キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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第31話 密約と、星の海を夢見る神

 二十四階層での大規模な異常事態から、二日の時間が経過した朝のこと。

 ヘスティア・ファミリアの本拠地である廃教会の台所で、ソラはエプロン姿で朝食の準備に取り掛かっていた。

 鍋から立ち上る湯気と香ばしい匂いが室内に満ち始めた頃、不意に玄関の扉を叩く控えめな音が響き渡る。ソラが火を止めて玄関へ向かい、重い木製の扉を開けると、そこには羽根付き帽子を被った旅人の神、ヘルメスがいつもの飄々とした笑みを浮かべて立っていた。

 

「やあ、おはようソラ君」

 

 その声を聞きつけて奥の部屋から顔を出したヘスティアは、来訪者の顔を見るなり、あからさまに苦々しい顔を浮かべてその名を呼んだ。

 

「……ヘルメス。朝っぱらから、何の用だ君は…」

 

 警戒心も露わに睨みつけるヘスティアに対し、ヘルメスは両手を軽く上げて敵意がないことを示す。

 

「いやいや、そんなに警戒しないでくれよヘスティア。今日は二十四階層の件で、うちのファミリアを助けてくれたソラ君にお礼をしに来ただけさ。少し彼を借りてもいいかい?」

 

 ヘルメスの言葉に対し、ヘスティアはさらに疑わしげに目を細めた。

 そして、ヘルメスからは見えない角度でソラへと鋭い視線を向け、『絶対にヘルメスに余計なことを言ったり、口車に乗せられたりするんじゃないぞ』と、強い意志を込めた目で無言の圧力をかける。

 その視線の意味を正確に受け取ったソラは、安心させるように小さく、しかし力強く頷きを返した。

 

「それじゃあ、行こうかソラ君」

 

 二人のやり取りに気づいているのかいないのか、ヘルメスは親しげにソラの肩を掴むと、ヘスティアが文句を言い始める前に、半ば強引に彼を廃教会から連れ出した。

 迷宮都市オラリオの活気ある朝の街並みを並んで歩きながら、ヘルメスは気の良い観光ガイドのように軽快に口を動かし始めた。

 

「いやぁ、改めてうちのアスフィたちを救ってくれてありがとう。あの子たちから君の活躍はたっぷり聞かせてもらったよ。なんでも、見たこともない不思議な武器で巨大なモンスターを一掃したとか」

「いえ、あれはたまたま上手くいっただけで……みんなが無事でよかったです」

 

 照れ臭そうに頬を掻きながら丁寧に答えるソラに対し、ヘルメスは探るような視線を帽子越しに投げかける。

 

「謙遜しなくてもいいさ。あの階層の異常事態を無傷で生き延びるだけでも偉業なんだから。……ところでソラ君は、随分と遠い場所からこのオラリオに来たそうじゃないか。君の故郷はどんなところなんだい? 俺も世界中を旅してきた自負があるけれど、君のような不思議な力を使う郷には心当たりがなくてね」

 

 何気ない世間話を装いながらも、ソラの出処を的確に探ろうとするヘルメスの話術。だが、ソラは出発前のヘスティアの鋭い視線を思い出し、言葉を慎重に選んだ。

 

「ええっと……海と島がいっぱいある、静かな場所です。色んな所を旅して回ってる間に、気付いたらこの街に着いてて……」

「なるほど、はぐらかすのが上手いね。まあいいさ、誰にでも秘密はあるものだ。それに、君みたいに底知れない謎を秘めた冒険者は、神々を退屈させない最高のスパイスだからね」

 

 ヘルメスはそれ以上深く追及することはせず、意味ありげに微笑んで話題を切り替えた。

 

「せっかくソラ君がこのオラリオに来たんだ。君にぜひオススメしたい場所があってね……」

 

 美味しい屋台や珍しいアイテムを扱う店が並ぶ通りへ向かうのかと思いきや、ヘルメスがソラを連れて辿り着いたのは、都市の機能の中心である巨大な建造物――ギルドの本部だった。

 冒険者や職員たちが慌ただしく出入りする重厚で荘厳な建物を前に、ソラの頭上に目に見えるような疑問符が浮かび上がる。

 観光のオススメ場所と言っていたのに、なぜ事務的な手続きを行うギルド本部なのか。全く状況が飲み込めず首を傾げるソラに対し、ヘルメスは羽根付き帽子のつばを軽く指で押し上げ、その飄々とした笑みをさらに深めて告げた。

 

「さぁ、行こうかソラ君。ウラノスのところへ…」

 

