キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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第35話 憧憬の背中

 第五階層の西端(ルーム)へと、ソラたち四人は足を踏み入れた。

 薄暗い壁面には燐光を放つ苔が群生し、ひんやりとした冷たい空気が肌を撫でる。迷宮特有の不気味な静寂の中、遠くの通路からは絶えずモンスターの低い唸り声や、他の冒険者たちの微かな戦闘音が反響して届いていた。

 天井から冷たい水滴が落ちる音が響くその場所で、ソラは周囲を油断なく警戒しながら、不思議そうに隣を歩く金髪の少女へと問いかけた。

 

「アイズ、ここで何をするんだ? 特訓なら、さっきの市壁の上でも十分に広かったし、わざわざダンジョンまで降りてくる必要もなかった気がするけど」

「今はリヴェリアが、レフィーヤに魔法や魔力制御の基礎を教えてくれている。……だから、私は別のやり方で教えようと思って」

「別のやり方?」

「うん。私がさっきベルと激しい模擬戦をしたみたいに、レフィーヤにも実践的な特訓をしてもらおうと思うの。キーブレードという未知の武器を扱うための近接戦闘の練習と、魔法の並行詠唱。その二つを同時に行う、実戦形式の訓練」

「えっ……アイズさんと、私が模擬戦……ですか!?」

 

 憧れの存在であるアイズからの直々の指名。その事実だけで、レフィーヤは内心で天にも昇るような高揚感に包まれた。

 ロキ・ファミリアの次代を担うエルフの魔導士として、都市最強の剣姫であるアイズ・ヴァレンシュタインという高みは、常に彼女の絶対的な目標であり、その背中を追い続ける最大の原動力でもあったからだ。アイズに直接鍛えてもらえるという機会は、彼女にとって何よりも喜ばしいことだった。

 しかし、その直後に脳裏をよぎったのは、厳格な師であり、ファミリアの母のような存在でもあるリヴェリアからの教えだった。

 魔導の深淵に触れるには、何よりもまず地道に、そして愚直に基礎を積み重ねることこそが唯一無二の正道である。基礎なき応用は身を滅ぼす。逸る心を抑え、一段ずつ確実に階段を上らなければならないのだと、彼女の理性はリヴェリアの言葉を正しく理解していた。いきなり未知の武器で、それも高度な並行詠唱を伴う実戦訓練など、無謀にも程がある。

 だが、今のレフィーヤの心には、そんな冷静な理性を黒く塗りつぶして余りあるほどの、強烈な焦燥感がどす黒い渦を巻いていたのだ。

 思い出すのは、過去の苛烈な戦闘での己の不甲斐なさだ。過酷な戦場の中で、自分はいつも恐怖に足がすくみ、安全な後方から震える手で杖を握りしめていることしかできなかった。アイズやソラが、血と汗を流して命を懸けて前線で戦っているというのに、自分は彼らに守られ、ただ足手まといになっているだけだったという惨めな記憶。

 果てしなく高い次元にいるアイズたちの隣に並び立ち、彼らと共に背中を預け合って戦うためには、今まで通りのやり方では駄目なのだ。このまま数年、あるいは数十年という悠長な時間をかけて、エルフらしくゆっくりと成長を待っている余裕など、今の彼女には微塵も残されていなかった。

 あの急激な成長を遂げているベル・クラネルのように、一刻も早く、昨日までの弱く不甲斐ない自分を脱ぎ捨てなければならない。たとえそれが、今の身の丈に合わない危険な実戦訓練であったとしても、自ら死線に飛び込まなければ変われないのだ。彼女は今の自分を根底から変えるため、あえて危険な実戦訓練に身を投じる決意を固くした。

 

「アイズ、それはいくらなんでも早すぎる。レフィーヤにはまず、キーブレードを精神的に定着させるための基礎段階が……」

「やらせてください!」

 

 レフィーヤの身を案じ、苦言を呈そうとしたリヴェリアの言葉を遮り、レフィーヤは突き上げるような衝動のままに叫んだ。

 鼓膜を震わせるような、悲痛なまでの叫び。そのエメラルド色の瞳には、不安や恐怖を完全に押し殺した、強靭で揺るぎない決意の光が宿っていた。

 リヴェリアはその凄まじい気迫に僅かに目を見張ったが、目の前の少女の覚悟が、決して生半可な気持ちから出たものではないとすぐに悟った。保護者としての過保護な制止は、今の彼女の成長を妨げる枷にしかならない。そう判断したリヴェリアは、そっと口を閉ざして静かに頷いた。

 アイズはレフィーヤの魂からの叫びを正面からしっかりと受け止めると、腰に佩いた愛剣デスペレートを本体ごと外し、傍らに立つリヴェリアへと無言で手渡した。

 

「リヴェリア、預かってて」

「……ああ。無茶な真似はさせるなよ、アイズ」

 

 リヴェリアは呆れたような苦笑を浮かべながらも、二人の間に流れ始めた張り詰めた空気を壊さぬよう、静かに後方へと下がって見守りの体勢に入った。

 薄暗いルームの中心で、静かに対峙する二人。

 アイズは武器を持たぬ素手のまま、しかし一切の隙を感じさせないしなやかで洗練された体勢で、レフィーヤを静かに見据える。

 対するレフィーヤは、ソラから貸し出されたばかりのキーブレード、キングダムチェーンを、震える両手で力強く握りしめた。本来ならば使い慣れた魔法の杖を構えるべきその手に、冷たく硬質な金属の重みが、ずっしりと伝わってくる。

 

「アイズさん、よろしくお願いします……!」

 

