キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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新生活で一日にすぎる時間が長く感じてきました前回から一週間近くなのに一か月ぶりに更新したような気分です


第34話 蒼穹に駆ける者たち

 ベートとの、中庭の地形を変えてしまうほどの激しい死闘から一夜が明けた朝。

 ソラとベルの二人は、特訓の場所をロキ・ファミリアのホームである黄昏の館から、迷宮都市オラリオの北西寄りの外縁部へと移していた。

 そびえ立つ巨大な市壁の上は、都市の喧騒から離れた静かな空間であり、何より、広大で立体的な障害物となる地形に恵まれている。昨日の中庭のように周囲の被害を気にすることなく、新たな機動力の特訓を行うには絶好の場所だった。

 

「はっ…! でりゃあっ!」

 

 ベルの気合の入った声が、高く澄んだ朝の空気に響き渡る。

 彼が勢いよく跳躍し、飛びついたのは、中空にそびえ立つ一本の奇妙な意匠の石柱だった。それは本来この市壁に存在する建造物ではない。ソラが自身の持つキーブレード、マッシブ・フェスティバルを特殊な形態へと変化させ、ベルの特訓用の仮設の足場として虚空に顕現させたものだ。

 ベルはその石柱を両手でしっかりと掴むと、自身の体重と飛び込んだ勢いを殺すことなく、ぐるぐると高速で回転するポールスピンの動作へと移行する。

 遠心力が最大に達し、身体が限界まで引っ張られる感覚を掴んだその瞬間。ベルは石柱を力強く蹴り上げ、空中を一直線に滑走するスーパースライドへと繋げた。

 重力の法則を完全に無視し、目に見えないレールを滑り降りるように、ベルの身体が不自然な軌道で空中を横滑りしていく。

 

「いいぞ、ベル! その調子だ! 次は壁蹴りからのジャンプを意識してみて!」

「はいっ! うわわっ、やっぱりまだバランスが…!」

 

 地上で重力に逆らうようなアクロバティックな動きを見せるベルに向かって、ソラが手を叩いて的確なアドバイスを送る。ベルは着地に少し手間取りながらも、その顔には新しい技術を吸収する純粋な楽しさと充実感が溢れていた。

 するとそこへアイズが、市壁の長い階段を上って姿を現した。

 

「…ふたりとも、何をしているの?」

 

 アイズは、ベルが石柱を使って跳躍と滑走を繰り返している奇妙な光景に、こてんと首を傾げた。普段の白兵戦の特訓とは明らかに毛色の違う動きに、好奇心が刺激されているようだった。

 

「あっ、アイズ! おはよう。今はベルに、フリーフローの練習をしてもらってるんだ」

「フリーフロー…?」

「うん。壁を蹴ったり、ポールを使って回転したりして、地形を利用しながら縦横無尽に移動するんだ。相手の攻撃を躱すだけじゃなくて、そのまま攻撃に繋げることもできるんだ。口で説明するより、これを見てもらった方が早いかな」

 

 ソラはポケットを探り、モバイルポータルを取り出した。

 小さな薄い板のようなそれを指先で数回タップすると、ソラはアイズの目の前に一つの映像を映し出す。それは、ソラがかつてベルに見せた、サンフランソウキョウで記録されたフラッシュトレーサーの動画だった。

 

「えっ…? 絵が、動いて…中から音が?」

 

 手のひらサイズの薄い板の中に、小さな人間が映り込み、滑らかに動いている。オラリオには存在しない動画という概念そのもの、そして未知の道具に、アイズは金色の瞳を限界まで見開いて驚愕した。

 だが、アイズの本当の驚きはそれだけでは終わらなかった。

 動画の中で、ソラは高くそびえ立つ近代的なビル群の壁を、重力など存在しないかのように平然と駆け上がり、空中に浮かぶ鉄骨を使って大回転し、さらにはネオンが輝く空中を矢のように滑空していたのだ。

 地形のすべてを己の機動力へと変換し、足場のない空中でさえ自由自在に舞う、圧倒的な立体軌道戦術。それは、身体能力の極致にいる第一級冒険者であっても、恩恵(ファルナ)による補助なしには到底不可能な動きの連続だった。

 

「ソラ…これ、本当にソラなの…?」

「うん、そうだよ。この動きを戦闘に応用すれば、空中で相手に一気に近づいたり、大勢に囲まれた時に一気に離脱したりできるんだ」

 

 動画の中で常識外れの動きを見せるソラの姿に、アイズは完全に目を奪われていた。画面を見つめる彼女の呼吸が、微かに熱を帯びていく。

 もしこのフリーフローという技術を習得できれば、自身の風の魔法と組み合わせて、これまでにない超高速の三次元戦闘が可能になるのではないか。純粋な剣士としての本能が激しく警鐘を鳴らし、同時に抑えきれない向上心をチリチリと刺激する。

