キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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原作3巻、外伝4巻辺り
第30話 三つのスタイルと、迷宮を侵す闇の胎動


 二十四階層での大規模な異常事態から一夜明けた、旅人の宿の一室。

 ヘルメス・ファミリアの主神であるヘルメスは、団長のアスフィや怪我の治療を終えた団員たちから事の顛末の報告を受けていた。

 

「――それで、ソラ君の戦いぶりはどうだった?」

 

 ヘルメスが羽根付き帽子を弄りながら楽しげに、しかし瞳には真剣な光を宿して問いかけた。

 その質問に対し、アスフィは銀縁眼鏡を中指で押し上げ、冷静沈着な声音で、しかし言葉の一つ一つを慎重に選ぶように答えた。

 

「彼の持つあの変幻自在な武器や、広範囲を一掃する魔法、さらには巨大なガネーシャ像の召喚など、その全てを加味して……ソラさんは間違いなく『規格外』です。本当に彼はLv.1なのですか?」

「ああ、彼はLv.1だよ」

「何故、そう言い切れるのですか? あのデタラメな強さがLv.1の枠に収まるはずが…」

「彼は有名だから、ちょっと探りをしてきてね。間違いなく彼はステータスはLv.1だよ」

 

 ヘルメスのあっさりとした返答に、アスフィは銀縁眼鏡の奥で信じられないといったように目を丸くした。

 彼女の理性が警鐘を鳴らしていたが、コホンと咳払いをして話題を脱出時のことへと切り替えた。

 

「……彼のステータスの件は一旦置いておきましょう。ヘルメス様が調べてそうであるなら、我々にはそれをどうにかすることはできませんし。それよりも、脱出する際に彼が出現させた『巨大な乗り物』についてです。おそらくですが、作れます」

「ほんとかアスフィ!?」

「どんなのなんだ?」

 

 ルルネが犬の耳をピンと立てて驚きの叫びを上げ、ヘルメスが興味津々に身を乗り出す。

 

「先頭の車体は円筒形の炉と四角い運転台が組み合わさったような形状で、緑と黒、そして赤色で塗装されていました。側面の王冠の紋章や金の装飾こそ目を引きますが、拍子抜けするほど、乗り物としての構造自体は単純なものでした。ただ車輪のついた箱を連結させているだけで、外側の形だけなら私でもすぐに作れます。ですが、問題はあんな巨大な塊を凄まじい速度で引っ張る未知の『動力源』と、彼が魔法で出現させた『光の線』です」

「光の線?」

「ええ。空中に、二本の平行な光の線が長く浮かび上がったんです。そして、あの巨大な乗り物の車輪の溝が、その二本の光にピタリと噛み合っていました。まるで、空間に強固に固定された『見えない道』の上を強制的に滑走させられているような……。あんな風に、空中に自分だけの走行経路を描き出すのは、私にはさっぱり見当がつきません」

 

 レールという概念を知らないアスフィにとって、マウンテンコースターの軌道は「空中に魔法で固定されたガイドライン」にしか見えなかった。未知の技術体系に、魔道具作製者(マジックアイテムメイカー)としての彼女の探求心が激しく刺激されているのがわかる。

 彼女はため息をつくように眼鏡を外し、眉間を揉んだ。

 

「それに、椿・コルブランドに聞いたところ、あのガンブレードの構造も、元を辿ればソラさんからの知識だと聞いています。近々、あの乗り物の件も含めて、彼に直接色々と聞いてみたいと考えています」

「へえ、あの最上級鍛冶師(マスター・スミス)を唸らせた武器のアイデアもソラ君がねぇ……ますます面白いじゃないか。じゃあ、次は『ハートレス』について聞かせてくれるかい?」

 

 ヘルメスが楽しそうに話題を切り替えると、報告の場にいた他の団員たちが口々に不満や恐怖をこぼし始めた。

 

「あいつら、種類が多すぎですよ!大砲を撃ってくるでかい城みたいなやつから、自爆する厄介なのまで……」

「アンセムって奴が人工的に作ったらしいですけど、あんなのをダンジョンで大量発生させるなんて、どう考えてもおかしいですよ!」

 

 団員たちの喧騒を片手で制し、アスフィが極めて真剣な表情でヘルメスに向き直る。

 その表情は先ほどまでとは違い、感情の抜け落ちた、まるで悍ましい深淵を淡々と見つめるような、異様な冷静さを帯びていた。

 

「我々と対峙した闇派閥(イヴィルス)の残党が、自らの命を絶ってモンスターに変貌した時……彼らの体のどこかに、あのハートレスと同じ十字のエンブレムが刻み込まれていました。おそらくですが、あのハートレスという存在は……」