 その言葉が持つ途方もない重みに、ソラは驚きで大きく目を見開いた。

 ヘルメスが自分を連れ出した本当の目的が、ただの「お礼」などではない特大の事態であることを、ソラはこの瞬間に悟らざるを得なかった。

 

 

 

 

 ギルド本部の最奥、冷たい石造りの隠し階段をどこまでも下った先にあるのは、神々しいまでの静寂に包まれた広大な地下空間。

 松明の薄暗い炎だけが照らすその空間の最奥、巨大な祭壇に鎮座する巨漢の老神ウラノスの前で、ソラとヘルメスは足を止めた。

 現在、彼らの目の前の空間には、淡い光で構成された鮮明な映像が宙に浮かび上がっている。

 それは、ソラがギルドから渡されていた案内用紙に密かに仕込まれていたフェルズの魔道具(マジックアイテム)の眼『オキュルス』が捉えた視覚情報を引き出し、フェルズ自身がこの日のために急造した『録画した光景を宙に映し出す新たな魔道具(マジックアイテム)』によって投影されたものだった。

 映像の中で再生されていたのは、二十四階層でソラたちが対峙した悍ましい事態の全貌である。

 やがて映像が終息し、空間に再び重い静寂が降りてきた。

 魔道具(マジックアイテム)から放たれていた光が収まるのを見届け、ヘルメスが真剣な声音で口を開く。

 

「……ハートレスへと変貌する直前に、あの闇派閥(イヴィルス)の残党、オリヴァスが言っていた。『彼女は外の世界を望んでいる』と」

「ああ。『外の世界』……それが、ソラが元いた世界のような、この箱庭の外側を意味するのだとすれば、闇派閥(イヴィルス)の連中がすでに別の世界の存在を認知している可能性が高い」

 

 ウラノスが祭壇の奥から、地鳴りのような深く重い声で応じる。

 それを聞いたソラは、少しだけ眉をひそめて問いかけた。

 

「えっと、その闇派閥(イヴィルス)っていう悪い神様たちの集団が、自分たちの信者をわざわざハートレスに変えさせてまで、外の世界を狙っているってことなんですよね?」

 

 純粋な疑問をぶつけるソラに対し、祭壇のウラノスはゆっくりと首を横に振った。

 

「いや。闇派閥(イヴィルス)の残党が自らの意志でハートレスに変貌する行為……それを、彼らの主神が許容しているとは、到底考えられん。それは『ありえない』と断言できる」

「え? どうしてですか? 悪い神様なら、目的のために手段を選ばないんじゃ……」

 

 明確な疑問符を浮かべるソラ。彼のその反応は、人間としては極めて真っ当なものだった。

 しかし、ウラノスは薄暗い祭壇の上で、神としての絶対的な価値観を静かに語り始める。

 

「我々神という存在は、それぞれの思想や信念によって、時に自らの子供たち――眷族の破滅や死を望むことはある。凄惨な悲劇や、血みどろの闘争を愉しむ者もいるだろう。……だが、それらすべての行動の根本にあるのは、紛れもなく子供たちへの『愛』なのだ。愛ゆえの試練であり、愛ゆえの破滅だ」

 

 ウラノスの言葉の意味が理解できず、ソラはさらに困惑を深める。子供の死を望むことが愛であるという、神々特有のひどく歪んだ、しかし彼らにとっては絶対の真理。

 戸惑うソラの肩に手を置き、ヘルメスが補足するように口を開いた。

 

「ソラ君、ウラノスの言う通りさ。俺もルルネたちから話を聞いたけれど、君たちの戦っている『ハートレス』という存在に変貌することは、単なる死とは全く意味が違う」

 

 ヘルメスの瞳からいつもの飄々とした光が消え、底知れない冷たさと真摯さが宿る。

 

「心を奪われるだけじゃない。肉体と魂そのものが、完全に闇へと溶けてしまうんだろう? それは神々が定めた輪廻の円環から完全に外れ、魂そのものを凌辱し、無に帰す行為だ。……例えこの世の絶対悪を司る神であったとしても、子がハートレスに変貌し、魂が永遠に失われるような結末だけは絶対に許容しないんだよ」

 

 死して魂が天界へ還り、再び下界へ生まれ変わる。その神々の愛のシステムそのものを根底から破壊し、魂を汚して消し去るハートレスという存在は、この世界の神々にとって教義以前に許されざる絶対的な禁忌なのだと、二柱の神は断言したのだった。

 

「…………」

 