 強くなりたい。もっと、もっと早く。その悲願のために、目の前にある未知の技術は喉から手が出るほど魅力的に映った。

 

「…私も、ベルみたいに特訓したら、これ…できるの?」

 

 普段の感情の起伏が乏しい無表情の奥に、隠しきれない熱と期待を滲ませながら、アイズはソラを真っ直ぐに見つめて尋ねた。その真剣な眼差しは、純粋に新しい剣術を学びたがる子供のようでもあった。

 

「もちろん! コツさえ掴めば誰でもできるよ。だったら、アイズも一緒にやろうよ!」

「…うん。やる」

 

 ソラの満面の笑みでの誘いに、アイズは即座に、そして力強く頷いた。

 こうして、本来はベルに防御と回避のスパルタ特訓を行うはずだったアイズまでもが、自身のさらなる高みを目指し、ベルの特訓の相手を務めながらもフリーフローの習得へと全力で身を投じていくのだった。

 

 

 アイズがフリーフローの習得に目を輝かせ、ベルと共に特訓へとのめり込んでいった、まさにその頃。

 オラリオの外縁部をぐるりと囲む巨大な市壁。その頂上へと続く長く急な石造りの階段を、リヴェリアとレフィーヤが息を切らすことなく上っていた。

 爽やかな朝の風が二人の髪を揺らす中、リヴェリアは優雅な足取りを崩さないまま、深い嘆息を漏らした。

 

「まったく、ベートが謹慎を破ってまた勝手にちょっかいをかけに行くかもしれんからな。もし現れたら、即座に氷漬けにしてホームへ引きずって帰るために私が直々に見張りに来たというのに」

「あはは…ベートさん、昨日中庭を大破させた罰で、今は一人でひたすら草むしりさせられてますからね。ものすごく機嫌が悪そうに地面を抉ってましたし」

 

 呆れ顔で眉間を揉むリヴェリアに、レフィーヤが苦笑いしながら相槌を打つ。

 リヴェリアがわざわざ足を運んだのは、謹慎中のベートが不満を爆発させて乱入してきた際、問答無用で鎮圧して追い出すための保護者的な役割だった。アイズの苛烈な特訓でベルが死にかけていないかという純粋な心配もある。

 しかし、背後を歩くレフィーヤがここに同行した理由はそれだけではない。彼女自身のステイタスに突如として刻まれたキーブレードを本格的に修練するためであった。神の法則すら書き換え、あらゆる鍵を開き、心を解放するという未知の力。それをどのように呼び出し、どう扱うべきか。その手ほどきをソラから直接受けるべくやって来たのだ。

 だが、市壁の頂上が近づくにつれ、レフィーヤの顔には期待よりも濃い不安の影が差し始めていた。

 

「…本当に、私にキーブレードが使えるんですかね」

「実際にステイタスのスキルとして発現しているのだから、使えるのだろう。それに、二十四階層でソラはお前がそれを使って戦っているところをはっきりと見たと言っているのだから…」

「でも、私はその時の記憶が全然ないですし…いざ自分でキーブレードを出そうとしても、愛用の杖を構えるのとはまったく勝手が違うみたいで、いくら念じても全然出せなくて…」

 

 レフィーヤは自信なさげに視線を落とし、自身の両手をぎゅっと握りしめる。極限状態の中で無意識に発現した奇跡の力。それを平時に引き出そうとしても、魔力を練る魔法の詠唱とは根本的な感覚が異なり、彼女はまったく手応えを掴めずにいたのだ。

 

「だからこそ、それを含めて先達であるソラに直接教えを乞う。…まったく、彼らには借りばかりできてしまうな」

 

 リヴェリアは優しく、しかし導くような力強さで不安がる少女の背中を押すと、彼らの規格外な恩恵を思い出してまた一つ、静かなため息をこぼした。

 そんな会話を交わしながら、二人はようやく長い階段を上りきり、広大な市壁の頂上へと辿り着く。

 

「アイズのことだ、ベル・クラネルの特訓と称してまた手加減なしで剣を振り回し、ベル・クラネルを空の彼方へ吹き飛ばしているのではないかと心配していたのだが…む?」

「どうしたんですか、リヴェリア様? あっ…あれは…!」

 

 視界が開けた先。そこに飛び込んできたのは、血と汗が飛び散るような過酷な白兵戦の光景ではなく、予想だにしなかった極めて異様な光景だった。

 