「なぁ、アスフィ」

 

 アスフィが恐ろしい推測を口にしかけたその時、ルルネが静かに割り込んできた。

 彼女の顔はひどく蒼白で、犬の耳は力なく伏せられ、視線は宙のどこか一点を虚ろに見つめている。先ほどまでの活発な様子は消え失せ、感情の起伏すら感じさせない平坦な声だった。

 

「あれは今まで私たちが戦ってきた迷宮のモンスターとも全く違う。闇派閥(イヴィルス)の連中と戦った時も、あの白髪鬼(ヴェンデッタ)の時も、なんと言うか……薄気味悪かった。ただのハートレスを見た時は、そんなものは感じなかったんだ。なのに……」

 

 ルルネは自身の細い腕を抱き抱え、ぽつり、ぽつりと吐き出すように言葉を続ける。

 

「目の前で、生きた人間がハートレスになった瞬間……全身から、どうしようもないぐらいの嫌悪感が込み上げてきたんだ……」

 

 淡々とした、だからこそ生々しい恐怖が伝わるルルネの独白。人間の悪意や闇から直接産み落とされた異形の存在が放つ生理的な嫌悪感は、彼女の直感に強烈な警鐘を鳴らしていたのだ。

 ルルネの言葉を聞き、アスフィの推測を繋ぎ合わせたヘルメスは、被っていた羽根付き帽子のつばを深く下げ、真剣な瞳を隠して少しの間考え込んだ。

 ソラという規格外のLv.1。椿を唸らせた未知の知識。そして、人間の闇から産まれるハートレス。全ての状況が、ソラという少年がこのオラリオの、いや、世界の均衡を大きく揺るがす存在であることを示唆していた。

 

「……なるほどね」

 

 やがて顔を上げたヘルメスは、いつもの飄々とした笑顔を浮かべて宣言した。

 

「明日は俺、ヘスティア・ファミリアに行ってくるよ。ちょっとソラ君と話すだけだから、護衛はいらない」

 

 それは、神としての鋭い直感が、ソラという少年がもたらす渦巻に自ら飛び込むような合図でもあった。ヘルメスは窓の外、ヘスティア・ファミリアの本拠地がある廃教会がある方角を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 ヘルメスたちがハートレスやソラの話題で持ちきりになっていた頃、当のソラはベルとリリと共に、ダンジョンの九階層で激しい戦闘の真っ只中にいた。

 薄暗い迷宮の通路に、硬質なものが岩肌を叩く音が不気味に響き渡る。彼らの前に立ちはだかるのは、ポットスパイダーとバレルスパイダーの群れである。

 

「はああっ!」

「やあぁっ!」

 

 迷宮の岩肌を力強く蹴り、白い残像を残して肉薄したベルのキーブレードのベルウェスタが、ポットスパイダーを一刀両断に斬り伏せる。けたたましい破砕音と共に黒い霧が噴き出すより早く、ベルの死角を突こうと背後から跳躍してきたバレルスパイダーの眉間を、リリの小さな槍が的確に貫いていた。

 二人の息の合った連携攻撃に、ソラはあえて武器を抜かず、少し離れた安全な場所から腕を組んで頼もしげに静かに見守っていた。

 今日の狩りの最大の目的は、リリの所属するソーマ・ファミリアからの脱退金を集めることだった。

 ソラは当初、二十四階層の異常事態の調査でフェルズから得られる莫大な報酬を使って、彼女の脱退金を全額肩代わりしようと提案したのだ。ソラにとって、リリはすでにかけがえのない大切な仲間であり、金で解決できる問題ならば躊躇する理由はなかったのだ。しかし、リリは「自分の問題は自分でケリをつけますから」と、二人の厚意を頑なに固辞した。彼女の過去の清算は、彼女自身の手で成し遂げなければ意味がないという強い意志の表れだった。

 幸い、地道な迷宮探索とドロップアイテムの売却により、リリの脱退金はすでに目標額に手が届くところまで溜まっていた。それならばせめて、最後の一押しとなる素材集めだけでも手伝わせてほしいとソラとベルが頼み込み、上層のハートレスの中でも比較的高値で取引されるミスリル系素材を落とすポットスパイダーとバレルスパイダーに目を付けたというわけだ。

 そしてもう一つの理由は、ベルが新たに手にした『スタイル』の検証とランクアップによる肉体のズレの直すことを兼ねた実戦訓練だった。

 

「いくよっ!」

 

 ベルがベルウェスタを顔の前に構えると、彼の身体を猛烈に燃え盛る炎が包み込んだ。それはこれまでの白兎を思わせる彼の戦い方とは全く違う、全身に強烈な炎を纏うスタイル『イグニスストライカー』への変化だった。