 その言葉を聞き、彼の脳裏に浮かんだのは、かつて別の世界で戦った死者の国の神、ハデスの姿だった。

 ハデスは自らの目的のために平然とハートレスを操り、人間の魂を弄び、闇の力を利用することをなんら躊躇わなかった。

 

(この世界の神様たちって……悪い神様でも、根っこではみんなのことを本気で愛してるんだ……)

 

 人の魂を冒涜することだけは、どれほどの悪神であっても絶対に許さない。

 ハデスのような存在を知っているソラにとって、歪みながらも揺るぎない「人間への愛」を根本に抱くこの世界の神々の価値観は、ひどく新鮮で、深い驚きを伴って彼の胸に響いていた。

 だが、その事実を受け入れた上で、ソラの顔にさらに鋭い疑問が走る。

 

「だったら……どうしてあいつらは、神様が許さないはずのハートレスに自分からなったんですか?」

「そこだ。そこに到達するからこそ、この事態はひどく異様で、そして最悪なんだ」

 

 ヘルメスが深々と頷き、被っていた羽根付き帽子のつばを指で下ろして自らの険しい瞳を隠した。

 

「神々が絶対に命じないことを、彼らは狂信的な笑みを浮かべて実行した。それが意味する答えはただ一つ。……残存する闇派閥(イヴィルス)はもはや、彼ら自身の神の意志で動いているわけじゃない」

「かつてオラリオを脅かした悪意の集団が、今や異界の闇の傀儡に成り果てているというわけだ」

 

 ヘルメスの言葉を継ぐように、ウラノスが地鳴りのような声で重々しい結論を口にした。

 

「ソラが戦ってきた『闇の勢力』……あるいはその闇を意のままに操る何者かが、闇派閥(イヴィルス)という組織そのものを背後から完全に『乗っ取っている』。そう考えるのが最も自然だろう」

「闇の勢力に、乗っ取られている……」

 

 ソラは呟き、その表情を険しく引き締めた。

 彼自身の経験が、その推測の正しさを裏付けている。闇の力に魅入られた者は、どれほど強い意志を持っていたとしても、最終的には必ず闇そのものに呑み込まれ、都合の良い手駒として利用されてしまう。別の世界で何度も見てきた、悲しくも恐ろしい光景だ。

 オラリオの地下深くで、未知なる闇の勢力がすでにこの世界の悪意を取り込み、密かに、しかし確実に根を張り巡らせている。

 冷たい地下空間に、これまでとは比較にならない規模の危機感が静かに満ちていった。

 重苦しい沈黙が落ちた直後、ウラノスの傍らの暗がりから、全身を黒いローブで覆った魔術師フェルズが一歩前へと進み出た。

 

「だが、不可解な点はそれだけではない」

 

 フェルズのくぐもった声が、地下空間に反響する。

 

「ソラ。以前、黒いコートを纏った男――ルクソードが、この世界を『閉ざされた世界』と呼んでいた。我々にはその意味が図りかねる。お前の知見から、何か思い当たる節はないか?」

 

 ウラノスもまた、深く重い視線をソラへと向けて答えを促す。

 ソラは少しの間だけ視線を落として考え込み、やがて顔を上げて自らの過去の旅の経験を語り始めた。

 

「俺が前に『マスター承認試験』を受けた時に訪れた、『眠りに閉ざされた世界』っていうのがあるんだ。師匠のイェン・シッド様が言ってたんだけど……アンセムって奴によって一度闇に呑み込まれた複数の世界が、完全に再生しきれずに眠りについてしまって、世界そのものが夢を見ている状態なんだって。外からは入ることも出ることもできない、完全に切り離された空間……」

「眠りに閉ざされた世界……。では、我々が今ここに存在しているこの世界は、不完全な再生の果てに世界自身が見ている『夢』だと言うのか?」

 

 フェルズの問いかけには、自分たちの存在意義すら根底から覆りかねない危惧が滲んでいた。

 しかし、ソラはすぐに首を横に振ってその可能性を明確に否定する。

 

「ううん、それはないと思う。だって、眠りに閉ざされた世界には『ハートレス』は存在できないから」

「何故だ?」

「眠りに閉ざされた世界は現実の世界とは隔絶した状態にあり、外から干渉することはまず不可能なんだ。その代わり、夢の世界にはハートレスじゃなくて、『ドリームイーター』っていう別の存在がいるんだ」

「ドリームイーター……?」

 

 聞き慣れない単語に、ヘルメスが羽根付き帽子の奥で疑問符を浮かべる。

 ソラは真剣な表情のまま説明を続けた。

 