「はっ! でりゃあっ!」

「とっ…! やっ!」

「いいぞ二人とも! そのまま、次は壁蹴りに繋げて!」

 

 だだっ広い市壁の上空。ソラが顕現させた奇妙な意匠の巨大な石柱を軸にして、ベルとアイズが猛烈な勢いでぐるぐると高速回転しているではないか。

 ただ回っているだけではない。二人の身体の表面には、オラリオの魔法体系では見たこともない、淡く発光する奇妙なエネルギーがオーラのように纏い付いていたのだ。

 その謎のエネルギーの推進力を利用し、二人は重力など存在しないかのように超高速でポールスピンを繰り返している。そして、遠心力が最大に達した瞬間に石柱を蹴り上げ、まるで目に見えないレールの上を滑るように、空中を一直線に矢のように滑空していく。

 空気を踏み抜くような音と共に、アイズが市壁の縁を蹴って見事な三角跳びを決め、再び石柱へと飛び移る。その顔には普段の無表情の面影はなく、新しい剣術のパズルを解き明かすような、純粋で没入しきった熱が浮かんでいた。

 

「な、なんですかあれは…!? アイズさんまで、柱に掴まって光りながらものすごい勢いで回ってますよ!?」

「いったい何をしているんだ…?」

 

 アイズとベルが、謎のエネルギーを纏いながら空中の柱でひたすらに大回転を繰り返している。しかも、ソラはそれを腕組みしながら陽気に褒め称えているのだ。

 神々の恩恵とも魔法とも異なる、あまりにも常軌を逸した立体軌道の特訓風景。そして何より、アイズが剣を振るのではなく、謎の光を纏ってアクロバットに夢中になっているという事実。

 リヴェリアとレフィーヤは、完全に理解の範疇を超えた光景を前に言葉を失って立ち尽くし、ただただポカンと口を開けて深い困惑の表情を浮かべるのだった。

 

 完全に理解の範疇を超えた光景に呆然と立ち尽くす二人のエルフに気づき、空中を回転していたアイズとベルがふわりと市壁の石畳へと着地した。

 それに合わせて、ソラも巨大な石柱を光の粒子と共に消し去り、リヴェリアたちの元へと歩み寄る。

 

「いったい何をしているんだ、お前たちは。朝から随分と奇妙な真似をしていたようだが」

「今はソラから、フリーフローを教わっていたの」

 

 アイズの口から発せられた聞き慣れない単語に、リヴェリアは興味深そうに目を細めた。ただひたすらに強さを目指し、黙々と剣を振るい続けるアイズが、剣を握ることすら忘れて夢中になるほどの技術。それがどれほどのものなのか、純粋な好奇心が湧き上がる。

 

「フリーフロー…。アイズ、お前の目から見て、その技術の所感はどうだ?」

「今の私がやっている動きだけで考えるなら、壁を蹴って大きく上に飛んだり、ただ真っ直ぐに跳躍したりするのは、恩恵(ファルナ)任せで動いたほうが速いと思う。だけど…フリーフローのすごさは、どんな場所でも、どんな体勢でも足場にすることができるという点にある…」

 

 アイズは先ほどまで石柱があった空間を見つめながら、己の身体に刻み込まれつつある未知の感覚を、極めて論理的に分析するように語り始めた。

 

「普通に地を駆けて飛ぶのとは違う。蹴って進む軌道の途中で、垂直に体の向きを変えて曲がることもできる。足場にするのも、何かに引っかける必要はないの。足の裏が接触さえしているなら、本当になんにでも…多分だけど、これならバベルの塔の頂上まで外壁を蹴り続けるだけで到達できるかもしれないし、通常では絶対に足場にできないものすら足場にできる。昨日、ベルが空中で盾を足場にして私に迫ってきたのも、多分これの応用だと思う」

 

 アイズの的確な考察に、ソラが正解とばかりに嬉しそうに頷く。

 アイズは僅かに呼吸を荒くし、強さへの純粋な渇望と興奮を隠しきれない声で続けた。

 

「それと、これの派生にあるアスレチックフロー。あれなら、足場に関係なく空中にいたとしても、相手の懐へすぐに急接近できて、モンスターの間合いも、完全に無意味になる…絶対に、覚えるべき…」

「そうか」

 

 アイズがここまで一つの技術を絶賛し、強い執着を見せるのは極めて珍しい。いや、ロキ・ファミリアに身を置いてから初めてのことかもしれない。

 リヴェリアはアイズの熱意に深く頷くと、今度はその規格外な技術の持ち主であるソラへと視線を向けた。

 