 周囲の空気が圧倒的な熱量で陽炎のように歪む中、炎を纏ったベルの動きは以前よりも遥かに鋭く、そして力強い。

 壁を這い回っていた三体のバレルスパイダーが、一斉にベルの頭上へと体当たりを仕掛けてくる。ベルはそれを迎撃するのではなく、炎の軌跡を描く鮮やかな後方宙返りで紙一重で躱した。そして空中で空かさず身を翻し、落下してくるモンスターの群れに向けて強烈な炎の剣閃を叩き込んだ。

 鼓膜を劈く凄まじい爆発音と共に、バレルスパイダーたちが空中で木端微塵に吹き飛ぶ。着地と同時にベルは次なる標的へと迷宮の床を爆発的に蹴り出した。目にも止まらぬ踏み込みから放たれる連続攻撃は、打撃のたびに激しい爆炎を撒き散らし、瞬く間に硬い装甲を持つスパイダーの群れを文字通り圧倒していく。

 そして群れの中心へと視線を定めたベルは、このスタイルの真価とも言える絶技の体勢に入った。

 全身で激しく燃え盛る炎を、キーブレードの先端へ向けて極限まで圧縮していく。莫大な熱量を限界まで押し込めたベルは、迷宮の床を砕かんばかりの勢いで力強く踏み込み、自身が巨大な炎の彗星となって残る敵の群れの懐へと猛スピードで飛び込んだ。

 

「はぁああああっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に放たれた絶大なる一撃。ベルが渾身の力で敵を叩き打った瞬間、剣先に溜め込まれていた炎が一気に解放された。

 迷宮を激しく揺るがす轟音と共に、周囲一帯のモンスターを丸ごと吹き飛ばすドーム状の巨大な大爆発が巻き起こる。圧倒的な業火の嵐がスパイダーの大群を完全に呑み込み、硬い装甲もろとも跡形もなく灰燼に帰したのだった。

 さらに驚くべきことに、炎に焼かれて黒い霧となったポットスパイダーが消滅した跡には、本来ならドロップ率が低いはずの『ミスリルのかけら』が、まるでただの石ころのように面白いように確実に入手できていた。

 一体倒せば、チャリンと澄んだ音を立てて確実に銀色の欠片が転がる。ベルがLv.2へとレベルアップを果たした際に発現した、発展アビリティ『幸運』がもたらした規格外の恩恵だった。

 この異常なまでのドロップ率ならば、リリの脱退金を集めるための素材稼ぎも、数日かかると踏んでいたところがあっという間に終わるだろう。

 さらに、今日の戦闘において目を見張るべきはベルだけではない。リリ自身もただ後方で支援するサポーターとして立ち回るだけでなく、自ら前線に立って積極的に立ち回っていたのだ。

 ソラから直接教えを受けた槍の技術は、彼女の小人族(パルゥム)という小柄な体格を補って余りある武器となっていた。近づきすぎず、遠すぎずの絶妙な間合いを保つ、緻密で計算され尽くしたフットワーク。飛びかかってくるポットスパイダーの鋭い毒牙を槍の柄で滑らせるようにいなし、体勢が崩れた相手の関節の隙間――硬い装甲に覆われていない柔らかな部位へ、全身の体重を乗せた鋭い刺突を無駄なく突き入れる。

 ベルが大きく踏み込んで攻撃した直後のわずかな隙には、リリが滑り込むように立ち位置を変え、牽制の突きを連続で放って敵の反撃を一切許さない。巨大な敵の力に真正面から張り合うのではなく、相手の勢いを利用して急所を突くその流麗な槍捌きと、戦場の全体を俯瞰する冷静な判断力は、かつてのサポーター専業だった頃の彼女からは到底想像もつかないほどの成長ぶりであった。

 

 そんな目覚ましい活躍を見せる二人の背後で、パチパチと紫電を散らしながら付き従っているのは、ソラが呼び出したドリームイーター、エレキユニコーンだった。

 本来はサポーターであるリリが自らの体よりも大きなリュックサックで背負うはずの荷物は、今はすべてエレキユニコーンの背に括り付けられている。愛らしい見た目とは裏腹に力持ちなエレキユニコーンは、単なる荷物持ちとしてだけでなく、前衛で戦うリリに危険が迫った際、即座に雷の魔法で援護するための専属のボディガードとしての役割も担っていた。

 現に、乱戦に乗じてリリの背後から奇襲をかけようと天井から音もなく忍び寄っていたキラーアントの群れへ向けて、エレキユニコーンは自慢の角から正確無比な雷撃を放ち、モンスターを黒焦げにして撃ち落として退けている。