 魔法の並行詠唱。魔力の構築を頭の片隅で行いながら、同時にキーブレードという未知の近接武器を振り回し、格上である第一級冒険者の猛攻を捌き切るという神業。

 かつてないほど過酷で、そしてかつてないほど魅力的な実戦訓練の始まり。レフィーヤは己の限界を突破し、新たな力に覚醒するべく、憧れ続けてきた少女の背中を真っ直ぐに見つめて、迷宮の石畳へと力強く一歩を踏み出すのだった。

 

「まずは、私の攻撃を躱しながら詠唱してみて?」

 

 静まり返った第五階層の広大なルームに、アイズの透き通った声が響き渡る。武器を持たず、自然体で立つ彼女の言葉に、レフィーヤは力強くコクリと頷いた。

 

「はいっ!」

 

 ソラから借り受けたキングダムチェーンを両手でしっかりと構え、レフィーヤは鋭く地を蹴った。

 アイズとの間合いを広げるため、後方へと大きく跳躍する。それと全く同時に、彼女は自身の内側で眠る魔力を引きずり出し、並行詠唱を開始した。

 

「【解き──】」

 

 しかし、彼女の口から紡がれた呪文は、たったの二文字で強制的に途絶することになった。

 瞬きすら許されない神速。レフィーヤが後方へ飛んだその瞬間にはすでに、アイズは風のように間合いを詰め、レフィーヤの目の前へと肉薄していたのだ。

 無意識のうちに手加減を忘れた、あるいは前衛特有の反射的な踏み込み。アイズの手に握られていたデスペレートの硬い鞘が、凄まじい速度でレフィーヤの無防備な横っ腹へと直撃した。

 

「がはっ……!?」

 

 重い打撃音がルームに響き、攻撃を受けたレフィーヤは肺から空気を吐き出しながら、悶絶して後方へと勢いよく吹き飛ばされる。

 あまりの速度と威力に、攻撃を放ったアイズ自身も、鞘を振り抜いた体勢のままハッと我に返って硬直してしまった。

 

「はううぅ……!?」

 

 ダンジョンの冷たく硬い石の床を、勢いよくごろごろと転がっていったレフィーヤ。彼女は壁際でようやく停止すると、強打された胴体を両手で必死に押さえ込みながら、涙目で苦悶の声を上げた。

 魔法の構築と回避行動の同時進行。その極度の集中状態の中で強烈な一撃を浴びた影響は、単なる物理的な痛みだけでは済まない。詠唱が二文字しか成立しなかったことで、体内で練り上げられかけていた魔力が暴走し、あわや自爆とも言える魔力暴発を引き起こしかけていたのだ。

 

「レ、レフィーヤっ!」

「げほっ、うぅ……っ」

「ご、ごめんなさい! つい、ベルとの訓練のつもりで動いちゃって……っ!」

 

 アイズが慌てふためいて駆け寄り、顔を青ざめさせながら必死に謝罪の言葉を口にする。

 地面の上でぷるぷると震えながらうずくまるレフィーヤは、体内で暴れ狂う魔力の残滓と脇腹の激痛に、ただ悶絶することしかできなかった。しかし、アイズの口から飛び出した弁明の言葉の一部が、レフィーヤの尖った耳に確実に届いていた。

 ベルとの訓練のつもり。その単語を聞いた瞬間、レフィーヤは痛みに顔を歪めながらも、思わず視線をルームの入り口付近で待機しているベルたちの方へと向けた。

 

「あの、リヴェリアさん。僕たちがここにいても、本当にいいのでしょうか?」

「どういうことだ、ベル?」

「その……僕たちは、ハートレスと戦うために協力関係にあるとはいえ、所属しているのはヘスティア・ファミリアです。他派閥の人間である僕たちが、ロキ・ファミリアの魔導士であるレフィーヤさんの魔法の訓練をこんな間近で見てしまっては、魔法の特性や詠唱の癖といった情報が漏れてしまい、あまりよくないのではと……」

 

 少し離れた場所では、ベルが真剣な表情でリヴェリアへと問いかけていた。

 それは、迷宮都市においてファミリア間の情報漏洩がどれほど致命的な事態を招くか、冒険者としての常識を身につけ始めたからこその純粋な懸念だった。

 思わずソラが「なんで?」と首を傾げて疑問符を浮かべる中、ベルのその真摯な言葉を聞いたリヴェリアは、静かに目を細めて頷いた。

 

「なるほど、お前の言うことにも一理ある。もしレフィーヤが、ただの魔導士として魔法のみを使うのであれば、その意見には全面的に賛同できるところがある。手の内を他派閥に明かすのは愚の骨頂だからな。しかし……」

 

 リヴェリアはそこで言葉を区切り、手にした杖の先で地面を軽く叩いた。

 

「レフィーヤは今、キーブレードに選ばれ、やがて来るであろうハートレスとの苛烈な戦いにおいて、あの子がお前たちと共に剣を交えて戦う事態も十分にあり得るのだ。ならば、たとえ派閥が違おうとも、互いの能力や戦い方をある程度把握し、多少なりとも情報の共有はしておいた方が、いざという時に連携を取りやすい」

「リヴェリアさん……。はい、分かりました。お気遣いありがとうございます」

 

 都市の未来と迫り来る見えない脅威を見据えた、リヴェリアの合理的かつ大局的な判断。それに納得したベルは、深く頭を下げて感謝の意を示していた。

 その一連のやり取りと、ベルの謙虚で成長を感じさせる態度。

 しかし、石の床に這いつくばるレフィーヤにとって、そんな美しい情景はただの燃料にしかならなかった。

 アイズから「ベルと同じように」と無意識に比較され、さらに当のベルに気を遣われているという惨めな状況。レフィーヤの美しい顔は、一瞬にして羞恥と激しい嫉妬の色で真っ赤に染め上がった。

 