「ソラ。そのフリーフローやアスレチックフローという技術は、習得の難易度はどれくらいだ?」

「えっとね、イェン・シッド様の魔法で、俺とリクが闇に飲まれる直前のデスティニーアイランドの時間に戻った時があるんだけど…」

「時間、だと?」

「うん。その時の俺は、色々とあって今の俺と比べると全然弱かったんだけどさ。夢の世界で出会ったネクがやってた動きを見よう見まねでやってみたら、すぐにできたんだ。だから、多分だけどそこまで難しくないと思うよ。コツさえ掴めば誰でもできるはずさ」

 

 屈託のない爽やかな笑顔で語られたその内容に、リヴェリアの美しい顔面が完全に引きつり、凍りついた。

 過去への時間遡行。それは完全なる神の領分。それを、外の世界の魔法使いはこともなげにやってのけ、さらには夢の世界への介入まで果たしているというのか。

 世界観の根底を覆すような爆弾発言に頭痛を覚えたリヴェリアだったが、彼女はすぐに頭を振って自身の思考を強引に打ち切った。ソラの規格外な背景にいちいち驚いていては、どれだけ精神力があっても足りない。今は目の前にある、有用な移動技術にのみ集中すべきだ。

 

「…ソラ、何度も借りを重ねるようで非常に申し訳ないのだが、そのフリーフローというものを私たちにも教えてはくれないか」

「もちろん、いいよ!」

「リヴェリア様? 私たちは後衛の魔導士ですよ? アイズさんたちのような前衛向けの機動力など、必要ないのでは…」

 

 自分たちも教えを乞うというリヴェリアの決断に、レフィーヤが目を丸くして尋ねた。後衛職である魔導士は、後方から強大な魔法を放つのが本来の役割であり、壁を蹴って前線を飛び回るような動きは無縁に思えたからだ。

 しかし、リヴェリアは何も答えず、手にした豪奢な杖を市壁の空間へ向けて軽く振るった。

 瞬く間に極低温の冷気が収束し、リヴェリアの足元から中空へ向かって、滑らかで強固な氷の軌道が一本の道のように形成される。さらに、彼女のもう片方の空いた手には、同じく絶対零度の氷で形作られた、冷気を纏う美しい長剣が握られていた。

 

「このような氷の道を作り出し、その上を摩擦なく高速で滑り抜ける動き…その技術を制御し、実戦で十全に活かすためには、フリーフローの感覚が不可欠になるだろう。ならば、後衛であろうと私も覚えておいた方がいい。魔法の応用力も格段に上がるはずだ」

「なるほど…そういうことなら、私も覚えます! ソラさん、よろしくお願いします!」

 

 リヴェリアの明確な戦術ビジョンと、美しくも洗練された氷の魔法の実演を前に、レフィーヤも胸の奥の不安を拭い去り、やる気に満ちた表情で力強く頷いた。

 こうして、広大な市壁の上の面々は二つのグループに分かれることとなった。

 一方は、実戦形式でフリーフローの練度を高めるべく、高速での激しい組み手を開始したアイズとベル。

 そしてもう一方は、基礎から未知の機動力を学ぶべく、ソラを囲んで真剣な眼差しを向けるリヴェリアとレフィーヤ。

 高く澄み切ったオラリオの朝の空の下、それぞれの目的と向上心を胸に秘めた、まったく新しい特訓が幕を開けるのだった。

 

 

 

 市壁の縁に設けられた、頑丈な石造りの手すり。本来ならば落下防止のためのその細い障害物を、ベルとアイズは縦横無尽に駆け巡るための『新たな足場』へと完全に変換していた。

 

「ドンッ」と空気を踏み抜くような爆音と共に、二人の姿が視界から消失する。

 次の瞬間、視認不可能な速度で交錯したのは、漆黒の短刀と白銀の長剣。ではなく、それを手にした二人の『光』そのものであった。

 ベルは手すりのわずかな幅をスケートのように滑走し、そのまま支柱の一本へと飛び移る。全身をバネのようにしならせ、遠心力とフリーフローの推進力を限界まで乗せ、アイズの死角となる上空へと弾丸のように弾け飛んだ。

 

「そこっ!」

 

 上空から迫るベルに対し、アイズは微塵も動じることなく金色の瞳を細める。彼女は迫り来る刃に対し、迎撃ではなく跳躍を選んだ。それも、ただのジャンプではない。

 アイズは市壁の手すりを垂直に蹴り上げると、そのまま重力の束縛を逃れたかのように、物理法則を無視した不自然な軌道で真横へと横滑り(エアスライド)したのだ。ベルの決死の突撃を紙一重で回避し、すれ違いざまに白銀の閃光がベルの首元へと奔る。

 

「くっ…! うわわっ!」

 