 

「ありがとうございます!」

 

 リリが槍を振るい、敵を穿ちながら振り返って感謝の言葉を向けると、エレキユニコーンは嬉しそうに首を振り、角の電気を瞬かせて応えた。

 三人と一匹の連携は完璧だった。互いの背中を預け合い、笑みを交わしながらの和気藹々とした雰囲気の中で、目的のミスリルのかけらは次々と袋に収められ、順調に狩りは進んでいく。

 しかし、そんな彼らの平和で順風満帆な光景を、迷宮の薄暗い通路の陰からひどく不満げな、いや、憎悪すら混じった眼差しで見つめている男がいた。

 上質な緑色の狩猟服に身を包んだ、エルフの冒険者である。

 そのエルフの男の視線は、後方で見守るソラや、炎を纏って戦うベル、槍を振るうリリには向けられていなかった。エルフの男の目は、大量の荷物を背負わされ、愛嬌を振りまきながら冒険者たちに付き従っているエレキユニコーンの姿にのみ釘付けになっていたのだ。

 

(な、なんだあの光景は……! ユニコーンが、あのような人間(ヒューマン)小人族(パルゥム)の荷物持ちをさせられているだと!?)

 

 エルフの男にとって、ユニコーンとはモンスターでありながら神聖な生き物であり、純潔を象徴する尊い存在である。それがダンジョンで、冒険者の重い荷物を背負わされ、あまつさえ雷の魔法を放って彼らを援護し、愛想を振りまくなど、男の常識からすれば絶対にありえない、言語道断の冒涜的な光景だったのだ。

 

(許せぬ。ユニコーンが、自ら進んで従うはずがない。きっと、卑劣な手段で盗み出し、何らかの魔道具(マジックアイテム)か魔法で無理やり従わせているに違いない!)

 

 男が異常なまでに高いプライドと、他種族を見下す独善的な思い込みにより、男は瞬時にソラたちを『ユニコーンを虐げる許しがたい悪党』だと頭の中で完全に決めつけた。

 あの可哀想なユニコーンを邪悪な冒険者たちの手から救い出し、あの不遜な輩たちに正義の鉄槌を下してやろう。男は義憤に駆られ、背中に背負っていた愛用の剣を構える。

 物陰に身を潜めたまま静かに剣を構え、戦いに夢中になっているベルとリリ、そして腕を組んで突っ立っているソラの間合いを計る。まずは白髪の人間(ヒューマン)の足を襲ってやる。

 そう残酷な計画を立て、エルフの男が物陰から勢いよく飛び出して斬りかかろうと足に力を込めた、まさにその時だった。

 

 カサカサカサカサカサカサカサカサッ……!!

 

 硬質で鋭利な無数の何かが、岩肌を高速で這い回る不気味な音が、エルフの男の背後である通路の奥から急速に近づいてきた。

 それは一つや二つの足音ではない。何百、何千という無数の足が岩を引っ掻き、削り取るような、聞く者の背筋を凍らせるおぞましい這いずり音だった。

 

「……ん?」

 

 エルフの男が剣を構えたまま訝しげに後ろを振り返ると、そこには彼のエルフの男としての誇りも正義感も一瞬で粉砕するような、目を疑う絶望的な光景が広がっていた。

 無数の巨大な壷が連なり、巨大なムカデのような形を形成したハートレス、ポットセンティピード。それらが一体や二体ではない。数え切れないほどの大群となって、迷宮の床、壁、さらには天井までもを完全に埋め尽くすほどの凄まじい勢いで、エルフの男のいる場所に向かってうねりながら猛進してきていたのだ。

 本来は単体でも上層の冒険者にとっては非常に厄介なモンスターが、異常なまでの密集陣形を組んで、巨大な一つの波のように迫り来るその光景は、控えめに言っても悪夢以外の何物でもなかった。カチカチと鳴る大顎の音と、無数の壷がぶつかり合う異音が大反響し、通路全体が生き物のように蠢いている。

 

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 先ほどまでの高潔な怒りや、ユニコーンを救うという勇ましい正義感は、圧倒的な数の暴力と生理的な恐怖の前に一瞬にして彼方へと消え去った。エルフの男は剣をその場に放り捨て、情けない悲鳴を上げてその場から全速力で逃げ出した。

 エルフの男はプライドなどかなぐり捨て、迷宮の通路をなりふり構わず全力疾走し、その先で戦闘を終え、落ちているミスリルのかけらを回収して一息ついていたソラたちの前へと文字通り涙目で転がり込む。

 

「あ、あの! どうかしましたか!?」

「ひぇぇぇっ!」

 