「わ、私は……! 大丈夫ですから! さっきみたいに、もっと遠慮なく来てくださいっ!?」

 

 脇腹の激痛も、体内で燻る魔力の暴走の余韻も完全に振り払い、レフィーヤはがばっと勢いよく立ち上がった。

 そして、両手で痛む脇腹をしっかりと押さえつけながら、頬を引きつらせて無理やり笑みを作り、心配そうに謝罪を続けるアイズに向かって吠えたのだ。

 あの少年にできることが、私にできないはずがない。あのヒューマンの少年に盛大な対抗心を燃やすレフィーヤは、これまでにない異常なほどの負けん気を発揮していた。

 床に落としていたキーブレードをひったくるように拾い上げ、整った眉目を吊り上げて凶暴な闘志を剥き出しにする。その凄まじいまでの嫉妬と意地に塗れたエルフの少女の気迫に、流石のアイズも一瞬だけタジタジと気圧されて後ずさった。

 しかし、特訓は再開された。

 

「【解き放て、光の──】っ、ああっ!」

 

 アイズを前に、レフィーヤは再び並行詠唱に取り組んだ。

 しかし、現実は非情だった。アイズがどれほど攻撃を手加減し、速度を落としてくれたとしても、第一級冒険者の踏み込みと軌道はレフィーヤの予測を遥かに超えてくる。

 迫り来る手加減された鞘の攻撃を避けるだけで意識のほとんどを持っていかれ、並行して呪文を紡ぐ余裕など全くない。魔力暴発という最悪の事態こそ回避できているものの、呪文は途切れ途切れになり、まともに魔法を構築することができないのだ。

 

「そこ」

「きゃああっ!」

 

 回避が遅れ、足がもつれ、魔力が散る。その度にレフィーヤはアイズの鞘で容赦なく叩き伏せられ、冷たい石の床へと何度も何度も転がされた。

 何度目かの打撃を受け、ついに体力の限界を迎えてボロボロになり、床にへたり込むレフィーヤ。息も絶え絶えに肩で息をする彼女を見て、アイズは素人考えで高度な並行詠唱の実戦模擬戦を提案してしまった自身の甘さを深く後悔し、ひどく沈痛な面持ちでレフィーヤへと謝罪の言葉を繰り返した。

 

「ごめん、レフィーヤ……。やっぱり、いきなり並行詠唱と近接戦闘を同時にやるのは無茶…」

「いえ、アイズさんは悪く……っ。私の、実力不足なだけで……」

 

 自身の圧倒的な不甲斐なさに打ちひしがれ、レフィーヤは深く俯いた。

 こんなにも無様で、無力な自分。アイズの隣に立つなど、夢のまた夢ではないのか。絶望的な実力差に心が折れそうになったその時、彼女はふと気になって、例の少年の訓練の進捗について尋ねてしまった。

 

「……アイズさん。あの、ベルは……ベル・クラネルは、アイズさんとの特訓で、どうだったんですか?」

「ベル? うん、ベルはすごいよ」

 

 レフィーヤの問いに対し、アイズは一切の淀みなく、純粋な感嘆の声を漏らした。

 

「最初は私の一撃を避けることもできなかったけど、何度も倒れて、何度も立ち上がって……その度に動きが良くなっていくの。たまに私を驚かせるような動きを見せてくれた。あのひたむきな姿勢と成長速度は……本当に、目を見張るものがあると思う」

 

 アイズの口から紡がれる、手放しの絶賛。

 自分がどれだけ足掻いても辿り着けない領域へと、あの少年は泥臭く、しかし確実に手を伸ばしている。その事実を突きつけられた瞬間、レフィーヤの胸の奥底で、ドロドロとした激しい悔しさが爆発した。

 

「……ッ!!」

 

 レフィーヤは歯を食いしばり、両手をダンジョンの硬い地面に力任せに叩きつけた。彼女のエルフとしての潜在的な魔力が無意識に漏れ出し、バキッという音と共に迷宮の石の床が蜘蛛の巣状に罅割れる。

 自分は今、憧れの人の前でこれ以上ないほどの醜態を晒しているというのに、あの少年はアイズにその実力と精神力を認められ、着実に成長の階段を上っている。その残酷すぎる対比に、彼女の感情のメーターは完全に振り切れてしまった。

 レフィーヤの脳裏には、いつの間にかとんでもない被害妄想が膨れ上がっていた。成長したベルが、自分を見下ろしながら「先に行かせてもらいますね」と嫌味ったらしく嘲笑いながら、アイズの隣へと歩み去っていく最悪の幻覚。

 

「……絶対に、絶対に譲れません……!!」

 

 怒りと屈辱で全身をワナワナと震わせながら、レフィーヤはベル・クラネルという少年を、自身の人生における完全なる『宿敵』として明確に認定した。

 ベル・クラネルに、アイズさんの隣を奪われてたまるか。自らの情けなさがどうしても許せず、絶対にアイツにだけは負けられないという突き抜けた意志と狂気じみた気概をその身に宿し、レフィーヤはキーブレードを杖代わりに再び力強く立ち上がった。

 その全身から立ち昇る凄まじい気迫と怨念のような闘志に、アイズは最初こそ目を丸くして驚いたが、やがて頼もしそうに柔らかく微笑んで応じた。

 

「行くよ、レフィーヤ」

「はいっ! 何度でもお願いします!!」

 

 レフィーヤはもはや打撃の痛みなど気にする素振りすら見せず、幾度となく迫り来るアイズの斬撃にめげることなく、怒涛の勢いで並行詠唱の訓練へと再び挑み続けていくのだった。

 

 一方、そんな前衛の苛烈な訓練を少し離れた場所から見守っていたソラは、隣に立つリヴェリアに純粋な疑問をぶつけていた。

 