 ベルは空中で咄嗟に短刀を盾にして受け止めたが、第一級冒険者の剛腕とフリーフローの加速が乗った一撃の衝撃は凄まじかった。激しい火花と金属音と共に、ベルの身体は木葉のように弾き飛ばされる。

 体勢を崩しながらも、ベルは闘志を失っていなかった。彼は空中で不自然に姿勢を捻ると、今度は市壁の垂直な壁面へと向かって急降下する。

 

「壁を、足場に…!」

 

 壁面に接触した瞬間、ベルの足元から淡い光の粒子が弾けた。彼は壁に対して垂直に立ち、そのまま壁を蹴って再びアイズへと向かって鋭く急上昇する。

 対するアイズも、空中を滑走した状態のまま、手すりの支柱に片手をかけて身体を反転。逆立ちの体勢からポールを蹴り上げ、上空から迫るベルを迎え撃つべく弾道を描いた。

 

「スパァン」と、火花と冷気が混ざり合う激しい衝撃音が、朝の静寂を何度も何度も切り裂いていく。

 手すりから壁へ、壁から空中へ。地形のすべてを己の機動力へと変換し、目まぐるしく位置を入れ替えながら展開される、死線ギリギリの立体軌道舞踏。それはもはや地上での戦闘などではなく、天を駆ける二羽の鳥による、空中の覇権を争う死闘であった。

 

 目まぐるしく飛び交う剣戟の音と、衝撃波が吹き荒れる中、そこから少し離れた市壁の平坦な石畳の上では、まったく別の意味で緊迫した空気が流れていた。

 

「い、いいか二人とも。絶対に、絶対に手を離すなよ」

「はいっ! しっかり握ってますから大丈夫です、リヴェリア様!」

「任せてよ、リヴェリア! 俺達がちゃんと支えてるからさ!」

 

 悲壮感すら漂う声で念を押すリヴェリアに対し、レフィーヤとソラが真剣な顔で力強く頷き返す。

 ロキ・ファミリアの副団長であり、都市最高位の魔導士として常に優雅で威厳ある態度を崩さない高潔なるエルフ。しかし、今の彼女の足元は、昨日ソラがやっていたものを模倣して魔法で形成した分厚い氷の刃、特製のスケート靴によって著しく不安定な状態になっていた。

 摩擦を極限までなくした氷の刃の上に立つという、これまでに味わったことのない未知の感覚。それに加えて、生まれて初めての氷上滑走の練習である。普段の凛とした姿からは想像もつかないほど、リヴェリアの両足は生まれたての小鹿のように小刻みに震えていた。

 左右からソラとレフィーヤに両手をしっかりと握られ、介助されるような体勢のまま、リヴェリアは恐る恐る氷の刃を前へと滑らせていく。

 

「くっ…!ここまでに姿勢制御が難しいとは…!」

「最初は誰だって怖いし、転ぶものだよ。でも、リヴェリアなら、すぐに体の使い方のコツを掴めるって!」

「そ、そうです! リヴェリア様なら絶対に華麗に滑りこなせます!」

「わかっている! 頭では理解しているから、今はとにかく手を…もっと強く握っていてくれ…!」

 

 高速で空中を駆け抜ける前衛二人の激しい戦闘音を背に受けながら、不退転の決意で氷のスケートに挑むリヴェリア。

 普段は決して見せない不器用で必死な彼女の姿を、ソラとレフィーヤは微笑ましく思いながらも、絶対に転ばせまいと両側からしっかりと支え続けるのだった。

 

 市壁の狭い手すりの上を足場にして展開される、ベルとアイズの模擬戦は、時間の経過と共にその激しさを増していた。

 

「だああっ!」

 

 ベルが手すりを蹴り、空中で身体を独楽のように回転させながらヘスティア・ナイフを振り下ろす。フリーフローによる加速が乗った、渾身の一撃。

 しかし、アイズは風を纏った微動だにしない体勢でそれを受け流すと、即座に手すりの支柱を軸にして滑らかなターンを決め、ベルの背後へと回り込む。

 

「遅い」

「くっ…!」

 

 ベルは空中で無理やり姿勢を捻り、手すりの側面を蹴って真横へと脱出した。そのまま壁面へと張り付き、垂直な壁を重力無視で駆け上がる。

 アイズもまた、アリエルの風を足元に集中させ、手すりの上を滑走(スライド)しながらベルを追う。

 

 壁上での激しいデッドヒート。ベルは壁を蹴ってアイズの上空を取り、下方へ向かって急降下攻撃を仕掛けた。

 対するアイズは、手すりの上で上体を反らせ、迫り来るベルのナイフを紙一重で回避。そして、すれ違いざまに、手にしたデスペラードの『鞘』を、無防備なベルの胴体へと容赦なく叩き込んだ。