「ドリームイーターには、夢を喰って悪夢を植えつける『ナイトメア』と、その悪夢だけを食べる善良な『スピリット』の二種類がいるんだ。もしこの世界が本当に眠っているなら、ハートレスじゃなくて、ナイトメアがいなきゃおかしいはずなんだよ」

 

 ソラの説明に対し、フェルズはローブの奥で深く頷いた。

 フェルズはソラのモバイルポータルに記録されていたデータを事前に解析する過程で、すでにその存在と性質についての知識を得ていたのだ。

 

「その通りだ……」

 

 フェルズが同意を示し、ソラの説明が完全に終わったまさにその時だった。

 ソラの足元に幻想的な光の粒子が舞い踊り、冷たい床の上に、犬と猫を合わせたような丸みを帯びた愛らしい幻獣――スピリットである『ワンダニャン』が唐突に姿を現した。

 

 地下の厳粛な空間に不釣り合いなほど鮮やかで可愛らしい魔物の出現。

 祭壇からその姿を見下ろしていたウラノスは、警戒するどころか、その深く重い双眸に僅かな感嘆の色を宿した。

 

「ほう……これがドリームイーターか。どこか、我々の世界の『精霊』たちと似たような…」

「精霊と同じ気配だって……?」

 

 ウラノスの言葉に、ヘルメスも好奇心を刺激されたようにしゃがみ込み、ワンダニャンの背中へそっと手を伸ばした。

 

「……なんだこれは。信じられないくらい極上の手触りじゃないか……!」

 

 触れた瞬間に伝わってくる、驚くほどの滑らかさと弾力のある柔らかな感触。そのあまりの心地よさに、ヘルメスは神としての威厳も忘れ、感動の声を漏らしながら何度も幻獣の背中を撫で回している。ワンダニャンも嬉しそうに目を細め、ヘルメスの手におとなしく擦り寄っていた。

 

「……コホン」

 

 緊迫していた空気が急激に緩んだのを見かねて、フェルズが意図的に咳払いをした。

 ヘルメスは名残惜しそうにワンダニャンから手を離し、立ち上がって居住まいを正す。

 

「つまり、ハートレスが大量に発生しており、ナイトメアが存在しないこの世界は、夢の世界ではないということだな。では、夢でもない世界が『閉ざされた』とは、一体どういう状態を指すのだ?」

 

 フェルズが再び本筋へと話を戻すと、今度は祭壇に鎮座するウラノスの口が重々しく開かれた。

 

「……今から数年ほど前、暗黒期との終わり頃のことだ。遥か上方の天界にて、かつてない規模の神の力(アルカナム)が乱行使されたことを覚えているかヘルメス」

神の力(アルカナム)? あれはただ単に、天界で暇を持て余したどこかの神がドンパチやっただけじゃないのか?」

 

 ヘルメスが呆れたように肩をすくめて指摘する。神々が天界で些細な理由から争いを起こし、大規模な力を行使することなど、彼らの歴史においては決して珍しいことではないからだ。

 しかし、ウラノスはヘルメスの言葉を肯定しつつも、さらに重大な事実を付け加えた。

 

「確かに、何かが強大な力と衝突したのは事実だ。だが……問題はその直後。天界全体を、いや、この世界そのものを巨大な膜で『大きく覆うような力の流れ』を、私は確かに感じ取った」

 

 大きく覆うような力。それはまるで、世界という箱そのものに蓋をし、外側から完全に隔絶するかのような、未知の巨大な神威。

 それを聞いたソラやヘルメス、フェルズの間に静かな衝撃が走る。

 だが、下界に降り立った神々は、天界と直接言葉を交わすことも、天界の現在の状況を直接視認することも禁じられている。ウラノスが感じ取ったその「覆うような力」が、ルクソードの言う「閉ざされた」という言葉とどう結びつくのか、それを物理的に確認する術は今の彼らには存在しない。

 

 結局のところ、天界で何が起きたのか、世界が誰の手によってどう閉ざされたのかという議論は、推論の域を出ないまま平行線を辿ることしかできなかった。

 

「天界の事象については、これ以上我々が下推測を重ねたところで答えは出まい。それよりも、今は目前の危機に対する備えと、先の事態への対価を支払うことが急務だ」

 

