章だけが、まるで血に飢えた独眼のように怪しく光り輝いている。
もはやそこに、傲慢な野望を抱いていたオリヴァス・アクトの面影も、彼女を崇拝していた自我も、一切残されてはいなかった。
あるのはただ、心を求め、底なしの闇を貪り尽くす禍々しい捕食者。
巨大なハートレスが、冒険者たちの前にその絶望的な姿を現し、大空洞の底に静かに鎮座していた。