 

「ごはっ…!?」

 

 空中で重い衝撃波が炸裂する。鞘の一撃にフリーフローの勢いごと打ち落とされたベルの身体は、放物線を描いて市壁の石畳へと真っ直ぐに叩きつけられた。

 

 ドンッ、と土埃が舞い上がり、ベルが完全に沈黙したその一方で。

 平坦な石畳の上では、先ほどまでのへっぴり腰が嘘のように、氷の刃を優雅に操って滑走するリヴェリアの姿があった。

 

「すごいです、リヴェリア様! 完璧に滑りこなしていますよ!」

「やったな、リヴェリア! もう完全にコツを掴んでるじゃん!」

 

 ソラとレフィーヤが手放しで褒め称える先には、冷気を纏いながら華麗にターンを決め、二人の前でピタリと静かに停止したリヴェリアがいた。

 王族としての優れたバランス感覚と、都市最高位の魔導士たる圧倒的な魔法センス。それらが組み合わさった結果、彼女は摩擦ゼロの感覚を一瞬にして支配してしまったのだ。

 

「ふむ。最初は戸惑ったが、慣れてしまえばどうということはないな。…摩擦がないというのは、これほどまでに自由なのか」

 

 満足げに氷の刃を見つめるリヴェリア。そして、彼女の視線が傍らに立つ同郷の少女へと向けられる。

 

「さて、次はレフィーヤの番だな」

「えっ? わ、私ですか?」

「ああ。さっそく、ステイタスに現れたというそのキーブレードを出してみてくれないか」

 

 ソラからの提案に、レフィーヤは途端に自信なさげに肩を落とし、首を横に振った。

 

「それが…どうしても出せないんです」

「えっ? 出せない?」

 

「はい…普段使っている愛用の杖なら、魔法で消したり手元に出したりすることはできるんですけど…その、キーブレードというのは、どうやって出せばいいのかまったくわからなくて。ただ念じるだけじゃ、ダメみたいなんです」

 

 困惑したように両手を見つめるレフィーヤの言葉に、ソラも首を傾げた。

 ソラはふと、かつてイェン・シッドから聞かされた言葉を思い出す。本来、キーブレード使いとして正式に認められ、それを自在に操れるようになるまでには、数年単位の厳しい修行が必要不可欠だという事実を。

 ソラ自身は、元々は親友であるリクのキーブレードが自身に移ったような形で扱えるようになった特例だ。オラリオで出会ったシャクティやベルも、ソラ自身の持つキーブレードの能力で一時的に武器を貸し与えることで使えるようになったため、てっきりレフィーヤも同じようなものかと最初は思っていた。

 しかし、どうやら彼女の場合は違うらしい。誰からの借り物でもない、自分自身のキーブレードを心の奥底から引き出さなければならないようだ。

 どうやってその感覚を教えればいいのか。ソラが腕を組んで深く悩んでいると、ふとあるアイデアが閃いた。

 

「…そっか。ねえ、レフィーヤ」

 

 ソラが右手を横に振るうと、光の粒子が集束し、一本の鍵剣が顕現した。彼が最初に手にした、最も馴染み深い王道の鍵剣、キングダムチェーンである。

 ソラはそれをクルリと反転させ、剣の持ち手の部分をレフィーヤへと差し出した。

 

「えっ? あの、ソラさん?」

「とりあえず、これを使ってみてよ。実際に俺のキーブレードを握って使ってみれば、出し方や、感覚のコツがわかるかもしれないからさ」

 

 あまりよく分かっていないレフィーヤだったが、ソラの真っ直ぐな言葉に後押しされ、戸惑いながらも了承してキングダムチェーンの柄をそっと両手で握りしめた。

 キーブレードから伝わってくる、温かくも強力な未知の力に、レフィーヤの表情が引き締まる。

 

「よし、それじゃあアイズにも手伝ってもらおうか。おーい、アイズー!」

 

 ソラが振り返り、少し離れた場所で戦闘を終えていたアイズの名前を大きく呼んだ。

 ソラの声に釣られ、レフィーヤとリヴェリアもそちらへと視線を向ける。

 しかし、二人の目に飛び込んできたのは、特訓の続きを待つ凛々しい剣姫の姿ではなかった。

 

「なっ…!?」

 

 レフィーヤが絶句し、キングダムチェーンを握る手が小刻みに震え始める。

 そこには、石畳の上で鞘の一撃を受けて白目を剥いて気絶しているベルの頭を、アイズが自身の太ももにそっと乗せ、極めて自然な動作で膝枕をしている光景があったのだ。

 アイズはベルの乱れた髪を優しく撫でながら、ソラの声に気づいて不思議そうにこちらを見返している。

 その光景を、リヴェリアは呆れと、そしてどこか温かさを孕んだ、微笑ましい視線で見つめるのだった。

 