 停滞した空気を切り裂くように、フェルズが黒いローブを揺らし、祭壇の脇に用意されていた重厚な革袋と二冊の分厚い書物をソラの前へと差し出した。

 ずっしりと重い革袋の中からは、迷宮の上層では決して見られないような眩い光を放つ大量の貴金属や、極めて希少な高額ドロップアイテムの気配が漏れ出ている。さらには、冒険者の能力を飛躍的に高める超高価な魔法の書――『魔導書(グリモア)』が二冊も無造作に添えられていた。

 

「これは、二十四階層での異常事態を調査し、未曾有の危機を退けた君への我々からの正式な報酬だ」

「こんなに……? いいのか、フェルズ?」

 

 あまりにも破格な報酬の量に目を丸くするソラに対し、フェルズはくぐもった声で静かに首を横に振る。

 

「君がもたらした未知の脅威の情報と、二十四階層の件を考えばこれでも少ないぐらいだ」

 

 そう言ってソラの労をねぎらった後、フェルズはローブの懐からさらにもう一冊、先ほどの二冊とは装丁の異なる新たな魔導書(グリモア)を取り出し、ソラへ向けて差し出した。

 

「そして、この一冊をロキ・ファミリアに渡してほしい」

「これは……?」

 

 ソラが疑問符を浮かべて尋ねると、フェルズは淡々とその中身について語り始めた。

 

「以前、君がベル・クラネルやリリルカ・アーデに教えていた、『武器を召喚する魔法』を私なりに解読し、記したものだ。君の扱う魔法の特性上、一度発現の形を掴めば何度でも自在に手元へ武具を呼び出すことができる。これを渡しておけば、都市の最大戦力である彼女たちに必要になるたびに、わざわざ君に教えを乞う手間が省けるだろう」

 

 さらにフェルズは、声を一段階潜めて自らの思惑を付け加える。

 

「それに……『異界の知識を持つ君自身が用意した魔導書(グリモア)』という名目であれば、私が裏で手を引いて作製したことに気づかれる可能性も低い」

「なるほど。そういうことなら任せてよ」

 

 決して表舞台に出ることのできないフェルズの事情を察し、ソラは快く頷いてその魔導書(グリモア)を受け取った。

 

「恩に着る。近々にもう一冊、同じ魔導書(グリモア)を作製する予定だ。完成次第、そちらは都市の治安維持を担うガネーシャ・ファミリアに渡してほしい」

「わかった。届けておくよ」

 

 ソラが力強く了承の返事をすると、フェルズは深く頷き、次なる品――密かに開発を進めていた通信用の端末を懐から取り出した。

 

 それは、ソラが所有している板状の『モバイルポータル』とは異なり、中央の接続部を軸にして二つに折りたたむ独自の構造を持つ端末だった。本体を開くと、上半分には映像や文字を映し出す長方形の黒い水晶板が、下半分には指先で押し込んで操作するための無数の小さなボタンが規則正しく並んでいる。外装の表面には微かに魔石の輝きが埋め込まれ、異世界の技術とこの世界の魔道具作成技術が見事に融合した完成品であることが一目でわかった。

 

「以前貸してもらったモバイルポータルとARデバイスを解析し、私なりに通信機能と情報共有の術式を組み込んで複製を完成させた。これを、ヘスティア、ガネーシャ、椿・コルブランド、そしてロキ・ファミリアに渡しておいてくれ。……これで、何か異変があればいつでも連絡が取れるだろう」

 

 その言葉と共にソラが端末を受け取ろうとした時、横でやり取りを見ていたヘルメスが、興味津々な様子で身を乗り出してきた。

 

「おや、それは随分と便利そうな道具じゃないか。情報伝達の要になるなら、ぜひ俺にも一つ分けてくれないかい?」

 

 旅と情報の神からの要求。フェルズは黒いフードの奥で少しの間だけ沈黙し、思案を巡らせる素振りを見せた後、ソラへと顔を向けた。

 

「ソラ。以前、私が君から借り受けたあの『ARデバイス』と呼ばれる眼鏡型の解析端末……あれを、ヘルメス・ファミリアの団長である【万能者(ペルセウス)】に貸し与えたいのだが、構わないだろうか?」

「アスフィに? 俺は別にいいけど、どうして?」

 

 突然の提案にソラが理由を問うと、フェルズは淡々とした声で自らの狙いを語る。

 

「彼女はオラリオでも指折りの優秀な魔道具作製者(マジックアイテムメイカー)だ。彼女を隠れ蓑にして、このモバイルポータルのような通信端末の技術を都市全体に広めることができれば、今後の我々の活動における情報網の構築や、有事の際の連携において計り知れない利益をもたらすはずだ」

 