 突然転がり込んできたエルフの男に驚いて心配そうに声をかけたベルを完全に無視し、エルフの男はソラたちの横を猛スピードで通り抜け、風のように逃げ去っていった。

 そして、ソラたちが一体何事かと呆然としている間もなく、エルフの男が背後から引き連れてきたポットセンティピードの大群が、凄まじい地響きとカサカサというおぞましい足音と共に、彼らの目の前へと怒涛の勢いで雪崩れ込んできたのである。

 ユニコーンを救うという大義名分はどこへやら、エルフの男は見事に自身の招いた絶望的な危機を、先ほどまで剣を向けようとしたソラたちに全力で押し付けて逃げ去っていったのだった。

 

 エルフの男が情けない悲鳴と共に迷宮の奥へと消えていくのと同時に、ソラたちの視界は、通路を完全に埋め尽くしてうねり進むポットセンティピードの大群によって黒く塗り潰された。

 無数の顎が鳴り、硬質な壷の胴体がぶつかり合いながら迫り来る巨大な波。さらにその群れの中には、先ほどの戦闘で倒し損ねていたバレルスパイダーたちも混ざり込んでいる。本来なら上層の冒険者が束になっても逃げ出すような圧倒的な数の暴力だが、ベルのルビーのような赤い瞳に退く意思は全くなかった。

 

「リリ、下がって!」

「ベル様っ!?」

 

 槍を構え直したリリを背後へ庇い、ベルはただ一人、巨大な群れの前へと進み出る。

 だが、リリはただ庇われるだけの存在でいるつもりはなかった。大きく息を吸い込み、決意を込めた鋭い視線で迫り来る群れを見据える。

 

「リリも戦います!」

 

 言葉と共に彼女が小柄な体を弾かれたように前へ進める。大群に紛れて跳躍してきたバレルスパイダーの突進に対し、リリは正面から力で張り合うような真似はしない。ソラから教え込まれたフットワークで紙一重のステップを踏み、迫り来る硬質な樽の装甲を横目に躱す。そして、敵の体勢が伸びきった瞬間――硬い樽の胴体を繋ぐ関節の僅かな隙間へ、全身のバネを利かせた鋭い槍の刺突を的確に突き入れた。

 そんな彼女の頼もしい姿を背中で感じながら、ベルは神々しい装飾が施されたベルウェスタを真っ直ぐに突き出し、魔法によって眩い雷を放った。

 閃光が迷宮を照らした次の瞬間、ベルの身体を包んでいた空気が一変する。彼自身の身体から激しい紫電が溢れ出し、猛烈な雷光が全身を包み込んだのだ。それは炎を纏う『イグニスストライカー』とは全く異なる、雷を纏い神速で動くスタイル『サンダーチェイサー』への変化だった。

 

 雷を纏って劇的に速度が増したベルの姿は、すでに常人の動体視力では捉えきれない次元へと昇華されていた。

 迷宮の床を蹴る予備動作すら見せず、ベルは瞬きをする間にポットセンティピードの大群の懐へと潜り込んでいる。巨大なムカデのような怪物たちが侵入者を噛み砕こうと一斉に大顎を振り下ろすが、その牙が捉えるのはすでにベルが置き去りにした紫電の残像のみだった。

 

「遅い……!」

 

 雷光を引いて背後へ回り込んだベルの斬撃が、ポットセンティピードの硬質な胴体を容易く両断していく。群れが混乱し、四方八方から波のように飛びかかろうとするが、速度が跳ね上がったベルにとって、それは止まっている標的と何ら変わりない。彼は縦横無尽に迷宮を駆け抜け、圧倒的な数の敵を完全に翻弄し尽くした。

 一方で、ベルの包囲網から漏れて襲い掛かってくるバレルスパイダーの残党に対しては、リリが単身で立ち塞がる。長年サポーターとして培ってきた戦場を俯瞰する広い視野が、次々と迫る敵の跳躍軌道を正確に予測していた。頭上からのしかかる樽の重圧を槍の柄で滑らせるように受け流し、相手の突進する力と体重をそのまま利用して壁へと激突させる。体勢を崩して露わになった敵の柔らかな腹部を、流れるような動作で放たれたリリの刺突が深々と貫いた。

 即座に死角から別の個体が樽の胴体を躍らせて襲い掛かるが、彼女は冷静な判断力で身を低く沈め、頭上を通り過ぎる敵の腹を下から掬い上げるように鋭く薙ぎ払う。体格差を技術と機転で覆すその流麗な槍捌きによって、ベルが前線でポットセンティピードの群れを崩し、リリがバレルスパイダーを確実にとどめを刺していく完璧な連携が成立していた。