 

 

 

 敬愛するアイズが、よりにもよって出会って間もない、ヒューマンの少年に膝枕をしている。それは、レフィーヤの理解の範疇を完全に超えた、到底信じがたい光景だった。パニックに陥ったレフィーヤは、ソラから借り受けたばかりのキーブレードを取り落としそうになりながら、凄まじい勢いで市壁の石畳を蹴り、アイズの元へと猛ダッシュで詰め寄った。

 

「な、何をしているんですかアイズさん!?」

「どうしてそのヒューマンに膝枕を…そんなうらやま…じゃなくて、はしたないですよ!」

 

 顔をゆでダコのように真っ赤にして、目尻に涙まで浮かべて捲し立てるレフィーヤ。しかし、当のアイズはまったく悪びれる様子もなく、気絶しているベルの柔らかい白髪を、まるで壊れ物を扱うかのように愛おしそうに撫で続けていた。

 

「でも、リヴェリアが…」

 

 アイズがかつてリヴェリアから吹き込まれた、何らかの偏った知識を言い訳にしようとした、まさにその時だった。

 

「ん…あれ、ここは…って、え? ふぎゃあああっ!?」

 

 意識を取り戻したベルがゆっくりと目を開ける。最初は自分がなぜ倒れているのか分からなかったが、自分の後頭部が信じられないほど柔らかく、そしてひどく良い匂いのする絶対領域に乗せられているという事実に気づいた瞬間、悲鳴とも奇声ともつかない情けない声を上げてその場から跳ね起きた。

 顔から火が出るほど真っ赤にしてパニック状態で後ずさるベルと、嫉妬と怒りで肩をワナワナと震わせるレフィーヤ。そんな極限状態の二人を前にしても、アイズはポツリと、真顔のままでひどく不可解な言い訳を口にした。

 

「…昼寝の訓練。ダンジョンで、いつでもどこでも寝れるように体力を回復させるために」

「だったらどうしてこのヒューマンに膝枕をする必要があるんですか!」

 

 アイズのあまりにも苦しく、不自然すぎる弁明に、すかさずレフィーヤが鋭いツッコミを入れる。彼女の追及は止まらない。

 

「膝枕をすれば…早く、体力が回復するから…」

 

 アイズはスッと目を逸らしながら、さらに苦し紛れの理由を紡ぎ出した。

 しかし、そのあまりにも強引かつ無茶苦茶な理屈に対し、当のベルはもちろん、詰め寄るレフィーヤ、後から苦笑いしながら歩いてきたソラ、そして無実の巻き添えにされかけたリヴェリアまでもが、全員揃って凄まじく胡乱そうな表情をアイズへと向けた。

 ジト目で睨みつける四つの視線。その無言の圧力は、いかなる強敵の威圧よりも精神にクリーンヒットしたらしい。耐えきれなくなったのか、アイズは気まずそうにシュンと肩を落とし、小さな声で白状した。

 

「…ごめんなさい。私が、したかっただけだから…」

「〜〜〜〜ッ!!」

 

 ついに飛び出した素直すぎる本音の自白に、レフィーヤは声にならない悲鳴を上げて完全に絶句し、両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちた。自分の憧れの人が、よりにもよってベルに自ら進んで膝枕を所望していたという事実は、彼女の精神にトドメを刺すには十分すぎたのだ。

 完全に気まずく、そして奇妙な空気が市壁の上に漂う中、わざとらしい咳払いと共にリヴェリアとソラが間へと割って入る。

 

「あはは…。じゃあ、一旦ベルには休憩してもらってさ。なぁアイズ、代わりにレフィーヤとキーブレードで戦ってくれないかな?」

 

 場を和ませるようなソラの提案を受け、アイズは少しだけ考える素振りを見せた後、コクリと頷いて立ち上がった。彼女は手にした愛剣の柄を軽く握り直すと、ソラとまだ蹲っているレフィーヤに向かって静かに提案した。

 

「…じゃあ、ダンジョンに…行こうか」

 

 対人戦での感覚だけではなく、実戦という極限の環境で試したいという思い。そして何より、先ほどのベルとの特訓で得たフリーフローを、早くモンスター相手にぶつけてみたいという純粋な欲求だった。アイズのその一言により、彼らの次なる特訓の舞台は、魔物が蠢く地下の巨大迷宮へと移されることになった。

 