「ねえ、リヴェリア。さっきから言ってる『並行詠唱』とか『魔力暴発』って、具体的にどういうものなの?」

「ああ。ソラは魔法の構築を詠唱に頼らないから、その概念に馴染みがないのも無理はないな」

 

 リヴェリアは杖の先を石畳に置き、ソラに対して丁寧に解説を始めた。

 

「我々オラリオの魔導士が魔法を行使する際、呪文を詠唱することで体内の魔力を練り上げ、事象を構築する。この詠唱中は極度の集中状態を要するため、通常は足を止めて行うのが定石だ。しかし、実戦ではそうもいかない。走りながら、あるいはモンスターの攻撃を回避しながら魔法の詠唱を続ける高度な技術。それが『並行詠唱』だ」

「動きながら魔法の準備をするってことだね」

「そうだ。だが、それは非常に危険を伴う。回避や防御といった肉体的な動作に意識を割きすぎると、詠唱という精神的な集中が乱れ、練り上げていた魔力が制御を失う。体内で魔力が文字通り暴走し、術者自身を内部から破壊する現象……それが『魔力暴発』と呼ぶ最悪の自爆現象だ」

 

 術者自身が内側から吹き飛ぶという恐ろしいリスク。魔力が暴発し、文字通り命に関わる事態になるという事実に、ソラは驚きを隠せずに目を瞬かせた。

 そして、ソラは自身の経験と照らし合わせ、並行詠唱という技術の難しさと、それを極めた時の圧倒的な強さについて深く考えを巡らせる。

 動きながら魔法を行使することの強力さ。それは、ソラ自身もかつての旅の中で身に染みて理解していることだった。

 光の塔を顕現させ、分身の幻影と共に走りながら無数の魔法の弾幕をばら撒くミラージュスタッフ。あの力を使った時の、敵を翻弄しながら一方的に殲滅する圧倒的な制圧力は記憶に新しい。

 さらには、キーブレードマスターであるアクアの姿が脳裏をよぎる。

 彼女はまさに、魔法に特化した戦士だ。遠距離にいる敵には一切の足止めをすることなく魔法の弾幕を浴びせ、強力な防御障壁で敵の攻撃を弾きながら、流麗な舞のような接近戦の合間に魔法を叩き込んで格闘術を強化していた。移動、防御、攻撃、そして魔法。すべてが途切れることなく連綿と続くあの彼女の戦い方こそが、並行詠唱と近接戦闘の究極の完成形と言えるのではないだろうか。

 

「本来ならば、少しずつレフィーヤに自信をつけさせながら並行詠唱の基礎を叩き込むはずだったのだがな……」

 

 リヴェリアは大きくため息をつき、何度も何度もアイズに叩き伏せられながらも、怨念めいた気迫で立ち上がり続けるレフィーヤの姿へと目を向けた。

 

「ああしてアイズに実力差を見せつけられ、打ちのめされ続けていては、あの子の心がポッキリと折れてしまわないか心配でならない。負けん気を見せているうちはいいが、限界はそう遠くないだろう」

 

 保護者としての痛切な懸念を口にするリヴェリア。

 その言葉を聞いたソラは、少しの間だけ腕を組んで思案していたが、やがて何か閃いたように顔を上げ。

 

「……そっか。ねえリヴェリア、俺にいい考えがあるよ」

 

 自信満々に笑うソラの言葉に、リヴェリアは怪訝そうな視線を向ける。果たしてこの少年は、レフィーヤを救うためにどのような奇策を思いついたのか。迷宮の冷たい空気の中、ソラの瞳には悪戯を思いついたような輝きが満ちていた。

 

 

 ・

 

 

 アイズによる苛烈な近接戦闘と並行詠唱の同時訓練が小休止に入り、迷宮の石の床に腰を下ろしたレフィーヤの元へ、ソラが軽く手を振って歩み寄った。

 

「お疲れ、レフィーヤ。並行詠唱の調子はどう?」

 

 ソラの気遣うような問いかけに対し、レフィーヤはひどく浮かない顔をして力なく首を横に振った。

 

「……ダメです。魔力暴発を引き起こすことはなかったんですけど、詠唱が途切れ途切れになってしまって……アイズさんに対して、一回もまともに魔法を放つことができませんでした」

 

 肩を落とし、悔しそうに唇を噛むレフィーヤ。あのヒューマンの少年にだけは絶対に負けられないという強烈な対抗心を燃やして挑んだものの、第一級冒険者であるアイズの圧倒的な速度を前にしては、魔法を構築するためのわずかな時間すら捻出できなかったのだ。

 アイズもまた、レフィーヤの苦戦ぶりに少し申し訳なさそうな表情を浮かべ、ソラへと視線を向けた。

 

「ソラ、何かアドバイスはないかな。どうすれば上手くいくと思う?」

 

 自身も魔法と剣術を組み合わせた戦い方をするアイズからの純粋な質問。しかし、ソラは少し困ったように頬を掻いた。

 

「うーん……いや、俺の使う魔法には、そもそもレフィーヤみたいに長い呪文の詠唱っていらないんだよね。それに、敵の攻撃を防ぐ時も、リフレクっていう弾き返す魔法を使って防御しているから、並行詠唱の直接的なアドバイスは難しいかな」

 

 呪文を唱えず、一瞬で魔法を構築し発動させ、さらに防御すらも魔法で瞬時に行うというソラの常識外れな戦闘スタイルを聞き、アイズは「そっか……」と少し残念そうに呟いた。

 しかし、ソラはレフィーヤの戦い方をじっと観察していたからこそ気づいた、一つの改善点を口にする。

 