 

 そして、敵の大群がいよいよ密集し、逃げ場のない包囲網となってベルを呑み込もうとしたその時。

 ベルは姿勢を低く落とし、このスタイルの真価とも言える絶技の体勢に入った。

 

 標的を視界に捉えた瞬間、ベル自身が一筋の紫電と化した。

 迷宮の空間でジグザグの雷の軌跡を描きながら、ベルは敵の集団を反射するように超高速で駆け抜けていく。壁から天井へ、天井から床へ、一瞬の間に無数の軌道を往復し、全対象を等しく斬り伏せる神速の連撃。

 群れを抜け切ったベルが、剣を振り抜いた姿勢のままピタリと静止する。

 

 そして、一拍子遅れて。

 

 斬られた無数の敵の体内から、強烈な雷が一斉に炸裂した。

 通路全体を真っ白に染め上げるほどの閃光と雷撃が、残存していたモンスターの大群を跡形もなく粉砕する。光が収束し、黒い霧が晴れた後には、丸焦げになった迷宮の通路と、ベルの『幸運』によって大量にもたらされた『ミスリルのしずく』だけが残されていた。

 

「や、やりましたね、ベル様……!」

 

 息を切らしながらも、リリが安堵の笑みを浮かべて槍を下ろす。通路を埋め尽くしていた脅威は去り、勝利の余韻が一行を包み込んだかのように思えた。

 だが、迷宮の悪意はまだ完全に途絶えてはいなかった。

 

 戦闘の混乱と濃密な黒い霧に紛れ、天井の暗がりにもう一匹のポットセンティピードが息を潜めていたのだ。

 それが獲物を定めて音もなく落下してきたのは、リリが足元に散らばるミスリルのしずくへ視線を落とした、まさにその一瞬の隙だった。

 

「え……?」

 

 背後から迫る異様な気配にリリが振り返るより早く、ポットセンティピードの巨大な壷の口が大きく開かれた。

 次の瞬間、リリの小柄な体は頭からその壷の中へと呑み込まれる。

 重々しく不気味な硬質な音と共に、壷の蓋となる大顎が閉じられた。

 リリは完全にポットセンティピードの壷の中に閉じ込められ、外からはその姿が全く見えなくなる。内側から必死に壁面を叩く振動が伝わってくるものの、ポットセンティピードは壷を不規則に揺らしながら、囚えた獲物を消化しようと動き始めた。

 

「リリっ!?」

 

 異変に気づき、ソラがキーブレードを召喚し、エレキユニコーンも角に雷を集束させて助けに飛び出そうとする。

 だが、その二人と一匹の前に腕を伸ばし、ベルが手で「待った」をかけた。

 その瞳には、かつてないほど濃密な、静かな怒りが灯っていた。

 

「ソラ、手を出さないで。リリは、僕が助ける」

 

 その直後、死角となっていた天井の穴から、ベル自身を強襲しようと数体のバレルスパイダーが落下してくる。

 しかし、ベルは振り向くことすらなく、手にしたベルウェスタを天へと掲げた。

 

 迷宮の床から、神々しい光の柱が天を衝くように噴き上がり、ベルに襲い掛かろうとしたバレルスパイダーたちを一瞬にして光の中に消し飛ばした。

 眩い光が晴れると、そこには紫電を纏った姿から一変し、純白の輝きと無数の光の剣を背後に従えたベルの姿があった。

 彼は三つ目の新たな力、無数の光の刃を操る華麗な手数のスタイル『フォトンフェンサー』へと変じていたのだ。

 

 ベルは背後に浮かぶ無数の光の剣を従え、リリを閉じ込めたまま逃げようとするポットセンティピードを見据える。

 彼が光の剣を一斉に放とうとした、まさにその瞬間だった。

 

 突如として迷宮の岩壁が内側から押し破られるような不快な音を立てて不自然に歪み、そこから悍ましい亀裂が走り始めた。

 砕け散る岩石と共に、その亀裂から、本来なら上層には現れないような、中層のモンスターが壁を突き破って這い出てくる。

 壁から出現したモンスターは、ポットセンティピードよりもさらに強力で、悍ましい悪意を撒き散らしながら、ベルたちへとその咆哮を轟かせた。

 

 ベルが手にしたベルウェスタの切っ先を僅かに傾けた瞬間、背後に浮遊していた数本の光の剣が主の怒りに呼応し、一斉に虚空を滑り出した。

 標的は、リリを呑み込んで壁面を逃げ去ろうとするポットセンティピードの巨体。放たれた純白の刃は迷宮の深い暗闇を鮮烈に切り裂く流星となり、獲物を連れ去ろうとする異形の背へと瞬く間に殺到する。