 市壁の長い階段を下り、都市の中央にそびえ立つ巨大な塔、バベルの地下に広がるダンジョンへと向かう道中。

 朝の喧噪が少しずつ大きくなり始め、出店や冒険者たちで活気づくオラリオの街並みを歩きながら、アイズは隣を歩くベルの横顔をじっと見つめていた。

 先ほどの特訓で肌を合わせ、激しく剣を交えたからこそ、嫌でも確信できる。この少年の成長速度は、オラリオの長い歴史に照らし合わせても明らかに異常だった。自分が到達するまでに何年もかかった高みへと、彼はたった数週間で駆け上がろうとしているのだ。

 

「…ベルは、どうしてそんなに早く強くなれるの?」

 

 アイズの口から紡がれた、唐突で、しかし純粋な疑問。

 その真っ直ぐな問いかけに、ベルはビクッと肩を揺らして歩みを止めた。彼はこれまでの自分の不甲斐ない戦いや、ミノタウロスに襲われた時の絶望、そして何度もソラに助けられてばかりの情けない失態の数々、そしてダルザクスの言葉を思い出し、視線を彷徨わせる。

 

「ぼ、僕に強さなんて言葉は、全然不釣り合いですよ…。いつも迷惑をかけて、助けてもらってばかりで…」

 

 戸惑いを見せ、自信なさげに深く俯くベル。

 しかし、アイズの金色の瞳は彼から逸らされなかった。どこまでも強さを渇望する彼女の真剣で真っ直ぐな眼差しを受け、ベルは自身の原動力、魂の奥底で燃え続ける炎の正体を静かに省みた。

 なぜ、自分は傷つきながらも立ち上がり、ソラの教える未知の技術を必死に吸収しようとしているのか。それは、どうしても追いつきたい、いつか必ず隣に並び立ちたいと強く願う存在がいるからだ。

 だが、その憧憬の相手が、他でもない目の前にいるアイズ本人であり、そしてその前を暢気に歩いている規格外の力を持ったソラであるとは、今の彼には恥ずかしくて到底口にすることはできなかった。

 

「…必死に、背中を追いかけていたら、いつの間にかここまで来ていたんです」

 

 ベルはギュッと拳を握りしめ、言葉を濁しつつも、懸命に自身の胸の内を、揺るぎない決意をアイズへと伝えた。

 

「僕には…何がなんでも、どうしても辿り着きたい場所があるんです。だから、立ち止まるわけにはいかないんです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アイズは僅かに目を見張った。

 少年の瞳の奥に宿る、決して消えることのない純粋で強烈な意志の光。それは、彼女自身が幼い頃から胸の奥底に抱え込み、誰にも見せずに燃やし続けてきた黒い炎と、根本のところでひどく酷似していたからだ。

 

「…そう」

 

 アイズは歩みを再開し、ふと空を仰いだ。オラリオの巨大な建物の隙間から覗く、高く澄み切った蒼穹。

 彼女はベルの思いに深く共感するように、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟きを漏らした。

 

「私も…同じだから」

 

 自身もまた、絶対に追いつかなければならない背中があり、取り戻さなければならない過去がある。焦燥感と執念に急き立てられるように、ただひたすらに剣を振るってきた。同じような思いを抱えていることを仄めかし、アイズはさらに何かを語ろうと唇を動かした。

 しかし、その先の言葉は、突如として都市を吹き抜けた西からの強い突風によって、完全に空高くかき消されてしまう。

 

「わっ…」

 

 砂埃を伴う突然の強風に思わず目を瞑ったベル。

 ややあって風が止み、彼が再び瞼を開けると、アイズは先程と変わらない姿勢のまま、ただ静かに、何かを祈るように蒼穹を見上げ続けていた。

 その横顔には、普段の感情の起伏が乏しい無機質な表情とは違う、どこか儚くも力強い光が宿っているように見えた。ベルは思わずその横顔に見惚れ、言葉を失ってしまう。

 

「着いたぞ」

 

 前方を歩いていたリヴェリアの凛とした声が響き、ベルたちはハッと我に返る。

 見上げれば、そこには迷宮都市の象徴たる巨大なバベルの塔の入り口が、彼らを飲み込もうと大きく口を開けて待ち構えていた。

 それぞれの胸の内に秘められた熱い決意と、未知なる力への探求心を抱え、ソラ、ベル、アイズ、そしてレフィーヤの四人は、ダンジョンへと、静かに足を踏み入れていくのだった。




最近攻略本読んで気づいたんですけどフリーフローのレールスライドとスーパースライドって秒速20mだそうでスーパージャンプとかは5.5m飛べるそうです
明確な数値が出ているのってこれぐらいですかね
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