「でも、多分だけど……今のレフィーヤは、アイズの攻撃を武器で防ごうとする『防御』の意識が強すぎるんだと思う。近接戦闘に慣れていないなら、防御は捨てて完全に『回避』だけに専念すべきだよ。さっきの俺のフリーフローみたいに、敵から逃げ回りながら魔法を準備するんだ」

「防御を捨てて、回避に専念……?」

 

 ソラの言葉の真意があまり理解できず、レフィーヤは頭の上に疑問符を浮かべて小首を傾げた。

 言葉で説明するよりも、実際に体感してもらった方が早い。そう判断したソラは、アイズに向かって交代を提案した。

 

「アイズ、次は俺がレフィーヤの相手をするよ」

「ソラが? 何をするの?」

 

 不思議そうに尋ねるアイズに対し、ソラは「説明するよりも見た方が早いよ」とだけ答え、空いている右手をスッと頭上へと掲げた。

 次の瞬間、ポワワという間の抜けた音と共に、ソラの頭上の虚空に奇妙な物体が顕現した。それは、赤や青、黄色といったカラフルな色合いをした、水風船のような丸い球体がいくつも密集した不思議な塊だった。

 

「……なんですか、それは。風船……の塊?」

 

 迷宮の薄暗い空間に似つかわしくない、あまりにも可愛らしいその謎の物体を前に、レフィーヤはさらに疑問符を浮かべる。

 

「これは『バルーン』っていう魔法で、この集まった状態を『バルーンラ』って言うんだ。今から俺の風魔法でこの塊をバラバラに弾き飛ばして、レフィーヤを狙う。レフィーヤは俺の風魔法を避けながら、この風船を全部壊してみて」

 

 ソラが提示した新しい特訓のルール。それはアイズの近接攻撃を捌くのではなく、飛来する障害物を避けながら魔法を放つという、後衛向けの変則的な射撃訓練だった。

 

「いきますっ!」

 

 レフィーヤが態勢を低くして構えた直後、ソラは杖代わりに手にしたキーブレードを前方に突き出した。

 

「風よ!」

 

 ソラの短い発声と共に、疾風の魔法である『エアロ』の不可視の弾丸が放たれる。

 風の弾丸はソラの頭上に浮かぶバルーンラの塊に直撃し、密集していたカラフルな風船たちを四方八方へと勢いよく弾け飛ばした。

 バラバラになった無数の風船が、不規則な軌道を描きながらルームの空間を跳ね回り、レフィーヤへと殺到する。

 

「っ! 【解き放て、光の──】」

 

 レフィーヤは足元に魔力を集中させ、細かなステップで飛来するバルーンを回避しながら、並行詠唱の呪文を紡ごうと試みる。

 しかし、不規則にバウンドしながら迫り来るバルーンの軌道は想像以上に読みづらく、さらにその後方からは、ソラの放つエアロの不可視の追撃が容赦なく飛んでくるのだ。

 

「きゃああっ!」

 

 回避が間に合わず、エアロの突風に足元をすくわれる。体勢を崩したところにバルーンが直撃し、パーンという破裂音と共にレフィーヤの身体が後方へと吹き飛ばされた。

 弾け飛ぶバルーンの衝撃は思ったよりも重く、彼女は何度も石の床を転がされることになった。

 

「まだまだ! 風船の軌道をよく見て、止まらずに動き続けて!」

 

 ソラからの活を入れる声が響き、レフィーヤは痛む身体に鞭を打って立ち上がる。

 何度も風魔法に撃ち抜かれ、バルーンに吹き飛ばされて石の床を這いつくばるレフィーヤ。しかし、アイズの容赦ない超高速の近接攻撃によるプレッシャーに比べれば、少し離れた位置から飛んでくる魔法の弾幕を避けるこの訓練の方が、魔導士である彼女にとっては遥かに状況を把握しやすく、精神的な余裕を持つことができた。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 何度目かの吹き飛ばしを受けた後、肩で激しく息をするレフィーヤを見かねて、ずっと静観していたリヴェリアが前に進み出た。

 

「今日はここまでにしよう。これ以上は魔力の浪費と体力の消耗が激しすぎる。初めての並行詠唱の実戦訓練としては、十分に限界を超えている」

「ま、まだ……やれます、リヴェリア様……! 私、まだ魔法を一発も……!」

 

 食い下がろうとするレフィーヤだったが、リヴェリアは有無を言わさぬ厳しい視線でそれを即座に却下した。

 さらに、リヴェリアは疲労困憊の少女に対し、もう一つの重要な課題について問いかける。

 

「それで……結局のところ、キーブレードを顕現させる感覚はどうだったのだ?」

「…………っ」

 

 その問いに、レフィーヤはギュッと己の右手に力を込め、強く念じてみた。

 しかし、いくら魔力を練り、感情を昂ぶらせても、彼女の手にキーブレードが握られることはなかった。虚空を掴む感触だけが残り、キーブレードは一向に出現する気配を見せない。

 並行詠唱も上手くいかず、訓練の本来の目的であったキーブレードの出現すらも果たせない。自身の才能のなさと不甲斐なさに、レフィーヤは完全に心を折られ、深く俯いて落ち込んでしまった。

 そのひどく沈んだ様子を見て、ソラが何か励ましの言葉をかけようと口を開きかけた、まさにその時だった。

 

「……ソラ」

 

 いつの間にかソラの背後に近づいていたアイズが、その服の袖をちょいちょいと軽く引っ張った。

 

「ん? どうしたの、アイズ?」

「私と、組み手してほしい」

 

 金色の瞳に静かな闘志を燃やし、真っ直ぐにソラを見つめて提案するアイズ。その言葉に、最も早く反応したのは他でもないリヴェリアだった。

 

「アイズ。お前、昨日のことを、もう忘れたのか?」

 