 その一撃は、ただ力任せに放たれた破壊ではない。内部に囚われたリリの髪の毛一本すら傷つけないよう計算され尽くした、極めて精密な軌道。光の刃は硬質な壷の装甲の僅かな継ぎ目のみを的確に穿ち、分厚い外殻を外側から瞬時に解体していく。

 堅牢を誇るはずの怪物の体がただの土塊のように崩れ去る、その刹那よりも早く。ベルは自らの残像すらも置き去りにする神速で懐へと踏み込み、崩壊する敵の体内から宙へ放り出されたリリの小柄な体を、その腕の中にしっかりと抱き留めた。

 

「ベル、様……っ」

 

 腕の中で小さく震えるリリの無事を確認したベルは、安堵の息を吐き出すと同時に迷宮の岩床を力強く蹴り上げた。

 光を纏った彼の体は重力という世界の枷を完全に外れたかのように、リリを抱いたまま一直線に垂直飛翔を果たす。足元で蠢き群がるポットセンティピードの波や、壁を割って現れた強大なモンスターの咆哮から完全に距離を置き、迷宮の天井に届くほどの高高度でふわりと静かに滞空した。

 

 下界を見下ろすベルのルビーの瞳には、大切な仲間を傷つけようとした迷宮の悪意に対する、氷のように冷たく静かな怒りが燃え盛っていた。

 彼が再びベルウェスタを眼下の敵群へと向けて構え直すと、圧倒的な力の奔流によって迷宮の淀んだ空気が大きく震える。

 ベルの背後、そして上空の空間に、次々と眩い閃光が走り、十数本の光の剣が顕現した。純白の輝きを放つ十数振りの刃は、主であるベルを中心に巨大な扇状の陣を展開し、まるで神の使いが広げた荘厳な光の翼となって、薄暗い迷宮全体を白夜のごとく照らし出す。

 

 これこそが『フォトンフェンサー』の真髄。展開する手数は絞られようとも、その一本一本が合わさることで絶大な威力を誇る、華麗なる絶技である。

 

 ベルは手元のキーブレードを、オーケストラの指揮棒を振るうかのように、静かに、しかし絶対の威圧を以て眼下の敵陣へと振り下ろした。

 その流麗な動作を合図として、上空で待機していた十数本の光の剣が、一斉に下界へ向けて裁きの牙を剥く。

 意志を持った刃の陣は、直前まで猛威を振るっていたモンスターたちを一切逃がさないよう、完璧な死角からの包囲網となって降り注いだ。それはもはや防御も回避も許されない、絶対的な光の縛陣。

 放たれた刃がポットセンティピードの硬い装甲を薄紙のように貫通し、壁を突き破って現れた強大なモンスターの分厚い巨体をも容赦なく迷宮の岩床へと深く縫い留める。敵の急所を的確に串刺しにするたび、突き刺さった光の剣そのものが眩い極光の大爆発を起こし、迷宮の通路を次々と規格外の熱量と閃光が呑み込んでいった。

 

 網膜を焼き尽くすほどの光の奔流と、すべてを薙ぎ払う破壊の嵐が収束した後、そこには死に絶えたような静寂だけが降りてきた。

 通路に残されたのは、床一面を埋め尽くして星屑のように煌めくおびただしい数のドロップアイテムと、極度の熱によって黒くガラス状に変色した岩肌のみ。ハートレスも、通路を埋め尽くしていた怪物の大群も、その全てがたった十数本の光の剣がもたらした苛烈な爆発の渦の中に跡形もなく消し飛ばされていた。

 

 上空から羽毛のようにゆっくりと舞い降りたベルは、腕の中に抱いていたリリをソラの隣へと優しく下ろす。

 役目を終えた光の剣が美しい光の粒子となって虚空に霧散し、彼の全身を包んでいた純白の輝きも静かに解かれていった。

 

 もはや今のベルにとって、上層のモンスターやハートレスの群れは、自身の足を止める脅威と呼べる敵ではなくなっていた。

 触れるものすべてを灰燼に帰す圧倒的な火力の『イグニスストライカー』。

 神速を以て戦場を駆け抜け、敵を翻弄し尽くす速度の『サンダーチェイサー』。

 そして、華麗なる剣舞と的確な刃で敵陣を完全に制圧する手数の『フォトンフェンサー』。

 さらなる強さを求める強い意志に呼応して顕現したスタイルは、これからも彼の大切な仲間を、そして彼自身の果てしない冒険を力強く支える確固たる柱となっていくことだろう。

 

 