 自分自身が表舞台に出られない以上、アスフィの頭脳と名声を利用して都市の通信網を密かに構築するという、極めて理にかなった提案だった。

 

「なるほど……そういうことなら、俺は賛成だよ。アスフィさんなら悪いようには使わないだろうし」

 

 ソラが快く了承すると、フェルズは深く頷いた。一方のヘルメスも、自らの団長が都市の通信網の要に選ばれたことに満足したのか、機嫌良さそうに口角を吊り上げている。

 

 フェルズの言葉の重みを受け止め、ソラは差し出された複数の折りたたみ式のモバイルポータルを自らのポケットへと慎重に収めた。

 それを以て、ウラノスとの極秘の会談は終了となり、その場は一旦の解散となった。

 

 松明の炎が揺れる背景を背に、冷たく長い石造りの階段を上り終えたギルドの裏口。

 外の光が差し込む通路に出たところで、足早に帰路に就こうとしたソラの背中に、聞き慣れた軽薄な声が投げかけられた。

 

「おっと、待ってくれソラ君」

 

 振り返ると、ヘルメスが羽根付き帽子のつばを指で弾きながら、どこか悪戯を見つけた子供のような笑みを浮かべて立ち止まっていた。

 先ほどの厳粛な会議の場にいた時とは打って変わった、いつもの飄々とした態度。ソラは少しだけ警戒心を滲ませながら問い返す。

 

「俺になんの用なんですか、ヘルメス様?」

「いやいや、そんなに構えないでおくれよ。実はね……今、ヘファイストスのとこで進められているらしい、『空飛ぶ船』の建造計画。……それに、俺たちも加えてくれないかと思ってね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ソラは心臓が跳ね上がるほどの驚きに目を見開いた。

 空飛ぶ船――異界の星々を渡るための乗り物、『グミシップ』の建造計画。それは、この閉ざされた世界から外へと通じる道を切り開くため、ソラが持ち込んだ知識を基に、鍛冶の女神ヘファイストスと限られた者たちだけで密かに進められているはずの最高機密だった。

 

「どうして……それを?」

 

 ソラの問いに対し、ヘルメスは肩をすくめ、いかにも何でもないことのように嘯いた。

 

「なぁに、ちょっとした噂だ。オラリオの風は、俺の耳にどんな些細な秘密でも運んできてくれるからね。それに、星の海を渡る船なんて胸躍る冒険の匂いがする計画、旅を司る俺が参加しないわけにはいかないだろう?」

 

 言葉の端々に隠しきれない探求心と好奇心を漂わせるヘルメス。

 ソラは内心で深く思考を巡らせた。彼の脳裏には、今朝方ヘスティアが浮かべていた「ヘルメスに気を許すな」という険しい顔と強い視線が鮮明に蘇っていた。ヘルメスの口車に乗せられれば、また厄介事に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。

 

 しかしヘスティアの警告は尤もだが、世界の危機が迫る今、グミシップの完成は一刻を争う。そして、目の前にいる旅の神の力は、その目的のために間違いなく役立つ。

 

 ソラは小さく息を吐き出すと、迷いを振り切ったように真っ直ぐな瞳でヘルメスを見据えた。

 

「……ヘファイストス様と、ヘスティアが許可するなら、いいよ」

「よし来たっ!!」

 

 ソラから言質を取った瞬間、ヘルメスは年端のいかない少年のように両手を突き上げて歓喜の声を上げた。

 そして、ソラが何か付け加えるよりも早く、風のような身のこなしでギルドの裏口を飛び出していく。

 

「そうと決まれば善は急げだ! 今ちょうど、ヘスティアがヘファイストスの店でバイトしてる時間だったはずだ。俺が直接説得してこよう!」

 

 言葉を残し、弾むような足取りでオラリオの通りへと消えていくヘルメス。その見事な変わり身の早さに、ソラはただ苦笑を浮かべて見送ることしかできなかった。

 

 その光景を、ギルドの地下へ続く階段の暗がりから、静かに見つめている者がいた。

 黒いローブに身を包んだ、魔術師フェルズである。

 

「……星の海を渡る船、か」

 

 フェルズの顔は深いフードに隠されて見えない。しかし、ローブの袖から覗くその指先は、生身の肉ではない――冷え切った白骨であった。

 永遠の命を求めた実験の果てに肉体を失い、化け物と成り果てた自分は、決して太陽の光が降り注ぐ表の世界へ出ることは許されない。白日の下で冒険者たちと机を並べ、語り合うことなど絶対に叶わない、都市の暗部に縛り付けられた幽霊なのだ。