 また周囲の被害を顧みずに規格外の戦闘を始めるつもりかと、リヴェリアはジロリと目を細めて咎めるような視線を送る。

 しかし、すっかりソラとの戦闘に火が点いてしまっているアイズは、決して引き下がらなかった。

 

「ここはダンジョンだから、いくら壊しても大丈夫。それに……ソラとの実戦を見ることは、ベルとレフィーヤの参考にもなると思う…」

 

 少し視線を泳がせながらも、後輩たちの成長のためだというもっともらしい建前を必死に並べ立てるアイズ。どう見ても自分が戦いたいだけなのが見え透いていたが、その熱意だけは本物だった。

 リヴェリアは全く納得していない様子で深いため息をつこうとしたが、そこでソラがアイズの提案に明るく応じた。

 

「いいよ、俺は構わない。アイズとならいい組み手になりそうだし」

「ソラ、お前まで……。ここは上層とは言えダンジョンの中だぞ」

 

 頭を痛めるリヴェリアに対し、ソラは両手を合わせてペコペコと頭を下げた。

 

「ごめん、リヴェリア。でも、昨日の戦いは俺が魔法を撃ちすぎちゃって、あまりベルのフリーフローの手本にならなかったからさ。少しだけ、少しだけだからお願い!」

「はぁ……。仕方ない、周囲の警戒は私がしておこう。だが、くれぐれもやりすぎるなよ」

 

 ソラの真っ直ぐな頼み込みと、アイズの期待に満ちた眼差し。それに抗いきれなくなったリヴェリアは、ついに深くため息をつきながら、二人の組み手を渋々と了承するのだった。

 

 

 ・

 

 薄暗い壁面を照らす燐光が、静かに相対する二人の輪郭を浮かび上がらせる。迷宮特有の冷たく湿った空気が、今は熱を帯びてピンと張り詰めていた。ルームの端へと退避したベル、レフィーヤ、そしてリヴェリアの三人は、これから始まる未知の戦闘に固唾を飲み、瞬きすら忘れて中央を見つめている。

 アイズはデスペレートを静かに正眼に構え、その金色の瞳に静かで熱い闘志を宿していた。対するソラは、キングダムチェーンを片手に、どこか自然体でありながら一切の隙を感じさせない構えをとっている。

 遠くで聞こえるモンスターの唸り声すら遠のくような、極限の沈黙。その張り詰めた空気を真っ先に切り裂いたのは、ソラだった。

 

「いくよ!」

 

 石の床を蹴り飛ばす鋭い破砕音と共に、ソラの身体が弾丸のように真っ直ぐに撃ち出される。前傾姿勢のまま瞬時に数メートルの間合いをゼロに縮め、手にしたキングダムチェーンをアイズの胸元へと鋭く突き出した。

 常人であれば反応すら許されない神速の初撃。しかし、アイズは微塵も慌てることなく、デスペレートの硬質な腹でその突きを的確に弾き返した。金属と魔法の金属が激突する甲高い音がルーム全体に鳴り響き、それを開戦の合図として、両者の激しい剣戟が幕を開けた。

 

「はあっ!」

「そこっ!」

 

 ソラの変幻自在でトリッキーな連続攻撃と、アイズの洗練の極みにある流麗な剣術が真っ向からぶつかり合う。

 下段からの斬り上げをアイズが半歩引いて躱し、即座に放たれたアイズの袈裟斬りをソラがキーブレードの柄で受け止める。幾重にも重なる火花が薄暗い空間に散り、凄まじい衝撃波がルームの空気を震わせ、観戦しているベルたちの髪を激しく揺らした。

 力と速さ、そして技術の応酬。一瞬の間に十を超える斬撃が交差するその攻防は、すでに見守るベルやレフィーヤが目で追うのすら困難なほどの次元に達していた。

 互角の斬り合いが続く中、ソラは鍔迫り合いの反動を巧みに利用して、上空へと大きく跳躍した。

 

「だりゃあああっ!」

 

 高い天井に届かんばかりの跳躍。そこからソラは、純粋な気合の咆哮と共にキーブレードに眩い紫電の魔法を纏わせ、真っ逆さまに急降下する。落雷そのものと化した強烈な急降下攻撃。

 アイズはその破壊的な威力を本能で察知し、落下地点からバックステップで身を躱した。直後、ソラのキーブレードが石の床に突き刺さる。轟音と共に地面がクレーターのように砕け散り、紫電が蜘蛛の巣のように周囲へと激しく弾け飛んだ。

 アイズが雷撃の余波を回避した直後、着地の衝撃を完全に殺しきったソラは、すでに次の動作へと移行していた。キーブレードを腰の横に構えた居合いの体勢。そこから、渾身の力を込めたザンテツケンが放たれる。

 

「ふっ!」

 

 短く鋭い呼気と共に放たれたのは、空気を切り裂き、空間そのものを両断するかのような鋭い光の軌跡だった。

 回避行動を終えたばかりのアイズは完全に防ぐことができず、咄嗟にデスペレートを盾にして受け止めた。しかし、防御ごと両断するような規格外の威力を殺しきることはできず、彼女の小柄な身体はダンジョンの硬い壁際まで一気に吹き飛ばされてしまう。

 

「アイズさんっ!?」

 

 凄まじい轟音と共に壁に叩きつけられたアイズの姿に、レフィーヤは悲鳴に近い叫びを上げた。

 憧れのアイズが、真正面からの力勝負であえなく吹き飛ばされた。目の前で繰り広げられる、常識を置き去りにした次元の違う激突。それを目の当たりにしたレフィーヤは、憧れのアイズに追いつくために自分がこれまで積み重ねてきた努力が、すべて無意味なものに思えてしまった。果てしない実力差に心が折れかけ、暗い絶望に呑まれそうになる。

 しかし、その時だった。

 