 迷宮の第十七階層。オッタルは何度目とも知れない深い溜息を闇に溶かす。

 足元に転がるのは、黒い靄となって消えゆく異形の残骸。つい先程まで彼が精魂込めて戦闘技術を叩き込んでいた、大柄なミノタウロスの成れの果てである。

 主神である美の女神フレイヤの命を受け、見込みのある少年――ベル・クラネル――に過去を克服させる「洗礼」の準備として、自ら迷宮に潜りモンスターを鍛え上げていたのだ。

 

 しかし、度重なる訓練で弱り切った隙を突かれ、どこからともなく現れたハートレスが急襲。心を奪われたミノタウロスは、哀れにもハートレスへと変貌してしまった。

 少年が乗り越えるべき壁は、因縁の相手である『ミノタウロス』でなければならない。役割を失ったそのハートレスを、オッタルは無表情のまま大剣で両断した。

 

(いっそのこと……)

 

 再びの溜息と共に、オッタルの脳裏をふと、自身の柄にもない阿呆な考えが過る。

 最近、孤児に炊き出しをしている黒コート姿の怪しげな商人が、顔と皮を剥いだ悪趣味な『ミノタウロススーツ』なるものを売り歩いているという。それを自身が着込み、直接少年の障害となってトラウマを払拭させるのはどうだろうか。

 その際、常に少年の傍らに立つあの厄介な――ソラ――の存在が障壁となるが、そこはアレンを含めた幹部で抑え込ませればいい。その隙に自分が着ぐるみ姿でベルを追い詰める……。

 オラリオの頂点に立つ『猛者』が、あろうことかモンスターの着ぐるみを被って新米冒険者を追い回す図。一瞬だけ想像したその光景のあまりの馬鹿馬鹿しさに、オッタルは静かに己の思考を切り捨てる。

 

 その時だった。

 これまで迷宮で感じたことのない異質な気配が肌を撫で、巨漢の武人はピタリと足を止める。

 

 薄闇の奥から姿を現したのは、一頭のミノタウロス。だが、その風貌は通常の個体とは明らかに異なっていた。

 毛皮はありふれた焦げ茶色ではなく、深く禍々しい漆黒。暗紫色の肌には青い血管が不気味に脈打ち、双眸はミノタウルス特有の凶暴な赤ではなく、狂気を孕んだように輝く黄色。さらに目を引くのは、黒い筋が走る黄金の双角だ。極めつけに、その体全体にはまるで生き物のように蠢く濃密な『闇』が纏わりついている。

 

「ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 

 迷宮全体を震わせる凄まじい咆哮。下級冒険者ならば恐怖で心臓を鷲掴みにされ、その場にへたり込んでしまうであろう絶対的な威圧感が空間を支配する。

 しかし、都市最強の武人であるオッタルは微塵も動じず、無造作にゆらりと片腕を上げた。

 次の瞬間、闇を纏った巨躯が爆発的な速度で距離を詰め、手に握る大戦斧を全力で振り下ろしてくる。

 

 迷宮の岩壁すら容易く粉砕するであろう必殺の一撃。だがオッタルは、掲げたその片腕――それも素手で――一切の揺るぎなく受け止めてみせたのだ。

 衝突の余波が周囲の岩肌を削り飛ばす中、猛者は表情一つ変えない。そのまま大戦斧の柄を鷲掴みにすると、規格外の膂力でミノタウロスの巨体を軽々と持ち上げ、後方へとあっけなく投げ飛ばした。

 

 凄まじい轟音と共に岩壁へ激突したミノタウロスだったが、即座に立ち上がり、不気味な黄色の瞳で再び眼前の敵を睨み据える。

 その禍々しい姿を見据え、オッタルは静かに目を細めた。

 

(ほう……)

 

 ただのモンスターでも、先程の脆弱なハートレスでもない。闇の力の影響か、これまでに自身が心血を注いで鍛え上げた個体すらも遥かに凌駕する『変異種』。

 ベル・クラネルという少年の真価を問う「洗礼」の相手として、これ以上ないほどに申し分ない存在だ。

 オッタルは眼前の凶悪な変異種を高く評価し、自らの主神が愛する少年のため、この極上の獲物をさらに磨き上げるべくゆっくりと大剣を構え直した。




ちなみに各スタイルを使用するとどのスタイルに共通で魔力がイグニスストライカーは力がサンダーチェイサーは敏捷がフォトンフェンサーを使うと器用が上がりやすくなります。
この調子で強くなってミノタウロスと戦えばベル君のトラウマは大きく小さくなりますがそんな時にオッタルさんの横やりが来ます。
リリはソラから渡されたアクセサリーや防具のおかげで多少はダンジョンで戦えるようになってます。
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