 

 それでも、未知なる技術、見たこともない機構、そして世界を越えるという途方もない概念に触れた魔術師としての純粋な知的好奇心が、フェルズの干からびたはずの胸の奥底を激しく焼き焦がしていた。

 自分もあの少年たちと共に、その『グミシップ』の設計図を囲み、果てしない未知の創造に加わってみたい。己の数奇な運命と、日陰に生きる宿命をこれほど恨めしく思ったことは、この八百年の間で一度もなかった。

 

 太陽の下を堂々と駆け出し、新たな冒険と創造の輪へ加わっていくヘルメスの背中を。

 フェルズは自らが決して足を踏み入れることのできない冷たい暗がりの中から、ひどく羨ましそうに、いつまでも見つめ続けていた。

 

 

 

 

 ヘファイストス・ファミリアが経営する店内では、ヘスティアが身の丈に合わない大きな箒を手に、床の清掃に精を出していた。

 青いリボンで髪を束ねたヘスティアは、額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、大きく息を吐き出す。今朝方、ヘルメスによって半ば強引に連れ出されたソラのことが気がかりで、どうにも作業に集中しきれずにいたのだ。

 

「まったく、ヘルメスの奴め……ソラ君に変なことを教えてないといいんだけど……」

 

 不満げに口を尖らせながら呟いた、まさにその直後だった。

 店舗の重厚な扉が開かれ、陽光を背に受けたヘルメスが店内に姿を現した。

 

「やあやあ、精が出ているねヘスティア!」

「ヘ、ヘルメス……!? 君、ソラ君はどうしたんだい!?」

 

 突然の闖入者に驚きつつも、ヘスティアは即座に手にした箒を槍のように構え、鋭い視線でヘルメスを睨みつけた。

 そのあからさまな敵意に対し、ヘルメスは両手を広げて大袈裟に肩をすくめる。

 

「そう怒らないでおくれよ。彼なら先ほど無事にギルドで別れたところさ。今日は彼のことではなく、君と、ヘファイストスに魅力的な提案を持ってきたんだ」

「提案だって? 君が持ってくる話なんて、どうせ胡散臭い厄介事に決まってる。帰れ帰れ、塩を撒くぞ!」

 

 ヘスティアが箒を振り回して追い払おうとするものの、ヘルメスは「まぁまぁ、ちょっと話だけでも聞いておくれよ」と風のように軽やかな身のこなしでそれを躱し、店内の奥――ヘファイストスがいるであろう場所へと強引に足を踏み入れた。

 

「ああっ! ちょっと待てヘルメス!」

 

 ヘスティアの制止も虚しく、ヘルメスが工房の重い扉を押し開けると、そこには凄まじい熱気の中で見慣れぬ設計図と睨み合っていた赤髪の鍛冶の女神、ヘファイストスの姿があった。

 突然の闖入者に右目の奥に鋭い怒りを宿し、彼女は低く威圧的な声を響かせる。

 

「……ヘルメス。アンタ、事前に通達もなしに私のところに来るなんてどういう神経かしら。今すぐつまみ出されるか、自らの足で立ち去るか、好きな方を選びなさい」

 

 容赦なく論破し追い出そうとするヘファイストスの気迫を前にしても、ヘルメスは飄々とした態度のまま薄く笑みを浮かべてみせた。

 

「そんなに冷たくしないでくれよ、ヘファイストス。俺はただ……君達が進めている『グミシップ』の建造計画について、俺たちも一枚噛ませてくれないかと思ってね」

 

 その未知の単語がヘルメスの口から紡がれた瞬間、ヘファイストスの動きが彫像のように完全に硬直した。

 静寂が落ちた工房内で、ヘファイストスは静かな、しかし確かな驚愕に見開かれた片目をヘルメスへと向ける。

 

「……ヘルメス。貴方、どこでその情報を嗅ぎつけたの?」

「俺を誰だと思っているんだい? オラリオを吹き抜ける風は、どんなに固く閉ざされた秘密の匂いも俺の鼻先まで運んでくるのさ」

 

 遅れて工房に駆け込んできたヘスティアは、事態を把握するなり得意げに語るヘルメスの前に立ちはだかり、胸を張って突きつけるように反論した。

 

「残念だったなヘルメス! ソラ君がくれたグミシップの設計図と、ボクでも簡単に組み立てられる『グミブロック』の性質のおかげで、君の助けなんてこれっぽっちもいらないんだよ!」

 