「……本当にすごい…だからこそ……」

 

 隣から聞こえた微かな声に、レフィーヤはハッとして横を向く。

 そこには、瞬きすら忘れたように、火花を散らす武器の衝突を食い入るように見つめるベルの姿があった。その横顔には、恐怖ではなく純粋な畏敬の念が浮かんでいる。

 

「僕が二人に本当に追いつくまでには、まだまだ途方もなく長い道のりがあるって…」

「追いつく……?」

 

 レフィーヤが思わず問い返すと、ベルはゆっくりと頷いた。

 

「うん……二人は本当に強い。僕と、ソラやアイズさんとの間にある差は、今の僕から見たら絶望的なくらいに大きすぎる。二人は本当にすごいんだ……」

 

 残酷なまでの事実を認め、少しだけ落ち込んだ様子を見せたベル。

 しかし、次の瞬間には彼の赤い瞳に決して消えない意志の炎が宿り、両手を強く握りしめていた。

 

「でも……その差がどれだけ大きくても、二人に追いつくために、僕にできる限りのことを全部やるんだ。指をくわえて、二人が戦うのを見ているだけなんて……絶対に嫌だから」

 

 震える声で、しかし決して折れることのない強い決意を込めた少年の言葉。

 それに、レフィーヤはハッと目を見開いた。

 ベルの言葉は、痛いほどにレフィーヤの胸に突き刺さった。それは、レフィーヤ自身がアイズとの間に感じている途方もない実力差や、それでも隣に立ちたいと願う切実な想いと、鏡合わせのように深く重なっていたからだ。

 自分よりもさらに大きな差があるはずのソラやアイズに対して、絶望するどころか追いつきたいという強い意志を燃やすベル。

 そのひたむきな姿を目の当たりにして、レフィーヤの心の中にあった重い靄が晴れていく。自分だけじゃないという安堵。そして、自身が好敵手と定めたこの少年がこれほど必死に足掻いているのなら、エルフの誇りにかけて自分にできないはずがないという新たな決意が湧き上がってくる。

 そんなレフィーヤの視線に気づいたのか、ベルはハッとして我に返り、恥ずかしさで顔を真っ赤にして頭を掻いた。

 

「あ、ご、ごめんなさい……なんか一人で勝手に熱くなっちゃって……」

「……いいえ」

 

 照れくさそうに謝るベルに対し、レフィーヤは静かに首を横に振った。

 

「わかります。……憧れの人に追いつくためには、本当に並大抵じゃない努力が必要ですよね」

 

 自らにも言い聞かせるように呟いたレフィーヤを、ベルは少し驚いたように見つめ、やがて小さな笑みを浮かべて深く同意するように頷き返した。

 再び戦いを見守るべく視線を中央へと戻した二人の間で、これまでエルフの少女が白髪の少年に抱いていたドロドロとした嫉妬心は、同じ途方もない高みを目指す同志としての、不思議な親近感へと確かに変わりつつあった。

 レフィーヤは小さく息を吐き、自らの拳を強く握り直す。

 

 一方、壁際まで吹き飛ばされたアイズも、当然ただではやられなかった。

 空中でクルリと身を捩って体勢を立て直すと、吹き飛ばされた勢いを利用して両足でダンジョンの壁を強く蹴りつける。そして、壁に張り付いた体勢のまま、短くも絶対的な魔力を秘めた言葉を紡いだ。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 アイズの短い詠唱と共に、彼女の全身を凄まじい緑色の暴風が包み込む。

 さらに、アイズは先ほどの特訓でソラから学んだばかりのフリーフローを、即座に実戦へと組み込んでみせたのだ。

 暴風の魔力を推進力として纏ったまま、壁を蹴って空中を矢のように滑走する。壁面から天井へ、天井から壁面へと跳び移り、重力という絶対の法則を完全に無視した超高速の立体軌道で、ソラの周囲を縦横無尽に跳ね回り始めた。

 アイズは上空の死角からソラに向けて、風を纏った強烈な飛び蹴りを連続で叩き込んだ。ソラはキーブレードを掲げてそれを防ぐが、全方位から迫り来る猛攻に、防戦一方へと追い込まれていく。

 アイズは勝負を一気に決めるべく、空中滑走の勢いを限界まで高め、ソラの懐へと一直線に急接近した。白銀の刃が暴風を纏い、必殺の軌道を描く。

 しかし、その直前。猛攻に晒されながらも全く焦りを見せていなかったソラは、冷静に左手を突き出し、魔力を込めた。

 

「はあっ!」

 

 ソラの気合と共に、彼と突進してくるアイズの間の虚空に、色鮮やかな水風船のような球体が突如として大量に召喚された。

 超高速で突進していたアイズは、突然現れた障害物を避けることができず、反射的にデスペレートを振り抜き、その風船の群れを斬り捨ててしまった。

 次の瞬間、パーンという大きな破裂音と共に、一気に弾け、強烈な衝撃波がアイズの至近距離で発生したのだ。

 

「あっ……!」

 

 完全に意表を突かれたアイズは、風船が割れた衝撃をもろに受け、纏っていた風の鎧が乱されて強引に弾き飛ばされてしまう。空中で体勢を崩し、フリーフローの軌道が完全に止まってしまう。

 その決定的な隙を、ソラが見逃すはずがなかった。

 

「はぁあああっ!」

 

 ソラは一本の閃光となって空中のアイズへと一直線に突進した。

 視認不可能な超高速の突進突き。一撃目、アイズは空中で強引にデスペレートを振り、辛うじて弾き返す。

 しかし、ソラの突進は一度では終わらない。空中で鋭角に軌道を変え、死角から二撃目が迫る。アイズは歯を食いしばり、デスペレートの腹でそれを受け止めた。

 だが、足場を持たない状態での防御はそこが限界だった。四方八方から光の矢のように突き刺さる三撃目、四撃目、五撃目。

 息もつかせぬ超高速の連続突進攻撃の嵐を捌ききることはできず、アイズは手痛い連撃を次々とその身に浴びてしまう。

 そして、最後の一撃。

 

「たぁぁっ!」

 

 渾身の気合と共に放たれたソラの重い一撃がアイズの胴体を捉え、彼女の身体は迷宮の石の床へと激しく吹き飛ばされた。

 ズサァァッ、と激しい音を立てて地面を転がり、もうもうと土埃が舞い上がる。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 土埃の中、アイズは痛む身体を必死に起き上がろうとする。

 しかし、彼女が顔を上げたその時、目の前にはすでにソラが立っていた。

 彼女の細い喉元には、キングダムチェーンの冷たい切っ先が、ピタリと寸分の狂いもなく突きつけられている。アイズは自身の敗北を悟り、小さく息を吐いて静かに剣を下ろした。

 

「今回は俺の勝ちだな、アイズ」

 

 ソラは喉元に当てていたキーブレードをスッと引き、ニッと人懐っこい笑みを浮かべてそう宣言した。

 激しい戦いの余韻が残るルームの中で、互いの全力を出し切った組み手は、ソラの鮮やかな勝利によって決着を迎えるのだった。

 

 

 ・

 

 

 アイズは首元に突きつけられたキーブレードからゆっくりと身を引き、手にしたデスペレートを静かに鞘へと収める。息を整えながらも、彼女の金色の瞳の奥には、敗北の悔しさよりも深い疑問が渦巻いていた。

 ……なぜ、私の剣は届かなかったの?

 これだけ激しく打ち合い、限界まで速度を高めたというのに、決定的な一本はついに奪えなかったのだ。純粋な身体能力や剣の速度で自分が劣っていたとは到底思えない。アイズは自身の内に湧き上がったその率直な疑問を、そのまま口にしてソラへと問いかけた。

 アイズからの問いに対し、ソラは手にしたキングダムチェーンを光の粒子に変えて消散させながら、真剣な表情で答えた。

 

「それにしても、戦ってみて気づいたことがあるんだ」

「気づいたこと?」

 

 ソラの言葉に眉を上げるアイズ。

 

「うん……変な風に聞こえないといいんだけど……アイズって、対人に慣れてないでしょ? アイズの剣は、すごく強くて速いんだけど……少し威力を重視しすぎているというか、完全に対モンスターに特化した戦い方になっているんだと思う」

「対モンスターに特化……」

「うん。モンスターの硬い外殻や皮膚をぶち破るための、一撃必殺の重い剣撃になっている。多分だけど今のアイズには、対人戦の経験が決定的に不足している気がするんだ」

 

 たった二度の組み手。それだけで、ソラはアイズの戦闘スタイルの本質と弱点を完全に見抜いていた。

 そして、真っ直ぐな瞳でさらに言葉を続ける。

 

「だから、もっと対人戦の経験を積んだ方がいいと思う。せっかくアイズには強いファミリアの仲間がたくさんいるんだから、みんなにお願いして組み手をしてもらったらどうかな」

 

 ファミリアのみんなに、組み手を申し込む……?

 アイズの日常は、基本的に一人で黙々と素振りをして己の技を磨くか、一人でダンジョンに潜ってひたすらモンスターを狩り続けるかのどちらかだ。ファミリアの団員たちと共に遠征に行くことはあっても、平時に仲間同士で武器を交えて模擬戦を行うという発想そのものが、彼女にはあまりにも抜け落ちていた。

 団長であるフィンや、ガレス、あるいは他の幹部たちのもとへ自分から歩み寄り、私と組み手をしてほしいと頭を下げる光景。それを頭の中で想像してみたアイズは、あまりの自分らしからぬ不自然なシチュエーションに、密かな戸惑いを隠せないでいた。

 

「なぁ……アイズ? どうかした?」

 

 急に黙り込み、何やら深刻そうな顔で空を睨み始めたアイズを見て、ソラが不思議そうに首を傾げる。

 

「……ううん。なんでもない。ソラ、教えてくれてありがとう」

 

 アイズは内心の強烈な葛藤をなんとか無表情の裏に隠し込み、コクリと頷いてみせた。

 ソラに教えられた自身の弱点。それを克服するための道筋は見えたものの、都市最強と呼ばれる剣姫にとっての次なる試練は、対人戦の技術そのものよりも、身内に組み手を申し込むというコミュニケーションの壁かもしれない。

 そんな彼女のひどく人間らしい不器用な戸惑いを、少し離れた場所からリヴェリアだけが、面白そうに目を細めて見透かしているのだった。

 

 充実した特訓を終えてダンジョンから地上へ帰還する道中、一行の前に突如として無数のハートレスが出現し、通路を完全に包囲する。

 大群を前にして、今回武器を構えて前に出たのはベルとレフィーヤの二人だけだった。ソラやアイズ、リヴェリアはあえて手を出さず、二人の特訓の成果を後方から見守ることに徹したのだ。

 ベルはフリーフローを応用し、壁や天井を蹴る立体的な軌道で影の群れを翻弄しながら次々と切り裂いていく。一方のレフィーヤは、ソラの助言通りに防御を捨てて回避行動に専念。しっかりと敵と距離を取って魔法を紡ぎ、強力な砲撃でベルを的確に援護した。

 二人は互いの弱点をカバーし合う見事な立ち回りで、わずか数分でハートレスの大群を完全に殲滅してみせる。あっさりと大群を退けた彼らの確かな成長ぶりに、見守っていた三人は感心の笑みを浮かべ、一行は足取りも軽く地上へと帰っていくのだった。

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