 異界の船を構成する特殊な素材、グミブロック。それは専門的な鍛冶技術がなくても、思い描いた形状に容易に結合させることができるという特異な性質を持っていた。それゆえに、わざわざ他ファミリアの力を借りる必要はないというのがヘスティアの主張だった。

 しかし、ヘルメスは余裕の笑みを崩さないまま、真っ直ぐにヘファイストスへと向き直り、声のトーンを一段階下げて交渉のテーブルについた。

 

「それはどうかな? なぁ、ヘファイストス。君たちだけでブロックを繋ぎ合わせるだけなら簡単だろう。だが、そこにうちのアスフィが加わればどうだ? 魔道具作製者(マジックアイテムメーカー)としてのあの子の知識や技術は、あの未知の船を真に稼働させるための最強の鍵になる。……どうだい? 君にとっても、決して悪い話ではないはずだ」

 

 ヘルメスの提示した条件に対し、ヘファイストスは反論することなく黙り込み、険しい顔で腕を組んで少しの間だけ深く思考を巡らせた。

 やがて、彼女は重い息を一つ吐き出し、静かに頷いた。

 

「……確かに、【万能者(ペルセウス)】の手を借りられるならいいわね。ソラが許可を出しているというのなら、むげに断る理由もないわ。ヘルメス、貴方の協力を受け入れてあげる」

「ちょ、ちょっと! どうしてなんだいヘファイストス!? ヘルメスが関わると、絶対に何か良からぬ企みが……!」

 

 慌てて止めに入ろうとするヘスティアに対し、ヘファイストスは真剣な眼差しでその理由を口にした。

 

「ヘスティア。ソラの持ち込んだ設計図や、グミブロックの特殊な結合の性質を考えれば、私や椿だけでも船の外装の組み立て自体は十分にできるわ。だけど……やっぱり、グミシップの心臓部となる『コックピットグミ』の作製だけはどうしても勝手が違うのよ。私も椿も近々ファミリアの仕事で忙しくなるから、これにばかりかかりきりにはなれないわ。だからこそ、【万能者(ペルセウス)】の助けになるなら助かるのよ」

 

 鍛冶の神であるヘファイストスから告げられた、技術的な壁とファミリアの切実な事情。その事実を突きつけられ、ヘスティアは言葉に詰まり黙り込むしかなかった。

 ヘファイストスは再び鋭利な刃物のような視線をヘルメスの両目へと突き刺す。

 

「協力は歓迎するわ。その代わり、この船の建造計画は他の神々には絶対に他言無用よ。こんなの他の神々に知れ渡ったらどれほどの騒ぎになるかわからないからね。わかっているわね、ヘルメス?」

 

 鍛冶の女神からの、これ以上ないほど厳格な釘刺し。

 ヘルメスは、その条件を受けてもなお飄々とした態度を崩さず、しかしその瞳の奥にはかつてないほど真摯な、熱を帯びた光を宿して口角を吊り上げた。

 

「もちろんだとも。……俺はただ、昔からの夢を叶えたいだけなんだ。かつてゼウスから『外の世界』の話を聞かされて以来、この数百年間、ずっと俺が焦がれ、望み続けてきた途方もない夢。未知なる星の海を渡るなんて、旅を司る神としてこれ以上の歓喜はないからね」

 

 ヘルメスの言葉には、いつもの人を食ったような軽薄さは微塵もなく、ただ純粋な未知への渇望だけが宿っていた。

 

「感謝するよ、ヘスティア、ヘファイストス! いやぁ、持つべきものは話のわかる知神だね!」

 

 長年の夢への切符を手にしたヘルメスは、羽根付き帽子を胸に当てて大仰に礼の姿勢をとる。

 完全に蚊帳の外に置かれ、反論の余地も奪われてしまったヘスティアは、手にした箒を握り締めながら忌々しげにヘルメスを睨みつけるしかなかった。

 

 工房の熱気が立ち込める空間。

 ヘルメスは少年のように目を輝かせ、これから始まる未知の船の建造と、数百年来の夢である途方もない冒険の予感に、胸の内で密かな歓喜の声を上げていたのだった。

 

 後日、アスフィは膨大な情報量に脳のキャパがオーバーし、倒れるのだった。その後、ヘルメスから渡された難題にブチ切れてヘルメスに思いっきりビンタするのだがそれはまた別の話である。




ヘファイストスたちがコックピットグミの製作に難儀しているのは例えとして合ってるかは不安ですがガンプラ初心者が最初にPG組み立てるみたいな感じです
次回からベルの特訓に入ります
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